「今回の案件の裏には、学園艦利権のようなものが存在するんだ」
山下の発した言葉には、意外な単語が含まれていた。
「利権?」
教育機関である学園艦と利権?
「ああ、そうさ。学園艦が運行されていて、儲けられる奴らはどういう奴らだと思う?」
「そりゃ、教育関係者じゃないか? 職を得ることができる教師だとか、学校法人だとか」
「違う違う」
山下が手を振った。
「さっきから、教育ベースでものを考えるなと言っているだろう。学園艦だぞ。陸地の学校じゃないんだ」
「どういうことだよ?」
「つまりだな、学園艦そのものの問題なんだよ。いいか、学園艦の維持管理費は非常にコストが高いな?」
「そうだな」
「そこに一口噛んでいる奴らがいるわけだ。学園艦の建造、そして定期的検診、補修・修繕、燃料費。学園艦が毎日動いているだけで、陸の学校とは全く違う奴らが儲けることができるんだよ」
「あ……」
僕は言葉を失った。
「お前に食って掛かった議員、土山な? あいつの後援会会長は泉佐野の大きな製鉄会社だ。つまり、学園艦に鉄を供給している可能性が高いのさ」
僕は、土山のことを調べた時、彼が大阪第17区……大阪南部の湾岸区域選出であることを思い出した。
彼自身は倉庫会社の役員出身だったが、後援会長にそういう繋がりが……。
「そもそも、奴らのドンの玉田議員な。彼も親戚関係に製鉄業だの造船業だの工場だのなんだのが多い。つまり、熱政連は第2次産業の利権でつながっているグループっていう側面があるんだ」
「ということは、彼らが僕を攻撃するのは、教育に対する懸念ではなく……」
山下が頷く。
「そういうことだ。奴らは教育になんて興味がない。自分たちの関係する会社の『旨味』を突き崩されたくないだけさ。大方、後援会からいろいろ陳情が来てるんだろうよ」
「で、でも、土山議員からいろいろ攻撃されたが、彼は今回の案の教育上の問題点もかなり詳しく把握をしていた」
「そりゃ議員だからな。説得力をもって議論しなくちゃならないから、勉強はしてるだろう。だが、目的は全く別のところにあるんだ」
僕はこめかみを押さえた。
「そ、それじゃあ篠崎代議士は? 彼はどういう意味があって学園艦の統廃合に熱を上げているんだ。彼は教育畑でずっとやってきた人だ。それに、そういう第2次産業との繋がりも聞いたことがない。彼はやはり、純粋に教育のことを思って……」
「んなわけがあるかよ」
山下が冷たく言い放った。
「あんな奴、自分のエゴばっかしじゃないか」
「山下、君は昔から篠崎代議士のことを悪く言う。けど、彼は、そんな利益とかには興味がない人だ」
「それはそうだろうよ。おれもそう思うよ、でもな、篠崎は名誉欲に目がない男だ。大臣のポストが欲しいんだよ」
「ポスト?」
「そうさ。今回の案件、俺のところにまで出回ってきたぜ。最初の3案のうち、一番無意味なB案で押し通されたんだろ?それで辻ちゃんは説明理由がなくて困っている」
それはその通りだった。
僕は頷いた。
「議案が骨抜きにされた理由はすぐに察しがついたよ。わかってないのは辻ちゃんぐらいじゃないか?」
「何が言いたいんだ」
「つまり、だ」
山下はロックグラスを口に運んだ。
「A案だったかC案だったか忘れたけどさ、新しい学園艦を建造する案があっただろ?」
「……あった」
「あれは悪くない案だ。3案のうちで1番マシだよ。だが、あれじゃ篠崎的にはダメなんだろうよ」
僕の脳裏に、すげなくB案を却下した篠崎代議士の顔が浮かんだ。
「どういう意味だ?」
「新しい学園艦を建造すれば、結局、玉田たちが一口噛んでいる業界を潤すことになる。それが嫌なんだ」
「それじゃ、篠崎代議士は、玉田議員を苦しめるために今回の案を作らせているというのか? 同じ与党内だぞ?」
「だから、篠崎はポストが欲しい男だっているじゃんか」
また山下がため息をついた。
これで何度目だろうか。
彼は呆れかえった目で僕を見つめる。
「一時期篠崎が干されていたのを知っているだろう?」
「あ、あぁ……。それは覚えている」
属しているグループの力が弱まり、発言権が落ちたことをずいぶんと愚痴っていた。
「あの時に篠崎が属している竹田派を弱らせ、党内で勢力を拡大したのが杉澤派なんだ。そこのホープが玉田だ」
「ということは……」
「篠崎と玉田はライバルなんだよ。歳も近い。どちらも、そろそろ閣僚入りの声がかかってもおかしくはない立場だ。つまり、お互いの足を蹴り合っているんだよ」
「学園艦統廃合は、教育議論ではなく、ただの権力闘争……。」
「これは噂だがな、篠崎は冷や飯を食わされた前後、ずいぶんと玉田から嫌がらせを受けていたらしい。個人的な恨みつらみもあるのだろうよ。
玉田のバックボーンの造船だとか製鉄だとかにパンチを入れたくて仕方ないんだ。かといって、彼は教育畑だ。タンカーに手出しなんてできない。自分が影響力を持つ分野で、玉田に一発攻撃できる案件を探していたんだろう」
考えてみれば、今回の案件の足がかりともいえた陸の学校施設の統廃合プロジェクト。
あれは、ちょうど篠崎代議士が冷や飯を食わされていたころに動き出した案件だった。
あの頃から、個人的な恨みでこの話の準備をしていたというのか?
僕は頭を押さえた。
「もういい。山下もういいよ」
「どうした?」
「そんな話、聞きたくなかった」
「そりゃま、お前からしたら、ずっと付き従ってた篠崎の裏の側面は聞きたくないわな」
「…………」
「でもさ、いい歳なんだ。そういうことも理解して仕事に臨んだほうがいいぜ?」
僕はグラスを見た。
氷がすっかりと溶け、水ばかりがカサを増していた。
「山下。お前はさ、どうしてそんなに詳しいんだ?」
「庁内で泳いでいれば、自然にこうなるよ。俺はさ、他の部署が今どういう案件で揉めてるかを多少はチェックするし、うわさ話や与太話も耳に入れてる。その違いだよ。辻ちゃんみたいに教育にすごく詳しくはないけど、俯瞰で生きてる」
「そう、か」
「かと言って、キャパシティを考えずにあれこれやっても潰れるだけだけどな」
自重気味に苦笑する。
「俺は好きだよ、辻ちゃんの生き方」
山下が立ち上がった。
「さて、と。話は終了だな。ちょっと厭味な物言いになっちまってすまなかった。楽しく飲んで朝帰りといきたかったんだが、帰るわ」
「なぁ、山下」
「どうした?」
「この件、どうしたらいいんだろう?」
僕は顔を上げることができなかった。
グラスを見つめたまま、弱々しくつぶやいた。
「どうもこうもないよ。淡々と説明を繰り返せばいいだけだ。そういうもんだろ? 俺たちの仕事って。最後には議員が決めるんだから。やれと言われたことをできるだけ努力すればいいだけだよ。通らなくても通ってもその態度は評価されるさ」
「でも……」
「いいか? 変な気は起こすなよ。それだけは忠告しといてやる。いまさら自我を出すなよ。さっきの話も、あくまで俺の予想だ。与太話だ。そういうことかもしれん、ぐらいに思って、淡々と仕事をこなせよ」
山下がマンションの入り口で靴を履く音が聞こえた。
「ああ、わかった……」
僕は頼りなげにつぶやいた。
やがて、ドアが開く音が聞こえ、山下が出て行った。
続く