その日の夜は、自宅でゆっくりしたいと思っていたのだが、芹澤が「夜、一緒に飲もうよ」と提案してきた。
僕は首を横に振りたかったのだが、生来の押され弱さで、結局承諾してしまった。
父も、「良いじゃないか、若者たちで交流を深めてきたら」と言った。
「廉太君、戦車道のOG会の方たちも来るよ」
と、芹澤が言った。
「うらやましいな。廉太、せっかくだから恋人でも作ったらどうだ」
と父が笑った。
僕は別段うれしくはなかった。
戦車道で輝いている女の子たちは、僕にこれまで勇気をくれていた。
憧れのようなものはあったが、それと、実際にお近づきになるという生々しさとは、少し違っていた。
一方、心の中で、OG会がどのように選挙に関わっているのかを知りたいという好奇心もあった。
夜の19時に、芹澤が迎えに来た。
後ろには、戦車道のOG会の女性4人がいた。
それぞれが、大園、前田、竹谷、元木と名乗った。
4人の中に先ほどの渡良瀬さんはいなかった。
4人とも、20代前半ぐらいに見えた。
「こういう時期だから」
と芹澤が言い、水戸まで出ることになった。地元で飲んでいるところを見られたくない様子だった。
「やっぱり、ほらね。まだ無名だけどさ、女性と飲んでいるところを見られたくないじゃない」
「はぁ」
それはそうかもしれないが、面倒だ、と僕は思った。
せっかく帰郷したのだから、自室でぼんやりしたかった。
水戸に着くと、予約していたらしい、駅前の居酒屋に直行した。
東京にもあるチェーン店の海鮮居酒屋の個室だった。
僕たちはビールで乾杯し、刺身盛りをつついた。いったい僕は何をしているのだろう……と思った。
大洗まで帰ってきたはずが、訳の分からない連中と、東京と同じような居酒屋で美味くもない刺身を食べている。
「廉太君、もう一杯飲むでしょ?」
「え?」
言われてみて気が付くと、ビールが空になっていた。
考え事をしながら、ぐいぐいと飲んでしまっていたらしい。
僕の返事を聞かずに、芹澤が新しいビールを注文した。
「強いんですね~!」
隣に座っていた元木と名乗った女性が言った。
「べ、別にそういうわけじゃないよ」
仕事以外で、20代前半ぐらいの女性と話す機会などなかった。僕は戸惑っていた。
「その。仕事の付き合いで時々飲むだけで。今日は、その、たまたま」
「あれ~」
目の前で芹澤がニヤニヤとしていた。
「廉太君、もしかして、女性は苦手だったりする?」
「え~! 照れてるんですかぁ~?」
右斜め前にいた、大園と名乗った闊達そうな女性が食いついてきた。
「そ、そんなことは、ないよ」
「うわっ! なんか可愛い~!」
「え、いや、可愛いなんて」
その時やっと追加のビールが来た。
僕はいたたまれなくなってそれに口をつけた。
「おっ、やっぱりいける口だね、廉太君」
芹澤が楽しそうに言った。
「どんどん飲もう」
「そ、その。そこそこでお願いします……それよりも、戦車道のOG会のみなさんこそ、お酒はかなりお強いんじゃないの?」
「え~、どうだろう」
大園さんが頬に手を当てる。
「体育会系だし、飲むんじゃないかと」
「飲まないことはないですけど、そんなに飲んでたら体つくれませんし~。止めてからはそこそこ飲むけど~」
「ねぇねぇ、辻さんって、お酒強い子が好きなんですかぁ?」
竹谷という、ショートカットの女性が僕に問いかける。
「そ、そういうわけじゃないけど」
「辻さんて聞くと、なんか辻先生のことみたい! 廉太さんて呼ぼうよ~」
それまであまり口を開かなかった前田さんが急に提案する。
「あっ、それいいね! 廉太さん」
「え、えと……」
僕が戸惑っていると、芹澤が、
「おっ、廉太君、うれしそうだよ。ほら、みんなで、呼んであげたら?」
と冗談めかす。
「「「「せーの、廉太さ~ん」」」」
黄色い声が4重奏になった。
僕は、たぶん行き場のない苦笑いをしていたのだと思う。
しばらく酔ってくると、芹澤が、酒の入った赤ら顔で隣の女性に注ぎながら、自分語りを始めた。
「俺はね、昔から、本当に戦車道が好きでねぇ」
大園さんが、酒を注ぎ返す。
「本当は、男もできるスポーツだったら、俺自身がやりたかったぐらいだよ」
女性たちが、「え~」とか「やだぁ~」とか、笑い声を上げる。
「いやいや、本当なんだ。
俺のね、親戚のおばさんが、もともとは戦車道をやっていたんだ。
それが、ある試合で負けてしまってから、すっかり自信喪失してまったく駄目になってしまってね。
もともとがそこそこ評価のあった人だったから、コテンパンに非難されてしまった。
悔しかったなぁ。
俺はそのおばさんが好きだったから、本当に悔しかった。
俺が代わりに乗ってあげられたら、って思ったよ」
どことなく真摯な物言いに、笑い声が途切れる。
彼は両隣の女性に酒を注ぎながら言った。
「戦車道ってのは、本当に危険なスポーツだよね。
いくら、安全に配慮されているといっても、不慮の事故もあるし、精神的な負担だって大きいよね。
それでも、頑張って、輝いているみんなは本当にすごいよ。素晴らしいと思うよ」
いつの間にか、戦車道OG会の4人はふざけるのをやめて聞き入っている。
「俺はね、だから、戦車道を頑張る人たちには、もっと、今以上に危険手当をつけてあげたり、予算をとってあげたりするべきだと思うんだ。
それが、いったいなんだい、現職の議員どもは。予算の削減、予算の削減、そればかりじゃないか。命がけで頑張っている女性たちの邪魔をしたいのかっていうんだ!」
ぱちぱちぱち……と、小さな拍手が聞こえた。
酒に酔って頬をほんのり赤く染めた元木さんが、拍手したのだった。
続いて、残りの3人も拍手をした。
「ね。みんなで、しっかり芹澤さんを応援しようよ!」
前田さんが決意の声を上げる。
「うん! チラシに書いてる通り、現職の議員はバカばかりだもん! 私利私欲に走る奴らを、芹澤さんに倒してもらわなくちゃ!」
大園さんの宣言に、そうだ、そうだ!と、皆んな口々に言い始める。
「大丈夫だよ、俺、頑張るから!」
芹澤が、涙ぐんだような声を出した。
「辻先生がついてくださっているし、廉太君だっているんだし」
みんなの目が僕の方を向く。
「あ、えと、その。まぁ、頑張ります……」
場の空気に押されて僕は頷いた。
「ありがとう!」
大園さんが、僕の手を握った。
「廉太さん、芹澤さんのこと、助けてあげてくださいね!」
「う、うん」
「頑張ろう、廉太君。それで、戦車道の危険手当をもっとちゃんと支給できるような町にしようよ」
「そうですよ! 大洗の戦車道は、他市に比べて弱すぎです。もっともっと行政が力を入れて、設備投資して、強くしてくれなきゃ!」
だいぶ酒に酔って、ろれつが回りきらない口調で、前田さんが叫んだ。
「絶対、絶対強くするから! 約束だから!」
芹澤が答える。
「ねぇ、廉太君、どうか、どうか、俺を勝たせてくれよ! 頼むよ!」
そう言いながら、僕の背をたたいた。
僕も、酒が入っていたからだろう。
「もちろんです」
と、つぶやいた。
「ほ、本当かい。だったらさ、その。君の同級生とか、地元の友達を紹介してくれないか? 明日、もし時間があったら一緒に回ってほしい」
僕は、少し考えた。
僕は芹澤と、そこまで深入りするべきなのだろうか……。
僕は、ビールを見つめた。
その水面に、山下の顔が映ったような気がした。
先日、山下と飲んだ時、彼は僕が篠崎代議士と関係を深めることに苦言を呈した。
僕はそのことが少し気に食わなかった。
最近、やっと前向きになろうと決意したのに、出鼻を砕かれた気分だった。
だったら……東京から離れた、この地元で、何かと関係性を持とうとするのも、悪くないかもしれない。
どうせ何をしたって、東京に知られはしないんだ。
僕は、頷いた。
「わかりました。少しぐらいなら、いいですよ。明日、自転車で回りましょうか。15時ぐらいまでなら。その代わり、昼飯でもおごってください」
「ありがとう!」
芹澤が僕に抱き着いた。
それからも芹澤は次から次へと酒を飲んだ。
僕も女性陣も、つられてペースを上げた。
実質の飲み会の時間は2時間半ぐらいだったが、いつもの倍ぐらい飲んだような気がした。
ウィスキーをちびちびと楽しむ山下との飲み会とは全く違うし、篠崎代議士たちとの飲み会ともまた異なっていた。
かなりふらついた足で大洗駅に降り立った。
「じゃぁな! 明日の朝9時半に家に行くから!」と、芹澤が叫んで、駅の反対方向に消えていった。
4人の女性陣のうち、竹谷というショートカットの女性だけが、家の方角が同じだった。
彼女は、酒に強いのか、それとも自分のペースを崩してしなかったのか、そこまで酔っているようには見えなかった。
黙って夜道を歩くのもおかしな感じだったので、僕は問いかけた。
「芹澤さん、すごい君たちと仲がいいんだね」
「……まぁ、昔からの付き合いだから」
「スポーツショップの?」
「そうです。あの人、ほら、気さくでしょ? 私たちが何か買いに行くと、いつも声をかけてくるの。でも、スポーツショップだから、いろんなもの売ってるし。戦車道にあんなに入れ込んでくれてるって知ったのは最近」
「え? そうなの?」
「はい。一年ぐらい前かな。私の家に来て。どうしても選挙に出て、戦車道を盛り上げたいって」
「あれ?」
でも、父の選挙の時も、票をまとめたって言っていたような。
「あの、でも、戦車道って、うちの父親の時代から、選挙ではいろいろ動いていたんでしょ?」
「うぅん、どうなんだろう。辻先生が選挙に出ていたころは、私まだ選挙権なかったからあんまりよく知りませんけど。でも、戦車道の先輩は確か、西出っていう議員さんの応援をしていたよ?」
「え? そうなの?」
「はい。あ、でも、トマトスポーツ用品店……あ、芹澤さんのお店です……はどうだったのかな。私が高校生の頃……辻先生のポスターと西出先生のポスターの両方貼っていたかも」
「へぇ……」
そういうと、父が、戦車道はもともと別の議員のものだったと言っていたような。それを、芹澤が動いて突き崩したとか言っていたっけ。
「でも、私がよく知らないだけだと思います。これまであんまり選挙には興味なかったから。ちょっと前まではスポーツのことしか考えてなかったし。卒業して、やることなくなっちゃって。
それで、新しいことに興味持ったって感じなんです。
その……戦車道、すごく下火だし、その……後輩のためにも、頑張りたいなって。ほかのみんなも、同じ気持ちじゃないかな」
「あの、戦車道、今はそんなに下火なの?」
「はい。少し、古臭いって。女の子のたしなみだって言われてるけど、もう、流行じゃないんです。お茶の間を沸かせるほどの有名選手もいないし。特に、もともとあまり盛んじゃなかった大洗では、もう、必修選択科目でもないんですよ」
「あ、そうなんだ」
「はい。私が卒業した少しあとぐらいから。それぐらい、人が集まらなくなってきてるんです。だから、その。芹澤さんの主張には、私たち、共感するし、すごく、その、勇気づけられるんです」
竹谷さんが、僕の手を握った。
「あの、どうか、お願いします。私たちと一緒に、選挙、戦ってください」
「う、うん……」
僕は頷いた。
大洗に帰った時ぐらいしか何もすることはできない。
そもそも、僕は役人だ。
そんなに表立ったことは本当はするべきでもない。
だが、せめて明日は頑張ろう。
そう思った。
続く