「さて、これからどうするか……」
廊下を歩きながら、俺はある事に頭を悩ませていた。
あれから、穂乃果達と新入生歓迎のチラシを配ったりしたのだが、やはりと言うべきか誰も入部しそうになかった。
いや、一応次に誰が入るのかは知っている。
しかし、本当に物語通りに進めても良いのかと考えているのだ。
個人的には、早くμ'sへと矢澤先輩が加わってほしい。
あのアイドルの情熱と知識、それに先輩だからこそ見える視点があるはず。
もちろん、小泉達後輩の視点も大事だけど、矢澤先輩は一度スクールアイドルに挑戦して、そして失敗している。
その時味わってしまった挫折や、実際に活動した事で得た経験。
それ等を使って穂乃果達を導いてほしいのだ。
「まあ、これは俺の我が儘か……ん?」
自分勝手な考えに思わず自嘲の笑みを漏らしていると、遠くの方で西木野の姿を発見した。
前に見たような挙動不審な様子を見せつつ、西木野は新入生部員のチラシを手に取る。
そして、そのまま逃げるようにこの場から去っていった。
「あー、なんか西木野らしいな。お、今度は小泉か」
ちょうど俺がいる場所の反対側から小泉が現れ、西木野がいた場所へ向かっていく。
俺達が貼ったチラシを暫し見つめた後、小泉は何かに気が付いたのか足元に視線を落とす。
うーん、なんだっけな。この場面をどっかで見たような気がするな。
もう自分の記憶はあてにならないな。
徐々に薄れていく知識にため息を漏らしつつ、俺は小泉の方へと近づいていく。
「あれ、これって西木野さんの……?」
「なにをしているんだい?」
「ぴゃぁっ!? あ、雨宮先輩」
「驚かせてしまったようだね、すまない」
「い、いえ」
「それで、突然しゃがんでどうしたのかな?」
「あ、これが落ちてたんです」
「どれどれ……」
恐縮そうに身を縮こまらせていた小泉は、俺に一つの生徒手帳を渡した。
その手帳を開いて中身を見てみると、どうやら西木野の生徒手帳のようだ。
あー、確かこれが切っ掛けで小泉と西木野が仲良くなるんだっけ?
いや、違ったっけ……まずいな、本格的に内容を覚えていない。
「あ、あの雨宮先輩?」
「ん? なにかな?」
「その、難しい顔をしてたので」
「あ、ああ。すまない、大した事ではないさ。それより、これは西木野の生徒手帳のようだね」
「は、はい。さっきまで西木野さんがここにいたから、多分その時落としたんだと思います」
「なるほど、西木野がね」
西木野がいた事は知っていたけど、あえて言葉に出しておく。
それよりも、俺はこの生徒手帳をどうするか悩んでしまう。
実際に会って話した小泉の性格から、恐らくこの生徒手帳を西木野の家に届けるだろう。
それに俺も付いていくか、それとも小泉一人に任せるか……いや、この場合の選択肢は決まっているな。
そんな俺の考えを読みとったかのように、小泉は不安げな表情で口を開く。
「あ、あの。この手帳を届けるのに雨宮先輩も付いてきてくれませんか?」
「うん、私は構わないよ」
「あ、ありがとうございます!」
「そんなに畏まらなくてもいいさ。じゃあ帰り支度をしたら行こうか。集合場所は校門前でいいかな?」
「は、はい。急いで準備してきます」
そう告げた後、慌ただしい足取りで去っていった小泉。
別にそんな急がなくてもいいのに……まあ、速いに越した事はないか。
ともかく、小泉を待たせるのは良くないので、俺も急いで準備をするために教室へと戻るのだった。
「お、大きい……」
「ここが西木野の家か」
あれから校門前で合流した俺達は、生徒手帳に記載されている住所に従い、西木野の家へと赴いていた。
そして、無事に西木野の家にたどり着いたのだが、その圧倒的な家の大きさに俺達は驚いてしまう。
チラリと横目で小泉の様子を見てみると、彼女は口を半開きにして目をまん丸に見開いていた。
そんな小泉のどこか愛くるしい驚きの表現に、俺は思わず笑い声を漏らす。
「えっと、なんで笑っているんですか?」
「くくっ……いや、なんでもないさ。それより、チャイムを鳴らすよ?」
「は、はい! 心の準備はできています!」
「よしっ」と可愛らしい掛け声と一緒に拳を掲げ、気合い十分な様子を見せる小泉。
いや、何故そんなこれから戦地に赴くような顔をしているんだ。
まあ、この西木野の家の凄さを考えれば、小泉の気持ちは理解できなくもないけど。
チャイムを鳴らしてそんな事を考えていると、インターホンから女性の声が聞こえてきた。
『はい、どちら様でしょうか?』
「突然の訪問すみません。私、西木野さんと同じ学校に通っている二年の雨宮朝陽と申します。そして、こちらが西木野さんと同じクラスの」
「こ、小泉花陽です!」
『……少し待ってちょうだい』
隣にいた小泉へと手を向けてそう告げる。
そして小泉はガチガチに緊張しているようで、震え声で答えていた。
うん、小泉の心の準備は意味なかったらしい。
ともかく、女性がそう返してからそれから暫くして、玄関の扉が開いて西木野によく似た女性が姿を現す。
「どうも初めまして。雨宮です」
「小泉です」
「いらっしゃい。ささ、上がって上がって」
改めて頭を下げた俺達をにこやかに見ながら、女性──恐らく西木野母だろう──は手招きをした。
その言葉に甘え、俺達は西木野の家に上がらせてもらう。
「あの、西木野さんのお母さんですか?」
「そうよー、あの子とよく似てるでしょ?」
「はい、西木野さんにそっくりの美人さんです」
「まあ、お上手ね」
「ははは、本心ですよ」
「あら、それなら私の若さもまだ捨てたものじゃないって事かしら……さ、着いたわ。今紅茶を持ってくるから、適当に寛いでいてちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げた小泉に、西木野母は微笑ましそうに見てから去っていった。
どうやら俺達が通されたのはリビングのようで、辺りを見回すと高級そうなソファやトロフィー等が目に入る。
「このトロフィーって西木野さんのかな?」
「恐らくそうだろうね。それにしても、凄く高そうなソファだな」
「あっさりとソファに座った雨宮先輩が言う事じゃない気がしますけど」
「いや、せっかくだし高級ソファに座ってみたいじゃないか」
「それはそう、ですけど」
「ほら、小泉も座ってみたらどうかな?」
苦笑いをしていた小泉に手招きをすると、やがて彼女はちょこんとソファに腰を下ろした。
すると、小泉は驚いたような表情を浮かべた後、ふにゃりと頬を緩ませる。
「はわぁ〜、凄いふかふかだぁ」
「本当に座り心地が良いよね」
「はい、凄いですぅ」
「──ごめんなさいね。今、あの子は病院に顔を出している所なの」
「はっ!」
俺の問いに頬を緩めたまま答えていた小泉。
しかし、紅茶を手に戻ってきた西木野母の声で我に返ったのか、小泉は顔色を赤く染めて恥ずかしそうに身を縮こまらせていた。
そんな小泉の姿を穏やかな表情で見つめていた西木野母へと、俺は先ほどの言葉に返事をするために口を開く。
「その、西木野さんが病院に顔を出すというのは?」
「ああ。家は病院を経営していてね、将来あの子が継ぐ事になっているのよ」
「す、凄い……」
事もなさげに告げた西木野母の言葉に、小泉は感嘆の声を上げていた。
かく言う俺も、西木野母の言葉には思わず感嘆の息を漏らしてしまう。
実際に病院の事は知っていたが、改めて聞くと凄いという言葉しか出てこない。
病院の跡取り娘か……やばい、重圧を感じてきた。
本当に西木野は、医者の勉強とスクールアイドルを両立できるのか。そんな今更な事を考えてしまったのだ。
いや、物語では最終的に両立できていたのはわかる。わかるけど、この世界の西木野でも両立できるという保証はない。
だからと言って、μ'sに西木野を誘わないという選択肢はない。
……せめて、西木野の勉強を邪魔しないようにサポートをしよう。
俺にできる事はそれぐらいだ。医者の勉強なんてできるわけがないし、誘うだけ誘って西木野一人に勉強を任せるというのはありえない。
だから、西木野に気持ちよく勉強できるように取り計らう事しか俺にはできない。
いや待て。そういえば、西木野の成績が落ちたとかで家族と揉めた場面がなかったか?
学業が疎かになってるとかで……くそ、忘れてしまっているな。後で記憶の整理をしなければ。
そんな事を考えている間に、どうやら西木野が帰ってきたようだ。
「ただいまー」
「お帰りなさい、真姫」
「誰か来てるの……ゔぇぇ!?」
玄関で俺達の靴でも見つけたのか、西木野は不思議そうな顔でリビングに顔を出した。
そして俺達と目が合うと、西木野はお馴染みの声を上げて目を見開く。
そんな西木野の様子を微笑ましそうに眺めていた西木野母は、ごゆっくりーという言葉を残して去っていった。
「やあ、西木野。お邪魔しているよ」
「こ、こんにちは」
「な、なんで家にいるの?」
「それは──」
「お友達が遊びに来てくれたのよ」
「マ、ママ!?」
その疑問に小泉が答えようと口を開いた瞬間、西木野の紅茶を持ってきた西木野母が嬉しそうにそう告げた。
驚愕した声を上げた西木野を尻目に、西木野母は楽しげに俺達へと語っていく。
「本当に良かったわー。高校に入ってから友達が一人も遊びに来なかったから、真姫の事がちょっと心配だったのよ」
「うっ!」
その言葉に純粋な心配が篭っていると理解したのか、それを聞いた西木野は辛そうに胸を抑えた。
うん、西木野の性格からして友達が沢山作れそうにないもんな。
「という事で、後は友達同士ゆっくりしていってね」
西木野に言葉の棘をグサグサと刺していった西木野母は、最後に笑顔でそう告げてリビングを出ていった。
西木野母がいなくなった事で、辺りにどこか気まずげな雰囲気が漂いはじめる。
そんな空気を変えようとしたのか、ソファに座った西木野がわざとらしく席払いを落とす。
「コホン。それで、なんの用で来たわけ?」
「誤魔化したね」
「う、うるさいわね! そこは気を利かせなさいよ!」
「あはは……えっと、これが落ちてから渡しに来たんだ」
苦笑いを漏らした後、小泉はそう告げてテーブルに西木野の生徒手帳を置いた。
その生徒手帳を手に取り、目を通していく西木野。
「確かにこれは私のね。でも、なんで貴女が持っているの?」
「ご、ごめんなさい」
「なんで貴女が謝るのよ……」
思わずといった様子で謝罪する小泉を見て、西木野は呆れたような表情を浮かべ、今度は俺の方へと顔を向ける。
「それで、貴女は何か用事があるの?」
「いや、私はただの付き添いさ」
「ふぅん。……ま、まあ。生徒手帳を届けてくれたのはありがたかったわ。その、ありがとう」
俺をジト目で一瞥してから、西木野は照れたように頬を紅潮させてそう告げた。
そのままそっぽを向いた西木野の姿に、小泉は何度か目を瞬かせている。
まあ、西木野のツンデレ的なお礼を初めて聞くと戸惑うよな。
素直になれないというかなんというか。そんなお礼が西木野らしいと言えば西木野らしいけど。
そんな風に考えている俺を尻目に、小泉達は会話を進めていく。
「ど、どうしたしまして? ……そういえば、西木野さんってμ'sのポスターを見てたよね?」
「わ、私が? 知らないわ。人違いじゃないの?」
「で、でも手帳がそこに落ちてたし……」
「ち、違うの! あれは──っ!」
西木野の鞄の方を見ながらそう答えた小泉に言い返そうとしたのだろう。
思わずといった様子で立ち上がった西木野は、その勢いでテーブルに膝を打ちつけてしまったのだ。
そして、膝を抑えながら片脚で何度か跳ねた後、西木野はそれはもう盛大にソファと一緒に倒れ込む。
「に、西木野さん大丈夫!?」
「怪我はない?」
「へ、平気よ……問題ないわ。全く、貴女が変な事を言うから!」
ソファに倒れたままこちらに顔を向けた西木野は、不機嫌そうに小泉へとそう告げた。
そんな西木野の姿を見て、小泉は口許にてを当てておかしそうに笑いはじめる。
「ふ、ふふふ」
「笑わない!」
「くくっ、西木野は面白いね」
「貴女も笑わないの!」
小泉の笑い声に釣られて俺も笑みを零してしまう。
そんな俺達の様子に、西木野は顔を赤面させて叫ぶのだった。
「──私がスクールアイドルに?」
あれから、機嫌が悪くなった西木野をなんとか宥めた後、俺達は座りなおして話を再開する事にした。
その時、不意に小泉がスクールアイドルをやらないかと提案し、西木野がオウム返しにその事を尋ねる。
その言葉に小泉は頷き、やや俯き気味にスクールアイドルを勧めた理由を話していく。
「うん。私、いつも放課後は音楽室の近くに行ってたの。西木野さんの歌が聴きたくて」
「私の?」
紅茶を口に含みながら、西木野は小泉の言葉に疑問符を浮かべている。
そんな西木野の様子を見て、小泉は苦笑いしつつ続きの言葉を話す。
「うん。西木野さんの歌はずっと聴いていたいぐらい好きで、だから私は──」
「大学は医学部って決まっているの」
「そう、なんだ」
小泉の言葉を途中で遮り、西木野はそう告げた。
そして、戸惑い気味の呟きを漏らした小泉を一瞥してから、西木野はため息をついて天井を仰ぐ。
「だから、私の音楽はここで終わってるってわけ」
その言葉から、西木野の感情を詳しく窺い知る事はできない。
ただ、少なくとも俺は西木野がまだ音楽を諦めていない事を感じた。
何故なら、西木野がそう呟いた時に悟ったような、あるいは悲しそうな表情を浮かべていたからだ。
……一応、説得を試みてみるか。
「本当に音楽が終わったのかい?」
「そうよ。さっきも言ったけど、私の音楽はここで終わったの」
「じゃあ、どうしてそんなに悲しそうな目をしているのかな?」
「っ!」
俺がそう言葉を突きつけると、西木野ははっと息を呑む様子を見せた。
そして、いまだに悲しげに揺れている西木野の瞳と目を合わせ、俺は彼女へと語りかけていく。
「私には西木野の葛藤を察する事はできない。きっと、私には想像つかないような苦しい思いをしたんだろう。でも、だからと言って自分の本心を……いや、なんでもない」
「ふんっ」
流石に無神経すぎた。
西木野が俺を睨みつけているのに気が付いたので、途中で口を閉ざす。
出会って間もない人にズカズカと心に入り込まれるのは、普通は嫌な気持ちになるよな。
はぁ、やってしまったな。西木野に不愉快な思いをさせてしまった。
そう考えた俺は、ソファから立ち上がって頭を下げる。
「すまない、いきなり知ったような口を聞いて」
「ちょ、ちょっと頭を上げなさい!」
「雨宮先輩!?」
「本当に申し訳なかった」
「……はぁ、まあいいわよ」
もう一度頭を下げてから、ソファへ座りなおす。
そんな俺を呆れたように一瞥した後、西木野は戸惑っている様子を見せる小泉へと声を掛ける。
「それより貴女、アイドルをやりたいのでしょう?」
「え、私!?」
「だって、この前のライブを夢中で見ていたじゃない」
「え、西木野さんもライブに来てたんだ」
「わ、私はたまたま通りがかっただけだけど」
いや、その言い訳は無理があるだろう。
まあ、西木野がスクールアイドルに興味を持ってくれたのは嬉しい。
後は、西木野がμ'sに入ってくれるかどうか……
「えぇと。わ、私は──」
「ねぇ、貴女もそう思うわよね?」
「ん? そうだね、小泉がμ'sに入ってくれたら凄く嬉しいかな」
「──えぇっ!?」
不意に俺に水を向けた西木野。
その問いかけに頷いて小泉の方へと微笑むと、彼女は素っ頓狂な声を上げて頬を赤らめた。
そんなどこか照れている小泉の様子を見て、西木野は自分を誤魔化すかのように口を開く。
「やりたいならやればいいじゃない。貴女がやるなら、私も少しは応援してあげられるから」
「私は西木野もμ's加入に大歓迎だよ」
「ゔぇぇ!?」
俺が横槍を入れて西木野にそう告げれば、彼女も頬を赤らめて目を泳がせた。
その明らかに動揺してるとわかる様子に、小泉は何か感じる所でもあったのか、柔らかく微笑む。
「──うん、ありがとう」
そんな小泉の笑みを見てどう思ったのだろうか。
暫くじっと小泉を見つめていた西木野だったが、やがて
やはり、西木野もスクールアイドルに憧れているのだろう。
西木野が小泉を見る瞳には、どこか羨望が混じっていた気がした。
……どうすれば、西木野達をμ'sに加入させる事ができるだろうか。
そのまま雑談を始めた小泉達を尻目に、俺は彼女達をどう説得するか頭を悩ませるのだった。