その足で、近くの交番に駆け込んだ。
だが警察官は僕の話に取り合ってはくれなかった。
僕が酔っていたうえに、怪我一つしていないからだ。
「急に銃で撃たれたってねぇ。あんた。ここは海外のスラム街じゃないんですよ」
背の高い、やたらと背筋の伸びた警官が、ぎょろっとした目で僕を糾弾するように言った。
「撃たれたんだったら怪我してるでしょうが。どこ怪我したんですか?」
「いや、だから。携帯を銃で撃たれたんです。だから僕自身は怪我をしてはいない」
「じゃ、その携帯は?」
「恐ろしくなって逃げ出したから、商店街に置いてきてしまって」
「あんた、それじゃ証拠がないじゃない」
警官が、僕の口元で鼻をひくつかせる。
「あぁ~あ、こんなに酒の匂い漂わせちゃって。そんでその赤ら顔。あんたただの酔っ払いだよ。銃で撃たれてなんていない。酔っぱらって幻想でも見たんじゃないの。それとももしかして、アルコールだけじゃなくて、変な薬でもキメてたりする? そっちの調査ならしよっか?」
「あ、あんまり侮辱しないでください!」
僕は思わず怒鳴った。
後ろ手にいた、毬栗頭の少し若い警官が
「まぁまぁ。岡田さん。ここまで真剣に言ってるんだから、一応現場を見ましょうや」
と言った。
僕は
「そうしてください。お願いします」
と頭を下げた。
「はいはい、一応ね」
岡田と呼ばれた背の高い方の警官がめんどくさそうに言った。
僕たちが商店街に戻ると、そこに携帯はなかった。
誰かが持って行ったのに違いなかった。
「何にもないよ」
呆れたように岡田が言った。
「これで気が晴れましたか?」
毬栗頭の警官が僕の肩をたたいて言った。
僕は、何も言葉が返せなかった。
悔しくて唇をかむ。
僕を小ばかにしている警官二人に対してではない。
自分の行動の間抜けさ加減についてだ。
僕はせめて、携帯を回収して逃げるべきだった。
これでもう、僕が狙撃されたという証拠は何もない。
……いや、待てよ。
僕は警官たちに言った。
「その。もしかしたら、コンクリートに銃痕が残っていたり、硝煙の化学物質か何か残っていたり、そういう可能性はないんでしょうか」
「そんなん、知らないよ」
心底バカらしいというような顔をして、背の高い方の警官が言った。
「コンクリートの銃痕? こんなところで隈なくそれを探すの? どうやって、ただのへこみとその違いを見分けるの? ん? 硝煙? そんなもんどうやって探知するの? 風の流れだってあるんですよ。仮に本当に銃ぶっ放されてたとしても、もうとっくに霧散してるよ」
話にならない。
「もういいでしょ。酔っ払いさん。全部あんたの妄言だから」
「ちょ、ちょっと待って。狙撃される直前、僕は友人と飲んでいたんです。その人たちが、もしかしたら何か見ているかもしれない。確認をしてほしい」
僕は記憶をたどり、3人の女性の名前を伝えた。
電話番号に関しては、竹谷さんのものしか知らなかった。
「あんた、これ、全部女性?」
「え、えぇ」
「へぇ……」
値踏みをするように僕の顔を見る。
「あんた、おとなしい顔して、お好きなんだねぇ」
下品に笑う。
「ま、いいや。聞いてあげましょう」
竹谷さんに電話をする。
彼女は何も知らないらしかった。
あとの二人の連絡先を聞き、尋ねてみるが、同じように何も見ていないという。
彼女たちは早々に商店街を後にしていた。
それはその通りなのだろう。
僕はあの時、酔いを醒ませるために、商店街の自販機の前で水を二本も飲んでいた。
それなりのタイムラグがある。
「証拠も、何もないのか……」
ふらふらとその場を離れようとする僕を、毬栗頭の方の警官が止めた。
「あ、ちょっと待ってください。調書を作らないと。あなたの氏名等についてお尋ねします。あと、ちゃんと酔いは醒めてきてますか? 家まで帰れます?」
結局のところ、彼も僕を信用してなどいなかったのだ。
※
そのあと僕は再び交番に連れ戻され、あれこれといろいろ尋ねられ、調書を取られた。
警官はむしろ、僕の妄言壁を疑っているようだった。
僕がおかしな人物ではないかということを。
意気消沈して交番を出ようとすると、背の高い方の警官が
「あんたさぁ、議員の辻先生の息子さんなんだね? あんまりお父さんに恥かかせちゃいかんよ」
と言った。
僕ははらわたが煮えくり返る思いだった。
振り向いて彼を殴ってやりたかったが、そんなことをするともっとややっこしいことになるのは目に見えていた。
交番を出ると、夜更けのひんやりした空気が肌を撫でた。
背筋が震えた。
僕を馬鹿にしていたとはいえ、先ほどまでは警官二人が一緒にいた。
だが、今は完全に僕一人だ。
今もしも狙撃されたりしたら。
恐怖で足が震えた。
もう、東京に帰りたい。
心の底からそう思った。
僕はおぼつかない足取りで家に帰り、荷物をまとめた。
「あら、帰るのですか?」
母が僕に尋ねた。
僕は黙って頷いた。
「先ほど、女性が尋ねてきましたよ」
「え?」
「これを渡していきました。あなたにと」
母が手渡してきたものは、戦車道OG会の名刺だった。
「どういうこと?」
「さぁ。私は知りません」
「どういう女性だった?」
「どういう……そうですね。ごく普通の。大人しそうな、30代ぐらいの女性です」
「特徴らしい特徴は?」
「ありません」
僕は、竹谷さん、湯川さん、瀬名さんの特徴を伝えたが、違うようだった。
竹谷さんに再び電話した。
彼女は、家に来てなどいないと言った。
「それに、それっていったいどんな名刺? 名前は書いてあるの?」
僕は名刺をひっくり返す。
何も書かれていない。
ただ、黒い名刺に、白抜きで「大洗戦車道 OG会」と書いてあるだけのものだ。
「どうなんだろう。私は、あまり詳しくないですけど。何かの宣伝の時に使う名刺かな。それより、さっきの警察からの電話ってなんだったんですか?」
僕は、
「何でもないんだ。ありがとう」
と言って、彼女の言葉の続きを聞かずに電話を切った。
名刺をポケットに入れ、家を出る。
とにかく大洗から離脱したかった。
頭がかなり混乱していた。
続く