同日
現在:ホテル(廊下)
「ふぅ……予定よりも、飲みすぎてしまったか……」
美鶴は現在、明彦と堂島の話を聞き終わり、自分に反省させるように呟きながら軽くほろ酔い状態で自分の部屋へと向かっていた。
今は着物ではなく、先程よりもラフな格好になってはいるが、それでも汗は流れる。それもあって早くお風呂に入って休みたいのが美鶴の本音。
しかし、堂島の話は美鶴にとって思っていたよりも楽しい時間であった。
洸夜の子供の頃の話。洸夜から聞かされていなかった話でもある為、話がかなり新鮮に捉えられたからだろう。
だが、全てが楽しい話と言う訳ではなく、美鶴は堂島の話で気になる部分を思い出す。
(子供らしくなかった……か)
美鶴の気になってしまった部分の話。それは、洸夜と悠の母親が、二人を堂島の家に連れてきた時の話。
洸夜がまだ幼稚園で、悠がまだ目を離すのが怖い位の時期の事。
まだまだ若かりし当時の堂島は、洸夜と悠が赤ん坊の時にしかあっておらず、柄にもなく当時は楽しみにしていたと言う事だった。
仕事の都合で父親の方は来れなかったらしいが、堂島は駅へと向かいに行って、車を駅前に止めながら三人が来るのを待っていた。
久しぶりの姉と甥っ子達との再会。どんな顔をしたら良いか、当時の堂島は迷いながら待っていた。そんな感じで待つ事、数分……。
洸夜達を連れた母親が駅から出てきた。堂島は、出来るだけ怖がらせない様に努力しようと思いながら車から降り、三人を迎え様とする。
だが、その三人を見た瞬間、堂島は当時に違和感を覚えたと言う。その理由は……。
「親子らしくないとはな……」
誰もいない廊下で、美鶴は自分だけにしか聞こえない声で、そう呟いた。
日常で幼い子供を連れた大人がいれば、大半の人は親子連れと思うだろう。
恐らく子供や大人の様子、それか雰囲気から判断してそう思う事が多いと思われる。
悠を抱き、もう片方の手で洸夜の手を掴む母親。これだけならば、良い親子だが、堂島が感じた違和感。
親子ではなく、大人の隣に子供が”存在するだけ”と思えた。
そう感じたのだと、堂島は苦笑いしながら言っていた。その話が、美鶴の頭の中で何度もリピートされているのだ。
(堂島さんは自分の気のせいかもと言っていたが……洸夜は、私達といた三年間、一度も両親について話した事が無かったな……)
両親がいない明彦や、父親や母親が他界しているゆかりと乾に遠慮したとも思っていたがが、弟の事は積極的に話すのに、両親の話は洸夜が意図的に話したくなかったのではないかと美鶴は思い始めた。
(洸夜は、自分の両親が苦手なのか?)
美鶴が洸夜についてそう考えた時だった。
「ん……?」
自分の部屋へと向かっていた美鶴。しかし、気付けばここは洸夜の部屋の前。
どうやら、無意識の内に来てしまった様だ。
(何をしているんだ私は……ここに来た所で、私が洸夜に出来る事はないと言うのに)
シャドウワーカーを設立する時も色々と大変ではあったが、自分の思っていたよりは簡単に設立まで運べた。
メンバーも少なく、組織としてもまだまだ完全な活動は出来ていないが、それでも美鶴からすれば大きな進歩である。
しかしそうやって一族の罪を背負いながら歩んで来たが、洸夜の前では何処か自分の弱い部分が出てきてしまうと美鶴は思う。
そんな事を思い、美鶴は扉から移動しようと左を見たると……。
「ん? あれは……明彦達か?」
廊下の奥で、何かを隠れながら見ている、先程バーで別れた明彦の姿が美鶴の目に入った。
他の人に部屋の前に立っている自分が言うのも何だが、明彦の場合はその存在感が災いしてしまい、余計に怪しさが倍増する。
共に向かって中々に凄い事を言う美鶴だが、好奇心というのはだろうか?ついつい、明彦達が何をしているのか気になってしまい、その背後に静かに近付いた。
「っ!?」
「!」
美鶴が明彦の後方に、あと少しでたどり着こうとした瞬間。突如、明彦が驚異的なスピードでその場で体を回し、足を上手く使って美鶴から間合いを取った。
色々と残念なところがあるとは言え、学生時代はボクシングを学び、二年前の戦いを生き抜いただけはあり、明彦の身体能力はそこらの常人よりも研ぎ澄まされている。
そんな明彦は、自分の背後に近付いていたのが美鶴だと分かり、明彦は静かに肩を落とした。
「なんだ、美鶴か……驚かせるな……」
「私はお前の反応に驚いた……。何故、私が近付いたのが分かった?」
「別にお前だとは分かってはいなかった。ただ、何者かの気配が感じたから振り向いた。それだけの事だ」
当然の事だと言わんばかりの口調で話す明彦に、美鶴は思わず溜め息を吐いてしまう。
明彦が武者修行をしている事は知っている。だがしかし、明彦の反応、服装等があまりにも過剰すぎるのだ。
さっきの反応といい、スーツを脱いだ現在の服装である獣の爪で引き裂かれた様な穴の空いたTシャツと言った過剰的な服装。
ここに来るまでの時もそうだった。空港近くで明彦と合流する予定だった美鶴はアイギスと共に車で待っていた。
だが、予定時刻が過ぎても明彦は来ず、美鶴とアイギスは嫌な予感を感じて運転手に空港まで走らせた。
そして、空港途中で警察から職務質問を受けていた、上半身をボロボロのマントだけで隠した明彦の姿を目の当たりにしてしまったのだ。
自分達が来なければ本当に危なかった。武者修行も良いが、出来れば最低でも常人が理解できる服装をしてほしいと思う美鶴であった。
余談であるが、アイギスを含め、美鶴の周りの人が彼女に対してもそう思っているのを美鶴は知らない。
「明彦……もう少し、その服装と過剰な反応をどうにか出来ないのか?」
溜め息混じりで喋る美鶴だが、明彦は何を言っているんだお前は? と言った感じの表情をすると、美鶴に反論する。
「美鶴……お前は野生の力を甘く見ている。奴らに背中を見せると言う事がどういう事か、お前は分かっているのか! 奴らに背中を見せる事、それ即ち……死を意味するぞ! 例え、逃げるとしても奴らを刺激しない様に目線を合わせてゆっくりと……」
(……一体、何の話だ?)
一体、明彦がどんな武者修行をしてきたのか疑問が尽きないが、美鶴は話の内容による頭痛に溜め息を吐きながらも本題に入る事にした。
「所で明彦、お前はこんな所で何をしている?」
「ああ、実は……酔いつぶれた堂島さんを部屋に送って来た所なんだが……」
「……どうした?」
気まずそうに顔を背ける明彦の表情から、何かがあったのは明白。
美鶴は明彦に問い掛けると、明彦は軽く息を吐いて口を開いた
「実は……さっき、アイギスが洸夜と階段の方へ行くのを見た……」
「なに……?」
▼▼▼
現在:ホテル【屋上】
洸夜とアイギスはあの後、何も語らずにただ静かにホテルの屋上へと来ていた。特にこれと言った物は無い、只の屋上。
屋上に何か特別な物を求めても仕方ないのだが、強いて挙げるならば今日は皮肉にも満月。
学園都市での戦いに参加していた者ならば分かる筈である特別な月。美鶴達との再会。そして、今日は満月と言う偶然。
この続けざまに体験する偶然に、洸夜はこれは定めれらた運命ではないかと錯覚しそうになる。
しかし、ただ気持ち良く吹く夜風が洸夜の頭を冷して冷静にしてくれており、風もあって洸夜は自分とアイギスの事を影から見ている二人に気付いていなかった。
「なんて話してる?」
「まだ何も話していないみたい……」
ゆかりと順平は屋上の出入り口の影から覗いていた。二人は洸夜の事が気になって仕方ないのだ。
望まぬ別れをしていまい、ようやく再会したと思えば異常な事態に巻き込まれる。まだまだ成長中とはいえ、洸夜が何かに巻き込まれている事に気付かない程には二人も未熟ではない。
そして何の話をアイギスがするのか多少の不安を覚えながら二人が見ていると、いつまでも夜風を楽しんでいる場合ではないと洸夜は、隣で瞬き一つしないで夜景を見ているアイギスに視線を向け、此処に来るまでに入ってしまった肩の力を抜きながらゆっくりと口を開いた。
「……今更だが、元気そうだなアイギス」
「はい……色々と忙しいですが、それなりに楽しい毎日を過ごさせて頂いています」
「楽しい毎日を……か」
自分の隣に立ち、一緒に夜景を眺めながら話すアイギスを見て、洸夜は本当にアイギスが今の生活が楽しいのだと分かった。
最初に出会った時のアイギスは、はっきり言って普通の機械と変わらない、と言うよりも今一感情が出せていなかった。
これと言った必要最低限だけの感情とも言えない、文字通り機械的な行動のみ。他者とコミュニケーションを取りもしなければ、笑いもしない、ただ彼女の存在理由でもあるシャドウ殲滅の為だけの機械人形だった。
しかし、自分達と生活している内にアイギスは感情豊かになって行き、学校にも通い『彼』を始めとした色んな人から色々な事を学んだ。
そして今、自分の隣にいる彼女はごく自然に自分の意思で笑う事が出来ている事が、洸夜はとても嬉しく思い、アイギスからの言葉の呟きに小さく微笑みを浮かべた。
「お前が笑顔で生きているならそれで良い……ところで、俺に話ってのは?」
「その事なんですが……」
洸夜の言葉にアイギスは、少し言いにくそうに顔を下げるが意を決した様な表情で洸夜を見た。
「洸夜さんにお願いがあります」
「……なんだ?」
アイギスからのお願い事態が珍しいのだが、次にアイギスが言った言葉で洸夜は表情を固くする事になる。
「実は……洸夜さんに戻って来て頂きたいのです」
「なに……?」
「そして……美鶴さんを支えて下さい」
「……!」
アイギスの言葉に、洸夜は一瞬だが言葉が出なかった。
アイギスが自分が寮から姿を消した本当の理由は疎か、その”切っ掛け”も知らないだろう。その事を知っていればアイギスもこんな事は言わない。
そう思った洸夜は、これであの日の事を思い出すのは何度目かと想いながらも、アイギスに事情を説明しようとする。
「アイギス……俺が皆の前から消えたのは……」
少し抵抗があったが、洸夜がアイギスに二年前の事を伝え様とした時だ。
先に動いたのはアイギスだった。
「存じております、美鶴さん達との事……」
「っ!?――お前、何でそれを……」
美鶴達の反応から察するに、あの場に居なかったアイギスを含んだ風花達には、あの事を伝えてはいない筈だと分かる。
それなのに、何故アイギスがその事を知っているのか洸夜は不思議でならなかった。
「不思議……ですよね? 私が洸夜さんと皆さんとの間の事を知っているのが 」
「……何処で知った?」
「……"コロマル"さんからです」
「……盲点だったか」
S.E.E.Sメンバーの中で唯一の動物にしてペルソナ使い犬であるコロマは頻繁に一階のリビング周辺でリラックスしており、あの時の洸夜と美鶴達との揉め事を見ていても変ではない。
意外な目撃者の登場に、洸夜は一瞬だが思考が止まりかけるが、納得できれば後は単純だ。そのあまりの単純さに洸夜は笑うしかなかった。
「アハハ……何処に隠れていたんだか」
おかしく笑う洸夜だが、その洸夜の表情を見たアイギスの表情は暗くなる。
見ていて痛々しい、そんな風に今の洸夜の事が見えてしまうからだ。
「私も最初は疑問に感じていました。確かに洸夜さんならば、二年前の戦いと『あの人』の事を自分一人の責任にしてしまう可能性は確かにあります。ですが……洸夜さんの事を説明した時の美鶴さん達の様子が変でした……」
簡単に言うアイギスだが、『彼』の結末の状況下でそこまで冷静に物事を見極められたのはアイギスだからこそ出来る事だ。
本来ならば、一番心が傷付いているのは彼女自身であるにも関わらず……。
「それで、疑問に感じていたお前の下に来たのがコロマルか」
「はい……」
小さく頷くアイギスに、洸夜は彼女の言葉を聞いて複雑な心境だった。
何を言えば良いのか。これ以上の関りを持っても大丈夫なのだろうか? 洸夜は困惑の下、どうしようも出来ない不安に怒りを覚えるが、それを発散させる術もない。
「この事を知っているのは私とコロマルさんだけですから安心して下さい」
洸夜の心境を察したのかどうかは分からないが、アイギスはこの事を誰にも告げていない事を伝えるが、洸夜にとってそれはどうでも良かった。
あのメンバーで自分との繋がりを思っている事、それが問題だからだ。
「……アイギス。俺は美鶴の傍にはいられない」
「……何故ですか?」
洸夜の言いたい事が分からないと言ったアイギスの反応、それに洸夜は目を逸らす。
「正確には……お前等の傍にはいられないだな」
「……」
洸夜の言葉にアイギスは黙る。だが、だからどうして……と、目で語っている。
「いつまでも子供じゃない……俺がいなくても皆、立派に自分の道を歩いている。――俺がいないと何も出来ない様な弱い人間じゃないだろ……アイツ等は……!」
「それは――」
「それは違います!」
アイギスの言葉を遮り、洸夜の言葉に異を唱えた者が現れる。
二人は聞き覚えのある声の方を向くと、そこには堂々と立つゆかりと、明らかに動揺してビビっている順平の姿があった。
「ゆかり……か?」
「……」
ゆかりは洸夜の言葉を無視し、堂々と力強く歩いて洸夜の前に立つと目の前で顔を見上げ、若干、怒ったような表情を浮かべていた。
「いないとどうとか……そんな事は関係ない。……大切な人に傍にいて欲しいと思っちゃいけないんですか!」
「……」
ゆかりにとって、洸夜と言う人物は一言で言えば『兄』を感じさせる男性だ。
初めて会った時は普通に好印象はなく、外見やら何を考えているのか分からない行動と性格に距離を置いたものだとゆかりは当時を振り返る。
だが毎朝、朝食・昼の弁当・夕飯、そしてタルタロスで戦う姿を見て行く内、洸夜の傍にいると安心する事に気付く。
しかし、それが恋愛感情ではない事にもすぐに気付いていた。何故ならば『彼』がいたからだ。
そんな兄の様に慕っていた洸夜だが、そして『彼』にも言えた事だが……ゆかりには嫌いな所があった。
「なんで……なんでそうやって……”本当の意味”で相手の気持ちを理解してくれないんですか!! 相手にとっての自分と言う存在がどんなものなのか……それを理解せずにいつも無理ばっかりして……」
ゆかりはそう半場叫び、洸夜の胸ぐらを掴み上げた。
「少しは!――自分が相手にとって”特別”な人間だって自覚しなさいよ!!」
「ゆ、ゆかりっち……!」
ゆかりの迫力に順平は動けず、ゆかりも力尽きた様に胸ぐらから手を離す中、洸夜はただ黙って彼女の横を通り過ぎ……。
「それは……俺以外の奴に言うべきだ……」
「!」
過ぎ去る洸夜の言葉に、ゆかりはハッと顔を上げながら、その場に膝を付く。
ゆかりは気づいてしまったのだ。自分が何故、こんな事を言ったのか。それは簡単に言えば”変えたかった”からだ。
洸夜と今の自分達とのこの関係を変えたかったが、自分には洸夜を止めることは出来なかった。そう、ゆかりは確信してその場に膝を付く。
だが、そんなゆかりの言葉に動いた者はいた。
「ま、待ってくれ鳴上先輩!!」
伊織 順平、彼が動いた。洸夜と話す事が気まずいと、ずっと思っていた順平だったがゆかりの行動に心を動かした。
二年前、あの別れ方は正しかったのか? 己に解いたその疑問に順平の答えは”否”だ。
出会い方は良くなかっただろう。明彦の言葉に乗り、楽しみ・多少の刺激程度で参加する自分に色々と説教ではないが、危険だという事をしつこいレベルで言われた事を順平は今も覚えている。
『彼』に対しては自分よりも何も言わない事が更に気にくわなかった。”特別扱い”としか思えなかった順平だが、今思えば当たり前だと言える。
自分と『彼』とでは覚悟の重さ、その全てが違ったのだから。
それでも洸夜に対し印象が変わるまでは時間が掛かった。気にくわない先輩、それをすぐに受け入れる事は下手なプライドが許さなかった。
だが、共に生活してゆく内に受け入れて行ってしまった。順平の己の意思で……。
真次郎の情報を得る為に駅裏へ黙って向かった時、自分達の後を追って不良から庇ってくれた。毎日、食事を作って貰った。大切な人を守り、そして助けてくれた。
そんな先輩だ。卒業時には柄にもなく精一杯の想いで送り出してやろうと思っていた。なのに……。
(なのに……なのに……! あんな送り出し方があるかよッ!)
順平は怒りを覚えた。自分に対して? 仲間に対して? それは順平自身にも分からい事。
あの時、理由もなく感じてしまった不快感を順平は不可思議に覚え続けている日々も中、納得はした事はなかった。
故に洸夜と正面からぶつかる選択を選ぶ。それが順平の今の選択の答えだった。
「オレ……オレ……”あの時”の事、今でもよく分かんないんす……なんであんな事を思ってたのか。自分でも分かんねぇとか馬鹿って思われるかも知んねぇすけど……それでもオレ……納得はしてねぇんだ!」
「……!」
順平の言葉に洸夜は足を止めた。意識した事ではなく、足が動かなかった。まるでこの場から去る事を許していない様に。
「そんで……そんでよ……今のゆかりっちの言葉で目が覚めたんだけど……鳴上先輩はいつも俺達の事を考えてくれていた。だから……あの後、すぐに寮を出たのは俺達の為だったんじゃないんすか!?」
「違うッ! 俺の意思で勝手に出て行っただけだ! 卒業生が寮から出るのは当然だろうがッ!!」
洸夜は順平の言葉に声は張り上げ、叫びの様に否定した。そして左手を強く握り絞める。
その姿を見たアイギスは、その洸夜の後姿に弱々しさを感じ取っていた。
「洸夜さん……!」
嘗て『彼』と共に誰よりも出ていた故に、皆は洸夜の背中を知っている。力強く、安心して前に進めたあの想いを。
だが、今はそれが感じられない。寧ろ、虚しさや悲しさしか感じる事が出来ない。心が温かくなる事もない。冷たく、辛さしかアイギスの瞳には写らない。
(洸夜さん……あなたに何が起こっているんです……?)
アイギスの心は微かに異変に気付き始めていた時、洸夜の言葉に今度は順平が叫んだ。
「当然ってなんだよ! 天田や風花がどれだけ辛かったのか分かるんじゃねぇのかよ! なのに……あの時の事が自分の責任だって言われただけでオレ等が納得できると本気で思ったのか!」
「納得しろッ! それで全てが終われる!!」
「出来ない!」
洸夜の叫びをゆかりは立ち上がって否定した。
「なんでそれで終わらせようとするんですか! なんで私達を信じてくれないんですか……!……なんで洸夜先輩が……なんで……」
ゆかりは脱力する様に再びその場に膝を付く。だが、今度はその瞳から涙が静かに流れ落ちていた。
「なんで……”あんな事”が起こったんですか……?」
「……ッ!」
ゆかりの言葉に洸夜は黙った。言葉が出なかった。苦しみを圧し留める様に右手で髪ごと頭を掴み、歯を噛み締める。
もう何を言っても傷付ける。何を選んでも誰かを危険に晒す。洸夜はもう、未来が見えなかった。
「俺には……俺にはもう……」
「お前は……なんで苦しんでいるんだ、洸夜?」
声に反応し、洸夜が顔を上げると屋上の入口から現れる美鶴と明彦の姿がそこにあった。
「美鶴……明彦……」
二人が現れ、洸夜はいよいよ言葉が全て失う。
ゆかりや順平は二人の登場に驚きながらも安心し、アイギスもその三人の様子を見守ろうとする。
そして洸夜へ明彦が近付き、胸倉を掴み、洸夜の目を無理矢理に自分の目に合わせた。
それに対し洸夜は目を逸らすが、明彦はこれで十分だと、口を開く。
「洸夜……全てを話せ! お前は何を知っている! 何で苦しんでいる!? 二年前……俺達の間に何が起こっていたんだ!」
「忘れろ……全て……!」
月が照らす、冷たい夜風が吹く世界で洸夜の言葉を全員がハッキリと聞こえた。
その言葉にアイギスは悲しそうに瞳を閉じ、ゆかりは口に力を入れて涙を耐える。順平はどうしようもない怒りが抱き、美鶴はただ黙って明彦と洸夜の様子を見守る。
そして明彦は瞳に力が籠り、その瞳で洸夜と目を合わせ、今度は逸らさない洸夜と今度こそ向き合った。
「……洸夜、ならばお前が言ってみろ」
「なんだと……?」
明彦の言葉に洸夜の表情が変化する。困惑、そして言っている事の意味が分からず抱く怒り。
だが明彦はもう怯む事はしない。後輩が向き合おうとしている中、自分は何をしているのか。洸夜と向き合うこのチャンスをみすみす逃すと言うのか。それは違う。
故に明彦は今、洸夜と向き合っているのだ。
「言ってみろ……俺達が邪魔だ。消えろ、憎い……一緒にいて碌な事はなかったと! 言えば言う通り忘れてやる! 言ってみろ洸夜!! 順平はうざい! 岳羽は軽率! 天田は邪魔だ! 山岸の料理は食えた物じゃない! アイギスは兵器! 美鶴は巻き込んだ元凶! 俺は何も出来ない唯の弱者と言って――」
「言えるか!!」
月夜の下、再び美鶴達は洸夜の言葉をその耳で確かに聞いた。
はっきりとした一言だが、洸夜から聞きたかったものでもあり、美鶴達、そして明彦は驚き目を大きく開けている。
「俺の両親は仕事人間だ……俺や悠はそれでいつも寂しい想いをしていた。……だから、お前等との生活は楽しかった……”家族”の様に思えていた……!――そんなお前等にそんな事が言えるか! 俺はお前等を嫌う訳がない!!」
「なら……なんで何も言わない!?」
「だからだ!!」
その洸夜の叫びに美鶴達全員の身体が震えた。覇気が籠った叫びで洸夜が本気で言っている事が分かってしまったからだ。
「お前等を大切に想っている……だからこそ! 二年前の”あれ”が起きた! 俺が
歯を食い縛り、洸夜はその瞳から涙を流す。その想いの乗った叫びを受け、美鶴達は言葉が出なかった。
自分達が知りたかった事、その片鱗を得た筈にも関わらず、美鶴達はそれを理解できず、ただ洸夜が一人で苦しんでいる事だけを知ってしまった。
「洸夜……」
美鶴は一歩、また一歩と前に進み、洸夜の下へ向かおうとする。
だが、洸夜と彼女たちは
――刹那、屋上一帯に背筋を凍らす程の悪寒が全員に走った。
『ウオォォォォ!!』
洸夜が叫ぶ。洸夜を使い、微かでも己の存在を具現化して主の真上に降臨するアイテル。
『%#&*&+*!?』
奇怪な咆哮。満月がアイテルを照らし、まるで祝福するかのように幻想的な光景を生み出す。
だがこれは現実でしかない。微かな存在しか保てずともアイテルは美鶴達へ敵意を向ける。
『黒キ愚者ガ望ンダ絆。同時ニ、オ前達ガ望ンダ絆……『黒きワイルド』により築かれた真なる”負の絆”……』
「負の絆だと……?」
「どういう事だ……!」
美鶴と明彦は上空に君臨するアイテルを睨むが、アイギス達はそうではない。
「アイテル!?」
「またなの!」
「やっぱ先輩、ペルソナが……!」
咄嗟に構える三人だが、今のメンバー達にはアイギスしか戦う力は持っていない。
現実で薄くともここまで存在を保つアイテルが異質なだけであり、今この状況の無力は誰のせいでもない。
『己ガ築キシ絆……何故、拒絶スル……?』
「もう止めろッ!!」
洸夜は微かな意識の中、無我夢中で”抑制剤”を口に投げ入れて噛み砕く。
『――過去ハ――取リ戻セナ――イ――全テヲ――”死ノ絆”ヲ――』
アイテルはその言葉を最後に、その姿を消す。そして解放された洸夜は糸が切れた様に力なくその場に倒れた。
「洸夜!!」
美鶴がすぐさま駆け寄り、洸夜の身体を支える。それに続き、明彦達も傍に掛け寄って洸夜を見た。
やや服が汚れていたが、洸夜の顔色は良く、呼吸も安定しており気を失っているだけの様だ。美鶴達はその事に一安心するが、同時に洸夜の手から零れた抑制剤に気付いてしまう。
「洸夜……!」
洸夜の名を呼ぶ美鶴の表情は悲痛に包まれる。
抑制剤を始め、それらは桐条の罪だ。洸夜の苦しみも元を辿れば五年前に洸夜をS.E.E.Sに誘った自分達、否、桐条が今の洸夜に苦しみを与えているとしか言えない。
だが自分に今、何を洸夜にしてあげられるのかが分からない。解決、協力、一体何を? 美鶴にはそれが何かが分からない自分が情けなかった。
ようやく、目の前に会いたかった人がいるのに何も分かってあげられない自分が……。
「鳴上先輩……本当に死んじまうって……!」
順平も同じ想いだった。チドリをずっと支えてきた彼だから分かる抑制剤と言う”命を守る”為の”命を奪う”劇薬の苦しみを。
このままでは洸夜は死ぬ。順平の表情には焦りが現れ、明彦とゆかりも同じ表情だった。
ただアイギスを除いて……。
「『黒きワイルド』……」
「なに……?」
アイギスの呟きに美鶴が聞き返し、明彦が思い出す。
「そう言えばアイテルも言っていたな……『黒きワイルド』って」
何か意味でもあるのかと明彦は考え始め、その明彦の言葉にアイギスは頷いた。
「昔……『あの人』が言っていたんです」
『先輩の力は……『黒』なんだ。だから僕と違って『全』であり『可能性』その物でもある。――だけど先輩は僕と強く絆を結んだ事でワイルドを持つ者としての『旅』を中断させてしまった。だから先輩の『■■■』はアイテルへとなってしまったんだ』
嘗て、アイギスにとって最愛の人であった『有里 湊』の言葉を美鶴達へ伝えて行くアイギス。
彼女のその言葉を美鶴達は黙ってそれを聞き続けた。
『……だけど『黒』は一色じゃない。一色ではなれないんだ。『黒』は”黒”だけでは生まれない。――いつか先輩は向き合う事になると筈』
アイギスの話はここで終わった。当時のアイギスにも分からなかった話。アイテルの言葉を聞くまで思い出せなかった言葉を受け、美鶴達も考え始めた。
「……『黒』とはどういう意味だ?」
「まるで『あいつ』と洸夜のワイルドが別物の様に俺は聞こえたが……」
「逆に私は『彼』と洸夜さんのワイルドは”同じ”な様に聞こえました……」
「だあぁぁぁぁぁぁ! 昔から『アイツ』はよく分かんねぇ事ばっか言いやがって! 宇宙人か!? 今はそんな場合じゃねぇのに!?」
結局、答など出る筈もなく『黒のワイルド』と『彼』の言葉だけ残ってしまう。
「取り敢えず……洸夜を休ませよう」
洸夜を抱く美鶴はそう言い、明彦達も無意味に考えるよりはとそれに頷くしかなく、美鶴は洸夜に背負う様にして洸夜の手に触れ、気付いた。
(……冷たいな)
昔、美鶴は洸夜からは温かさを感じていたが今はそれを感じる事が出来ない。
まるで悲しみ一色であり、そんな考えが美鶴を更に悲しませる。だが、それを言っても何の意味もない想いであり、美鶴はそれを無理矢理に呑み込んでその場を後にする。
▼▼▼
7月10日 (土) 晴
現在:ホテル【入り口前】
翌日、ホテルの入り口に止まっているリムジンの前で、堂島達と美鶴達は別れの挨拶兼雑談をしていた。
元々、美鶴は今回のお見合いには乗り気ではなかった。相手が洸夜と最初から知っていれば結果は変わっていたかも知れないが、最初から今日の午前中に帰る事を計画していた為、こんなにも早めに撤退になったのだ。
「この度は、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ……折角のお見合いなのにごちゃごちゃになってしまって……」
「……先程も言いましたが、それは気にしないで下さい。お見合いの話は、またいつか……」
「そう言って貰えると、此方も安心できます」
こちらも乗り気ではなかったとはいえ、変な意味でうやむやになった聞かれれば、洸夜達の母である自分の姉に何をされるか分かったもんじゃないと堂島は冷や汗を流していた。
二日酔いで痛む頭痛に耐えながらも、美鶴とお見合いの今後について話し出す堂島を他所に、その向こう側では、悠と菜々子がアイギス達と会話を楽しんでいた。
「アイギスお姉ちゃん……またね!」
「菜々子ちゃんもお元気で……」
菜々子に合わせてしゃがみながら話をするアイギス。お互いに笑顔でありながら、菜々子の表情は時折、悲しそうな表情をしており、寂しさを隠せないでいた。
たった一日でも、アイギスと過ごした時間は菜々子にとって確かに楽しいものだった。
「アイギスお姉ちゃん。また……ななこと会ってくれる?」
思わず悲しそうになる表情だった菜々子は、アイギスに見えない様に顔を下に向けた。
そんな菜々子の表情から感じとったのか、アイギスは優しい笑顔で菜々子に小指を差し出す。
「大丈夫……いつかまた会えます。その約束として指切りしましょう」
「……うん! 約束だよ!」
そう言って互い指切りをして満面な笑顔で約束をする二人は指切りが終わった後、何故かアイギスの顔をジッと菜々子は眺めていた。
「あの……何か、私の顔についているでしょうか?」
恥ずかしいのか、少し自分の顔に熱が生まれるのを感じたアイギスの内心を知ってか知らずか、菜々子はアイギスの顔を更に凝視しながら口を開いた。
「アイギスお姉ちゃんって……わるい人と戦ってるの?」
首を傾げながら言う菜々子に対し、アイギスも思わず首を傾げてしまう。悪者かどうかは分からないが、自分はシャドウと戦っているのも事実。
だが何故、菜々子がそんな事を思ったのかアイギスには検討が付かなかった。
「……悪者かどうかは分かりませんが、どうしてそう思うのですか?」
アイギスの言葉に、菜々子は彼女の目をしっかりと見つめた。
「だって、アイギスお姉ちゃん……"ロボット"さんだよね?」
「!」
菜々子の言葉に、アイギスは言葉を失ってしまう。菜々子からすれば、アニメ等の影響でロボット=悪者と戦うと言うイメージが生まれてしまっているのだろう。
だが、アイギスからすれば、自分がロボットだと言うのがバレている。
しかも自分は只のロボットですはなく、シャドウと戦う為に造られた言わば兵器。一歩間違えれば、自分は誰彼構わず傷付ける存在。
アイギスは少し胸が悲しくなるのを感じながら、菜々子の言葉に頷く。
「はい……菜々子ちゃんの言葉通り、私はロボットです。……怖いですか?」
「どうして? 菜々子、アイギスお姉ちゃんがロボットさんって言うのぶつかった時に分かってたよ? それにアイギスお姉ちゃんはやさしいし、怖くないよ! 逆にカッコいい!」
怯えた様な表情を一切しておらず、寧ろ楽しそうに話す菜々子からの思わぬ返答に目を丸くしてしまうアイギス。
人とは違う自分に対し、菜々子が本当は怯えているのではないかと思い、アイギスはそう言った。
しかし、菜々子は兵器である自分の事を怖くない、それどころか優しい、カッコいいとまで言ってくれた。
ぶつかった時に自分がロボットと分かったにも関わらず、ずっと自分に対してあんなにも懐いて来てくれていた。
そう思うと、アイギスは自分の胸が温かくなり、目にも涙が溜まり、手で目の辺りをチェックする。
「アイギスお姉ちゃん……泣いてるの? 菜々子、わるいこと言ったの?」
アイギスが泣きそうになっているのは自分のせいだと思い、菜々子は心配そうにアイギスを見るが、アイギスは静かに首を横に振る。
「……いいえ。これは悲しいからではなくて、嬉しいから泣きそうになっているんです……菜々子ちゃん、ありがとうございます」
「???」
何故、自分がお礼を言われたのか分からない菜々子は再び首を傾げてしまい、そんな菜々子の様子にアイギスは嬉しそうに微笑んでしまった。
そんな二人の様子をゆかりと順平も遠くで見ていた。
「アイギスったら、すっかり菜々子ちゃんに懐かれたわね」
「本当だったら、ゆかりっちの方が子供受けしないといけないのにな……」
順平の余計な言葉にゆかりは彼の足を力一杯、踏んづける。
結果、ホテル周辺で変な奇声が発生してしまった。
そんな中、更に少し離れた所では悠と明彦が立ち話をしていた。
「……洸夜はまだ眠っているんだな?」
「はい。一回目を覚ましたんですけど……見送り出来るほど元気じゃないとか言ってました」
互いにホテルの入口の柱に背中を付けながら語る悠と明彦。
二人は洸夜について話しており、明彦は悠の言葉に瞳を閉じる。
(……目が覚めたのか。それだけでも分かれば良い……)
「兄さんが目覚めたら一言、伝えときますが?」
「……すまないな」
悠からの言葉に、そう言って礼を言って明彦は空を見上げた。
大きな雲や小さな雲。色々な雲が浮かぶ晴ればれとした綺麗な青空だが、明彦の心はそんな空を眺めても晴れない。
自分達が招いた罪。昨日の洸夜の異変。
自分の知らない所で、また何かが起きている。そう思ってならず、明彦は自分の胸から感じるざわざわとした感じに不快な気分を消せない。
(それだけじゃないがな……)
そう心の中で呟くと、明彦はチラッと悠の方に視線を向けた。
明彦が気になった事。それは悠がお見合いの場で一瞬だけだが、小さく発した"ペルソナ"についての言葉。
(鳴上 悠か……一体、どこまで知っているんだかな)
明彦からそんな事を思われているとは知らない悠は、菜々子とアイギスの方を見ている為か、明彦の視線には気付かなかった。
そんな風にそれぞれが会話をして数分が経ち、明彦達四人は美鶴に呼ばれてリムジンへ乗車する。
すると、桐条の使用人らしき者達が数人現れ、美鶴が入るのを確認すると扉を閉めて悠達に一礼し運転席へと移動した。
そんな出来事に良く分かっていない菜々子はともかくとして、呆気に取られる堂島と悠。
自分達が普通に接していたのはああ見えても、桐条グループの現当主。その事が今になって実感した二人を知ってか知らずか、窓から美鶴達は悠達に軽く頭を下げた。
「それでは、私達これで……」
「アイギスお姉ちゃん! バイバーイ!!」
菜々子の笑顔に、アイギスで返しながら手を振り返し、リムジンはゆっくりと前進する。
そして、まるで嵐が過ぎ去ったかの様な感覚の堂島と悠はリムジンが見えなくなったのを確認すると同時にゆっくりと溜め息を吐いた。
「……やれやれ、お見合いの付きそいって、慣れない事はしない方が良いな」
昨夜のバーの様に限られた人数ならばいつも通りの感じに話せる堂島だったが、さっきの様な状況では下手に気を配ってしまい気疲れしてしまう。
そして、やっと肩の荷を下ろしたと言わんばかりに伸びをすると煙草を取り出して火を着けた。
そんな堂島に共感する事もあれば、良い息抜きな感じに思っていた悠は、堂島の言葉に苦笑で返す。
「まあ、少なくとも菜々子には良い息抜きになったと思うよ?」
「ん? まあ……そうだな」
この間のゴールデンウィークもそうだったが、菜々子に家族で出掛けるという事をずっとしてやれなく後悔していた堂島。
今回のは洸夜が倒れたり色々合ったが、菜々子には其なりに良い思い出を作る切っ掛けをくれた洸夜と姉に感謝している。
そんな風に思っていた堂島は、煙草の煙を二人に掛からない様に吐くと何気なく悠の方を向いた。
「……それにしても悠。お前は何とも思わなかったのか?」
「何が?」
「何がって……場合によっては桐条美鶴がお前の義姉になるかも知れなかったんだぞ? 少しは思う所があったんじゃないのか?」
「……」
堂島の言葉に悠は少し黙る。
堂島の言う通り、少なからず不安等はあった。
元は両親が自分達に一切何も言わずに勝手に進めていたお見合いであり、自分の目の前にいた女性が兄と結婚して自分の義姉になるかも知れない状態に洸夜じゃなくても、色々と不安はある。
「……其なりに不安はあった。けど、最終的には兄さん達が決める事だ。俺が不安がっても仕方ないと思ってる。それに、良くは分からないけど……兄さんと美鶴さんが何故かお似合いに見えた」
「……成る程な。まあ、確かに……俺達が騒いでたってしょうがねぇな」
そう言って堂島が吐いた煙草の煙が空に登って行くのを悠は静かに見詰めていた。
▼▼▼
現在:リムジン【車内】
悠達が色々と会話をしていた頃、美鶴達は口を閉じていた。
いや、正確に言えば、機嫌が悪くなっている美鶴の雰囲気に困惑してどうすれば良いか迷っているアイギスと、触らぬ神に祟り無しと言わんばかりの雰囲気で腕を組みながら目を閉じている明彦達の四人が口を閉じていた。
美鶴が機嫌を悪くしている理由は極めて単純。原因はこの車だ。
美鶴が部下に頼んだ車は単純に自分達四人が"余裕"を持って乗れる車と言った。そう"余裕"のある車と……。
しかし、部下が何を思って決めたのか分からないが、その結果がリムジン。正直な所、美鶴はリムジンが嫌いだ。
今走っている場所は色々と人通りも多く、交通も充実している。リムジン等と言った目立つ車に道行く人全員が此方に視線を向けて来る。
外から中が見えない様になっている為、外から美鶴達の姿が見える事はないが、そんな事は関係なかった。
はっきり言って落ち着きもしなければ、集中も出来ない。
(洸夜の御家族に嫌味だと思われなかっただろうか……?)
先程の別れ際に見た悠達の絶句した表情を思い出しながら溜め息を吐く美鶴。
そんな時、明彦が口を開く。
「美鶴」
「どうした?」
さっきまで目を閉じていた明彦だったが、いつの間にかその手には"子供に好かれる強者の成り方"等と書かれた胡散臭い本を読みながら美鶴へ問い掛けた。
「……洸夜の事はこのままにするのか?」
「シャドウが関わっているかどうかは分かりません。ですが、洸夜さん自身が何かに巻き込まれているのは確かな気がします」
明彦とアイギスの言葉に向かいに座っているゆかりと順平達も不安そうな表情を浮かべており、美鶴も昨夜の事を思い出す。
洸夜は自分達に会うのを拒んでいたが、それで本当に良いのかと思えば美鶴も納得は出来ていなかった。
「けど、鳴上先輩って今は何処に住んでんだ? 連絡も相変わらず出来ねぇし……」
順平の最もな話が車内を包む。
確かに誰も今の洸夜の住所を知らない。”昨日”までは……。
「……私は卑怯だな」
そう呟く美鶴の手には一枚の資料が握られていた。
その資料の右上には一人の男性の顔写真が貼ってある。――『堂島 遼太郎』の顔写真が。
堂島の資料を見合いの後に部下に頼んでいた美鶴は、資料の住所の部分を見詰める。
「……稲羽市か」
美鶴達が動き始める事を洸夜が気づく事は出来ない。
▼▼▼
7月11日(日)曇り
現在:稲羽市
「すまんな、せっかくゆっくりしていたのに、日曜日の朝一で帰る事になっちまって……」
「仕方ないさ、それだけ叔父さんが頼りにされているって事だって」
そう言って洸夜は、車のミラーで後ろの座席で寝ている悠と菜々子の様子を見る。
何故、洸夜達がこんな今朝早くから稲羽市に戻っているのかと言うと昨日の昼頃、堂島の携帯に連絡が入り、どうしても堂島でなければ駄目な仕事が出来た為に急遽、稲羽に戻る事になった。
また、すぐに仕事に行く堂島を気遣って洸夜が運転していた。
そして暫く運転していると、やがて稲羽の町に近付いたのだろう。霧が濃くなったのに気付き、洸夜は車のライトを点灯する。
「……霧が濃すぎる」
稲羽の町は相変わらず異常に濃い霧に包まれており、運転する洸夜にとっては邪魔で仕方なかった。
ライトを点灯しても其ほど意味がない中、堂島が洸夜に視線を向けた。
「洸夜……」
「ん、どうしたの?」
「いやな……俺が言う事ではないとは思うが……そのな、無理はするなよ。何かあったらちゃんと俺や菜々子、そして悠に――」
「叔父さん」
堂島が言わんとしている事が分かったらしく、洸夜は堂島の話に割り込んだ。
「気持ちは嬉しい……けど、こればっかりは俺達の問題だ」
そう言って、洸夜は赤信号の交差点でブレーキを踏んで車を止めた。
まだ、早朝だからか霧が立ち込める交差点には人の気配はなく、鳥の鳴き声一つも無い程に静かだった。
「洸夜……お前と悠は俺に大切なことを思い出させてくれた。だから、今度はお前の力になってやりたいと思ってる……まあ、こんな、短い間で父親面はされたくはねえかも知れねえが……」
洸夜の様子に苦笑する堂島だが、洸夜は堂島の言葉に首を振った。
「それは違う……俺は両親と話す機会が少なかった。悠が生まれてからは尚更……でもさ、叔父さんは少なくとも、どれだけ仕事が忙しくても菜々子とは話をするだろ? 俺はそれすらも無かった。――俺も叔父さんみたいな親が欲しかった」
「洸夜……」
まさか洸夜にここまで信頼されていたとは思わなかった堂島からすれば、その言葉は確かに嬉しいものだったのだが、どう返せば良いか分からないと言った感じでもあった。
「姉さん達には何の相談もしなかったのか?」
精神科に行く程の出来事だ、少なからずは両親に相談したのだと思った堂島だったが……。
「何で……?」
平然とした表情でそう言って退ける洸夜に、堂島は少し驚いてしまった。
「何でって……そりゃあ家族なんだから、親に何かを相談しても可笑しくはないだろう?」
堂島のごく当たり前の言葉に、洸夜はどういう意味か理解した感じで頷き、アクセルを踏んだ。
「別に母さん達に相談しても意味は無いさ。だから、言う必要はない……」
「そうかも知れないが、精神科に勧めてくれたのは姉さん達だろ?」
「勧めただけだよ……」
そういう洸夜だが、別に両親を嫌っている訳ではない。
ここまで育てて貰い、色々と自由にしてもくれているから逆に感謝しているが、それだけとも言える。
洸夜は悠が生まれる前から自分の事は自分でやっていた。
親が共働きで自分しか頼る者がいなかったというのが一番の理由でもあり、いつの間にか洸夜は親に頼ると言う事をしなくなっていた。
そんな洸夜の様子に堂島は溜め息を吐いた。
(昔から洸夜は子供らしくなかったが……そういう事か。姉さん……これは姉さん達の負債だ。俺も人の事を言えねえが、今の洸夜にしてしまったのは姉さん達だ)
堂島が内心でそう思った時だ。
気分を変える為か、洸夜がラジオを着けるとニュースが流れる。
『次のニュースです。▲▲県の◆◆学校の職員が、女子児童の着替えを盗撮したとして昨日、逮捕されていた事が――」
流れたニュースに思わず顔をしかめる洸夜と堂島の二人。
「最低なニュースだ……」
「全くだな……。これじゃ、娘一人安心して学校に預ける事もできねぁな」
そう言ってチラッと後ろで悠と一緒に眠っている菜々子に視線を向けた二人は、もし菜々子が同じ目に遭ったならば、悠を含め、この三人は犯人を地の果てまでも追いかけるだろう。
「やれやれ……今の若い連中は情けねぇな。大体、今の連中ときたら――」
堂島がそこまで言った時だった。
『次のニュースです。昨夜、▲▲県警の巡査部長が女子高生に、わいせつな行為をしたとして昨夜、逮捕されました』
「……」
ラジオのニュースに黙り混む二人。
車の走る音しか聞こえない車内の沈黙が更に気まずくさせる。
そして、再び赤信号でブレーキを踏むと、洸夜は静かに口を開いた。
「……叔父さん」
「……ま、まあ、人それぞれだしな。皆が皆がそういう奴な訳ではない」
思わず苦笑いする堂島。その様子に洸夜は軽く微笑むと青になった信号に気付き、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
――瞬間。突如、霧の中から赤信号である歩道の方から人が飛び出した。
「うおっ!」
突然の事に驚く洸夜だが、スピードがまだそれほど出ていなかった事もあり、すぐに急ブレーキを踏むことが出来た。
「な、なんだ!?」
「どうしたの?」
「うわわ!?」
後部座席で寝ていた悠と菜々子も急ブレーキの衝撃で跳ね起きる。
ブレーキを踏んだ洸夜自身も、霧のせいで飛び出して来た人物のシルエットしか分からず、男性なのか女性なのかさえ分からないでいると、助手席に座っていた堂島がシートベルトを外した。
「ったく、どこのどいつだが知らねえが……この稲羽署の堂島の前で堂々と信号無視しやがって……!」
「……そういう問題なのか?」
堂島の言葉に苦笑いする洸夜だが、相手が信号無視して飛び出して来たのは事実。
万が一の事が起こらなかったから良かったものの、事故が起きたらどうするつもりだったのだろうか。
そう思いながらも、シートベルトを外した堂島が車のドアを開けた。
「ッ!」
「あっ! 逃げやがった!?」
堂島が扉を開けた瞬間、飛び出した人物は一目散に逃げ出した。
それに気付き、堂島も後を追うとするが深い霧がそれを阻む。そして結局、洸夜も堂島も何が起こっているのか分からない悠と菜々子もその人物を見失ってしまった。
「……逃げられたね」
「……マジで轢かなくて良かった」
「俺の前で堂々と信号無視、そして逃げやがるとは……」
「お家についたの?」
それぞれが今感じた事を口にして、心の整理をする。
――瞬間。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ッ!?」
突如、ここから近いところから叫び声が洸夜達の耳に届く。
「い、今のなに?」
「大丈夫……菜々子はまだ寝てた方が良い」
怯える菜々子を悠が落ち着かせ、菜々子は静かに頷き、悠にしがみつく様に目を閉じる。
「近いな……」
「有給とか言ってらんねえな……洸夜! 近いところまで行ってくれ!」
「了解……!」
堂島の言葉に、洸夜は急遽、方向を変えて叫び声が聞こえる方へ車を走らせた。
▼▼▼
その場所にはすぐに着いた。霧で良く分からないが、小さなビルなのかアパートなのか、その建物の前でジョギングでもしていたらしきジャージを来た中年の男性が腰を抜かしていた。
「洸夜、悠……お前らは菜々子を頼む。絶対に車から出るな」
刑事の顔の堂島に言われ、洸夜達は頷き、堂島は車から降りてその男性の下へ向かった。
そして、洸夜と悠は約束通り車からは出ず、車内の中からその様子を見ていた。
「どうしました?」
「あ……あ……あれ……!」
男性は堂島に気付き、とても怯えた表情で建物の上を指差す。建物の上の方は少しだけ霧が薄く、全く見えないほどではなかった。
「上……?」
男性の言葉に堂島は上を向き、洸夜と悠も車内の中から体勢を低くして建物の上を見ると、そこには……。
「なっ!?」
洸夜達が見た先には、建物の屋上にある貯水タンクらしきモノのハシゴに足を引っ掛けて吊るされている男性、諸岡……通称“モロキン”の遺体がそこにあった。
End