辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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12 山下

篠崎代議士に気に入られていると自覚してから、物事に対するスタンスが変化していた。僕ももう30代後半だ。できることから逃げずに、何でもやろう。そんな気持ちが芽生え始めていた。4月が終わりかけたころに、再び見知らぬ番号から着信があった。

 

「もしもし。辻です」

「廉太君、元気にしてた?」

 

粘り気のある猫なで声は、明らかに芹澤のものだった。

 

「芹澤さんですか?」

「覚えていてくれてうれしいな。今何してるの?」

 

それは夜の21時で、僕は仕事の合間にコンビニエンスストアで缶コーヒーを買おうとしているところだった。

 

「まだ仕事なんですけど、少し休憩に外に出ています」

「煙草?」

「いえ、煙草は吸いません。缶コーヒーを買おうかと」

「そうなんだね。お父さんはお吸いになるのに」

「そうですね」

 

そんなことは息子の僕が一番知っている。

 

「それで、要件はなんでしょうか?」

 

ついつい、少しキツイ言い方になった。

だが芹澤は気にした様子もなかった。

 

「それなんだがね、唐突なんだけど。ゴールデンウィークは忙しいかい?」

「ゴールデンウィークですか? 日にもよりますが。出勤のない日もありますけど」

「そうか。よかった。あのさ、どうだろう。また大洗に帰ってくる気はないかい? お父さんとお母さんも喜ぶと思うんだけど」

「はぁ……」

 

訳が分からなかった。

なぜ芹澤が父と母の気持ちの代弁をしなくてはならない?

 

「いや、先日ね。廉太君が東京へと戻った後でお父さんやお母さんと話す機会があって。その時に、お父さんもお母さんも君がもっと頻繁に帰ってきてくれたらいいのにって言っていてね」

「あ、そうなんですね」

 

ほんの少しだけ心に温かいものがにじんだ。

 

「で、お父さんから託されたんだよ。僕は廉太君と齢が近いでしょ。だから、仲よくしてやってくれって」

「そうですか。ありがとうございます」

「それで、このゴールデンウィークに、お父さんにサプライズをしてあげたいなと思って。戻っておいでよ、大洗に。きっと喜ぶよ」

 

少し戸惑ったが、興味深くもあった。

先日久しぶりに帰郷をして、予想外に故郷を見直すことになった。このポジティヴな気持ちを維持したいという思いがあった。

ゴールデンウィークか。

一泊ぐらいなら、完全な休みが取れなくはない。

僕は、

 

「少し考えさせてください」

 

と言った。

 

「そう。わかった。気持ちが決まったら連絡してくれ」

 

芹澤が電話を切った。

僕の気持ちはおおよそ決まりかけていたのだが、一度で承諾することが何となくできなかった。

缶コーヒーを選び、レジに持っていく。

レジに立っていうアルバイトの青年は、いかにも大学生ですという雰囲気だった。彼もまた、地方出身者なのかもしれない。家を離れ、この東京という集積回路の中で暮らしているのかもしれない。珍しくそんな、感傷的なことを考えた。

部署に戻ろうと、庁舎のエレベーターに乗りこむと、山下がいた。

 

「おっ。辻ちゃん」

 

昔と変わらない明るい声を上げた。

彼と顔を突き合わせるのは3年ぶりだった。

以前より少し痩せ、髪型が中年らしくなっていた。

 

「久しぶりだな」

「本当にそうだわ。辻ちゃん、まだ仕事遅くなりそう? 飲みに行く?」

「え、今日?」

「そっ。久しぶりに顔見たら飲みたくなった」

「お前、奥さんいるだろうが」

「今日は遅くなるって言ってるから大丈夫だよ。んで、どう?」

「そうだな……」

 

頭の中で、残った業務を換算する。

 

「残ってはいるけど、かたずけるのは明日でも構わない内容だからな。キリのいいところで終わらせるよ」

「いいねぇ、話が分かるねぇ。んじゃ、45分後ってことでいい?」

「あぁ、電話する」

「オーキー・ドーキー」

 

きっちり45分後、庁舎を出ると夜の街灯りは美しかった。東京は広い。ビルに囲まれているようでありながら、風がきっちりと流れるほどの空間の広さがある。大洗の夜とは大違いだ。

 

「お待たせちゃん」

 

山下が楽しげにやってきた。

 

「どうよ、久しぶりに俺のドクターの店に行こうぜ」

「まだ潰れてなかったんだ、あの店」

「だって俺の主治医だぜ、潰れてたら俺が死んじゃう」

 

駅の裏手を500メートルばかり繁華街通りとは逆の方向に歩くと、5階建ての雑居ビルがある。

そこの3階に入っている、ややオーセンティックなバーが山下のお気に入りだった。

彼はその店のマスターを『俺のドクター』だの『俺の主治医』だのと戯れに呼んでいた。

僕も、山下と仲良くなった10年前には、連れられて何度か顔を出していた。懐かしくもあった。

 

「お久しぶりです、マスター」

「あ、いらっしゃい」

 

あまりしゃべる人ではないが、丸みのある目つきをしたマスターは、年齢がよくわからなかった。

僕たちが通い始めた10年ほど前、30代の後半ぐらいであるように見えたが、今日久々に会っても、それぐらいの年齢にも見える。

 

「こんにちは」

「いらっしゃい」

 

僕に対しても小さく微笑んでくれたが、覚えているのかどうかはわからなかった。

二人並んでカウンターに腰掛ける。8人並ぶことができるカウンターには誰も客がいず、後ろ手のテーブル席に一組の中年男女がいるだけだった。

 

「何にします?」

「俺はノッカンドーをロックで」

 

山下は酒が好きで、いつもウィスキーを飲む。

僕はあまり詳しくはないので、以前と同じように

 

「なにか、スコッチでハイボールを」

 

と適当に注文をした。

 

「そうですね、では、このホワイトホースの旧ラベルはどうですか? 現行のものよりも飲みごたえがあると思います」

「お願いします」

 

僕たちの前に、手際よく注がれたアルコールが差し出された。

 

続く

 


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