「ぐぬぬ……」
「ん? レジの前で何を……うわぁ」
綺羅ツバサというスクールアイドルの頂点に立つ人と出会ってから、暫くして。
なんとか無事にレジの前へとたどり着いた俺は、そこで唸り声を上げている不審者を発見した。
綺羅ツバサと同じような格好で変装しているのだが、この不審者の場合は何故か怪しい雰囲気が凄く漂っている。
今思うと綺羅ツバサは変装もある意味着こなしていたな。この目の前の不審者とは違う。
でもなんだろう……この人をどこかで見た事があるような気がする。
「A-RISEの限定ポストカードがよりにもよって二人組限定だとは……ぐぬぬ」
「これをお願いします」
「かしこまりました」
サングラスにマスクという姿で地団駄を踏んでいる不審者を尻目に、俺は店員にCDと代金を渡す。
そのまま袋に包まれるCDをなんとはなしに見ながらボーッとしていると、背後から声を掛けられる。
「ねぇ、そこのあんた」
「……?」
「違うわよ! 今後ろを向いたあんたよあんた! 大体後ろは店員でしょうがっ!」
不審者を見た後、お約束的に後ろを向くと案の定鋭く突っ込まれた。
ビシッと俺を指差した不審者は、サングラスを持ちあげてこちらをまじまじと見つめてくる。
「あ、もしかして音ノ木坂の人ですか?」
「やっぱり、あんたをどっかで見た事があった気がしたのよ」
「先輩でしたか。私はてっきり不審者かと……」
「ぬぁんでよ! このスーパーアイドルであるにこをよりにもよって不審者ですって!?」
ジト目で勢いよく顔を近づけて、そう叫ぶ不審者。
いや、もう彼女が誰かはおおよそ見当がついているけど、認めたくないというかなんというか。
なんで同じ日に二人の重要人物と会うんだろう。やっぱり呪われているのかな。
「夏場にコートにサングラスにマスクを着ていて、不審者ではないと?」
「ぐっ……こ、これはアイドルの標準装備よ!」
「はぁ、不審者の標準装備ですか」
「アイドルよア・イ・ド・ル! それに私には矢澤 にこっていう名前があるんだけど」
「なるほど、不審者先輩ですね」
「だから不審者じゃないって言ってるでしょ!」
やばい、不審者──矢澤先輩の反応が面白い。
頭を抱えながら「後輩に不審者と思われてる」とか、「や、やっぱりこの格好はおかしかったのかしら」とか呟いている姿を見ていると、どうしても弄りたくなってしまう。
「それで、用とはなんですか?」
「ま、まあいいわ。用ってのはA-RISEのポストカードを買うのを手伝ってほしいのよ」
「二人組限定のやつですか……まあいいですけど」
「本当!? あんた意外といいやつね」
意外とは余計だ余計。
それにしても、二人組限定グッズを前に唸っているという事は……あっ。
「ちょっと何よその生暖かい目は」
「いえいえ、なんでもありませんよ」
「わ、私にだって友達の一人や百人ぐらいいるから! 今回はたまたま予定があわなかっただけよ!」
「あ、A-RISEのポストカードもお願いします」
「は、はあ。かしこまりました」
隣で一生懸命身振り手振りで伝えてくる矢澤先輩を尻目に、俺は怒涛の展開に目を白黒していた店員へと追加注文した。
というか、目の前でグッズを得るためのズルをしたのだが、いいのだろうか?
店員も流されるままグッズを用意しているし。まあ、店員がいいならいいんだろう。
「どうぞ、矢澤先輩」
「だから私は全世界のファンが友達なのって何これ? ……ポポポポストカードじゃない!?」
俺に説明する事で本来の目的を忘れていたのか、渡されたポストカードを胡乱げに見つめていた矢澤先輩。
そのまま一度ポストカードから視線を外した矢澤先輩だったが、暫くするとこれが何か理解して凄い吃りながら二度見している。
や、やばい、矢澤先輩の反応がまんま芸人なんだけど。わ、笑い声が漏れそう……!
「ポ、ポストカードが欲しかったんですよね。そ、それでは私はこれで……くくっ」
「あ、ありがと……ってちっがーう!」
「違うって何がですか?」
笑っている事を矢澤先輩にバレないうちに急いで店を出た俺は、背後から大声で呼びとめられてしまった。
一度深呼吸してから振り向き矢澤先輩へと尋ねれば、彼女は俺を真っ直ぐ見つめて口を開く。
「あんたにまだお礼をしていないわ」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「私の気がすまないの!」
口では強気に言っているが、矢澤先輩の瞳は不安げに揺れていた。
そういえば、矢澤先輩ってアイドル研究部で反りが合わず、部員が抜けていったんだっけ。
物語で知っているのはもちろん、実際に学校でもどこか浮いていると小耳に挟んだ事がある。
そうか……矢澤先輩にとっては失礼かもしれないけど、誰かと話すのは随分久しぶりなのかもしれない。
「……わかりました。で、どんなお礼をするのでしょうか?」
「えっ? えぇと、あれよあれ」
「考えていなかったんですね」
「う、うるさいわね! そう、そうよ! あんたに紅茶を奢ってあげるわ! さあ行くわよ、スーパーアイドルのにこに奢られる幸運をしっかりと噛み締めなさい!」
少しの間視線を泳がせた後、矢澤先輩はドヤ顔でそう告げた。
まあ、実際にはマスクはしたままなので、ドヤ顔をした雰囲気を醸しだしていたというのが正確か。
それはともかく、そんなこんなで俺は矢澤先輩に連れられ、近くの小洒落た喫茶店に足を向けるのだった。
「矢澤先輩、そっちにはないですよ。あっちですよ」
「……知っていたわよ」
「私が案内しましょうか?」
「……し、仕方ないわねー。どぉーしてもにこをエスコートしたいって言うのなら、させてあげてもいいわよ?」
……結局、俺が矢澤先輩を案内する事になった。
「──何、あんたってA-RISEのファンじゃないの?」
「そうですね、特に好きってほどでも」
驚いたように尋ねる矢澤先輩の言葉に俺が頷くと、彼女は興味深そうにこちらを見つめた。
暫くすると矢澤先輩は俺から視線を外して、頬杖をつきながら空のグラスに刺さっているストローを回していく。
「なんか意外ねぇ。アイドルショップでわざわざCDを買うぐらいだから、てっきり私はA-RISEのファンかと思っていたわ」
「まあ、私にも色々事情があるので」
「ふぅん……ま、詳しくは聞かないわ。あんたにはあんたの考えがあるんだし」
「ありがとうございます」
矢澤先輩はやっぱり気遣いが上手い。
こちらの意思を汲み取って、ほどよい距離感を作ってくれる。
普段は馬鹿っぽくて暴走しがちだけど、流石はアイドル研究部の部長といった所か。
「今あんた、失礼な事を考えたでしょう」
「矢澤先輩っていい先輩だなって思っていました」
「なっ!」
うん、嘘は言っていない。
疑問ではなく断定口調で言われた時は内心で動揺したが、咄嗟にそう返せば矢澤先輩は瞬く間に顔色を赤く染めていく。
後輩思いでノリも良くて責任感もあって取っつきやすそうな雰囲気で……あれ、矢澤先輩って完璧じゃね?
絵里も今のは当てはまると言えば当てはまるけど、ポンコツになる時が稀によくあるからな。
「矢澤先輩って、人に気配りができる優しい人だと思いますよ」
「ふ、ふぅん。ま、まあにこのキュートでビューティフルな美貌にかかればファンもメロメロだしね」
「それ、性格とは全く関係ありませんよね」
「う、うるさいわね!」
「それと、調子に乗りすぎるのはどうかと」
「ぐっ……中々言うじゃない」
突然猫被りを始めたかと思えば、何やらポーズを取りだす矢澤先輩。
明らかに俺の言葉で調子に乗っている事がわかるので、自重して欲しい意味も込めて釘を刺す。
そして、それに素早く反応する矢澤先輩は、やっぱり芸人としての適性が高いと思う。
「なんていうか、矢澤先輩って凄く親しみやすいんですよね」
「そ、そう? でも駄目なのぉ、にこはみーんなのアイドルだから、特定の人と親しくなっちゃいけない──」
「あ、あれです。矢澤先輩って先輩って感じがしないんですよね」
「──ってぬぁんでよ! それってにこがちんちくりんだって言いたいわけ!?」
そう叫ぶと矢澤先輩はテーブルを強く叩いて、顔を勢いよく近づけてきた。
そうすると必然的に至近距離で目を合わせる事になり、俺達は間近で見つめ合う。
海未とは違うどこか爽やかさを感じさせる花のような香りに、見ていると吸い込まれそうになる輝く赤い瞳。
こう改めて見ると、矢澤先輩もやはり女の子という事がわかる。しかも、矢澤先輩は滅多にお目にかかれない美少女だ。
……μ'sの皆はどうしてこう魅力的な人ばかりなのか。
そんな事を内心で思いながら、眉尻を吊り上げて俺を睨みつけている矢澤先輩に声を掛ける。
「そんな事言っていませんよ。ただ、矢澤先輩だと肩肘を張らないですむなあって思いまして」
「それはにこを舐めているという事?」
「違いますよ。ほら、学校の先輩方って凄く威圧感があるじゃないですか。実際には一年しか歳が違わないのに」
「まあ、言われてみればそうね」
絵里みたいな例外もいるけどね。
「それに比べて、矢澤先輩の場合はありのままの自分でいられるというか。緊張しないでいいというか」
「……ま、それで納得しといてあげるわ」
その言葉を聞いた矢澤先輩は、暫しの間俺を黙って見つめた後、やがて鼻を鳴らすと顔を遠ざけて席に座りなおした。
なんとか納得してくれたか。まあ、俺が言った発言は全部本当の事なので、嘘を言っていないとわかってくれたのもあるだろう。
「わかってくれたようで何よりです……そろそろ時間ですし、私行きますね」
「……そう。気をつけてね」
「はい、矢澤先輩もお気をつけて」
ぷいっと俺と視線を合わせないで告げた矢澤先輩に、俺がそう言葉を返す。
すると、矢澤先輩はちらっと横目で俺を見た後、再び頬杖をついて窓の外を見はじめる。
なんていうか、凄くわかりやすい反応だ。今もチラチラと俺の方を横目で見ているし。
矢澤先輩の反応に察しがついてしまった俺は、傍から見れば生暖かい目をしているだろう。
そんな俺の変化に矢澤先輩は当然気が付き、どこか不機嫌そうな表情を浮かべる。
「早く行きなさいよ」
「矢澤先輩」
「何?」
「学校でも話しかけていいでしょうか?」
「……好きにすれば」
「ではまた学校で」
俺の挨拶におざなりに手を振って応えた矢澤先輩。
しかし、微妙に頬が赤くなっている事から照れているのだろう。
その事に内心で微笑ましい気持ちになりつつ、俺は心なし軽い足取りで家へと帰るのだった。