TS少女のラブライブ!   作:水羊羹

49 / 49
第四十九話 集いし九人の少女達

 にこ先輩を追いかけて屋上の扉を開くと、こちらを待ち構える彼女の姿があった。

 腕を組みながらつま先で地面を叩き、μ'sを指導している絵里に目を向ける。

 

「ほら。さっさと言いなさいよ」

 

 その言葉を聞き、俺は止める間もなく彼女がここに来た理由を察した。

 

「……ハメましたね?」

「ハメてなんかないわ。ただ、あんた達の回りくどいやり方が気に食わなかっただけ」

 

 にこ先輩が平然と嘯くが、つまり俺達の背を押してくれたのだろう。

 悩む暇があるのなら、行動に移せと。

 ……ここまでお膳立てされたんだし、それに答えなきゃいけないよな。

 

「貴女達、お花は摘み終わったの? だったら、早く練習を再開しなさい。ただでさえ時間がないんだから」

「絵里、実は聞いてほしい事があるんだ」

 

 海未に目配せをした後、俺は一歩踏み込んで絵里に声を掛けた。

 忙しなくμ'sに指示を出していた彼女は、その言葉に俺と目を合わせて首を傾げる。

 

「何かしら? 要件は手短にしてね」

「単刀直入に言うよ。オープンキャンパスの時、絵里も一緒に踊ってほしい」

「……へぇ」

 

 眉尻を僅かに上げ、感心した声を発した絵里。

 少し視線を鋭くしながら、俺の顔を見つめて腕を組む。

 場の空気の変化を感じ取ったのか、穂乃果達は自然と緊張感に帯びた顔つきになる。

 

「いきなりどうしたの、朝陽ちゃん?」

「そうね。まさか、朝陽の口からまたその言葉が出るなんて」

「最初は断られたけど、もう一度言わせてもらう。絵里もμ'sに入ってくれ」

 

 そう告げて穂乃果に視線を転じると、どうやら彼女も俺の意図を察したらしい。

 何か声を上げようとした真姫の口を押さえ、満面の笑みを浮かべて頷く。

 

「穂乃果も賛成! みんなもそう思うよね?」

「うんうん。やっぱり、絵里先輩と一緒にオープンキャンパスで踊りたいよねっ。凛ちゃんもそう思うでしょ?」

「にゃ!?」

 

 いち早く追随したことりの促しに、凛はビクリと肩を震わせた。

 キョロキョロと辺りを見回した後、コクコクと無言で首を振って肯定を示す。

 警戒している猫のような仕草をした凛を見て、穂乃果達は笑みを深めて俺達から離れた場所に向かう。

 

 ……なんか、微妙に俺が想像していた返しと違うんだけど。

 まあ、いい。とりあえず、μ'sの皆からも賛成を貰えたんだし。

 一息ついて気持ちを切り替え、穂乃果達の言葉に動揺を露わにしている絵里に告げる。

 

「穂乃果達が言った通り、μ'sは絵里を必要としている」

「そうみたいね。でも、前にも言ったでしょう。私はスクールアイドルをするつもりはないわ。確かに、オープンキャンパスに向けて彼女達に協力する事には納得した。けれど、それとこれとは話が別」

 

 口調では冷たく突き放しているが、絵里の瞳には辛い気持ちが渦巻いていた。

 どうやら、μ'sに入りたい思いとは裏腹に、自分には資格がないと考えているらしい。

 

 もう後悔しないって、そういう事かよ……!

 俺は勘違いをしていた。てっきり、絵里もμ'sに入ってくれると、当たり前のように決めつけていたのだが、実際は違った。

 今までの行動に責任を持つため、憧れていたスクールアイドルを諦めるという決意。

 俺と喧嘩したからか、一時期μ'sを認めていなかったからか。

 このまま、絵里はμ'sの影になろうとしている節がある。

 

 やはり、俺の存在がバタフライエフェクトを起こしているな。

 恐らく、このままなし崩し的な形を目指していたら、絵里はμ'sに加入していなかっただろう。

 にこ先輩がこの状況を作っていなければ、取り返しのつかない段階まで進んでいた可能性すらある。

 

 ……でも、今なら間に合う。

 絵里の間違った決意を変えるために、俺がその心を溶きほぐしてやる!

 改めて身体に喝を入れた後、俺は靴音を鳴らしながら絵里の元に近づく。

 

「な、なに?」

 

 微かに後ずさる絵里に構わず、至近距離で指を突きつけて断言。

 

「絵里。今の君は、凄くカッコ悪い」

「か、かっこ?」

「つい最近の私を見ているようで、正直腹が立って仕方がない」

 

 今の絵里からは、俺と同じ臭いを感じるのだ。

 勝手に諦観して自己完結をして、一人で何もかも抱え込んで自滅する。

 誰もそんな事を言っていないのに、どうせ無理だと諦めてしまう。

 俺は、絵里にそんな覚悟を持たせようとしていたわけではない。

 ただ、絵里達には笑ってほしかっただけ。こんな辛そうな顔をさせるためではないのだ。

 

 ……ああ、ブーメランが突き刺さる。

 今なら、希先輩が怒った気持ちが痛いほど理解できるな。

 大切な友達が、理由も話さずにこんな辛い表情を見せているのだ。

 心配で心配で堪らなくなってしまう。

 

「いきなりなによ。私がカッコ悪いって」

 

 ムッとした表情を浮かべた絵里に、俺は呆れて肩を竦める行動を返す。

 

「言葉の通りさ。絵里が馬鹿な考えをしているから、それを教えたまでだよ」

「ば、馬鹿ですって?」

「ああ、馬鹿中の馬鹿。大馬鹿だよ」

「……ねぇ、私をからかっているのかしら?」

 

 剣呑な目つきで、拳を掲げた絵里。

 よほど腹に据えかねているのか、ヒクヒクと頬が痙攣している。

 対して、俺は絵里の両肩に手を置き、憂いを秘めたスカイブルーの瞳をのぞき込む。

 

「からかってなんていない。本当の気持ちを押し殺している絵里がムカつくだけだ」

「っ!」

「本心では、絵里もμ'sに入りたいって思っているんだろう?」

「それ、は……」

 

 言葉尻をすぼめると、絵里は俺から逃げるように目を伏せた。

 やはり、心の中ではちゃんとした結論に至っているようだ。

 こんな事を俺が言うのもお門違いだが、これだけは言わせてもらおう。

 

「絵里。穂乃果達の方を見てみろ」

「え?」

「絵里に敵意を持っているか? むしろ、絵里もμ'sに入ってくれるかって期待していないか?」

 

 俺の背後に視線を移した絵里は、目を大きく見開いた。

 しかし、直ぐに唇を噛み締めると、弱々しく首を横に振る。

 

「ダメよ。これは、私なりのけじめなの。素直に応援できなかった、彼女達に対しての贖罪」

「そんなものはゴミ箱にでも捨てておけ! 俺が欲しい言葉は、絵里、あんたの本音だけだ!」

 

 自然と口調に地が出るが、気にせずじっと絵里の言葉を待つ。

 暫くすると、顔を上げた絵里が、眦を吊り上げて歯を見せつける。

 

「そんな事、言われなくても朝陽なら察しているんでしょ!」

「もちろん、わかっているよ」

「じゃあなんで聞いてくるの!」

「絵里の口から聞きたいから。絵里の本心から漏れた言葉が知りたいから」

「っ……ええ、わかったわよ! そこまで言うなら全部言ってあげるわよッ!」

 

 そのまま、表情を怒らせた絵里が己の感情を解き放とうとする。

 しかし、俺が指を立てて話を中断させた事により、燻る想いを中途半端に呑み込む。

 

「本当は、俺も聞きたい。だけど、ここからは俺が聞くべきではない」

 

 俺より遥かに絵里を心配して、それ以上に心を砕いてくれた親友。

 彼女こそ、絵里の気持ちを聞くのに相応しいはずだ。

 唖然と固まる絵里を尻目に、振り返った俺は歩いてこちらに近寄る希先輩とすれ違う。

 

「後は、任せたよ」

「うん。絵里ちと、話をつけてくる」

 

 いつものおちゃらけた雰囲気はなりを潜め、瞳に強い輝きを秘める希先輩。

 ようやく、二人が本音をぶつかり合える。

 この時のために、俺はない知恵を振り絞ったと言っても過言ではない。

 

 絵里達は互いにモヤモヤを持っていたから、一度腰を据えて話し合う時間を作り、心に燻っていた物をさらけ出させようと計画した。

 しかし、絵里は頑固だし、希先輩も自分の感情は隠したがる。

 だからこそ、絵里の気持ちを昂らせ、勢いで全てぶちまけさせようと考えたのだ。

 

 屋上の入口に近寄ると、μ'sの皆が俺の事を待っていた。

 色々と聞きたそうな表情を浮かべる面々に、俺は扉を指差して口を開く。

 

「申し訳ないけど、絵里達は二人っきりにさせてくれないかな? 話なら部室でするから」

「……はぁ、わかったわよ」

 

 ため息をついた真姫が頷き、大人しく俺の言葉に従ってくれた。

 続々と屋上を後にしていく中、絵里達を一瞥して上手くいく事を祈る。

 

 俺にできる事は、もうない。

 後は希先輩達の問題であり、同時にμ'sに関しても彼女に任せるしかないだろう。

 ……信じているよ、二人とも。

 

 最後で人任せな自分に呆れながら、俺も屋上を去るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──それで、一体どういう事なの?」

 

 部室に着いて、開口一番。

 強い口調で尋ねてきたのは、真姫だ。

 機嫌悪そうに指で机を叩いており、自ずと彼女の内心が察せられるだろう。

 対して、俺はある確信を持って、にこ先輩の方に顔を向ける。

 

「さっきの言葉、嘘ですね?」

「……まさか」

 

 俺の疑問を理解したのか、呟きを漏らした海未。

 素早い動きで俺の視線を追うと、注目を浴びたにこ先輩が肩を竦める。

 

「そうよ。私は穂乃果達に話を通してなんかないわ」

「花陽も一枚噛んでいたという事ですか?」

「えっと、ごめんなさい」

 

 ペコリと頭を下げる花陽を見て、凛は小首を傾げて真姫に声を掛ける。

 

「真姫ちゃん。どういう事にゃ?」

「それを聞くために、こうして部室に来たんだけどっ」

「わかったから、そんなに睨みつけてこないでって」

「ふんっ」

 

 どうやら、自分の知らない所で話が進んでいるのが気に食わないようだ。

 腕を組んでそっぽを向く真姫からは、不機嫌な雰囲気しか感じられない。

 とりあえず、あんまりもったいぶるのも意味がないし、この辺でみんなに俺達の話を聞いてもらう事にしよう。

 

「えっと。簡単に言うと、μ'sのメンバーに絵里を誘いたかったって話」

「皆さんも理解している通り、絵里先輩のダンス技術は凄まじいです。ですから、私達と共にスクールアイドルをしてくれるのなら、心強いと考えたんです」

「まあ、穂乃果達は察してくれたようだけど」

 

 笑顔で水を向ければ、頼りになる我が幼馴染達も笑みを浮かべて頷く。

 

「うん。ちょうど穂乃果も、絵里先輩と一緒にスクールアイドルをやりたいと思ってたんだ」

「朝陽ちゃんはわかりやすいから、きっと生徒会長を誘いたいんだろうなぁって」

 

 そんなに、俺ってわかりやすい?

 特に意識していたつもりはなかったが、ことりの言う通り単純なのだろうか。

 首を捻っている俺を尻目に、真姫が顔を戻して眼光を鋭くする。

 

「貴女達の言い分はわかったわ。でも、私は納得できない」

「それは、絵里を入れる事に反対って意味?」

 

 その問いには首を横に振り、どこかやり切れない表情で口を開く。

 

「私が納得できないのは、どうして私達に相談してくれなかったのかって事よ。海未先輩だけは知っていたみたいだけど、私達は初耳だわ。私達じゃあ信用できなかったの?」

「違う! 決して、そういう意味で真姫達に話さなかったわけじゃない」

 

 確かに、そう言われても仕方がない対応だ。海未だけに話して、真姫達には何も相談しないなんて。

 こちらにも色々と考えがあったが、そんなの彼女達からすれば、体のいい言い訳でしかない。

 だけど、それでも。真姫達を信用していない、という事だけは言って欲しくなかった。

 慌てて言葉を募る俺を見て、真姫はため息をついて目を瞑る。

 

「……ごめんなさい。少し、意地悪な質問だったわね。いきなり生徒会長をμ'sに誘う提案をしたら、私達が反対すると考えたのよね?」

「朝陽を責めないでください。私も納得した上で、真姫達には秘密にしたんですから」

「いや、海未は悪くない。今回の計画を考えたのは、私だ。だから、真姫達の言いたい事は全部私が受け止める」

 

 きっぱりと告げると、真姫は静かに立ち上がった。

 全身から漂う重苦しい雰囲気に、場の全員が声も上げられない中、注目されている彼女は席にいる俺の元まで近づく。

 

 ……これは、頬でもぶたれるのかな?

 当たり前だろう。真姫でもなく、怒っても仕方がない扱いをしたのだから。

 行動で信用していないと示しているのだ。むしろ、これぐらいは甘んじて受け入れなければ。

 

 目を逸らさずに見つめていると、真姫はキッと鋭く瞳を細めた後。

 

「あたっ」

「今回は、これでチャラにしてあげるわ」

 

 思わず額を押さえた俺を見て、彼女はデコピンをした手を下ろして微笑む。

 すると、事の次第を見守っていた穂乃果達が、各々に緊張を解いたような様子を見せる。

 

「良かったぁ。てっきり、真姫ちゃんが朝陽ちゃんを叩くのかと思ったよ」

「凛は真姫ちゃんがそんな事をしないって信じてたけどねー」

「まったく、アイドルに喧嘩はご法度なんだからね?」

 

 思ったよりも和やかな雰囲気に、俺は海未と目を合わす。

 やがて、どちらともなく苦笑いを零し、改めて真姫達に深い謝意と感謝を抱く。

 

「で、これから私達はどうするつもりなの?」

「その事に関しては、希先輩の連絡待ちなんだけど……っと、噂をすれば」

 

 ポケットにある携帯が震えたので、取り出して画面に目を通す。

 案の定、希先輩からの連絡であり、どうやら絵里とは話がついたらしい。

 

「その様子から、次は私達の番?」

「です。今から、屋上に来てほしいとか。という事で、行きましょうか」

 

 俺の言葉を皮切りに、皆は腰を上げて部室を退室。

 先頭で屋上に向かう途中、ここからが正念場だと決意を固める。

 希先輩との話がどうなったかわからないが、改めて三度絵里をμ'sに誘う。

 これが、ラストチャンス。もしも、今回もμ's勧誘に失敗したら、絵里がスクールアイドルになる日は訪れない。

 

 いや、失敗なんて考えるな。

 必ず、絵里をμ'sに入れる。それだけを考えろ。前だけを向いていろ。

 浅く息を吸って意識を整えた後、目の前の屋上への扉を開ける。

 

「待ってたよ、朝陽ちゃん」

 

 涼やかな風が俺達を迎え、暖かな日差しの元で希先輩達が佇む。

 しかし、直ぐに雲が太陽を隠し、屋上全体に影が差す。

 ゆっくりと近寄っていくと、彼女達は赤くなった目でこちらを見つめる。

 

「希から、全部話は聞いたわ」

「そっか。お互い、言いたい事は言えた?」

「ええ。だからかしら。今は、凄くスッキリとした気分なの」

 

 今まで見た事のない穏やかさで、微笑む絵里。

 全ての事柄に解放されたように、どこか清々しさが宿る笑顔だ。

 対して、希先輩はいつもの大人な笑みとは違い、少女然として無垢に笑っている。

 

 良かった。

 二人の話は、上手くいったみたいだ。

 心のどこかで心配していたが、やはり俺の杞憂だったか。

 希先輩達の間には、太くて硬い絆があるのだから、むしろ俺の考えこそ失礼だろう。

 と、喜ぶのはまだ早い。

 

 自然と綻んでいた口許を引き締めた俺は、振り返って穂乃果達に身体を向ける。

 

「ここまで勝手な行動をして今更だけど、穂乃果達にはしっかりと聞いてなかったね」

「うん」

「改めて、聞きます。絵里達をμ'sに誘うという提案、どう思う?」

 

 俺の言葉を聞き、穂乃果達は互いの顔を見回す。

 だがそれも数瞬の事で、揃って表情に花を咲かせると頷く。

 

「もちろん、賛成だよ!」

「ありがとう。……という事だ、絵里」

 

 向き直ってそう告げれば、目を細めて天を仰いだ絵里。

 煌めく金髪を靡かせながら、ポツリポツリと心情を吐露していく。

 

「雲は自由よね」

「えっ?」

「何物にも囚われず、自由気ままに青空を漂う存在。立場も、思いも、責任なんて物とは無縁で、こうして見ていると羨ましいわ」

 

 絵里はそこで言葉を区切り、口許に緩やかな弧を描く。

 

「でも、どうしてかしらね。最近まであんなに焦がれていたのに、今ではそんな事は思えないわ」

「……仮に、雲になったとしてもつまらないと思います」

「穂乃果?」

 

 並んでいた穂乃果が前に踏み出し、目を丸くした絵里に告げる。

 

「だって、地上はこんなに楽しいんですよ。朝陽ちゃん達と遊んだり、絵里先輩と一緒にダンスの練習をしたり、スクールアイドルとしてがむしゃらに走ったり。むしろ、私は雲じゃなくて良かったって思います。きっと、笑顔でいる人達に嫉妬をしちゃうから」

「…………ふ、ふふっ」

「へ?」

 

 真面目な面持ちで告げる穂乃果を見て、絵里は俯いて肩を震わせた。

 素っ頓狂な声を上げる彼女を構わず、ただただ面白いと言わんばかりに小さな笑い声を響かせる。

 やがて、顔を上げて目尻に滲む雫を拭った後、絵里は穂乃果を眩しそうに見ながら口を開く。

 

「そうね。確かに、高坂さんの言う通りだわ。すぐ側には、こんな沢山の幸せに満ち溢れているもの。雲になったら絶対に味わえないわ」

「はいっ! だから、絵里先輩。私達と一緒に、幸せになりましょう!」

 

 手を差し伸ばした穂乃果。

 風が吹いて雲が流れ、天から陽光が彼女へと降り注ぐ。

 まるで、一つの絵画のように。穂乃果だけが色濃く輝き、その存在感を増大させる。

 

 今、この場の主役は穂乃果と、彼女に舞台へと引き上げられた絵里のみ。

 自然の全てがそう決め、俺達をただの観客に変えさせたのだ。

 

 伸ばされた穂乃果の手を一瞥した絵里は、目を瞑って大きく深呼吸していく。

 

「高坂さん。こんな私でも、貴女は誘ってくれるのね」

「もちろんです!」

 

 間髪入れずに返した穂乃果に、目を開けた彼女は子供のように破顔。

 しかし、直後には表情を引き締め、ゆっくりとした動作で頭を下げる。

 

「ごめんなさい。今まで、貴女達に酷い事をしたわ」

「……えっと? 酷い事って、なんですか?」

「えっ?」

 

 穂乃果はこちらに振り返り、小首を傾げて尋ねてくる。

 

「穂乃果達、絵里先輩に何かされたっけ?」

「えーっと、最初にスクールアイドルを作ろうとして反対されたとか?」

「ファーストライブの時に、厳しい目で見られた事ですか?」

「穂乃果達に現実を見せようと、ファーストライブの映像を流した事?」

 

 皆で考えてみるが、思ったより絵里に対して含むものがない結論に至った。

 絵里個人の気持ちは別として、実際に俺達の邪魔するような事はしていない。

 つまり、μ'sからすれば、特に謝られるような内容はなかったのだ。

 

「と、いう事なんだけど」

「それでも、貴女達を素直に応援できなかったのは事実だわ。だから、謝らせて。本当に、ごめんなさい」

「あ、頭を上げてください。私達は大丈夫ですから!」

 

 必死な穂乃果の声が届いたのか、頭を上げてくれた絵里。

 済まなそうな表情を浮かべながら、胸元に手を添えてキュッと拳を握り込む。

 

「それで、謝った直後に言うのは心苦しいんだけど……」

「絵里先輩?」

「絵里ち、頑張って」

 

 希先輩の声援を身に受けた絵里は、彷徨わせていた視線に力を入れた。

 順々にμ'sのメンバーを見回していき、穂乃果で目を止めて言葉を紡ぐ。

 

「お願いします。私も、貴女達と一緒に踊らせて!」

 

 心の奥底に秘められていた、魂の想い。

 ずっと押し殺していたそれを、ようやく絵里は口にする事ができた。

 その気持ちを聞く事ができた感動で、今にも泣きそうになってしまう。

 思わず目頭を押さえている俺を尻目に、穂乃果は目を見開いてから微笑む。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 喜色の声を上げた穂乃果の言葉を聞いた絵里は、感極まった様子で瞳に涙を湛え、桜色の唇を笑みの形に変える。

 

「──ありがとう」

 

 この瞬間、μ'sのメンバーは八人となった。

 加わった八人目は、責任感が強くて独りで戦っていた少女。

 しかし、もう彼女は大丈夫だろう。何故なら、もう独りで戦う必要がないからだ。

 

 そして、ここにもう一人。九人目となる優しい少女がいる──

 

「希先輩」

 

 俺の言葉を聞き、彼女は悪戯小僧の如き笑う。

 指を立てて全員の注目を集め、楽しげに身体を揺らしながら口を開く。

 

「さて、ここで問題です。絵里ちが加入したスクールアイドルグループ、μ's。この名に込められた意味とはなんでしょう?」

「μ'sとは、九人の女神という意味でしたが……まさか!」

 

 と、何故か海未は俺の方に振り返った。

 いやいやいや。俺がμ'sとか烏滸がましいにもほどがあるから!

 慌てて首を横に振り、両手を希先輩へと差し向ける。

 

「こっちこっち。見るべきはこっちだから」

「……コホン。朝陽ちゃんに関しては、カードで別の事を告げていたんや」

「え、そうなんですか? ちなみに、どんな意味ですか?」

「ふふっ。それは、内緒」

 

 口許に指を添え、柔らかく微笑んだ希先輩。

 しかし、直ぐに真面目な面立ちになると、穂乃果を見つめる。

 

「μ'sは九人の女神。だけど、絵里ちが加入しても八人でしかない。これが、どういう意味か──」

「あー、もう! じれったいわね!」

「──に、にこっち?」

 

 希先輩をジト目で睨んだ後、にこ先輩はヅカヅカと靴を踏み鳴らして歩きだす。

 そのまま困惑気味に眉を寄せる彼女に、指を突きつけて言い放つ。

 

「絵里が素直になったんだから、あんたも本音を言いなさいよ! わざわざわかりにくい言い方でにこ達を惑わさないで、一言μ'sに入りたいって言うだけで済む話でしょ!」

「貴女だけには言われたくないと思うけど?」

「そこっ、黙ってなさい!」

 

 しれっと告げた真姫は、目を逸らして髪の毛をクルクル。

 にこ先輩のお蔭と言うべきか、それともにこ先輩のせいと言うべきか。

 ともかく、辺りに漂う空気が弛緩し、希先輩はふっと笑んで肩を落とす。

 

「……そうやね。あれだけ絵里ちに言ったのに、これじゃあ説得力がないやん」

 

 目元を優しげに細めた希先輩は、黙って見守っていた穂乃果に言う。

 

「穂乃果ちゃん。ウチも、君達と一緒にスクールアイドルをやりたい。だから、μ'sに入れてください」

 

 一息で告げ終えると、希先輩はキュッと怯えるように目を瞑る。

 対する穂乃果はゆっくりと彼女に近寄り、忙しなさげに動く手を取る。

 そして、魅力的な太陽の如く満面の笑みを浮かべていく。

 

「これから、一緒にスクールアイドルで輝きましょう!」

「──うん、うん!」

 

 穂乃果の笑顔に釣られ、目を開けた希先輩も幼く笑った。

 静かに静観していた絵里達も駆け寄り、彼女を中心に笑みが満ち溢れる。

 

「おめでとう、絵里、希先輩」

 

 μ'sが、九人になった。

 ここから、この瞬間から始まるのだ。

 彼女達の伝説が、人々を魅了して止まないスクールアイドルグループが。

 そして、彼女達の青春が。

 

「まだ、だ。まだ、廃校阻止はできていない。だから、泣かないぞ」

 

 こみ上げる熱い物を抑えた俺は、気を引き締めて絵里達の元に駆け寄るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──皆さん。今日は音ノ木坂学院に来てくれてありがとうございます!」

『ありがとうございます!』

 

 マイクを持った穂乃果が頭を下げると、続いてμ'sのメンバーも追随。

 舞台の上にいる九人の少女からは、離れた場所にいる俺でもわかるほど、輝いていた。

 

 今日でオープンキャンパスの日になり、穂乃果達はライブをする前に挨拶をしている。

 隣には亜里沙と雪穂がいて、彼女達の姿を嬉しそうに見つめていた。

 

「朝陽さん! お姉ちゃんがちゃんと挨拶してますね!」

「ハラショー! お姉ちゃん綺麗!」

「興奮してるのはわかったから、落ち着いて」

「あ、すみません!」

 

 俺の注意で我に返ったのか、雪穂達は揃って頬を赤らめた。

 まあ、雪穂達の気持ちもよくわかる。なにせ、穂乃果達があんなに可愛いんだから。

 

 単純な容姿や衣装の可愛らしさもあるだろうが、それ以上にその在り方で俺達を魅せていた。

 現に、この場にいる見学者達も、まるで魅入られたように微動だにしていない。

 

「私達は、スクールアイドルグループのμ'sと言います。今日で初めて、μ'sは九人で踊る事になります。……μ'sがこのメンバーになるまで、色んな事がありました。挫けそうになった事は何度もあります。でも、そんな時にはいつも私達を支えてくれた仲間がいました!」

 

 そこで言葉を区切ると、穂乃果は俺の方に目を向けた。

 思わず目を見開く俺に微笑みかけながら、彼女は言葉を繋ぐ。

 

「彼女とは一緒に踊る事はできませんが、それでも私達の心はいつも一つです。……私は、この音ノ木坂が大好きです! 皆さんにも、この学校の良さが伝わるよう、精一杯ライブをしたいと思います!」

 

 マイクをスタッフに返した穂乃果は、ダンスの立ち位置についた。

 自然と場は静まり、微かに吹く風の音が嫌に大きく響く。

 一度深呼吸した後、穂乃果はマイクがなくとも不思議とよく通る声で。

 

「これは、μ'sが九人になった最初にできた曲です。それでは、聴いてください──」

 

 

 

 

 

 ──僕らのLIVE 君とのLIFE

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、楽しそう」

 

 ふと、亜里沙の声で意識が帰還した。

 狭まっていた視野が広がる錯覚を感じ、俺は思わず止めていた呼吸を再開。

 視界の先では、穂乃果達が踊っている。

 誰もが笑顔でダンスを披露しており、見ていると胸が締め付けられていく。

 

 感動の幅が振り切れると、こんな切ない思いを抱けるんだな。

 涙を流すとか、呆然とするとか、そんなチャチな気持ちではない。

 初恋にも似たような勢いで心を焦がし、失恋と同じように哀愁の思いを感じる。

 

「あっ……」

 

 踊っている絵里と、視線が合った気がする。

 ウィンクを零した彼女は、確かに俺にこう語りかけていた。

 スクールアイドルになれて良かった、と。

 

 ……ズルいなぁ。

 どうして、絵里は俺の弱い所を的確に突いてくるのか。

 鼻を啜りながら、俺は天を仰ぐ。

 

 澄み渡る青空は酷く綺麗で、視界を横切る飛行機雲が彩っている。

 いつもと変わらない景色。だけど、俺には普段とは違う物に見えた。

 

「ごめん、ちょっと外すね」

 

 そう告げて雪穂達から離れ、観客がいない場所でライブを鑑賞する。

 もう、我慢できそうになかった。

 今まで、目指していた夢の先。絵里達が心から笑い、μ'sが九人揃うその日。

 

 俺が前世の記憶を取り戻してから、見たくて見たくて堪らなかった。

 きっと、その場面を見られたら感動できると思えたから。

 実際、心が震えすぎて穂乃果達のライブを直視できない。

 

「よ、よかったぁ……よかったよぉ」

 

 思わずしゃがみ込み、ゴシゴシと何度も目元を拭う。

 しかし、とめどなく流れる涙は収まらず、それでも滲む視界でμ'sの勇姿を見届ける。

 

 穂乃果が楽しげに笑い、ことりも柔らかく微笑むと、海未は凛とした笑みを浮かべた。

 凛が元気よく踊り、花陽は愛らしいポーズを披露し、そして真姫は綺麗な歌声を奏でる。

 にこ先輩はその姿で観客を虜にし、絵里はキレのあるダンスを見せつけ、次いで聖母の如き雰囲気で皆の心を撫でる希先輩。

 

「本当に、凄い」

 

 ポツリと呟きを漏らした俺は、くしゃくしゃに歪んだ顔で笑んだ。

 恐らく、今の俺は泣き笑いのような、酷く不気味な表情をしているだろう。

 それでも、これ以上に良い感情表現はなかった。

 

「どうか、μ'sがいつまでも笑っていられますように」

 

 九人が揃ったμ's。

 今回のライブで、彼女達は加速度的に有名になっていくだろう。

 しかし、俺のやる事は変わらない。

 全ては、物語をより良くするために。

 

 ここで、本当は一段落したい気持ちだが、時間は俺達を待ってくれない。

 まだ、大きな問題を解決していないのだから。

 すなわち、ことりの留学問題……

 

「俺にできる事はないかもしれないけど、可能な限り足掻いてやる」

 

 もう、絵里の時のように逃げたりはしない。

 希先輩に教えられたから。絵里に諭されたから。μ'sの皆に示されたから。

 ……まあ、今は穂乃果達のライブを素直に楽しもう。

 

 気持ちを切り替えた俺は、束の間の幸福に浸っていくのだった。

 

 

 




今話で三章は終わりです。
随分と長かったですが、無事に終われて良かったです。

活動報告もありますので、一読していただければ幸いです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。