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「そういうと、芹澤さん、それはなんですか?」
芹澤が持っていた、デパートの紙袋に目をやる。
「あぁ、これか。事務所開きの告知だよ。これを入れてまわっている」
芹澤が、小さな紙を取り出す。
そこには、火曜日の告示日の日程と、選挙事務所の位置、事務所開きおよび出陣式の時間が書いてあった。
「事務所開きをして、当日ガラガラだったら情けないからな。いっちょ大きく打ち上げないと」
言いながら、道すがらのポストに投函していく。
「そんな風に適当に投函して、人が来るもんなんですか?」
「いや、もちろん来ないよ」
あっけらかんと言う。
「来るわけないでしょ。急にチラシ入ってても。来てくれそうな人には直接電話作戦をしてるよ。執拗なくらいにね。こっちのチラシは、いわば名前を売るため。俺という人間の名前をちょっとでも覚えておいてもらうためさ」
「あぁ、そういうことですか」
「当日は、高坂先生にも来てもらう予定だ。あとは、俺の出身大学の交友会の支部長、そして戦車道ОB会の面々にも挨拶してもらう。それからもちろん、君のお父さんにも」
「そんなにたくさん?」
「多い方が良いんだよ。高坂先生は元国会議員だ。拍が付く。出身大学の学友会は、俺以外にもう一人同じ大学の出身者の候補がいるからな。そいつじゃなく、俺のモノだって知らしめるためにも、支部長のあいさつは必須だ。戦車道もそうさ。俺のモノだと世間に知らしめなきゃいけない!」
芹澤の目はぎらついていた。
「そして、出陣式が終われば速攻に外回りだ。君のお父さんには選挙カーに乗ってもらう。俺は足で歩くぞ。町中を歩いて、若くて威勢が良くて、自力で頑張っているというアピールをするんだ。車なんぞには乗らん。同時進行で、徹底的な電話作戦だ。戦車道ОB会の女の子たちに、可愛い声で電話をかけまくってもらう」
なるほど、芹澤は、人員配置をしっかりと考えてるらしかった。
とても初めての出馬だとは思えない。
秘書時代に培ったセンスなのだろうか。
「出陣式の後、俺はマイクも持たずに歩くから、廉太君は後ろをついてきてくれ」
「え、僕が?」
「そう、君が」
「いや、戦車道ОB会の女の子の方が良いのでは?」
「なに言ってんだ。若い女性を連れて歩いていてどうする? 軟派者かと思われるぞ。俺の陣営はОB会以外はロートル爺ばっかりだ。君みたいな若い男が支援している様子が欲しいんだよ」
「は、はぁ」
まるで僕たち一人一人を道具のように表現する芹澤に少し腹が立ったが、選挙前で気が立っているのだろう。
「それと、こういう風にチラシを投函できるのも、月曜日までだ。投函を手伝ってもらうぞ」
言いながら、名刺と事務所開きのチラシを渡してくる。
「俺は左サイドのポストに入れていく。廉太君は右サイドを」
僕たちは、道の両脇を歩きながら、ポストに投函し続けた。
やがて、例のショッピングモールにたどり着いた。
「今日は人が多いですね」
「学園艦が寄港しているからね。大洗の飛び地扱いだから、学園艦に居住している人たちにも住民票はある。20歳を超えていたら投票できるんだから。こうして選挙前には寄港するならわしだろう?」
「あぁ、そういうとそうですね」
制服姿の少女たちの集団が楽しそうに語らいながら僕たちの横を通り過ぎて行った。
彼女たちには選挙など関係ないのだろう。
僕たちは、モールを通り過ぎ、近くの路地に入っていく。
商店街の名残のように、ちらほらと個人商店が点在するバス通りに芹澤の選挙事務所があった。
「さ、着いた。ここだ」
かなり老朽化した建物だった。
見たところ、閉店した駄菓子屋を改造したようだ。
そういえば、小学生の時に何度か、ここに駄菓子を買いに来たような記憶がある。
腰の悪いおばぁさんが店をやっていたはずだ。
かつては商店の名前が書かれていたであろう屋根のプレートには、芹澤の名前が書かれ、それは薄い白い布で覆われていた。
「まぁ、ほんのちょっとした気休め程度の抵抗だよ。告示日まで名前は出せないんだが、透けた布で覆って、ちょっと見えるようにしているんだ」
自嘲気味に笑う。
「ここって、確か、駄菓子屋ですよね?」
「おっ、よく覚えてるね。そうだよ。駄菓子屋だった。もうだいぶ前に閉店したがね」
「おばあさんは?」
「あのバァさんなら死んだよ」
「そうですか」
「あ、お疲れ様です」
華やいだ女の子の声が聞こえた。
事務所から顔を出したのは、戦車道OG会の竹谷さんだった。
以前、夜道を一緒に帰ったあの女性だ。
「ここ、彼女の家なんだ」
「へ?」
僕は間抜けな声を上げた。
「あ、廉太さん。お久しぶりです」
竹谷さんがぺこりと頭を下げる。
「そうなんです。ここ、私の家なんです。亡くなったおばぁちゃんが横で駄菓子屋さんやっていて」
言われてみると、駄菓子屋の店舗の隣に、もう一軒民家がつながっている。
「お店だった方はもう、ずっと閉めっぱなしで。売ろうにもこんなちょっとした土地じゃ値が付きにくいし、横が住んでいる家だから、取り壊すのも難しくって」
「へぇ……。僕、子供の頃、ここにお菓子買いに来てたよ」
「え? 本当!?」
竹谷さんが嬉しそうに手を合わせる。
「じゃ、私、子供の頃に廉太さんと会ってるかも。小っちゃい時、よくお店でおばぁちゃんに遊んでもらってたから」
「それはさすがにないんじゃないかな。僕と竹谷さんだと、齢が離れすぎてるよ」
「廉太さん、いまいくつですか?」
「36歳」
「あぁ~。じゃぁ、私より15歳も上なんですね。小学生の時だと、私生まれてないか」
「そうみたいだね」
「まぁ、外で立ち話もなんだから、入りなよ」
「あ、はい」
芹澤に促されて事務所の敷居をまたぐ。
中はほとんどがらんどうだった。
駄菓子を置いていた棚などはすべて取り払い、古い家屋特有のひび割れたコンクリートの地面がむき出しになっている。
「靴のままでいいから」
「あ、はい」
壁中に、芹澤のポスターが貼ってあった。
ところどころに、『為書き』もある。
為書きの中には、町長のものもあった。
「あれ? 芹澤さん、町長には反対なんじゃ?」
「あぁ、まぁ、敵を作りすぎんようにな。初めての選挙だ。どっちの色もなくても問題視されない」
だが、芹澤はチラシや演説で堂々と町長批判をしているはずだ。
まるで、笑顔でドロップキックをかましているようなやり方だ。
そんな僕の内心を見透かしたのか、
「向こうだって、選挙に通りそうな奴がいたら、一人でも自分の陣営に欲しい。今のうちに媚を売ってるのさ。為書きがもらえるってことは、俺が当選圏内の可能性があるってことだ」
「へぇ」
「まぁ、通ったところで、町長にはつかんがな」
ほくそ笑んだ。
「さて、廉太君、とりあえず、茶でも飲みながら話を聞いてくれ」
「あ、お茶、いれますね」
竹谷さんがぱたぱたと奥へと引っ込んでいった。
やがて、熱いお茶が二つ用意される。
僕はそれを口にする。
「今日の予定なんだが、君には、チラシ配りと、明後日の出陣式のお誘いの電話をしてほしい」
「チラシ配りはいいですけど、お誘いの電話って?」
「ほら、前に紹介してくれた同級生たちがいるだろう?」
「あぁ……でも、反応が芳しくありませんでしたし」
僕としては、もう一度あんな風な冷たい反応をかつての同級生に取られるのが嫌だった。
「大丈夫、大丈夫。俺がちゃんと回っといたから」
「はぁ……」
「電話は、夜遅いと失礼になる。チラシ投函は夜にやる。電話が優先だ」
「わ、わかりました。でも、あまり嫌な返事が多いと、途中でやめますよ」
「いいよ、それで」
芹澤があっけらかんと答えた。
「ある程度、目星はついてる。表を作っといた。×が書いてるのは電話しなくていい。しがらみがあったり、特定の党の熱烈な支持者だったりする奴だ。それ以外を電話してくれ」
「え? そんなの分かるんですか?」
「俺が足で会いに行って、話して、確かめたのさ。君が帰ったあとね」
「そ、そうなんだ……」
「あと、電話はあくまで、名前を売るためのものだ。出陣式への出席を無理強いしなくていい。さらっとしたものでいいから、言い方は竹谷さんに教えてもらってくれ」
芹澤はそれだけ言い残すと、どこかへ歩いて行った。
部屋には、僕と竹谷さんだけが残された。
「あ、お茶、飲んじゃってください」
「あ、う、うん」
お茶をすする。
僕は表を見た。
そこには、去年僕が紹介した、僕の同級生たちの名前がずらりと並べられていた。
そこには、もちろん、吉中さんの名前はなかった。
僕はそのことに安堵感を覚えた。
表の名前の横に、評価欄が作ってあって、それぞれに○だの△だの×だのが書いてあった。
理由もさらっと書いてある。
例えば×の欄には、氏子だの赤だの労組だの親戚だの書いてあった。
何らかの組織に属していて、揺れる余地なしという意味だろう。
親戚は、特定の議員の親せきという意味か。
僕は、彼らが同級生とはいえ、そんな情報を一つも知らなかった。
この表には、僕の知り合いのことを、僕が知っているよりも詳しく書いてある。
そのことが、少し気持ち悪かった。
「あの、廉太さん……」
「あ、ご、ごめん、ぼんやりしてた」
「あ、いえ。お仕事で疲れてるんじゃ?」
「いや、大丈夫だよ」
竹谷さんが心配そうに覗き込んできた。
「えと、それじゃ、二階に言って一緒に電話しましょうか」
「二階?」
「そう。電話は二階にあるの」
急な階段を上り、二階へ。
普通の部屋というよりも、ほとんど屋根裏部屋のようなものだった。
天井が低い。
「狭くてごめんね」
竹谷さんが頭を下げる。
「あ、いや、別に」
表情を読まれただろうか。
「あの、電話は、二台あるから。私はこっちを使うから、廉太さんはそっちを使ってね」
「わかった。竹谷さんも、電話するの?」
「うん。でも、その表じゃないですよ。私は私の友達に。戦車道の時の友達」
「そういうことか」
「あまりしつこいと、逆に嫌がられるから。私が一つ電話するから、見ててね」
竹谷さんがダイヤルを回す。
「あ、こんにちは。芹澤選挙事務所の竹谷です。うん、そう。高校の時の。私。あのね、前にもお願いしたと思うけど、戦車道をすごく応援してくれている候補がいて。うん。うん。そう。明後日が出陣式だから。うん。お願いします」
ガチャリと受話器を置く。
「こんな感じです」
「わ、わかった」
僕もダイヤルを回す。
中学の時に親しかった、淡路という男が出た。
「あ、えと、その。お久しぶり。覚えてるかな。その。中学の時の同級生の辻です。あの。選挙のお願いで。えと、ほら、前に一度家に行ったと思うんだけど……」
「あぁ、芹澤さんだろ」
「え?」
「ん? 違うのか?」
「あ、あぁ、いや、その通りなんだけど」
予想外の反応に僕は戸惑った。
「えと、その。明後日、出陣式だから」
「わかった。行けたら行くわ。あ、でも明後日か。平日だな。俺仕事だわ。すまん。投票には行くから」
「え? あ、ありがとう」
「あのあとさ、あの人うちに何回も来てさ。溝の掃除とか、樋が折れたのとかさ、直したりしてくれたのよ。あんなふうにこまめに動いてくれる人なら、信用できるからね」
「あ、そ、そう」
驚きながら、次の電話をする。
伊庭。こちらも中学時代の友人だ。
電話口に出たのは、伊庭の妻だった。
彼女は、小学生の息子に、グローブをくれたと喜んでいた。
スポーツ店の余剰在庫だから、と、芹澤がこっそりくれたらしい。
明らかな選挙違反にも感じられたが、もらった方はそんなこと考えてもいないらしい。
芹澤のことを、優しいいい人だと称賛した。
もちろん、好感触で、事務所開きは、夫は仕事だけど自分は暇だから、参加すると言った。
僕はめまいを覚えながら受話器を置いた。
続く