辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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5 応接間で感じた違和感

 数年ぶりに降り立った大洗は、表向き以前とあまり変わっていないように見えた。

 

代わり映えのしない駅前、代わり映えのしない町並み。

それでも、僕が生まれ育った土地だ。

駅を降りて北へと突き進み、途中で東の方向へ。

コンクリートで固められた突堤にたどり着く。

 

大洗の海の匂いがした。

個人的な感覚の差になるとは思うが、海には、それぞれの海の固有の匂いがある。

 

去年、和歌山県の加田に旅行をしたときには、濃厚な磯の匂いに驚いたものだ。

東京の湾岸にも、都心の湾岸部特有の枯れた硬質な匂いがある。大洗の海は、匂いが薄い。

この磯の匂いの希薄さが、逆に特徴的だった。

この無色透明に近い匂いをかぐときに、僕は猛烈に故郷に帰ってきたのだと実感する。

 

海の向こうに学園艦が見えた。

かなり遠い。

ぼんやりと蜃気楼のようだ。

 

僕は陸の育ちなので学園艦には何の郷愁も抱きようがない。

それでも、遠くの海に幻のように揺れる学園艦には、ある種のロマンを感じさせられた。あの場所で送られる青春もあるのだ。

 

僕の脳裏に、自身の高校時代の映像が浮かんだ。

放課後の教室で、退屈そうにホウキを掃いている。

……馬鹿馬鹿しい。

僕の青春は考えてみれば、勉強ばかりだった。

ホウキをギターに見立てたり、野球バットに見立てたりして遊んでいる少年たちは、僕ではなく、僕のクラスにいる他人たちだった。

僕は彼らを横目に黙々と掃除当番をこなす側の少年だった。

 

ギター……。

音楽は嫌いではなかったから、本当は彼らの会話に加わりたかった。

だが、親の影響で古いものしか聴かなかったので、趣味が合うとは思えなかった。

 

 海を見た後、家に帰ると、門の前に母親が立っていた。

待っていてくれたらしかった。

 

「母さん、もしかしてずっとそうやって立っていたの?」

「そうですよ」

「言ってくれよ。だったらまず家に寄ったのに。さっきまで海を見ていたんだ」

「私がこういう人間だというのは知っていることでしょう? 想像をしないあなたが悪いのです」

 

僕は頭を掻いた。何も変わらないいつも通りの母親だった。いやになるほどに貞淑な物腰だが、どことなく他人に対する毒を持っている。僕は彼女の丁寧に結われた髪を見つめる。こんな人通りもまばらな町角に立ち、誰に見せるというのだ。

 

「どうしたのです。早く家にお入りなさい」

「そうだね」

 

門をくぐるとき、柱の表札の横に添えられた「町政相談所」と彫られた板を一瞥した。

 

「お父さんが待っていますよ」

 

母に促されて応接間の扉を開ける。

 

父が浴衣を着てソファに座り、煙草をふかしていた。

部屋に濃厚な香りが漂っている。

僕が子供のころから嗅ぎ慣れたパーラメントの匂いだ。

僕は煙草を吸わない。

そのせいだろうか、嗅ぎ慣れた匂いであることと関係なく、息が詰まって咳き込んでしまった。

その音に気が付いたかのように、父が振り向いた。

 

「久しぶりだな」

 

抑えられた音量で鳴っていた音楽を止める。

 

エレクトリック・ライト・オーケストラの「Turn To Stone」だった。

僕が子供のころから本当に何も変わらない。

この部屋は時が止まっているかのようだ。

 

「家の前の看板。あんなものまだ出しているの?」

「なんのことだ」

「町政相談所って。もう議員は辞めたんでしょ?」

 

父は何も答えなかった。

不機嫌そうに「お前は役人の発想だな」と言った。

 

「お前らのしがらみは、俺たちのしがらみとは価値観が違う」

 

あんたらのしがらみは、しがらみじゃなく名誉欲だろうと言い返したかったが、口の中に留めた。

 

「どうした急に。今までろくに帰ってこなかっただろう。何か頼みごとか」

「違うよ。たまたま仕事の付き合いで故郷談義になったんだ。それで気が向いただけだよ」

「そうか」

 

言いながら、新しい煙草に火をつけた。

 

「どうだ? 久しぶりのこの町は」

「あまり変わらないね」

「馬鹿言え。激動の波にさらされている。老朽施設の建て替え、クリーンセンター焼却炉2号炉の問題、義務教育学校の統廃合。頭の痛い問題だらけだ」

「そっか」

「お前らが地方交付税をもっと流せば片付く問題も多いぞ」

「地方の自立を望んでいるんだよ、きっと」

「自立という名の丸投げ自己責任論か」

「違うよ」

 

吐き気がしてきた。

どうして父親とこんな押し問答をやらなければならないのだ。

 

「クリーンセンターって何かあったの?」

 

話題を変えようと思った。

 

「2号炉の調子がおかしい。かなり古い施設だからな。今は稼働を停止している。建て替えるには予算がない。現状では他市の焼却炉に委託して焼いてもらっているが、これはこれで金がかかる。頭の痛い問題だ」

 

「学校は統廃合が進んでいるんだ?」

 

「進んではいない。詰まらないことで揉めている」

 

人口減少と少子高齢化の流れの中で、義務教育学校の統廃合化は避けられない流れだった。

実際、大洗町も1970年代と比べておよそ75%の人口にまで減少している。

高齢化比率で考えると、子供の数の減少はさらに著しい。

ベビーブームの頃に建てすぎた義務教育学校が今では行政のお荷物と化していた。

施設というのはそこにあるだけで維持費がかかってくる。

 

「詰まらないことって?」

「統廃合せざるを得ない地域で、新たな学校をどの地域に建てるかで揉めているんだ。羽島地区と岡辺地区だ。この二つの地域を統合して、一つの校区にしたい。現状は二校区に分かれているが、どう考えても一校区分の子供の数しかいないからな。羽島小学校を残すのか、岡辺小学校を残すのかで地域住民の間で軋轢が生まれてしまっている」

 

「地区の議員が調停すればいいじゃないか」

「馬鹿言え、焚き付けているのは議員だよ。羽島地区は園田議員の縄張りで、岡辺地区は島野議員の縄張りだ。自分の地区で学校がなくなれば明らかに選挙に影響する。それでお互い必死なんだ。PTAを焚き付けて一歩も譲らない代理戦争をさせていやがる」

 

「それで、その仲を取り持つのが父さんの今の仕事ってわけ?」

「そういうことだ。議員を辞めた俺の立場だからこそできることだよ」

「ふぅん」

 

それで調停料はいくらなんだろうね、と皮肉を言いたくなる。

 

「まぁ、しかし、大体まとまりそうだよ。学校は羽島の方を残すことにして、その代わり、今度改修する公民館は岡辺地区の方を優先しようかと思う」

「へぇ……。そういうと、学校で思い出したけど。波止場で学園艦を見たよ」

「先日まで停泊していたからな。アウトレットモールの連中が掻きいれ時だと喜んでいた」

「アウトレットモールかぁ。久しぶりに僕も行こうかな」

「それならちょうどいい。俺も行こう。ついでにどうだ? 外で飯でも食わないか?」

「いいよ」

「よし、決まりだ」

 

父が立ち上がった時、壁に貼ってあるポスターが目に入った。

ポスターには「改革断行。大洗を新しくする会」と刷られていた。

僕は違和感を感じた。

だが、その違和感がなんなのか即座に把握できなかった。

父が現職の議員だったころから、頼まれてこういうポスターは度々壁に貼っていた。

僕は子供の頃、美しい応接間の壁が汚されるのが嫌で、父に文句を言ったことがあった。

そのとき父は

 

「いいか。応接間っていうのは、いろんな客がやってくる。だからこそ、そこに貼らなくちゃならないんだ」

 

と言った。

だから、ポスターが貼られていること自体にはおかしいところはなかった。

だったら、この違和感は何なのか。

僕は首をかしげながら、応接間を後にした。

 

続く

 


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