篠崎代議士を交えた飲み会で地元の話題が出たことをきっかけに、久しぶりに実家に帰ってみたくなった。
東京と大洗はさほど離れているわけではない。
帰ろうと思えばいつでも帰ることができるのだが、ほとんどそうせずに過ごしてきた。
父親や母親と会うのが嫌だった。
仲が悪いというわけではないのだが、家族と離れると、家族という独特のどろどろと濁った交わりのようなものが億劫に感じられてしまう。
これは僕の内面的な資質なのだと思う。
しかし、地元そのものが嫌いなわけではなかった。
大洗の、華やかではないごく普通の海辺の空気感は好きだった。
夏場は海水浴客でにぎわうが、春先の今ならばそれほどではないだろう。僕は土曜日を利用して大洗に帰ってみることにした。
家に電話をすると、母親が出た。
帰るというと、久しぶりの帰郷を喜んでくれた。
悪い気はしなかった。僕も大人になったというわけだ。
「親父は? いるの?」
「今日は外で飲んでますよ」
「暇なんだね」
「馬鹿言いなさい。お仕事です」
「もう引退したんじゃなかったの?」
「表向き辞めても、いろいろあるのよ」
「ふぅん、そう」
父は数年前の統一地方選で引退を宣言して町議会議員を辞めていた。その前の統一地方選の頃から、選挙が近くなると奇妙なビラが全戸配布されるようになっていた。
ビラの内容は、父が議員になる前にやっていた土建会社と町の発注の癒着を指摘する内容だった。
ビラは、『落札の仕様書の記載事項が、とある土建会社の独自の基準にもとづいているので違和感がある』と指摘していた。
とある土建会社とはもちろん、父の会社だった。
議員になった後、父はその会社の社長職を退いていたが、副社長だった男を社長に据えて影響力を保っていた。
ビラの内容に父は激怒していた。
当時父とこんな会話をした記憶がある。
「敵は相当資金力があるな」
「なんでわかるの?」
「全戸配布だぞ。全戸配布。つまり、町域全部のポストにこのビラを入れてるってことだ。表向きは市民オンブズマンだが、配布しているのは金を持っている奴だ」
「新聞に折り込んだんじゃないの?」
「違う。直接ポストに投函している。新聞折り込みなんてやったら身元がばれるからな。アルバイトを雇って直接投函させているんだ。
いいか、こういうビラは、枚数を刷るだけでもそれなりに金がかかるんだ。バックにいるのは俺を気に入らない役人か、左巻きの党か……もしかしたら、うちの会社かもしれんな」
「どういうこと?」
僕は驚いて尋ねた。
「今の社長……重野からしたら、院政を敷いている俺は目の上のたんこぶだ。失脚させたいと考えているのかもしれん」
「でもこんなビラ、自分の会社も危なくなるよ」
「どうかな? 実際には俺は入札に関わっていない。このビラの内容は嘘だ。つまり、調べられて埃は出ない。噂だけが巡って俺の評判は落ちるかもしれんが、会社がパクられることはない」
僕は父なら入札に無理強いをしているだろうと思っていたから、むしろしていないということに驚いた。
そのビラはさほど有効ではなかったと判断されたのか、しばらくすると、今度は父が他市に愛人を囲っているという中傷ビラに替わった。
いずれにせよ、手を変え品を変え、中傷ビラが配布され続けていた。父が統一地方選に出ないと宣言した時、ビラ攻撃がボディブローのように効いていたんだろう、とも、あれこれとあった批判のうちどれか一つぐらいは真実だったんじゃないかとも言われていた。
そういった経緯があったので、もう父は政治には関わらないだろうと思っていたのだが、相変わらず暗躍をしているようで僕はため息をついた。
「母さん、家に帰って、面倒な話はごめんだよ。父さんに伝えといて」
「もちろんですよ」
母親の『もちろんです』は当てになったためしがなかった。
この人の価値観は夫がすべてだった。僕はもう一度ため息をついた。
土曜日がやってきた。
上野から勝田行きのときわ53号に乗り込むときは少し気分が高揚した。
個人的な理由でこの列車に乗るのは6年ぶりだった。
75分乗っていると、水戸につく。
鹿島臨海鉄道に乗り換えるのが待ち遠しかった。
続く