「わかりました。僕の知っていることなら、お話しします。ただ僕は長いことほとんど大洗に帰ってはいないし、父とも気まずいままでした。そんなに大したことを知っているかどうかわかりませんよ」
「気まずい? お父さんと?」
羽鳥が驚いたような表情をした。
「えぇ」
「へぇ……それは意外だな。辻君は、凄く子煩悩だと思っていたんだが」
「え? どうしてそんな風に思っていたんですか?」
「いや、君のお父さんは、息子さん……つまり君のことだな……の話を本当によくしてくれたからね。小さいときは、君がミニカーがすごく好きだという話をよく聞いたよ。中学生ぐらいになってからは、私立のいい学校に入学できたと喜んでいた。それから、君が自分の好きなロックを聴いてくれたという話も、うれしそうにしていたなぁ」
父が外でそう言う話を他人にしていることがひどく意外だった。
僕は信じられないというように首を振った。
「だから僕は、君が国家公務員になったことも当時から知っていた。辻君にとって自慢の息子だったはずだよ」
「でも、父は僕を拒絶したんです」
「拒絶?」
「ええ。7年前。僕にさっさと東京に帰れと言った。僕は、本当に久しぶりに、大洗に対して親しみのようなものを感じ始めていたのに……」
「……ふむ。それはまぁ、家の中の事情は、僕にはわからんが。しかし、辻君が君の話をよくしていたことだけは、事実として覚えておいてくれ」
「……わかりました」
「それで、聞きたいことなんだがな」
「はい」
「いくつかあるんだが……辻君は、いったいどういった経緯で芹澤の選挙事務所に入ったんだ?」
「それは……よくわかりません。父は最初そのことを僕に言いませんでした。あれは確か……僕が8年前、久しぶりに大洗に帰った時に、たまたま『大洗を新しくする会』のチラシを見かけたんです。それで気になって検索をすると、父が代表だか顧問だかになっていて」
「8年前? 7年前ではなく?」
「そうです。さらに一年前ですよ。その頃、時々大洗に帰るようになっていたんです」
「それじゃ、芹澤の選挙事務所が立ち上がる前か。もともと、その時期から『新しくする会』に一口噛んでいたんだな?」
「そういうことになりますね。あの手のチラシは、父の好みではないと思ったから、凄く違和感があったのを覚えています」
「そうだな。そこが僕も非常に気にかかるんだ。辻君の性格上、あまり他人の中傷は好まないはずだ。大体、彼はいつもそういったことに関しては、どちらかというと、他人にやり込められてしまう側だったんだからな」
羽鳥が思いを巡らせるように目を閉じた。
「いや、しかし。そうか……自分がそういったことをやられ続けていると、今度は誰かに向かってやり返したくなるものか……」
「あの」
「ん?」
「父がいろいろやられていたというのは、昔撒かれていた中傷ビラの事ですか?」
「そうだよ。もう17年ぐらい前のことになるんだろうか。芹澤の初当選のさらに2期前だからな。唐突に、君のお父さんのいろんな悪口が書かれたビラが配布されだしたんだ。あまり、君が見て心地よいものではないと思うが。見たことがあるのか?」
「えぇ。幾種類かは。その、鹿島の女性関係がどうとか……」
「あぁ」
羽鳥がため息をつく。
「あれはひどかった。どこまで嘘か本当かわからない、ほとんど推測みたいな下品なチラシだった」
「大洗では、ずっとああいうチラシ合戦みたいなことが行われ続けているんですか?」
「いやいや、そんなことはないよ」
ぶんぶんと首を振る。
「あんなチラシがまかれだしたのは、あの時が初めてだ。それまでも告発はあった。だが、それはあくまでオンブズマンによる、会計上のおかしな点の示唆だとか、そう言った、まぁある程度まっとうで、内向きなものだ。マス相手にしたコマーシャリズムに訴えたものではなかった」
「………………」
僕の中で、何かがつながり始めた。
「あの、さっき、赤坂さんが首を切られた事件、それが20年前でしたっけ」
「あぁ。そうだよ」
「いや、でも……父は……」
「どうしたんだ?」
「あぁ、いえ。何でもないんです」
つながり始めた考えが瓦解する。
少しつじつまが付かない部分があった。
「ところで、辻君が、いったい誰に誘われて『新しくする会』に加わったのか、それは知らないか?」
「ええっと……」
頭の片隅にかすかな記憶があった。
ずっと前に父が、『○○に頼まれて』と漏らした瞬間があったような気がする。
だが、どうしても名前が思い出せなかった。
「……わからないか」
「すいません」
「いや、昔の話だ。仕方ないさ」
「誰かに頼まれて、と、言っていたような気がするんですがね」
「それなら、もし思い出したら、ここに電話してくれないか?」
羽鳥が、喫茶店の紙ナプキンに、番号を記す。
「自宅ですか?」
「携帯は持っていないんだ。四六時中何かで呼び出されちゃかなわん。僕は自由が好きだからな」
その物言いが、父に少し似ていて笑いそうになった。
確かに、この男は、父と気が合うかもしれない。
「共産党なのに自由が好きなんですか?」
「自由ほど素晴らしいものはないよ。自由の良さが分からない奴は、支配されることに鈍感になっている馬鹿だ。共産党が平等だなんてそんなの、理論上の建前だ。組織である以上、上下関係は絶対に存在する。僕は自由を夢見ながら、組織の中であくせく働いていたんだ」
「あはは」
僕は思わず声を上げて笑った。
「羽鳥さんは、どうして共産党に?」
「フォークミュージックがきっかけさ。URC系のレコードが大好きだったんだ。反戦思想自体は本当に嫌いじゃないぜ。君のお父さんとは、よく音楽談義をしたよ」
「あぁ、なるほど!」
二人が酒を飲みながら語らう様子が思い浮かんだ。
案外、似合っている。
「でも、話していると全然共産党に感じられませんよ」
「共産党にだっていろんな奴がいるさ。僕は少なくとも、仕事をやりやすいから共産でいつづけていた」
「どういう意味ですか?」
「つまり、市の労組職員から、情報提供が受けられるんだ。それは独自の情報だ。そういったものが、僕にとっては活用価値があったんだ」
彼は、自分を納得させるように小さく頷いた。
「僕ももう一つ、訊いていいかな」
「はい」
「戦車道OG会。あれは辻君とはどうだったんだ?」
「どうっていうと?」
「いや、あの団体はもともとは西出という議員のモノだった。辻君とはあまりそりが合わなかったはずだが」
「あぁ、それは、芹澤がまとめたと聞きました」
「なるほどね。しかし、芹澤、か。昨日の葬儀ではひどかったな」
「と言いますと」
「花輪だよ。スポーツショップやら、新しくする会やら。普通は、明らかに政治家と関連するところは、名前を出さないのが暗黙の了解だ。それに、本人が来た上で弔電も打っていただろう。あまりにも露骨で、葬儀の場を利用した売名に見えた。まぁ……その。僕が気にしすぎなのかもしれないけど」
言葉が途切れる。
言い過ぎたと感じたのだろうか。
見ると、コーヒーカップはとっくに空になっていた。
時間も、たっぷり一時間が経過していた。
「ありがとう。いろいろ話がきけて、多少はすっきりした。そろそろ行こうか」
羽鳥が立ち上がる。
「そうですね」
僕も立ち上がった。
羽鳥とは、雑居ビルの入り口で別れた。
彼は、水戸まで出たのだから、本屋に立ち寄って帰ると言った。
別れ際に、僕はもう一つだけ問いかけた。
「あの。羽鳥さんって、マルクス主義は信じているんですか?」
「信じてないよ、もちろん」
彼はにっこりとほほ笑んで、雑踏へ消えていった。
続く
ちなみに、URCというのは、アングラレコードカンパニーの略です。昔、そういうのがあったのです。
会員登録するとレコードが送られてくる謎システムでした。