いつも読んで下さりありがとうございます。
飲み会の後、田町のマンションに戻って鏡とにらめっこした。
鏡に向かって、
「私は、辻廉太だ」
と幾度かつぶやいた。
私という単語は使い慣れなかった。
だが、繰り返すうちにその言葉が自分になじんでくるようだった。
学生時代に読んだロラン・バルトを思い出した。
人は場と状況に適応していく。
逆を返せば、場と状況が人を作るのだ。
「悪くないじゃないか」
僕は微笑んだ。
悪くない。
一瞬感じた気恥ずかしさはすでに霧散している。
僕はベッドに寝転ぶと、ベッドサイドの読書灯だけをのこして灯りを消した。
読みかけの小説を30分ほどだけ読んだが、酔いが残っているのかあまり頭に入ってこなかった。
やがていつの間にか眠りに落ちていた。
※
夢の中で満天の星のようなものが見えた。
満天の星はめまぐるしく回転し、やがてワルツを奏でるオルゴールに替わった。
オルゴールを回しているのは年老いた老婆だった。
※
夢を見たのは久しぶりだった。
起き上がると、ほのかに汗をかいていた。
寝巻を脱ぎ捨て、温めたタオルで体をぬぐった。
その行為は気持ちが良かった。
それから髪をとかし、歯を磨いて口を漱いだ。
いつも通りのスーツに身を包み、文科省へと向かった。
僕は、部下のうち有能だと思われる者を二人局長室に呼んだ。
彼らに昨日つくった書類を見せ、データ収集をしてほしいと申し付けた。
「データがそろったらすぐに連絡をしてほしい。それに基づいてこの案の方向性をディスカッションしたい」
それまでに篠崎代議士にももう一度会っておく必要があるだろう。
この件はどこまで行っても彼の意向次第だ。
僕たちは案件がスマートに通るように整備をすることに努力を傾けるが、そもそもこの件をどのような方向性に持っていくのかを決めるのは彼なのだから。
だがどうにも、今回の統廃合案に関しては、篠崎代議士の意図するところが読めなかった。
これまでの彼の考え方には一貫するところがあった。
戦車道に対する厳しい意見も、陸の学校施設の統廃合も、正解か否かは人の視点によるものとはいえ、効果があるからやるのだという意思があった。
それに対して学園艦の統廃合案は、それそのものをやりたいからやるというように感じられる。
昨日飲んだ時に気になったことだった。
最初、篠崎代議士は「予算の削減効果がある」と言っていたが、昨日、それほどの成果が見込めないことを伝えると、「それでもやるんだ」というように息巻いた。
彼自身の言葉を借りれば「理」がないのだ。
「いったいどうしたのだろう……」
僕はひとりごちた。
※
次の週の火曜日に、大体のデータが出そろったという連絡があった。
それに目を通すと、やはり今回の案が難しいものであることがはっきりとわかった。
学園艦の人口を考えるに、そこで暮らす人々を陸に移動させて新しい生活を始めさせるには相当の金が必要になる。
あるいは、統廃合先の学園艦を新造するという案に関しても、建造コストが高い。
普通の船を作るのとはわけが違う。
もちろん国家予算規模で考えれば不可能な数字ではないが、財務省が許すだろうか。
僕は篠崎代議士に電話をした。
「辻です」
「待っていたよ。成果はどうだ?」
「手厳しいものがありますね。財務省が許すかどうか……」
「そこは俺がねじ伏せるさ。君の気にすることじゃない」
「わかりました。とりあえず、方向性を3種考えています」
「ほう」
「学園艦をいくつか廃艦した際、陸に新しい都市核を形成させるという方向性。これをA案とします。いうなれば、学園艦の都市機能をそのまま陸に移すという方法です。生活圏の選択肢をもうけさせないということは法律上かなり難しいとは思いますが。
次に、どこに住めという制限を設けず、個々人の自由に任せるという方向性。これがB案です。ただし、それぞれに対して補償やケアは結局必要です。
あと、学園艦のいくつかを廃艦し、統合するという案です。これがC案です。廃艦となった学園艦に暮らす人々に関しては一時的に陸に上がってもらいますが、新しい学園艦を建造し、いくつかの学園艦の人口を統合してそこに移ってもらいます」
篠崎代議士は頷きながら僕の話を聞いているようだった。
電話口にガサゴソというノイズが聞こえたからだ。
「なるほど。辻君はどれが一番いいと思う?」
「しいて言えばC案です。コストは一番必要ですが、文句が出ないでしょう。学園艦で生活していたものが陸で生活するというのは、生活様式が違いすぎます。教育方法も異なってきます。
それよりは、新しい艦を建造してそこに移ってもらうというのが一番良いでしょう。それに、『今暮らしている艦は廃艦になるが、その代わり、もっと最新型の新しい艦に暮らすことができるよ』という提案は、なかなか悪くないと思います」
一瞬、沈黙があった。
ため息のようなものが聞こえたような気がした。
「そうか。わかった」
「では、C案ですか?」
「いいや。B案だ」
「え?」
「どうした? B案で行くと言っているんだが」
「あ、いえ、しかし」
「いいかい、辻君? 俺は、学園艦の数を減らしたいと言っているんだ。それを実現させることが目標だ。最終的には、学園艦なんて制度そのものを廃してしまいたい。A案は論外だ。基本的人権が保障されている社会で、国家が住む場所を規制することなどできやしない。C案は実現可能性は高いだろう。だが、新しい艦を作っていては、俺の目的は達成できないんだ」
「代議士、しかし……」
「大丈夫だ。当てはある。B案を中心に素案を作ってほしい」
「……はい」
釈然としなかった。
僕は震える指で携帯の通話を終了した。
続く