勇が教室に入った瞬間、教室の空気が変わった。A組の生徒たちが一斉に勇の方向へと視線を送り、何とも言えない表情を浮かべている。
ガグマ戦での出来事、いなくなった櫂、その後の戦いを支えた勇……そう言った一連の出来事のせいか、この夏休みでの戦いの最大の功労者にして自分たちが蔑ろにし過ぎた男に対し、生徒たちは何と声をかけて良いのかがわからない様子だ。
勇もまた居心地の悪さを感じながら自分の席へと向かうと、黙って椅子に座った。そして、ただ黙って黙々と今後の行動についてを考え始める。
自分のやりたいこと、今やらなければならないことは明確に分かっている。だが、それが自分一人の力では実現出来ないことも良く理解していた。
少なくとも、このクラスの全員の力が必要だ。と来れば、間違いなく光牙を説得しなければならないだろう。
今の彼が自分の話を聞いてくれるかを心配する勇であったが、そんな彼の前にその光牙がやって来るとおもむろに声をかけて来た。
「龍堂くん、少し良いかな……?」
「え……? あ、あぁ、なんだ?」
久しぶりの様な、そうでも無いような。そんな良く分からない距離感に緊張する勇は、背筋を正して光牙に応える。
対して光牙は少しだけ物憂げな表情を浮かべると……予想外の行動を取って見せた。
「……ここ数か月に及ぶ俺の君への非礼を詫びさせてくれ。本当に済まなかった……!」
「!?」
自分の目の前で深く頭を下げた光牙の姿を見た勇は唖然とした表情を浮かべて思わず立ち上がっていた。あの光牙がA組の観衆の前で自分に頭を下げるなど、想像も出来ない出来事だったからだ。
しっかりと頭を下げて勇に謝罪の意思を見せた後でゆっくりと頭を上げた光牙は、瞳に涙を浮かべながら勇へとなおも謝罪を続ける。
「俺は……俺は、馬鹿だった……! 調子に乗り、浮かれ、沢山の仲間を危険にさらしてしまった。その上、櫂やマリアもあんな目に遭わせてしまって……虹彩学園が弱体化したのは、間違いなく俺の責任だ」
「こ、光牙! そんな事は……」
「いや、俺の責任なんだ……! 俺はそれを認めたくないばっかりに君に当たり、酷い行動ばかり取ってしまった……龍堂くんが居なければ、もっと甚大な被害が出ていたと言うのにも関わらずだ。今までの自分の行動を振り返ってみると、俺は自分が恥ずかしくて堪らないよ」
「光牙……」
自分の前で悔しさと寂しさが入り混じった表情を浮かべる光牙を見た勇は、彼もまた様々な悩みを抱えているのだろうと思った。ストレスやプレッシャーが大いにのしかかって来るリーダーと言う責任ある立場にあって、それは当然のことだ。
本当に色々な事があり過ぎた。あえて誰かが悪いと言う言い方をする必要も無い。光牙もただ、度重なる辛い出来事の前に心が疲れてしまっただけなのだ。
「……こんな愚かな俺だが、まだ世界を救いたいと言う思いは変わっていない。虹彩学園の力を、櫂を、そして人類の平和を取り戻す為、また君の力を貸してくれないだろうか?」
謝罪の言葉と共に光牙が手を差しだす。それをじっと見つめた後、勇は小さく笑みを浮かべてからその手を取った。
「ああ! また一緒に戦おうぜ! 今度こそ力を合わせて、ガグマたちを倒すんだ!」
「龍堂くん……! 本当に、ありがとう!」
力強く手を握る勇に対して笑みを浮かべた光牙もまたその手を強く握った。固い握手を交わす二人の周囲には、A組の生徒たちが事の成り行きをあっけにとられた表情で見守っている。
「龍堂くん、これからの活動方針に関して君の意見を聞かせて欲しい。詳しくは後の作戦会議で話し合おう」
「ああ、わかった。じゃあ、また後でな」
最後に短く今後に関することを話し合った後二人は別れ、それぞれ自分の席へと座った。
ほんの数分の出来事に目を丸くするA組の生徒たちであったが、始業のチャイムが鳴り響くと同時にその困惑を切り捨てて授業へと意識を集中させていく。
そんな彼らの様子を黙って見つめながら、美又真美は口元で小さな笑みを浮かべていた。
「……これで良いのかい、真美?」
「ええ、十分よ。これでA組の皆も余計な心配をしないですむわ」
会議室に向かう途中、真美と二人きりになった光牙はそう彼女に尋ねた。真美はその言葉に大きく頷き肯定の意を示す。
夏休み前から続く虹彩学園の中心メンバーの内紛を収める為にすべきこと、それは、光牙と勇の関係を良好な状態に戻すことだった。不和を感じさせる状態で活動したくないと言う事もそうであったが、一番の目的はそこではない。
光牙と勇のパワーバランスは夏休みの前と後では大きく逆転していた。夏休み前は大きく支持を得ていた光牙であったが、ガグマ戦での失敗からその評価を大きく落としてしまったのである。
それに対して勇は撤退戦での活躍とレベル80の力を得たことで、文字通り人類の切り札としての地位を確立した。認めたくは無いが、今はもう勇の方が光牙より上の立場にあると言った方が良いだろう。
真美が危惧しているのはそこだ。この先、
失態から権威を失墜させた光牙では無く、実質的に虹彩学園を引っ張っている勇をリーダーにしようとする者が現れないとも言い切れない現状、すぐにでも光牙の威厳を元に戻すことも不可能な状況である限りはその心配はいつまでも付きまとう。ならば、取る手は一つしかない。
誰よりも先んじて光牙と勇の関係を修復させ、勇の意見を後押しする雰囲気を光牙自ら作り出させるのだ。
仲間たちに良好な関係でいる様に見せ、全幅の信頼を置いて右腕の様に扱えば、生徒たちも勇も変な考えは起こさないだろう。
幸か不幸か、その状況に一番反対するであろう櫂は今は居ない。新たな火種が生まれそうならば真美やマリアがフォローに入ればいい。上手く言えば、マリアだって手玉にとれるはずだ。
学園が違うやよいたちもクラスが違う謙哉もそこまで奥深く潜り込むことは出来ない。表面上だけでも上手くやっていると見せかければ、誰も追及はしないはずだ。
今、勇を認めたふりをしておく事にはこれだけのメリットがあった。彼と共にA組と虹彩学園の戦力を復活させるまでは、勇のことを上手く使って行けば良い。目的が完遂されたら適当な所で切り捨ててしまえばいいのだから。
その際もあまり手酷い終わり方にならぬ様に注意を払いつつ行動を起こさねばならないが……現状、それが光牙にとっては最高の策に思える。真美は光牙にそう話し、彼に朝一で勇に頭を下げさせると言う行動に出させたのだ。
「大丈夫よ、光牙……! 今は我慢の時、すぐにあなたを元の立場に……いえ、今まで以上に勇者に近い位置に戻してあげるからね」
「……ああ」
自分に対して狂気的な愛情を持ってそう呟く真美に対し、光牙は多少の寒気を覚えながらも頷く。
どう足掻いたって彼女が光牙の
「取り合えずは、龍堂の考えに乗りましょう。あまりにも非現実的だったら反対するけど……あいつのことよ、きっと面白い策を考え付いてるんでしょうね」
「そう、かもしれないな……」
自分には無い柔軟な思考を持つ勇に嫉妬の感情を抱きながら、光牙は会議室のドアを開けて中に入る。
自分の背を見つめて微笑む真美の視線に再び寒気を感じながら、彼は自分に割り当てられた席に座って全ての参加者が揃うのを待った。
それから数分後、虹彩学園の主要メンバーが揃い、薔薇園学園の面々はテレビ通信と言う形で出席することになった新学期初の会議が開催された。
今回の議題である『今後の活動方針』と『失った戦力の補強及び回復』について話し合うメンバーたちに対し、勇は一つの提案を掲げる。それを聞いた光牙たちは、唖然とした表情で面食らっていた。
「も、もう一度聞いても良いかな? 龍堂くん、それは本気かい?」
「ああ……この状況を打破する方策は一つ、戦国学園と同盟を結ぶしかねえ」
光牙の確認に対して同じ台詞を繰り返した勇は、この場にいる全員の顔を見渡す。そして、意を決したようにして説明を始めた。
「良いか? 現状、虹彩も薔薇園もまだガグマとの戦いが癒えてねえ。この状況じゃ夏休み前の様に動くことは出来ないし、逆にガグマたちが何らかの動きを見せた場合は一転して大ピンチに陥るって訳だ」
「それは理解している。だからこそ、戦力の補給と回復が必要だと言う事もね」
「その戦力の補給方法を戦国学園の生徒たちを迎え入れることで果たそうって事だよ。あいつらの腕っぷしは分かってる。十分に信用出来る連中のはずだ」
「……悪くないね。光圀さんや大文字先輩が協力してくれたら、怖いもの無しだ」
「でも、そう上手く行くんでしょうか? 相手はあの戦国学園ですし……」
勇の話を聞いた謙哉が肯定と取れる声を上げるも、やよいの不安そうな呟きもまたここに集まった生徒たちの心中を現していた。
同盟を結ぼうとしている相手はあの戦国学園、武闘派の荒くれもの集団だ。それに、彼らとは一度争ったこともある。
一筋縄ではいかなそうな策だが、決して下策と言う訳でも無い。この作戦が成立すれば、勇たちは十分な戦力と学園の体力を回復させる時間が得られるのだ。
「……俺は龍堂くんの意見に賛成だ。危険な賭けだが、やってみる価値はある」
「同じく、乗るよ。戦国学園の皆とも協力できるようになれば、魔王を倒す事だって夢じゃないしね!」
「謙哉、光牙、サンキュー。これで、ある程度は形になるかな」
「龍堂、アンタの考えはわかったわ。でも、どうやってあの大文字を説得するつもり? 何か方法があるの?」
「ああ? 方法なんか一つに決まってんだろ?」
謙哉、光牙の同意を得た勇がにやりと笑う。そんな彼に対して若干苛立ち紛れの言葉を投げかけた真美であったが、不敵に笑う彼の表情を見ればなにも言えなくなってしまった。
勇には何か考えがある……それだけ分かれば十分だとばかりに頷いた彼女を見た勇はもう一度笑みを浮かべると椅子から立ち上がった。
「さて、行くか」
「え……? 行くって、どこにさ?」
「決まってんだろ? 戦国学園にだよ。行動を起こすなら早い方が良いってな!」
「お断りします。我らに益が無い」
「当然だろうが! てめえら何考えてこの話持って来やがった」
「……って言ってるけど、どうするの?」
当然とばかりの根津と仁科の声に真美が肩を竦めて勇の方を見る。それに釣られて彼へと視線を送った二人もまた、勇が口を開くのを待つ。
彼らの後ろでは大きめの椅子に座る大文字と行儀悪く机の上に座る光圀の姿もあり、それぞれが違った表情で勇のことを見つめていた。
「正直、我ら戦国学園が力を失った虹彩学園と薔薇園学園を攻めても良かったんです。そこの光圀がそんなつまらんタイミングで仕掛けるのは嫌だ、と言わなければさっさとあなたたちを配下に置いているものを……」
「そんな死に体の奴らと組む理由が見つからねえだろうがよ! 分かったらさっさと帰れ、このすっとこどっこいが!」
「まあ、待てよ。少しは俺の話も聞けって」
勇は二人の言葉を軽く受け流すと根津の方を見た。学校間のやり取りを仕切る彼に注力して話を始め、その反応を探る。
「こっちが面倒を見て貰う可能性が高いってのは確かだ。けど、そっちにだってメリットはあるぜ?」
「ほう? それは何でしょうか?」
「シドーとやり合う時に手を貸す。それじゃ不服か?」
その名前を出した瞬間に根津だけでなく仁科の表情をも変わったことを確認した勇は、心の中でしたり顔を浮かべて脈があることを喜ぶ。そして、そのままここが押し時とみて話を続けた。
「そっちがシドーに歯が立たなかったことは前に聞いた。次に奴が何時姿を現すのかもわかんねえ。なら、それまでの間に出来る限りの備えをしておいた方が良いんじゃねえか?」
「……なら、あなた方をさっさと倒して奪える物を奪うとしましょうか。それが現存、一番の戦力の補給方法では?」
「おいおい、冗談はよせよ! 分かってんだろ? 今の虹彩にも薔薇園にも大した力はねえ、奪って得をする物も特には無い。せいぜいギアドライバー位のもんだが、俺たちのドライバーは個人認証があるからお前たちには使えないと来た。俺らとことを構えてまで奪う価値のある物か?」
「………」
勇の言う通りだった。万一、ここで両校と戦いを始めたとしてもあまり益は無いのだ。勇の言った通り、薔薇園学園のギアドライバーを三機奪えるくらいのもので疲弊した二つの学園にはあまり価値がある物は残ってはいない。
それに、戦うとなれば当然こちらも疲弊する。両校は紛れもなく名門校であり、消耗しているとは言え間違いなく厳しい戦いになるだろう。奪う物よりも失う物が多い戦いなど愚の骨頂だ。
当然そんな戦いをするつもりの無い根津は、自分のはったりを簡単に躱した勇との交渉の席に着く。少なくとも彼の話は聞く価値があると考えた根津は、そのまま彼との話を再開した。
「それで? まさかそれだけでは無いでしょうね? たかがシドーを倒す時に力を貸すだけで、この戦国学園との同盟を締結出来るとお思いですか?」
「たかがなんて言い方すんなよ。結構きついぞ、魔王の相手は。それが三体となったらお前たちだって困るだろ?」
「……三体、とは?」
「考えるまでも無いだろ? シドー、ガグマ、それにエックスの三体のことさ。虹彩と薔薇園がやられたら、奴らは次にどこを狙うと思う? ……自分たちの仲間とやり合ってる所があるとすりゃあ、興味を向けるのはそこだと思うけどな」
「ふむ……なるほど……」
交渉材料に自分たちの弱体化している現状までもを加えて来る勇の大胆さに根津は舌を巻いた。決して予想できない事態では無かったが、弱みを強みに見せる勇の交渉術には大文字すらも笑みを浮かべて感心している。
交渉の席を軽い雰囲気で支配する勇は笑ったまま根津の反応を伺っていた。そう言う小狡い所も評価できると思いながらも、根津は自分の意見を言葉にすべく口を開く。
「なるほど、そちらのお話は分かりました。しかし、戦国学園があなたたちと組むことはあり得ません。何故なら……」
「戦国学園は何処とも組む気はない。それがどこであろうとも……特に、弱い奴とは組みたくない、だろ?」
「……そこまで分かっていながら何故、ここに来たのでしょうかね? 結局、話し合いは無駄になることは分かっていたでしょう?」
「ははっ! そりゃそうだな! ……んじゃ、お互いに実力行使と行きますか!」
その言葉が合図だったかの様に、大文字と光圀が椅子から立ち上がった。虹彩学園側も謙哉と光牙がドライバーを片手に前に出て来る。
お互いに三人のドライバー所持者たちが睨み合う形になった教室の中、一番最初に口を開いた大文字が勇たちへと告げる。
「戦国学園の流儀は一つ、強き者が全て! それに従い、我らに勝利し、我らを従えてみせよ!」
「つーわけや! じっくり楽しもうやないか!」
「てめえらには何時ぞやの礼もまだだしなぁ……! ぐっちゃぐちゃにしてやるぜ!」
大文字たちは闘気を漲らせ、勇たちを睨む。しかし、いかつい大男たちの険しい視線を受けても勇たちには臆した様子は無かった。
緊張した面持ちではあるものの、戦いへの覚悟を決めて来たであろう三人は息を整えてからドライバーを構える。そして、それぞれの相手を見つめながら口を開いた。
「申し訳ないが、また勝たせて貰うよ。俺たちのこれからの為に、負けるわけにはいかないのさ」
光牙は一度勝利したことのある仁科に対して余裕を含んだ口振りでそう告げた。
その言い方に青筋を立てて怒りの表情を見せる仁科は拳を打ち鳴らして戦いの時を今か今かと待っている。
「……そう言えば、初めて戦う事になるんですね。よろしくお願いします!」
緊迫した戦いが始まると言うのに、謙哉はまるでスポーツか何かの練習試合を始めようとしている様な雰囲気の言葉を発した。
流石の光圀も苦笑するも、謙哉もまた彼が認める強者である事には変わりない。謙哉との戦いに胸を躍らせながら、光圀は舌なめずりをしていた。
そして最後、大将である大文字と睨み合いながら、勇はどこか楽し気な口調で彼に向って言う。
「一度戦ってみたかった相手だ、遠慮なしにぶつからせて貰うぜ!」
「レベル80の力、存分に振るってみせろ! 我も全霊で相手をしてやる!」
バチバチと火花が散る様な睨み合いの中、予期していた流れに沿った戦いへの道筋を辿った両校は、お互いの目論見を理解しつつ負けられない戦いへと挑む。
勝って虹彩学園に再び戦う力を取り戻す為に……三人は、強敵との戦いへと飛び込むのであった。