東京に戻るとまた慌ただしい仕事の日々が続いた。
月曜日と火曜日に有給をとった分、仕事が溜まっていたので、土日も仕事をした。
日曜の夜遅く、選挙結果が出るはずだった。
僕は20時ちょうどに仕事を切り上げると、スーパーに立ち寄った。
せっかくだから、選挙速報をリアルタイムで見ようと思った。
その間、何かを飲みたいと思ったのだ。
僕は、付き合い以外で酒を飲むことがほとんどない。
だがその日は、少し気分が違っていた。
リカーコーナーの前に来た時、ウィスキーの瓶が目に入った。
山下の顔が思い出された。
彼は何を飲んでいたっけ。
彼が好きだと言っていた、オールド・プルトニーを見つけて、値段を見てびっくりした。
5000円ぐらいする。
どれぐらい家で飲むか定かではないのに、そんな投資をする気にはなれなかった。
幾つか、山下が飲んでいて覚えのある酒を見ていく。
スプリングバンクも、グレンリベットも、思ったよりも高い。
結局、バランタインのブルーボトルを買うことにした。
ロックで飲むつもりはない。
氷と一緒に、天然水で作られたソーダを買った。
家に帰ると、音楽をかけた。
ハイボールを作ろうとして、よくよく考えたら、背の高いグラスがないことに気が付いた。
仕方ないので、せめて透明な方が雰囲気が出るだろうと思い、耐熱ガラスでできたマグカップに氷を入れた。
それから、マドラーがないことにも気が付いた。
氷の上にバランタインを注ぎ、割箸で氷となじませる。
いつも、誘われるとついていって、適当に飲むだけだったので、どれぐらいウィスキーを入れればよいのかよくわからなかった。
あまり濃いと飲めないだろうと思い、グラスの三分の一ぐらいまで注いだ。
そして、上からソーダ水を混ぜていく。
すると、氷が少なすぎたのか、氷が浮かび上がり、底に空洞ができていた。
とりあえず、仕方がない。
出来上がったハイボールを口に含む。
美味いのか不味いのか、よくわからなかった。
ちびちびと酒を飲みながら、時折、インターネットに接続して大洗町の状況をうかがった。
夜も更けるころ、芹澤に当確が出た。
それも、悪くない順位だった。
彼は、六位で当選していた。
携帯にショートメッセージが届いた。
芹澤だった。
『当選した。ありがとう』
と書いてあった。
簡素だと思ったが、今頃大騒ぎしているのだろう。
わざわざメールを打ってくれただけでもうれしいことだった。
※
翌日の夜に、竹谷さんから着信があった。
「もしもし」
「あ、こんばんは。廉太さんですか?」
「うん」
「あの、芹澤さん、当選しましたね」
「昨日、速報見てたよ。おかげで寝不足だ」
「あはは。実は、選挙事務所の方では、かなり早い時点でわかってたんですよ」
「え? そうなの? なんで?」
「開票の立会人の人から、電話があったの。票を選別して、名前ごとに机に並べる時点で、積みあがっている量で予測が付くみたい」
「へぇ~」
そんなこと、知らなかった。
「じゃ、事務所は早いうちから、お祭りムード?」
「まぁ、そんなところ」
「そっか」
「あの、いろいろと手伝ってくれて、ありがとう」
「いやいや。僕も貴重な経験させてもらったよ」
「あの」
「ん?」
「私も、頑張るね。戦車道、盛り上げていけるように。今回のは、凄く勇気もらっちゃったから。芹澤さんの選挙の戦いぶりに。自分もなんか頑張らなきゃって思えたの」
「そっか」
それで思い出したが、僕は、東京に帰ってから忙しくて彼女のくれたDVDを見ていなかった。
なんとなく言い出しにくくなって、見ておけば、感想のひとつでも言えたのにしまったなと思った。
「僕も、仕事とか、頑張るよ」
「うん」
「それじゃ、明日も、早いから」
「わかった。お休みなさい」
「お休み」
電話が途切れた。
僕はその日の夜、例のDVDを見た。
なかなかよくできていた。
高校生たちが、一生懸命部活に励む様子がしっかりと収められている。
感想を電話しようかと思ったが、なんとなく、気恥ずかしくて、結局僕からは電話をしなかった。
※
ある日、篠崎代議士に誘われて飲んでいるときに、ふと思い立って、戦車道のことをお願いしてみようかと思った。
もう少し、補助金とか、そういうのって出ないのでしょうか、とか、そういったことだ。
「あの、篠崎先生は、戦車道ってどう思われます?」
「ん? 戦車道か?」
「あ、はい」
「そうだなぁ。別に好きも嫌いもないが」
「あ、そうなんですね」
だったら。
例の竹谷さんがくれたDVDでも見せようかと思った。
そこには、一生懸命頑張る高校生たちの姿が映っていた。
篠崎代議士も心を動かされるかもしれない。
口を開こうとした矢先に、篠崎代議士が言った。
「まぁしかし、あんな金のかかるスポーツは厄介もんだな。やってる側はドンパチやって痛快かもしれんが、国として考えれば、あれが国技で日本を世界に知らしめるとか、そういうレベルじゃない限り、深入りする必要はないだろう。大体な、下品なんだよ。乙女のたしなみとか言ってるが。やってることは戦争ごっこじゃないか。戦争のおままごとバージョンだ」
「あ、えと……」
僕は、言おうとした言葉が言えなくなった。
「なぁ。俺たちはロックンロール好きだ。ロック仲間だ。ロックの洗礼を受けてきた。ロックてのは、根本的に、反権力であり、反戦だろう? 戦車なんてなんだ。俺がロックンロールでぶっ潰してやるぜ」
篠崎代議士はだいぶ酔っている様子だった。
一般質問で言ったことが通らなかったのだ。
政治の世界は、ちょっとしたパワーバランスで、発言力が変化する。
篠崎代議士の属する派閥の力が弱まっていたのだ。
「なぁ、そう思わないか!?」
「いえ、その……」
「あぁ~、もしかして、君、ミリタリー好きか?」
「あ、それほどでもないんですが」
「いやいや、気にするな。ミリタリー自体は俺も好きだぞ。格好いいからな。モッズコートだって大好きだ。だがな、戦争は駄目だ。それは違う。俺はな、戦争ってのは、金もうけの道具だと思ってるんだ。ディランの戦争の親玉って歌、知ってるだろう? 戦争なんてのはな、情弱が騙されて、金もうけの道具に使われる構造なんだ。それが許せないんだ。それはロックの精神に反してるんだ。だから、戦車道だって、あんなもん、結局は……」
そこまでまくし立てて、言葉を止めた。
「いや、駄目だな。酔うとダメだ。まるで共産党みたいなことを言っちまった。保守派与党だというのになぁ。さっきのは忘れてくれ」
「は、はい……」
篠崎代議士の見方は、かなり穿っていると思った。
戦車道は別におままごとではないし、戦争賛美のスポーツでもない。
だが、篠崎代議士に対して不快感を感じたわけではなかった。
ある意味では、ナイーブで直情的でピュアな篠崎代議士らしい物言いだと思っただけだ。
この人は、頭は切れるが、根っこが純粋で少年のようなところがある。
普段はそれを抑えて、冷静に、保守本流として毅然としてふるまっているが、ふとした時に、彼の純粋すぎる部分が顔をのぞかせてしまう。
それが端的に表れているのが、ロック音楽への偏愛だったり、反権力趣味だったりするわけだ。
権力の中枢にいながら、心の片隅では、そういうのが気持ち悪いと思っているのだ。
ねじれていて、見ようによれば、ふざけたお坊ちゃん的な甘さだ。
そんなに権力が嫌いなら、議員を辞めて、市民活動家にでもなればいい。
彼はそこまでする勇気はないだろう。
せいぜいがこうして酒に酔って愚痴るぐらいだ。
だが、僕は、そこがとても好きだった。
厳しい政治の世界に身を置いていて、こんなにも幼さを残した人は、そうそういない。
そして、その本音の部分を僕に見せてくれていることが、うれしかった。
だから。
「大丈夫です。僕も、別に戦車道に興味なんてないですから。先生のおっしゃることは、分かりますよ」
微笑みながらそう言った。
篠崎代議士に、戦車道のことで頼るのは止そう。
そう思った。
これからも、まぁ。
今までと同じように、番組があれば見るし、たまに自分のできる範囲で寄付したりする。
そうしよう。
僕には、僕のできる範囲の応援をするしかないんだ。
続く