「で、あんた達の話はなに?」
改めて告げられた矢澤先輩の言葉に、俺達は姿勢を正して表情を引き締めた。
あらかじめ決めた通り、穂乃果がその疑問に答えるために口を開く。
「私達は、にこ先輩にμ'sへと入ってほしいんです」
「ちょっ、ちょっと穂乃果。先ほどの打ち合わせと順序が違いますよ!」
「はぁ? 希に話をつけてこいって言われたんじゃないの?」
訝しげに目を細めた矢澤先輩に、穂乃果は頷きを返す。
「言われました。だけど、先に私達の気持ちを伝えたいって思ったんです」
「ふぅん、なるほど。でも、お断りよ。あんた達のグループに入る気はないわ」
「お願いします! μ'sに入ってください!」
「嫌だって言ってるでしょ」
穂乃果が頭を下げるも、矢澤先輩は取りつく島もない。
そんな二人の様子を見て、海未達も頭を下げはじめる。
『お願いします!』
「っ……なんで、そんなに私を」
「にこ先輩と一緒に輝きたいと思ったからです! だから、私達と一緒にアイドルをやりましょう!」
頭を上げ、強い眼差しで矢澤先輩を射抜く穂乃果。
対して、穂乃果の視線を受けた矢澤先輩は、僅かにたじろぐ様子を見せる。
しかしそれも数瞬の事で、直ぐに不機嫌そうな顔つきになると、矢澤先輩は自身に言い聞かせるように言葉を零す。
「あんた達はね、歌もダンスも全部駄目駄目なのよ。あんた達にはプロ意識ってものが足りていないわ!」
「それって、あの時言ってたお客さんがアイドルに求めるものの事ですか?」
「……お客さんがアイドルに求めるものは、楽しい夢のような時間よ」
「夢のような、時間?」
頭に疑問符を浮かべる穂乃果達を尻目に、矢澤先輩は真剣な表情で言葉を紡いでいく。
「お客さんはね、アイドルという存在に癒されに来るの。嫌な事や辛い事、思い出しくない事を全部忘れて、楽しい思い出や幸せな夢を見にくる。そんな人達の想いに応えるために、私達アイドルはプロとしての意識を持たなきゃいけないのよ」
「プロとしての意識……」
「いい? 私達アイドルは、お客さんに笑顔をプレゼントするの。辛い事があっても頑張って、悲しい事があっても負けないで……そういう想いを届けるの。そして、お客さんが自然と笑顔になるようにするのよ。あんた達は、今までその事を意識していた?」
矢澤先輩の言葉に、俺達は誰も二の句を告げられなかった。
穂乃果達は各々が考えに耽っている様子で、辺りが重苦しい沈黙に包まれる。
しかし暫くすると、穂乃果が確かめるように言葉を落とす。
「にこ先輩の言った通り、私はそんな事を考えていなかったと思います。皆と楽しくスクールアイドルをして、頑張って廃校を阻止して、それで誰かが見てくれればいいって。そんな事ばかり考えていました」
「……それで?」
「だから、確かに私にはプロ意識が足りないと思います」
そこで言葉を区切り、穂乃果は瞳を煌めかせた。
穂乃果はμ'sの面々を見回していき、最後に矢澤先輩で視線を止める。
「だったら、さっさと解散しなさい」
「それでも、私はμ'sの皆とスクールアイドルを続けたいです!」
「……へぇ、何故かしら?」
「スクールアイドルをやりたいからです!」
「っ!」
息を呑んだ矢澤先輩から目を逸らさず、穂乃果は言葉をぶつけた。
──私の感情を、想いを感じて。これが、この在り方が私だ。
穂乃果の言葉からは、剥きだしな気持ちを感じた。
純粋で、自分勝手で、綺麗で、傲慢で、そして輝いていて。
色々と混ざった穂乃果の心情を受けとった矢澤先輩は、思わずといった様子で天を仰ぎ、瞳を閉じる。
二人の会話に口を挟めなかった俺達も、固唾を呑んで静かに見守っていく。
「……あんたは馬鹿ね、大馬鹿よ」
「へ?」
「そんな考えじゃあ、アイドル失格だわ」
「でも、これが穂乃果の気持ちだから──」
指を突きつけて穂乃果の言葉を遮り、不敵な笑みを浮かべた矢澤先輩。
不思議そうに首を傾げる穂乃果を尻目に、矢澤先輩は不敵な笑みを浮かべたまま、俺達を見回していく。
「あんた達には、やっぱりプロ意識が足りないわ。だから、スーパーアイドルのにこが一つアドバイスしてあげる」
「アドバイス、ですか?」
「メ、メモの準備をしなきゃっ!」
「変な助言じゃないでしょうね?」
「そんなわけないでしょうがっ!」
胡乱げの真姫に告げられ、矢澤先輩は心外そうに眉尻を釣り上げた。
海未達は困惑気味に互いの顔を見合わせており、どうやら矢澤先輩のアドバイスを聞くのが不安らしい。
なお、花陽のみは瞳を輝かせてメモ帳を取り出している。
矢澤先輩の言葉から、恐らく例のあれをするのだろう。
個人的には凄く好きなのだが、果たして穂乃果達に受けるかどうか。
……正直、穂乃果達の反応は薄々わかってしまうが。
「それで、どんなアドバイスなんですか?」
「もったいぶっても仕方ないし、言うわよ。いい、耳をかっぽじって聞きなさい! あんた達に一番足りないものは、ずばりキャラ作りよ!」
『キャラ作り……?』
「そう、キャラ作りよ! アイドルには様々なタイプがいるわ。元気なアイドルや無口なアイドル、小悪魔系や天然系なんてジャンルもあるわね」
「ふむふむ、なるほど!」
自信満々な様子で告げた矢澤先輩に対して、穂乃果達はなんて言ったら良いかわからないようだ。
そんな彼女達の様子を気にする素振りを見せず、矢澤先輩は言葉を続けていく。
「お客さんを笑顔にするために、夢のような時間を見てもらうために、私達アイドルはキャラを作ってその要望に応えるのよ!」
「流石にこ先輩ですっ!」
「キャラを作る必要はあるのでしょうか」
「要はぶりっ子って事よね」
「ちょっとキツいと思うにゃ」
相変わらず楽しそうな花陽は置いておいて。
海未、真姫、凛の三人は矢澤先輩の結論に半信半疑な様子だ。
対して、穂乃果とことりの二人はなんとなく理解したような表情を浮かべている。
まあ、穂乃果は素でキャラとしてよく立っているし、どちらかと言うとことりもキャラ作りをしている方──
「朝陽ちゃん?」
「どうしたんだい、ことり?」
「ううん、なんか朝陽ちゃんが変な事を考えていたみたいだから」
「気のせいだよ、うん」
「朝陽ちゃんってわかりやすいから、気のせいじゃないよ。それで、何か言いたい事でもあるのかな〜?」
ニコニコと満面の笑みで首を傾げたことり。
やはり、ことりは無駄に勘が鋭い。こういうのが腹黒のように見える原因だと思うのだが。
目の奥が笑っていないことりの笑顔から目を逸らしつつ、そんな事を考えていた俺は、気を取り直して矢澤先輩へと声を掛ける。
「せっかくですから、手本を見せてください」
「誤魔化したね、朝陽ちゃん」
「おお、それはいい考えだね!」
「私もにこ先輩がどんなキャラ作りをしているのか気になります」
「ったく、しょうがないわねぇ。どーしてもにこのが見たいって言うのなら、特別に見せてあげるわ」
そう告げるも、矢澤先輩の頬は大層緩んでいた。
明らかに見せたがっていたとわかるその様子に、思わず呆れた表情を浮かべてしまった俺は悪くない。
あからさまに真姫達も俺と同じような表情を浮かべているし。
ともかく、そんな俺達の視線を一心に集めた矢澤先輩は、おもむろに席を立ち上がり、一度後ろを向く。
その数瞬後、矢澤先輩は直ぐにこちらへと振り返り──
「にっこにっこにー!」
──表情に満面の笑みを落とした。
中指と薬指だけを折り曲げた両手を頭上に掲げ、愛らしい笑顔で俺達へと微笑む。
唐突なその変貌に声も出ない様子の穂乃果達を尻目に、矢澤先輩は全身を使って自身のキャラを見せつけていく。
「あなたのハートににこにこにー!」
次に胸の前でハートの形に指を合わせ、
「あなたに笑顔を届ける矢澤にこにこー!」
今度はおでこの上に立てた右手を当て、
「にこにーって覚えてらぶにこっ!」
最後に輝かんばかりの笑顔を向け、最初のポーズで締めくくった。
部屋が嫌な沈黙に包まれ、穂乃果達は互いの顔を見合わせる。
対して、キャラ作りは終わったからか、いつものジト目に戻った矢澤先輩は、腰に手を当てて口を開く。
「どう?」
「うん、やっぱりいつ見ても素晴らしいです」
「はいっ! 参考になります!」
自然と笑顔で拍手をした俺に、高速でペンを走らせながら頻りに頷く花陽。
好意的な印象を持った俺達に対して、穂乃果達は感想に詰まっているらしい。
花陽以外は初見のインパクトに驚くだろうと考えていたが、やはり案の定と言うべきだったか。
これはこれで、矢澤先輩の愛らしさを表す良い自己紹介だと思うのだが。
「キャラ作りかー。穂乃果にはどんなキャラが似合ってるかな?」
「穂乃果の場合は元気キャラでいいんじゃないでしょうか」
「海未ちゃんは大和撫子のキャラだよね〜」
「そういうことりちゃんは癒し系キャラ?」
やがて、穂乃果二年生組はお互いのキャラを考えはじめ。
「なんていうか、お客さんへの気持ちがすっごく伝わったよ!」
「まあ、一応楽しませようとする努力はよくわかったわね」
「真姫ちゃんは素直じゃないにゃー」
「ちょっとそれはどういう意味よ!」
凛と真姫は純粋に矢澤先輩の感想を述べていた。
そんなμ'sの様子を見て、矢澤先輩は酷く驚いた様子で目を見開く。
「あんた達はなんにも言わないのね……」
「何か言いましたか、にこ先輩?」
「な、なんでもないわよ」
そういえば、以前この部活に所属していた部員達にこれを見せた時、あまり良い感想を貰えなかったと、矢澤先輩が前に愚痴を零していた。
だから、純粋に自分のポーズを貶さない穂乃果達に驚いたのだろう。
いやまぁ、あの独特な自己紹介を受けつけない人はいるだろうが。
幸いと言うべきか、穂乃果達は矢澤先輩の自己紹介にも一定の理解を示したようだ。
「にこ先輩! にこ先輩の話は凄くためになりました。だから、私達にもっと色々と教えてください!」
「っ……」
『お願いします!』
穂乃果がそう頼んだ後、再びμ'sの全員で頭を下げた。
すると、頭上でゴシゴシと何かを擦るような音が聞こえてくる。
「悪いけど、今日は帰って」
「え、でも──」
「……穂乃果、ここは矢澤先輩の言う通りにしよう」
「──朝陽ちゃん?」
「お願い、穂乃果」
念押しをすると、どうやら穂乃果はわかってくれたらしい。
他のメンバー達も促し、俺達は矢澤先輩に挨拶をしてから部屋を後にしていく。
最後に俺が部屋を出る前、チラリと矢澤先輩の方へと目を向ければ、彼女は座り込んで俯いていた。
矢澤先輩の心中は窺えないが、僅かに震えている肩から少しはわかる。
……μ'sなら大丈夫ですよ、矢澤先輩。
「朝陽ちゃん」
「やっぱりここに来ましたね、希先輩」
俺が扉を閉めたのを見計らったかのように、物陰から希先輩が姿を表した。
驚いた様子で生徒副会長がやって来た事に目を瞬かせている穂乃果達を尻目に、俺は希先輩の顔を見返す。
「そろそろかと思ったんや」
「カードがそう告げたんですか?」
「……ふふっ、そうやね」
クスリと微笑を零してから、希先輩は穂乃果達に真剣な表情を向ける。
「言うんですね?」
「うん……高坂さん達μ'sには聞いてほしい事があるんやけど」
「へ? なんですか?」
「ここでは話しにくいから、ウチについてきて」
「私は用事があるので、その辺は希先輩に任せます」
「つまり、どういう事ですか?」
困惑気味に眉を寄せている海未に、俺は希先輩に目を向けて言葉を返す。
「とりあえず、希先輩から話を聞けばいいって事さ」
「朝陽ちゃんの用事って?」
「ちょっとね。ほら、早く希先輩と行っておいで」
それから少し揉めたが、無事に穂乃果達は希先輩とこの場を去っていった。
遠ざかるその背中を見送った俺は、アイドル研究部の扉に背中をもたれかけ、おもむろに口を開く。
「もう、私以外いませんよ」
『……』
「穂乃果達の言葉は本気です。本気でμ'sに入ってほしいんですよ」
『……』
「もちろん、私も加入してほしいと思っています。だから、変な意地を張らないで自分に素直になったらどうですか」
『……』
「今度は、μ'sなら貴女の熱意に答えてくれますよ、必ず」
『…………わかってるわよ、それぐらい』
「待っていますよ、矢澤先輩」
最後にそう告げ、扉から背を離して歩きはじめる。
とりあえず、俺にできる事はこれぐらいしかない。
穂乃果達の言葉を聞いた矢澤先輩の背中を少し押すぐらいしか。
後は、再び穂乃果達が説得してくれれば、矢澤先輩がμ'sに加入してくれると思う。
希先輩からあの話を聞いた後なら、なおさら矢澤先輩をμ'sに入れようするだろうし。
言い方は悪いが、穂乃果は狙った獲物を逃さないからな。
だから、穂乃果ならば矢澤先輩が折れるまで勧誘し続けるはず。
「矢澤先輩を救ってくれ、穂乃果」
この場にいない太陽のような幼馴染みに想いを馳せつつ、俺は希先輩達の姿を探すのだった。