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学園艦統廃合のプロジェクトが動き始めてからしばらくすると、庁舎内の官僚たちの態度が緩やかに変わった。
目に見える変化ではないが、季節の変わり目に大気が微妙な変化をするように、肌が感じるとることのできるものだった。
おそらく、僕が何らかの大きなプロジェクトに携わっていることが知れだしたのだろう。
重荷過ぎるプロジェクトにかかわるとこういうことがあるという話は聞いたことがある。
誰もが僕を注視しているのだ。
僕が潰れるかどうか。
僕と関係のない部署の人間からすればそれは面白い見世物だし、僕のポストを狙う者からすれば、絶好の機会だ。
しかし結局のところ、学園艦が統廃合されれば教育にどのようなことがもたらせられるのか……そういったことを危惧している人間はほとんどいないように感じられた。
所詮は他人事なのだ。
この閉じられた庁舎内の社会では自分の目の前の仕事以外の興味と言うものはどんどんと薄れていくようだ。
その点では僕に突っかかってきた中川はまともな感性を持った人間なのか。
僕は彼の行く末が心配になった。
彼はタフにやっていけるだろうか。
ある日、局長室で資料に目を通しながらコーヒーを飲んでいると、電話が鳴った。
受話器を上げると野太い怒鳴り声が聞えた。
「君が学園艦教育局長の辻君か!?」
「はい。左様でございます」
「衆議院議員の土山だ。いったい君は何を考えているんだ!」
「とおっしゃいますと?」
「学園艦の統廃合の件だ。いったいどうなってる!」
「では、議員会館へお伺いいたしましょうか」
「そうしてくれ。30分後に来てほしい」
「はい」
受話器を置く。
耳の奥に声が残るかのようだった。
野太く品が無い声音だ。
僕は急いで「土山 衆議院議員」で検索をした。
あまり詳しく知らない人物だったからだ。
検索によると、大阪第17区の選出で、2世議員のようだ。
父の跡を継いで議員になるまでは、倉庫会社の役員か。
倉庫会社の名前で再び調べる。
土山の親族で経営をしているようだ。
大阪第17区は堺市南部とその周辺の湾岸地域だ。
倉庫会社が力を持っているのは頷ける。
先ほどの短い会話から、気が短く感情的な人物であることが予想できる。
待たせないことが得策だろう。
僕は大急ぎで局長室を出た。
議員会館の土山の扉をノックすると、どうぞ、という声が聞こえる。
扉を開けると、秘書と思しき30代前半ぐらいの男性が頭を下げた。
ワックスで頭を撫でつけるようにオールバックにしている。
眼がぎょろりとしていて、頬が骨ばっている。
ホテルのドアマン風の恭しい態度だが、どことなく下世話さが滲み出ていた。
「奥で代議士がお待ちです」
「そうですか。承知いたしました」
失礼いたします、と声をかけ、パーティションの奥へと進む。
土山が応接セットのソファに腰掛けていた。
チャコールグレイのウィンドペン模様のスーツに、深い紺色の幅の広いネクタイを合わせている。
どちらも単品で見れば高級そうな良い品だが、合わせ方には疑問が感じられた。
髪は短く刈り上げられ、スポーツをしている学生のようだが、顔だちはいかにも中年と言う雰囲気だった。
鼻が平べったく、眼が細かった。
眼のぎょろりとしたドアマン風の秘書と正反対だ。
40代の後半ほどだろうか、僕よりも多少若い。
「座れよ」
横柄な態度で着席を促される。
僕は頭を下げて対面に着席した。
秘書が茶を二つ持ってきた。
土山は音を立ててそれをすすりながら、数枚のプリントのコピーを机の上に置いた。
そして口を開く。
土山の話し方には関西訛りがあった。
「なんや、これは?」
「これとおっしゃいますと……」
僕はそのプリントに目を通す。
学園艦統廃合の素案の一部だった。
どこからからもうコピーが出回っているのか。
庁舎と言うのは不思議なもので、どれだけ細心の注意を払って、これは極秘だと言っていても、かならず資料のコピーが出回る。
それがこうやって糾弾の材料になる。
僕はさっとすべてのページに目を通す。
大まかなものだけだった。
学校を順番付した部分などは含まれていない。
少しだけ安堵した。
「なんで黙ってる! これはなんやって言ってるんやろ!?」
「はい。これは、今度法案として提出させていただくべくして検討中の資料でございます」
「誰の許可もろてやってるんや!」
土山が強く机をたたいた。
秘書は澄ました顔をしている。
よくある光景なのだろう。
「誰の許可ということはございません。私どもは、国のためになることを種々検討いたします。これも、そういった検討案の中の一つでございます。議員ご存知の通り、日本の人口減少は加速度的傾向にあります。莫大な借金を抱える国家運営の中で、可及的速やかにシステムの最適化をしていかねばなりません。
それは教育という分野においても同じことでございます。ご存知の通り、学園艦は維持管理に莫大な資金が必要でございます。子供の数を今一度しっかりと調査し、必要なものは残し、不必要なものは見直しを検討する。そういう考えでございます」
出来る限り会話の中に『議員もご存知のように』という単語を入れるように心がける。
相手がご存知かどうかは関係ない。
持ち上げるふりをして、ご存知で当たり前という前提を作り上げるのだ。
「ほなこれは国のために必要な施策やというんやな?」
「左様でございます」
「よぉゆうわ、たわけが」
土山が吐き捨てるように言った。
「お前、これはなんや?」
土山が顎で合図をすると、秘書が新しいプリントを持ってきた。
それはA案とC案だった。
「こういったものもあるんやろ。ああ? これじゃなくて、こっちの案にするのはどういう意味があるねん?」
僕は言葉に詰まった。
素案よりも早い段階のものまで流出しているとは思わなかった。
「種々検討した結果、B案を選ばせていただきました」
「よう言うわ、屑が」
「…………」
駄目だ、言葉が出てこない。
「お前な、どういう理由があって、こっちの案で突き通そうとしてるねん? これ、もともとお前ら教育から出てきたもんと違うやろ? ん?」
「いえ、これは、私たちが自分たちで提案するものでございます」
「もう世間の噂やっちゅうねん。お前ら、議員に動かされてるってな。え? 学園艦教育局は特定の議員の私物か?」
「滅相もございません」
「よう言うわ」
土山が資料を手で丸め、それで机をこつこつとたたく。
「お前な、信念っちゅうもんがないんか。これのどこが教育のためやねん。特定の人間の名誉のためちゃうんかい? お前、なんのために教育局長やっとるんや。子供らのためちゃうんかい。議員さんのためかい。ええ?」
「いえ、その、私は……」
「お前は教育のことに興味なんかないんやな。この屑が。もうええわ。この件は、よう調べるからな。党内なんかまとめさせへんぞ。お前、変な真似すると、『いてまう』からなぁ」
『いてまう』の意味がよくわからなかったが、どことなく暴力的な音だった。
僕は顔を上げて呟くのがやっとだった。
「申し訳ありませんが、これは、議員が懸念するようなものではございません。あくまで、国のため、ひいては子供たちのためでございます」
「もぉええわ。帰れや」
僕は頭を下げ、土山の部屋を出た。
扉の前で例の秘書が
「うちの議員さん、おっかないでしょ」
と笑った。
僕は局長室へ戻る途中、自分が情けなかった。
直情的で御しやすいタイプだろうと、勝手に土山のことを見誤っていた。
彼は思ったよりもしっかりと裏付けをとり、そのうえで強く攻めてくるタイプだ。
なんとか、おかしな言葉を言ってしまわずに踏みとどまったが、完全に気おされてしまった。
続く
文字として書くと関西弁難しいですね。おかしければご指摘いただければと。汗