辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

53 / 100
いつも読んで下さりありがとうございます。


52 宅飲み

「もしもし」

 

携帯電話ごしに懐かしい声が聞こえた。

山下の声だ。

 

「ひ、久しぶり」

「あぁ。辻ちゃん、おひさだね」

 

以前と変わらない軽い口調に気が楽になった。

 

「どうしたの、本当に久しぶりじゃん。なんかあった?」

「まぁ、その。急にお前のことを思い出してな。その。実は今、Moonburnにいるんだ。もしよかったら来ないか? 今日は金曜だし……」

 

彼に教えてもらったバーに一人でいるということを伝えるのは少し気恥しかった。

 

「Moonburnにいるんだ?」

「そうなんだよ」

「そうかぁ。う~ん、そうだなぁ。家を出ることはもちろんできるんだがなぁ」

「どうしたんだよ?」

「その、俺さ、長い間、Moonburnに立ち寄ってないから、久しぶりすぎて気が引けるんだわ」

「おいおい、鋼のハートのお前が何言ってるんだよ」

「そうでもないんだって。あ、そうだ。辻ちゃんさ、何気にまだ独身でしょ?」

「うぐっ。そ、そうだが」

「そんじゃ、辻ちゃんちお邪魔させてよ。宅飲みしようぜ。宅飲み。たしか田町付近に住んでただろ?」

「ま、まぁいいけど……」

 

宅飲み。

実は僕はその行為をしたことがなかった。

いや、もちろん自宅で一人で飲むことはあるのだが。

所謂「友人との宅飲み」というのをしたことがないのだ。

基本的に自宅に人を呼ばない主義だし、いちばん宅飲みをする機会が多いであろう大学時代には、一緒に酒を飲むような友人がいなかった。

とはいえ、こんな年齢になって、宅飲みをするというのもいい機会だ。

僕は了承することにした。

バーを出て、マンションに帰ると、ちょうど山下も駅前に着いたと連絡があった。

駅前まで迎えに行く。

 

「よっ」

 

山下が笑顔で右手を挙げた。

昔から見慣れた、人懐っこい笑顔。

だが、眼尻にはしわがより、髪は随分とボリュームがなくなっていた。

 

「歳とったな」

 

僕が思わずつぶやくと、肘でつつかれた。

 

「辻ちゃんもな」

「そりゃそうか」

 

二人して笑う。

 

「で、宅飲みってどうやるの?」

「え? もしかして経験ないの?」

「お恥ずかしながらそうなんだ」

「わお。初体験いただいちゃった」

「変なことを言うな」

「ま、とりあえずスーパー行こうぜ」

 

山下が意気揚々と歩き出す。

 

「あ、そうだ。奥さんに謝っといてくれ。急に旦那を連れ出したことを詫びてるって」

「気にすんなよ。久しぶりなんだ。遅くなる、もしかしたら朝帰りかもって言ってある」

「泊まる気かよ」

「状況次第、状況次第。一応保険のつもりで」

 

連れ立って24時間経営のスーパーに入る。

 

「まずは、アテを買うかぁ~」

「アテって、実は買ったことないんだよ」

「え? 辻ちゃんそれマジ?」

「うん。酒は酒だけで飲むことが多くて」

「そりゃちょっと損してるぜ。とりあえず、裂きイカと、チーズと、せんべいと、鮭とばと、あと酒盗も買っとこう」

「買いすぎだろ。お前が金出せよ?」

「いやいや、余ったら辻ちゃんちに置いとくって。あ、酒ってどんなのがあるの?」

「ウィスキーだよ。お前に教えてもらった影響で。バランタインの12年とハイランド・クイーンのマジェスティがある」

「十分だな。水は?」

「ちょっと減ってるかもな」

「そんじゃま、ミネラルウォーター買っときますか」

 

ついでに糖分の吸収を抑えるお茶をかごに入れる。

 

「なにそれ?」

「あ、これは俺の分。一応気にしててさ。辻ちゃんも飲む?」

「う~ん、それじゃ試してみるか」

「あいよ」

 

そんなことをやっているといつの間にか買い物籠が満杯になった。

 

「いやぁ、楽しいねぇ。宅飲みってさ、飲んでだべるのも楽しいけど、こうやってスーパーで買い物してる瞬間も格別なんだよ」

 

山下が子供みたいに笑う。

確かに、それは僕も感じていた。

学生時代にこの男と出会っていたら、こんな風に楽しんでいたのかもしれない。

僕たちはレジに並んで会計を済まし、マンションへと向かった。

街には小雨が降り始めていた。

僕たちは荷物を抱えて小走りした。

 

続く

 






社会人になると忙しくて、本当に友達と遊ぶ機会が減りますよね。
そして、現実逃避か、日常系アニメばかり見るようになる。笑
また学生時代みたいに遊びたいなぁ。
そんな想いを込めました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。