辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

30 / 100
30 ハイボール

東京に戻るとまた慌ただしい仕事の日々が続いた。

月曜日と火曜日に有給をとった分、仕事が溜まっていたので、土日も仕事をした。

日曜の夜遅く、選挙結果が出るはずだった。

僕は20時ちょうどに仕事を切り上げると、スーパーに立ち寄った。

せっかくだから、選挙速報をリアルタイムで見ようと思った。

その間、何かを飲みたいと思ったのだ。

僕は、付き合い以外で酒を飲むことがほとんどない。

だがその日は、少し気分が違っていた。

リカーコーナーの前に来た時、ウィスキーの瓶が目に入った。

山下の顔が思い出された。

彼は何を飲んでいたっけ。

彼が好きだと言っていた、オールド・プルトニーを見つけて、値段を見てびっくりした。

5000円ぐらいする。

どれぐらい家で飲むか定かではないのに、そんな投資をする気にはなれなかった。

幾つか、山下が飲んでいて覚えのある酒を見ていく。

スプリングバンクも、グレンリベットも、思ったよりも高い。

結局、バランタインのブルーボトルを買うことにした。

ロックで飲むつもりはない。

氷と一緒に、天然水で作られたソーダを買った。

 

家に帰ると、音楽をかけた。

ハイボールを作ろうとして、よくよく考えたら、背の高いグラスがないことに気が付いた。

仕方ないので、せめて透明な方が雰囲気が出るだろうと思い、耐熱ガラスでできたマグカップに氷を入れた。

それから、マドラーがないことにも気が付いた。

氷の上にバランタインを注ぎ、割箸で氷となじませる。

いつも、誘われるとついていって、適当に飲むだけだったので、どれぐらいウィスキーを入れればよいのかよくわからなかった。

あまり濃いと飲めないだろうと思い、グラスの三分の一ぐらいまで注いだ。

そして、上からソーダ水を混ぜていく。

すると、氷が少なすぎたのか、氷が浮かび上がり、底に空洞ができていた。

とりあえず、仕方がない。

出来上がったハイボールを口に含む。

美味いのか不味いのか、よくわからなかった。

 

ちびちびと酒を飲みながら、時折、インターネットに接続して大洗町の状況をうかがった。

夜も更けるころ、芹澤に当確が出た。

それも、悪くない順位だった。

彼は、六位で当選していた。

携帯にショートメッセージが届いた。

芹澤だった。

『当選した。ありがとう』

と書いてあった。

簡素だと思ったが、今頃大騒ぎしているのだろう。

わざわざメールを打ってくれただけでもうれしいことだった。

 

 

翌日の夜に、竹谷さんから着信があった。

 

「もしもし」

「あ、こんばんは。廉太さんですか?」

「うん」

「あの、芹澤さん、当選しましたね」

「昨日、速報見てたよ。おかげで寝不足だ」

「あはは。実は、選挙事務所の方では、かなり早い時点でわかってたんですよ」

「え? そうなの? なんで?」

「開票の立会人の人から、電話があったの。票を選別して、名前ごとに机に並べる時点で、積みあがっている量で予測が付くみたい」

「へぇ~」

 

そんなこと、知らなかった。

 

「じゃ、事務所は早いうちから、お祭りムード?」

「まぁ、そんなところ」

「そっか」

「あの、いろいろと手伝ってくれて、ありがとう」

「いやいや。僕も貴重な経験させてもらったよ」

「あの」

「ん?」

「私も、頑張るね。戦車道、盛り上げていけるように。今回のは、凄く勇気もらっちゃったから。芹澤さんの選挙の戦いぶりに。自分もなんか頑張らなきゃって思えたの」

「そっか」

 

それで思い出したが、僕は、東京に帰ってから忙しくて彼女のくれたDVDを見ていなかった。

なんとなく言い出しにくくなって、見ておけば、感想のひとつでも言えたのにしまったなと思った。

 

「僕も、仕事とか、頑張るよ」

「うん」

「それじゃ、明日も、早いから」

「わかった。お休みなさい」

「お休み」

 

電話が途切れた。

 

僕はその日の夜、例のDVDを見た。

なかなかよくできていた。

高校生たちが、一生懸命部活に励む様子がしっかりと収められている。

感想を電話しようかと思ったが、なんとなく、気恥ずかしくて、結局僕からは電話をしなかった。

 

 

ある日、篠崎代議士に誘われて飲んでいるときに、ふと思い立って、戦車道のことをお願いしてみようかと思った。

もう少し、補助金とか、そういうのって出ないのでしょうか、とか、そういったことだ。

 

「あの、篠崎先生は、戦車道ってどう思われます?」

「ん? 戦車道か?」

「あ、はい」

「そうだなぁ。別に好きも嫌いもないが」

「あ、そうなんですね」

 

だったら。

例の竹谷さんがくれたDVDでも見せようかと思った。

そこには、一生懸命頑張る高校生たちの姿が映っていた。

篠崎代議士も心を動かされるかもしれない。

口を開こうとした矢先に、篠崎代議士が言った。

 

「まぁしかし、あんな金のかかるスポーツは厄介もんだな。やってる側はドンパチやって痛快かもしれんが、国として考えれば、あれが国技で日本を世界に知らしめるとか、そういうレベルじゃない限り、深入りする必要はないだろう。大体な、下品なんだよ。乙女のたしなみとか言ってるが。やってることは戦争ごっこじゃないか。戦争のおままごとバージョンだ」

「あ、えと……」

 

僕は、言おうとした言葉が言えなくなった。

 

「なぁ。俺たちはロックンロール好きだ。ロック仲間だ。ロックの洗礼を受けてきた。ロックてのは、根本的に、反権力であり、反戦だろう? 戦車なんてなんだ。俺がロックンロールでぶっ潰してやるぜ」

 

篠崎代議士はだいぶ酔っている様子だった。

一般質問で言ったことが通らなかったのだ。

政治の世界は、ちょっとしたパワーバランスで、発言力が変化する。

篠崎代議士の属する派閥の力が弱まっていたのだ。

 

「なぁ、そう思わないか!?」

「いえ、その……」

「あぁ~、もしかして、君、ミリタリー好きか?」

「あ、それほどでもないんですが」

「いやいや、気にするな。ミリタリー自体は俺も好きだぞ。格好いいからな。モッズコートだって大好きだ。だがな、戦争は駄目だ。それは違う。俺はな、戦争ってのは、金もうけの道具だと思ってるんだ。ディランの戦争の親玉って歌、知ってるだろう? 戦争なんてのはな、情弱が騙されて、金もうけの道具に使われる構造なんだ。それが許せないんだ。それはロックの精神に反してるんだ。だから、戦車道だって、あんなもん、結局は……」

 

そこまでまくし立てて、言葉を止めた。

 

「いや、駄目だな。酔うとダメだ。まるで共産党みたいなことを言っちまった。保守派与党だというのになぁ。さっきのは忘れてくれ」

「は、はい……」

 

篠崎代議士の見方は、かなり穿っていると思った。

戦車道は別におままごとではないし、戦争賛美のスポーツでもない。

だが、篠崎代議士に対して不快感を感じたわけではなかった。

ある意味では、ナイーブで直情的でピュアな篠崎代議士らしい物言いだと思っただけだ。

 

この人は、頭は切れるが、根っこが純粋で少年のようなところがある。

普段はそれを抑えて、冷静に、保守本流として毅然としてふるまっているが、ふとした時に、彼の純粋すぎる部分が顔をのぞかせてしまう。

それが端的に表れているのが、ロック音楽への偏愛だったり、反権力趣味だったりするわけだ。

権力の中枢にいながら、心の片隅では、そういうのが気持ち悪いと思っているのだ。

ねじれていて、見ようによれば、ふざけたお坊ちゃん的な甘さだ。

そんなに権力が嫌いなら、議員を辞めて、市民活動家にでもなればいい。

彼はそこまでする勇気はないだろう。

せいぜいがこうして酒に酔って愚痴るぐらいだ。

だが、僕は、そこがとても好きだった。

厳しい政治の世界に身を置いていて、こんなにも幼さを残した人は、そうそういない。

そして、その本音の部分を僕に見せてくれていることが、うれしかった。

だから。

 

「大丈夫です。僕も、別に戦車道に興味なんてないですから。先生のおっしゃることは、分かりますよ」

 

微笑みながらそう言った。

篠崎代議士に、戦車道のことで頼るのは止そう。

そう思った。

これからも、まぁ。

今までと同じように、番組があれば見るし、たまに自分のできる範囲で寄付したりする。

そうしよう。

僕には、僕のできる範囲の応援をするしかないんだ。

 

続く

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。