辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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32 羽鳥

翌日、朝の7時ちょうどに、電話が鳴った。

とるかどうか悩んだが、母が勝手にとってしまうかもしれないと思い、受話器をとった。

母は、疲れ果てているように見えた。

もしも、おかしな揉め事を持ち込まれるような内容の電話だとしたら……。

これ以上母に負担をかけたくないと思ったのだ。

 

「もしもし、辻さん宅ですか」

 

低い、甘い声が聞こえた。

昨日の老紳士の声に間違いなかった。

彼は、1950年代のアメリカ映画の主演男優のような声をしていた。

クルーナータイプという奴だ。

 

「はい。辻です」

「廉太君、ですか」

「はい」

「昨日の約束を覚えていてくれてありがとう。実は、少し君と話がしたいんだ。東京に帰ってしまう前に、会えないか?」

「あの……どういったご用件ですか? その話というのは」

「君のお父さんのこと。僕は羽鳥という。もう引退したが、この町の議員をしていたんだ。君のお父さんの元同僚だ。仲が良かったんだ」

「え? 議員さん?」

「あぁ。母親に訊いてみるといいよ。羽鳥という議員を知っているか?と」

「ちょっと、考えさせてください」

「わかった。別に、変なことを持ちかけるわけじゃない。ただちょっと情報交換をしたいだけだ」

「情報交換というと」

「君のお父さんや芹澤のことで、腑に落ちないことがいくつもある。君の知っている範囲でいいから教えてほしい。僕も君に自分の知っていることを話す」

 

僕も、腑に落ちない点は幾つかあった。

興味が引かれた。

仮にもしも、この羽鳥という男がおかしな奴だとしても、会っただけで即座に何かをされるということはないだろう。

僕はそう判断した。

 

「わかりました。お会いします。その代わり、何かおかしな話だったら、その場で退席しますよ」

「わかった。大洗じゃ話しにくい。水戸でもいいだろうか?」

「そんなに込み入った話なんですか?」

「それは、お互いの持っている情報次第だと思うが、大洗みたいな狭い町の喫茶店だと、いたるところに知り合いがいるからな」

 

僕たちは、10時に水戸の駅前で待ち合わせをした。

羽鳥は、生地の薄いジャケットを羽織ってやってきた。

季節よりも少し寒い服装だった。

 

「暑がりなんだ」

 

と、彼は言った。

彼の案内で、駅のそばの雑居ビルの5階に入っている『ルーファス』という喫茶店に入った。

昭和の時代からずっとそこにあるような、古臭い純喫茶だった。

小さな音でピアノトリオ編成のジャズが流れていた。

 

「わざわざここまで出てきてもらってすまない」

 

と彼は頭を下げた。

 

「あ、いえ」

「これが僕の名刺だ」

 

彼が差し出してきた、白い厚手の名刺には

 

『日本共産党 大洗町議員団 議員』

 

と肩書が印刷してあった。

僕はそれを見て立ち上がった。

 

「冗談はやめてください。うちの父は保守の与党の議員でしたよ。どうして共産党と付き合いがあるんですか」

「おいおい、待ってくれ。冗談でも嘘でもない。これは本物の、僕が議員の頃に使っていた名刺だ。これしかなかったから、これを持ってきた。君は地方の政治の実態の世界を知らないからおかしいと思うかもしれないが、議会で対立しあう関係でも、仕事以外では友人ということはある。僕と辻君が仲が良かったのは本当だ。齢が近かったし、議会運営とは関係なしに、お互い愚痴をこぼしあう仲だったんだ」

 

父が死んでしまった以上、その言葉を証明する手立てはない。

羽鳥と見つめあう。

僕はため息をついて座りなおした。

 

「仮にそうだとして、いったいどんな腑に落ちない疑問をお持ちなんですか?」

「そうだな……いくつかあるんだが。まず、赤坂だ。どうしてあの男がウロチョロしているところに辻君が関わりを持つのかが疑問だ。赤坂は知っているか?」

 

赤坂。

あの肌の浅黒い老人のことか。

芹澤の選挙の時、おかきをくれた様子がフラッシュバックした。

知っていると言えば知っているが、どういう人物なのかはよく知らない。

 

「日焼けしたような肌の老人ですか? 大洗を新しくする市民の会の代表になっているんでしたっけ。芹澤の最初の選挙の時に初めて会いました」

「彼が昔、何をしていたかは?」

「いえ、知りません」

 

その時、ようやくコーヒーが運ばれてきた。

丁寧にドリップしているらしかった。

品の良い、落ち着いた香りが漂う。

 

「赤坂はな、もともとは大洗町役場の役人だ」

「え、役人?」

「あぁ。もともと、土地持ちの家系でな、水飲み百姓を束ねていたような一族だ。役場でも、力を持っていた。ただし、傲慢で、黒い噂も多々あった」

「はぁ……」

「一時期、副市長にという話が出たこともあったんだ。だが、工事の入札で自分の親せき筋の会社に談合をさせたということがすっぱ抜かれニュースになった。副市長人事は吹っ飛んだ。それどころか、これは僕たちもその当事者だが、首を切れ、と野党が攻め立てた。当時は、大橋町政の時期だ。与党と野党が均衡していた。ここが責め時だと思ったんだ」

「それで、結局首を切ったんですか」

「あぁ。円滑な議事運営のためという名目で奴は辞表を出した。およそ20年前のことだ」

「へぇ。じゃ、ある意味では議会に恨みを持っている人ってわけですね」

「そういうことになる」

 

だったら、あのチラシも納得はいく。

議会に対する誹謗中傷だらけのチラシは赤坂の意向が反映されているのかもしれない。

 

「辞表を出した後、どこでどうしているのか知らなかったんだがな。7年前の選挙の前後からまた大洗で見かけるようになった。ろくでもない人間だというのは辻君だってよく知っていたはずだ。なぜ、芹澤の選挙事務所に平気でい座らせたのか理解できない」

「芹澤はどういう人間なんですか?」

「彼のことは僕はよく知らんが。経歴を見たところ、あまり信用できないな」

「と言いますと?」

「学校を出てしばらく間が開いて、唐突に議員秘書になっている。おそらくは私設秘書だろう。何らかのコネがあったんだろうな。金持ちが、働かないドラ息子を知り合いの政治家の私設秘書にねじ込むことはよくある」

「彼は貧乏だと言っていましたが」

「そうか。まぁ、その辺は僕は知らない。いずれにせよ、賢しい奴だとは感じているよ。たった一期で県議だ」

「それ、僕も聞きたかったんです。今、大洗の会派構成も大洗を新しくする会が最大会派になっていますよね。いったい何があったんですか?」

「寝返ったんだよ」

「寝返り? どういうことです?」

「『大洗を新しくする会』の5人の議員のうち、二人はもともとは自民、一人はもともとは民主。もう一人はもともとは無所属の議員だ。つまり、純粋な新人は一人しかいない。みんな、情勢を見て鞍替えした奴ばかりなんだ」

 

それで『新しくする会』なんだから笑ってしまうよ、と羽鳥はつぶやいた。

 

「『大洗を新しくする会』名義で、既存の議員に対する誹謗中傷のチラシが配られ続けていたのは知っているだろう?」

「えぇ」

「芹澤が悪くない順位で当選したことで、あれが効果的だということを、議員たちは認識し始めていた。芹澤が当選した後も、定期的に誹謗中傷のチラシが配られ続けた。芹澤は、選挙に弱そうな議員を一人一人、『新しくする会から選挙に出るなら、チラシでお前のことを書くのは止めてやる』というように誘惑していたみたいだ。ふたを開ければこんな状況になった」

 

それでやっと納得がいった。

今の大洗町の会派構成は、大洗を新しくする会が5、自民が2、民主が1、共産が2、公明が2、無所属が1だ。

僕は政府与党系の議員の少なさに驚いたが、もともとは、自民が4、民主が2、共産が2、公明が2、無所属が2だったわけだ。

あとは、「新しくする会」の新人が1人当選した分が減っているので、どこかの会派から1人落選したのだろう。

組織票がある団体は選挙に強いので、おそらくはもともとは無所属が3だったのではないだろうか。

 

「一気に会派を増やした腕前が見込まれて、大洗を新しくする会の上部組織『茨城を新しくする会』から県政に出馬したようだな」

「まさに出世街道まっしぐらですね」

「あぁ。アメリカンドリームみたいなものだ。やり方は汚いがな」

 

なるほど。

芹澤が二期目の任期途中で辞職して県政に出馬したから、欠員が1というわけか。

それにしても、茨城を新しくする会。

やはり、7年前に感じたとおりだった。

彼らは、選挙のプロフェッショナルだ。

チェーン経営のような手法を選挙に持ち込んでいる。

芹澤の現象は、大洗だけで起こっていることではなかったわけだ。

各地域で、芹澤と同じ方法を使った人間が、『新しくする会』を、体内で増殖するウィルスのように増やしているのだろう。

そのうち、国政にも顔を出すかもしれない。

そうなれば僕の仕事にも密接にかかわってくる。

 

「さて」

 

羽鳥がコーヒーを口に運ぶ。

 

「僕はだいたい情報提供をした。今度は君の番だ」

 

続く

 


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