辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。


31 父の死

7年が経過した。

僕は相変わらず、教育委員会に配属されていて、学校施設管理課課長になっていた。

篠崎代議士は、自分が主催する勉強会を持つようになっていた。

志の会という名前で、要するに、自分の子飼いの議員を増やそうというわけだ。

僕は、篠崎代議士に目をかけられている職員としてそこそこ名が通るようになっていた。

庁内の出世レースには、二種類のやり方があるといわれている。

一つは、どこにも属さない方法。

孤独を気取るという意味ではなく、誰に対してもある程度丁寧に対応し、のらりくらりとやっていく。

もう一つは、特定の議員に目をかけてもらうという方法だ。

その議員に力があれば、どんどん引き上げてもらえるが、こちらもその代わり、情報提供や、委員会での連携をしていく必要がある。

ギブアンドテイクの関係を築き上げるというわけだ。

僕は、明確なヴィジョンがあったわけではないのだが、結果的には後者になっていた。

何か情報があればすぐに篠崎代議士に提供したし、委員会質問を事前に打ち合わせ、出来レースに近いやりとりをすることもあった。

僕の地位が上がれば、僕の発言の影響力が増す。

それはつまり、篠崎代議士の提案が通りやすくなるということだ。

篠崎代議士にしても、僕を出世させることには意義があった。

ある日、父の訃報が届いた。

ちょうど70歳だった。

母に電話をすると、死因は脳溢血だった。

風呂から上がってきて、急に苦しいと言い出し、横になった。

そしてそのまま逝ったらしい。

葬儀のために、大洗に戻った。

芹澤の選挙以来、また足が遠のいていたので、7年ぶりだった。

あの時、居間にいた父とちょっとした口論になって、それから気まずくて、帰る機会を失してしまったのだ。

父とは、あれからほとんど話さないままになってしまった。

上野発の列車に乗りながら、そんなことを考えた。

心臓が鉛に変わってしまったような嫌な気持だった。

僕はどうすればよかったのだろう。

もっと早く父に謝ればよかったのか。

いや、謝るのは変だ。

あの日、「さっさと帰れ」と言って拒絶したのは父なのだ。

 

大洗の駅を降りると、家まで歩いた。

途中、ところどころに、「大洗を新しくする会」のポスターが貼ってあった。

2連ポスターで沖田という男と芹澤の顔が並んでいた。

肩書を見て驚いた。

芹澤は県議会議員になっていた。

あれから7年だ。

一期町議を務めたのち、すぐに県議になったということか。

町にはポスターが幾種類もあった。

芹澤と組んで写っているのは、沖田だけではなく、坂本、小塚というバージョンもあった。

僕は、携帯を取り出し、大洗町のホームページにアクセスした。

議員一覧を見ると、5人の議員が「大洗を新しくする会」に属していた。

定数が14の町議会において、それは最大会派だった。

「大洗を新しくする会」が5、自民が2、民主が1、共産が2、公明が2、無所属が1、欠員が1だ。

明らかに議会でイニシアチブが取れる。

政府与党の党の人数の少なさに僕は驚いた。

 

家に着くと、母が出迎えてくれた。

母はぼんやりとした無表情をしていた。

まるで、顔に、能面が張り付いているように見えた。

母は、

 

「どうしてもっと帰ってこなかったのですか」

 

と、刺すように言った。

僕は

 

「父さんが、僕を拒絶したんだ」

 

と答えた。

母が

 

「それは……違います」

 

と言った。

目があった。

口論するのは嫌だった。

僕はそれ以上何も言わずに、軒をくぐった。

家の中は、少し散らかっていた。

汚れも目立った。

母が、苦労しているのだということが感じられた。

僕は居間へ行き、ソファに腰かけた。

まるで、7年前の父のようだった。

あの日、父が聴いていたディランのブロンド・オン・ブロンドを聴きたいと思った。

それは、子供のころに父が僕に初めて聴かせてくれた洋楽でもあった。

それをここで聴くことで、何かがまとまりよく一巡するような気がした。

だが、レコードラックに、ブロンド・オン・ブロンドは見当たらなかった。

レコードラックの他に、本棚の余ったスペースにも、レコードが立てかけてあるのが見えた。

僕は、そこにあるかもしれないと思って、立ち上がった。

本棚においてあったレコードの束をまとめて抜き出し、ソファに座ってチェックすると、ブロンド・オン・ブロンドはそこにあった。

その時、レコードとレコードの間に、何か紙が挟まっていることに気づいた。

スティーリーダンの「幻想の摩天楼」と、ロッド・スチュワートの「ネヴァー・ア・ダル・モーメント」に挟まれて、一枚のチラシが出てきた。

拡げてみると、それは、ずっと前にまかれた父への中傷の文句が書かれたチラシだった。

7年前の選挙中、事務所で老人が僕に向かって吐いた暴言を思い出した。

女関係。

そのチラシには、まさにそれが書かれていた。

父が、鹿島に住む30代の女性と愛人関係を持ち、二人で旅行に行ったということが書かれていた。

かなり強い断定口調で糾弾していた。

その書き口に見覚えがあった。

何だったか……。

妙な興味が引かれ、僕はそれをカバンに入れた。

母がやってきた。

 

「コーヒー、飲みますか?」

「うん」

 

二人で今のソファに座る。

コーヒーはひどく濃厚だった。

 

「これ、濃いね」

「お父さんは、濃いコーヒーが好きでしたからね。これはわざわざ京都のイノダのコーヒー豆を取り寄せていたんです」

「あぁ、あの赤い缶……」

「えぇ。私はコーヒーを飲みませんから、もう買うこともないでしょう。もしも、あなた飲むのなら、持って帰りなさい」

「僕はコーヒーは飲むけど、苦いのは苦手だよ」

「そうですか。でしたら、あの缶の残りは私が、毎日ちょっとづつ飲むことにします」

 

しばらく無言でコーヒーをすする。

 

「父さんは?」

「遺体はもう、葬儀場に移動してあります」

「そう」

 

コーヒーを飲み終えると、車で葬儀場に移動した。

 

 

葬儀場は、ひどく大きかった。

父を昔から支えてくれた、幾人かの本当に親しい支持者の老人が、花の手配などいろいろと手伝ってくれたらしかった。

開始時刻に近くなると、次から次へと人が入ってきた。

僕たち家族は、入り口付近に並んで、頭を下げる。

 

「お忙しいところ、ありがとうございます」

 

そう言うと、

 

「本当だよ。忙しいのに!」

 

と、怒鳴る老人がいた。

僕はびっくりして彼の後姿をにらんだ。

母が、

 

「相馬さんです。昔から他の議員さんの支持者なんです。町内会だから、来ざるを得なかったからでしょう」

 

と、さして驚く様子もなくつぶやいた。

 

「お、怒らないの?」

「お父さんは長いこと選挙に出ていたのですよ。あれぐらいの暴言、いつでも受けていました」

 

 

葬儀が始まり、各界ご代表による焼香になった。

芹澤が、県議会議員として、名前を呼ばれた。

以前よりもさらに高級そうになったスーツが、体になじんでいるように見えた。

彼は、焼香を済ませると、僕をちらりと見た。

そしてそのまま、席に戻らずに出て行った。

各界ご代表では、大洗を新しくする会議員団が、議員団では一番に呼ばれた。

そのあとも、大洗を新しくする市民の会の代表が呼ばれた。

立ち上がったのは、あの肌の浅黒い老人だった。

赤坂だったか。

そのあとさらに、芹澤のスポーツショップの店長が呼ばれた。

彼らも、焼香だけ済ませると、さっさと出て行ってしまった。

ふと考えると、届けられた花にも、いたるところに、芹澤の関係の名前があった。

芹澤のスポーツショップとして花が届けられていたし、大洗を新しくする市民の会としても花が届けられていた。

それらは、大きなプレートにその名前が印刷され、花と一緒に目立つ位置に配置されていた。

それを見ていると、目の前に女性が立った。

竹谷さんだった。

7年を経て、落ち着いた大人の女性という雰囲気になっていた。

彼女は僕にぺこりと頭を下げた。

 

「あの。ご愁傷さまです。気を落とさないでください」

「ありがとう」

 

僕たちは短く言葉を交わした。

 

そのあと、父と同じ年ぐらいの老紳士が、焼香を済ませて僕に頭を下げた。

 

「廉太くんかね」

「あ、はい」

 

僕の名前を知っているようだが、誰なのかわからなかった。

 

「東京で仕事をしているんだったか?」

「そうです」

「いつまでここにいる?」

「明日まではいます」

「そうか。ちょっと話がある。明日、君の家に電話をする。朝の7時に。電話を取ってくれ」

「は、はぁ」

「頼むぞ」

「はい……」

 

よくわからないまま、思わず返事をした。

そのあとも、次から次へと、焼香を済ませた人々が僕たち家族に頭を下げ、一言を交わす。

老人を追いかけて問いただす余裕はなかった。

 

続く

 




さて、時代がだいぶ、ガルパン本編に近づいてまいりました。
選挙編で杏ちゃんが1歳だったので、本編の16年前。
ここからは、その7年後なので、本編の9年前の出来事です。
ちなみに、第一話の決算審議は、実に本編の26年前の出来事になるんですね。

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