考えたことをテキストにまとめ、プリントアウトをする。
そして篠崎代議士に電話をした。
「もしもし」
「お疲れ様です。辻です」
「ああ。お疲れ様」
「例の統廃合の件で、ご意見を頂戴いたしたく。少しお時間いただけますか?」
「もちろんだ。そうだな……18時30分に議員会館の俺の部屋に来てくれ」
「承知いたしました」
指定時間に篠崎代議士の部屋に行くと、彼はストレッチをしていた。
「このところ、体が硬くてな。齢には勝てそうもない」
知り合ったころから、もう25年ほどが経つ。
篠崎代議士も、もう60代に差し掛かっている。
だが彼はどことなく若々しかった。
議員という職に就いている人間全体に言えることかもしれないが、齢を経ると余計にぎらついた脂身のようなものが見えてくる。
篠崎代議士の場合、以前は彼の印象で最も表に出ていた直情的でナイーブな雰囲気が後退し、何を考えているのか即座には読み取れない複雑さが印象を支配するようになった。
きっかけは恐らく、自分の属する派閥の影響力の低下で冷や飯を食わされた時だ。
じっくり留まってもう一度浮上し始めた今、彼には味わいのようなものが増していた。
それは逆を言えば、僕が魅力を感じていたあの純潔さの後退でもあるわけだが。
「さて。どんな話だい?」
「そうですね。あの、いろいろと考えてみたのですが、これはなかなか……難しい案件ですね」
「そうか?」
「はい。学校の統廃合とはわけが違います。学園艦は、そこで人々が暮らす都市と同じです。それを廃するということは、職を奪い、生活を奪うことになります。そうなると、教育だけの問題じゃなくなってきます。学園艦を降りた後の職のあっせんや、住環境の保証をどうするのか、非常に課題が多いですし、お金も必要になってきます」
「ふむ……」
篠崎代議士が、自らの顎を撫でる。
「では、どうしたらいいと思う?」
「当初おっしゃっておられた、予算の軽減という視点は外した方が良いかもしれません。どうしたって予算はかかります。それよりも、教育水準の向上という意味で、より良い学園艦の建造という方向性に持って行った方が良いかもしれませんね。しっかりと予算をとって、学園艦を統廃合し、新しい学園艦へと移住させるんです。陸に戻すよりも良いかもしれません。新しい学園艦を作ることで、そこで暮らす人々の雇用を一から創出できますから、以前の学園艦での職業をそのまま移行させることも可能でしょう」
「なるほどな。わかった。ありがとう。少し俺の方でも考えてみよう」
「はい」
「ところで、辻君」
「なんでしょうか?」
「飯でもどうだ?」
断る理由は何もない。
僕は頷いた。
「ご一緒させていただきます」
「ありがとう。それじゃ、一時間後に……そうだな、久しぶりに三司馬なんてどうだ?」
「承知いたしました」
※
僕はすぐに三司馬に予約を入れ、個室を用意した。
店で直接待ち合わせにしたので、少し早めに個室に入って篠崎代議士を待った。
三司馬は、ビルの改修工事に伴って改装され、かなり雰囲気が変わっていた。
照明がLEDの明るいものに替わり、壁紙も真新しくすっきりとした色合いになっていた。
従業員も、若いアルバイトが増え、一見違う店のようだった。
代議士は時間通りにやってきた。
「いつも通り早いな」
「いえ、そんな。仕事していない証拠です」
「そんなことはないさ。こういう付き合いも君の仕事だ」
スーツのジャケットを脱ぎ、畳に座る。
「しかしここも久しぶりだ。そういうと、辻君と視察以外で初めて飲んだのはこの店だったんじゃないかな?」
「さ、左様でございます」
25年も6年も前のことだ。
篠崎代議士がそのことを覚えていることに驚いた。
「あの頃、君はまだ20代の半ばぐらいだっただろう?」
「おっしゃる通りです」
「君を見たとき、ひょろりとした頼りのない青年がやってきたと思ったんだ。これからはこういう、男でも繊細な雰囲気の若者が増えていくのだろうなとなんとなく思ったよ」
僕は、答えようがなく愛想笑いをした。
「同時に、こんなにひょろりとした奴でも、庁内の仕事にもまれれば変わっていくのだろうと思った」
「はい」
「でも、辻君は今でも細いままだね。齢は食ったけど」
「そ、そうでしょうか。これでも贅肉が……」
「いやいや、そんなことはないさ。辻君、君は以前よりはずっとしっかりとしたし、人生経験を積んで、顔だちも全然変わった」
「ありがとうございます」
「ただ、自分のことを僕というのは止めた方が良いな」
「そ、そうでしょうか?」
「ああ。『俺』なんてのも駄目だぞ、君は役人だ。年相応らしく、私(わたくし)と言ったらどうだ?」
「私、ですか……」
「ああ。そうだ。その方がずっと貫禄が出る。今回の案件は、相当な根回しと交渉が必要になる。見くびられたり、なめられたりしたら負けだ。自分を強く見せるんだ」
「わかりました」
僕は頷いた。
しかし、大人の飲み会とは不思議なものだ。
僕はもう50代に差し掛かったわけだが、篠崎代議士とこうして飲むと、まるで20代の頃に彼と出会った時と同じ自分に戻ってしまうような気持になる。
子供の頃、大人というものは自分たちとは全く違うものだと思ったものだが、齢をとってみれば……。
仕事はこなせるようにはなったが、こんなものだ。
年齢とは一体何なのだろうか。
「辻君、政治の世界が、何で動いているかわかるか?」
「パワーバランスですか?」
「もったいぶっていえばそうだな。だが、もっと下世話に言えば、情と利だ」
「情と利……」
「ああ。確か、どこかのジャーナリストが言っていたのだと思うが、もっともだよ。他人に対するしがらみが『情』。自分の利益が『利』だ。そこに、理性の『理』はない。あったとしても数パーセントだ」
「そんなことは……」
「辻君の考え方は、いつも理性だ。先ほどの会話でもね。正しいかもしれんが、他人を抑え込むことはできないぞ」
僕は返す言葉が見つからなかった。
政治の世界で生きている篠崎代議士にとっては、世界はそのような理論で構成されているのだろう。
芹澤などまさにそうだったし、父もそういった中であえいでいたのだと思う。
だが、僕は役人だ。
役人が、理にプライオリティを置かず、どうするというのか?
それとも、そんなことを考えているから僕は交渉が弱いのか……。
「あの」
「なんだい?」
「代議士は、今回の件、どういうお考えなのですか?」
「なにがだい?」
「つまり、学園艦統廃合の意義です」
そういった疑問を篠崎代議士に投げかけるのは初めてだった。
「そうだな、意義か……。それがしたいから、だ」
「え?」
「そういうことだよ。辻君、やはり君は、理を作る仕事が向いているな。俺のために、学園艦を統合するための理を組み立ててくれ」
篠崎代議士が瓶ビールを僕のコップに注ぐ。
僕もあわてて注ぎ返した。
そのあとの会話は、酒の酔いにほだされ、雑談のようなものになっていった。
2時間後、会計を支払おうと、レジに立った時、ふと耳に懐かしいロックが聞こえてきた。
アメリカの「名前のない馬」が小さな音で流れている。
そういうと、25年前に来た時もそうだった。
聴こえるか聴こえないかぐらいの音でドアーズが流れていた。
店の雰囲気は変わったが、そういったところは何も変わっていない。
僕自身や篠崎代議士の変化を想ったあとでは、そのことは妙に好ましかった。
「おい、どうした? なんだかにやけているぞ?」
篠崎代議士が後ろから僕の背中をたたいた。
「あ、いえ、何でもありません」
僕は急いで会計を済ませるのだった。
続く