堕ちた星 めざめよと呼ぶ声あり   作:ルシエド

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「無駄だと分かっていて……それでも守るのか?」

「それが……ウルトラマンだとでも言うのか!?」

―――ある世界のアグルの叫び


炎の海で焼かれよ、我が魂

 三倉田晶の葬式はつつがなく行われた。

 

 悲しみの涙を流す晶の両親が居た。

 怪獣を口汚く罵る人が居た。

 語彙が尽きてもアグルを責め続ける人が居た。

 怪獣を根絶する決意を固めている人が居た。

 晶とは赤の他人同然の関係なのに、それでも若くして死んでしまったことに同情し、嗚咽を漏らしている人が居た。

 

 そんな人達の中で、晶の両親と同じくらいに憔悴している青年が居た。

 涙は枯れ、目の周りは赤く腫れ、顔色も悪い。周囲の人間が思わず遺族でもないその青年を気遣ってしまうほどに、その青年は摩耗していた。

 晶からその青年のことを聞いていた両親が、晶の死をその青年が心底悲しんでいることに対し、感謝の言葉を述べる。

 

「ありがとう。娘が好きになった人が、君でよかった」

「あの場所に居た、貴方だけでも生き残ってくれて、娘も喜んでるはずよ……うぅっ……」

 

 全ての言葉が。

 全ての光景が。

 全ての参列者が。

 全ての悲しみが。

 怪獣と人の共存を望み、それを晶に肯定され、その晶を自ら踏み潰した彼の心を穿って削る。

 

(僕に、ここに居る資格は無いのに)

 

 殺した人間がどの面下げてここに居るというのか。彼はそう考えている。

 権之介が言葉巧みに情緒不安定な羽次郎を説得していなければ、彼は晶の葬式に来ることもなく、警察署辺りで狂人扱いされていたことだろう。

 自分がウルトラマンで人を殺したなどと言う人間を、警察は"大切な人を亡くして狂った人間"として扱い、「君は悪くない」だのなんだのと理由を付けて、やんわりと羽次郎を家に帰したに違いない。

 

(でも、僕は……僕が殺したあの子のことを、ちゃんと……)

 

 バードンの生態が明らかになり、ガイアの名声はより高まり、怪獣排斥論者は更にその勢いを増していた。

 逆にバードンを庇い、人間を踏み潰したアグルに対して、世間の風当たりは更にその厳しさを増している。

 世界中にアグルを責める人達が居た。

 晶の関係者は、そのほとんどが"アグルが晶を殺した"とアグルを罵った。

 それら全てを、羽次郎は事実として受け止めていた。

 

 受け止めるたびに、彼の心は軋んでいた。

 

「羽次郎君」

 

「……部長」

 

 憔悴している羽次郎に、金田権之介が気遣いの声をかける。

 彼は葬式に相応しい黒色の格好をしていたが、金の髪、碧の瞳、優雅な立ち振る舞いで、服装に縛られない絢爛さを発揮していた。

 憔悴した青年と絢爛な青年。二人はこんな時にも対照的だったが、今日の権之介はいつもの彼が演技なのではないかと思えるくらいに、真面目な物腰と話し方を見せていた。

 

「悲しむなとは言わない。

 後悔するなとは言わない。

 その痛みも悲しみも、君だけのものだ。君の財産だ。だけど」

 

 何一つとしてふざけていない権之介の姿が、相対的に今の彼が悲しみの中に居るということを如実に語っていた。

 

「『さよなら』はちゃんと言いたまえ。

 葬式は、生者が死者にさよならを言うためにある。

 死を受け入れ、いつの日かそれを生者が乗り越えるためにあるんだ」

 

 静かに、枯れた涙が流れ出す。

 羽次郎は、ただ悲しかった。辛かった。苦しかった。痛かった。

 "もう一度会いたい"と彼がどんなに願っても、叶える神はこの世に居ない。

 人が神に例えるウルトラマンの力を持つ彼でも、叶えられない願いがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは地球防衛隊本部。あらゆる攻撃に耐え、あらゆる外部からの盗聴を防ぎ、鼠一匹入れない……そういう目標点を定めた施設の一室だ。

 太陽の光すらも入れないという徹底された防備の部屋だが、その内側は人工の光で満ちている。

 その一室で、権堂隊長と石堀チームリーダーは、あまり公にできない類の作戦――密談――についての話をしていた。

 

「リドリアス、そしてアグルの対処ですか。隊長」

 

「ようやく裏の話し合いが着いたらしい。

 加え、アグルの変身者が特定されたことが大きかったようだ」

 

「変身者……飛鳥羽次郎ですか」

 

 ガイアと光太郎の関係性が最初から明らかになっていたことで、地球防衛隊はアグルにも変身者が居るということを大前提として知っていた。

 監視カメラなどの情報、人の目撃情報、アリバイなど、各種情報を集めてすりあわせていけば……時間はかかるが、変身者は特定できる。

 それが、政府のバックアップを受けている公的機関の強みだ。

 

「上はなんと?」

 

「アグルは殺害せよ、との通達が来た」

 

「!? 隊長、上がそこまで過激な指示を出すということは……」

 

「アグルが邪魔をすることで、ガイアが死んでしまうかもしれない。

 アグルが守った怪獣が、ガイアを殺してしまうかもしれない。

 ずっと上層部にも言われていたことで、ずっとお前が言っていたことでもあるだろう」

 

「……」

 

「来るべき時が来た、ということだ」

 

 地球防衛隊はとうとう、上の指示でアグルを怪獣と同列の排除対象として認定した。

 そのためならば、アグルが人間の時を狙うことすら辞さないようだ。

 

「上はアグルを危険視している。

 権力と金がある者ほど、怪獣の被害を恐れるものだ。

 そして、"ウルトラマンの逆襲"を恐れるものだ。

 アグルによる怪獣の尊重。それは人間への失望と絶望が生まれれば、最悪の方向に転がりうる」

 

「……まさか。アグルが怪獣との共存のため、人類の選別と排除を始めるとでも?」

 

「上はそれを懸念している。アグルは、人類の敵に回り得るとな」

 

 アグルがもし、自分の邪魔になる人間やガイアの排除を始めたら?

 "怪獣を受け入れない狭量な人間は殺す"と主張し始めたら?

 最悪、地球に人間なんて醜い生き物は要らない、だなどと言い始めたら?

 そう恐れている権力者が居るということだ。

 人間とは変わるもの。

 特に、悪い方に変わる時は転がり落ちるように変わるものだ。

 社会の裏側を知る者達は、その事実をしっかりと認識している。

 

「俺個人の考えを言わせてもらうのなら、アグルの排除は賛成です。

 理想的なのは殺さないことですが、最悪殺してでも排除しておきたい」

 

「ほう」

 

 石堀は若くして戦闘機小隊(チーム)のリーダーを任されるほどの男だ。

 そして彼は、年の近い光太郎と親友の関係にある。

 

「今回、とうとうバードンというウルトラマンを即死させる怪獣が現れました。

 しかも地球怪獣です。

 同種の危険性を持つ怪獣が後何体地球に潜んでいることか……」

 

 石堀は、光太郎を心底心配しているのだ。

 ウルトラマンガイアとして戦う彼に感謝し、気遣い、その手を汚してでもガイアの負担を減らそうとしている。

 

「アグルは危険です。

 悪意はない。だから余計に危険なのです。

 今回もし、アグルの介入の結果ガイアが毒を流し込まれていたら……」

 

「ガイアが死んでいた可能性もあった、と。石堀、お前はそう言うわけだな」

 

「……はい」

 

 石堀視点、怪獣排除は民意の反映であると同時に、危険の原因を取り除くことで行うリスクコントロールという側面も保っている。

 怪獣被害をゼロにしたいだけなら簡単だ。

 怪獣を皆殺しにすればいいのだ。

 存在しない怪獣は事件を起こさず、怪獣を生かしている限り怪獣が事件を起こす可能性はゼロにはならないのだから。

 

 それは例えるならば、"犯罪を起こすかもしれない人間はとりあえず全員死刑にしておく"という非人道的な防犯意識に近い。

 ただし、これは人間に対し行えば問題だが、『人権が無い』怪獣に行う分には、そう問題でもない事柄であったりする。

 現在、人を殺したことを罪とする法律はあるが、怪獣を殺したことを罪とする法律は無いからだ。怪獣を殺した責任を、殺害者が問われることはない。

 資格などのハードルはあるものの、害獣を殺しても罪にはならないのと同じである。

 

 石堀が減らしたいリスクとは、すなわち人間社会のリスクであり、ガイアが抱えさせられているリスクなのだ。

 そのリスクは現状、怪獣を絶滅させることで激減させることが可能であり、アグルを排除することでも削減できる。

 『怪獣を守るウルトラマン』というのは、彼視点それほどに大きなリスクとなっているのだ。

 

「石堀。光太郎がそれを望んでいなくてもか?」

 

「……奴がそれを望んでいなくても、です。

 もしも、上からの命令でアグルを殺さなければならなくなった時。

 もしも、アグルのせいで大きなリスクをガイアが背負わなければならなくなった時。

 俺は奴の怒りを買うとしても、アグルを殺ります。光太郎は人間を見捨てられない男です」

 

「ああ。だからガイアは警戒されていない。

 あれは人間にとっての敵にはなれても、根本的に人間を敵とみなせない男だからな」

 

 ガイアはアグルを気遣いすぎている。石堀はそう思っていた。

 バードンの一件は何か一つ噛み合わなければ、アグルの行動の結果としてどちらかのウルトラマンが死ぬ結果に終わっていただろう。

 もしもそうなっていた場合、ガイアが死ぬ確率は1/2。コイントス感覚でガイアは死んでいた。

 

 石堀はガイアへの仲間意識から、ガイアが手を差し伸べようとしているアグルの排除を志向している。

 アグルが怪獣を見捨てられないのと同じように、ガイアも人間を見捨てられないのだ。アグルという人間を含めて。

 光太郎のためを思い、光太郎に恨まれ憎まれることも覚悟の上で、光太郎が救おうとしている人間を排除しようとしている石堀。

 そんな石堀を見ながら、権堂隊長は何かを考えている様子で、腕を組み直した。

 

「私個人の主張としては、アグル排除も怪獣排除も賛成しかねる」

 

「隊長……」

 

 意外な話だが、権堂隊長は怪獣との共存を望む人間だった。

 怪獣排除派の旗頭であり武器でもある地球防衛隊のトップが、怪獣との融和を望む人間であるということは、石堀も知っていた様子。

 石堀は、隊長の言葉に眉をひそめていた。

 

「だが私は立ち位置で言えば軍人だ。軍人は政府の指示で動く。

 政府は民意を反映する。故に我々の武力は、民意の反映で無くてはならない」

 

「……申し訳ありません。さきほどの自分は、私情で殺そうとしていました」

 

「うむ」

 

 諌めるような隊長の言葉に、石堀は少し熱くなっていた頭を冷やす。

 命令で殺すのはいい。

 だが、そこに私情を挟めばいつかどこかで進む方向を間違えかねない。

 

「軍人は私情で引き金を引いてはならんのだ。

 我らは人々が打ち倒したいと願ったものを撃つ。それが人であってもだ」

 

「……」

 

「我らの仕事の本質は、人々が行おうとする人殺しの代行。

 すなわち、しなければならない殺人の罪を代わりに背負うことにある。

 殺すという罪を、人々に背負わせないために、我らは戦う力を振るうのだ」

 

 『殺してくれ』という民衆の願いを合法的に叶え、人を殺すという罪を代わりに背負ってこそ軍人。

 

「さて……だが、最近の上は少々暴走気味だ。アグルの殺害は控えたいところだな」

 

「いいんですか? 先程の軍人が何とやらというのは」

 

「『現場判断』だ。殺害による不可逆の変化は、少し様子を見てからにしたい」

 

 だが、逆に言えば。彼らは集団心理から生まれた殺意が取り返しの付かないことをする前に、ほんの少しの可能性を残せる人間でもある。

 

「対怪獣弾はもちろん使わない。

 貫通力でなく破壊力を重視し体内で止まる弾丸も同上だ。

 我々が使うのは、人体を大して破壊せず貫通していく弾丸だ」

 

「負傷は最低限にして捕縛しろ、と?」

 

「そうだ。上の命令に逆らわない範囲で彼を救うには、これしかない」

 

 上が殺せと言っている。

 現場は殺せば何か決定的な終わりを迎えてしまうと判断している。

 なので、『上の言う通り殺そうとしました』『銃弾は当たりました』『でも殺せませんでした。現場判断で捕えました』『現在治療中で引き渡しはできません』という最初の流れを作って誤魔化す必要がある。

 

「どの道、保護する必要はあった。

 正体が判明した時点で、アグルは非常な危険な立場になったのだから」

 

 そこまでしなければならないくらい、今のアグルの立場は悪かった。

 社会はアグルを笑えないレベルで非難している。

 痛めつけて捕縛したという結果報告がなければ、権堂隊長よりも上の人達は、アグルが生き続けることを絶対に認めない。

 

「もう世界の流れは変わらないだろう。

 これが変わるには途方もない時間が流れるか、神の奇跡に等しい何かが必要だ」

 

「神の奇跡、ですか」

 

「それを起こせるとすれば、ウルトラマンだけだろう。

 だがガイアはともかく、アグルにその力はない。

 人の心に訴え、人に変革を促す力が、アグルの方にはまるで備わっていない」

 

 ここ一年、アグルのスタンスとガイアのスタンスは、社会の風潮もあってガイアの方が強く支持されてきた。

 だがそれは、ガイアのスタンスが今の社会に合っていたという、単純な一言で説明できるものではない。

 ガイアはアグルより、"人を惹き付ける力"が強かった。

 人間を社会という水面(みなも)に投げ込まれた小石に例えるのあら、ウルトラマンは水面(みなも)に投げ込まれた巨石にあたる。

 

「ガイアとアグル、両者には明確な違いがあります。上手くは言えませんが」

 

「石堀。それは『光』の強さだ」

 

「光……?」

 

 その"人を惹き付け人間社会に影響を与える力"を、権堂隊長は『光』に例える。

 

「暗闇の中に放り出され、その中で一条の光を見たなら、人はそれを目指して歩き出す。

 虫は光に引き寄せられる。

 旅人は星の光を頼りに歩く。

 光は命を引き寄せ、魅了し、導き、時にその目を焼いて盲目にすることすらある」

 

 それは『強さ』や『能力』とは違う、心の強さと姿勢から生まれ来る光。

 

「そこを見るのならガイアとアグルの違いは一つ。

 ガイアの(こころ)が、アグルの(こころ)より強いのだ。

 ウルトラマンの光が、光太郎の言う通り心の光であるのなら、それは―――」

 

 今のままでは、アグルは何も変えられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は夢を見た。

 彼女の告白に答える夢だ。

 僕のことが好きだった彼女に、僕も好きだとちゃんと答える夢だった。

 恥ずかしさを噛み殺して僕は返事を返して、彼女も恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにして、何度も頷く。

 

 そこから続いてく幸せな日々。

 彼女と一緒に街を歩いて、怪獣との共存を選んだ人々の和気藹々とした町の中を、僕は幸せに包まれながら歩いて行く。

 時には誰も見ていないところでアグルに変身し、彼女を抱えて一緒に空を飛んだりもした。

 時には彼女への好意を口にして、彼女への感謝を口にした。

 そして、微笑む彼女の笑顔に何度も見惚れていた。

 素直に好きだと思えた。夢の中の僕は、彼女を守りたいと思っていた。

 

 嬉しさは何も感じなかった。ただ、悲しいだけの夢だった。

 

 暖かさを何も感じない幸せな夢が、ただひたすらに辛かった。

 

 そうして―――僕は目を覚ます。

 

 

 

 

 

 目覚めた羽次郎は、自分が部室の中に居ることに気付く。

 どうやら、椅子に座ったままうたた寝をしてしまっていたようだ。

 寝起きの彼の頭は眠気でぼんやりとしていたが、眠気の全てが抜けてもなおもぼうっとしたままだった。 

 

「……」

 

 飛鳥羽次郎の意識は、夢と現の間を揺蕩っていた。

 三倉田晶のことを思えば夜も眠れず、頭の中は益体も無い思考で堂々巡り。

 何日も眠れなくて限界になった脳が強制的に意識を刈り取れば、彼は悪夢を見て数時間ほどで飛び起きて、睡眠不足の頭でまた起き続ける。

 夜も寝れず、昼も寝てしまい、悪夢を見たくないと思っても見てしまって、寝たくても寝ることができず、脳の活動限界という物理的要素が彼を悪夢の中に引きずり込んでいく。

 運良く悪夢を見なかったとしても、晶との幸せな夢を見たとしても、先程のようにそれすらも彼の心を抉る。

 

 起きているのか、寝ているのか、眠りたいのか、眠りたくないのか、夢を見ているのか、悪夢を見ているのか、どれ一つとして定かではなかった。

 

「……ふぅ」

 

 命を吐き出すような溜め息。

 命のどこかにヒビが入って、漏れ出した命が吐息に混ざっているかのようだ。

 溜め息一つ吐き出すだけで、彼の命が削れているという印象すら受ける。

 

「やあ、今日も湿気た顔をしているね」

 

「……部長」

 

 何秒、何分、何十分、あるいは何時間部室でぼうっとしていただろうか。

 羽次郎はいつの間にか目の前に居た権之介に、抑揚のない声で応えた。

 権之介は苦笑して、後輩の足元に落ちていた眼鏡を拾い上げる。

 

「自分が眼鏡を落としたことにも気付かなかったのかい?」

 

 部長から渡された眼鏡を受け取り、彼はそれを無言で付ける。

 眼鏡が落ちたことにも気付かなかったのは、晶の死のショックがあまりにも強かったせいで、彼が正常な状態にないからか。

 ……あるいは、目の前の現実を見るのが嫌になって、目の前の現実をぼんやりとしか見ていなから、眼鏡の有無が関係なかったからなのか。

 

「一つ、言っておこう」

 

 擦り切れてちぎれる寸前の布のような、そんな状態の羽次郎を見て。

 

「私は誰かの死で人が"そうなる"のも、それを放っておくのも嫌いだ」

 

 権之介は絢爛に笑い、力強い言葉を発した。

 

 

 

 

 

 糠に釘を打つような、暖簾(のれん)を腕で押すような日々の繰り返しを、権之介は選択した。

 

「今日の部活動はお笑いを見ようと思う」

 

「……はぁ、なるほど」

 

「私は特にアンジャッシュやインパルスのコントが好きでね」

 

 時に、彼は彼はお気に入りのお笑い芸人のコントを見せた。

 

「今日は君の成績を引き上げるために勉強会を開くことにした」

 

「……そうですか。ありがとうございます」

 

「私の力量をもってすれば短時間で君の成績を引き上げられる。

 息抜きの時間もたっぷり取りつつ、君にかつて無い達成感を味わわせてやろう!」

 

 時に、彼は後輩に勉強を教え、達成感で心を上向きにしようとした。

 

「今日はヴァイアオリンの演奏コンテスト。

 君を招待したのは、ここで宣言するためさ。

 私はこれに出場し、優勝を宣言し、見事優勝してみせよう!」

 

「……その、頑張ってください」

 

「ああ、だから君も応援してくれたまえ。それが私の力になる」

 

 時に、音楽が人の心を癒す力を信じ、コンテストで素晴らしい演奏を見せて優勝したりもした。

 権之介は帰って来るなり"君の応援のおかげで勝てたよ"と羽次郎に言い、羽次郎が無力でないこと、応援が無意味ではないことを伝えたりもした。

 

「ところでここにオススメのAVがあるのだが」

 

「要りません」

 

 時に、エロの力で立ち上がらせようともしたが、性癖は全く噛み合わず。

 

「初めまして、羽次郎君のお母さん、私は彼にいつも世話になっている、金田権之介と申します」

 

「あらあら、ご丁寧に。飛鳥麗と申します」

 

「……どうした、キサブロー? 大丈夫、そんなに怯えなくても、この人はいい人だよ」

 

 時に、羽次郎の母やキサブローまで招いて、金持ちしか手が届かないような食事を並べた食事会を開いたり。

 

「テスト結果か……うむ、私はいつも通り学年一位のようだ」

 

「……部長、ありがとうございます。成績、上がったみたいです」

 

「ふはは、一位を取れない凡俗でも、私の指導を受ければ成長するは当然よ。

 意味の無い努力など無い。天才でなくとも君の努力が実を結んだ結果だ」

 

 時に、テスト明けに打ち上げに行ったり。

 

「よいかね? つまり怪獣との共存は、それなりにメリットが必要なのだ。

 逆に言えば、メリットを提示すれば可能性はあるのだよ。

 怪獣にしか精製できない希少物質もある。

 一部の動物愛護団体は市民や政治に少なくない影響力を持っている。

 極端な話、情と利益さえ提示すればそれなりの数を味方につけられるのさ」

 

「……なるほど」

 

「殺害より死なせないよう捕縛することの方が難しい。

 とはいえ、捕縛が不可能というわけでもない。なら、どういうプランが有効かと言えば―――」

 

 時に、怪獣と人間の共存を目指すための地に足付いたプランを天才的な頭脳で組み立て、それを講義として羽次郎に聞かせたりもした。

 

「最近、『君の名を言ってみろ』という映画が庶民間で人気だそうだね」

 

「はぁ」

 

 時に、評判の映画を見に行き、『物語』が持つ人の心を上向きにする力を借りようとしたり。

 

「四方八方が海。我らが駆るは最速の船。さあ、釣ろう!」

 

「はい」

 

 時に、完璧に権之介が好きなだけの趣味に羽次郎を連れ回し、気分を転換させようともした。

 

 そんな日々の中、この日々を終わらせようと、羽次郎は口を開く。

 

「もう、いいです」

 

 彼は、部長にずっと気遣われていることに耐えられなかった。

 ずっと気遣われているのに、立ち上がれずにいる自分に耐えられなかった。

 彼の善意に、耐えられなかった。

 だから、"もういい"と拒絶する。

 

「もう十分です。ありがとうございました。僕は、もう……」

 

 だが、そう言われたところで諦めて距離を取るようでは、ウルトラマンの相棒は務まらない。

 

「三分間だけ話をしないか?」

 

「え?」

 

「私から言わせれば、人を救うには三分あれば十分だと思うのでね」

 

 権之介は偉そうに、自信満々に、自説を何も疑っていないかのように語り始める。

 

「生きていれば人生いつかいいことがある……

 よく言われる台詞だ。凡俗らしい無責任な台詞だ。だが私は、そんなことは言わない」

 

 彼は未来系のぼんやりとした励ましが、本当に追い込まれた人間には何の助けにもならないことを知っている。

 多少落ち込んだ人間になら多少の効果はあるかもしれないが、今の羽次郎のような状態の人間には逆効果にしかならない。

 

 未来に何があるかは、誰にも分からない。

 だからいくらでも無責任なことが言える。

 未来を引用すれば、どんな人間にだってそれっぽくて中身のない励ましの言葉は紡げるものだ。

 

 未来系の励ましを、彼は口にしなかった。

 

「私は君の人生にいいことをいくらでも用意しよう。

 私は君の友人であるからだ。君の再起を望んでいるからだ。

 そして、君が立ち直った後に、過去形で君にこう言おうと思っているのさ」

 

 彼は未来形ではなく過去形の言葉で、他人に未来への希望を与える。

 

「『どうだ、人生悪いもんじゃなかっただろう?』とね」

 

「―――」

 

 彼は有言実行者だ。言ったことは必ずやり遂げる。自分の言葉に力を持たせるためにいくらでも行動を積み重ねられる。行動を伴った彼の言葉は、他人の心によく響いた。

 

「前を向いて歩こうじゃないか。

 ただでさえ君はウルトラマンだ。

 守るものも守れなかったものも見ようとすると、自然と下を向いてしまうのだろう?」

 

 誰よりも高い背で下を向いているウルトラマンに、権之介は三分間で、その心を変える言葉を語り聞かせる。

 その日から、権之介による励ましの日々は、無駄な時間ではなくなった。

 亀の歩みでも、無駄な努力ではなくなった。

 

 彼の尽力で、少しづつ、少しづつ、羽次郎は前を向き始めていた。

 

 

 

 

 時間をかけて、権之介は羽次郎を立ち上がらせる。

 羽次郎が笑顔を見せ始めた頃に、『その知らせ』はやって来た。

 

「リドリアス駆除作戦!?」

 

「……大勝負に出たようだね。

 リドリアスはまだ根強い支持がある怪獣だ。

 多少の反発を覚悟で、ここで世論をまとめる気なのかもしれない」

 

 地球防衛隊内部の情報を抜く仕込みを完成させた権之介が、最悪の作戦の存在をキャッチした。

 目的は、その名の通り友好巨鳥・リドリアスの抹殺。

 幼き日に命を救ってくれた怪獣の危機に、死体同然だった羽次郎の瞳に光が灯る。

 

「リドリアスは君の命の恩人……恩獣だ。

 だが、もっと広い視点で見れば違う側面も持っている。

 リドリアスは過去の行いから、怪獣共存派の象徴のように扱われているからね」

 

 リドリアスは今でも強い支持層がある。

 特にあの日、天墜事件でリドリアスに救ってもらった人間からすれば、リドリアスは感謝をしてもしきれないような救い主なのだ。

 そういう事情もあって、怪獣共存派にとってリドリアスは人獣友好の(さきがけ)であり、共存を目指す者達の象徴でもあった。

 

「リドリアスは生贄さ。

 殺せば反発もあるだろう。

 だがそれ以上に、怪獣排除派の地盤を盤石に出来る」

 

「―――!」

 

 それを上手く排除できれば……例えば、リドリアスによる街被害を捏造しつつ、リドリアスを目立たない場所で殺すことができれば?

 リドリアスの支持を削ぎつつ、怪獣共存派の象徴を消すことができるだろう。

 

「これで世情が固まってしまえば、最悪数十年は今の風潮が続くことを確定されかねない」

 

 マイノリティの怪獣共存派が逆転する可能性を摘み取り、社会を一枚岩にする、強烈な一手。

 それを耳にした以上、彼らに見逃すなんていう前託しは存在せず。

 

「どうする?」

 

「……行きます。リドリアスを助けるために!」

 

 二人は数日後、リドリアスを助けるべく、二つ隣の県にまで足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 対怪獣施策都市開発プロジェクト。

 一部の大企業が手を組み、各自治体と連携し、怪獣の襲来を前提とした都市開発――新規都市開発、既存都市開発含む――を行おうという計画だ。

 怪獣の襲撃は街を破壊し、住民の引っ越しや疎開を誘発し、人と金と物が流動する現在の日本の都市事情は混迷を極めていた。

 そこである程度の安心を提供しよう、と始められたのがこのプロジェクトである。

 

 このプロジェクトのおかげで、市民の安全性がこれまでとは比較にならないほどに保証された街がいくつも誕生したが、失敗したものがたった一つあった。

 それが、ある県で行われた広域埋め立てによる土地の確保と、その上に新たな街を作ろうという都市計画である。

 

 これが、ものの見事に失敗した。

 変動した気候の問題、埋め立てる海の問題、持ち込まれた土の問題……様々な不運が重なって、非常に"ゆるい"埋立地が出来てしまったのだ。

 再建計画はあるものの、この土地が新たな都市として使えるようになるのは、早くても二十年後であるとすら言われている。

 

 都市開発のために先行して作られた施設や、植えられた木々に植物、申し訳程度に継続されている開発に携わる人々くらいしか、この土地には見当たらない。

 ゆるい地面の上でなど、人は暮らそうとは思わないからだ。

 

 ここを怪獣やウルトラマンが歩けば、地面はその圧力ですぐさま液状化するだろう。

 雨の後の土が、人に踏まれることで泥や泥水になるように。

 何も知らずにリドリアスが着地すれば、この土壌はほんの一時であっても、リドリアスに対する枷として働くに違いない。

 

 権之介は羽次郎にその辺りをよく説明し、「足を多少取られるかもしれないけど、最初からそうと知っていればウルトラマンなら問題はない」と締めくくる。

 

「ここが……リドリアスが来ると予想された、リドリアスを殺すための場所」

 

 何故ここにリドリアスが来ると予測できたのか、そこまでは二人にも分からなかった。

 だが、ここで地球防衛隊が待ち伏せの準備をしているというのは本当らしい。

 

「軍人……地球防衛隊臭い人間がちらほら見えるね」

 

「部長、対リドリアスの部隊でしょうか?」

 

「それが妥当だろう。あまり大勢で行える任務でもないだろうし」

 

 リドリアスを人知れず殺すとなれば大事だ。

 秘密漏洩には最新の注意を払わなくてはならない。

 今回、権之介が密かに作戦の発動を察知できたというだけでも御の字なのだ。

 

 そのため、ここに大規模な部隊が配置されているというのはありえない。

 現在朝四時。二人は双眼鏡で街を眺めていたが、時間帯を考慮したとしても、見回りの人間の数は明らかに少なかった。

 

「リドリアスが来てから、外からアグルとして殴り込むこともできる。

 が、ほぼ確実にガイアに邪魔されるだろう。

 ガイアに邪魔されている間に地球防衛隊にリドリアスがやられかねない。

 ここはオーソドックスに、あの街の内部に潜入して探ることにしよう」

 

「大丈夫ですか?」

 

「君凡才。私天才。OK?」

 

「……釈然としませんが、OKです」

 

 権之介に導かれ、羽次郎は走り出す彼の後に続いていく。

 人数が少ないとは言え、地球防衛隊はきっちり全ての道を警戒して塞いでいた。

 ゆえに、権之介は先に進むために建物の中を進む選択をする。

 権之介は何やら怪しい携帯端末を近くの建設中デパートの電子錠に接続し、十数秒でその電子錠を解錠していた。

 

「パスワード解析完了。行こう」

 

 二人はデパートの中に入り、デパートという隠れ蓑で地球防衛隊の警備を突破しながら、反対側の出口から外に出ていく。

 

「部長、スパイみたいですね」

 

「あのだね、羽次郎君。現代のスパイを何か勘違いしてはいないか?

 企業や国に入り込むスパイの基本は、人対人だ。

 企業の重要人物をたらしこんで、キーの情報を抜くのが一番ベターなんだよ」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「そうだとも。

 キーボードをパチパチ打ってどんなセキュリティも突破できる者など居ない。

 手で打つよりプログラムを走らせた方がずっと早いのだから。

 外部から最新式のセキュリティを突破できる者など居ない。

 スタンドアロンPCはそれでどうにかできないだろう?

 そういうのは創作の中にしか居ない人間さ。

 本当に厳重なセキュリティをこんな方法で突破できるわけがない。

 私がここを突破できたのは、単に一般企業のぬるいセキュリティだからだよ」

 

 権之介はデパートに入る時に使った手で、また別の建物へと進入していく。

 そこで、羽次郎は気付いた。

 権之介はあらゆるセキュリティを突破できているのではない。

 突破できるセキュリティの建物だけを選び、その中を進んでいるのだ。

 

 この土地の建物のデータを事前に収集し、どこをどう通って行けばいいのかという計画を綿密に立てていなければ、こんなにもスムーズに進んでいけるはずがない。

 

(抜け目ないな、この人)

 

 やがて、携帯端末を繋ぐ端子が無い、一つ前の時代の電子ロックもちょくちょく出てくる。

 だが権之介は、それがアナログなテンキーでパスワードを入力するロックであることを確認するなり、銀色の粉のようなものをそこに付け始めた。

 

 指紋が浮かび上がり、"よく触られているボタン"が露骨に浮かび上がって来る。

 権之介はここのパスワードに使われる数字を特定し、更に指紋の量や指の脂の細かな動きの痕跡から、パスワードをサラッと推測してみせた。

 十秒とかからず、ここのロックも突破されていく。

 

「馬鹿丸出しのセキュリティ、ご苦労」

 

 この人だけは敵に回したくないな、と羽次郎は思った。

 

(静かに。あそこの警備があっちを向いた隙に……今!)

 

(はい!)

 

 安全な道だけでなく、時には地球防衛隊の視界の隙間を縫わなければならない時もあったが、それも権之介の誘導で難なく突破。

 

「部長、ピッキングなんてどこで習ったんですか……?」

 

「ハワイで親父に習ったんだ」

 

 電子キーと金属鍵による複合ロックですら、権之介を足を止めるには至らない。

 

「よし、いいペースだ。予定通り進めている。悪くない」

 

「そ、そうですか……」

 

「ここらで少し休憩にしようか。

 私は平気でも、君の方が保たないだろう? 羽次郎君」

 

 かくして彼らは、地球防衛隊の警備に全く気付かせることなく、作戦予定地らしき場所の近辺へと辿り着いていた。

 テナントの入っていない空っぽの店舗の片隅で、二人は並んで座り込む。

 疲労度は羽次郎の方が大きいようだ。

 金田は普段の発言相応の能力を発揮し、何故か普段体を鍛えている羽次郎以上の、底なしの体力を見せつけていた。

 

「進入開始が朝の4時。今が昼の12時。うむ、庶民の味覚を味わう時間だ」

 

 リドリアスの駆除作戦が予定されていた時刻は夕方の4時。

 ここで一度しっかりとした休憩を取り、その後ゆっくり休みながら作戦予定地を見張ればいい、と権之介は考えていた。

 二人は朝の四時前にコンビニで買ったパンを、思い思いに口に運んでいく。

 

「部長、ありがとうございます」

 

「ん?」

 

「部長が助けてくれなければ、僕はリドリアスを助けられませんでした」

 

 パンの食べ方一つからも育ちの良さを滲ませる権之介に、羽次郎は深々と頭を下げた。

 

「いや、それだけじゃないです。

 部長の助けがなければ、この一年、何度折れていたかも分かりません。

 何の見返りもないのに、部長が善意で僕を助けてくれていなければ、僕は……」

 

「はっはっは、私が意味もなく無償の愛を振りまく存在だとでも思っているのかい?

 まったく、君は度し難い。

 私が君を助けるのには、私にもそれなりの理屈というものがあるというのに」

 

「理屈……?」

 

 権之介は残ったパンを押し込み、咀嚼し、飲み込んでから口を開いた。

 

「人間とは、私以外の全てが完璧ではない。ゆえに支え合わねばならない」

 

(さも当然のように自分が完璧だと言う人だなぁ)

 

 いつも通り過ぎる権之介に、羽次郎は不思議な安心を覚える。

 

「人は自分にできることで支え合えばいい。

 支えられることは義務でもなければ恥でもない。

 支えることは義務でもなければ偽善でもない。

 それは人の善意で成り立つ、全ての人間が完璧に近付く技術なのだ」

 

 人は支え合うことで完璧になれる。完璧以上のものにだってなれる。

 

「私は完璧だ。

 ゆえに私には誰の支えも必要ない。

 ゆえに私は全ての人間を支えるべきなのだ。

 足りている者が足りていない者を支えてこそ人間なのだからね。

 我が家で私に叩き込まれた教訓、そして私の能力の高さを、私はそう理解した」

 

「……!」

 

 金田家の教育と、権之介のちょっとズレた感性、そしてずば抜けた才覚が合わさった結果、彼はそういう行動原理を獲得していた。

 

「だが、私にも出来ないことがあった。ウルトラマンになることだ」

 

「!」

 

「そして、私はウルトラマンになれる人間と出会った。

 奇しくも、その人間は私も尊敬できるような志を持っていた。

 君は私にできることができなくて、私にできないことができた。

 ならば私は、私に出来て君にできない事柄で、君を支えるだけさ」

 

「部長……」

 

 権之介の思考は、この上なく彼らしいものだった。

 それは羽次郎の心に、驚愕と変化をもたらすもの。

 人として完璧には程遠く、されど完璧な人間にはできないことができる、そんな飛鳥羽次郎への、金田権之介の敬意だった。

 

「君は君らしいウルトラマンで在り続けたまえ。

 私も、きっと三倉田君も、それを望んでいる。

 今の社会に反感を持っている人間は、君の戦う姿に心を支えられているんだ」

 

 アグルの戦いに何の意味も無いのなら、アグルを支持する者が存在するわけがない。

 ウルトラマンアグルが諦めず現実に抗う姿を見せる、ただそれだけで、勇気付けられている者も確かに居るのだ。

 羽次郎は一人じゃない。

 情けなくても、勝てなくても、守れなくても、そんなアグルを応援している者も居る。

 

「リドリアスを助け、笑って帰ろう。私はそれを、三倉田君への手向けにしたい」

 

「……はい!」

 

 二人はリドリアスを助けるという決意を固める。

 

 この戦いは、世界の未来の形をかけた戦い、というだけの戦いではない。

 羽次郎の命を救ったリドリアスを救う、というだけの戦いでもない。

 二人にとっては、晶の死を乗り越えるための戦いでもあるのだ。

 

 守れず死なせたという後悔を、守り生かしたという達成感で塗り潰す戦い。

 二人は彼女の死を乗り越え、前に進むためにも、リドリアスを助けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後4時5分前。

 二人は三階建ての建物の上から、作戦予定地を双眼鏡で見張り続ける。

 地球防衛隊の作戦開始時刻が迫り、羽次郎達の周囲にも緊張が走る。

 権之介は平常心を保っていたが、それはそこで違和感を感じた。

 

「……?」

 

 葉だ。

 見回りをしている防衛隊員の背中に付いている指先ほどの大きさの木の葉を、権之介は凝視していた。葉が背中に付いていることに気付いていない防衛隊員は、権之介の知る限りこの街に一人しかいない。

 

 防衛隊員は重装備で顔さえも隠している者が多く、一見して見分けることは難しい。

 だから権之介は、身長がとても低い人間やとても高い人間を除いて、見回りの防衛隊員達の見分けがついていなかった。

 

「おかしい」

 

 ゆえに、ここで気付く。

 先程まで、背中に葉が付いていた防衛隊員は、権之介達が見張っている範囲を十数人のローテーションで見回っていた。

 だが今、権之介達の見ている範囲を見回っているのは、背中に葉が付いた一人のみ。

 つまり極めて狭い範囲を、たった一人の防衛隊員が見えないところで走って移動するなどして、非効率に見回っていることに成る。

 

 なら、その分浮いた十数人はどこに居る?

 

「この人の動きは……まさか……!」

 

 背中に葉の付いた防衛医隊員が"その偽装"を始めてから、一分か二分という驚異的な速度で権之介は気がついた。

 だが、その数分が致命的。

 王手をかけられたことに気付いた権之介は、双眼鏡を放り出して羽次郎と共に逃げようとする。

 

「逃げるぞ、羽次郎君!」

 

「え?」

 

 "何故"と問う前に、半ば反射的に権之介に付いて行く選択肢を選べたのは、ひとえに権之介への絶対的な信頼ゆえのことだろう。

 二人は一気に階段を空け降り、建物の外へ出て駆け出していく。

 だが、"罠だ"と羽次郎が気付いた時には、既に時遅く。

 二人は十数人の地球防衛隊に銃を向けられ、チェックメイトをかけられていた。

 

「止まれ!」

 

 逃げ場なし。羽次郎達の位置、逃走経路、人数を完璧に把握していなければ、ここまで見事には追い込めまい。

 実践慣れした羽次郎は思考するよりも早く、この状況を打開するべく、ネックレスの中のアグルの光を解き放とうとした。

 

「動くな!」

 

 だがその行動も、足元に銃弾を撃ち込まれたことで止められてしまった。

 

「ウルトラマンの変身プロセスは既に解明されている。

 お前達は意識の集中と光の拡散で、変身までにワンアクションを要する。

 お前が変身を完了するより、我々がお前を撃ち抜く方が早い」

 

「くっ……」

 

「そこを動くな。大人しくしろ。指示以外の動きは許可しない」

 

 威嚇の銃弾一発で、羽次郎はウルトラマンとしてのアドバンテージを潰されてしまっていた。

 

「よし、そのネックレスを外して路面に置け」

 

 羽次郎達がおとなしくなったことを確認し、防衛隊員の一人が、羽次郎にアグルの光を手放すよう要求する。

 手放せば終わりだが、手放さなければもっと早く終わるだけだ。

 羽次郎は渋々アグルの光を手放して、それを路面の上に置く。

 

「そのまま二人とも、ゆっくりと後ろに下がれ」

 

 そこで油断することもなく、防衛隊員は羽次郎と権之介を下がらせた。

 二人は、アグルの光が入ったペンダントから引き離されてしまう。

 権之介はこの状況を打開すべく、時間稼ぎと情報収集を兼ねて、一番近くに居た防衛隊員に問いかけた。

 

「私達の潜入は、どこでバレた?」

 

「いや? バレてなどいないぞ」

 

「……?」

 

「お前達は完璧だった。

 情報入手の段階でも、潜入の段階でも、私達はお前達に気付きもしなかった」

 

 地球防衛隊は権之介に情報を抜かれたという事実も、権之介がここまで羽次郎を導いていたことにも気付いてはいなかった。

 ただ、『予測』していただけで。

 

「だが、我々はお前達が必ず来るだろうと踏んでいた。

 そのため、虚偽の作戦を通達し、隊員にもそれを備えた訓練をさせていた。

 そして今日までその虚偽の作戦を信じさせ、今朝、それが全て虚偽であると知らせた」

 

「―――!」

 

 それは、アグルのそばに極めて有能な者が居るという予測を下にした、あまりにも遠回りでピンポイントな罠。

 虚偽の作戦に信憑性を持たせるために訓練まで行い、現地入りするまで真実を隠し通し、今日初めて部下に真実の作戦を命じるという、あまりにも型破りな罠だった。

 

 これでは罠だと気付けるはずもない。

 最初から罠だと知っていた人間の数は、片手の指にも満たないだろう。

 作戦書類でさえ偽装していたとすれば、地球防衛隊のほとんど全ても同時に騙していたということになる。

 まさに、"敵を騙すならまず味方から"であった。

 

 一般人一人陥れるためにここまで仕込むのならばやりすぎだが、相手がウルトラマンであれば相応であると言えるだろう。

 恐るべし、地球防衛隊。

 いや、真に恐るべきは、この絵図を書いた権堂隊長の手腕だろうか。

 

「僕を殺す気ですか?」

 

「答える必要はない。だが、余計なことをすれば、お前がより苦しむ箇所に当たるだろう」

 

 動けば死、動かなくても死、羽次郎の目の前にあるのはそういう現実だ。

 どうするべきか。羽次郎は考える。

 どうするべきか。権之介は起死回生の可能性を探す。

 二人はともに、この絶体絶命の状況でも、何も諦めてはいなかった。

 

 諦めない。それは、何よりも大切な心。

 最後の最後まで諦めないということは、助けが間に合う可能性があるということ。

 奇跡が起きるその時まで、可能性が繋がれる可能性があるということだ。

 彼らは諦めず、ゆえに『助け』はやってくる。

 

 吹きすさぶ暴風。

 地を撫でる大きな翌朝の影。

 どっか小動物的な可愛らしさを感じさせる鳴き声。

 

 空を舞う巨大な鳥の怪獣を見て、羽次郎は驚きと共にその名を読んだ。

 

「リドリアス……!?」

 

 これが羽次郎達を誘き寄せる罠だと知って、羽次郎の中には自らの危機から来る焦燥が生まれていたが、同時に"リドリアスは安全なんだ"という安堵も生まれていた。

 リドリアスがここに来ないという情報こそが、彼の安堵の源だった。

 だがリドリアスが来たことで、その安堵すらも焦燥に変わる。

 

「リドリアスの名前を出したのは、僕達を誘き寄せるための嘘じゃなかったのか!?」

 

「嘘だったさ。ただ、順序が逆なんだよ」

 

「逆……?」

 

「リドリアスは、『お前を助けに』来たんだ」

 

「―――!」

 

 石堀のその言葉に、羽次郎はとんでもない思い違いをしていたことに気が付いた。

 

「かつて助けた子供で、今はアグルの変身者。

 リドリアスにとっても、お前は特別な個人だったということだ」

 

「……っ!」

 

「リドリアスの危機と嘘をつき、お前を誘き寄せた。

 リドリアスが感知できる形で、お前を危機に陥れた。

 そうすれば、お前達は互いを助けるために、ここに確実に誘い込まれる」

 

 どちらかが囮だったのではない。

 どちらかがターゲットだったのではない。

 どちらも囮で、どちらもターゲットだったのだ。

 

「諦めろ。抗うな。現実を見ろ。

 人間社会は、もう怪獣を受け入れてはいない。

 大多数の人間の願いを踏み躙らないでくれ、ウルトラマンアグル」

 

 銃を突きつけそう言う石堀のはるか後方で、変身できない羽次郎(アグル)の見上げる先で、空のリドリアスめがけて飛翔するガイアの姿が見えた。

 

 

 

 

 

 ガイアは飛び上がり、蹴り込む。

 リドリアスは間一髪回避するも、空中で自分よりもはるかに速く鋭く跳ぶ人型の敵に、とてつもない驚愕と恐怖を感じたようだ。

 

『殺す』

 

 バードンに人を殺されたという後悔から、光太郎(ガイア)は空中戦の練度を信じられないレベルで鍛え直してきたようだ。

 殺意一つでガイアはリドリアスを気迫で圧倒し、リドリアスは必死に逃げるも、ガイアの追撃から逃れられる様子がまるでない。

 

『貴様は殺す』

 

 リドリアスの飛行速度はマッハ2、ガイアの飛行速度はマッハ20。

 これは"鳥と人の飛行経験の差"程度では埋められないほどに、圧倒的な速度差だ。

 とうとうガイアは空中でリドリアスを確定攻撃範囲に捉え、確実に当たる攻撃を開始する。

 

『死して償え、リドリアス!

 どんな理由があろうと、どんな理屈を並べようと、貴様は母の仇だ!』

 

 善意で人を救おうと動き、結果的に光太郎の母を殺したリドリアスに向けて、ガイアが憎しみの拳を振り上げる。

 

―――はい、光太郎。誕生日プレゼントよ

 

 母が握ってくれた手の暖かさを覚えている。

 転んだ時、助け起こしてくれた母の手の柔らかさを覚えている。

 母が折り紙を教えてくれた時、優しく重ねてくれた手の感触を覚えている。

 母を抱きしめた時、手に感じた母の命の感触を、覚えている。

 

 彼はその全てを握った拳に握り込み、振り下ろした。リドリアスが悲鳴を上げる。

 

―――うちはお父さんが居ないから、私が二倍愛してあげるからね

 

 母と一緒に歩いた並木道の桜の姿を覚えている。

 すりむいた足を、微笑む母が手当してくれた嬉しさを覚えている。

 公園で母が肩車してくれたこと、その時の景色と足に感じた母の感触を覚えている。

 幼稚園に迎えに来てくれた母を見て、走り出した自分の足に湧き上がっていた力を覚えている。

 

 彼はその全てを右足に込め、蹴り上げた。リドリアスが悲鳴を上げる。

 

―――光太郎。私の愛しい息子。あなたが生きていてくれるなら、他には何も要らないわ

 

 母の笑顔を覚えている。

 母の言葉を覚えている。

 母の約束を覚えている。

 母の優しさを覚えている。

 母の気遣いを斧得ている。

 母の暖かさを覚えている。

 母の想い出を覚えている。

 母の愛を覚えている。

 

 彼はその全てを全身に込め、リドリアスの尻尾を掴んで地上に投げた。

 地面に叩きつけられ、リドリアスが悲鳴を上げる。

 

―――あなたはあなたの道を行きなさい。お母さんは、いつもあなたを見守っているわ

 

 まるで泣いているかのように、光太郎(ガイア)は咆哮して飛びかかる。

 

『あああああああああああああっ!!』

 

 リドリアスは何も悪いことはしていない。

 だが、そんな言葉で止まる復讐者など居るのだろうか。

 復讐者とは、加害者に悪意があったか無かったかなど関係なく、その加害者がもたらした結果に対して、復讐心を抱いた者達だというのに。

 

 『悪意がなければ殺人さえも許されるのか?』

 『殺すつもりの無い行動の結果としての殺人さえも罪になるのか?』

 この二つのどちらが正しいと思うかは、個々人の感性によって分かれることだろう。

 

 この戦場のどこにも悪は居ない。

 居るのは、人よりも心優しい怪獣と、亡き母を今でも愛している悲しく虚しい男だけ。

 光太郎は地に降りて、またしてもリドリアスに拳を叩きつけ始めた。

 

『お前を殺しても、母さんは戻って来ない』

 

 沈んだ地面に足を取られたリドリアスはなおも戦意を見せず、恐怖と痛みから逃げようと動き、殴られるたびに悲痛な悲鳴を上げる。

 

『お前を殺して母さんが戻って来るなら!

 お前を殺した後、お前を許してやってもよかった!

 だけど! そうじゃないから! お前は死んでも許さない!』

 

 普通の人間ならばリドリアスの悲鳴に同情し、手を緩めたかもしれない。

 けれども、憎しみに突き動かされる光太郎は、緩まない。止まらない。

 

『なんでだ! なんで母さんを死に追いやった!』

 

 リドリアスが悪くないのも事実なら、リドリアスが大きな翼で羽ばたいたことが彼の母を殺したというのも、また事実。

 

『俺の、俺の、俺のっ……たった一人の母さんだったんだぞ!』

 

 罪なき殺人が産んだ憎しみ。

 悪意なき殺人が回り回ってリドリアスに返って来た復讐劇。

 怪獣が人間に気付かず人間を踏み潰した時、それは殺人罪になってしまうのか? その答えの一つがここにある。

 遺族は、"その怪獣"を絶対に許しはしない。

 

 返り血にまみれその体を赤黒く染めてなお、ガイアは拳を止めなかった。

 

『あああああああああああああッ!!!』

 

 ウルトラマンガイアの体に、涙を流す機能は無い。

 

 だがこの時、光太郎は確かに泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりにも一方的なガイアとリドリアスの戦い。

 羽次郎(アグル)はそれを見ていることしかできない。

 それでも、黙って見ているだけだなんて、彼には耐えられなかった。

 

「止めさせろ!」

「羽次郎君、刺激するな」

 

 諌める権之介の言葉も、彼の耳には入って行かない。

 

「他人の心配をするより自分の心配をしろ」

 

 戦いに並行し、ガイアに気付かれる前に面倒な諸問題を解決してしまおうと、地球防衛隊が銃を構える。

 

(殺さず、かつ変身はできないように、後遺症が残らない位置を狙って手足を撃つ………)

 

 防衛隊員達が、権堂隊長の無茶な要求を叶えるべく、銃を構える。銃弾は一発だけ手足に当たり後は全て外れました、と報告書を書くために。

 

(どうする……? せめて、羽次郎君だけでも逃さなければ……)

 

 権之介はこの絶望的な状況で、誰よりも速く回る頭で思考を続けていた。

 

(リドリアス……早く、早くこの場をどうにかして、助けに行かないと!)

 

 羽次郎は自分の命の危険なんて二の次で、リドリアスのことを心配し、自分だけに銃を向けてくる防衛隊をどう突破するかを考えていた。

 

「―――っ!」

 

 リドリアスは、あの日助けた子供が成長した青年を、必死に助けようとしていた。

 

『今日、ここで、全て決着を付けてやる……!』

 

 光太郎はあらゆる感情を噛み殺し、必死の形相でリドリアスを殺そうとしていた。

 

「構え」

 

 それぞれの想いが混じり合うこの戦場で、石堀も銃を構えながら、発射の掛け声を待つ。

 

「撃て!」

 

 そして彼らは声に続いて、羽次郎の捕縛だけを目的とした銃弾を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰が一番悪かったのか。

 何が一番悪かったのか。

 そう運命に問うたなら、運命はこう答えるだろう。

 

 『運が悪かった』、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リドリアスとガイアがぶつかり。翼と赤いエネルギーが暴風と爆風を撒き散らす。

 両者は衝撃に押しやられ、助走をつけて先の衝突よりも更に強烈にぶつかり合おうとした。

 だがリドリアスは、失敗作の埋立地であるここの地面に足を取られ、ガイアとリドリアスは双方望まぬ姿勢で激突。両者がぶつかり生まれた衝撃波は、変な所に飛んでいく。

 

 その衝撃波が、防衛隊員達が引き金を引いたその瞬間に、全員の銃口を滅茶苦茶に揺らした。

 全ての銃弾が、狙っていない方向に飛んで行く。

 

 飛び抜けた権之介の動体視力が、彼に危機を知らせる。

 "羽次郎に当たる"と、天才の彼だけに教える。

 権之介は羽次郎に飛びつき、彼を抱えながら倒れることで銃弾を回避しようとする。

 

「危ない!」

 

 

 

 一瞬の遅れで、飛びつきは間に合えど倒れるのは間に合わず。

 

 羽次郎を貫くはずだった弾丸は、権之介の心臓を穿った。

 

 

 

「―――部長?」

 

 この場の誰もが殺そうとしていなかった羽次郎に銃弾が飛び、この場の誰もが傷付けようとしていなかった権之介の胸に大穴が空く。

 人に対して殺意を持った者は誰一人として居ないのに、人が死ぬ。

 弾丸は権之介の心臓を穿ち、骨に当たって軌道を変えて、羽次郎には当たらないままどこぞへと転がっていった。

 

 彼を殺したのはガイアか。リドリアスか。

 作戦を立てた権堂か。指示を出した指揮官か。当たった銃弾を撃った石堀か。

 生者を走らせた晶か、防衛隊を動かした民衆か、防衛隊に愚行を命じた上の人間か。

 それとも、庇わせた羽次郎か。

 あるいは、それら全員なのか。

 

 けれど、誰が悪かったとしても、時計の針は戻らない。

 

「そんな……! 一般人を、撃ってしまった……?」

 

「馬鹿野郎!」

 

 地球防衛隊に大きな動揺が走ったその瞬間、リドリアスはわざと顔のガードを緩めた。

 リドリアスの顔に突き刺さるガイアの拳、ヒビが入る骨、飛び散る血。

 ガイアのパンチで吹き出した血が飛び散り、赤色の雨となって防衛隊に降りかかる。ガイアの攻撃は、地上で防衛隊が別の作戦を行っていることを全く考慮していない。

 光太郎に秘密裏に作戦を進めようとしたことが、ここで裏目に出てしまっていた。

 血には粘性がある。怪獣の血ともなれば、人間の目を潰すのに、人間の血以上に相応しいものであるだろう。

 

「うわっ!?」

 

「なんだ!?」

 

「落ち着け!」

 

 血が空間に満ち、視界を塞ぐ。

 ゴーグルやスコープも血に染まり塞がれてしまう。

 目の中に血が入ってしまい、前が見えなくなっている者も居た。

 降り注ぐ血は、あまりにも膨大。

 リドリアスの体格から考えれば、1トン程度の血を降らせたとしても、大した負担にはならないだろう。

 

 その血の雨に便乗するように、羽次郎と権之介は姿を消していた。

 

「今のはわざとか。それほどまでに奴を逃がすことを優先したか、リドリアス……!」

 

 リドリアスはもはや虫の息だ。

 足をぬかるみに取られ、全身傷だらけで無傷な箇所の方が少ない。

 だが、『友好巨鳥』の名は伊達ではない。リドリアスは何度痛めつけられようとも、"助ける"という初志を忘れてはいなかった、

 助けると決めた人間を、リドリアスはちゃんと救ってみせたのである。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 リドリアスに救われた羽次郎は、権之介を背負ってひたすら逃げていた。

 目指すは病院。だが、病院までの道のりはあまりにも遠い。

 

 背負われた権之介の胸から血が流れ、背負う羽次郎の背中が血で濡れていく。

 最初に背中に感じられたのは大量の生ぬるい血の暖かさ、流れ出す命の温度だったのに、今や感じられるのは少量の温度が失せた流血、すなわち"彼の死"の実感しか無い。

 

 徐々に権之介の体から体温が、力が、命が失われていく。

 もう手遅れだ。金田権之介の死は確定している。ウルトラマンでさえそれは覆せない。

 そんなことは、羽次郎も権之介も分かっていた。

 ただ、冷たい体を背負う羽次郎がそれを受け入れていないだけだ。

 

「……ああ、私は、死ぬのか」

 

「弱気なこと言わないでください、部長。

 辛いのは今だけです。病院まで運びますから、すぐ助かりますよ」

 

 根拠の無い言葉だった。

 権之介が助かると、羽次郎自身が信じられていない声色だった。

 "必ず助かる"と信じている響きを声に乗せたいのに、声に乗るのは"死なないでくれ"というすがりつくような懇願の響き。

 そんな言葉では、権之介の心に活力は注げない。

 

「なんで、だろうね。なんでこうなってしまったんだろう……」

 

「部長、弱気にならないでください。

 いつもみたいに自信満々に喋ってください。傲岸不遜に笑って下さい。

 そんな先輩だから、僕は信じて頼れたんです。

 あなたを心の支えにできたんです。

 辛くても、部長さえ居れば、前に進んでいけるって、そう思えて……だから……」

 

 既に権之介の体は多くの機能を停止している。

 目が見えなくなった彼は暗闇の中にいて、耳が聞こえなくなった彼に羽次郎の声は届かない。

 五感の全てが消え失せた体の中で、権之介の心は死の恐怖に震える。

 権之介の震える唇が、震えた言葉を紡ぎ出した。

 

「死にたくない」

 

 静かで、小さく、震えた、されどじくじくと心に染みてくるような声。

 

「死にたくない、死にたくないんだ、こんなつもりじゃなかったんだ、羽次郎君」

 

 他人のために悔い無く命を投げ出せる人間は、現実にはどれほどの数居るのだろう。

 

「ただ私は、二人で生きて帰りたいと……

 自分の命を捨ててまで、他人の命を救おうとする気なんて、無かったのに……」

 

 少なくとも、金田権之介は、そういう人間ではない。

 

「死にたくない、死にたくないんだ羽次郎君、助けてくれ、助けてくれ」

 

 死の恐怖が、死の実感が、彼を藁にもすがる気持ちにさせる。

 

「助けてくれ……君は、ウルトラマンだろう?」

 

「―――」

 

 死の恐怖が権之介の体を震えさせ、やがて震えは小さくなり、彼の体から震える機能すらも失われた。

 

「助け……死にたく……たす……し……はねじろ……どうか、げんきで……」

 

 静かに。

 とても静かに、権之介の言葉が、動きが、命の鼓動が停止する。

 死の運命は揺らぐことなく、覆ることなく、至極妥当に彼を死へと導いた。

 

「部長?」

 

 思考を止めて、羽次郎は権之介の体を下ろす。

 権之介を地面に横たえ、いくら語りかけてみても、権之介は返事を返さない。

 そこには羽次郎が頼りにする部長はすでになく、ただの死体が一つ横たわっているだけだった。

 

「部長」

 

 羽次郎が信じた彼はもう居ない。

 羽次郎が頼っていた彼はもうどこにも居ない。

 『死』とは、そういうものだ。

 『死』とは、この上ない悲劇である。

 だからこそ、羽次郎は誰も死なせたくないと、誰も殺させたくないと、そう心に決めて戦ってきたのだから。

 

「冗談、キツいですよ」

 

 権之介の最後の言葉は、羽次郎の幸を願うものだった。

 だが羽次郎の心に残ったのはその前の、権之介が羽次郎に救いを求めた言葉。

 

「僕なら……あなたの命を助けられると、信じてくれてたんですか」

 

 彼が苦しみの中で藁にもすがる気持ちで口にした言葉すら、羽次郎の心を抉る。

 

「僕は、それを裏切ったんですか」

 

 助けを求められた。

 助けられなかった。

 まとめようと思えば、二言でまとめられるだけのこと。

 しかし、当人からすればこれ以上なく絶望的で。

 

「あ」

 

 絶望に打ちひしがれる羽次郎の視界に、更に凄惨な現実が飛び込んできた。

 ガイアが、必殺の光刃(フォトンエッジ)をリドリアスに叩き込んだのだ。

 リドリアスは痛ましい断末魔の叫びを上げながら、光の刃にて細切れにされていった。

 

『母さん……随分遅れてしまったけど……仇、取ったよ』

 

 それを見て、とうとう羽次郎の心は折れた。

 

(リドリアスが助けてくれた、あの血の雨の中で)

 

 友達になりかったはずの怪獣の成れの果てを見ながら、何も恩を返せなかった命の恩人の末路を見ながら、羽次郎はリドリアスの血を浴びていく。

 

(助からない部長を見捨てて、変身して戦ってたら、リドリアスだけでも助けられたんだろうか)

 

 あの時、血の雨が降る中、ネックレスは路面に落ちたままだった。

 拾おうと思えば拾える距離にあった。

 的確な判断でもう助からない権之介は即座に諦めて、リドリアスを守るべくガイアに戦いを挑んでいれば、リドリアスだけは助けられたかもしれない。

 

 それが『羽次郎の自虐的な思い込み』ではなく、『確たる事実』であったために、余計に残酷で救いがなかった。

 

(助けられた、かもしれない)

 

 考えれば考えるほどに、羽次郎の内面は最悪の方向へと向かっていく。

 

(僕は冷静な判断力を失って、部長を助けようとした。

 ……リドリアスより、部長を助けたいと、無自覚に選択していたんだ)

 

 誰かを助けることを選び、選ばなかった方を死なせる。

 それを人は、『見捨てた』と言う。そう思い込んでしまう。

 

(リドリアスと友達になりたいと言ったくせに―――僕は、リドリアスを、見捨てた?)

 

 折れた心が、砕け始める。

 

(三倉田さんも―――部長も―――リドリアスも―――死んだ?)

 

 彼らの死が、彼を追い込む。

 

「う」

 

 砕けた心の断末魔が、そのまま心の叫びとなって口を衝いて出る。

 

「うあああああああああああああああああッ!!」

 

 叫びと共に、青い光が彼の手の中に現れる。

 青い光に追随するように、アグルの光を宿すペンダントも手の中に現れる。

 こんなにも手遅れになってから、彼は光を手元に引き寄せるという、新たな力に目覚めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青い光が現れて、青い巨人が現れる。

 

『! アグル!?』

 

 現れるなり襲いかかって来た青い巨人に驚きながらも、ガイアはアグルの攻撃を容易くかわす。

 するとアグルは、今まで一度も見せなかったような技を出してきた。

 剣。

 光の剣だ。

 ガイアの必殺光線にも匹敵するエネルギーを常時注がれているそれは、怪獣どころかウルトラマンですら一刀両断にすることが可能だろう。

 ガイアはそれを、紙一重でかわす。

 アグルが何度振ろうとも、ガイアはそれをかわし続ける。

 

『いい剣だ。俺には出せない。だが……』

 

 ほんの数秒ほどで、ガイアはこの技の二つの欠点を見抜いていた。

 まず、消耗が激しい。エネルギー効率で言えば必殺光線系の方がよっぽど効率がいい。これでは適当に使っているとほんの短時間でエネルギーが底をついてしまう。

 そして、もう一つは、剣を持っている人間に"殺す気が無い"ということだった。

 

『どんなに痛めつけられようと、どんなに己の命を脅かされようと……』

 

 ガイアは斬撃をかいくぐってアグルの手元を蹴り飛ばし、光の剣を彼の手の中から弾き飛ばす。

 

『俺にも怪獣にも、一度も必殺技を撃たなかったお前に!

 一年以上、"必ず殺す技"を絶対に撃たなかったお前に!

 危ういほどに優しすぎるお前に……そんなものが、扱えるわけがないだろう!』

 

 ガイアは異常な様子のアグルを引き倒し、倒れたアグルを見下ろし手刀を突きつける。

 

『お前には敵を倒す才能はない。

 敵を殺せる才能もない。

 あの時のお前ならバードンは殺せたかもしれない。

 だが、自暴自棄になった今のお前では、百度やっても俺は倒せない』

 

 アグルは敵を倒されるためではなく、敵に倒されるためにここに居た。

 

『飛鳥。お前が死にたがっているのなら、なおさらだ』

 

『―――』

 

『お前が俺に殺されることを望んでも、俺はお前を殺さない。

 ……俺はお前の敵であっても、お前に憎まれていたとしても、お前の未来の幸を願っている』

 

 けれども、ガイアは敵でありながら、同時にアグルのことを案じる者だった。

 

『僕は!』

 

 アグルは弾かれたように立ち上がり、距離を取る。

 

『僕は、怪獣を生かす道を進むために、自分の大切な人を、殺したんだ。最悪だ』

 

『―――』

 

 その言葉は苦渋、後悔、絶望、あらゆる負の感情に満ちていて、思わず光太郎(ガイア)の方まで声を荒げてしまう。

 

『目を覚ませ! お前は最初から最後まで、誰も殺していない! 殺そうともしていない!』

 

 光太郎は羽次郎が、三倉田晶のことを言っているのだと思っていた。

 彼女の死には、ガイアも罪悪感を感じている。自分の責任だと思っている。

 "アグルのせいで彼女が死んだ"と言う者が居れば、彼は羽次郎の意志にかかわらずその人間をぶん殴りに行くだろう。

 

『お前は何も悪くない! 悪いのは……悪いのは……』

 

 俺だ、と言おうとした光太郎の言葉を、何も聞いていないアグルの拳が遮る。

 

『うああああああああっ!!』

 

 狂乱から放たれる拳をガイアは掴み、そのまま一本背負い。

 

『頭を……冷やせ!』

 

 尋常でないパワーで投げ飛ばされたアグルは、遠く彼方の海に落ちる。

 

 こんなにも激情に身を任せ、ウルトラマンを殺せる技を発してすら、アグルはガイアの足元にも及ばぬまま負けていた。

 

 殺されたいと思いながら挑み、殺されないという敗北を与えられ、羽次郎(アグル)は海の底へと静かに沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変身を解いた光太郎は仲間達と合流し、知りたくもなかった真実を知る。

 金田権之介の死体があった。

 一般人を殺してしまい、最悪の後悔に包まれている男達が居た。

 光太郎は真っ先に自分に頭を下げてきた、権之介の命を奪う銃弾を放ってしまった石堀に掴みかかり、喉が張り裂けんばかりに怒鳴る。

 

「貴様ら、人としてしてはいけないことくらい、教わってこなかったのか!?」

 

 それを周囲の人間が止めようとするが、光太郎は力任せに振り払う。

 

「言い過ぎです早田さん! 石堀リーダーは、あなたのために……」

 

「誰が頼んだ!」

 

 アグルを殺さず、撃って傷付け無力化する妥協案を掲げた権堂や石堀だが、光太郎からすればそれすらも絶対に許せない事柄だった。

 

「人を殺して欲しいだなんて、人を傷付けてくれだなんて、俺がいつ頼んだ!?」

 

「っ」

 

 彼は、人を守るウルトラマンだったから。

 

「言ったはずだ!

 俺は人を守るためにウルトラマンになったんだと!

 アグルとは意見が合わない。信念も真逆だ。

 あいつが俺の邪魔になることも、俺があいつの夢の邪魔になることもある」

 

 アグルはガイアの敵かもしれない。

 

「だが、それがどうした!

 あいつもまた、俺が守ろうと思う対象(にんげん)には変わりない!」

 

 けれども、"それがどうした"と彼は言う。

 彼のこの信念は、権堂隊長に命令を出した上の人間には、本質的に理解できないものだった。

 

「権堂隊長に伝えろ。

 次こういうことがあれば、俺はアグルの側につく。その時、地球防衛隊は俺の敵になる、とな」

 

「光太郎……」

 

 あまりにも純粋な『人を守る』という覚悟。

 彼は人類全てを敵に回してでも人を守る。

 ひとりぼっちになっても戦い続けようとする。

 光太郎の信念は羽次郎を傷付け、光太郎の優しさは羽次郎を救おうとする。

 光太郎と羽次郎が共に他人を思いやれる人間であり、譲れない何かを持っているからこそ、この矛盾は生まれていた。

 

 光太郎は羽次郎を探しに行こうとするが、その一歩を踏み出す前に、踏み留まる。

 

「……」

 

 リドリアスを殺した光太郎が、リドリアスを慕っていた羽次郎に、どんな言葉をかければいいというのか。

 友を殺された羽次郎に、殺した人間の仲間である光太郎が、何を言うことを許されているというのか。

 追って、何を言ってやれるというのか。

 

 光太郎の足は止まり、その言葉は石堀に向かう。

 

「……来週のリナール根絶作戦までは、俺も防衛隊に付き合う。だが、その後は」

 

「分かってる。好きにしてくれ。元より、光太郎の善意協力で成り立っていた関係だ」

 

 ガイアを便利な駒だと思っている上の人間にはいい薬になるだろう、と思う石堀だが、光太郎が去ればすぐに、その思考は後悔に埋め尽くされてしまう。

 光太郎は俯く石堀の心情を理解していたが、今はそれ以上に、この一件に対する怒りで頭の中が沸騰していた。

 光太郎はリドリアスの血で出来た水溜まりを踏み越えながら、この現実への怒りを露わにする。

 

(何故、この時代に人の世界に現れた、怪獣ども。

 お前達さえ現れなければ、お前達さえ、最初から居なければ……)

 

 光太郎の脳裏に記憶が蘇る。

 怪獣に踏み潰された人の死体、その記憶が蘇る。

 その死体にすがりついて泣いていた女の子の姿、その記憶が蘇る。

 会社を怪獣に壊され、社員と一緒に全てを失った人の絶望の顔、その記憶が蘇る。

 エサを求めた怪獣に襲撃された小学校、その記憶が蘇る。

 体の表面に付いた寄生虫を取るためだけにビルに体を擦り付け、街を転がり、悪意なく人々を殺して回った怪獣の笑うような鳴き声、その記憶が蘇る。

 

 無害な怪獣がいくら居ようが、その中に有害な怪獣が居れば、それだけで光太郎は怪獣全てを許せそうになかった。

 

(……何故お前達は、人が怪獣と共存できないくらいに増えたこの時代に、現れたんだ……!)

 

 怪獣が最初から現れていなければ、ウルトラマンが必要とされない世界だったなら、初めから生まれなかった悲しみがあると、彼はよく知っていたから。

 

 怪獣との共存か。怪獣の絶滅か。

 

 どちらに辿り着くにせよ、その未来はまだ遠い。

 

 

 




キャラに付けられた『怪獣の名前』は、"殺されるべき存在に"付けられる象徴としてのものなのかもしれませんし、そうでないのかもしれません

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