辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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17 外回り

翌朝、朝9時半ちょうどに芹澤がやってきた。

彼は相変わらず、光沢のある黒いスーツに身を包み、髪をワックスで固めていた。

フェリージの革のバッグから、クリアファイルを取り出した。

 

「なんですか、これ?」

「俺のプロフィールが書かれた冊子と、名簿。とりあえず、あいさつに行ったら、このプロフィールは絶対に受け取ってもらうんだ。これがないと、俺のことを覚えようもない。あと、こっちの名簿だけど」

 

白黒のペラペラの紙の上部に『芹澤たかのりを応援する会 名簿』と書かれていた。その下には簡単な彼のプロフィール。下半分が切り取り線で分けられていて、『紹介者』欄と『紹介された人』の欄があり、住所氏名・連絡先を書くことになっていた。

 

「芹澤という字が読みにくいという人もいてね。片仮名にするべきかどうかを悩んでるんだよ。でも、孝徳もタカノリと読みにくいんだ。両方片仮名だと滑稽だしなぁ」

「そうですか……。これ、大洗を新しくする会の名簿じゃないんですね」

「それで名簿をとったって、俺の名前を覚えてもらえないだろう? これはあくまで、俺の名前を覚えてもらうためのもの。

それに、嫌々でもなんでも、一度名簿に名前を書いたら義理が生まれるからな」

「なるほど」

 

僕は頷いた。

 

「この、紹介者の欄はとりあえず廉太君の名前を書いてくれたらいいよ。んで、今日廻ってくれる友達の名前と住所と電話番号を、こっちの紹介される側に書いてくれ」

「今ここで?」

「違う違う。勝手に書いたら、個人情報がどうのこうの言われるぞ。そっちは必ず、本人に直接許可をもらって、その場で書いてもらうんだ。渋ったら、置いていって、後日取りに行く」

「後日って、僕、そんなに頻繁に大洗に帰りませんよ」

「それは俺が自分で行くよ」

 

僕は彼のプロフィールが書かれた冊子を見た。

それはA4サイズの二つ折りで、表紙には前面に芹澤の顔のアップ。

拳を握りしめたこれからボクシングでも始めそうなポーズを、背広姿でしている。

『41歳 若さ溢れる挑戦! 大洗を新しく!!』

とキャッチフレーズが銘打たれていた。

41歳で若さを謳うことに僕は苦笑してしまいそうになったが、地方の選挙というのは、そういうものなのだろう。

中を開くと、左半分に、これまでの経歴、右半分に、簡単な政策の抱負が書かれていた。

経歴には、やはり衆議院の事務所で働いていたこと、大洗のスポーツ店で働いていることが書かれていた。

大洗に長く勤めていることと、政治への知識があることが、強調されていた。

ふと、若い頃の生い立ちに目が行った。

『中学生時代に、両親が離婚。父は、その後、長距離トラックの運転手を続け過労で亡くなる。極貧の中、苦労を重ねた生活だった。』と書かれていた。

続いて『若い頃の、極貧生活が、僕の基礎です。あの頃の苦労があるからこそ、清貧でいられます。お金に対する欲望がありませんし、他人のために尽くすぞという気持ちが生まれました』と書いてあった。

僕はもう一度、芹澤の革バッグを見た。

フェリージの銀の刻印がある。

清貧をきどる男が、フェリージのバッグか。

 

チラシの右側の政策欄には、おなじみの『議員給与のカット・定数の削減』が書かれていた。どちらにせよ、スペースがあまりないので、あれこれ書きようはなさそうだ。

ただ、せめて、カットして生み出した財源で何をするのかぐらいは書いておいてほしかった。

裏を向ける。

そこには、『私たちが応援します!』と書かれ、何人かの写真が掲載されていた。

『大洗を新しくする会 顧問』の名義で、父の写真があった。

戦車道OG会の写真もあった。

 

「さ、行こう」

芹澤が僕を急かした。

「あ、はい」

二人して、自転車にまたがった。

 

友人を紹介するといっても、たかが知れている。

僕は、もともとそんなに友人が多い方ではないし、進学を機に大洗を離れている。

そのままもう20年近くが経過しているのだ。

記憶を頼りに、友人の家を回っていくが、そのほとんどが不在であったり、すでに引っ越していたり、家そのものが建て替わっていたりした。

ベルを押し、たまに出てきてくれても、選挙の頼み事だと聞くと、黙ってドアを閉められたりした。

僕はそのうち、ベルを押すのが怖くなってきた。

そんな僕の様子を感じ取ったのか、芹澤が、「そろそろお昼も近い。休憩しようか」と言った。

僕は正直、助かったと思った。

 

二人して、公園のベンチに座り込んだ。

 

「すいません、あまり、芳しい返事がもらえなくて」

「いやいや、こんなもんだよ、こんなもん。むしろ、マシなぐらいだ。数人はチラシを受け取ってくれただろう?」

「まぁ、そうですが」

「俺一人で、ランダムに訪問したりしたら、怒鳴られたり唾をかけられたりすることもあるぜ。一応知り合いってだけでも全然マシさ」

「…………そ、そうなんですか」

 

僕は、少しだけ芹澤のことを見直した。

この肝っ玉の強さは、僕には絶対にないものだ。

 

「その、芹澤さんは、普段はひとりでランダムに訪問するんですか?」

「時と場合によるかな。出来ればそりゃ、人に紹介してもらって一緒に回った方が良いに決まっている。強力な名簿を持っている人だっているし。でも、一人で回ることも多いな」

「す、すごいですね」

「やらなきゃならないことだからな。そうだ、知ってるか?」

「なんですか?」

「戸別訪問っていうのは、名目上禁止されていてな。いろいろとルールがあるんだぞ。ほとんど誰も気にしていないけどな」

「ルール?」

「そう。軒先から敷居をまたいじゃいけないんだ。訪問したことになる。外に出てきてもらって会うのは、家に入っていないから立ち話と一緒だからオーケーだ」

「へぇ……」

「あと、連続して隣の家に行くのも駄目だ。一軒間を開けなきゃいけない」

「わ、訳の分からないルールですね」

「ルールが訳が分からないわけじゃない。俺たちが屁理屈をこねて、ルールの隙間を利用してるんだよ」

 

芹澤が立ち上がる。

「さてと、あと少し頑張って訪問したら、昼飯を食いに行こう」

「は、はい」

 

午前中の訪問では、一軒として名簿をとることができなかった。

三十軒ほどを回り、会えたのが十軒ほど。

うち、話を聞いてすらもらえなかったのが七軒で、一応チラシを渡すことができたのが三軒ほどだった。

 

「ここで昼飯を食おう」

 

と芹澤が指差した先は、古びた中華料理屋だった。

色あせた黄色いビニール製のオーニングに覚龍軒と書いてある。

その文字もほとんど消えかかっていた。

中に入ると、数名の客がラーメンをすすっていた。

 

「お、いらっしゃい!」

 

少し目が悪そうな老人の店主が、大きな声を上げた。

 

「今日は外回りかい?」

「そうなんです。それで、親父さんの中華が食べたくなって。中華定食二つね」

「よう言うわ。ありがとよ。中華定食二つ!」

 

「ここ、よく来るんですか?」

「そうだね。親父さんに良くしてもらっててね」

「そうなんだよ。この人、よ-がんばっとるからね」

 

調理を終えた親父さんが、会話に入ってきた。

 

「やっぱり、若い人が政治を変えんといかん。これからは。耄碌したジジィ議員じゃどうにもならん。若い人が、税金ドロボウの議会を変えてくれんと!」

 

老人が老人の批判をしている様が少し滑稽に見えたが、黙っておく。

 

「あ、そうじゃ。チラシ、まだ余っとるかの」

「えぇ、もちろんです」

「そこのお客さん、このチラシ、持って帰っておくれ」

 

強引に、ラーメンをすすっているサラリーマン風の男に手渡す。

男は迷惑そうにしながらも、仕方がないといった風情でそれをビジネスバッグに閉まった。

 

「今の議会が悪いから、わしみたいな、一人で仕事をして歳とって報われん人間が出てくるんじゃ。ほんに、芹澤君に変えてもらわんといかん!」

 

唐突に語り始める。

客たちは黙ってラーメンをすすっていた。

中華定食は、意外に美味だった。

 

料理を食べ終え、店を出ようとすると、老店主がチラシを差し出してきた。

名簿のチラシだった。

三枚分、びっしりと名簿が埋められていた。

 

「わし、頑張ったぞい」

 

誇らしげに笑う。

 

「もっと追加の紙はないかのぉ?」

「もちろん、ありますよ! ぜひよろしくお願いいたします」

 

芹澤が嬉しそうに新しい紙を手渡す。

 

「店主のおかげです。僕、本当に頑張って、住みよい町に変えていきますので!」

 

馬鹿丁寧なぐらいに頭を下げて、店を出る。

僕は茫然として、

 

「すごいですね」

 

とつぶやいた。

 

「あぁ。店に来る人来る人に無理やり名簿を書かせてるからな。このうちの半分ぐらいは、嫌々書いただけの偽住所だ。ほら、見てみろよ、これ。下北沢なんて書いてあるぞ。大洗のどこに下北があるってんだ」

「あ、本当ですね。でも、本当にすごいなぁ。芹澤さんの大ファンなんですね、あのおじいさん」

「ただの政治好きのじじいだよ」

 

芹澤が冷たく言い放った。

 

「齢食って、一人身になって、自分が惨めだと思ってるんだ。んで、不景気で店も暇になってきたから。なんかに注ぎ込んでストレスを発散したいんだよ。そういう奴だから、こういうネタには喜んでのっかかるんだよ」

「え?」

「そう思わないか? 廉太君」

「あ、いや、その」

「君、国で働いてるんでしょ。頭廻るでしょ。理解できるでしょ?」

「ま、まぁ、その」

「よかった。理解してくれて。さぁ、続きを回ろう。休憩は終わり、終わり」

 

芹澤が口笛を吹きながら自転車にまたがった。

 

その後、午後二時半まで、僕たちは町を回った。僕の交友関係なんて、たかが知れている。中学校区内でほとんどすべてだ。そして、そのほとんどはやはり、無駄打ちだった。

ただ一軒、吉中さんの住所を訪問するのだけは気が引けた。

その人は、僕が高校一年生の時、少しだけ仲良くなった女の子だった。

おとなしく、内向的な雰囲気の子で、僕と似たもの通しだった。

お互い気があって、付き合うか付き合わないかの狭間ぐらいまで行ったのだが、結局、僕は勉強に本腰を入れたかったから、付き合わなかった。

僕はずっと気まずい思いを抱いていた。

彼女の家があったあたりを訪問した時、ちらりと表札を見た。

相変わらずそこには、『吉中』という苗字が張り付けてあった。

高校生の頃、一度か二度、遊びに行ったこともあった。

懐かしさやら、甘酸っぱさやらがこみ上げた。

『吉中』という苗字がまだその家にあっても、彼女がいるかどうかはわからなかった。

もう結婚して、どこか別のところで暮らしているかもしれない。

この家には、親が住んでいるだけかもしれない。

僕は、芹澤には紹介せず、素通りした。

ただ、彼の目を盗んで、自分の名刺だけをポストに放り込んでおいた。

 

「さて、と。今日は本当にありがとうね」

 

芹澤が、猫なで声で言った。

 

「いえ。なんか、勉強になりました。選挙って大変なんだな、って」

「いやいや、望んだ道だからね」

 

僕たちは、握手をして別れた。

六時間ほど一緒に外回りをすると、不思議な連帯感が芽生えたような気がした。

僕は、いったん家に帰ろうかと思ったが、なんだかそれも億劫になった。

もう、大洗はいいや、というような気分になっていた。

荷物を持って出ていて幸いだった。

そのまま、鉄道に乗り込み、夜になる前に、東京のマンションに帰った。

留守番電話にメッセージが残されていた。

再生すると、吉中さんからの伝言だった。

 

続く

 


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