TS少女のラブライブ!   作:水羊羹

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第四十二話 和解

『いい、朝陽ちゃん? 絵里ちと水族館に行く時、ウチが考えた言葉や行動をして欲しいんや』

『なんで? 希先輩も一緒にいるんだから、そんな事をする必要はないだろ?』

『念のため、という感じかな。とりあえず、絵里ちマイスターであるウチに任せれば、朝陽ちゃんはちゃーんと絵里ちと仲直りできるから、ウチに全部任せて!』

『う、胡散臭ぇ……』

『んん? 音ノ木坂一のピュアであるウチが胡散臭いって? おかしいな。そんなはずがないんだけど、朝陽ちゃんには話を聞く必要があるね』

『ちょ、ちょっと待て!? その嫌らしい顔はなんだよ!? 手をワキワキさせながらこっち来んな──』

 

 

 

 

 

「──うっ。寒気が」

「何か言ったかしら?」

「う、ううん。なんでもないさ」

 

 希先輩の言葉を思い出した際、思わずその後の出来事も脳裏に描いてしまった。

 身震いしながら首を横に振った俺は、内心で微妙な表情を浮かべる。

 あの手つきに表情……希先輩は悪魔の生まれ変わりだろうな。

 いや、対象を昇天させる意味では、天使だったかもしれない。

 詮無きことを考えていた瞬間、冷水をぶちまけられたような悪寒が走り、咄嗟に勢いよく背筋を伸ばして姿勢を正す。

 恐る恐る背後を窺えば、イイ笑顔を浮かべた希先輩が、ジッと俺に熱い視線を送っていた。

 

「ひっ!」

「ちょっと、どうしたの? 後ろに何かあった?」

「い、いや。どうやら私の気のせいだったみたい」

 

 アハハと乾いた笑いを響かせながら、俺は不審そうな目つきの絵里を誤魔化した。

 何故、この距離から俺の考えている内容がわかるんだ……あ、希先輩はスピリチュアルな方でしたね。

 もう余計な事は考えないので、どうか怒りをお収めくださいませ。

 と、内心で祈っていると、希先輩は呆れた様子で肩を竦めた。

 いや、だからなんで俺の考えている事が……もう、この下りはいいか。

 ともかく、あれから俺達は水族館内を廻り、現在はペンギンを見ている所だ。

 腹ばいで滑るペンギンや、ヨチヨチ歩きで動いている子ペンギンなど、非常に可愛らしい姿に思わず癒される。

 絵里も俺と同じような感想を抱いたのか、どこかうっとりとした表情で嘆息していた。

 

「はぁ……可愛いわねぇ」

「うん、全くだ」

 

 二人して水槽にかじりついてペンギンを眺めていると、不意に俺の携帯が震えはじめる。

 少し嫌な予感を覚えてチラリと背後を盗み見れば、何故か希先輩がガッツポーズを向けてきた。

 ため息をついて画面を開き、希先輩からのチャットに目を通していく。

 

【今こそウチが伝授した言葉を言うんや!】

 

 と言った文面に、キラキラとした瞳で手を組むキャラクターのスタンプがあった。

 いや、俺にそんな期待されても困るのだが。

 しかし、自称絵里マイスターである希先輩の言葉が正しいなら、教えてもらった内容を告げれば、絵里と仲直りができるらしい。

 ……正直、凄く恥ずかしい言葉だけど、希先輩を信じて言ってみよう。

 

 深呼吸して頬の熱さを抑えた俺は、隣でペンギンに心を奪われている絵里へと声を掛ける。

 

「え、絵里!」

「……え、なに?」

「その……あの……」

「い、言いたい事があるなら、はっきり言ったらどうかしら?」

 

 僅かに目を逸らして告げる絵里の言葉を聞き、ようやく俺は腹に力を込めて覚悟を決めた。

 今できる限りの爽やかな笑みを浮かべ、一歩踏み込んで絵里の顔をのぞき込み、震えそうになる声を鎮めて口を開く。

 

「ペ、ペンギンより絵里の方がきゃわいいよ!」

「……へ?」

「……ごめん、今のは聞かなかった事にして」

 

 素っ頓狂な声を上げて目を点にする絵里。

 対して、大事な所で舌を噛んでしまった俺は、ある意味冷静になって内心で力の限り絶叫した。

 

 ──やっぱり意味がわからないセリフじゃねーかよぉ!

 

 薄々希先輩に騙されているんじゃないかと考えていたのだが、改めて酷すぎる言葉のチョイスではないか。

 こういうのは男性が女性に言うべき言葉のはずであり、女性から言われても全く嬉しくもなんともないというか、そもそもペンギンより可愛いとか頭が沸いてる内容では……。

 グルグルと思考が巡り、頭から蒸気を吹きだしているような錯覚に陥る。

 

 今の俺を傍から見れば、顔色を真っ赤にして涙目だろう。

 視界の端で笑いを堪えている希先輩の姿が映っているし、どこからどう考えても俺は失敗したと理解できる。

 絵里から後ずさって振り返り、今の顔を見られないように鞄に入れてあるタオルで隠す。

 暫く身体を震わせて自己嫌悪に駆られていると、背後から絵里が戸惑い気味に声を掛けてくる。

 

「そ、その。今のってどういう意味?」

「……ペンギンも可愛いけど、ペンギンを見て目をキラキラさせている絵里の方が可愛かったって言いたかっただけ」

「へ、へぇ。私がペンギンより可愛い……そう、そっか」

 

 タオルに顔を押しつけたままくぐもった声で返事をすれば、なんだか絵里が意味深な呟きを漏らして独りごちた。

 俺達の間にどこか変な空気が流れ、微妙な沈黙に包まれていく。

 うぁぁ……言うタイミングを間違えたというか、明らかにこれは希先輩の冗談か何かだったのだろう。

 でなければ、希先輩が俺達で遊ぶためにそう言ったか……いや、希先輩に限ってそんな事をするはずがないよな。

 そもそも、これを言われた時点で色々と気づけよ、俺。なんで言った後からヤバいセリフだと気づいてしまったんだ。

 とりあえず、言ってしまったものは仕方がない。今考えるべきなのは、この気まずい空気をどうにかする事だろう。

 洗剤の香りを肺にいっぱい流し込んだ俺は、タオルを仕舞って絵里の方に振り向く。

 ビクリと肩を震わせた彼女の手を取り、何気ない様子を装って歩きだす。

 

「よし、次のエリアに行こう!」

「……そう、ね。わかったわ」

 

 俺の提案に絵里が肯定すると、なんと控えめに手を握り返してきた。

 思わず絵里に目を向けたが、絵里は顔を背けているので、どんな表情を浮かべているのかわからない。

 しかし、微かに耳が赤らんでいる事から、そう悪い顔をしていないのだろう。

 これは、成功したと言っていいのだろうか。俺の滑稽な失敗を見て、絵里の緊張が解れたとか、そういう事なのだろうか。

 

 ……まあ、その辺はどうでもいいんだ。

 俺が今思っているのは、絵里との距離が少し縮まったという事なのだから。

 自然と嬉しさが溢れる笑みを浮かべながら、俺は絵里を引いて次のエリアに進むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、俺達は様々な魚を見て回った。

 深海魚のコーナーで絵里と一緒に面白い魚を見たり、触れ合いコーナーではジャンケンをしてどちらがナマコを触るか決めたり、二人で楽しいイルカショーを見て感動したり。

 文字通り満喫したと言った具合に、俺達は水族館を謳歌したのだ。

 しかし、時は残酷に近づいていき、そろそろこの遊びが終わる時間となった。

 

 現在、俺は絵里に待ってもらって、自分はお手洗いに赴いている。

 トイレを済ませて手を洗っていた俺は、ふと鏡に移る自分の表情を見て、思わず頬を綻ばせた。

 

「ははっ。それだけ楽しかったって事か」

 

 満面の笑みを浮かべている自身の姿に、益々笑顔が深まっていく。

 確かに、今日の絵里との遊びは人生で五本の指に入るほど楽しかった。よほど俺が絵里の事を親しく思っていたのか、何をしても景色が輝いて見えていたのだ。

 心中で渦巻く優しい思いに、目を瞑ると蘇る絵里との思い出。

 

 ……やっぱり、俺はもう一度絵里と仲直りしたい。

 ストンと胸に落ちた感情。そう考える事が当たり前かのように、俺は目を開けて決意を瞳に灯す。

 今の俺なら、勇気を持って絵里と向かい合える気がした。

 頬を叩いて気合を入れた後、絵里が待っている方へ歩いていく。

 

「ん? あれは、希先輩?」

 

 絵里が座っている椅子に近寄ると、何故か隣に希先輩がいた。

 どうやら二人は会話をしているようで、ここからだと内容が聞こえない。

 声を掛けるかどうか悩んでいた時、俺の携帯が震える。

 どうやら希先輩からの着信で、首を傾げながら通話ボタンを押す。

 

『──そうなんですか。この水族館が好きでいつもいると』

『ええ。私はここにいる魚達に癒されに来るんですよ』

『確かに、可愛い魚とか多いですもんね』

 

 え、誰だこの人……いや、会話しているのが希先輩と絵里だというのはわかる。

 わかるけど、希先輩にしてはやけに声のトーンが低いような。

 もしかして、希先輩は変声でもしているのだろうか。絵里に変装がバレないようにするために。

 そう考えれば絵里との会話もどこかよそよそしいし、初対面と言われると納得できるような距離感だ。

 しかし、何故希先輩が絵里に近づくようなリスクを犯したのか、このまま俺は声を掛けても良いのだろうか、と対応に困るような場面になっている。

 微妙な表情を浮かべて二の足を踏んでいる間にも、両者の会話は続いていく。

 

『ちなみに、気に入った魚とかいましたか?』

『えっ? そうですね……私は魚よりペンギンの方が気に入りました』

『ほほぅ、ペンギンですか。私もあの子達によく癒されるんですよ。特にどの辺が気に入りましたか?』

 

 希先輩がそう尋ねると、絵里は言葉に詰まったように沈黙した。

 近くの椅子に腰かけながら、俺はどこか胡散臭い希先輩の口調に、思わず苦笑いをしてしまう。

 ただえさえ、野球帽を深く被ってバレないようにしているからって、そんな怪しい人物の口調にする意味がわからない。

 しかし、少なくとも今の絵里とはそれなりに仲良く話し合っている。

 ……希先輩の話術、恐るべし。

 そんな風に考えている間に、どうやら絵里の方で結論が出たようで、希先輩の質問にゆっくりと答えていく。

 

『ペンギンが可愛いのは本当ですけど……私が気に入った理由は、友達と一緒に見たからです』

「っ!」

『友達?』

『はい、大切な友達』

 

 絵里の口から出た友達という言葉に、動揺で息を乱した俺。

 対して、希先輩は興味深げな声音で合いの手を打つ。

 

『大切、ですか。それにしては、随分と顔が暗いですけど?』

『……友達に、酷い事を言ってしまったんです。友達は何一つ悪くないのに、好き勝手言っちゃったんです』

『ふぅむ、なるほど。それで、その友達と会うのが気まずいんですね?』

『……はい。本当は、もう一人の友達と一緒に行く予定だったんですけど、その人が気を遣って私達の二人きりに』

『そ、そうなんだー』

 

 いきなり棒読みになると非常に怪しいですよ、希先輩。

 普段はポーカーフェイスが上手なのだが、今のは大根役者さながらの酷さだ。

 変装している事に、良心の呵責にでも見舞われたのか、希先輩はそっぽを向いて口笛を吹いている。

 しかし、明らかに怪しい希先輩の様子に、絵里は気が付いていないようだ。

 声色を暗くした絵里が、ポツポツと独白していく。

 

『気を遣われても、朝陽とまともに目を合わせられない。声を掛けようとしても、どうしても怖くて話せない。たった一言、ごめんなさいって謝るだけなのに、私はそれを言う勇気すら持てない……』

『うーん。そんなに難しい事かな?』

『えっ?』

『だって、貴女はその友達に謝りたいんですよね? 一緒にここに来た友達に』

『え、ええ。そうですけど』

『だったら、話は早いじゃないですか。貴女の心の赴くままに、その友達に謝罪しましょう』

『ええっ!?』

 

 困惑気味な声を上げる絵里を尻目に、希先輩は席を立つ。

 

『では、私はこの辺で失礼させてもらいますね』

『ちょっ──』

 

 通話でも切ったのだろう。絵里の言葉が途中で途切れた。

 思いがけない所で絵里の本音を耳にし、動こうにも動けないでいると、いつの間にかすぐ側に希先輩が現れる。

 

「さて、朝陽ちゃん。ウチができるのはここまでや」

「希先輩……」

「大丈夫。朝陽ちゃんは絵里ちと仲直りできるはずだから」

 

 にっこりと微笑む希先輩。

 柔らかく細められたその目を見て、俺は真剣な表情で頷く。

 立ち上がって気合を入れ、改めて感謝を示すために頭を下げる。

 

「本当に、ありがとうございます」

「いいんよ。ウチがしたかっただけだからね。……頑張って」

「はいっ!」

 

 優しく背中を押した希先輩に促されるまま、俺は絵里の方へと向かう。

 椅子に座ったままの彼女はソワソワと落ち着きがない様子で、頻りに周囲を見回している。

 やがて、絵里は近寄ってくる俺を見つけ、目を泳がせながら口を開く。

 

「お、遅かったわね」

「ちょっと場所が混んでいてね、すまない」

「う、ううん! 混んでいたなら仕方ないわよ」

 

 隣に腰掛けた俺から目を逸らし、意味もなく大袈裟に頷いている絵里。

 明らかに動揺しているとわかるその様子に、俺も釣られて心臓の鼓動が速まっていく。

 落ち着け、落ち着くんだ。ここまで希先輩にお膳立てされたのだから、今この場で絵里と仲直りするべきだ。

 こんな気まずい空気のまま別れるのは、絶対にあってはならない。

 再び、絵里と笑い合うために、また一緒に遊びに行くために。

 

 深呼吸して気持ちを整えた後、俺は目を伏せている絵里に声を掛ける。

 

「絵里。実は、聞いて欲しい事があるんだ」

「……私も、あるわ」

「先に、私の話を聞いてもらってもいいかな?」

 

 俺の問いかけには答えず、絵里は無言で頷く。

 断られなかった事に内心で安堵しながら、脳内で言葉を纏めて紡ぐ。

 

「まずは、一緒に遊んでくれてありがとう。今日は凄く楽しかった」

「私も、楽しかったわ」

「そう言ってもらえて良かったよ。それで、改めて言いたい事があるんだ」

「……なに?」

 

 端的に問い返す絵里に、俺は立ち上がって頭を深く下げる。

 

「ごめんなさい!」

「え?」

 

 絵里が呆然とした声を上げるも、意に介せず気持ちを込めて告げる。

 

「あの時、絵里が言った言葉。全部、正しかった。私はずっとμ'sの事ばかりしか考えていなくて、絵里をしっかりと見ていなかった」

 

 後悔で視界が滲むが、今は絵里に全てを伝える事が先だ。

 涙声にならないように気をつけながら、言葉を繋いでいく。

 

「絵里と一緒にいる時も、どこかμ'sあり気で考えていたと思う。μ'sを中心に考えていたから、絵里に対して酷い事をしてしまった」

「ち、ちがっ」

「そのせいで、絵里を泣かせてしまった。私が不甲斐ないばっかりに、大切な友人の絵里を傷つけてしまった。いくら謝っても許されないのはわかっているけど、それでもちゃんと謝りたい。本当に、すまない」

 

 頭を下げたまま、絵里の返答を待つ。

 今の絵里は、一体どのような表情を浮かべているだろうか。

 怒り、落胆、失望、軽蔑……いずれにしても、良い感情は抱いていないはずだ。

 これで絵里との仲が終わったとしても、俺は甘んじてその結論を受け入れる。

 それが、泣かせまいと決めた絵里を泣かせた、俺への罰だから。

 

 裁かれる罪人の気持ちで待っていると、立ち上がる絵里の気配がした。

 緩やかな足取りで俺の前に立ち、何かを堪える様子で話す。

 

「……顔を上げて」

 

 その声に従い、ゆっくりと顔を上げる。

 俺の視界に映るのは、今にも決壊しそうに涙を湛え、唇を一文字に結んでいる絵里の表情だった。

 想像だにしない顔に思わず唖然とした俺を尻目に、絵里は何度も首を横に振りながら言葉を落としていく。

 

「違う……違うのよ。朝陽はなんにも悪くないの。悪いのは、全部私なの」

「だって、絵里が言った事は正しくて」

「正しくなんてないわ!」

 

 鋭く否定の声を上げた絵里は、ハラハラと大粒の雫を滴らす。

 一歩踏み込んで俺の襟を掴み、嗚咽混じりの声で言葉を紡ぐ。

 

「あの時の私は……ううん。その前からずっと、私はイライラしていたの。廃校の事で一杯一杯になって、心に余裕がなかった。だから、朝陽に八つ当たりしちゃったの」

「八つ当たり?」

 

 オウム返しに尋ねた俺に頷いた後、絵里は瞳に自嘲の色を宿す。

 

「朝陽があの子達とPV撮影した日があったじゃない? それで、楽しそうに後片付けをしていた朝陽を見た時、凄く腹が立った。どうして、貴女は笑顔なの。なんで、廃校まで時間がないのにそんなに明るいのって。そう思っちゃった私は、あの時の朝陽をまともに見られなかった。このままだと酷い事を言いそうだったから」

「絵里……」

 

 まさか、絵里がそんな事を考えていたとは。

 予想外の展開に二の句を告げない俺だったが、絵里は気にする様子を見せずに想いを吐露していく。

 

「その後も、近づいてくる廃校までの期限に、全く思いつかない良いアイデア。……気が付けば、どんどん自分がわからなくなっていって、もう目の前が真っ暗になったわ。だけど、朝陽は楽しそうにμ'sとずっと一緒にいた。私が悩んでいるのに、朝陽はμ'sばっかりで……嫉妬をしたの。私から朝陽を奪ったμ'sに」

「えっ?」

 

 目を丸くした俺を、疲れた様子で見つめた絵里。

 暗い笑みを浮かべて肩を落とし、俯き気味に言葉を滑らせる。

 

「私は生徒会長として必死に頑張っているのに、同じように廃校阻止を目指しているμ'sは、いつも笑顔。そんな彼女達が羨ましかった。お気楽な彼女達が妬ましかった。そこに朝陽も一緒にいるのが悲しかった。そして、朝陽が私から離れた事が一番辛かった」

「ちょ、ちょっと待って! 私が離れたってどういう事?」

 

 慌てて問い返せば、絵里は俺から離れて目を伏せる。

 

「言葉通りの意味よ。朝陽は私から離れて、μ'sの方に行ったじゃない」

「た、確かに私はμ'sを優先していたと思う。だけど、絵里には希先輩という親友がいるじゃないか。私がいてもいなくても変わらないだろう」

 

 当たり前の事を言ったつもりだったのだが、絵里にとっては違うようだ。

 大きく首を横に振るった絵里は、想いを込めるように鋭い言葉を放つ。

 

「変わるわ! 朝陽の言う通り、希は私の親友よ。大切な友達……でも、朝陽は私にとって親友だけじゃない。朝陽は私の特別な人なの」

「とく、べつ?」

 

 困惑の表情を向けた俺に頷き、絵里は胸元にそっと手を添えて微笑む。

 

「前にも言ったと思うけど、私に初めてできた友達が朝陽なの。辛くて悲しくて独りだった私に希望をくれたのが、朝陽なのよ。……きっと、朝陽にとっては大した意味がなかったんでしょうね。でも、お蔭で私は救われた。あの日、朝陽が孤独だった私を遊びに誘ってくれたから、こうして今を笑う事ができているの」

 

 嬉しそうな絵里に、俺は自分でもよくわからないまま反射的に否定しようと口を開く。

 

「……そんな事はない。絵里に私が声を掛けなくても、絵里には希先輩という大切な親友ができたはずだよ! だから、私が特別なんて事はないと思うし、私がいなくても結果は変わらなかった」

 

 言い聞かせるように告げるも、絵里は穏やかな表情で微笑を湛えるのみ。

 

「かもしれない。朝陽がいなくても、私は笑えたかもしれない。希に助けられていたかもしれない。だけど、それは仮定の話。今ここにいる私は、朝陽に救われた。他でもない朝陽のお蔭で……心から、朝陽と出会えて良かったと思っているわ」

「俺の、お蔭? 出会えて、良かった?」

 

 俺が絵里を救った……?

 いや、俺がいなくても結果は変わらなかったはずだ。変わるはずがない。

 むしろ、半端に関わったから今のような事態に陥っている訳で。俺がいなければ、希先輩が絵里を救っていたはずで。

 だから、俺は希先輩のポジションを奪った……そう、他人の居場所を盗んだ奴なんだ。

 

 絵里の言葉は、物語を知らないからこそ言える内容。

 物語の事を知れば、絵里だって俺に感謝なんてしない──

 

「実は、朝陽に打算があった事はわかっていたわ」

「えっ……?」

「自己満足か、同情かわからなかったけど。あの時の朝陽は、善意だけで私に手を差し伸べていなかったでしょ?」

「それ、は」

 

 今振り返れば、様々な醜い感情があった事は否定できない。

 同じような孤独を抱いている事に親近感を覚えたし、憧れのキャラクターと知り合いになれるという下心もあったのだろう。

 絵里からすれば、勝手に境遇を重ねられて迷惑だっただろうが。

 

 思わず言葉を濁らせる俺を見て、絵里は優しい面立ちで首を横に振る。

 

「ううん、いいの。あの時の朝陽がどんな考えだったのか、私には関係ないわ。だって、私が救われたのは事実だから。……改めて、言うわね。私と出会ってくれて、ありがとう」

 

 柔らかく微笑んだ絵里に、俺は返事をする事ができなかった。

 潤っている蒼い瞳の中には、絶大な感謝の念しか満ちていない。

 俺が考えている内容など関係ないと言わんばかりに。物語云々関係なく、俺の行動で救われたと示すように。

 

 そんな笑顔を向けられたからか、心の底から様々な想いが溢れていく。

 俺がした事は無駄ではないと褒めてくれた気がして。俺の行動が物語に良い結果を生んだと教えてくれた気がして。俺の自己満足が報われた気がして──

 

「う、うぅ……!」

「ちょ、ちょっとどうしたの!? いきなり泣いて」

「ありがとう……ありがとう……!」

 

 とめどなく流れる涙が止まらず、嗚咽を漏らしながら何度も感謝する。

 慌てた様子でアタフタする絵里を尻目に、俺はこの暖かい気持ちに身を任せるのだった。

 


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