TS少女のラブライブ!   作:水羊羹

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第三十八話 広がる心の距離

 あれから、海未の鬼指導のお蔭で瞬く間に学力を上げる穂乃果達──なんて事はなく、案の定テスト勉強は苦戦の日々だった。

 穂乃果は眠気が頻繁に訪れ、凛は嘘をついて逃げようとする。

 唯一にこ先輩は、最初にやられたワシワシのせいか、真面目に勉強に励んでいたが。

 

「ほら、穂乃果。ここが間違っていますよ」

「海未ちゃん……穂乃果、もう疲れたよ。眠ってもいいよね?」

「駄目です」

「海未ちゃんのいけずー! 鬼ー! 悪魔ー!」

 

 バンバンと机を叩く穂乃果を見て、海未はそれはもう綺麗な笑みを浮かべた。

 

「ええ、ええ。私は鬼で悪魔で良心の欠片もない非道な人間です」

「う、海未ちゃん? 穂乃果はそこまで言っていないよーな」

「ですから、私は血も涙もない選択をしますね。さあ、早く腕を動かしなさい。目を教科書に向けなさい。どんどん脳を酷使しなさい!」

「ひぇっ……海未ちゃんの目が怖い!」

 

 怯えた表情で身体を震わせた穂乃果は、海未の言われるまま勉強を再開した。

 対して、ことりは俺の隣でペンを走らせている。

 

「うーん?」

「それはこの公式を使うんだよ」

「あ、本当だ。ありがとう、朝陽ちゃん」

「どういたしまして」

「……それにしても、朝陽は理解が早いですね。もう遅れた分を取り返したのではないですか?」

「まあ、ここ最近は家で勉強しているしね」

 

 感心したような海未に、俺は肩を竦めた。

 このままではまずいと思い、栄養ドリンクを片手にずっとテスト勉強をしていたのだ。

 最低限の睡眠時間を確保しているとはいえ、一日中勉強していたからか、少しばかり身体が怠い。

 しかし、この程度は問題ない。μ'sの足を引っ張る訳にはいかないので、できるだけ早急に勉強内容を理解しなければならないのだ。

 結果、テスト当日まで無理なく勉強をすれば問題ない所まで追いついた。

 

「この分なら、朝陽は大丈夫そうですね」

「うん。だから、海未は穂乃果を頼んだよ」

「えぇっ!? それはおーぼーだよ朝陽ちゃん! 穂乃果一人じゃ海未ちゃんの扱きに耐えられないってっ!」

「大丈夫です、穂乃果。ちゃんと気合いを入れて頑張りますから!」

「それは大丈夫って言わないよ! ほ、ほら。穂乃果より凛ちゃんにも教えた方がいいって」

 

 凛も巻き込もうとしたのだろう。顔色を明るくして告げた穂乃果だったが。

 当の本人は決して彼女と目を合わせず、花陽達に教えを乞っていた。

 

「真姫ちゃん、ここ教えて」

「凛ちゃん無視しないで! 穂乃果と一緒にこっちで勉強しよ?」

「り、凛ちゃん? 穂乃果先輩に呼ばれているよ?」

「あれは敵だにゃ。絶対に反応しちゃいけないの。わかった、かよちん?」

「今、こっち見たでしょ! 穂乃果を可哀想な目で見たでしょ!」

「──穂乃果?」

 

 指をブンブン振るっていた穂乃果は、海未に肩を叩かれて固まる。

 油の切れたロボットのような動きで、満面の笑みを浮かべている彼女に顔を向け。

 瞳に諦観の色を宿して、肩を落とす。

 

「はい、大人しくやります」

「よろしい」

 

 なんていうか、どこのコント?

 いやまぁ、穂乃果にとっては真剣な事だったのだろうが。傍から見れば、笑えるというかなんというか。

 実際、今のやり取りを見ていた真姫は呆れた表情を浮かべているし。

 内心で苦笑いしながら、頭では別の事を考えていく。

 

 テスト勉強については、おおよそ問題はないだろう。

 穂乃果達もなんだかんだ言って学力が上がっているし、ラブライブの出場停止なんて事態は起こらないはず。

 

 ……問題は、絵里。

 元々、μ'sのPVが終わったら直ぐにメンバーに勧誘するつもりだった。

 わざわざ廃校ギリギリまで待つ必要がないし、こういうのは早いに越したことはないから。

 しかし、あの時の出来事。

 絵里に拒絶された日から、俺達の間で会話がなくなっていたのだ。

 

 どうにかして話しかけたいのに、絵里は逃げるように俺から離れ。

 希先輩からも心配されたが、こればかりはどうしようもない。

 独りで重圧と戦っている絵里に対して、俺はμ'sと仲良くしている。

 どう考えても、俺に腹が立つだろう。

 なんで私ばっかり、どうして貴女は楽しそうなのって。

 

 でも、もう時間がない。

 μ'sのクオリティーを上げるためには、少しでも廃校阻止の確率を高めるためには。

 テストが終わった直後辺りで、絵里達に加入して貰うのが望ましいだろう。

 ……今でも話しかけるのが怖い。また拒絶されてしまうのが恐ろしい。

 

 震えそうになる身体を叱咤し、深呼吸をしていく。

 俺の感情より、μ'sの事情。結局、他の廃校阻止の案が思いつかなかった以上、やはり絵里には直ぐにでもμ'sに入ってほしい。

 そうと決まれば、即行動。今から絵里に頼みに行こう。

 

「あれ、朝陽ちゃん? いきなり立ってどうしたの?」

「ちょっとお手洗いに」

「私も、これから部活動があるので。ことり、穂乃果がサボらないように見張っておいてください」

「わ、わかってるよぉ」

 

 部室を出た俺は海未と別れ、絵里の教室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 希先輩が言っていた通り、彼女はここで勉強をしていた。

 誰もいない教室で、一人。真剣な表情で腕を動かしている。

 暫し声を掛けるか悩んだが、頭を振って近寄っていく。

 

「絵里」

「っ……朝陽。何か用かしら?」

 

 振り返った絵里は、僅かに息を呑んだ後。冷静な顔つきで、俺に促す。

 いつものように笑顔を向けてくれない事に、思わず手が震えそうになる。

 拳を強く握ってそれを抑え、できるだけ自然な笑みを浮かべて。

 

「実は、絵里に頼みがあって来たんだ」

「私に?」

「うん、絵里に」

「……そう」

 

 呟きを漏らし、目を伏せた絵里。

 対して、俺は場に漂う嫌な雰囲気を不安に感じていた。

 彼女との間には、以前までの暖かな空気がない。あるのは気まずさのみ。

 喉はカラカラに渇き、大きく波打つ鼓動の音が耳を駆け抜ける。

 ゆっくりと息を吐いてから、逃げそうになる足に力を入れて口を開く。

 

「あの、さ。無事にテストが終わった後、絵里には希先輩と一緒にμ'sへと入ってほしいんだ」

「私、が?」

「そう。絵里が」

「……どうして?」

「私が入ってほしいと思ったから」

 

 端的に返すと、絵里の瞳が僅かに揺れる。

 唇を噛み締め、握っているペンからは嫌な音が響く。

 だがそれも数瞬の事で、直後には何色も映さない空虚な瞳へと変わった。

 

「…………また、あの子のためなのね」

「えっ?」

「なんでもないわ。それで、μ'sだったかしら。悪いけど、私は入るつもりないわ。ただでさえ時間がないというのに、スクールアイドルをしている暇なんてないの」

「で、でも! 絵里が入ってくれれば、μ'sが九人になって更に有名になるんだ! 彼女達なら、廃校だって阻止できるはずだよ!」

「何故、そんな根拠のない事が言えるのかしら? スクールアイドルが廃校を阻止する? いくらなんでも非現実的よ」

 

 強く断言する絵里の表情は非常に冷たく、とても知り合いに向けるものではなかった。

 ゴクリと唾を飲み込み、思わず身体を震え上がらせてしまう。

 

 ……怖い。今まで向けられた事のない表情が、凄く怖い。

 やはり、絵里には余裕がなくなっている。

 少し前までの彼女ならば、ここまでμ'sを強く否定していなかった。

 しかし、現在は心からμ'sを……いや、俺に敵愾心を持っている。

 きっと、廃校が決まるまでの時間が近づき、焦っているのだろう。

 

 ──私がなんとかしなければ。私以外に誰が廃校を阻止するんだ。μ'sのように遊ぶ暇なんてない。生徒会長である私が、ここが好きだと思っている私個人が、祖母の母校の音ノ木坂を守らなければ。

 

 と、考えているのだろう。

 前に俺が言った時、確かに絵里は自分の意思で廃校を止めたいと返してくれた。

 でも、今はその気持ちのせいで、絵里の心の焦燥に拍車をかけている。

 自覚したからこそ、余計に責任や重圧を強く感じてしまう悪循環。

 

「絵里達が入れば、必ず廃校が阻止される! 今だって、μ'sの評価がどんどん上がっていってるんだ!」

「だから、私が入れと? 馬鹿馬鹿しい。確かに朝陽の言う通り、今のμ'sは有名になっていっているんでしょうね」

「なら!」

「でも、音ノ木坂の入学希望者は増えているの? 廃校が阻止できそうな確かな実績を残せているの?」

「そ、それは……」

 

 絵里の言葉に、俺は咄嗟に返事をする事ができなかった。

 μ'sが世間に認められている。それは間違いない。前にグッズ関係についての問い合わせが来た事がある。

 そして、理事長と一緒に相談した結果、近い内に秋葉原のグッズショップに売られる事になったのだ。

 

 着実に実績は積んでいる。しかし、音ノ木坂の廃校阻止までには行けていない。

 もう少し、あと一歩が足りないのだ。ネットの反応を探っていると、どうしても中学生を入学希望に踏み切らせる事ができていない。

 だからこそ、絵里達がμ'sに加入すれば、そんな人達が音ノ木坂に来てくれる。そう俺は確信している。

 

 ただ、実際に絵里の言う通りに現段階では、グッズが売れそうなスクールアイドルでしかない。

 ……絵里の言葉を反論できる実績はなかった。

 

「その様子じゃあ、期待できそうないわね」

「違う! 確かに、今は入学希望者が来ていない。理事長にもそう聞かされたよ。でも、世間でμ'sはかなり注目されているんだ! あと一押し、もう一つ何かがあれば廃校を阻止できる。そう、私は考えているよ」

「だから、それは確実に言える事なの?」

「言える!」

「っ!」

 

 息を呑む絵里へと、強い眼差しを送る。

 今までμ'sの側にいた俺だけが、音ノ木坂の事をいつも調べていた俺だからこその断言。

 μ'sに何か一つの……絵里達の加入というきっかけがあれば、必ず入学希望者は殺到するはずだ。

 μ'sはそれだけの事はしてきたから。皆はそれほどの軌跡を描いてきたから。

 

 暫くジッと見つめていると、絵里は表情を歪ませる。

 

「……もう、時間がない。恐らく、近い内に廃校までのカウントダウンが知らされると思う。だから、その前に少しでも早く絵里達に加入してもらって、μ'sを輝かせたいんだ!」

「…………ぃ」

「お願いだ。私達μ'sには、どうしても絵里の力が必要──」

「うるさいッ!」

「──えっ?」

 

 キッと鋭く睨みつけてきた絵里は、机を強く叩きつけた。

 思わず目を見開く俺を尻目に、彼女は唇を噛み締めて言い放つ。

 

「いつもμ'sμ'sμ'sって、なんなのよ! 貴女にとって大事なのはμ'sで、私はその付属品なわけ!?」

「い、いやそんな事は」

「そうじゃない! 貴女は何をするにしてもμ'sを優先して、ちっとも私の事を見てないじゃない!」

「っ!」

「私だって最初は期待したわよ! 色眼鏡なしで見たら彼女達は凄く頑張ってたから。でも、それじゃあ遅いの! 彼女達が世間に認められる時には、もう手遅れなのよ! 廃校になっちゃうの! だったら、私が! 生徒会長の私が他の方法を考えるしかないじゃないっ! 彼女達が失敗してもいいように、私が誰よりも頑張らなきゃいけないのよッ!」

 

 肩を大きく上下させて息を乱している絵里。

 呼吸を整えた後、手早く荷物を纏めて立ち上がり、扉へと向かう。

 

「え、絵里……」

「ごめんなさい、少し取り乱したわ。……さっきも言ったけど、貴女達のグループに入る気はないから」

 

 背を向けたままそう呟くと、絵里は教室を後にした。

 呆然とその姿を見送っていた俺は、やがて自然と崩れ落ちる。

 

「絵里、泣いてた」

 

 隣を横切る時、彼女の瞳は潤んでいた。今にも決壊しそうだった。

 俺のせいだ。俺がμ'sばかり贔屓していたから、絵里の事を疎かにしたから。

 彼女の気持ちに、押し殺していた感情に、見てほしかった本当の想いに気が付かなかった。

 だからあの時も拒絶されて、今のように途中から名前で呼んでくれなく──

 

「うっ!」

 

 咄嗟にポケットから取り出した袋に、こみ上げてきた不快感をぶちまける。

 大量の胃液が吐きだされ、辺りに鼻を刺激する臭いが漂う。

 暫くえずいた後、ポケットのハンドタオルで口を拭く。

 

「は、はは……本当に滑稽だな、俺」

 

 喉はひりつく痛みに襲われ、視界は涙で滲み。

 意味もなく乾いた笑いを零す事しかできない。

 たかが絵里に拒絶された程度で、この体たらく。どれだけ彼女に依存していたのだろうか。

 わかりやすい自身の変化に、思わず自嘲の笑みを浮かべてしまう。

 

「やっぱり、俺は余計な事をするべきじゃなかった」

 

 もう、大人しくしていよう。

 穂乃果達μ'sに、絵里の親友である希先輩がなんとかしてくれる。

 そう、いつものように。今までのように。彼女達が、絵里も救ってくれるはずだ。

 何より、もう俺は絵里を勧誘する権利はないだろう。

 だって、あんなに嫌われてしまったのだから。

 

「うぁ……ぅぅ……」

 

 身体を丸め、静かに嗚咽の声を漏らす。

 もう少し、後少しだけこの痛みを涙と一緒に洗い流そう。

 大丈夫。まだ、やれる。”雨宮朝陽”として、しっかりと演じ切れる。

 皆には心配をかけられない。だから、この場で表情を取り繕わなければ。

 

「…………たすけて」

 

 その呟きは、絵里へ向けられたものだったのか。それとも、自身へ向けられたものだったのか。

 自分でもわからないまま、暫し泣き続けるのだった。


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