辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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26  父の想い

実家に帰って夕飯を食べ、いまでテレビを見ていると、芹澤がやってきた。

いつもの光沢のあるスーツ姿ではなく、スポーツ用のジャージをオシャレにしたようなラフな服を着ていた。

Y3のロゴがあった。

清貧を気取る割にはブランド志向なのは相変わらずだった。

 

「さ、行こうか、廉太君」

「行くって、どこにですか?」

「チラシ配りだよ」

「あぁ、そういうと、まだでしたね。でもこんな夜から?」

「夜からがいいんだ」

 

芹澤が、父を見る。

 

「お借りいたします」

「あぁ、うん……」

 

ソファに座って本を読んでいた父が頷いた。

父が僕を一瞥した。

じっと瞳を見てきた。

何か言いたげだったが、言葉を発さなかった。

 

夜の街はしんと静まり返っていた。

月がぼんやりと空に浮かんでいた。

 

「さぁ、ノルマはこんだけだ」

 

どさっと、芹澤が両手に持っていた袋の一つを手渡す。

重い。

これ、中身はすべてチラシか。

 

「今日と明日しか配布できない。余ったってゴミだ。出来るだけ撒いちゃおう」

「どこで?」

「自転車はあるね?」

「えぇ」

「大洗リバーイーストっていうマンションがあるのを知ってるだろう? あそこに全戸配布しよう」

「えぇ? 今からですか」

「そうだよ」

 

平然と芹澤は言うが、リバーイーストは、かなり規模の大きいマンションだった。

タワーマンションというようなものではないが、マンションが3棟あり、それだけで一つの区画のようになっている。

 

「それよりも、もっと近いところに公団がありますけど……」

「公団は今一つだな。定住者が少ない。住民票が大洗じゃない可能性がある。どうせ配るなら、部屋を買い上げてる奴が多い、ファミリー向けのマンションを狙うべきなんだ」

「うぅ~ん」

「頼むよ。一人でやってると心が折れそうなんだ」

「……わかりました」

 

僕はため息をついた。

だが、昼に竹谷さんに言った言葉を思い出した。

約束したんだ。

頑張ろう。

 

リバーイーストに着く。

見上げるほどの大きさだ。

あまり大きい建物のない大洗において、それは目立つ存在だった。

暗闇の中に、コンクリートの壁が浮かび上がっている。

 

「さて、と。どうしようかな。3棟ある。まずは、こちら側を攻略しようか」

 

慣れた足取りで、右側の棟へと向かう。

 

「登ってちゃやってられんからな。まずはエレベーターで最上階へ行こう」

「はい」

 

11階で降りると、まだそこに階段があった。

 

「あれ?」

「ここはな、おかしなつくりをしているんだ。設備投資の節約か、エレベーターの停止階が奇数だ。偶数の最上階12階には、歩いて登る必要がある」

「はぁ……」

 

重い荷物を持ちながらえっちらおっちらと階段を上る。

 

「まぁ、撒けば撒くほど軽くなるさ」

 

二人で交互にマンションの扉についている郵便入れにチラシを差し込んでいく。

12階が終わると、足で一段降りた。

そこで一息つくと、眼前に素晴らしい景色が広がっていた。

11階から見える、大洗の海の景色だ。

ところどころ、港の灯りが点滅している。

停泊している学園艦が見える。

僕は息をのんだ。

 

「なんだ、見とれているのか?」

 

後ろで、芹澤が笑った。

 

「さ、行くぞ」

「は、はい」

 

二人並んで歩きだす。

 

「俺は、あっちの端から配っていく。君はそっち側から配ってくれ。真ん中で合流したら、下の階へ降りる。その繰り返しで行こう」

「わかりました」

 

 

さすがに手馴れているのか、芹澤の投函速度は速い。

僕は、真ん中よりも少し押された位置で合流する。

 

「遅いぞ」

「すいません」

「退屈だ、何か話せよ」

「え、特に話すようなことありませんよ」

「あっそ。じゃ、歌でも歌うか」

 

芹澤は、小さな声で流行歌を歌い始めた。

こんな姿、住民に見られたらどうするのやら、とか、迷惑はなはだしいとか思いながらも、僕は僕で黙って投函をしていく。

1階に降りるまで、ゆうに30分はかかった。

体が火照っている。

こんなに運動をしたのは久しぶりだ。

 

「さぁ。お疲れ。のこり2棟だな。俺はあっちを攻める。君は向こうを攻めてくれ」

「は、はい……」

 

肩で息をしながら答えた。

もう一度空を見上げると、風で雲が消えたのか、さっきよりも煌々とした月が輝いている。

その光が、無慈悲に見える。

たどり着くと、なんと、指定された真ん中の棟にはエレベーターがなかった。

 

「ま、マジかよ」

 

僕は絶望を感じながら、10階まで上る。

真ん中の棟は、他の棟に比べて小さい。

10階までしかない代わりに、エレベーターがないようだ。

これは、値段も安いだろう。

しかも、上っているうちに気が付いたが、少し特殊な構造をしている。

中2階というのだろうか。

建築に詳しくないので、どうなっているのかわからないが、階と階の間にも2件ほど部屋があるのだ。

そこには、左右それぞれの階段を通じてしか辿りつくことはできないから、結果的に全戸配布しようと思えば、いったん廊下伝いにすべて投函しつつ、左右どちらかの階段を使って一段階段を降りて、それからもう一度、反対側の階段沿いにある部屋に配らねばならい。

頭が痛くなるような作業だ。

途中から、自分が何階にいるのかよくわからなくなってくる。

まるでエッシャーの騙し絵の中に迷い込んだみたいな気分だ。

ふと、まだ灯りがついている窓の横を通った時、夜食でも食べているのか、ラーメンの香ばしい匂いがした。

猛烈な空腹感を感じる。

 

「くそっ!」

 

僕はつぶやいて、強引にチラシをポストにねじ込んだ。

 

かなり時間をかけて、汗だくになって投函し終えると、芹澤が涼しい顔で待っていた。

 

「お疲れ」

 

と、飄々とつぶやく。

 

「つ、疲れましたよ。まさか、エレベーターがないなんて。それに、中2階みたいなのがあって……」

 

言いながら、芹澤の後方にそびえる、マンションを見る。

芹澤が選んだ、左の棟だ。

そちらはいちばん大きく、14階建てだが、あきらかにエレベーターがあった。

それに、中2階のような構造はなさそうだ。

 

「あれ……そちらって、もしかして、エレベーター付いてました?」

「あ、そうだったのか」

 

あっけらかんと芹澤が答える。

 

「真ん中の棟にもついてると思ってたよ。気を遣って、いちばん小さい棟を君に任せたつもりだったんだけどなぁ」

 

まさか、分かったうえでやっているんじゃないだろうな。

そんな疑いが頭をよぎった。

だが、問いただす勇気はなかった。

そもそも、どう問い詰めても本音は言わないだろう。

 

「へとへとです。帰りましょう」

「そうだね、お疲れ」

 

彼は自転車にまたがると、夜食の一つおごってくれるわけでもなく、さっさと事務所に帰っていった。

今夜は事務所に泊まって作業があるらしかった。

 

僕は、家に帰ると、腹が立って、障子を強く引きあけた。

母が

 

「なんですか、行儀の悪い」

 

と非難の声を上げた。

 

「夜食つくってよ」

「え?」

「夜食。簡単なのでいいから」

「……わかりました」

 

母が素直に頷いた。

ジャーを開き、おにぎりを握りだす。

 

「久しぶりですね」

「なにが?」

「あなたが、不機嫌そうに無理を言うのがです」

「……そう、かな」

「えぇ。あなたは子供の頃から、子供らしくありませんでしたので。さ、できました」

「ありがとう」

 

バツが悪くなって、おにぎりを持ってさっさと退散する。

居間に行くと、父がまだ起きていて、ビールを飲んでいた。

ボブ・ディランの「女の如く」が流れていた。

ブロンド・オン・ブロンド。

最高の一枚だ。

 

「懐かしいね」

 

僕は、向かいのソファに座った。

おおにぎりを食む。

 

「何がだ」

「それ。ブロンド・オン・ブロンド」

「懐かしくなんかない。オールタイムのベストセラーだ。いつ聞いても古びてなどいない」

「それはそうかもしれないけど。僕が中学生になった時、洋楽をちゃんと聴きたい、教えてくれっていったら、父さんが最初に教えてくれたのが、ディランの『雨の日の女』とストーンズの『ブラウンシュガー』だったでしょ」

「そうだったかな。忘れたよ」

「結局、僕は父さんみたいに、マニアックにはならなかったけど。でも、ディランの『雨の日の女』の訳の分からない歌声は、ずっと耳にこびりついてるよ。『雨の日の女』が入ってるのが、このブロンド・オン・ブロンドだ」

「巻き戻して、かけようか?」

「いや、別にいいよ」

 

僕は笑った。

 

「なぁ」

「なに?」

「どうして、わざわざ選挙前に戻ってきた」

「どうしてって。父さんだって頼んだじゃないか」

「別に。はっきりと断ってもよかったんだぞ」

「そこまで嫌じゃないよ。戦車道のことがあるし」

「どういうことだ?」

「今、下火でしょ。だから、盛り上げたいなって」

「………………」

 

父は、何も言わなかった。

黙ってビールを飲む。

僕はおにぎりを食べ終わった。

 

「なぁ、帰れよ、お前」

 

口を開いたかと思ったら、そう言った。

 

「な、なんだよ、藪から棒に。せっかく帰ってきたのに」

「芹澤君のことは俺がやるから。お前は、用事ができたと言って、帰れ」

 

その言いぐさに腹が立った。

 

「いやだよ。帰るもんか」

 

僕は言い放ち、居間を出た。

父は、こちらに背中を向けたまま、ビールをあおっていた。

 

続く

 




チラシ配りだけでこんなに書くとは自分でも思いませんでした。余談ですが雨の日の女のエピソードは実体験です。中学一年生の夏休み、父が初めて買ってくれたCDでした。

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