「エンドウイルスの抗体を作ったのは、勇のお母さん……? それ、本当なんですか!?」
「……ええ、紛れもない真実です。彼女、龍堂妃は、勇さんの母であり、沢山の人々を救う発見をした、まさに英雄と呼ぶに相応しい人物なんですよ」
謙哉の言葉に肯定の返事を返した天空橋は、そのまま勇の顔をじっと見つめてから天井を見上げた。その表情には、過去を懐かしんでいる様な色が見受けられる。
深く息を吐き、首を動かして全員の顔を見て行った天空橋は、最後に勇の目を見つめると、自身の過去を話し始めた。
「……今から20年以上も前の事……高校生だった私は、とある人物と出会いました。その人物の名は龍堂世界……勇さん、あなたのお父さんです」
「龍堂世界……俺の、親父……?」
「……きっかけはささいなことでした。私の発したウイルス、と言う言葉に世界さんが食いついて来たことが私たちの友情の始まりでした。私のコンピューターのウイルスの話を、世界さんは病原菌のウイルスの話をしていると思って話しかけて来たことが発端だったんです」
「病原菌? 親父はなんでそんなことに……?」
「あなたの父世界さんは、将来細菌学者になることが夢でした。だからこそ、私のウイルスの話に食いついて来たんでしょう。……後々、同じウイルスの話をしているはずなのにまったく話が噛み合わなかったと、私たちの間で笑い話になったものです」
その頃の思い出を懐かしむ様に笑った天空橋は、瞳を閉じて首を振った。勇の父との思い出を語る彼は、それからの話をし始める。
「世界さんと親友となった私は、三年間の高校生活を楽しんだ後で大学に進学しました。コンピューターのプログラムについて学ぶその大学で、私はもう一人の人物と出会うことになる」
「それが……俺の、母親……!」
「はい……コンピュータープログラマーを志していた妃さんとの出会い……何を隠そう、二人を引き合わせたのはこの私なんですよ」
在りし日々の思い出を回想した天空橋は、勇に対してずっと黙っていた事実を告げた。両親を引き合わせ、その息子である自分にも関わっている天空橋の数奇な運命に戸惑いながら、勇はただ話を聞き続ける。
「世界さんと妃さんは数年の交際を経て結婚。お互いに夢だった職業に就き、充実した生活を送り……あなたが産まれた。実は、私は産まれたばかりのあなたに会っているんですよ。まさか、遠い日の再会があんな形になるなんて思いもしませんでしたけどね……」
「……俺が産まれて一年後、親父とお袋は死んだ……その間に何があったのか、アンタは知っているのか!?」
「……二人は、とあるプロジェクトに参加していたと言うことはわかっています。それが、エンドウイルスのワクチン開発プロジェクトだったと言うことも……」
「待て、何故ウイルスの研究にプログラマーが関わる? 細菌学者である世界氏はまだしも、妃氏が関わる理由はどこにあるんだ?」
「エンドウイルスは人をデータに変えてしまう全く未知のウイルスです。通常の細菌学者たちに加え、コンピューターや電子工学に詳しい専門家を招集したのでしょう。そしてそこで妃さんは伝説的な成果を残した。エンドウイルスの抗体の発見者となり、ワクチン開発に大きく貢献したのです」
そこから先は簡単であった。妃の発見した抗体のお陰で開発されたワクチンは、彼女の功績を称えて『キサキ・ワクチン』と名付けられた。初期型のワクチンではあったものの、十分な成果を出したそのワクチンはエンドウイルスに感染した人々の命を救ったのだ。
もはや伝説的な発見をした妃とそのサポートをした世界は研究者仲間からも大いに感謝された。誰もが二人の未来を祝福し、希望を持っていた。しかし……
「……研究所があった外国で不慮の事故に遭い、二人は日本に戻る事無く亡くなってしまいました。当時一歳になる勇さんを残して……」
「親父……お袋……っ!」
自分の両親の功績と最期を知った勇は瞳に涙を浮かべて拳を握り締めた。両親のお陰で沢山の人たちが助かったと思うと同時に、今もなお悠子の様な人々を救う発明をした二人に初めて尊敬と誇らしさを感じることが出来た。
「……理由はわかりませんが、妃さんは死ぬ少し前に私に研究成果と初期型ワクチンを郵送して来たんです。もしかしたら……彼女は、自分たちに何か良くないことが起きることがわかっていたのかもしれません。女性特有の第六感……と言ってしまうのは、些か不謹慎でしょうか」
「それが……お前がエンドウイルスに詳しかった事と、ワクチンの抗体を持っていた理由か……」
エンドウイルスの抗体を作り上げた人物と深い親交があり、その情報を得ていたからこそ、天空橋はエンドウイルスのワクチンを所持していた。この重大な秘密を誰にも語れなかったのは、偏に勇の為だろう。
天空橋は、どのタイミングで勇に真実を告げるべきか悩んでいたのだ。本来、エンドウイルスやそのワクチンが登場した時に離すべきだったのだろうが、あの時は全員がバラバラでそんな状況では無かった。悠子の命がかかっていることもあり、話すタイミングを完全に逃してしまったのだろう。
「……ここから先は少し不謹慎な個人的な話になります。勇さん、私はね、あなたをスカウトする為に情報を調べ、あなたの素性を知った時に心が躍ったんですよ。エンドウイルスの抗体を作り上げた両親の息子が、そのエンドウイルスが変異した新たな脅威に立ち向かう戦士の資質を持っている……なんて運命的なんだろうと、そう感じました」
天空橋の話を聞いた勇は、数か月前に彼が希望の里にやって来た時のことを思い出していた。あの飄々とした態度の裏でそんなことを考えていたのかと思う勇に向って、天空橋は話を続ける。
「もしお二人が生きていたのなら、きっとエンドウイルスの完璧な抗体を作り上げた事でしょう。そうでなくともリアリティの対抗策を作り上げていたに違いありません。しかし……不幸な運命により、あなたの両親はエンドウイルスを駆逐しきれなかった。エンドウイルスはリアリティへと変異し、新たな脅威となって世界を脅かしている。……その脅威に立ち向かうのは英雄の息子とその両親の親友……ゲームのシナリオみたいだとは思いませんか?」
「……ああ、確かにな」
両親の、親友の無念を晴らすべく戦う二人の男は、そう言葉を交わしながら見つめ合う。やがて手を伸ばした天空橋は勇の手を取ると、硬くその手を握り締めた。
「……話をするのが遅くなって申し訳ありません。しかし、私のソサエティをクリアし、この世界を救いたいと言う気持ちは本物です。私やあなたのご両親がかつて成し遂げられなかったこの目標を、どうかあなたの手でやり遂げて欲しい……その為に、力を貸して貰えませんか?」
「………」
深く頭を下げる天空橋の姿を見た勇は、涙を浮かべる瞳をそっと閉じると……そのまま、大きく頷いたのであった。
「……ありがとうございます。あなたのお陰で、俺は両親について知ることが出来た。感謝してもし足りません」
「いいや、礼を言うのは私の方だ。君のお陰で不法侵入や盗難と言った犯罪行為がお咎め無しになったんだからな」
天空橋の研究所からの帰り道、自分の前で話す父と勇のことを交互に見比べながら、マリアは二人の話に聞き入っていた。
自分の両親とエンドウイルスにまつわる因縁を知った勇は何を思うのか? 少しだけ、マリアは彼のことが心配になっていた。
「……今回の一件で、俺の中の何かが色々と変わった気がします。この戦いは俺だけのものじゃない。天空橋のオッサンや……俺の両親の戦いを受け継いだものだってことがわかりました。もしかしたら、これが運命って奴なのかもしれませんね」
「うむ……時として、現実はドラマやゲームよりも変わった運命を紡ぐとは言うが……それにしてもこんな衝撃的なことが起きるとは、正直私も困惑しているよ」
伏し目がちに今日知った真実への感想を口にしたエドガーは、勇の様子を横目で探った。彼もまた娘のマリア同様に、自分のせいで何の前触れもなくこんな衝撃的な事実を知ってしまった勇のことが心配であった。
だが、勇はそんな二人の不安をよそに真剣な面持ちのままだ。やがて二人が勇と別れる場所に歩きついた時、勇は二人に背中を向けながら静かに呟く。
「……俺がやることは変わりません。皆と、皆の守りたい全てを守り抜く……そこに戦う理由が一つ増えただけですから」
そう告げた勇の背中を、二人はただ黙って見送る。夕日に照らされる勇の表情には、確かな覚悟と決意が宿っていたのであった。
「……なん、でだ……? どうしてだ……? なんで、彼なんだ……!?」
茫然とした表情で呟いた光牙は、そのまま目の前のラックの上にあった様々な物を腕で薙ぎ払った。陶器が割れ、床に物が落ちる音が響く中、真美は彼の暴走を止める為に後ろから光牙に組み付く。
「落ち着いて! 落ち着いてよ光牙! こんなことしたってなんの意味も無いわ!」
「何でだ!? 何で彼にばかり勇者としての資格が舞い降りる!? 力も、才能も、戦う宿命も……何故、俺では無く奴にばかり!?」
天空橋から告げられた真実に動揺していたのは光牙も同様だった。だが、これは勇たちの見せる同様とは少し意味が違う。親から託された運命の戦いと言う勇者が戦う理由に相応しい物が勇にあると言う事を知ってしまったが故の動揺であった。
「俺じゃ駄目なのか……!? 俺は、勇者になれないのか!? 世界を救う勇者になるのは、俺では無く奴なのか!?」
自分を抑える真美を払いのけた光牙は、そう叫びながら地面に崩れ落ちた。勇の持つ勇者としての才覚は自分の遥か上を行っている。そこに更にあんな運命的な事実が加わってしまえば、ドラマチックさも万端だ。
着々と勇者としての道を歩き始める勇は自分の先へと進んで行く……自分が進むべき道を先に往く勇に対して圧倒的な敗北感を感じる光牙は、ただ肩を震わせて咽び泣くばかりだ。
だが、そんな彼に寄り添った真美は、そっと彼の顔に触れて持ち上げると、その瞳を真正面から覗き込んだ。きらきらとした涙を浮かべる光牙の瞳を真っすぐに見ながら、真美は力強く言う。
「……大丈夫よ、光牙。あなたが勇者になれない訳が無い。あなたは勇者になるべき存在なの……! 誰がなんと言おうと、私があなたをそこに導いてあげる! 私が、あなたを勇者にしてあげる!」
「真、美……!」
「大丈夫よ……私は、いつでもあなたの味方だから……! 私こそが、あなたの全てを理解している存在……あなたを愛し、支える為の存在なの……!」
「う、う、う……うわぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
真美に抱きしめられた光牙は、彼女の胸の中で子供の様に泣きじゃくった。そんな彼の頭を撫でながら真美は不思議な満足感を感じる。
あの光牙を支えているのは自分なのだ。愛する人が自分を求めていると言う状況に恍惚とした表情を浮かべた真美は、形容しがたい感情を湛えた笑みを浮かべる。
絶対にこの幸せを手放すものか。何を利用しようとも、誰を使い捨てようとも、この地位は譲らない……邪魔者を排除してでも、光牙の一番近くに居られるこの場所から離れるつもりは無い。
彼の望みを叶える為なら、自分はどんな手段をも使おう、己の手も汚そう。自分は、絶対に光牙を勇者にするのだ。
「愛してるわ、光牙……! 必ずあなたを勇者にしてあげるからね……!」
薄暗い部屋の中でそう言いながら笑う真美の瞳には、どんよりと黒く濁った光が灯っていたのであった。