ブリッジに鳴り響くけたたましい警告音。
何事かとオペレーターに目を向けると、キーボードをせわしなく叩き切羽詰まった表情を浮かべていた。
「一体どうしたっ!?」
「申し訳ありません提督!! 監視対象者に付けていたサーチャーが、対象を見失いました!」
僕の方に振り向き、慌てた声で報告を受けた。
監視対象である佐藤上総の行方を見失った様だ。
リンカーコアを所持しているとはいえ、魔法については素人の彼女が僕達の監視に気付く可能性は低い。
ならば、第三者である何者かが彼女に何かしらした可能性の方が高いだろう。
「追跡はっ?」
「駄目です! 追い付きません!」
騒然となるブリッジ。
だが、これで終わる訳にはいかないのだ。
「フェイト執務官と武装隊に連絡を!」
「了解です!!」
忙しなく通信を繋ぎ、オフシフトであったフェイトをブリッジに呼ぶ。
武装隊には、待機命令を発動させた。
「呼び出してすまない、フェイト」
「ううん。クロノ、一体何が有ったの?」
息を切らしてやって来たフェイト。
呼び出しから数分も立っていない。
オフシフトだと言うのに、執務官服のままで仕事をしていたのだろう。
「佐藤上総を見失った」
「見失ったって…どうして!」
「解らない。だが、誰かが彼女を連れ去った。映像をくれ!」
了解、と声が響く。
すぐさま中央モニターに映像が映し出される。
「彼女を見失う前の映像だ。一瞬だけれど背後に誰かが映っている。はっきりと姿は解らないが、
彼女を連れ去った犯人は十中八九この人物だと思う」
「クロノ、彼女の使い魔は? 使い魔なら主人の危機を察知していてもおかしくない筈!」
その言葉を聞いたオペレーターが、こちらの指示を待たずに彼女の家を監視しているサーチャーの映像をモニターに映した。
黒色の毛並の猫と聞いていたが、人の姿だ。
佐藤上総は一人暮らしである。恐らく今映っている金髪碧眼の女性が使い魔なのだろう。
主人が危機的な状況に陥っているのならば、使い魔ならば気が付く可能性が。
だが部屋で過ごしている使い魔は、何も変わらぬ様子でパソコンのモニターを覗いている。
「…何も変わった様子はない、か」
「もしかすると、上総が危険な状態になってない可能性もあるよ」
「彼女と使い魔との契約内容次第だな。精神リンクをしていなければ、気付けない…」
「そんな…」
モニターの画面を悔しげに見つめるフェイト。
何かを決意したように、僕の方に振り返る。
「クロノ、上総が居なくなった現場に行ってくる! 何か痕跡があるかもしれない!」
「わかった。気をつけろ。何が有るかわからないからな」
「うん!」
言うや否やフェイトは転送魔法を使い、海鳴の街へ降り立った。
僕たちもフェイトを見ているだけでは終われない。
最善を尽くし、最良の結果を得なければいけないのだから。
更新されるモニターの情報を眺めながら、次の一手を考える僕だった。
「っ…」
目が覚めると同時、鈍い頭の痛みと眩暈。
真っ暗な視界に慣れていない目がようやくその機能を取り戻す。
見覚えの無い場所、錆びた鉄の匂い。静寂。
ドラマでよく見る、長い年月放置された廃工場の様な場所。
――私は、何でこんな所に…
アルバイトが終わって、クロがお腹を空かせているだろうと帰路を急いでいたはず。
ああ、そうだ。帰り道の途中、誰かに声を掛けられた。
誰だろうと振り返り、気を失ったのだ。
何をどう考えても、その誰かが私をこの場所に連れてきたとしか思えない。
けれども目的が解らない。
誰かに恨みを売った覚えも無い。
金銭目的なら、お金なんて持っていない、誘拐するだけ損である。
「目が覚めたかね?」
唐突に、広い廃工場に響く声。
革靴の音を鳴らしながら、私の方に近づいてくる。
「こんな所に、すまないね。私はこの星に詳しくないのでね。
このような場所で君をもてなさなければならない無礼を許したまえ」
白を基調にした高そうなスーツを見事に着こなし、私を見下ろす痩身の男性。古びた本を脇に持ち私の前に佇む。
そしてその横に静かに佇む、クロに瓜二つの銀髪蒼眼の女性。
「こうして会うのは二度目、かな。一度目は見ていただけだから君に覚えはないかも知れないがね。
私はヴァルト・アクスマン。この『名も無き偽典』の契約者―マスター―だ。隣に居る彼女はこの偽典の統率者―コマンダー―」
そう言って、大仰に両手を広げる。
ヴァルト・アクスマンと名乗ったこの男。
私と彼が会うのは、二回目だそうだが一度目の記憶は全くない。
見ていただけだから、と言っているので確かに私には彼の記憶は無いのは頷ける。
ただ、目の前の彼が持っている本、一度クロが見せてくれた『名も無き教典』の装丁にそっくりだった。
名前が似ているから、もしかするとクロと何か関係するのかもしれない。
「さて。まずは君をこんな場所に連れてきた理由を率直に言おう」
その言葉の後に彼は指を鳴らす。
彼が何を言っているが、聞き取れない。英語によく似た発音ではあるけれど、英語では無い。
そうして、足元に淡く光る模様が浮かび、ソファーとテーブルが目の前に現れた。
…これは、魔法なのだろうか?
「君にはこの『名も無き偽典』の力を真に開放する鍵になってもらうよ」
唐突に表れた一人用の高級そうなソファーに深々と腰を掛けて、彼がそう言った。
そして音も無く彼の少し後ろにクロにそっくりな女性が、控えている。
「鍵?」
「そうだ、鍵だ。私と一緒に世界を手に入れないか?」
私は地面、彼は椅子。
この場所での、私達の力関係を表していた。
いきなりの規模の話で頭が追い付かない。
世界を手に入れないか、と言われてもハッキリ言って興味は無い。
目の前の彼は世界を手に入れて、何をするのだろうか?
「私が貴方に協力したとして、貴方は世界を手に入れてどうする気なんですか?」
「何、私がやりたい事をやるだけだよ。君も君のしたい事をすればいい」
「…世界平和とか?」
「…ぶっ! ククッ!! あははははははははは!」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、いくらも立たず大声で笑いだした。
なにか可笑しいのだろうか?
世界を手に入れ、その世界を収めるのなら何にせよそう言う結論になると思うのだけれど。
独裁者が歴史上、長期に政権を取るなんてことは過去を見てもあり得ない事だ。
「君は面白いねぇ! だが私が求めるのはそんな陳腐なものでは無いよ?」
世界平和も陳腐なものでは無いのだと思うけれど、どうやら彼にとっては大した事ではないらしい。
本音を吐いてしまえば、彼の言う事に私は興味は無い。
変な人に絡まれてしまった、と言うのが今の正直な気持ちである。
「何を、する気ですか?」
聞いたところで、碌でもない回答が来るのは彼の先程までの言動から推測できる。
「良い質問だ。手始めに、この星を手に入れてみようか!この星は実に面白い。
一般人の多くが魔法の存在を知らないが、面白い物がたくさん存在するよ?」
「魔法…」
この人、クロと同じことを言っている。
だけれど、クロから嫌な感じは一切しなかったけれど、彼からは嫌な雰囲気がひしひしと感じ取れる。
そして彼の後ろに控えている女の人。微動だにしないまま、佇んでいるだけだ。
「嗚呼、そうか。この星に魔法が認知されていないからね。君が知らないのも致し方ない事だ。
この星以外にも、世界は存在する。管理世界と言う、魔法が人々に認知されている世界だ。
魔法は素晴らしいよ。極めれば命さえ永遠になるのだから。手に入れたいと、思わないかね?」
そんな事まで出来るのかと感心したけれど、永遠の命だなんて、そんな大層な物は私には必要ない。
命を持って生まれたものは、いつかは死ぬ。
そして世界なんて物も欲しくは無い。私に世界を動かす力なんて持っていないし、
その世界に住む人々を守り、国として運用していく能力など無いのだから。
「お断りします」
「交渉決裂、だねぇ」
慇懃な声で、そう告げられた。
「本当に残念だ。君が同意してくれていれば、手荒な真似はしなくて済んだのだが、仕方あるまい」
ニヤリと口をいびつに歪めて嗤う。
「やれ」
短く一言告げると、クロによく似た女性が私の方に歩み寄る。
私の前で立ち止まり、長い脚を少し浮かせその後は目に捉える事が出来なかった。
「っが!」
私の身体が吹っ飛び、壁にぶつかる。
何が起こったのか一瞬理解できなかったが、恐らく蹴られたのだろう。
人間一人を吹き飛ばした脚力の強さに感心する。
肺に溜まっていた空気が、強制的に吐き出され息がし辛いくなる。
咳き込むたびに、少しは楽になっていくが背中の痛みは中々引かない。
「そうだ。先程私が、この星は面白いと言ったねぇ。魔法文化の無いこの星が此処まで発展している事は珍しい。
この星に辿り着いて時間が余り経ってはいないが、興味深い物を手に入れてねぇ。やぶさかではあるが、君で試すのも一興だ」
男が本を開き、興味深げに眺めていた。
女性の手元に黒い光が手を覆い、何かが具現化する。
それは良く見た事のある、銀色の細い棒。
裁縫で使用する、針のようなものだった。
「さて。魔法文化が進んでいる世界にも『拷問』と言う手段はあるが、この星ほど多様化はしていない。
面白いねぇ。実に、面白い。魔法は体を傷つけず痛みのみを与える事が出来る。だがこの魔法の存在しない星で、
死に至らず、極限の痛みを与える方法が数多にあるとは」
私は女性にうつ伏せ状態で地面に押し付けられて、強制的に右手を引っ張られた。
「さて、君はどこまで耐えられるのかね?」
下卑た笑みを浮かべる男。
女性が持っている針で何をするのか、想像はしたくない。
どうせ碌なものじゃないと、私の心が警告音を鳴らす。
そして私の右手首と五指に黒い光が現れて、地面と離れない様に繋がれた。
女性が針を持ち直して、表情一つ変えないまま私の親指の爪と肉の間に針を突き刺した。
「あああああああああああああ!」
痛い。
どうにか耐えられるが、痛い。
男が楽しそうに、せせら嗤う。
男が指を鳴らすと、女性が私の親指に差した針を、押し上げた。
――っ~~~~!!!
声にならない悲鳴を上げる。
爪を一枚剥がされただけと言うのに、強烈な痛みに襲われる。
涙が出そうになるのを我慢して、痛みに耐える。
爪の剥がれた指が、次第に熱を持ち痛みに拍車を掛ける。
「ふむ、まだ余裕が有りそうだね。この本に書かれている通りなら、
爪剥ぎは尤も痛みを与えるが、与える痛みの割に身体を傷つけないらしいよ?
あと残り九枚、いや足を分を数えれば十九枚。
君はどこまで耐えられるかねぇ?」
そう告げて、女性がおもむろに私の右人差し指に針を突き刺す。
能面の様に感情を表さず、また爪を一枚剥いだ。
同じ痛みが、再度私を襲う。
どうにか耐えるが、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっているだろう。
「耐えるねぇ。そうでなければ、やりがいが無い」
男の声と私の悲鳴が交じり合う。
そうして、私の右手の指の爪がすべて剥がされた。
「ふむ。痛みに耐えかねて、私に媚びへつらう姿を見たかったのだがねぇ」
つまらないと男が吐き捨てて、また嗤う。
男の手元にあった本が消えて、新たに別の本が男の元に現れた。
「どうやら君は肉体的な痛みには強いようだ。では、これでどうかな?」
「なにを…」
男が声を出した瞬間、本が光って私を包み込んだ。
その瞬間、真っ暗な視界に現れた私の両親。
『なんで、お前だけが生き残った?』
『どうして、貴方だけが生き残ったのかしら?』
血まみれの父と母が私を責める。
「あ…止めっ」
止まりかけていた涙が再び溢れ出した。
私も一緒にあの場所で両親と死んでいたら、どれだけ楽だっただろう。
意識不明の重体から目覚めた私に待っていたものは、過酷なリハビリと“奇跡の生還者”と言う世間からの好奇の眼差し。
それをやっとの思いで、兄や周りの力で克服できたというのに。
「肉体的な痛みに強い人間に、こういうモノは効果的だ。
だが私が見せたものでは無く、君の心の中にある真実だよ?
君の記憶の引き出しにしまってある物を、魔法で蘇らせているからねぇ」
喜々として男が私に伝える。
そんな事は自分が一番理解している。
この光景は私が必死に今まで蓋を閉めようとしていたものだ。
未だ両親からの罵声が止まらない。
「おや、君の左腕に付けているソレはなんだね? 見た所、魔法が使用されているようだが…」
今一番気が付かれたくない事に、男が気付いた。
男がパチンと指を鳴らして合図すると、女性が無理矢理クロがくれたミサンガを引きちぎった。
――気に入っていたのに。
せっかくクロから貰ったものを、こんな形で失ってしまうだなんて。
怒りで痛みを忘れ、男を睨み付ける。
「ほう、君にはリンカーコアが無いと思っていたが、そう言う事か。
誰が手引きをしたのか知らないが、そんなもので上手く隠したものだ。
しかし、これは好都合。君が魔力を所持しているのなら、私の宿願も大いに進むという事だ」
そうして一人掛けのソファーから立ち上がり、私の近くへと来る。
痛みで起き上がらない私の体を、無理やりに髪を引っ張り上げて、こう言った。
「最後通告だ。私に協力しなさい」
「いや、だ」
即答した。
「そうかね。私としては穏便に事を済ませたかったのだが、仕方ない。
君がいけないんだよ?」
目の前の男が深い溜息を吐いて、また本を開いて何かを呟く。
男の右手に炎が纏う。
「魔法を知らない君に説明しておこう。私の手に炎が帯びているがこれは魔法で作り上げたものだ。
術を行使している私が触れていても熱くは無い。だが私以外が触れるとどうなるか解るかね?
何、痛みだけで決して死にはしない。非殺傷にしてある」
そうして私の左腕の古傷に触れる。
爪を剥がされた時の痛みとは違う痛み。
熱を帯び、皮膚が爛れ焼ける臭いと激痛。
また声にならない声を上げて、地面をのた打ち回る。
「酷い事をすると思うかね? だが仕方ないのだよ。強制的に君を鍵として使用することも出来るが、それでは効力が半減してしまう。
だから君の同意が必要なのだよ。どういう過程であってもね」
「……」
男の声が遠くなる。
「やれやれ。やりすぎたようだ」
痛みで気絶した私に、呆れた男の声が浴びせられた。
上総が居なくなった現場に辿り着いたのは、私がアースラから転移魔法を使用してから幾分も時間は経っていないと思う。
周りを見渡して、何か痕跡は無いかと目を凝らす。暗がりの中、薄っすらと浮かぶ何か。
近寄ると布で出来たトートバックが落ちていた。
拾い上げて、バックに付いていた汚れを払う。
少し中を見る事に抵抗を感じるが、今は緊急時だ。人の物を覗いてしまう罪悪感に囚われながら、中を見る。
「これは…」
生徒手帳だった。示されていた名前は“佐藤上総”。
何が起こったのか、皆目見当もつかないまま不安だけが増えていく。
他に何か、証拠になるようなものが無いかと振り返った瞬間だった。
『フェイト、聞こえるか?』
「うん、大丈夫だよ。何かあった?」
『嗚呼、動きが有った。佐藤上総の使い魔が、飛行魔法を使って何処かに向かっている』
「本当!?」
『今、進行方向から場所を割り出し中だ。リアルタイムで座標を送るから、フェイトも向かってくれるか?』
「わかった! 行くよ、バルディッシュ!!」」
『Yes sir』
愛機のデバイスが短く返答して、飛行魔法を発動させて空へと飛び立つ。
せわしげに移り変わるモニターを見つめ、焦る心を無理やりに押し込める。
彼女の身に何も無ければ良いけれど、何が起きているのかは推測の域でしかない。
――嫌な予感がする。
パソコンにも少し飽き、この家にあった本を手に取り読みながら家主の帰宅を何時もの様に待っていた。
時計を眺めて時間通りに帰ってくる筈の彼女が遅い事に違和感を抱いたのは、何時もの帰宅時間を三十分以上過ぎていた頃だ。
リンカーコアの所持者が極端に少ないこの世界だから、魔力を追えば簡単に見つかるが、
生憎自分が彼女に渡した、麻糸で編み上げた魔力隠しのお蔭で自分でも彼女の気配を追えない体たらくである。
「連絡手段は念話のみか。だが管理局もいることだ。私は良いがアイツが失敗する可能性が有るな」
呆れた声で、念話を失敗した彼女を思いだす。
基本中の基本であるモノを失敗するなど、珍しい事態だった。
まさか念話を失敗するなど思っていなかった為に、管理局に見つかってしまったが。
私の正体はバレていないので、まぁ良いのだが。
「さて、どうしたものか」
何時もなら、飯を食べている時間である。
さっさと帰宅をしてほしいものだが、彼女の都合もあるだろう。
――っ!
耳鳴りが私を襲う。
人間ではない私の身体は本来、健康障害や機能異常は引き起こさない。
それが襲ったという事は、彼女に渡したアレが何らかの理由で千切られたという事実のみ。
「鳴りを潜めていると思えば!!」
昏睡事件の犯人が、もう一度彼女を襲った可能性が一番高い。
ベランダに駆け出し、飛行魔法を発動させて夜の帳へと翔ける。
それと同時に、広域探査魔法を起こす。
彼女の魔力波長は、以前に把握している。
それを手掛かりにすれば、居場所を安易に突き止められる筈。
「居た!」
飛行魔法を加速させて、その場所へと向かった。
人生、碌な目にあってないオリ主。ドンマイ! 強く生きろ!
あらすじ。
上総、拉致される。
↓
サーチャーで監視していたアースラ組騒然。
↓
拉致した犯人現る。超嫌味なインテリ風味の野郎とクロの2Pカラーのそっくりさん。
↓
『名もなき偽典』の契約者と名乗り、私と一緒に世界を取らないか?
↓
上総、拒否
↓
じゃぁ、しゃーない拷問。
↓
フェイトとクロ、現場に駆けつける寸前。
はしょってざっくしとした内容です。こんな感じのハズ。