電話の反応は全体的に悪くなかった。
もちろん、そっけない返事も多々あったが、悪意は感じられなかった。
訪問時とはずいぶんと違っている。
僕は芹澤の才覚にうっすらと恐怖心を覚えた。
彼は、訪問するついでに、その家庭のちょっとした困りごとを発見し、それを解決することによって信頼を得ている様子だった。
淡路家の樋の修理を筆頭に、庭の草むしり、家庭用品の買い出しの手伝い、子供の世話、老人の話し相手などなど。
それが政治とどう関係があるのかと思うようなことをやって回っていた。
だが、住民の反応は、「若いのに気が利く」「あれだけ細かいことを嫌な顔ひとつせずにやってくれるなら、政治家になってもきっちりと仕事をするに違いない」というような好反応だった。
また、芹澤は、自分が褒められるとついでに、他の議員の悪口を吹き込んでいくようだった。
「僕はこうして、目の前のことを頑張っているんですがね、ベテラン議員の○○さん。彼なんて、僕のことを馬鹿にするんですよ。そんな小さな御用聞きでどうするんだ、とかね」
芹澤は、行く先々で、「ベテラン議員が僕のことを邪魔する」とも語っているようだった。
もちろん僕は、そんな邪魔をされているところを見たこともなかった。
既得権益から攻撃されている意欲ある若者というイメージ像を作り出そうとしているに違いなかった。
41歳の若者。
僕には滑稽に感じられたが、町の人々はそうは思わないらしい。
電話をしているときに、能義という同級生の父親が出た。
彼は、息子は出張中だと伝えた後、こういった。
「給料泥棒のベテラン議員どもが悪さばかりしとるって書いてあるチラシを見たぞ。俺はあきれとるんだ。芹澤君ってのは、若くて新人だろう?応援してるよ。新人なら、悪事には染まっていないはずだからな」
以前から定期的にばらまかれている、ベテラン議員への中傷ビラが、ボディブローのように効いているようだった。
一年かけてばらまかれ続けたビラによって「既存の議員≒悪者」という印象が醸成されていた。
そこに登場する新人の芹澤は、批判なしに正義の味方に見える。
だからこそ、彼が個別訪問して、ベテラン議員に邪魔をされているとささやく言葉は、リアリティを持って受け入れられるのだ。
もっとも、芹澤は公然と現職批判をしている。
現職議員たちからすれば、憎むのも当然だろう。
彼らが腹を立てて暴言を投げつければ、それこそ芹澤の思うつぼだ。
周到に状況が作り上げられていた。
僕は、電話を終えて、リストをしまうために、棚を開けた。
そこには、「大洗を新しくする会」として発行したベテラン議員への中傷ビラの余りが仕舞い込まれていた。
とんだお笑い草だった。
「いじめられているんです。邪魔されてるんです」
と主張する芹澤の方が、他人の中傷をしている側なのだ。
最新のチラシを手に取ると、そこには芹澤の名前が載っていなかった。
体裁上、自分はビラをまいている団体とは直接的な関係はないというように見せた方が得策だと判断したのだろう。
そのやり方には、デジャヴを感じた。
どこかで、以前も、こんな卑怯なやり方を見たような……。
「廉太さん、お疲れ様」
気が付くと、竹谷さんも電話を終えていた。
「あ、あぁ、お疲れ様」
僕はあわてて、手にしていたチラシを握りしめた。
小さく丸めて、ポケットに入れた。
勝手に読んでいたことになんとなく後ろめたさを感じたのだ。
「電話作戦て、慣れないとつらいよね」
彼女は気が付かなかったようで、「疲れた~」と伸びをしている。
「そうだね。僕も、同級生って言っても、もう長いことろくに話していないやつも多いし」
「あぁ~。その辺、私の方が楽ですね。いまでも戦車道の友達とはほとんど付き合いあるし。基本的に部活の仲間だから、結束固いし。あ、食べます?」
「ん?」
「おやつに、干し芋」
「ありがとう」
二人して、干し芋を噛む。
固くてぐにぐにとした独特の食感が懐かしい。
「…………………」
「…………………」
会話が続かない。
しばらく、無言で二人、干し芋を食む。
「あ、そうだ!」
唐突に竹谷さんが声を上げた。
「廉太さん、戦車道、お好きだって言ってくれてましたよね?」
「あ、あぅ、うん」
「あの、私たち大洗のチームのPR動画を作ったんです! よかったら見てくれませんか?」
え~っと、どこに入れたかな、とつぶやきながら、彼女はバッグを探り、一枚のDVD―ROMを取り出した。
盤面には、「大洗戦車道 発進!」とプリントしてある。
「高校の放送部の子たちに協力してもらって作ったんです。もし見たら、感想とか聞かせてください」
「竹谷さんは映ってるの?」
「え、私? う、映ってませんよ~。映ってたら恥ずかしくって渡せませんって。あくまで、高校の戦車道のPR動画ですから! ちょっとでも盛り上がってほしいから、もらってきて、こうやって知り合いに配ってるんです」
「そういうことか。オッケー、見ときます」
「はい!」
僕はそれを自分のバッグに入れた。
「でも、前もちらっと話が出たけど、そんなにPRしなきゃならないぐらいに、その、盛り上がってないの? 戦車道」
「まぁ……その。結局、好きな人はすごく好きっていうスポーツなんですよね。だから、地域が力を入れてアピールしたり、強豪校が存在したりっていう状況じゃないと、なかなか一般的な人気は獲得できないっていうか。その、ここだけの話なんですけど。選択科目じゃなくなっちゃったら、大洗の高校の戦車道自体、しぼんで消えちゃうかも……」
意気消沈した顔で、干し芋の残りをもそもそと食む。
僕は、何か勇気づける言葉を発したくなった。
だが、僕に何が言える?
僕がどんな力を持っている?
僕は今、大洗に住んでさえいない。
「その、僕……。何か力になりたいなって思うよ。これは本当の気持ち。実はその、あんまり、芹澤さんのこと、好きじゃないんだけどさ。彼は、戦車道のこと頑張ってくれるみたいだし。今回の選挙、できるだけ、応援するから」
そうだ、僕にもできることがある。
せめて、大洗にいる明後日までは、選挙の応援を一生懸命しよう。
「ありがとう……」
竹谷さんが微笑む。
その瞳はしっとりと濡れていた。
涙ぐんでいるのだ。
僕は何となく気恥ずかしくなって上を向いた。
竹谷さんが、「どうしたの?」という表情をしている。
「あ、な、何でもないんだ。あと、そうだ、君さ、僕が何の仕事してるか知ってるよね?」
「えと、国のお仕事……役人さんですよね?」
「うん。だから、政治家とかさ、知り合いがいっぱいいるから。戦車道の応援できるように、僕も、僕なりに頑張ってみるよ」
「あ、ありがとう!」
ギュッと、温かい感触。
今度は、手を握られた。
彼女にはそんな気はないのだろうけど、僕はどぎまぎする。
手はすぐに離された。
「私も、頑張らなきゃ! 戦車道の友達だけじゃなくて、もっと古い友達にも、電話かけてみるね!」
意気込んで受話器へと向かう。
僕はそんな彼女の様子を微笑ましいと思った。
続く