バーMoonburnから出ると、終電はとっくに終わっていたので、自宅まで歩いて帰り、ぐっすりと眠った。
翌朝、目覚めるとすぐに、上司に風邪をひいてしまったので休むと電話をした。
これまでまじめに働いてきたからだろう。
さほど文句を言われなかった。
それから今度は、羽鳥の自宅へと電話をかけた。
「あぁ。辻君か。昨日何度か電話をくれたみたいだな。すまなかった」
「いえ。こちらこそ、夕方にもう一度電話をすると奥さんに伝えたまま、結局今日になってしまいました」
「いや、それは別にいいのだが。むしろ、そんなに何度も、いったい何があった?」
僕は一瞬迷った。
昨日の狙撃のことを話すべきかをだ。
だが、持ち出すには唐突すぎる。
まずは、もともと尋ねたかったことを尋ねることにした。
「あの、少し教えていただきたいことが。今、時間はよろしいですか?」
「ああ。大丈夫だ」
「水戸で別れた後、実家に戻って、古い広報を見たんです。自民党が、20年前に二つに分裂していたんですね。父の属する良政会と、もう一つの市民クラブに」
「懐かしいな。その通りだ」
「それで、ちょうど20年前といえば、先日教えていただいた、赤坂氏の失脚の時期とも前後します。父は代表質問で副町長不在の件について町長に問いただしていました」
「そうだね。そんなこともあったなぁ。珍しく、僕たちが一致して行政を攻めた出来事だ」
一致して行政を『攻めた』?
「辻君はなかなかの手法だったよ。赤坂を下ろしてすぐに、新しい人事で町長を攻めた。当時の大橋町長は役人あがりで、ろくに仕事をしない男だった。だから赤坂みたいな男の言いなりになって好き放題やらせてしまったんだ。中から改革しなきゃならんということで、副町長に、これまでのしがらみのない五十嵐さんを押し込んだんだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。どういうことですか? 父は、野党だったんですか?」
「あれ? 知らなかったのか? 前に、よく今更、赤坂とつるむことができるなぁと言ったじゃないか。辻君は赤坂を失脚に追い込んだ張本人の1人だし、自民党を割って、自分の会派を作り、町長の交代を促したんだ」
僕は大きな勘違いをしていたことに思い至った。
そうか。
父はもともと自民党だったから、どこまで行っても与党だという勝手な思い込みがあった。
しかし、あくまで舞台は大洗町政だ。
自民党だから与党とも限らないし、分裂して無所属になって反旗を翻すこともありうる。
「その時のこと、もう少し詳しくお聞かせください」
「ん? わかった。あのな、もともと、大洗では自民と民主の会派が与党で、公明がどっちつかず、それに対抗する共産と社会党という構図が続いてきたんだ。
その状態が常態化して、どうせ何を反対しても、大多数を自民と民主と、是々非々と言いながらほぼそれに従う公明が決めるという構図が生まれていた。
あまりチェック機能というべきものが果たされてこなかったんだ。
そんな中、事なかれ主義で、役人上がりの町長が生まれ、副町長も、役人上がり。
『まぁまぁ大事がなければいいじゃないか』というような風潮が出来上がっていた。
その風潮を利用して、赤坂のような賢しい人間が、あれこれと暗躍して自分の私腹を肥やしたりもしていた。
でも、このままでいいのだろうか?と、疑問を腹に抱えている人間も与党の中にはいたわけだ」
「それが父だったわけですね?」
「そう。君のお父さんもその一人だ。だが、自民党大洗町議員団は、大林というベテラン議員が重鎮として存在していて、不満分子を抑え込んでいた。その男が亡くなったのが28年ほど前だ」
「抑え込むタガが失われたわけですね?」
「そういうことだ。こちらも、ちょうど当時、菅さんという共産党町議員団の重鎮がお亡くなりになってね。彼女は共産党の中でもどちらかというとバランス派で、僕らを抑えていたんだが、僕らにしてもタガが外れたんだ」
「それで、どうなったんですか?」
「その時ちょうど副町長人事で、件の赤坂が指名された。副町長人事というのは、市長とは違って一般的な選挙は行われない。行政から議会に提案されて、議会が審議をする。本会議場で投票をするんだ」
「議会で投票?」
「つまり、われわれ議員が、事前に、副町長候補の経歴票を渡される。そして、議場で投票するんだよ。賛成か反対かってね」
「なるほど」
「でも、通常はほぼ、反対は出ない。民意でもって選ばれた町長が提案する人事だし、経歴を聞いただけでその人となりは判断できないからだ。もしも、人事に対して疑義があっても、普段なら、白票……つまり、反対とも賛成とも書かないという方法で意思表示だけする。そして、実際の仕事ぶりを見てから判断するわけだ」
「様子はわかります」
「でも、だな。あの時は事態が違った。副町長人事の議案説明が行われてから、本会議での投票が始まるまでの間に、赤坂に工事契約の談合の疑いの情報が流れだしたんだ」
「父がやったのですか?」
「いや、違う。これはいまだに、誰が流したのかわからない。我々が動き出したのはそのあとだ。忘れもしない。僕と辻君は、水戸でこっそり会って、『もしも情報が本当なら、共闘して赤坂の当選を阻止すべきだ』という点で一致した。水戸にあった、彼の愛人の家でだ。そこなら人に聞かれないだろうということだった。僕は、職員労組を総動員させて、裏をとった。赤坂はクロだった。だが、最大与党の自民党内では、赤坂を擁護しようという声もあった」
父の愛人の家?
「そこで、分断工作が始まった。僕は、多少付き合いの深かった民主系の会派の説得に回り、辻君が、自民の分断と公明への秋波を行った。
結果、赤坂の副町長人事は、自民党のうち3名だけが賛成し、あとはすべて反対という形になった。白票ではなく、反対だ。堂々たる我々の勝利だった」
「では、あの広報は……」
「そうだ。赤坂は失脚し、直後マスコミにも情報が流れ、刑事案件として捜査を受けた。
自民党は、裏切った人間とは一緒にやれんということで、辻君たちは無所属にならざるを得なかった。
一方で自民町議団も赤坂の件を擁護したように市民からみられることを恐れ名を変えた。
そうして生まれたのが市民クラブと良政会だ。
辻君の例の質問は、そのあとの議会での質問だよ。空いていた副町長に、自分の意向の人物を放り込むためのジャブの質問だ」
「そう……だったんですね」
眩暈がする思いだった。
これで、本当にすべてがつながってきた。
僕の中で、納得がいかなかったのは、父が与党であるはずなのに、どうして赤坂から恨まれる可能性があるのかという点だった。
むしろ恨みを買って当然の中心人物じゃないか。
「あと、何点かお聞きしたいんですけど。さっきおっしゃっていた、父の愛人の家っていうのは」
「ああ、その。つい口を滑らした。君がはっきり知らないなら言うべきじゃなかったか?」
羽鳥が申し訳なさそうな声を出した。
「いえ。疑問はすべて晴らしたいんです。父の中傷チラシで、愛人が水戸にいるというものがありました。あれは真実だったんですね?」
「まぁ、その。そういうことになるな。どこかで調べられたんだろう。だから、あのチラシを撒いたのは、かなりの調査力を持っているか、町議員に詳しい人物だと思う」
「…………」
「君のお父さんは、でも、その。愛人を作ることにおかしいもおかしくないもないのだが、なんというのか、その。お金で囲ったとか、そういう愛人じゃなかったのは事実だ。昔から愛している人がいて、その。まぁ、いろいろあったんだ。前にも言ったように、あのチラシに書いてあるような下品な内容ではなかった」
「…………」
僕はため息をついた。
親子だというのに、こんなにも知らないことがたくさんある。
ボブ・ディランひとつ程度の繋がりじゃお父さん、あなたの姿すべてを知ることはできないじゃないか。
それに、母はあのチラシを撒かれていったいどう思っていたのか。
「その、すまない。言うべきじゃなかっただろうか?」
羽鳥がつぶやく。
僕は首を振って答えた。
「いえ。むしろ、心が不思議にすっきりしました。ありがとうございます。あと一つ、いいですか?」
「あぁ」
「西出さんという議員さんについて、知っていることがあれば教えてほしいんです」
続く