自室に帰ってから、ジャケットを脱ぐとき、ポケットにチラシを入れっぱなしだったことに気が付いた。
くしゃくしゃになったそれを広げる。
今夜マンションに撒いたものとは違う、「大洗を新しくする会」のチラシだ。
僕はそれを小さくたたむと、バッグに入れた。
なんとなく気になったのだった。
階下から、70年代のロックが聞こえていた。
父がまだ音楽を聴いているらしい。
耳を澄ませると、Drift Awayという有名なヒット曲だった。
深い喪失感から抜け出すために、昔好きだったロックンロールを聞かせてくれというような内容の歌だった。
父は、何かに喪失しているのだろうか。
確かに、先ほどの様子は情緒不安定に見えた。
僕は、ベッドに寝転び、携帯でインターネットにアクセスした。
手持無沙汰だったのだ。
少し気が立って、眠る気にはならなかった。
なんとなく、県議会議員の木村雅彦のホームページを検索した。
芹澤と2連ポスターを作っていた男だ。
ホームページの下部に、「政治を新しくする会」という組織へのリンクがあった。
「大洗を新しくする会」と似た名称だ。
リンクをクリックする。
「政治を新しくする会」は、選挙のサポートをする任意団体のようだった。
理念は、「政治に新しい息吹を。既存の政治を刷新する力をサポートする」とあった。
所属する下部組織がずらりと並べられていた。
「吹田を新しくする会」
「由利本荘を新しくする会」
「都城を新しくする会」
「龍野を新しくする会」
「宇部を新しくする会」
「十和田を新しくする会」
地方都市の名前ばかりだ。
頭だけを挿げ替えた会の名称が並んでいる。
その中に、「大洗を新しくする会」の名前もあった。
……要するに、選挙のグローバリズムだ。
一見、地方都市から突き上げて自然発生的に出てきた組織のようなふりをして、上でつながっている。
チェーン店経営の手法だ。
新手の選挙商法だ。
恐らくは、この「政治を新しくする会」が、なんらかのマニュアル化された選挙ノウハウを持っていて、それを金銭で、各下部組織に売っているのだろう。
お金を払い、傘下に入れば、「○○を新しくする会」という名称を名乗ることができる仕組みなのだ。
そして、効果的なポスターの作り方や外回りの仕方などを教えてもらえる。業者の斡旋もありそうだ。
芹澤の行動は、初めての選挙にしては随分と立ち回りが洗練されていると感じた。
マニュアルがあるのだ。
とすると、誹謗中傷のチラシも、決まったフォーマットなのかもしれない。
「馬鹿げてる」
僕はつぶやいた。
※
月曜日を挟んで、火曜日がやってきた。
芹澤の出陣式だった。
朝早くに僕が選挙事務所の扉を開けると、芹澤はいつもよりも気合を入れてワックスで髪を固め、シャドーボクシングをしていた。
好戦的な表情をしていた。
「よぉ、お早う」
いつもの猫なで声がどこかに吹き飛んでいた。
やはり、あの声は作り物だ。
「おはようございます」
僕は頭を下げた。
「今日、帰るんだね」
「はい。東京で仕事に戻ります」
「わかった。ありがとう」
「いえ」
※
出陣式の時間が迫ってくると、事務所前は異常な熱気に包まれた。
70人ほどの支援者が、事務所のわきの空き地に集まってざわついている。
「そこそこ集まったな」
芹澤がつぶやいた。
戦車道のOG会の女性たちが、集まった人たちの名前をチェックしたり、お茶を出したりと、かいがいしく動き回っていた。
その中には竹谷さんもいた。
僕と眼があうと、小さく微笑んでくれた。
高級車がやってきた。
降り立ったのは、県議会議員の木村雅彦だった。
挨拶をするらしい。
他にも、一般の支援者に交じって、これまで見たことのない連中がいた。
一般的な市民とは違う連中だった。
身なりや雰囲気で、なんとなくわかる。
選挙の場に集まってくる特殊な連中だ。
この中には、もしかしたら、「政治を新しくする会」の関係者も交じっているのかもしれない。
僕にはどうでもいいことではあるが。
やがて、時間がやってきた。
事務所脇の空き地に、全員が集まる。
県議会議員の木村が、大仰な挨拶をした。
それから、僕の父、そして芹澤の大学校友会の支部長、戦車道OG会と続く。
やっと芹澤がマイクを握った。
「みなさん!」
あまりの大きな声に、ハウリングが起こった。
「すいません、力が入りすぎました」
頭を下げる。
上手く笑いをとった。
「改めまして、みなさん! 芹澤たかのりです。私は、この町を変えたいという一心で、ここまでやってきました。私は、一人っきりで町を回り、つぶさに、この町の現状を見てきました。自分自身のこの眼で、見てきたのです。ベテランの議員たちが、会議室でふんぞり返っている間、私は、足を棒にして、この町を歩き回りました」
おかしな物言いだった。
議員は会議をするのが仕事だ。
議員が会議をしている間、芹澤が町中を歩けたのは、彼が議員ではないからだ。
「その結果、はっきりとわかったのです。今、この町は、衰退している。仕事をしない、議員たちに、いいように食い物にされている。
このままでいいんですか? いいはずがありません。 人口は減少し、子供たちの数は減り、お金がないから、福祉もままならないのです。みなさん、このままでいいと思っていますか?」
「よくない!」
という声が上がった。
だが、芹澤が言っている言葉は、本当はどの地方都市にも当てはまる、構造上の問題だった。
議員云々というよりも、行政、もっと言えば、国の施策の方向性の問題ではないのか。
「ありがとうございます。よくないですよね。だから、私は、変えたいのです! この現状を変えたいのです! いいですか? 私は本気です。本気でなければ、たった一人で、こんなにリスキーな選挙に挑戦などしません! 私には、組織がありません。私は、どこにも属さず、体一つでやっています。勝てる見込みなんてほとんどないのです。それでも、この町を愛しているから、こうして、選挙に出る決心をしたのです!」
歓声が上がる。
だが、これも嘘だった。
実際には彼には組織がある。
本当に何もないなら、県会議員も、僕の父も、校友会も、OG会も、挨拶をしたりしない。
「皆様! 何の組織も持たない私には、今ここに集まってくださった皆様だけが頼りです! 皆様だけが、こんな、なにも持たない私を見込んでついてきてくれた方々なのです! 私は、そのことが誇らしいのです! 今ここにいる皆様! ぶれず、媚びず、本当にこの大洗の政治を変えたいと思って、ここに集まってくださった皆様! 皆様の力を、私に貸してください! 私は、頑張ります! 頑張ります! だから。 どうかこの選挙戦、一丸となって戦って、力いっぱい戦って、勝ち抜きましょう! お願いいたします!」
芹澤が大げさに頭を下げる。
ひときわ大きな歓声が響き渡った。
「頑張れ~!!」
人々の声が飛び交う。
よく見ると、覚龍軒の店主もいた。
裏で、馬鹿ジジィ呼ばわりされていることも知らずに、芹澤に声援を送っている。
だが、嘘ばかりだとはいえ、上手い演説だと思った。
ここに集まった人たちに向かって、「あなた方は、見る目がある特別な人たちだ」と宣言したわけだ。
支援者たちの意気込みは上がるだろう。
要するに芹澤は、政策の中身ではなく、支援者を鼓舞し、選挙戦を懸命に戦ってくれるようになることを念頭に置いて語っているわけだ。
戦車道OG会の女性が、マイクを替わった。
「さて、では、芹澤候補、いよいよ出陣です!! 力いっぱい、元気あふれて、若さで走ります!」
「いくぞぉ!!」
叫んで、芹澤が走り出した。
手を振りながら、通りを駆け抜けていく。
「それじゃ、俺も行くよ」
父が僕に声をかけた。
「どこへ?」
「選挙カーに乗るんだよ」
「あ、そう」
「こちらへ」
ガタイの良い、筋肉質の女性が父を手招きした。
芹澤の名前が書かれた選挙カーへ案内する。
女性も、戦車道OG会の様子だ。
「植月さん。砲手だったのよ。すごい筋肉でしょ」
いつの間にか後ろにいた竹谷さんが教えてくれた。
選挙カーのスタッフは、華やかさを意識してか女性ばかりだった。
それも戦車道OG会の、ガタイの良い女性ばかりだ。
その中に囲まれて父は、ひどく小さく弱々しく見えた。
「あれも、作戦のうちなんだって。芹澤さんの。女の子っぽい子ばかり乗ってたら、おかしな目で見られるから、そこそこ中性的な女性がご指定なの」
「ふぅん。難しいもんだね」
父が、頼りなさげに手を振った。
アナウンスが、
「さて、選挙カーも出発です! 芹澤候補を強く強く応援する、もと町議の辻が乗り合わせての出発です!!」
と叫んだ。
「よろしくお願いしまーす!」
「芹澤でーす!」
「よろしくお願いしまーす!」
車の窓から顔を出して、女性たちが口々に叫ぶ。
父はやはり、居心地が悪そうにマイクを握っていた。
なんだかその様子が、どこか遠くへ連れられていく囚人のように見えた。
続く
読んでくださってありがとうございます。
今回の小説で、一番描きたい場面が書けました。