「……なんの事かな?」
『誤魔化さなくてもいいよ。朝陽ちゃんが言葉に詰まったのが何よりの証拠だから』
断定口調でそう言ったことり。
まさか、ことりに指摘されるとは夢にも思わなかった。
いや、ことりはああ見えて鋭い所もあるから、どの道最初に気が付いてもおかしくはない、か。
俺もまだまだだな。幼馴染み一人誤魔化しきれないなんて。
「そう、だね。私は音ノ木坂に入学するつもりはないよ」
「え、それはどういう事よ朝陽っ!?」
『こ、ことりちゃん! 今の話は本当なの!?』
『何故ことりはその事を知っているのですか!?』
俺の言葉を皮切りに、場は騒然としはじめた。
絢瀬は愕然とした声でチョコを手から落とし、電話越しでは穂乃果と海未が混乱したような声を上げている。
しかし、ことりだけは取り乱す様子は全く見せず、あくまでも冷静な素振りだった……少なくとも、電話越しでは慌てていない。
『やっぱり。そんな気はしてたんだよね』
「参考までに、どうやってわかったか聞いても?」
『だって、朝陽ちゃんって私達が音ノ木坂の話をすると、いつも悲しそうな顔をするんだもん。直ぐにわかっちゃったよ』
「ポーカーフェイスには自信があったのだけどね」
『ふふっ。他の人達は騙せても、幼馴染みのことりだけは騙せませんっ』
『……穂乃果はわからなかったよ』
『……私もです』
恐らく、今のことりは満面の笑みを浮かべているだろう。
茶目っ気たっぷりに告げることりの背後から、穂乃果達の落ち込んだ声が聴こえてくるが、大丈夫。ことりが鋭すぎるだけだ。
……そう、か。ことりは俺の事を見ていてくれたのか。
正直、凄く嬉しい。にやけそうになる表情を取り繕うのに必死だ。
ことり達と疎遠になろうとしていたこんな俺を、ことりはしっかりと見てくれる。
これほど想われて嬉しい事はない……ないけど、それと俺が音ノ木坂に入学するかは別。
やはり、俺の影響は大きくなっている。
ことりに俺の気持ちを知られて嬉しい反面、彼女に影響を与えた自分に対して、恐怖心も抱いてしまう。
そんな事を考えていると、絶望したような表情を浮かべた絢瀬が震える声を上げる。
「あ、朝陽は音ノ木坂に来てくれないの……?」
「絢瀬には申し訳ないが──」
「ど、どうしてっ……どうして、音ノ木坂に入学しないの? 私と一緒の高校が嫌なの?」
「──そういう事じゃないんだ」
ハラハラと涙を流して尋ねる絢瀬を見て、俺は予想以上の反応に内心で困惑していた。
絢瀬の視点から見れば、俺が音ノ木坂に進学しなくても、会おうと思えばまた会える。
だから、絢瀬がそこまで強い反応をする事自体を不思議に思ってしまう。
「わ、私は朝陽と一緒の高校が良いわっ」
「これには理由があって──」
『ねぇ、朝陽ちゃん。どうして音ノ木坂に入学したくないの?』
碧眼に涙を滲ませたまま、縋るように俺へと告げた絢瀬。
どこか迷子の子供のような絢瀬の様子に、俺は驚きつつも返事をしようとする。
すると、ことりは俺達の話を遮り、恐らく皆が気になっているであろう事を尋ねた。
対して、俺はことりになんて答えようか頭を悩ませていく。
まさか、正直に未来を曲げるのが怖いとは言えないし、他に都合の良い言い訳があるというわけでもない。
ことりに下手な嘘は見破られそうだし……
「できれば、言いたくない」
『いやだっ!』
「いやだって……」
『だって朝陽ちゃん、今凄く辛そうな声だよ?』
「っ!」
こちらの心を抉るような、的確なことりの言葉。
確かに、俺としても真実を告げないのは心苦しい。
しかし、俺が音ノ木坂に行かない理由は狂気じみているし、何より誰も信じるはずがないだろう。
だから、こうして自分の感情に蓋をするか、素直に言えないと告げるのが最善だ。
「私にも言えない内容なの?」
『お願い、朝陽ちゃんっ! 言える事だけでいいから、朝陽ちゃんが音ノ木坂に行けない理由を教えてっ! 私は……ううん、私達は朝陽ちゃんと一緒に音ノ木坂に行きたいのっ!』
瞳を潤ませる絢瀬に、必死な声色で告げることり。
心から心配してくれているとわかるその様子に、俺は不謹慎ながらも笑みを浮かべてしまう。
ここまで俺を必要としてくれているのか。この世界で異物の俺をここまで。
ああ、この世界はなんて優しいのだろうか。この人達はなんて暖かいのだろうか。
心の奥底から歓喜が、喜びが、愛好が、愉悦等といった感情が湧き上がってくる。
それと同等以上に悲しみ、孤独感、哀愁、悲壮感等いった感情も膨れ上がっていく。
「怖いんだ」
感情を抑えられなかったからだろうか。
気が付けば、俺はポツリと呟きを落としていた。
目敏く俺の声に反応した絢瀬は、不思議そうに首を傾げている。
「どういう事?」
『もう少し詳しく教えてもらってもいいかな?』
「……私は、ある事を懸念している。その懸念通りになってしまう事が酷く恐ろしい」
「うーん、どういう意味かしら」
『朝陽ちゃんは何に悩んでいるの?』
そして、それが私のせいだと責任を感じてしまうのが。
最後は口にしなかったが、やはり絢瀬達は俺の言葉を理解できなかったらしい。
絢瀬は腕を組み思案する仕草をしており、ことりは率直に俺へと切り込んできた。
だが、俺はこれ以上の事は告げるつもりはない。
これ以上の事となると、あとは未来の内容しか話せる内容はないだろうし。
「すまない、これ以上は言えない」
『そっか……』
「すまない、ことり」
『ううん。言えないならしょうがない──あっ、穂乃果ちゃん!?』
突然驚いたような声をことりが上げた後、暫くしてから電話越しに聞こえていた物音が収まる。
『もしもし、朝陽ちゃん? 穂乃果だよ!』
「あ、ああ。穂乃果に変わったんだね」
『ほ、穂乃果ちゃ〜ん! ことりはもっと朝陽ちゃんとお話したいのー!』
『諦めなさい、ことり』
ことり達の声が聞こえるが良いのだろうか。
『えっとね、朝陽ちゃんの話を聞いてたんだけど』
「うん」
『穂乃果にはさっぱりわからなかった!』
「……だろうね」
きっと、今の穂乃果は能天気な笑顔をしているだろう。
それと、穂乃果の声が大きくて耳から携帯を離しているのだが、それでもテーブルの向かい側にいる絢瀬にまで声が届いている。
実際、絢瀬も穂乃果の大声には驚いているのか、何度か目を瞬かせていた。
「えぇと、随分と元気な子ね」
「まあ、それが穂乃果らしいと言えば穂乃果らしいからね」
『えへへー、朝陽ちゃんに褒められちゃった』
「穂乃果?」
何故か嬉しそうな声を上げる穂乃果に対して、疑問の声を上げて小首を傾げた絢瀬。
そういえば、物語の歪みを最小限にするために、絢瀬には穂乃果達の情報を伏せていたんだったな。
……ここまでくると、もはや物語の原型を保たせる事も難しい、か。
「穂乃果は私の幼馴染みの名前さ。それで、穂乃果は私に何か話があったのではないかな?」
「へぇ、幼馴染みなんだ。……穂乃果、ね」
『あ、そうだった! えっとね、朝陽ちゃんは音ノ木坂に入学するのが怖いんだよね?』
「まあ、そうだね」
『音ノ木坂に入学すると、朝陽ちゃんの懸念通りになるかもしれない。だから、怖くて音ノ木坂に入れないんだよね?』
「端的に表すと、そうなるかな」
意味深な呟きを落として思案する様子を見せる絢瀬を尻目に、俺は穂乃果の問いかけに肯定の声を上げた。
すると、穂乃果は数瞬の間を置いた後──
『それで、朝陽ちゃんは音ノ木坂に行きたいの? 行きたくないの?』
──あっけらかんとした口調で、そう告げた。
「……私の話を聞いてた?」
『うん。朝陽ちゃんが何に悩んでいるのか、難しくて穂乃果にはわからないよ。でも、そうやって本当の気持ちを抑えるのは違うと思う』
「本当の、気持ち?」
『うん、本当の気持ち。怖くて音ノ木坂に入れないって事は、本当は音ノ木坂に入学したいんだよね?』
「それ、は」
『色々考える事は大事だよ、海未ちゃんもいつも考えてるし。だけど、朝陽ちゃんは難しく考えすぎだと思うなぁ』
あっさりとした様子の穂乃果に、俺は歯を食いしばる事で、喉元から飛びだしかけた感情を抑えつけた。
穂乃果の言葉は正しいだろう。傍から見れば、俺の方が懸念しすぎだと誰もがそう思うだろう。
でも、違う。俺の持っている
俺という異物が音ノ木坂に入ると、最悪μ'sが結成されずに廃校を阻止できないかもしれない。
何度も……何度も、考えすぎだと自分に言い聞かせても、どうしても杞憂だと笑い飛ばす事ができないのだ。
どうして、なんで自分にこんな知識が備わってしまったのだろうか。
何も知らなければ穂乃果達と笑い合い、絢瀬と同じ高校に行き、そしてμ'sの一員になれたかもしれなかったのに。
「……話は、そう簡単じゃない」
『うーん、どうして朝陽ちゃんがそこまで頑固なのかわからないや。穂乃果は朝陽ちゃんと同じ高校に行きたかっただけなのに……』
「えっ……?」
残念そうに漏らした穂乃果の呟きに、俺は思わず間抜けな声を上げてしまう。
そんな俺の呆然とした様子に気が付いたのか、穂乃果は声色に寂しさを滲ませて告げる。
『朝陽ちゃんと一緒に勉強したり、修学旅行に行ったりしたかったなぁって』
「私、と?」
『当たり前だよ。だって、朝陽ちゃんは穂乃果の親友だもん!』
「──」
誇らしげに言葉を落とした穂乃果。
対して、俺は歓喜で震えそうになる身体を抑えるので必死だった。
どう、して……どうしてこう、穂乃果はなんでもない事のように言うのだろうか。
紛い物で、イレギュラーで、異物で、ろくでなしで、どうしようもない俺を親友と。
こんな俺ですら、穂乃果は親友だと言ってくれるのか。
穂乃果にとって、今の言葉に深い意味はないのだろう。
しかし、俺にとっては千金にも勝る嬉しい言葉だった。
……ああ、行きたい。穂乃果達と一緒に入学して、音ノ木坂で青春を謳歌してみたい。
ことりとお喋りをしたり、海未と一緒にテスト勉強をしたり、絢瀬と共に下校して寄り道をしたり……。
きっと、穂乃果達と同じ高校だったら、毎日が楽しいだろう。脳裏に思い浮かぶのは、満面の笑みを浮かべている俺。
何気ない日常で幸せを噛み締め、ふとしたハプニングに慌て、そして廃校を阻止するために皆で一致団結をして……
「あ、朝陽っ!? 突然泣いてどうしたの!?」
『もしかして、朝陽ちゃん泣いてるの!?』
「……ああ、ごめん。ちょっとボーッとしてたよ」
「ちょっと所じゃなかったわよ! 明らかに目の焦点が合っていなかったし、どこか具合でも悪いの?」
『大丈夫、朝陽ちゃん?』
「……大丈夫、目にゴミが入っただけだから」
乱暴に目を拭いながら、絢瀬達にそう返した。
すると、改めて現実に意識を戻したからだろうか。
心の奥底に閉じ込めた想いが、俺の制御を効かずに溢れだしていく。
「やっぱり、何か辛い事でも思い出したの?」
『悲しい事があったのなら、穂乃果が聞くよ?』
心配になったのか、隣まで移動して俺を抱きしめた絢瀬。
労るように、ゆっくりと優しい口調で促す穂乃果。
絢瀬に抱かれたまま二人の声を耳に入れていた俺は、やがて自分の感情を抑えきれずに言葉を漏らしてしまう。
「私も、行きたい」
「音ノ木坂に?」
俺の背中を撫でて端的に問いかける絢瀬に、静かに頷いて瞳を閉じる。
この気持ちを、この想いを止められない。
あれほど決意していたはずなのだが、穂乃果達の言葉であっさりと決意が揺らぐ。
……でも、俺が穂乃果達と同じ高校に進学するのは、やはり危険な行為だろう。
ウジウジとそんな事を考えていると、俺の雰囲気が伝わってきたのか。
電話越しから穂乃果の怒鳴り声が聞こえてくる。
『あぁ、もうっ! 朝陽ちゃん悩みすぎ!』
「いや、だって……」
『だってじゃないよっ! 決めたら即行動でしょ!』
「ほ、穂乃果?」
『私は朝陽ちゃんと一緒に音ノ木坂に行きたい! はい、じゃあ朝陽ちゃんはどうなのっ!?』
「え、えぇと?」
促すように告げる穂乃果に対して、俺は咄嗟に口篭らせてしまった。
すると、穂乃果の声色が一段と低くなっていく。
『行きたいの!? 行きたくないの!?』
「い、行きたい! 穂乃果達と音ノ木坂に進学したい!」
俺が思わず叫べば、穂乃果は暫くの間を置いた後、先ほどとは打って変わって穏やかな声で告げる。
『うん、ちゃんと言えたね。だったら、話は簡単でしょ? 行きたいと思うのなら──』
──朝陽ちゃんも、音ノ木坂に行こうっ!
その言葉に、俺は穂乃果の太陽のような笑顔を幻視した。
電話越しからでもわかる、聴く者の心を揺さぶる言葉……いや、言霊。
これが、これこそがμ'sの原点である穂乃果の在り方。
人を強く引っ張り、皆を明るく照らす太陽のような存在。
ああ、俺も単純だな。
まさか、穂乃果にたった一言を告げられただけで、ここまであっさりと意見を変えるなんて。
穂乃果にここまで言わせてしまった以上、これに応えなければいけない。
……これを、最後の我が儘にしよう。
穂乃果達と一緒に音ノ木坂へと進学する。この我が儘を最後に、俺は物語から逃げるのを止める。
もう、後ろを見る事だけは止めて、前を見て穂乃果達を支えていきたい。
俺の影響で、物語は加速度的に歪んでいくだろう。
それを物語の近くで受け止め、歪みを最小限しようと足掻く。
それが、俺に唯一残された役割なのだから。
「ありがとう、穂乃果」
『えっ?』
「私も音ノ木坂に入学する決心がついたよ」
『本当!? 朝陽ちゃんと一緒の高校に行けて嬉しいよ!』
『ことりもことりも! ことりも朝陽ちゃんと音ノ木坂に行けて嬉しい!』
『私も朝陽と同じ高校で学べて嬉しいですよ!』
『あ、待ってよことりちゃん、海未ちゃん! そんなに携帯を乱暴にしたら──』
何やらドタバタと激しい物音がした後、穂乃果との通話が切れてしまった。
思わず苦笑いを零して携帯をポケットに仕舞い込み、隣で希望に満ち溢れたような表情を浮かべている絢瀬に目を向ける。
「今、音ノ木坂に来てくれるって」
「うん、私の心は決まったよ。迷惑を掛けるかもしれないけど、これからよろしく絢瀬先輩」
「……朝陽っ!」
「わっとと」
感極まったように抱きついてくる絢瀬を受け止め、落ち着かせるように背中を何度か叩く。
すると、顔を赤面させた絢瀬が慌てた様子で離れ、そのまま初めにいた席へ戻って着席する。
「ご、ごめんなさい。朝陽と一緒になれると思ったら嬉しくて」
「ううん、気にしていないから大丈夫さ」
「そ、そう? ……あ、そうそう。学校では先輩呼びにして欲しいけど、プライベートでは今まで通りでもいいのよ? むしろ、そろそろ名前で呼んでほしいかなって──」
俺にドヤ顔を向けたかと思えば、急に不安そうな表情を浮かべたり。
コロコロと豊かに表情を変化させていく絢瀬。
見ているこちらが微笑ましくなるその様子を眺めつつ、俺は高速で思考を巡らせていく。
物語の歪みを正す……いや、物語をより良くするために成すべき事はなにか。
物語のようにμ'sを解散の危機にさせず、ことりの留学を早い段階で止める。
そうすれば、穂乃果達は悲しまないですれ違いが起きたりしないだろう。
知識として知っているからこそ、この問題を俺がなんとかしなければいけない。
これは、俺の自己満足で穂乃果達への償い……
「──って事なのよ」
「なるほど。絢……絵里はそう思ったって事なんだね」
「うっ……朝陽に絵里って言われると、なんだか照れて胸がドキドキするわね」
「エリーチカの方がいいかな?」
「それは止めて!」
「賢い可愛い絵里ちゃん」
「うぅぅ……朝陽なんて知らないっ!」
不満そうに頬を膨らませると、絢瀬──絵里は顔を背けた。
やはり、絵里を弄ると面白い。反応が一々可愛い。
うん、綺麗でドジで可愛いとか反則だと思う。
「ハラショー! 絵里の反応が素晴らしい」
「ちょっと、私の真似をしないでよっ」
「すまない、一度使ってみたかったんだ」
「まあ、そういう事なら」
絵里はチョロ……優しいな。直ぐに許してくれて。
「今、何か失礼な事を考えなかったかしら?」
「そんな事ないさ。それより、音ノ木坂の事を聞かせてほしいな」
「いいわよ! まず、音ノ木坂には──」
俺の言葉に笑顔で頷いた絵里は、身振り手振りを交えて語っていく。
楽しげに音ノ木坂の魅力を伝える絵里に頷きを返しつつ、改めて俺はこの魅力的な笑顔を曇らせない事を決意するのだった。