「──まずはこれよ!」
にこ先輩に連れられた俺達は、現在カラオケ店にいた。
気合い十分な様子を見せるにこ先輩。どうやら、今からカラオケの点数でリーダーを決めるつもりなのだろうが。
皆は興味深そうに室内を見回しており、残念ながらにこ先輩の話を聞いていない。
「カラオケ来るの久しぶりだなー」
「へぇ、この店にはトマトジュースがあるのね」
「ラーメン屋に行けなかったから、ここで食べようかな」
「海未ちゃんは何を歌う?」
「カラオケはあまり好きでないんですが。そうですね、演歌はどうでしょうか?」
思い思いに寛ぎはじめる彼女達。
対して、にこ先輩は頬をひくつかせた後にため息をつく。
「あんたら緊張感なさすぎ……まあ、いいわ。今の内にマークしておいた曲を入れちゃおうっと。これでリーダーの座は貰った!」
クックックと邪悪な笑みを零したにこ先輩は、欲望ダダ漏れの内容を呟いた。
しかし、俺の呆れた視線に気が付いたのか、笑顔のまま固まる。
「にこ先輩……」
「ち、違うわよ? あらかじめ高得点が出やすい曲を調べておいて、本番で良い点数を取ろうなんて思ってないわよ?」
「あの、自爆していますよ」
にこ先輩って、誤魔化し方が下手だからな。
前にも嘘をつく時挙動不審だったり、わかりやすいほど目を泳がせていたり。
というより、現時点でのμ'sのメンバーで嘘が上手い人が少ないと思う。
海未や凛に穂乃果は顔に出そうだし、そもそも花陽は嘘をつきそうにない。
この中だとことりが一番マシだろうが、彼女もメイドのやり取りで墓穴を掘っていた。
今はメンバーではない希先輩が、最も嘘をつくのが上手いだろうな。
そんな事を考えていると、にこ先輩が両手を合わせて頼み込んでくる。
「お願い! 今日はにこの先輩としての威厳を見せなきゃいけないの。だから、今のは見なかった事にしておいて」
「まあ、いいですけど」
「恩に着るわ! ……さて、まずはどの曲を入れようかしら。やっぱり無難な曲から? いやでも、初っ端から切り札を見せてプレッシャーをかけるのも──」
「一番、高坂穂乃果! 歌います!」
「──ぬぁんですって!?」
いつの間にか、穂乃果が曲を入れていたらしい。
愕然とした声を上げたにこ先輩を尻目に、彼女は楽しげに歌いはじめるのだった。
あれから、μ'sの皆は何曲か歌ったりしていき。
とりあえず、全員の最高得点が決定した。
全員が九十点以上で凄かったが、その中でも真姫と花陽が群を抜いて高得点だ。
なお、残念ながらにこ先輩が一位ではなかった。
「ぐぬぬ……こいつら上手すぎるわ」
「やっぱり、カラオケは楽しい!」
「ちゃんと歌が上手になってて良かった〜」
「かよちんも真姫ちゃんも凄い! 真姫ちゃんなんて、もう少しで満点だったにゃ!」
「あ、ありがとう凛ちゃん。でも、凛ちゃんの歌も凄く良かったよ?」
「ま、まあ当然でしょ? 誰がμ'sの作曲をしていると思ってるの?」
澄ました口調に反して、真姫の口許はにやけていた。
頻りに髪の毛をクルクルしており、満更でもない様子だ。
対して、花陽は頬を赤らめながらも、凛を褒めていた。
まあ花陽の場合、自分が褒められる事に慣れていないのだろう。
「こうなったら、次のプランに移るべきね。次の対決でにこがリーダーに相応しい所を見せてやるわよ」
「……そんなにリーダーになりたいんですか」
「ねぇ、朝陽ちゃんは歌わないの?」
「私?」
真剣な表情で考え込むにこ先輩を見ていると、おもむろに穂乃果がそう尋ねてきた。
ことり達もそういえばといった様子で、俺の方に顔を向ける。
「私も朝陽ちゃんの歌が聴きたいな」
「せっかくですし、歌ってみてはどうでしょうか?」
「うーん、まあいいけど」
渋々と海未からマイクを受け取りながらも、内心では非常に緊張していた。
そもそも、俺は歌が得意ではない。
せいぜいが音痴ではない程度であり、決して誇れるような物ではないのだ。
ただ、μ'sのボイストレーニングを自分でもこっそりと毎日していたので、その成果を確かめる意味と考えれば良いかな。
「朝陽先輩がんばれー!」
「お手並み拝見といこうかしら」
「メモの準備はできています!」
凛達からの声援……声援? 花陽のは違う気がする。
ともかく、皆から見つめられながら、俺は入力した曲を歌いはじめる。
声が震えないように意識して、なおかつ音程も外さないように。
真姫に習った通りに声を張り、皆から見つめられる事に緊張しつつ、滑らかに音を紡いでいく。
「へぇ」
面白げな面立ちでこちらを見つめる真姫に、思わず俺は音程を外しかけてしまう。
ボイストレーニングをしていた身からすれば、俺の中で彼女は師匠なのだ。
そんな人から審査されるのは、正直心臓に悪い。
改めて曲に集中していき、やがて曲は佳境に入る。
歌に感情が乗るように、穂乃果達に伝わるように。
マイクを握る手に力を込め、最後まで意識して歌う。
そして、俺は無事に歌い終える事ができたのだった。
「ふぅ……」
どうにか曲を歌い終え、思わず安堵の息をつく。
「おー! 朝陽ちゃんも上手だったよ!」
「はい、朝陽らしくて良かったですよ」
「あ、点数が出たね。八十六点だって」
「九十点以上にはならなかったか」
それも当然だろう。
穂乃果達のような高得点を取れるはずがない。
むしろ、八十六点も取った事が素直に驚嘆に値する。
「歌う時は音程が下がるのね。まあまあじゃない?」
「かっこいい声だったにゃー!」
「朝陽先輩に合うアイドル曲は……」
瞳を光らせて調べている花陽は置いておいて。
凛達にも褒められ、なんだか恥ずかしい。
まさかここまでベタ褒めされるとは想定していなかったので、思わず頬が熱くなっていく。
「あ、ありがとう」
「ふふふっ、朝陽ちゃんが照れてる〜」
「て、照れてない!」
「そんなにムキになると余計怪しいよ?」
楽しげに微笑むことりに、俺は言葉に詰まって目を逸らした。
確かにことりが告げた通り、予想外の展開に照れている。
正直、中途半端な点数で微妙な雰囲気になるのかと思っていたが。
俺の予想に反して、穂乃果達は笑顔で拍手してくれた。
個人的には大満足の結果だ。
「くっ……ここに来てダークホースね」
「いやいや、私の一番点数が低いんですけど」
「甘いわっ! あんたの場合、伸び代が多そうで油断できないのよ」
「は、はあ」
何やらにこ先輩が俺に対抗意識を燃やしている。
μ'sの雑用係である俺を意識しても、特に意味がないと思うのだが。
それより、ライバルにするのなら真姫や花陽ではないだろうか。
そんな事を考えていると、考え込む様子で俯いていたことりが顔を上げる。
「朝陽ちゃん」
「ん? どうしたんだい、ことり?」
「一緒に歌ってみない?」
「えっ?」
もしかして、デュエットというやつだろうか。
複数の人数で同じ曲を歌うという行為。
カラオケ自体来た事があまりないので、デュエットをした記憶はない。
ことりとデュエット……なんだろう。少し緊張してしまう。
「おお! ことりちゃんいい事を考えたね!」
「朝陽先輩達二人で歌うの?」
「何を歌おうっか?」
「あれ、私とことりのデュエットは決定事項?」
思わず問いかけた俺に、ことりはにっこりと微笑む。
「もちろん」
「ことり先輩! 二人に合う曲はこれなんかどうでしょうかっ!」
「ありがとう、花陽ちゃん。……うん、じゃあこれを歌ってみよ? 朝陽ちゃんも知ってたよね、この曲」
「ま、まあ知っているけど。それより、デュエットをするのは──」
「なら安心だね。えいっ」
「──ちょちょちょっと!」
抗議の声を上げるのだが、ことりは暖簾に腕押し。
俺を引っ張って皆の前に移動する。
期待の眼差しを送ってくるμ'sを尻目に、彼女は隣で小さく呟く。
「本当は、私も朝陽ちゃんとステージに立ちたかった」
「……えっ?」
「でも、朝陽ちゃんはどうしても駄目な理由があるんでしょ? だから、せめて一緒に歌う楽しみだけを感じたくて」
思わずことりに顔を向けると、彼女は寂しげに微笑んでいた。
だがそれも数瞬の事で、直ぐに柔らかい笑みを浮かべ、俺の腕に自身の腕を絡める。
「こ、これで高得点が出たら立ち直れないわ」
「皆にことり達の歌を見せつけるぞ〜!」
「次は穂乃果ともやろー、朝陽ちゃん!」
「凛もやりたい!」
「二人共、はしゃぎすぎですよ」
「少しは落ち着いたらどう?」
「頑張ってください!」
僅かに頬を引き攣らせているにこ先輩に、ワクワクした雰囲気を醸しだす穂乃果達。
対して、海未と真姫は呆れた様子で注意を促す。
花陽は拳を握って俺達を応援しており、どうやら歌わないという選択肢は取れなくなったらしい。
「そろそろ、始まるよ」
「……うん。ことり」
「朝陽ちゃん?」
「ありがとう」
そう告げると、ことりは驚いたように目を見開く。
これは俺の正直な気持ちだ。
μ'sの皆と歌ったり踊ったりはできないと思っていたが、こうして擬似的にことりと歌う事ができる。
憧れた人とデュエット。嬉しくない訳がない。
である以上、改めてことりにお礼の言葉を告げたのだ。
そんな俺の思いが伝わったのではないだろうが、ことりは嬉しそうな笑顔で頷く。
「──どういたしまして」
直後に曲が始まり、俺達は音色を響かせていく。
俺から腕を離して甘く歌詞を紡いでいることりに、俺は内心で深く感謝しながら歌に集中するのだった。
あれから、μ'sの皆と一回ずつデュエットをした。
まるでμ'sと一緒にライブをしているかのような気持ち。
恥ずかしがる花陽と歌い、俺をリードしてくれた真姫に感謝し、元気に楽しむ穂乃果と笑い合い……。
他にも海未や凛、にこ先輩とも一緒に歌った。
俺にとって今日の思い出は、きっと忘れられない宝物になっただろう。
……皆とステージに立てたら、きっとこれ以上の充実感が──
「次はこれよ!」
にこ先輩の声を聞いて、俺は意識を現実に引き戻した。
現在、俺達はカラオケ店を後にしてゲームセンターへと赴いている。
どうやら、にこ先輩の目の前にあるダンスゲームの得点でリーダーの座を決めるらしい。
彼女の話を真面目に聞いている海未達を尻目に、俺は花陽とクレーンゲームをしていた。
「これで……あ、や、やりました! 取れました朝陽先輩っ!」
「お、やったじゃないか。このクッションが欲しかったんだよね?」
「はいっ」
手に入れた景品を胸に抱え、花陽は本当に嬉しそうに微笑んだ。
俺達が挑戦していたクレーンゲームは、A-RISEの絵が描かれたクッションだ。
このゲームセンター限定品のようで、これを狙うために花陽と遊んでいた。
「おぉ! ことりちゃんうまーい!」
「えへへ。私だってやればできるんですっ」
穂乃果達も隣でクレーンゲームをしており、ことりは自慢げに取ったぬいぐるみを見せてきた。
ふんすっ、と可愛らしいその仕草はことりらしい。
にしても、ことりはぬいぐるみが好きだよな。普通の女子高生なら好きなのかもしれないが。意外と真姫もぬいぐるみが好きだったりして。
暫くワイワイと皆で盛り上がっていると。
「あんた達早く来なさい! 全く、緊張感がなさすぎるのよ……あら。花陽、それってもしかして」
「あ、はい。あそこのクレーンゲームで取った景品です」
「ああっ!? 私が持ってないクッションもあるじゃない!」
ガラスにへばりついたにこ先輩は、思わずといった様子で財布を取り出した。
流れるような手つきで硬貨を投入し、鋭い目でクレーンのアームを睨みつける。
「にこ先輩。勝負はどうするんですか?」
「先にやってて。にこはやらなければならない事ができたから。よし、後はあの輪っかに引っかかれば……あ!? どうしてそこで落ちるのよ! もう一回──」
「とりあえず、先に始めてようか」
「そうだね〜」
再び硬貨を入れるにこ先輩を捨て置き、俺達は海未達の元へ向かう。
「あれ、にこ先輩は?」
「先にやっててだってさ。それで、誰からやるんだい?」
「じゃあ凛からやってみるー」
「難易度はこの長ったらしい変なのだって」
「凛ちゃん頑張って!」
「任せるにゃー!」
それから、凛達はダンスゲームに挑戦していく。
ノートを手に彼女達の記録をメモしていておると、隣に意気消沈したにこ先輩が現れる。
「おかえりなさい。どうしました?」
「……察しなさい。で、記録はどうなの? ま、あんた達はやった事ないだろうし? カラオケでは遅れを取ったけど、今回は私の勝ちね!」
「おー! 海未ちゃんもAランク。穂乃果とお揃いだね」
「中々難しかったですね」
「……うっそぉ」
ハンドタオルで汗を拭っている海未が出した記録を見て、にこ先輩は口許をひくつかせていた。
残念だけど、にこ先輩の悪巧みは失敗だろう。まあ彼女は普通に実力があるのだから、こんな手を使わなくても良いと思うが。
「ちなみに、一位は凛のAAですね」
「あ、にこ先輩! 凛じゃトリプルAを取れなかったんで、代わりに取ってください!」
「穂乃果もにこ先輩の得点が楽しみです! さっきやった事あるって言っていたし、穂乃果達より凄い点数を取れそうだよね!」
「頑張ってくださいっ!」
キラキラとした眼差しを送る凛に穂乃果に、花陽。
「ほ、穂乃果? あまりハードルを上げるのはいけませんよ?」
「あはは……」
「ま、自業自得ね」
対して、海未達はにこ先輩の魂胆を見抜いていたのか、フォローをしたり苦笑いをしたりしている。
「どうするんです? そもそも、にこ先輩はトリプルAを取った事あるんですか?」
「一度だけあるけど……」
「一回だけじゃ、トリプルAは無理そうですね。素直に穂乃果達にトリプルAは取れないと言った方がいいのでは?」
俺の問いに、にこ先輩は顎に手を添えて暫し悩む素振りを見せる。
やがて、彼女は咳払いを落として。
「コホン。後輩達に無様な姿は見せられないわ。だから、ぶっつけ本番でトリプルAを取ってやろうじゃない!」
「声が震えていますよ、にこ先輩」
「う、うるさいわね!」
しかし、このままだとにこ先輩がトリプルAを取れない可能性の方が高い。
トリプルAを取るには、一番高い難易度を殆ど完璧にやらなければならないのだ。
となると……よし。
「にこ先輩。もし、貴女がトリプルAを取る事ができたら、貴女が取り逃したクレーンゲームの商品を私が取ってあげます」
「え、本当!? 朝陽があの商品を取ってくれるの!?」
「はい。ですから、後輩達に格好良い姿を見せてくださいね?」
「よーっし、にこに任せなさい! ……今の内にクレーンゲームの所に行ってなさい。私も直ぐに追いつくから」
不敵な笑みを浮かべたにこ先輩は、重苦しい威圧感を漂わせて足を進めていく。
その変化を感じ取ったのか、穂乃果達は目を見開いて自然と道を開ける。
やがて、にこ先輩は筐体の元へたどり着き。
「にこ先輩……?」
「あんた達に見せてあげるわ。アイドルとはなんなのかをね」
準備運動を始めたにこ先輩を見て、穂乃果達は不思議そうに首を傾げた。
まあ、気持ちはわかる。たかがダンスゲームに気合いを入れすぎだからな。
花陽だけは目を輝かせてにこ先輩を見ているが。
ともかく、あの様子ならトリプルAのスコアを叩きだすかもしれない。
「さて、にこ先輩のために一肌脱ぎますか」
思わず苦笑いを漏らしつつ、俺はクレーンゲームの元へ向かうのだった。