TS少女のラブライブ!   作:水羊羹

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第四十五話 小さな兆し

「──おはよー」

 

 教室の扉を開けて挨拶をすると、机に座っていた穂乃果が顔を上げる。

 

「あ、朝陽ちゃん。おはよう! 今日もいい天気だね」

「そうだね。今日は絶好のお散歩日和だろうね」

「うんうん。流石、朝陽ちゃんはわかってるぅ。だから、穂乃果も今日の放課後はお外を歩こうかなって思ってるんだよね!」

 

 えへへと笑って頭を掻く穂乃果を見て、側にいた海未は眉尻を上げて口を開く。

 

「何を言っているのですか、穂乃果は。テスト勉強をしなきゃいけませんのに、そんな油を売っている暇なんてありません!」

「おはよう、海未。それで、穂乃果の調子はどうなの?」

「おはようございます。見ての通りです」

 

 海未の視線の先を追えば、穂乃果の机の上にどっさりと参考書が積まれていた。

 しかも、付箋などが沢山貼りついており、この短期間でよほど使い込まれたと窺える。

 まあ、穂乃果が参考書を弄ったというよりは、海未が説明するために使ったんだと思うけど。

 穂乃果も大変だっただろうに。苦手な勉強をここまでやらされて。

 

「うぅ……朝陽ちゃんの同情した目が染みるよぉ」

「これも赤点を回避するためです。さ、穂乃果。もうひと踏ん張りですよ!」

「な、なんか海未ちゃんの方がノリノリになってない……?」

 

 大いに慄いている穂乃果はさておき。

 先ほどから、俺は非常に気になっている事があるのだ。

 その疑問を解消するべく、穴が開くほど俺を凝視してくることりに声を掛ける。

 

「どうしたんだい、ことり?」

「……」

「ことり?」

 

 穂乃果達も気になったのか、不思議そうな面立ちで俺達に注目していた。

 六つの視線が注がれる中、不意にことりはほっぺたを大きく膨らませていく。

 

「…………むぅ〜」

「いきなりどうしたの、ことりちゃん?」

「そうですよ。朝陽がどうかしたんですか?」

 

 問いを投げかける二人を尻目に、瞳に批難の色を含ませることり。

 唐突な展開に思わず首を捻っていると、彼女はどこか確信した口調で言う。

 

「朝陽ちゃん。良いことがあったでしょ?」

「えっ?」

「今の朝陽ちゃん、前より明るい雰囲気がするもん。大きな荷物を置いたというか、何かから解放されたみたいな感じだよ」

 

 それって、絵里達との出来事を言っているのだろうか。

 確かに、昨日絵里の家に泊まった時、仲直りしたり色々と話せて充実していたが。

 まさか、ことりの口からその事がでるとは思わなかったな。いや、ことりの勘か何かで俺の変化を読み取ったのだろう。

 昔から一緒の幼馴染だから、俺は彼女がそういう細やかな所に気が付くのは知っているし。

 ことりの言葉を聞き、穂乃果達も俺の顔をまじまじと見つめだす。

 

「うーん。たしかに、なんとなく変わったような?」

「言われてみれば、そんな気がしなくもないですね。何か良い事でもあったんですか?」

「まあ、あったと言えばあったよ」

 

 昨日、泣いた後は絵里と様々な事を話し合ったのだ。

 俺の意識に関しては、絵里が気持ち悪がって引かなくて良かったよ。未来についても、今後は希先輩と会議をして具体的な方針を決める事となっているし。

 まあ、絵里は未来の内容を聞かないようにするつもりのようだが。なんでも、そんな不確定な未知より、目の前の既知を一歩一歩踏みしめていきたいとか。

 絵里らしい真面目な返答に、思わず眩しさで目を細めたのも記憶に新しい。

 ともかく、そんな感じで絵里とは更に仲良くなれた気がして、俺としても久しぶりに心から笑えた夜になったのだ。

 

 だからだろう。

 ことり達が見てくる中で、口許を緩ませて頬を掻いたのは。

 そんな俺の様子をばっちりと見たことりは、益々頬を膨らませて眉根を寄せる。

 

「うぅー!」

「本当にどうしたんですか、ことり?」

「さっきから変だよ?」

 

 訝しげな海未達の疑問に、首を横に振って答えることり。

 

「わかんない、わかんないの。でも、今の朝陽ちゃんを見ていると、なんだか胸が苦しくなってくるの」

 

 ギュッと胸元に手を添え、ことりは悲しさからか目を伏せた。

 ……これは、ひょっとしなくても、俺の秘密に関して勘づいている?

 自分達が除け者にされたような感覚を抱いたから、辛くて胸を抑えているのか?

 元々、ことりは俺の知っている中で、かなり勘が鋭い友達だ。だから、μ'sの中で一番初めに俺の秘密を察するのも彼女だと思っていた。

 

 しかし、それにしたっていくらなんでも早すぎる。中庭で話した時ぐらいだ。ことりにバレそうなミスを犯したのは。

 いや、これは俺の不注意というより、ことりの慧眼を讃えるべきだろう。俺の予想以上に、他人の機敏を察するに長けていたという事なのだから。

 

 ……ことり達にも、本当は全て伝えるべきなのだろう。

 絵里達と同じぐらい大事な友達なんだから、片方だけに肩入れするのはおかしい。

 だけど、話すのはまだ先だ。少なくとも、廃校が阻止できて、ことりの留学問題に一段落ついてからだ。

 今話して、ことり達に未来の不安を抱えてほしくない。きっと、俺が教えたら洗いざらい未来の内容を聞きだしてくるだろうから。

 

 小さく息を吐いて気持ちを切り替え、上目で見つめてくることりに言葉を返す。

 

「それは、ことり勘違いだと──」

 

 続く言葉は、縋るようなことりの眼差しに止められた。

 ……駄目だ。ここで誤魔化すのは、ことり達にとっての最大限の侮辱だ。

 俺のために心を砕いてくれたのだ。せめて、答えられる範囲だけでも誠実にしよう。

 固唾を呑んで見守る三人へと、俺は申し訳ない表情を向ける。

 

「──いや、すまない。私は、ことり達に秘密にしている事がある」

「秘密?」

「どんな秘密ですか?」

「今は言えない」

 

 否定した俺を見て、ことりは諦めた様子で笑う。

 

「やっぱり、私達の知らない所で朝陽ちゃんが救われたんだね」

「救われた?」

「そう、だね。私は確かに救われた」

「ねぇ、さっきからなんの話をしてるの?」

 

 話についていけていないのだろう。

 穂乃果と海未は頭にクエスチョンマークを浮かべており、頻りに首を捻っている。

 やはり、ことりが特別鋭すぎるだけか。俺のポーカーフェイスのお蔭で、穂乃果達には小さな違和感しか覚えさせていないようだし。

 

 密かに確認していると、おとがいに指を添えたことりが微笑む。

 憂いを帯びているが、それ以上に硬い決意を秘めた綺麗な瞳を細めながら、瑞々しい唇を開いて告げる。

 

「誰かに言ったって事は、いつかは私達にも教えてくれるんだよね?」

「うん。必ず、ことり達にも話す。そう決めたから」

「……そっか」

 

 小さく呟いたことりは、くるりと回って穂乃果達の方を向いた。

 腰の後ろで両手を組み、左に傾けた身体と一緒にグレーの髪を揺らす。

 ふわりとことりの香りが漂い、辺りが優しい雰囲気に包まれる。

 

「じゃあ、朝陽ちゃんが話してくれるまで待ってるね。それが、今のことりにできる事だから」

「……ありがとう」

「ぶーぶー! どーして穂乃果達を置いてきぼりにするのー! 穂乃果達にもわかるように教えてよー!」

「うーん、それより穂乃果ちゃんはテスト勉強をした方がいいんじゃないかなぁ?」

「うぇ!? なんで言っちゃうのぉ。せっかく誤魔化せたと思ったのに」

 

 もう勉強やだぁ、と項垂れた穂乃果。

 そんな彼女の様子を見て、海未が大きなため息を零した後、俺の方に近づいて耳元で囁きかけてくる。

 

「朝陽。今日の放課後、時間ありますか?」

「ん、あるけど。μ'sに関しての相談事?」

「そう、ですね。μ'sについてです」

 

 若干、歯切れが悪い返事だったが。

 海未は俺の言葉に頷き、改めて穂乃果に勉強を教えはじめる。

 一体、海未は俺にどんな用事があるのだろうか。そんなに悪い話だとは思えないが、念のため心の準備をしておいた方がいいか。

 内心で首を傾げつつ、俺も穂乃果の勉強を手伝うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、俺は海未に屋上へと連れていかれた。

 人気のない場所に向かう途中で、何やら三人ほどの悲鳴が聞こえた気がしたが、まあ俺の空耳だろうな。

 

「それで、こんな所まで来て話したい内容って?」

 

 背中を向けている海未に尋ねると、彼女は振り返って俺の顔を真っ直ぐと見つめる。

 微かに緊張を滲ませた表情を浮かべ、どこか聞くのを迷う口振りで言う。

 

「朝陽は、生徒会長と仲が良いんですか?」

「……いきなり、どうしたんだい?」

「否定しないんですか。やっぱり、朝陽は生徒会長と親しい間柄なんですね」

 

 断定口調で言い切られた俺は、観念して両手を挙げる。

 

「まあ、隠していた事でもないし。そうだよ。私は生徒会長……絵里とは友達だ」

 

 俺が素直に認めたからか、海未の顔が少し柔らかくなった。

 風に靡くさらさらとした青髪を抑えながら、目の前の幼馴染は視線を青空に向ける。

 

「私は少し前、生徒会長の妹に会いました」

「亜里沙に?」

「ええ。その時に朝陽の事を聞いたので、貴女が生徒会長と仲が良いと知りました」

「なるほど……でも、本題はそれじゃないんでしょ?」

 

 亜里沙に会ったという話は、海未にとって本題ではないのだろう。

 天を仰ぐ彼女の横顔に浮かぶ、儚い色。吹けば飛びそうな花弁の如く弱々しく、しかしそれ以上に艶のある不思議な表情を見せていた。

 思わずドキリとした俺を尻目に、海未は迷子の子供のように首を振る。

 

「朝陽。今まで私達がしていた踊りは、なんだったんでしょうか」

「えっ?」

 

 少し乱れた髪を撫でつつ、緩やかに紡ぐ海未の言葉は止まらない。

 

「成長している実感はあります。このままでも、μ'sはどんどん魅力的になっていくでしょう。今まではそれで満足していました。現状に甘んじていました。ですが、それではいけなかったんです」

「海未?」

 

 ここで初めて、海未は俺の顔を見る。

 ふっと息を漏らし、自嘲げな笑みを落とす。

 

「私、見てしまったんです。本当に人を虜にする踊りというのを」

「……もしかして、絵里のバレエかな?」

「やはり、知っていましたか」

「まあ、昔に見せてもらったからね」

 

 確かに、絵里のダンスは凄まじいものだった。

 息をするのも忘れて心から魅入り、思わず感動で涙を流しそうになったほどだ。

 改めて、人の踊りはここまで心を揺り動かすんだって実感したな。

 あれほどの感動を覚えたのは、初めて真姫の伴奏を聴いた時と、μ'sのファーストライブの時だけだろう。

 ……μ'sのメンバーが皆凄すぎて、凡人の俺には眩しい。

 

「あのダンスを見た時、私は思ってしまったんです。今のままでいいのか、μ'sの実力はこの程度なのかって」

「海未の気持ちはわかったけど、それと私が呼ばれた事の関連性がわからないんだけど?」

 

 ある意味突然な俺の問いかけに、こちらへと近寄る事で応える海未。

 目の前で足を止めると、真剣な眼差しで俺の目を射抜く。

 

「そこで、朝陽にはお願いがあります。生徒会長に私達の練習を見てもらえるよう、協力してくれませんか?」

 

 ……なるほど、読めてきたぞ。

 となると、今後する予定の考えからして答えるべき返事は──

 

「それをするに関して、海未には協力して欲しい事があるんだ」

「私に、ですか?」

「うん。廃校を阻止するためには、とっても大事な事」

 

 俺の声に含まれた真剣さを感じ取ったのだろう。

 目を丸くしていた海未の表情が引き締まり、ゆっくりとした動作で頷く。

 

「私にできる事ならなんでもします。ですから、朝陽の考えを聞かせてくれませんか?」

「ありがとう。じゃあまずは──」

 

 絵里、希先輩。

 必ず、貴女達を笑顔にさせてみせるから。心から笑えるようにしてみせるから。

 だから、もう少しだけ待っていて。

 密かに決意を固めつつ、俺は海未に己の考えを明かしていくのだった。


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