家を出る直前の17時半にもう一度、羽鳥に電話をしたが、やはりまだ帰宅していなかった。
仕方がないので、僕はジャケットを羽織り、家を出た。
待ち合わせ場所の駅前につくと、彼女と、他に2名の女性がいた。
一人は湯川美奈子さん、もう一人は瀬名芽衣さんと名乗った。
湯川さんは、冗談をよく言う剽軽な雰囲気の女性だった。
「年上なのに、みんなから『みっちゃん』って呼ばれてるんですよ」
と、竹谷さんが言った。
「あ、もしかして」
「どうしたんですか?」
「あ、いや。ずっと前……芹澤さんの選挙の時に、その名前を聞いたような」
「え? 本当ですか? あ、でも、確かに私も選挙の手伝いしてたから」
「ううん、そうじゃなくって、誰かの口から……そうだ! 確か、角谷さん! 赤ちゃん連れた女の人だ。僕は東京に帰る間際に、その人と事務所で会って」
湯川さんが手をポンと打った。
「角谷さんですか! 懐かしいなぁ。あの日、無理言って来てもらったんですよ。最近は忙しくてあまりあえてないけど」
「やっぱりそうかぁ。赤ちゃん……杏ちゃんだっけ。もう大きくなってるだろうね。あれから7年か」
「そうですね。今、小学生だったはず。小柄ですっごく可愛い子ですよ」
人生は不思議に満ちている。
人と人とのつながり。
「で、お店なんだけど」
政治家の話を聞くわけだ。
一瞬だけ、羽鳥の言うように、大洗を出た方が良いのかもしれないと思った。
だが、そこまで大げさな、という気持ちもあった。
そもそも、竹谷さんたちにしても、水戸まで出るとなると面倒だろう。
最終的にはそう考えて、近くの海鮮居酒屋に向かった。
「あれ?」
その場所には店が無くなっていた。
テナントそのものが消え、全く別のビルになっていた。
大洗に帰ることがめったになかったから、その間に店が移り変わってしまっていたのか。
気まずくなって僕がうつむくと、瀬名さんと名乗ったセミロングの髪の女性が
「あ、それじゃ、私がよく行くお店があるから。そこにしませんか」
と言った。
もう他に選択肢はない。
彼女の提案に従った。
海鮮居酒屋があったはずの場所から、10分ほど歩く。
寂れた商店街の一角に、二階建ての木造家屋があった。
古い民家を改築したのであろうその店の二階のベランダに、大きな看板が貼りだされ、『庶民料理 お酒と肴がおいしいお店 田井中』と書いてあった。
「わぁ~、ここかぁ」
「せっちゃん、ナイスチョイス」
竹谷さんと湯川さんが嬉しそうに声を上げる。
「よく来る店なの?」
「はい。昔から、OG会で時々打ち上げをやったりするんです。お魚が新鮮で、創作料理っていうのかな? ちょっと珍しい料理もあって。評判がいいお店なんですよ」
「へぇ~」
店の中はそこそこ込み合っていたが、ちょうど4名がけの席が一つ空いていた。
何はともあれビールで乾杯をする。
「「「「かんぱーい!」」」」
凄く豪華な刺身盛りと酒盗が運ばれてきた。
「ねぇ、廉太さん」
「え?」
ぐいっとビールを飲み干した竹谷さんが僕に問いかける。
「あれから、7年も経っちゃいましたよ」
「あ、えと」
「どうして連絡の一つもくれなかったんですか? せっかくアドレス、交換したのに」
「あ、いや、その」
「お~、なんか訳あり?」
「竹谷ちゃん、やるねぇ」
湯川さんと瀬名さんがはやし立てる。
「馬鹿。そういうのじゃないですから」
竹谷さんが二人をじと眼でにらみつけた。
「でも、ほんとに。メールの一つもくれないんだから……」
「ご、ごめん」
「もう、いいですよ」
「あの、実はさ。僕、もらったDVDはちゃんと見たんだけど、その。なんか、仕事とか忙しくって、気が付いたら日にちが経っちゃってて。そしたらもう、いまさらって気がしちゃって。電話とかメールと化する機会を逃しちゃったんだ……」
「……そうですか」
竹谷さんが、拗ねたように口をとがらせる。
「ま、いいです。もう」
そういいながら、刺身を一つ口に含んだ。
「謝ってくれたし、おいしいもの食べたら気が晴れました。それで、何か聞きたいことがあるんですよね? 先輩方に」
「あ、あぁ。そうなんだ。実は少し、教えてほしいことがあって」
「なんですか? 戦車道のこと? 何でも聞いてね」
湯川さんが胸を張る。
「うん。その戦車道といえば戦車道なんだけど。どちらかといえば選挙がらみで」
「選挙?」
「その、僕は、芹澤さんの事務所にも入っていた、辻誠一郎の息子なんだ。父のことは知ってるよね?」
「えぇっと、あぁ。あの元議員さん」
思ったよりも反応が薄い。
戦車道OG会は父の選挙を応援していたんじゃなかったのか?
「もしかして、あんまり印象にない?」
「いえ、印象にないわけじゃないけど。その、不思議な感じっていうか」
「不思議というと?」
「あの。私たち大洗戦車道のCG会って、基本的に西出さんっていう議員さんの応援をしていたんです。その人はもうだいぶ前に辞めちゃいましたけど。で、私も、ちょうどその人の最後の選挙の時に20歳になった頃ぐらいだったから、ちょっと手伝っただけなんですけどね。辻さんっていうのは、対立候補だったはずなんですよ」
「え、あれ?」
「そうですね。私も覚えています。確か、ちょうどその時、自民党が二つに割れていて。西出さんと、辻さんって対立していたんですよね」
「え、でも。その、芹澤さんが……」
「芹澤さんですか?」
「あ、あぁ……」
「そうですよね。芹澤さんは、西出さんの後援会の青年部長だったんです。だから、辻さんが芹澤さんの後援会で活躍するっていうのが、私すごく不思議で」
「え? え?」
芹澤が、西出議員の後援会の青年部長?
どういうことだ?
いや、もしかしたら、票をまとめられるぐらいの存在だ。
内部にいて裏切ったのか?
「だ、大丈夫?」
竹谷さんが僕の様子が変だと思ったのか、心配そうに顔を覗き込む。
「あ、あぁ、大丈夫……」
「あの……」
おずおずと、瀬名さんが手を挙げた。
「そのことなんだけど。私も実は、ずっと気になっていたことがあって」
「気になること?」
「西出さんの最後の選挙の時にね、急に芹澤さんが、私たち戦車道OG会の当時の若手を集めて、辻さんの演説会に連れて行ったの。選挙期間中だったと思う」
「あぁ、それは」
僕はほっとして、それは芹澤が西出を裏切ったからだと言おうとした。
だが、瀬名さんはさらに話をつづけた。
「それでね、演説会が終わったあと、家に帰ったら、芹澤さんから電話があって。『さっきは演説に連れて行ったけど、あの議員には投票しなくていいぞ。予定通り西出議員に投票するようにとみんなに言っておいてくれ』って。あの、辻さんの息子さんの前で、こういうことバラしちゃうのは、なんなんだけど……」
「あ、えと……」
僕は言葉が出なかった。
芹澤が、父の選挙を手伝っていなかった?
手伝うふりをして、マッチポンプの役目をしていたのか?
なんのために?
「私も、それ、覚えてます。ってか、今思い出した」
湯川さんが言った。
「あれっていったいなんだったんだろうって」
僕は、心を落ち着かせたくて酒を飲んだ。
話題を変えたかった。
「あのさ、西出議員って、今はどうしてるの?」
「あ、西出さんは……」
湯川さんが口をつぐむ。
「何かあったの?」
「その。まぁ、もうだいぶ昔の話ですけど。自殺したんです」
「自殺?」
「はい。なんか、本業の方の会社がうまくいってなかったみたいで。たぶん、西出さんが生きていたら、芹澤さんは選挙に出ることできなかったと思いますよ。芹澤さんのバックボーンの一つの戦車道OG会は、もともとは西出さんのものであるわけだから。私たち、芹澤さんの最初の選挙の時すごく頑張ったのは、西出さんの弔い合戦の意味もあったから」
「そ、そうなの?」
「はい。私たちは年齢的にはそこまで西出さんに思い入れはないですし、こういうことも言えちゃいますけど。もっと上の世代で、ずっと西出さんのこと手伝ってた人たちは、特にすごく張り切っていました」
「そういう人たちの中には、今の芹澤さんに不満持ってる人もいるよね」
瀬名さんが横やりを入れた。
「だって、結局、戦車道への交付金、何も取ってこないんだもん」
「せっちゃん、あれは芹澤さんが悪いわけじゃなくて、他の議員たちが悪いのよ。前のチラシにも書いてあったでしょ。『戦車道の交付金アップ案を提案したけど、ベテラン議員たちの妨害で否決された』って」
「それはそうかもしれないけど……でもさぁ、必修科目からも外されて、最近誰もやらなくなってきてさぁ、私むなしくってさぁ」
僕は頭を押さえた。
早くこの飲み会を切り上げたかった。
「あれ? 湯川じゃん」
大柄な女性が通りがかりに、声をかけてきた。
「あ、内山」
「知り合い?」
「戦車道のOG会」
「あ、そうか。ここってよく使うんだっけ」
「うん」
「なに、男1人囲んで3人で飲んでんの?」
内山が下品な笑いを浮かべた。
「いや、そういうのじゃないから」
湯川さんが手を振った。
※
そこからは、あまり話に加われず、僕は終始うつむいてちびちびと酒を飲んでいた。
時々気を遣うように竹谷さんが話しかけてくれたが、僕はあまり答えなかった。
それよりも、早く帰って羽鳥に電話したかった。
※
二時間ほどで飲み会が終わり、僕たちは店の前で別れた。
「あの、本当に大丈夫? 送ろっか?」
心配そうな竹谷さんに首を振り、
「大丈夫だから」
と別れた。
彼女は何度もこちらを振り返りながら、商店街の奥へと消えていった。
彼女たちが帰っていくと、僕はまず、自販機で水を買った。
少し、落ち着かねばならなかった。
酒の酔いが回っていては、頭が正常な判断をできない。
ペットボトルの水を2本飲み干して、ようやく少し頭が冷えた。
僕は携帯を取り出した。
時刻は、20時半だ。
そろそろ羽鳥が帰ってきているかもしれない。
コールしようとしたところで、ひゅんっ、という音が聞こえた。
僕の携帯がはじけ飛んだ。
「え?」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
「お、っとと」
まだ酔いが残っていて、携帯を落としてしまったのか。
そう思い、地面に転がった携帯を拾う。
携帯には、弾痕が入っていた。
もう一度、ひゅんっ、という音がして、再び携帯がはじけ飛んだ。
「う、あ……」
僕はようやく事態を理解した。
狙われている。
銃で。
周囲を見渡す。
夜の大洗の商店はしんとしている。
人けが全くない。
どこから撃ってきたのか、皆目見当もつかない。
僕は両手を挙げた。
どれぐらい待っただろうか。
それ以上、ひゅんっという音は聞こえてこない。
僕は一か八か走り出した。
商店街を、一目散に走り、夜の市街地に抜ける。
ひんやりとした空気が肌を刺す。
市街地に抜けると、さすがに車のテールランプなどが見え、異世界から通常の世界に帰ってきたような気分になった。
僕は、携帯を置いてきてしまったことに気が付いた。
だが、戻るのは危険すぎると思った。
続く
どうするか悩みに悩んだんですが、やはり、サスペンス的なものを入れることにしました。ハードボイルドの定番で殴られて気絶イベントかなと思ったのですが、哲也の冒険で散々書いたような気もするので、銃撃に。違和感あればご一報ください。