堕ちた星 めざめよと呼ぶ声あり   作:ルシエド

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「自分達だけが生き残るために、他の者を滅ぼすことは、人間の驕りだ!」

「私は沢山の人達が……怪獣の犠牲になって……虚しく死んでいくのを見てきた」
「怪獣は滅ぼさなくてはいけない」
「既に沢山の人達が怪獣によって命を失ってるんだ」
「……その人達に対して、お前はどう責任を取る!?」
「私は……これ以上の犠牲は出させない。人類の……ために……」

 ―――別の世界のアグルと、何の罪もない人と大切な部下達を怪獣に殺された准将の会話


誰がために君は泣く

 

 

 火山の中で、悪夢の引き金が目を覚ます。

 

 

 

 

 

 金田権之介は後輩をよく見ている先輩だ。

 欠点は上から目線と変態極まりない性癖だけである。

 この一年間羽次郎がやってこれたのは、家で母が、それ以外では権之介が彼の心を気遣ってくれていたからだ。

 

「肉! それは王者の道!」

 

 権之介は本日、羽次郎の気分転換という目的は隠しつつ、後輩二人を焼肉屋に連れて来ていた。

 無論、遠慮する二人をゴリ押しで説き伏せたがために、全て権之介の奢りである。

 

「いいから食うのだ! 辛い現実を乗り越えるエネルギーは、食事からしか取れないのだよ!」

 

「食べてます! 食べてますってば!」

 

「食う! 寝る! 女とイチャコラする!

 男のパワーはそこから来るのだ! 分かりやすく三大欲求であるな!

 辛いことがあっても、何日か食っちゃ寝してればいつかは必ず立ち上がれる!」

 

「こ、これ以上食べたら僕は……別の意味で、立ち上がれなさそうです……!」

 

 ちょっと格闘技をやっている羽次郎より細いくせに、羽次郎よりもたらふく食っている権之介は、ちょっと異様ですらあった。

 しかも権之介は焼肉屋で地味にヘイトを稼ぐ行為、『箸を止めている者の皿にガンガン肉を乗せていく』という行為まで行っている。実に恐るべき男であった。

 そんな男二人のじゃれ合いを見つつ、晶は箸を置いて一息ついていた。

 

「ごちそうさまでした。金田部長」

 

「む、全然食べていないではないか、三倉田君」

 

「私、昔から少食で。特にお肉は少し食べただけでお腹一杯になってしまうんです」

 

「またまたご冗談を。ならその豊満な胸と尻の肉は何を食って育てたというのかね」

 

「どこ見てるんですか!?」

 

 権之介のやらしい視線が、晶のやらしい体に向かう。

 視線だけで敗訴確定になりそうなレベルの、犯罪者的な視線であった。

 晶は咄嗟に、横に座っていた羽次郎に抱きつくように彼を盾にする。

 視線を遮るのは羽次郎も一向に構わないのだが、女性らしい柔らかな体の感触が、羽次郎の童貞ハートを戸惑わせていた。

 

「ちょ、ちょっと、三倉田さん、近いよ」

 

「先輩。私のために、盾になってください……!」

 

「ケチ臭いなあ。私に見られたって減るもんじゃないだろうに」

 

「減ります。わたしの精神力とかそういうのが」

 

 見せる相手は選ぶというつもりかこのエロ後輩め、誰にでも見せるのはただの変態ですよエロ先輩、と二人は羽次郎を挟んでやんややんやと口論バトル。

 "なんで人は分かり合えないんだろうなあ"と、天井を見上げる羽次郎が世の無常を感じていた。

 

「と、そういえば、君達はまだ昔の交友関係を思い出せないと聞いたのだが」

 

「申し訳ないです。僕の方がどうしても思い出せなくて」

 

「先輩は悪くないです! 昔のわたしは、その、誰の印象にも残らない地味子だったので……」

 

「三倉田晶は幻のセックスメンだった……?」

 

「セッ……!?」

 

「部長、分かりづらいボケはただのセクハラです。そろそろ彼女の代わりに僕が訴えますよ」

 

 晶はそこそこガッツがあり、権之介のからかいにたびたび乗ってしまうのだが、純情過ぎるという弱点のために今のところ百戦百敗のようだ。

 そのたびに羽次郎が間に入って止めていた。この部長は、本当に曲者である。

 

「私はこれから財界の重鎮が集まる社交界があってね。

 AVを何本か借りてからそちらに行こうと思っているんだ」

 

「日常生活でまず耳にしない"今日の予定"が二つ並んでるんですけど……」

 

「よって、ここから先は二人で休日を満喫したまえ。

 今日はいい天気だ。街を練り歩くにはいい日だろう」

 

「部長?」

 

「これは私の心ばかりの気持ちだ」

 

 権之介は財布を開け、中からもったいぶって一枚の紙を取り出した。

 手渡された羽次郎が見れば、それはラブホテルの優待券。

 羽次郎はノータイムでそれを真っ二つに引き裂いた。

 

「ああ、なんてことを!

 それは私の気持ちだというのに!

 庶民には私の最大限の気遣いが分からないのか!」

 

「すみません、これに関しては一生分かりたくないです」

 

「しょうがない。それに比べればゴミみたいなものだが、今日の商店街祭りの優待券をやろう」

 

「……」

 

 何故そっちを先に渡さないのか。

 いや、ラブホテルのチケットは明らかに前振り。でなければ祭りの優待券までしっかり準備しておくはずがない。

 ……けれども、ラブホテルの優待券も半分くらい本気で渡してきた、そんな気もする。

 そんな感じに、羽次郎の脳内で権之介の思考を読もうとする働きが生まれるが、羽次郎はすぐに考えるのをやめた。

 

「それじゃあ二人共、アデュー! ……日本だとアデューも半ば死語かもしれんな!」

 

 無駄にスタイリッシュなバイクで去って行く権之介を見送って、羽次郎は溜め息を吐いた。

 

「……あの人と居ると、細かい悩みがどうでもよくなるよ。

 あの人と比べると自分の器が小さく感じたりもするくらいだ」

 

「! 先輩はあの人より大きい器を保ってます!

 金田部長がプールくらい大きな器を持っていたとしても、先輩は宇宙です、宇宙!

 ぎゃらきゅ……ギャラクシーですよギャラクシー!」

 

「あ、ああ、ありがとう?」(噛んじゃうくらい興奮してる……)

 

 明らかに過大評価だと感じつつも、戸惑う羽次郎は礼を言う。

 

 ごくまれに、羽次郎に関することで我を忘れて思ったことをそのまま口にしてしまうのが、彼女の欠点といえば欠点だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『それ』は、卵を生むべく、火山の頂点から滑り落ちていくように飛翔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しい。掛け値なしに、彼はそう思った。

 嬉しい。掛け値なしに、彼女はそう思った。

 二人は今、商店街に居る。

 今日が商店街の祭りであることも知らず、何の準備もしていなかった二人だったが、権之介から受け取った優待券を握りしめ、結構楽しんでいるようだ。

 

「凄いな今日、ラーメン屋台トーナメントまでやってるとか僕全然知らなかったよ」

 

「次はどこに行きますか?」

 

「本屋はどうかな? 大学で初顔合わせの時、三倉田さんは結構な本好きだと思ったんだけど」

 

「はい!」

 

 二人は会話の節々から相手の気持ちを読み取って、最適な言葉と行動を選んでいく。

 過去の記憶から、相手の好みや趣味を思い出し、それを踏まえた会話をする。

 ごく自然な心の姿勢で、ごく自然に笑顔になりながら。

 相手の気持ちを察し、相手のことを考えて行動することを苦にしない二人のデートは、見ているだけで微笑ましくなる類のものだった。

 

「ほ、本屋まで割引セールをやっているとは……恐るべし商店街祭り」

 

「買いたかった本が沢山あるんです! ……あの、それでですね」

 

「ん、気にしないで、好きなだけ時間使っていいよ。僕でいいならいくらでも付き合おう」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 大型店の本の壁に少し気分が高揚しているらしい晶に、自由に動いていいと彼は背中を押す。

 恥ずかしい本の趣味があれば晶も遠慮しただろうが、特にそういうことはなく、二人は本の壁の間をするすると歩いて行った。

 

「こう、横積みになってる本は、一番上のじゃなくて下の方のを抜き取りたいね」

 

「分かります。わたしなんだかすっごく分かります」

 

 時折立ち止まり、二人して中腰になって本の山をなぞったり。

 

「レンタルの本の検索端末がありますね」

 

「あるね」

 

「買える本も検索かけられて、どこに置いてあるのか分かる、そんな端末が欲しいですね」

 

「ああ、そういうのがこの本屋にもあったら、僕も超嬉しい」

 

 ハリー・ポッターじみた重さと厚さの本を持つのに、いちいち息を止めている晶。そのか弱さを見かねたのか、羽次郎は彼女が買おうとしている本をひょいと小脇に抱えていく。

 

「ありがとうございます。わたし腕力無くて、こういう本は読むにも一苦労で……」

 

「女の子の中でも腕が細い方じゃないかな? 三倉田さんは」

 

「うっ」

 

 晶が取ろうとした本を、羽次郎が取る。

 その光景に、彼女は懐かしい気持ちを感じていた。

 

「こうしてると、思い出しませんか?」

 

「何を?」

 

「先輩が、初めてわたしを助けてくれた時のことです」

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、もう七年も前の話。

 

「『僕は君より背が高いから、君を助けないといけないんだ』って、あなたは言いました」

 

 

 

 

 

 取れない、と少女は泣いた。

 子供の頃の三倉田晶は、小学校の図書室で興味を持った本があったものの、それがあまりにも高い位置にあったために、それを取れずにいた。

 小さな脚立を持って来たのはいいが、怖くてその上にも上がれない。

 涙を浮かべて、彼女は誰にも助けを求められずに泣いていた。

 

「はい」

 

 どうぞ、と少年は言った。

 子供の頃の羽次郎は、晶には無かった脚立に登る勇気を見せて、彼女が取れなかった本を回収して彼女に手渡す。

 本のタイトルは『人間は考える葦(プロノーン・カラモス)である』。

 彼女がこの日興味を持ち、彼が彼女の代わりに取り、この日彼女の心に刻まれた本。

 

 大学に入学する直前、書店でこの本を見かけた時衝動的に買ってしまったくらいには、この本にまつわる想い出は彼女の心に刻まれていた。

 

「……どうして、取ってくれたの?」

 

 幼き日の晶は問う。

 幼き日の羽次郎は答えに窮して、少し考え始める。

 助けるという行動を取ってから、助けた理由を探し始める辺りからも、この少年の生来の性質は伺えた。

 やがて、少年は自分が何故助けたかという理由を見つけ、答える。

 

「僕は君より背が高いから、君を助けないといけないんだ」

 

 ただそれだけ言って、彼は去って行った。

 その時彼女の胸中に生まれた気持ちは、言葉に出来ないものだった。

 彼が彼女を助けたことは、他の誰にでも出来ることだっただろう。

 言葉自体も、そこまで特別なものでは無かった。

 

 だが彼女は、自分を助けてくれた彼の姿に、『光』を見た。

 その日から彼女は、ふとした時に彼を見かけるとその姿を目で追うようになる。

 その行動は五年間続けられ、その気持ちは十年近く経った今も、全く色あせてはいなかった。

 

 

 

 

 

 昔、図書室であったことを語る晶の思い出話を聞いて、羽次郎もうろ覚えの記憶をほんの少しだけ蘇らせる。

 

「この本は、あの日先輩に取ってもらった本と同じものです。

 借りた本は返しましたが、最近自分で買ったんです。何か、思い出しませんか?」

 

「……ああ、うっすらと覚えてる。

 あれはデルトラクエストの最終巻を返しに行った日だから……小学四年生の時かな?」

 

「……はい、そうです。わたしが、小学三年生の時です」

 

 彼の思い出の中の少女は地味で、髪も短く眼鏡もかけていて、今の晶とは似ても似つかない。

 髪は伸ばせばいいし、眼鏡はコンタクトにすればいいというのは分かっても、それでも彼は思い出の中の少女と、目の前の少女を結び付けられずにいた。

 今の彼女はいい意味で、過去の自分とはあまりにも違う外見を獲得している。

 

「私、中学の時に高い所から降りられなくなって、その時も先輩に助けられたんですよ?」

 

「えっ、そうだっけ?」

 

「先輩が誰かを助けているのを横で見ていたことなら、もっといっぱいあります」

 

 彼女は高校で進学先が分かれてしまうまでずっと、義務教育の時間が終わるまでずっと、変わらぬ気持ちで彼を見ていた。

 

「先輩は誰でも助けていました。

 他の人が助けに行ける状況でも、率先して助けに行っていました。

 他の人が面倒臭がったり、他の人が助けに行ける状況でも、自分が行くんです。

 だから先輩って、いつも後輩の皆からの受けが良かったんですよ?」

 

「……う、参ったな。そういうことを言われるのは、慣れてないというか……」

 

「照れてしまいますか?」

 

「……」

 

「ふふっ、先輩って可愛い人だったんですね。知らなかったです」

 

 少女が微笑んで、青年が照れくさそうに顔を逸らす。

 どうやら彼女の方が上手のようだ。

 

 "生まれつき損得抜きで他者を助けに動くことができる人間"。

 それは物語には数多く見られる人種であり、この世界では絶滅しつつある人種。

 すなわちそれが、羽次郎本人にすら認識されていないことであったが、"地球が彼を選んだ理由"の一つであった。

 

「わたしは、先輩に二回も助けてもらいました。

 だから思ったんです。わたしも、先輩みたいに誰かを助けられる人になりたいって。

 それで高校から頑張っていたら……運命みたいに、また先輩と会えました」

 

 彼女は勉強を頑張った。

 ほとんどチンプンカンプンだったがファッションなども学び、クソダサファッションセンスだけは脱却することができた。

 運動も頑張ってみたが、結局身に付かず。

 どこか残酷な世間の風潮に馴染まず、一歩分距離を置いていた。

 そうして、自分の今までの努力の結果として、学力に相応の大学に進み……彼女は、そこで偶然『彼』と再会したのだった。

 

 まるで、運命のように。

 ゆえに、彼女は花が咲いたような笑みを浮かべる。

 

「また先輩に会えて、本当に嬉しいです」

 

 彼女がまっすぐに向けて来るそのむず痒い感情の意味を察せないほど、彼は愚かではない。

 彼女が見せるその感情を理解できないほど、彼は鈍感ではない。

 けれども"思い違いかもしれない"という思考から、彼は『それ』を頭の中でぐっと押さえつけ、照れくさそうに微笑み、誤魔化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「わたしの買い物に付き合ってもらった分、今度はわたしが先輩の買い物に付き合います」と晶が提案し、二人は本屋から一路雑貨屋へ。

 晶のせいで少し彼女を意識させられてしまった羽次郎だったが、その後の彼女の振る舞いがあんまりにもいつも通りだったので、何とかいつもの自分を取り戻すことに成功していた。

 雑貨屋に来た目的は、羽次郎の母の誕生日が近かったため……つまりは、母への誕生日プレゼント選びである。

 

「三倉田さんも、女性の視点から意見をくれたら嬉しい」

 

「はい、おまかせください、先輩!」

 

 母をよく知る息子の意見と、飛鳥麗と同性の晶の意見が合わさって、プレゼントの候補はどんどん絞り込まれていく。

 羽次郎はその過程で母のことを話し、晶は彼の家族について新しく知ったことと、彼の役に立っていることに、ちょっとした喜びを感じていた。

 

「先輩は、お母様を大切に思ってらっしゃるんですね」

 

「僕の家、物心ついた時から片親でさ。母さんがずっと一人で育ててくれたんだ」

 

「……そうだったんですか」

 

 飛鳥家に父親は居ない。

 詳細な事情は不明だが、羽次郎は生涯に一度も父親の姿を見たことがなかった。

 一人で頑張って働き、子育てに膨大な時間を割き、自分のための時間のほとんどを捨て、安くない金を投じて自分を大学にまで進学させてくれた母のことを、彼は深く愛し、多大な感謝と尊敬を向けていた。

 

「"且はとりあえずって意味。

  だから助けるって字はとりあえずで力を貸すということ。

  救うという字は求められて初めて完成する。

  だから救いを求めてきた人は積極的に救いなさい。

  でも人を助けるだけなら『とりあえず』でいいのよ、それで"

 ……みたいなことを、僕がちっちゃい頃からずっとしてるような人なんだ」

 

「先輩のお母さん、って感じですね」

 

「なにそれどういう意味?」

 

 彼の言葉に彼女は何やら納得した様子で、彼女の言葉に彼は納得できないとばかりに眉をひそめたが、とりあえずで話を続ける。

 彼女が先に自分の内面を曝け出したことで、彼も自分のことや自分の家族のことを彼女に話しても、さして抵抗感を感じなくなっていた。

 

「このペンダントも、母さんが入学祝いにくれたものなんだよ」

 

「わぁ……太陽の光を屈折させてるんでしょうか?

 宝石みたいなのに、不思議と内側から光を発しているように見えますね」

 

 同じ音を二度繰り返す特徴的な喋り方など、羽次郎は母のことを思いつく限り晶に語り聞かせていく。

 普通の友人相手になら話さないような内容も語ってしまっているのは、それだけ彼が彼女に心を許しているということの証明になるだろう。

 アグルのネックレスを話の流れで見せる程度には、彼は彼女に好感と信頼を向けていた。

 

「いい人そうですね。いつか会ってみたいです」

 

「会いたいなら会ってみる? 時間を選べば、挨拶くらいはいつでもできると思うけど」

 

 彼は何も考えずにそう言った。が、彼女はそこで石のように硬直してしまう。

 

「……せ、先輩のお母様に、挨拶ですか」

 

「え? ……あ」

 

 彼はそこで失言に気付く。異性の親に『挨拶』するためだけに会いに行くというのは、恋人同士でもなければしない行動である。

 

「……」

 

「……っ」

 

 微妙な空気。張り詰めているような、甘酸っぱいような、とにかく自分から何か言い出すのが躊躇われる雰囲気が二人を包む。

 何を言うべきか。何と言うべきか。二人が目の前の者だけに意識を集中し、言葉を選ぶ静寂。やがてそれは、彼の携帯の着信音にて終わりを告げた。

 

「ちょ、ちょっと失礼!」

 

 晶から離れた羽次郎の携帯電話に表示されていたのは、彼の電話に最も電話をかけてくる男、金田権之介の名前。

 

(この人どっかで見ててわざと邪魔してたりしないか?

 ……ないか。ふざけてるように見えて、そういう邪魔は絶対にしない人だ)

 

 助かったのか、邪魔されたのか。

 この電話が助けになったのか邪魔になったのかも判断できないまま、羽次郎は通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

 

『私だ。エマージェーシー、怪獣だよ』

 

「……? 今日はやけに落ち着いてますね」

 

『いやあ、驚きすぎて一周回って落ち着いてしまったらしい』

 

 どういう理屈だ、とツッコミたくなる自分を彼はぐっと抑え込む。

 

「怪獣の詳細は?」

 

『分からない。まだ情報が全く見つかってない暫定新種怪獣のようだ。

 分かっているのは、火山から出て来たことから、地球怪獣であるということだけさ』

 

「地球の怪獣……」

 

 出現した怪獣は地球に根ざした生態を持つ怪獣。

 ならば、地球の外に放り出すべきではないし、放り出すこともできない。

 怪獣が出現した理由次第では、対応が非常に難しくなるだろう。

 

『街の外の森に卵が確認されてる。

 親は片方だけで、単独で母になれる類の怪獣であると推測できる。

 だからだろう。相当に気が立っているらしい。

 怪獣は卵に近い生物、つまり人間を襲撃するのではと予想されている』

 

「なっ」

 

『驚きも一周するというものだよ』

 

 卵のせいで周囲に対する攻撃性が増していると、そう推測されている怪獣。卵を街の近くに生み、街の人間を卵に近付く敵と認定して殺害する可能性があるという辺りが、最悪に野生動物らしい。

 

『警察にも通達が来ているようだ。

 そちらからいくらかデータが抜けた。

 怪獣の名はバードン。火山怪鳥バードンだ』

 

「バードン……」

 

『警察への通達内容があまりにもテンプレートそのままだった。

 おそらくは、地球防衛隊も大した情報は持っていないだろう。

 何もかもが分からない地球怪獣……行けるかい? 保証できるのは危険だけだ』

 

「行きます。それが僕の責任です」

 

『行かなくていい。おそらく、すぐ目視できるだろう』

 

「え?」

 

 その瞬間、大きな影が地に瞬くように現れて、暴風が吹き抜けた。

 晶がよろめいて、彼が支えて、晶が頬を赤らめる。

 そして一拍置いて、爆音と風に揉まれた怪獣出現警報が鳴り響いた。

 "怪獣が空を通り過ぎたのだ"と気付いたのは、この街全体で見ても羽次郎(ウルトラマン)ただ一人、そういう次元のスピードであった。

 

「速い……! なんだあれ!?」

 

 街の端から端まで飛ぶのに、一呼吸ほどの時間もかかっていない。

 これでは警報が遅れるのも当然だ。いくらなんでも速すぎる。

 この速さでは、おそらく避難指示を出す警察にも指示は浸透しきっていないに違いない。

 一部の建物の窓ガラスがバードンの生んだ衝撃波に軒並み破壊され、窓ガラスの雨が降り注ぎ、街中から逃げ惑う人々の悲鳴が上がっていく。

 

「先輩! 逃げましょう!」

 

「……」

 

 後輩が彼の手を引いて逃げようとするが、彼女がいくら引っ張っても彼は微動だにせず、また後輩の声にも耳を貸していない。

 バードン出現で発せられた警報の音すらも、バードンは余裕で追い越している。

 ウルトラマンとしての羽次郎の目算に過ぎないが―――音速の十倍程度は、とっくに超えていた。

 

(母親だけの怪獣。母親だけで子を育てようとする怪獣。……死なせたくない)

 

 敵として考えても、恐るべき難敵。

 だが羽次郎は、母一人で卵を産みそれを守ろうとしているバードンに、母一人で自分を育ててくれた麗の姿を重ねていた。

 怪獣から人を守る。

 人から怪獣を守る。

 その両方を果たすべく、羽次郎は晶の手を振り解き、バードンに向かって走り出す。

 

「ダメです!」

 

 だがその手は、またしても晶に掴まれてしまった。

 

「あなたが何を助けるつもりだったとしても、危ない場所に行かせるわけにはいきません!」

 

 それも当然だ。

 彼女視点、彼が怪獣を助けるつもりだったとしても、人を助けるつもりだったとしても、彼にできることなど無いに等しい。

 そして、死ぬ可能性だけは極大だ。

 ならば晶が彼を行かせるわけがない。

 彼女は細い腕で、体力の無い体で、息を切らしながら必死に彼を行かせまいとする。

 

「大丈夫。ちゃんと戻って来るから」

 

「ダメです! 行ったって何もできません! 一緒に逃げましょう。」

 

 行って何ができるかも言わない。

 何故無事に戻って来れるかの根拠も言わない。

 そんな彼を、彼女が行かせるわけがないのだ。

 晶は羽次郎から見れば異常なくらいに、彼を必死に止めようとしていた。

 

「……なんで、そんなに必死に止めようとするんだ」

 

 心に浮かんだ言葉を、彼はそのまま口にする。

 

「なんで、って……」

 

 その言葉に、彼女は深呼吸して、叫んだ。

 

「―――あなたが、好きだからです!」

 

「―――!?」

 

 そうして、晶の言葉は羽次郎の度肝を抜く。

 ちょっと動いただけで赤くなっていた白い肌が、その言葉を発した羞恥心からか、更に赤くなってしまっていた。

 

「ああもう、ムードある時に、最高のシチュで言おうとしてたのに!」

 

 晶は顔を真っ赤にして、彼の右手を両手で握り、力ではなく"気持ち"で彼を止めようとする。

 

「え、あ、え?」

 

「でもあなたをここから逃がすためなら、カミングアウトだってします!

 告白だってします! 偽りのない本音でぶつかります!

 わたしはあなたが好きだから、危ないことはして欲しくないんです!」

 

 半ばその場の勢いで言ってしまった告白だったが、彼女の言葉に嘘はない。

 彼女は彼がずっと好きだった。

 晶は羽次郎のことをずっと想っていた。

 その想いが、羽次郎の内側に変化を生む。

 

「……」

 

 彼もまた、ふとした拍子に顔が赤くなってもおかしくない状態だった。

 

「じゃあ、こうしよう」

 

 羽次郎は自分の右手を両手で握る晶の手に、そっと己の左手を重ねる。

 

「僕は君に告白の返事をするために、必ずここに帰ってくる。それまでの間、必ず君を守る」

 

「え?」

 

「ありがとう」

 

 彼は決意を秘めた微笑みを湛えた。

 

「嫌われるのは慣れてたけど、好きだって言われたのは久しぶりだ。

 女の子から好きだって言われたのは、生まれて初めてだ。だから」

 

 彼は、嬉しかったから。

 

「嬉しかったから―――僕は、君を守る」

 

 その嬉しさを、守る決意に変える。

 守る決意を力に変える。

 そして力を、光に変えた。

 

 彼は彼女の手をほどき、光に包まれる。

 光が消え、羽次郎の姿が消えた後には、片膝を着いて彼女を見下ろす青の巨人が居た。

 

「アグル……ウルトラマン、アグル?」

 

 かくして彼女は、権之介の次にアグルの正体を知った人間となった。

 呆然として己を見上げている少女に、アグルはゆっくりと頷く。

 無言の頷き。

 されど、それは万の言葉を尽くすよりも正確に意志を伝える。

 アグルは少女に背を向けて、空を舞うバードンを見据え飛び上がった。

 

「先輩……!」

 

 少女は子供がガイアを見上げる時のような目で、飛び去っていくアグルを見送る。

 巨人となった羽次郎を見送る彼女の胸中には、あの日彼が口にしていた言葉が蘇っていた。

 

―――僕は君より背が高いから、君を助けないといけないんだ

 

「……ああ、そっか」

 

 他の誰かがやってくれそうなことでも、サボろうとは思わない。

 他の皆が嫌がるようなことでも、率先してやっていく。

 自分にできることがあるなら、それをやる。

 そんな人間に、普通の人間では到底手に入れられないような大きな力を与えたならば、どうなるのだろうか。

 

「飛鳥先輩。あなたは、誰よりも高い背を手に入れてしまったから、今も……」

 

 三倉田晶は、今の彼を形作っている想いの一つを、理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アグルが飛び、アグルに気付いたバードンが高度を上げる。

 両者はジグザグに飛ぶドッグファイトを繰り広げながら、ほんの数秒で一万フィートの空まで飛び上がっていた。

 

『速い……それに力強い!』

 

 戦いは一方的に、バードン優位で進められている。

 最高速度、加減速能力、小回り、飛行技術、そして空中で攻撃に乗せられる物理的エネルギー、どれを見てもバードンはアグルの上を行っていた。

 アグルは適度に距離を取って両手の手刀から光刃を発射し、バードンがそれを回避、戦いは次第に硬直していく。

 

 しかし、それも長くは続かなかった。

 

『! ガイア!?』

 

 突如現れたガイアが、バードンに飛び蹴りを食らわせたのだ。

 ガイアの奇襲に直前で気付いたバードンは超人的な――すなわち獣そのものの――反応を見せ、回避行動を行ったが、ガイアはそれに合わせて飛び蹴りの軌道を変えるという妙技を見せた。

 卓越した技術と先読み、日々の修練がなければこうも上手くは行くまい。

 

 ガイアはそのまま、都市開発中で非常に更地が多い場所、かつ市民の避難が完了している地区にバードンを蹴り落とす。

 

『下がっていろアグル! こいつは俺が殺す!』

 

 バードンはじたばたともがいてガイアを振りほどくが、ガイアはバードンの動きを見切って鋭いフックを叩き込む。

 眉間にフックを叩き込まれたバードンはよろめき、よろめいたところで更に頭部にハイキックを食らう。

 ガイアはそこで容赦せず、バードンに右・左と連続してローキックを打ち、ぐらりと揺れた上体が僅かに落ちたタイミングに合わせ、バードンの顎に強烈なアッパーを叩きつけた。

 

『やめろ!』

 

『……っ! 邪魔をするな、アグル!』

 

 そもままフィニッシュに行くか、と思われたその時、ガイアとバードンの間にアグルが割り込んで来た。

 アグルは両手を広げ、ガイアから痛みに悶えるバードンを庇う。

 ガイアは構わず拳を振り上げるが、その拳はアグルの言葉に止められる。

 

『この怪獣が何かをしたら! その時は、僕が責任持ってこの怪獣を倒す! 約束する!』

 

『―――!』

 

 ガイアの握った拳が、ガイア以外の誰にも気付かれない形で、握る力を弱めた。

 それはアグルの決意と覚悟に対し、ガイアが少しだけ感銘を受けたということに他ならない。

 バードンが沢山の人を殺そうとすれば、アグルは本当にバードンを殺そうとするだろう。

 涙を流しながらも、それを一生後悔するとしても、殺害が一生消えない傷になるとしても、殺すだろう。

 それが『生かす選択をした者の責任』であると、彼はちゃんと分かっていた。

 

 アグルは怪獣を信じようとし、ガイアはアグルの決意を見た。

 拳を握ったまま、ガイアは腕を静かに降ろしていく。

 ガイアは妥協も迎合もしていないが、アグルの信念を暴力で叩きのめし、そのまま怪獣を殺そうとする激情は既に失せていた。

 

『だからこの怪獣が誰かを傷付けるまで、この怪獣を殺すなんて判断は――』

 

 アグルはバードンを信じた。

 ガイアは自分と対極の存在であっても、アグルの覚悟を信じようとしていた。

 ゆえに、信じた気持ちは裏切られる。

 

「――や、め、え?」

 

「……っ!」

 

 

 

 バードンが背後から、アグルの背中をクチバシで突き刺していた。

 

 

 

『貴様ぁ!』

 

 突き刺さるクチバシから"猛毒"が流し込まれるのと、ガイアがバードンに殴り掛かるのはほぼ同時。バードンは殴られるのを嫌がったのか、毒を流し込むのも中断し、空に舞い上がる。

 空にて鳴くバードンの鳴き声は先程よりもトーンが高く、明らかに"敵を仕留めた喜び"を感じている鳴き声だった。

 

 ガイアはそこでバードンの追撃ではなく、胴体に穴を空けられ毒まで流し込まれたアグルが倒れていくのを見て、その体を受け止めに動いた。

 

『おい、飛鳥! 飛鳥羽次郎! 羽次郎! おい、しっかりしろ!』

 

『……あ、ぐ……』

 

『だからやめろと言ったんだ!

 獣が、畜生が人の気持ちを理解するものか!

 お前の言葉は怪獣には届かない! お前の優しさを怪獣は分かろうともしない!』

 

 ガイアがアグルを抱きとめる。

 空では、到着した地球防衛隊とバードンが縦横無尽に飛び回り、信じられない速度でドッグファイトを繰り広げていた。

 

『お前が他者に優しくし、裏切られて傷付くことで、心痛める他人が居ることを忘れるな!』

 

 ガイアはアグルを広い場所にゆっくりと優しく寝かせ、アグルに背を向ける。

 

『進むなら……できる限り、傷付かない道を行け。飛鳥』

 

 そして、空を睨んだ。

 

『貴様は、絶対に許さん』

 

 ガイアが飛び上がり、空の戦いに介入する。

 アグルを受け止めるためにガイアが使った時間は、ほんの数秒だっただろう。

 だがその数秒で、バードンはチーム・ファルコンとチーム・クロウという地球防衛隊の二つのチームを、空から叩き落としていた。

 鳥であるがために当然、バードンは空で戦う方が強いようだ。

 

『速い……! このスピードで、このフィジカルにこの精度……!』

 

 ガイアは全力で食らいつき、独自に開発した空中格闘術や、手刀から放つエネルギーの刃で応戦する。

 しかし、ガイアの力ではバードンに拮抗することすらできていなかった。

 

 ここではない別の世界において、バードンはあらゆる兵器で対応不可能と目されるほどの速度で飛び回り、マッハ20の飛行速度を持つウルトラマンタロウでなければ追いつくことさえできなかったという。

 ウルトラマンガイアの飛行速度はタロウと同じマッハ20。

 ならばウルトラマンとして飛行術を指導されたタロウとは違い、我流で飛行術を学ぶしかなかったガイアが、バードンに対抗できないのは当然で。

 

『ぐっ……!』

 

 バードンの頭突きがガイアの腹に突き刺さり、ガイアがきりもみしながら落下していく。

 なんとかガイアが体勢を立て直した時、最後に残った戦闘機チームがガイアの隣に対空し、外部スピーカーでガイアに声を伝え始めた。

 

「こちらチーム・ライトニング、石堀。分析班からデータが回って来た」

 

 会話と言うにはあまりにも一方的な声の伝達。

 だが、それでいい。これはただの情報伝達なのだから。

 

「……有り体に言って最悪だな、

 ヤツのクチバシには毒がある。ウルトラマンも殺せる毒だ」

 

『!』

 

「しかもこいつ、おそらく人を食う。

 人の街に現れたのは偶然じゃない!

 こいつはここに食事に来たんだ! 産卵に使った栄養を取り戻すために!」

 

『なんだって!?』

 

「こいつの捕食対象にならないものは、致死性の毒で葬られる。

 食べられるものなら、何だって食う。

 つまりこいつは、他種族に対して捕食か殺害しか行わない生命体。

 久しぶりに現れやがった、最悪の部類に入る地球怪獣だ……!」

 

 卵を産んでいたというのも事実だ。

 卵の近くをうろつく人間のせいで気が立っていたというのも事実。

 だがそれ以前に、バードンは人を好んで食らう怪獣であり、バードンがここに卵を産んだのは、子供達に生まれてすぐに餌をやるため。

 そして、卵を生むために使った栄養を、街の人間で補給するためだった。

 

『このスピードで飛び回り、この体格で人を食う?

 団地の人間を一人残らず食っても、おそらく腹一杯にはならない。

 その捕食量でそこら中飛び回られたら、日本はどうなる……?

 あの卵全てが孵ってしまったら、世界はどうなる……!?』

 

 大雑把にバードンは人間の三十倍の身長がある。

 体積で言えば大雑把に約三万倍だ。彼らはそのスケールの胃袋を満たそうとしている。

 親のバードンが十分に食事を行い、卵から生まれた幼体のバードンがたらふく食おうとすれば、この街の人間などあっという間に消え失せるだろう。

 

 そして最新型戦闘機ですらついて行けないバードンが複数体、動物(エサ)を求めて各地に拡散したらどうなるか?

 一匹だけで増えることができるバードンが、日本中で繁殖を始めたら、一体どうなってしまうのか?

 想像するだけで恐ろしい。

 

『こちら権堂。チームライトニングは戦場から離脱しろ』

 

「隊長? 何故ですか?」

 

『万が一ガイアが敗れた場合、君達を決死隊とする。

 バードンを倒せずとも、決死隊を送りせめて卵だけは破壊しなくてはならない』

 

「……了解しました。ガイア、無理はするな! いざとなれば下がれ!」

 

 最悪の事態を防ぐため、地球防衛隊は戦いをガイアに任せ、最後に残されたエースチームを事実上の特攻隊として後ろに下げる。

 残されたガイアは、たった一人でも果敢にバードンに立ち向かっていった。

 

怪獣(おまえ)が人を餌としてしか見ないなら!

 俺は怪獣(おまえ)をただの害獣として駆除するだけだ!』

 

 怪獣への憎しみ。母の死因。アグルの気持ちを裏切ったことへの怒り。

 全てがまぜこぜとなり、ガイアの内に沸き立つエネルギーとなる。

 もはや怒りや憎悪と形容していいのかも分からない赤く熱い鼓動が、ガイアの胸の奥で脈動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バードンのクチバシには、頬の毒袋から流し込まれる毒がある。

 その毒は、生命力が非常に強いウルトラマンでも、何度も突き刺されれば確実に死んでしまうほどに強力だ。

 アグルが刺されたのは一回だけであったが、それでも彼の命は毒に脅かされており、生死の境をさまよっていた。

 

『か……ふっ……』

 

 不意打ちで急所深くまで突き刺されたことも痛かった。

 アグルの胸のカラータイマー(ライフゲージ)が点滅し、アグルの命が尽きかけていることを警告する。

 地球のウルトラマンに、三分の活動時間制限はない。

 あるのは命とエネルギーの枯渇だけだ。

 彼らの胸の宝石は、彼らのエネルギーと命の残量を知らしめるもの。

 

 それが赤く点滅しているということが、アグルの命の危機を"彼女"にも理解させていた。

 

「先輩!」

 

 三倉田晶が、大声で彼に呼びかける。

 彼女は自分の身の危険も顧みず、アグルに向かって呼びかけていた。

 だが、アグルは何も反応を返さない。

 命が尽きかけているアグルには、遠くの声を拾う余裕も無いようだ。

 このままでは、羽次郎(アグル)は確実に死ぬ。

 

(もっと近くに)

 

 晶は更に先に進む。

 周囲の避難は完了しており、彼女はずっと人の居ない街を、怪獣の叫びを聞きながら走り続けていた。

 そうして、彼女はアグルに声が届く距離まで辿り着く。

 

「先輩!」

 

 アグルは死にかけの体に鞭を打ち、彼女の方を向く。

 声援はウルトラマンの力になる。

 人の想いこそがウルトラマンの奇跡の源。

 今この瞬間、アグルが生き延びられるかどうかは晶次第だった。

 

「死なないで、先輩!

 死なせないで、先輩!」

 

 自分に告白してくれた女の子の声が、好きだと言ってくれた女の子の声が、アグルの体に力をくれる。

 

「先輩は、そんな未来を目指してたんじゃないんですか!?」

 

 "そうだ"、と彼は拳を握る。

 "それを目指していたんだ"と、先程まで力の入っていなかった両足で立つ。

 "まだ頑張らないと"と、彼は迫り来る死を押しのける。

 

「頑張って、ウルトラマン!

 他人のためじゃなくて、義務とか使命とかそういうのでもなくて!

 あなたが目指した、あなたが後悔しない未来をその手で掴むために!」

 

 彼女の言葉が、それに応えようとする彼の気持ちが、アグルの死の運命を押しのけた。

 赤く点滅する胸のライフゲージはそのまま、体内の毒もそのままだが、死だけはなんとか先送りにできたようだ。

 

『ありがとう、三倉田さ―――』

 

 そんなアグルの姿を、バードンは遠目に見ていた。

 

 

 

 

 

 バードンは、空中戦ならばガイアでも敵わない。

 だが、ガイアを仕留められるほど追い込めるわけでもない。

 怪獣に憎悪と憤怒を向けるガイアの戦いは生理的なおぞましさと恐ろしさを感じさせ、気迫だけで言えばバードンを圧倒しているほどだった、

 ましてバードンは、先程地上でガイアに滅多打ちにされたのだ。

 バードンはガイアに対し、潜在的な恐怖を抱いていた。

 

 ゆえにバードンは、動物的な思考で一計を案じる。

 動物は弱った獲物を狙う。

 群れの中から弱そうな個体を見抜き、それだけを狙うなど日常茶飯事だ。

 野生動物には野生動物のロジックがある。

 バードンは野生動物のロジックを用いて、強いウルトラマンを倒すために弱いウルトラマンを利用し、弱いウルトラマンを利用するために弱い人間を利用することを考えた。

 

『―――!?』

 

 バードンはガイアとの戦闘中に急旋回。

 ガイアの攻撃を回避する飛翔と、ガイアに背を向けてアグルに向かう飛翔を、同時に行う。

 

『しまっ』

 

 ガイアは腕を十字に組んで交戦を撃とうとするが、バードンが意図的に位置を調整し、ガイア・バードン・アグルを一直線に並べていることに気付き、思い留まった。

 射線が重なっている。

 このまま撃てば、バードンが万が一回避した場合、ガイアがアグルを殺してしまうハメになる。

 

「―――」

 

 毒と躊躇い。

 二人のウルトラマンがそれぞれの理由で動けなくなったその瞬間、バードンはアグルに体当たりをぶちかました。

 バードンの体当たりはアグルのバランスを崩し、後方によろめかせる。

 そして、人型の生物であれば不可避の動きとして、その足は後ろに動き……

 

「うそ」

 

 

 

 たたらを踏んだアグルの足が、晶をぷちりと踏み潰した。

 

 

 

『―――え、あ?』

 

 羽次郎の足に、晶を踏み潰した感触が残る。

 アグルが足を上げれば、そこには赤い何かがあった。

 肉のような、血のような何か。出来の悪いミートソースのような何か。

 それは、"晶だった"何かだった。

 

『あ、ああ、あああ……』

 

 "上手く行った"と言わんばかりに、バードンがトーンを上げた鳴き声を響かせる。

 

『あああああああああああああああっ!?』

 

 絶叫するアグルは、既にバードンを見ていない。

 バードンはアグルを上手く利用するべく、アグルをクチバシで更に一刺ししようとした。

 だが、そこで横合いからガイアに殴りつけられる。

 先程までのガイアの筋力上限のゆうに倍はありそうなその一撃が、バードンを建設途中のビルに突っ込ませ、ビルを跡形もなく粉砕していた。

 

『貴様』

 

 起き上がって来たバードンの腹に、ガイアは抉り込むようなアッパーを叩き込む。

 三万三千トンの怪鳥の巨体が、10mほど浮き上がった。

 

『よくも』

 

 バードンはたまらず直上に飛び上がろうとするが、ガイアが後出し気味に跳ぶ。

 バードンの『飛翔』とガイアの『跳躍』であれば、初速は後者の方が圧倒的に速い。

 ガイアはバードンより早く上を取り、かかと落としをバードンに直撃。

 バードンは痛みに悲鳴を上げながら、舗装された地面に激突した。

 

『よくも……よくも……俺の前で、人を殺したなっ! 怪獣がぁッ!』

 

 上に飛んでも逃げられない、と知ったバードンは地面スレスレから横に飛んで逃げ、距離を取ったところで一気に上昇しようとする。

 だが、左右にも上下にも動かずただまっすぐに距離を取るだけの飛行など、格好の的だ。

 ガイアは抜き打ち気味に腕を十字にクロスさせ、必殺光線(クァンタムストリーム)を発射。バードンの右の翼を綺麗に撃ち抜き、飛行能力もろとも片翼を焼き落とす。

 絶叫しながら地面に落ち、血と土煙を巻き上げて悶えるバードンを見ても、光太郎(ガイア)の心に憐憫の情は浮かばなかった。

 

『貴様は殺す。貴様の種族は絶対に絶滅させる。俺が、俺達が、絶対に』

 

 ガイアがバードンを追い詰めると同時に、人類戦力も合わせて動いた。

 

「攻撃開始!」

 

「了解!」

 

 親が抑え込まれている内に、地球防衛軍の火力が無防備な卵に投射されていく。

 割れる卵。

 奪われる命。

 人を喜々として食らう怪鳥の卵を壊すことを、躊躇う者など居るはずもない。

 彼らの奮闘により、この宇宙におけるバードンという種族は、ガイアが追い詰めている一匹だけを残して皆殺しにされた。

 

 それを察知したのか、親のバードンが叫ぶ。

 我が子を無残に殺されたバードンの母としての怒りが、怪鳥を無謀な突撃に走らせる。

 ガイアは額にエネルギーを集め、独特の構えでそれを迎え撃った。

 

『消え失せろ!』

 

 放たれる必殺の光刃(フォトンエッジ)

 それがバードンの全身を細切れにし、まるで爆発したかのようなエフェクトと共に、無数の肉片へと変える。

 ガイアはバードンの死体になど興味もないかのように体を背け、膝を折って呆然としているアグルを見た。

 

『……飛鳥』

 

 ガイアは手元から光を放ち、アグルの傷を塞いで癒す。

 その過程で全身の毒も抜き、晶が繋いでくれた羽次郎の命を助けた。

 ……だが、心に付いた傷も、心を蝕んでいる毒も消すこと叶わず。

 

 最悪に後味の悪い勝利の中に、バードンという脅威から救ってもらった人々の歓声が、盛大に響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かける言葉が見つからなかった。

 両膝を地につき、ぶつぶつと何かを呟きながら頭を抱えて項垂れる羽次郎を見つけても、光太郎は何も言うことができなかった。

 その苦しみは、その悲しみは、ガイアとして人を守ることができなかった自分の責任であるとすら思っていた。

 

「……風邪を引くぞ、飛鳥」

 

 日は既に沈み、気温も下がってきた。

 光太郎は上着を差し出すが、羽次郎は受け取らない。

 顔を上げた羽次郎を見て、光太郎は息を呑んだ。

 

「……、……っ、……!」

 

「飛鳥、お前……」

 

 羽次郎は泣いていた、絶望していた。だが、折れてはいなかった。

 歯を食いしばり、必死に痛みをこらえ、現実から目を逸らそうとすらしていなかった。

 彼の芯はまだ残っていて、芯を残した全てがすり減り削り取られた状態だった。

 

 そこから伺えるのは、羽次郎の途方もない芯の強さと、羽次郎にとって晶がどれだけ大きな存在だったかの二つ。

 自分と母の関係を重ねていたバードンに優しさを裏切られ、バードンの絶滅という結果に終わってもなお、彼は『ウルトラマン』だった。

 傷付くだけのこの道から、転がり落ちることができていなかった。

 

「……」

 

 光太郎は願う。どうかこのまま、この男がこれ以上傷付くことなく、光と理想の両方を捨てる結末に行って欲しい、と。

 

「地球防衛隊後処理班です。後はお任せを」

 

「ああ、お疲れ様」

 

 そうしている内に、地球防衛隊の後処理班が到着する。

 彼らの仕事は怪獣被害の後始末だ。

 放って置くと腐敗して異臭を放ち、変な菌や病気を発生させる怪獣の残骸を回収・清掃するのが彼らの主な役目である。

 

「早田光太郎どの、その青年は?」

 

「事件に巻き込まれた一般人だ。

 今回の一件でだいぶショッキングなものも見てる。

 純粋な被害者だ、丁重に家まで送ってやってくれ。学生証から住所は分かってる」

 

「分かりました。……立てるか? 君。家まで送るから、そこの車に乗ってくれ」

 

 引きずられるようにして車に乗せられた羽次郎を見送り、光太郎は別の方へと顔を向ける。

 そこでは処理班が、晶の死体――と呼んでいいのかも分からない残骸――を、バードンの死体と同様に処理して街を浄化しようとしていた。

 

「いい、お前達はその人には触れるな。俺がやる」

 

「ですが……」

 

「お前達は殺菌も兼ねてとにかく焼く。

 あるいは特殊な薬品で溶解させる。

 そして、その後その掃除機じみた機械で吸うんだろう。

 俺はそういう処理を人間の死体にするのが好きじゃない。それだけだ」

 

「……」

 

「それを悪いとは言わない。

 決まり事だ、それに効率もいい。

 だが、俺がやると言っている。よそに行ってくれ」

 

 職業意識からか、素直に首を縦に振れない処理班の男達に、光太郎は深く頭を下げて頼み込む。

 

「我儘なのは分かってる。

 エゴだってことも分かってる。

 これで誰かが救われるわけでもないと分かってる。

 ……それでも、頼む。俺が守れなかった、罪の無い人なんだ」

 

「……分かりました」

 

 処理班たちもとうとう折れた。

 光太郎はまた頭を下げて、晶だったものの死体を拾い集め、小さめの棺桶に収め始める。

 

「巻き込んで、すまない」

 

 肉を優しく持ち上げ、収める。

 内臓にそっと触れ、土汚れを落としながら収める。

 血を掬い、掬えるだけ掬って収める。

 骨を拾い、皮膚を拾い、髪を拾い、脳の残骸を拾い、眼球を拾い、収めていく。

 飛び散った歯や、砕け散った爪の破片さえも、彼は拾い収めていく。

 

 彼は手が汚れるのも構わずに、『彼女』を棺に収めていく。

 遺族に届ける遺灰の量が少し増えるだけに終わるだろうに、彼は晶に謝りながら、彼女の体を拾い集めていた。

 

「俺はもう二度と、誰一人として、怪獣のせいで死なせないと誓ったはずなのに……」

 

 彼の手つきは、優しかった。

 怪獣のせいで傷付き死んでしまった人を、どんな理由であってもこれ以上傷付けたくはないという、彼の中の意識がそのまま表れていた。

 

「死なせるのは、これで何度目か……

 こんなにも弱くて、すまない。あなたには、謝っても謝りきれない」

 

 彼は彼女を死なせたことに、罪悪感を感じていた。

 一人の人間として、一人のウルトラマンとして。

 

「もう、誰も。人を怪獣に殺させたりはしない」

 

 一人のウルトラマンは、何も思考することができない状態で、車に揺られている。

 一人のウルトラマンは、後悔の中、人の残骸をかき集めている。

 

 火山で眠っていたバードンを目覚めさせた者は、そんなウルトラマン達の悲しみと後悔を、愉快そうに嘲笑っていた。

 

 

 


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