──遂に、μ'sのファーストライブ当日となった。
海未の人見知りを克服する計画をしてからも色々とあったが、無事にこの日を迎える事ができた。
まあ、色々と言っても完成したライブ衣装のスカート丈を見て、海未が愕然としてことりに詰め寄ったり、改めて神田明神でファーストライブ成功の祈ったりしたぐらいだが。
ともかく、この一ヶ月の成果をいよいよお披露目というわけだ。
そして現在、俺は穂乃果達と一緒に衣装室に来ていた。
穂乃果とことりはお互いの衣装を見て褒めあっており、そして海未が更衣室に入って着替えている最中。
「穂乃果ちゃん可愛い〜!」
「ことりちゃんもよく似合ってるよ!」
「そうかなぁ……?」
笑顔で告げた穂乃果の言葉に、ことりはどこか不安げな表情で俺を見つめる。
それに俺が頷きを返せば、ことりは照れくさそうに微笑む。
穂乃果達の衣装はそれぞれのイメージカラーになっていて、ことりは緑色だ。
ヒラヒラのスカートに、白のニーハイソックス。
……うん、親父臭いけど俺にとっては眼福な光景だな。
「海未ちゃんまだー?」
「も、もうすぐです」
「海未ちゃんの衣装姿楽しみ!」
「海未は青色の衣装だったよね」
「うん。海未ちゃんにピッタリな色にしたんだ〜」
俺とことりが雑談を交わしていると、衣装室のカーテンが開いた。
その音を聞いた穂乃果達は、期待に満ちた表情で衣装室へと目を向ける。
「ど、どうでしょうか?」
「おぉ……うん?」
「海未ちゃん可愛い……あれ?」
俯き気味に出てきた海未を見て、感嘆の声を上げていた穂乃果達。
しかし、完全に海未の姿を目に入れると、穂乃果達は不思議そうに首を傾げる。
うん、海未は何故ジャージを着ているんだろうか。
いや、海未の性格上こうなる事はわかっていたが、改めて衣装スカートから伸びる赤いジャージはシュールすぎるだろ。
ともかく、そんな海未の小さな抵抗を見た穂乃果は、呆れたような表情を浮かべて海未に近づいていく。
「海未ちゃん? ここまで来てこれは?」
「その、鏡が」
「鏡?」
オウム返しに尋ねる穂乃果に、海未は頷いてカウンターに置いてある鏡へと目を向ける。
「あれに映る自分を見ると恥ずかしくなって」
「もー! 往生際が悪いよ海未ちゃん!」
「で、ですが……」
「見てられないよ。えいっ!」
「嫌ぁー!?」
穂乃果に勢いよくジャージをずり下げられ、羞恥の悲鳴を上げる海未。
そのままスカートを抑えて頬を赤らめている海未だったが、笑みを浮かべた穂乃果によって姿見まで連れていかれる。
「ほら、見てみてよ海未ちゃん! とっても似合ってるでしょ?」
「そうだよ! ことり達の中で一番可愛いよ、海未ちゃん?」
「うぅ……朝陽はどう思いますか?」
不安げな表情で尋ねてくる海未に、俺は微笑みを返す。
「凄く似合っている。もっと自信を持っていいんだよ、海未」
「……恥ずかしいです」
「よーし、衣装を着てもう一度練習だー!」
「あ、待ってよ穂乃果ちゃーん!」
拳を振りあげた穂乃果が部屋を出ていき、慌てた足取りでことりも続く。
そして、恥ずかしそうにチラリと姿見に映る自分を一瞥した後、海未は俺の方へと顔を向ける。
「私も穂乃果達の元へ行きますね」
「うん、私は客席から海未達の勇姿を見守っているよ」
「では、また後で」
「──海未!」
去っていこうとする海未の背中へと、俺は思わず声を掛けてしまう。
その声に振り向いた海未は、不思議そうに首を傾げている。
「どうしました?」
「……いや、なんでもない。頑張って、海未」
「はい、精一杯頑張ります!」
海未は笑顔で頷き、そのまま去っていった。
それを見届けてから、俺も客席の方へと足を進めていく。
……ライブに生徒達は来てくれるだろうか。
ここへ来る前にチラリと見てみたが、観客は誰もいなかった。
開演までまだ三十分ほどあるとはいえ、流石に一人もいないのには気になってしまう。
「今なら流石に一人ぐらいはいるよな……なっ!」
俺はどこか楽観的だったのだろう。
ここまですれば、満員とは言わずも三分の一辺りまで観客がいると。
しかし、無情にも俺は現実を突きつけられてしまった。
──観客は、零。
何度目を擦っても、目を凝らしても目の前の現実は変わらない。
誰もいない。どの席にも誰も座っていない。
目の端に悲しげな表情を浮かべたクラスメイトのフミコが見えるが、そんな事はどうでもいい。
どうして、どうして誰もいない!?
チラシは配った。来てくれると言ってくれた人も沢山いた。確かに手応えを感じていた!
それなのに、どうして誰もライブを見にきていないんだ!?
「どうすれば……そうだ!」
今から外にいる生徒達に呼びかければ来てくれるかもしれない。
そう思った俺は、呼びとめてくる声を無視して講堂から飛びだす。
そして、そのまま校舎を出て下校している生徒を探すために見渡していく。
しかし、この場にいるのは部活勧誘をしている人達に、彼女達に連れられている新入生のみ。
「流石に勧誘中の人達を邪魔しては悪いか……なんで下校中の生徒がいない?」
辺りを走りまわって探すのだが、ライブに来てくれそうな人は見つからない。
そして、そのまま俺が生徒を探すのにもたついている間に、とうとうライブ開始の五分前になってしまった。
額から滲みでる汗を拭いながら、とりあえず俺は講堂へと戻る事にする。
俺と入れ違いで講堂に来た人がいるかもしれない、という一縷の望みにかけて。
「どうだ!? ……いない、か」
再び講堂に飛び込んだ俺の視界に入ったのは、静寂に包まれている客席。
思わず俺がフミコへと目を向ければ、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「ごめん。頑張ったんだけど……」
「……いや、フミコが悪いわけじゃないよ」
辛うじてフミコにそう返した後、俺は近くの椅子に座り込む。
何故、どうして観客は来なかったのだろうか。
……答えは簡単だ。所詮、生徒達にとってμ'sのファーストライブはその程度だったという事だ。
仕方ない。ああ、仕方ない。
誰が無名なアイドルグループを見にくるだろうか。誰が他人のために自分の時間を割いてくれるだろうか。
わかっていた、理解していた。そのつもりだった。
だけど、俺は無意識の内に期待していたのだろう。
誰か……そう、一人ぐらいはライブに来てくれるって。
「それがこのザマかよ……はははっ」
もはや、俺には乾いた笑いを漏らす事しかできない。
俺は間違っていたのか。もっと精力的に動くべきだったのか。無理矢理にでもライブに連れてくるべきだったのか。
グルグルと思考が巡り、心の底から様々な感情が沸きあがってくる。
「クソ! クソクソクソ!」
口から意味のない罵倒が飛びだし、そのまま頭を掻きむしる。
なんだよ、何故誰も穂乃果達のライブを見にきてくれないんだよ……。
穂乃果達が何をしたって言うんだ。あいつらの頑張りを誰も見てくれないのかよ!
どうして、どうして穂乃果達がこんなに苦しまなきゃ──
「……えっ?」
不意に穂乃果の呟きが耳に入り、咄嗟に顔を上げる。
俺が思考の渦に沈んでいる間に、どうやら開演時間になっていたらしい。
お互いの手を繋いでいた穂乃果達が、この誰もいない客席を見て、呆然と立ち尽くしていた。
「ほの、か?」
「……そりゃそうだ! 世の中そんなに甘くない!」
絞りだすように震え声を上げる穂乃果。
そんな穂乃果の様子を見て、ことりと海未は今にも泣きだしそうな表情を浮かべる。
違う……違う。俺は穂乃果達にそんな顔をして欲しくなくて、だからファーストライブを成功させようと……
「穂乃果!」
「朝陽ちゃん……?」
「笑って! 誰も観客がいないけど、誰も穂乃果達のファーストライブを見てないけど! でも、それでも! この一ヶ月の成果を見せてほしい!」
「朝陽ちゃん……」
目頭が熱くなるが、唇を噛み締めて涙を流すのを堪える。
唇を強く噛みすぎて口内に血の味が広がるけど、構うものか。
これは、この涙は俺なんかが流していいものではない。俺より穂乃果達の方が、ずっとずっと苦しい思いをしているはず。
だから、本来ならば穂乃果達が泣きたいはずなんだ。
でも、穂乃果達は泣いていない。瞳は潤み、目尻に雫が現れているけど、まだ泣いていない。
穂乃果達が泣かないように頑張っているのに、どうして俺が泣けるだろうか。いや、泣けるはずがない。
「μ'sの……μ'sのファーストライブ! その輝きを見せてほしい!」
そんな俺の言葉に返事をしようと穂乃果が口を開いた瞬間、講堂入口から音が聞こえた。
それに慌てて振り向くと、扉に寄りかかった小泉の姿が目に入る。
「あ、あれ? ライブは?」
不思議そうに辺りを見回している小泉を見て、穂乃果は決然とした表情を浮かべた。
「やろう!」
「穂乃果、ちゃん?」
「だってそのために今日まで頑張ってきたんだから!」
「穂乃果……」
その聴く者の心を揺さぶる穂乃果の言霊。
それを聞いた海未達は、各々が瞳の輝きを強くして力強く頷く。
講堂の照明が落ち、穂乃果達は踊りの体勢を取る。
そして、音楽が流れるのと同時に、穂乃果達は踊りはじめるのだった。
──ことりが歌う。
優しい声で、蕩けるような甘いボイスを響かせて、ことりは歌う。
その歌声に、その見る者の心を甘く溶かすような歌唱に、俺達は魅了される。
──海未が踊る。
軽やかな動きで、鋭さが垣間見えるキレを見せつけて、海未は踊る。
その踊りに、その見る者の心を射止めるようなダンスに、俺達は惹き込まれる。
──穂乃果が笑う。
太陽のような笑顔で、輝かんばかりの笑みを浮かべて、穂乃果は微笑む。
その微笑に、見る者の心を鷲掴みにして離さないような笑顔に、俺達は心底魅入る。
個々の動きはそれほど良くない。
微妙にステップが合っていない時があるし、緊張からか歌声が僅かに震えている。
そんな穂乃果達の踊りは、目が肥えている人達……絵里のような人達からすれば、見るに耐えないだろう。
しかし、穂乃果達のライブから目を離す事はできないはずだ。
何故なら、穂乃果達は輝いているからだ。
その歌で、踊りで、笑顔で、ライブを輝かせている。
穂乃果達……μ'sは今この瞬間、全ての人間を虜にしただろう。
それほどまでに、μ'sの煌めきは神がかっていたのだから。
「──はぁ……はぁ」
曲が終わり、ライブが終了した。
穂乃果達は一様に息を乱しており、その姿から全力を出しきった事がわかる。
ともかく、そんな穂乃果達へと思わず立ち上がった俺が拍手をすれば、講堂のあちらこちらでも手を叩く音が響く。
思ったより多い音の数に、俺は辺りを見回してみる。
すると、先ほど見た小泉以外にも、星空や矢澤先輩を始め、俺がチラシを配った生徒達が目に入ったのだ。
「来てくれたんだ……」
数は十人にも満たないが、確かに穂乃果達の観客がそこにいた。
穂乃果達の頑張りが無駄にならなかったんだ。
……良かった。穂乃果達のファーストライブを見てくれた人がいて。
そんな事を考えていると、講堂の奥から絵里が降りてきているのに気が付く。
穂乃果達も当然絵里の存在に気が付き、表情を強ばらせていた。
「生徒会長……」
「どうするつもり?」
その端的な問いかけから数瞬後、穂乃果は力強い瞳で絵里を見返す。
「続けます」
「何故かしら? あまりライブに観客が来なかったようだけど」
「やりたいからです。今、私はもっと歌いたい、もっと踊りたいって思っています。……きっと、海未ちゃんもことりちゃんも」
「うん、ことりもそう思ってるよ」
「私も、もっと踊りたいです」
そう告げた穂乃果が海未達へと顔を向けると、彼女達は頬を綻ばせて頷く。
そんな海未達の姿を見た穂乃果は、嬉しそうな笑みを浮かべる。
そして、厳しい面立ちをしている絵里に向き直り、更に瞳を煌めかせながら穂乃果は高らかに声を響かせていく。
「こんな気持ちは始めてなんです! やって良かったって本気で思えたんです! 今はこの気持ちを信じたいんです! ……今の私達を誰も応援してくれないかもしれない。誰も見てくれないかもしれない。でも、それでも私達は届けたい! 私達のこの想いを!」
「っ!」
その穂乃果の叫びに、絵里は僅かにたじろいだ様子を見せる。
今の穂乃果からは目を離せない。
その叫びに、想いに、魂の輝きから目を離す事ができない。
そんな講堂中の視線を一心に集めた穂乃果は、胸の前で拳を握って絵里へと言い放つ。
「いつか……いつか私達、私達μ'sは──ここを満員にしてみせます!」
「……そう」
その宣言を聞いて、絵里はどう思ったのだろうか。
様々な感情が混ぜられたような呟きを一つ。
そして、絵里はそれ以上は何も言わずに講堂を出ていった。
「絵里……」
絵里の事も凄く心配だが、今はファーストライブを終えた穂乃果達を祝いたい。
そう思った俺は、絵里から一旦思考を外して穂乃果達の方へと駆け寄っていくのだった。
──穂乃果、海未、ことり……ファーストライブお疲れ様。
今話で第一章は終わりです。
次話から二章に入る予定です。
二章ではμ'sの新たなメンバー加入の話になります。