辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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100《最終話》 帰るべき場所

海を見つめているうちに、いったいどれだけの時間が過ぎ去ったのかわからなかった。

ひどく長い時間だったような気もするし、とても短かったような気もする。

時計を確認するつもりはなかった。

僕は立ち上がった。

そして、つぶやいた。

 

「さようなら。篠崎さん」

 

その小さな穏やかな海は、僕の言葉を吸い込んでいく。

 

 

 

 

大気が冷たくなり始めていた。

もう午後から夕刻に変わりかけているのかもしれない。

砂浜をゆっくりと歩いて戻り、道路に出た。

臨海線をずっと西へ歩くことにした。

そのうち打出駅にたどり着くはずだ。

こんなに歩いたのは久しぶりだった。

足が悲鳴を上げ始めていた。

それでも、無理やり歩き続けた。

空が茜色に染まっていった。

棚引く雲を見て単純に美しいと感じた。

その空を眺めていたおかげで、僕は歩き続けることができた。

やがてたどり着いた駅前には申し訳程度の商店街が、ちょこんとあった。

高校生ぐらいのグループが、楽しそうにじゃれあってアーケードを駆けている。

小さな女の子が、父親に手を引かれている。

篠崎さんも、こんなふうにしてこの街で育ったのだろうか。

彼の実家は、香櫨園から打出の間だったという。

もしかしたら、今日、気がつかないうちに前を通ったかもしれない。

 

 

 

 

ホテルに戻ると、すっかり夜になっていた。

カウンターには、中年のホテルマンがひとり佇んでいた。

エントランスの照明が暗いので彼の表情はハッキリと読み取れなかった。

薄暗いホテルのカウンターとホテルマン。

まるでつまらない絵画のように見えた。

僕は彼にゆっくりと歩み寄り、言った。

 

「申し訳ないけれど、明日以降の予約はすべてキャンセルしたいんだ」

 

ホテルマンは口をぽかんと開けた。

よく意味がわからないという表情だった。

僕は彼に表情があることを知り妙に安心した。

台帳を調べ、僕が連泊客である事を認識すると、困った表情を浮かべた。

 

「キャンセル料金がかかってしまいますが」

 

僕は構わない、と答えた。

 

 

 

 

部屋に戻り、バッグを床に置いた。

煙草を取り出して、火を付けた。

芹沢とやりあった夜に買った煙草がまだ残っていたのだ。

ゆっくりと吐き出すと、白い煙が部屋に充満し、やがて消えていった。

ベッドに腰掛けた。

僕はいま、大洗に帰りたくて仕方がなかった。

故郷の空気が吸いたい。

ずっと自分が遠ざけて、忘れようとしていた町。

父も母も家も失い、もう戻ることはないと思っていた町。

何もない、古ぼけた漁港の町。

そこに帰りたくて仕方なかった。

こんな気持ちになったのは、何十年ぶりだろうか。

僕は目を閉じた。

まぶたの裏に海が見えた。

子供の頃に見た、大洗の海が、磯の匂いを伴い飛沫をあげていた。

 

 

 

 

 

 

いつのまにか、眠ってしまっていたらしい。

外が妙に騒がしかった。

カーテンを開くと、朝の光が目を刺した。

眩しさに目を細めた。

ゆっくりと瞳を開くと、窓の下の光景が飛び込んできた。

大通りに人の群れがあった。

色とりどりの旗が振られ、賑やかなパレード音楽が流れていた。

幾台もの戦車が、ゆっくりと通りを北上している。

 

〝心を一つに! 勝利を目指そう!!〟

 

勇ましい言葉が描かれた垂れ幕が、戦車の車体から垂れ下がっている。

 

「……戦車道のイベントか」

 

僕は呟いた。

2年後の世界大戦に向けて、各地で行われていることは知っていた。

しかし、なんてタイミングだ。

こんな日に遭遇するなんて。

軍服を可愛らしくアレンジしたような衣装に身を包んだ女の子たちが、戦車から身を乗り出して手を振っていた。

きらきらと陽光を受けて、彼女たちはとても眩かった。

彼女らの無垢な姿は、30年前に下宿の部屋で見たDVDの中の映像と何ら変わりがない。

この世界は同じテーゼを延々と繰り返している。

 

パァン。

 

高らかに弾ける音がした。

一瞬銃声かと思い僕は身震いした。

だがそれは、祝砲だった。

晴々とした秋空に、色とりどりの祝砲が上げられていく。

僕は、カーテンを閉めた。

 

 

 

 

荷物をまとめ、ロビーへ降りた。

ロビーは人でごった返していた。

観光客の群れ。

戦車道のイベントが目当ての客たちだ。

チェックアウトする僕に、若い女性のホテルマンが微笑んだ。

 

「お客様、運がよろしいですね」

「え?」

「今日はちょうどパレードですから。お帰りの際に、ぜひご覧になってください」

 

僕は曖昧に苦笑した。

なんの悪意もない彼女に、どう返答すれば良いのかわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪完≫

 

 

 

 




これで、物語は完結となります。

100話という長い物語、そのうえ、おじさんたちしか出てこない物語を、ここまで読み続けてくださって本当にありがとうございました。

今作は、「本当にこんなにゆっくりとした展開で、読み続けてくださる方がいらっしゃるのだろうか?」という恐怖や葛藤とともに書きました。

完結まで書きつなぐことができたのは、本当に、アクセスしてくださった皆様、お気に入り登録してくださった皆様、感想や評価をつけてくださった皆様のおかげです。

ポリティカルサスペンスを書きたいという想いで書き始めた今作ですが、最終的には物語は、辻さんが自分なりの心の答えを見つけるという位置に収まりました。

ガルパン本編とはかなりかけ離れた作品になってしまいましたが、ガルパンが女の子たちの努力や苦労や葛藤や友情を描いているように、大人たちの努力や苦労や葛藤や友情も、画面からは見えないところに潜んでいたのではないか、と思い、書き続けました。

いかがでしたでしょうか。

少しでも、皆様が楽しんで読んでくださっておられれば嬉しいのですが。

さて、少し休憩して、次作に取り掛かろうと思います。
まだ何を書くかは考えておりませんが。

勉強させていただきたいので、今作に対する、ご意見、ご感想など、お待ちいたしております。

ありがとうございました。


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