辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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3 一見無目的な飲み会

 中津さんが高田の後ろにいたことで少し面食らった。一瞬、言葉が出なかった。

 

「ん? どうしたんだ?」

 

白々しいほど何気ない声で高田が尋ねてくる。

 

「あ、いえ」

「お久しぶり。元気にしてた?」

 

中津さんの優しげな声は以前と変わりがなかった。

 

「あ、そこそこです」

「そう。がんばってるんだね」

「あ、いえ、それもそこそこです」

「そう」

「立ち話もなんだから早く座りなよ」

 

篠崎代議士が言った。僕ははっとして頷いた。

 

 篠崎代議士が一番奥に座っていて、僕は高田に促され、その向かいに座ることになった。位置としては上座になる。

 

「僕は手前にいて焼酎など作ります」

 

と言ったが無駄だった。

 

「俺はビールしか飲まないよ」

 

と押し切られた。

僕の右隣に高田、その向かいに中津さんが座った。

計算された席順であることは明白だった。

各々の席が決まるとしんと静かになった。

それで気が付いたが、聞こえないほどの小さな音でドアーズが流れていた。

以前この店に来たときは同じように小さな音でジャニス・ジョプリンが流れていたのを思い出した。

日本料理屋にはよほど似つかわしくない。

だが、聞こえないほど小さな音で粗野なロックを流すというのが役人にこの店が気に入られている理由の一つのような気がした。

ほんの小さな反抗をしたいのだ。

そんなことを考えているとビールがやってきて、もう音は聞き取れなくなった。

互いにビールを注ぎあい乾杯した。

高田は黙ってビールをちびちびと飲み始めた。

中津さんが僕に

 

「ずいぶんと調子がいいみたいだね」

 

とにこやかに言った。

 

「調子がいいですか?」

「うん。今回は主査として教育委員会に配属になったと聞いたよ」

「ありがとうございます」

 

中津さんの笑顔は、ずっと前、僕が入庁して間もないころとほとんど変わらないように見えた。

一方で随分と老け込んだようにも見えた。

それも仕方がない。もう60歳手前だ。

僕と中津さんは、年齢も部署も全く違う。

なので、仕事の上で同じになるということは全くなかった。

入庁したてで、右も左もわからなかった頃、上司に強くどやされたことがあり、行くあてもなく一人で入った都内の沖縄料理店でたまたま出会った仲だった。

その時僕が沖縄料理店を選んだのは、知り合いと会いたくないからだった。

薄汚れたいかにもさえない雰囲気のその店に省庁の人間はいないだろうと思い、愚痴をこぼした。

すると、近くの席にいた男性が僕に、自分も省庁で働いていると声をかけてきた。

それが中津さんだった。

彼は、祖父が石垣島出身らしく、そんな縁で沖縄料理店に一人で来て酒を飲むのが趣味だとのことだった。

 

僕は「しまった」と思ったが、中津さんは、包み込むような優しさで僕の愚痴を聞いてくれた。

以来何度か時折その店で会い、お互いにざっくばらんに話す中になった。

歳が30近く離れていることもあって、僕にとっては、東京で見つけた父親のようなものだと心でひそかに思っていた時期があった。

もっとも、僕が30代半ばに差し掛かってからは、仕事が忙しくなったこともあり、ほとんど会う機会がなくなっていた。

だから、こんなところで唐突に会うことになるとは思わなかった。

意外だとも思ったし、数年間ろくに連絡を取らなかったことへの後ろめたさもあった。

 

「若いのはいいね。君はこれからの希望に満ちている」

「そ、そうでしょうか」

「そうだよ。君はね」

 

君はという部分に違和感をもった。

それはまるで自分を卑下した嫌味のようにも聞こえた。

僕の知っている中津さんの言う言葉ではないように感じられた。

 

「僕なんてもう60手前だよ」

「中さん、あんまり攻めちゃかわいそうですよ」

 

篠崎代議士が言った。

 

「あぁ、申し訳ない」

「……もしかして酔ってますか?」

 

顔を覗き込みながら尋ねた。

 

「あぁ、ちょっと先に一杯ね」

「ワインを飲んできたんだ」

 

高田が言った。

 

「高田さんが一緒に?」

「そう。それで、君の話になってね。中津さん、久しぶりに君の顔が見たいって」

「ご無沙汰してしまってすいません」

 

僕は反射的に頭を下げた。

 

「いや、別にいいけど」

 

中津さんがもう一杯ビールを飲んだ。

 

「お前さ、ずいぶんと中津さんに世話になったらしいな。ちゃんと感謝してるか?」

「も、もちろんです」

「まぁまぁ」

 

篠崎代議士が割って入った。

 

「辻君、前に一度、視察で一緒になったね」

「あ、は、はい」

 

僕は頷いた。

おそらく、議会事務局にいた7年ほど前のことだろう。

篠崎議員の所属する会派の視察に事務局として同行したことがあった。

逆を言えば、僕と篠崎代議士との直接的な面識はそこだけだった。

 

「あの時君、すごく丁寧に準備をしていてくれたね」

「恐れ多いです」

 

言いながら僕はビールを注いだ。障子が開かれ、小料理がいくつか運ばれてきた。

 

「君はしっかりとタイムスケジュールを管理していたし、夜の酒席でも酔いすぎるということもなかった」

「恐縮です」

「おい、お前、褒められてるぞ」

 

高田が横やりを入れた。

 

「は、はい」

 

僕はそれ以上答えようがなかった。

 

「よく覚えているよ。視察の一日目は確か東北だったね」

「はい、一関です」

「岩手県か」

「左様です」

「シャッター街のような商店街で、浜野さんがラーメンを食べたいと言い出した時、ちゃんとラーメン屋を探してきた」

「ありがとうございます。インターネットで簡単に検索しただけで申し訳ありませんでしたが」

「たしか塩ラーメンの店だった。若い、黒スーツの男が、隣の席の女を口説こうとしていた」

 

言われてみて、僕も思い出した。篠崎代議士の記憶力に少し驚かされる。

 

「でも、あれはあまり良さそうな女じゃなかったね」

どっと笑いが起きた。高田と中津さんがその言葉に笑ったのだ。

「あのあと俺はホテルに帰って寝たが、君らはまだどこかへ行ったのか?」

 

僕は記憶の糸を手繰りながら答える。

 

「確か、ラーメン屋を見つけてきたお礼だと浜野議員に連れられて、小さなバーに行ったんです。商店街の外れの」

「そこはどうだった?」

「もう記憶があいまいですが、バーというよりも半ばスナックで、あまりお酒を飲めなかったような気がします」

「そうか、そうか」

 

篠崎代議士が笑った。

 

「翌日はどこへ行ったんだったかな」

「茨城です」

「そうだったな。茨城のどこだっけ」

「……大洗ですね」

「そうか。そうだったな」

 

いつの間にか空になっていた僕のグラスに、代議士がビールを注いだ。

 

「あ、恐れ多いです」

「気にするな。7年越しだがラーメンのお礼だ」

 

また高田と中津さんが声をあげて笑った。

 

「大洗でも君は大活躍だったな」

「そうでしょうか」

「そうだよ。ずいぶんと良い店を紹介してくれたじゃないか。海鮮の。美味いアンコウを食べたぞ。あれはどうした? 向こうの市の職員にでも事前に訊いていたのか? 根回しがいいな」

「あぁ、いえ、あの。僕の実家が大洗なんです」

「へぇ、そういうことか!」

 

篠崎代議士がいつの間にか右手にビール瓶を持っていた。先ほど空けたばかりだったような気がするが。

 

僕は「あの、先ほども注いでいただきましたし、こちらから注がせていただかないと」と言ったが、取り合ってくれなかった。

 

「気にするな、人に注ぐのが好きなんだ。ほら、早く空けろ」

「は、はい」

 

 大慌てでグラスを空にした。

そこになみなみとビールが注がれていく。

急速に摂取したアルコールで少しぼんやりとした頭が、既視感を伝えていた。

何かを過去に見たような。

……思い出した。

篠崎代議士の話し方だ。

10年前の決算委員会と同じだ。

この人はあの頃から、ある意味では変わっていない。

まずは『知らぬふり』をして質問するのだ。

そして、獲物が答えを言うのを待っているのだ。

 

もしそうだとすれば、彼が狙っていた答えは、大洗?

意味が分からない、と、首を振った。

酔いが回りすぎている。

僕が大洗出身だと聞いたところで、どうなるというのだ。

それに何の意味がある。

 

おそらく思い過ごしだったのだろう。

そこからは、何一つ根掘り葉掘り聞かれるということはなかった。

前半やや黙っていた高田が、酒が入ってきて饒舌になったのか、がぜん話し出し、僕は中津さんとの会話が多くなった。

中津さんは随分と愚痴っぽくなっていた。

あまり出世とは関係のないコースを自分で選ぶような生き方をしてきたはずだが、齢をとってふとそのことが空しくなった様子だった。

飲み会はきっちり2時間で終了した。

長引かなかったので、それなりに飲んだはずだが、飲み足りないような不思議な気分になった。

店を出るとき、篠崎代議士が言った。

 

「辻君はなかなか面白いよ。俺は気に入っているんだ。これからもちょくちょく飲もう」

「は、はい」

 

僕は頭を下げた。

10年前、山下は僕に篠崎代議士のことをいけ好かないと言ったが、僕は当時から、篠崎代議士にそれほど悪い印象を持ってはいなかった。

舌鋒鋭さや抜け目のなさが、単純に尊敬に値すると感じられたからだろう。

そんな彼と繋がりができたことが単純にうれしく、この飲み会の不自然さや目的について考えることをやめてしまった。

 

続く

 


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