仮面ライダーディスティニー   作:茜丸

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風邪で更新が遅れて申し訳ないです。今回戦闘無しですが、色々と動き始めますよ!


忍び寄る影

光牙が『勝利の栄光』のカードを手に入れてから数日、新たな力を手に入れた事で自信が付いたのか、いままで以上に見事なリーダーシップを発揮する光牙を中心に虹彩学園の生徒たちはソサエティ攻略に取り組んでいた。

 

 レベル上げ、クエストの消化、情報収集……様々な仕事をこなしながら一歩ずつガグマとの戦いに備えていた生徒たちだったが、今日は学校にやって来たディーヴァたちの話を聞く為にそれを休んでいるようで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チャリティーコンサート?」

 

「うん! 薔薇園の生徒たちが企画から設営までやるコンサートだよ! 入場料は無料!」

 

「俺たちにそれを手伝って欲しいってことか?」

 

「流石勇っち! 話が早い!」

 

 手渡されたチラシを見た光牙と勇は詳しい情報を確認する。場所は薔薇園学園から少し離れた市民公園、日時は5月の最終日、正午からスタートらしい。

 

「……これ、エネミーの被害に遭った人たちに元気になって貰おうって皆で考えて実行することにしたんです。たくさんの人が傷ついて、悲しんでる中で、少しでもそれを癒せないかな、って思って」

 

「歌ってやっぱり元気になって貰う為に聞いて貰う方が良いじゃん? だから、不安に思っている人たちに元気を分け与えたい! って、そんな大層な事を言えるわけでも無いんだけどさぁ……」

 

「……良いんじゃねぇの? 俺は協力するぜ」

 

 やよいと葉月の言葉を聞いた勇は笑顔で協力することを告げた。そして、光牙の意見を聞く様に彼の方を見る。

 

「俺も賛成だ。俺たちの事を理解して貰う為にもこういうイベントは行うべきだと思う」

 

「それじゃあ、虹彩学園も全生徒で参加するって事にしましょうか」

 

「ああ、そうしよう」

 

 自身の発言を受けた真美に頷く光牙、こうして二学園の協力の元にチャリティーコンサートの開催が決まり、しばらくはそちらの方に注力することになったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ガグマ様、アレの解凍が終わりました」

 

「うむ、そうか」

 

 暗い部屋、魔王城の中で玉座に座るガグマに対してマリアンがが恭しく告げる。それに対して軽く頷いたガグマは、彼女に新たな指令を下した。

 

「早速アレの効果を試してこい。適当な人間を見繕ってな」

 

「はっ……」

 

 返答と共にマリアンが闇の中へ消える。ガグマはそれを見送った後で、何も無かったかの様にその場で座し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆! 人手は十分足りてるから、落ち着いて自分の仕事をこなして行こう!」

 

 市民公園で生徒たちに指示を出しながら自分も慌ただしく動く光牙は各ポジションを巡っては不具合が無いか確認して回っていた。

 重い機材を運ぶわけでは無いがあちこち動く為に休む間もないこの状況、溜め息をついた光牙がまた動き出そうとすると、その頬に冷たいものが触れた。

 

「わっ!?」

 

「ふふ……光牙さん、少し休憩してはどうですか?」

 

「ま、マリアか……」

 

 自分の頬にペットボトルの飲料水をくっつけたマリアは愉快そうに笑う。その笑顔を見た時に感じる胸のときめきを隠しながら、光牙は彼女からもらった飲み物を口に含んだ。

 

「……最近、余裕が出て来ましたね。新しいカードを手に入れた事がいいきっかけになったみたいですね」

 

「そうかな? でも、俺にだって不安はあるよ」

 

 あの日見た幻影、マリアを闇の中へ連れ去る勇の姿……光牙の脳裏には、その光景が消える事無く刻まれていた。

 あれは夢だったのだろうか? それにしてはリアルだ。まるで誰かが光牙に警告してくれた様な、そんな雰囲気を感じる。

 

「……マリア、君は龍堂くんをどう思う?」

 

「勇さんをですか? え、ええっと……とても頼りになる方だと思います」

 

 少し顔を赤らめながらマリアは勇をそう評する。多少胸がちりりと痛んだが、光牙はその話を聞き続けた。

 

「勇さんは私たちに無いものを持っています。光牙さんと勇さんが協力すれば、きっと世界を救えますよ!」

 

「……そうか、協力すれば、か」

 

 確かにそうだ、勇は強い。そして、自分には無い物を持っている。

 謙哉も葉月も勇が持つ輝きに惹かれて彼に付いて行っているのだろうと考えた光牙は、胸の中で何か不穏な考えを浮かべる。

 

 確かに勇は強い。彼ならばきっと勇者にもなれるだろう。そして同時に……魔王にもなれる。

 ガグマや大文字に認められるほどの力量と人を惹きつけるカリスマ性、彼がその気になれば一大勢力を築き上げるかもしれない。

 

 そうなった時、勇が正義の側に立つとは限らない。もしも、何かの間違いが起こって自分たちの敵となったなら、それは今まで出会った中で最も厄介な敵になるかもしれないのだ。

 

(あり得ない話……なのか?)

 

 そう言い切れない自分が居る。父との誓いを果たす為に戦う光牙と違い、勇は偶然力を手に入れただけの人間だ。それを悪用しないなんて保証は何処にも無い。

 

「光牙さん? どうかしましたか?」

 

「あ、いや、何でもないよ。そろそろ行かなくちゃ」

 

 マリアにそう告げると、光牙はその場を後にした。勇に対する不信感を払拭しなければ今後どうなるか分からない。

 今のうちに、彼と話しておこう……そう考えた光牙は勇の姿を探して公園内を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

「あー! おらどけこの筋肉ダルマ! 邪魔なんだよてめぇ!」

 

「んだとぉ!? って、どわぁっ!?」

 

 櫂を蹴り飛ばして空いたスペースに荷物を置く勇、ぶっ倒れた櫂には目もくれずに次の仕事に取り掛かる。

 

「いやー、汗を流して働くのは気分が良いなぁ!」

 

「て、てめぇ……覚えとけ、よ……」

 

 蹴り飛ばされて倒れた櫂の恨み節も聞き流して次の荷物を運ぼうとした勇だったが、不意に肩を叩かれて振り返った。

 

「おう、どうした光牙? なんか用か?」

 

「あ、あぁ……ちょっと、話があってね……」

 

 光牙は勇に対してなんと話を切り出すべきか頭を悩ませる。まさか、君がマリアをどこかに連れ去ってしまう幻を見ました。などと話すわけにはいかないだろう。そんなことをしたら間違いなく病院に行く事を勧められる。

 

「実は、その……マリアの事なんだけれども……」

 

 悩んだ末に無難な切り口から攻めようと思った光牙がそう切り出した直後だった。

 

「勇にいちゃ~~ん!」

 

「お、お前ら!」

 

 遠くから聞こえる子供たちの声、何事かと思ってそちら側を向けば、そこにはたくさんの子供たちが勇目がけて駆け寄って来ていた。

 

「兄ちゃん頑張ってる?」

 

「ディーヴァ来るんでしょ? すごーい!」

 

「あーあー、お前ら、そんなはしゃぐなって!」

 

 光牙は勇たちを囲む子供の中に見た事がある顔がいる事に気が付く。それが初めてディスティニーカードを買いに行ったあの日に出会った子供たちだと気が付いた光牙は、はっと息を飲んだ。

 

「ごめんね勇君、この子たちがどうしても来てみたいって言うからつい……」

 

「構わねぇよ、でも、あんまりはしゃぎすぎないように注意してやってくれ」

 

 引率役の職員と話した後で勇は光牙の元へとやって来る。そして、ばつが悪そうな表情で謝罪の言葉を口にした。

 

「わりぃな、うちのチビどもが迷惑かけた」

 

「い、いや! 迷惑だなんてそんな事無いさ!」

 

「あんがとよ、でも、ここは子供の遊び場じゃあねぇからなぁ……」

 

 口では迷惑そうにしながらも子供たちを見守る勇の目は優しげだった。その事に気が付いた光牙は勇に問いかける。

 

「……あの子たちが大切なんだね」

 

「……まぁな。全員、あの年で親無しのガキどもだ。俺もそうだったから気持ちはわかるんだよな」

 

 勇はそこまで言った所でふと何かに気が付いた様な表情になる。そして、真っ直ぐに光牙を見るとこう言った。

 

「光牙、俺はお前みたいに立派な戦う理由はねぇ。せいぜいあるとしたら、あいつらの未来を守ってやりたいって願いくらいのもんさ」

 

「あの子たちの未来?」

 

「ああ、あいつらは十分に寂しい思いもした、辛い事もあった。だから、これから先はあいつらが笑って過ごせる様にしてやりてぇんだ。その為ならどんな奴とだって戦う。それが俺の戦う理由さ」

 

「龍堂くん、君は……」

 

「ま、聞きっぱなしってのはわりぃからな。これでお相子だぜ」

 

 照れた様に笑う勇の顔を見た光牙は心の中で自分の事を恥じた。ここまで他者を思いやり、子供たちの為に戦う勇が自分たちの敵に回るなど到底あり得ない事であった。

 きっとあの光景は弱い自分の心が生み出した幻影……勇への嫉妬が見せた、ただの夢だったのだ。

 

「んで、何の話だっけ? 確かマリアがどうとか……」

 

「……マリアが向こうで飲み物を配ってる。龍堂くんも少し休憩してきたらどうだい?」

 

「おお、そうか。んじゃ、お言葉に甘えますかね」

 

 そう言ってマリアの元へ歩いて行く勇の背を見ながら光牙は思った。

 マリアの言う通りだ。自分と彼が協力すればきっと世界を救うことが出来る。父との約束を果たし、子供たちの未来を守る事が出来る……そう思った光牙は、休憩に入った勇に変わってこの場の仕事の手伝いを始めたのであった。 

 

 

 

 

 

 

「はわわわわ………!」

 

 そんな光牙と勇の様子を見ながら慌てる女子が一人。たまたま休憩に入って公園内を散歩していたやよいは、途切れ途切れに聞こえて来た二人の会話からある種の思い込みをしていた。

 

(こ、光牙さん、勇さんにマリアさんの事について話そうとしてた……こ、これって、もしかして……!?)

 

 光牙は最近仲の良い勇とマリアに対してやきもちを焼いていたのかもしれない。そして、その事を勇に言おうとした。今回は邪魔が入ったものの、次はどうなるか分からない。

 

 光牙がマリアに好意を抱いている……しかし、やよいが見る限りはマリアは勇に対して思いを寄せているのは確かだ。同時に自分の親友である葉月も勇に対して好意を隠す事をしていない。

 破天荒な転校生を中心に繰り広げられる恋物語、まるでドラマの様な展開に顔を赤くしたやよいは小さく叫んだ。

 

「し、四角関係だ……!」

 

「……何言ってるの、あなた?」

 

 そんなやよいに対して怪訝な顔を向ける真美、やよいは彼女の肩を掴むとガクガク揺らしながら涙目で訴えかける。

 

「四角関係だよ美又さん! チーム内でどろどろの恋愛模様が描かれちゃうよ!」

 

「あー、もう。落ち着きなさいよ……まぁ、こんな日が来るんじゃないかって思ってはいたんだけどね……」

 

「へ……?」

 

 どこか寂し気に呟いた真美の横顔を見つめるやよい。仕事をこなす光牙を映した目に涙が浮かんだのを見たやよいは、自分の思い描いていた図にもう一人の人物の名前を加えなければならない事に気が付いた。

 

(五角関係……だったんだ……)

 

 勇の事が好きなマリアが好きな光牙が好きな真美。こうやって表すとむしろ邪魔なのは葉月なのかもしれない。

 虹彩学園のチームの中で描かれている恋愛模様……それに加わるつもりが無く、黙って身を引こうとしている真美に対して何を言うべきか迷っていたやよいだが、それよりも早く真美が立ち直る。

 

「……さ、仕事の続きよ。あなたも十分休んだでしょう?」

 

「う、うん……」

 

 すたすたと先に歩いて行ってしまった真美の後ろ姿を見ながらやよいは思う。本当にそれで良いのか、と……

 自分は真美や葉月の様に人を好きになった事は無い。だから、そう簡単に諦めが付くのかどうかも分からない。

 

 でも、あんなに悲しそうな顔をするくらいならば自分の思いを隠す事などしなければ良いのに……そう思いながら、やよいは自分の仕事場へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……他の皆が一生懸命働いてるって言うのに、あなたってば暇なのね」

 

「いや、僕も決して暇してるって訳じゃ無いんだけど……」

 

 一方その頃、ステージ裏で休憩している玲に詰られた謙哉はため息をついていた。自分も会場の設営を手伝おうと思っていたのだが、何故だか誰もが「玲に付いてろ!」と言う為に彼女の傍でサポートをこなしていたのだ。

 それには気難しい玲に対して生贄を差し出すと言う意味があったのだが、当の本人はそんな事には全く気が付いていなかったのであった。

 

「えっと……水無月さんって、すごく歌が上手いんだね!」

 

「当然でしょ、プロだもの」

 

「……す、ステージ衣装も可愛くって良いね!」

 

「みょうちくりんなデザインの服を着て踊るアイドルが居る訳無いでしょう」

 

「あー、えっと、その……」

 

 会話、数秒で終了。自分と会話する気がまるでない玲と過ごす時間は気まずい雰囲気が続いている。もはやこの空気に耐えられなくなった謙哉は、立ち上がると飲み物を取りに駆け出して行った。

 

「………はぁ」

 

 謙哉が駆け出して行って数秒後、周りに誰もいない事を確かめた後で、玲は溜息をついた。

 それは上手く会話の受け答えが出来ない自分に対しての溜め息なのか、たはまたある種の情けなさを感じてのものなのかは分からないが、玲は頬杖を突くともう一度溜め息をつく。

 

(……私、なんでこんなことで悩んでるのかしら?)

 

 適当にあしらって、はい、お終い。それが玲の会話術であり、それで今まで過ごしてきた。しかし、なんともまぁ不思議な事にもう少しだけ会話を続けてみようと何故だか思い至った訳である。

 やよいと葉月との会話では上手く行った。薔薇園の生徒たちともそれなりに上手く話す事が出来た。しかし、謙哉と話す際にはいつもの冷たい態度になってしまうのである。

 

(やっぱり男だと駄目なのかしら?)

 

 思いつく理由はそれだ。女子相手ならば問題無いのだからそう考えるのも当然なのだろうが、正直玲はこれが理由では無い様な気がしていた。

 

 何と言うか、謙哉が特別なのだ。彼に対しては素直になれないし、つっけんどんに接してしまう。嫌いな相手だから仕方が無い。と、理由を付ける玲の頭の中で、前にやよいに言われた言葉が浮かぶ。

 

『本当に謙哉さんの事が嫌いなの?』

 

 その言葉を思い返すたびに何故か胸が痛くなる。何故だかわからないが、ずきずきと胸の奥の方が痛むのだ。

 こんな感情を植え付けたあの馬鹿はやはり嫌いだ。帰ってきたら一発ぶん殴ってやろう。そう考えた玲が顔を上げると、気になる物を見つけた。

 

「……はぁ」

 

 それは自分同様に溜め息をつく少女だった。小学生にもなっていないであろうその少女の悲しそうな顔が気になった玲は彼女から目を離せないでいた。

 しょんぼりとした様子で膝を抱えるその娘に近づく玲、隣に座り、驚きで見開かれた彼女の目を見ながら優しく話しかける。

 

「こんにちは、そんなに寂しそうな顔してどうかしたの?」

 

「………」

 

「……怖がらないで、私、水無月玲。TVで見たことある?」

 

「……ディーヴァのお姉ちゃん?」

 

 自分がアイドルだと言う事に気が付いた少女は玲に対する警戒を少し緩めた。彼女の心を解きほぐす様にして、玲は話を続ける。

 

「あなた、お名前はなんて言うの?」

 

「……悠子」

 

「そう、ゆうこちゃんって言うのね。今日はお友達と遊びに来たの?」

 

「……ううん」

 

「じゃあ、お父さんとお母さんと一緒?」

 

「……違う」

 

 そう答える悠子の目には涙が滲み始めていた。自分が鳴かせてしまった事に罪悪感を感じながら、玲は努めて冷静に話を続ける。

 

「……何か嫌な事でもあった? もし良ければ、お姉ちゃんに話してみて?」

 

「………」

 

「嫌な事は誰かに話すと楽になる物よ。だから、ね?」

 

「……うん」

 

 小さく呟いた悠子はぽつりぽつりと悩みを放し始める。玲は、黙って彼女の話を聞き続けた。

 

「……私のお父さんとお母さん、リコンするかもしれないんだって……リコン、って、離れ離れになる事でしょ? 私、お母さんたちと離れ離れになりたくない!」

 

「………」

 

「……お父さんとお母さん、家でもずっと喧嘩してる。私、喧嘩してる二人を見たくなくって、ずっとここに居るの」

 

「……辛い、わよね」

 

 そう言って目を伏せる。かつての自分と同じ様な状況に置かれたこの少女に対して、既視感にも似た感覚を覚える。

 不安で、辛くて、悲しい日々……この小さな少女は、まだ幼いと言うのにその恐怖と戦っているのだ。その辛さは、玲にも良く分かった。

 

「……お姉ちゃん。結婚、って好きな人同士がするんだよね? じゃあ、何でお父さんとお母さんは喧嘩するの? 何で好きになったのに、離れ離れになるの?」

 

 無垢な瞳を向けて玲に聞く少女、涙で一杯のその瞳を暫し見つめた後で、玲はその質問に答える。

 

「……人を好きになるのってね、とっても怖いのよ。大好きで堪らない人が自分の傍からいなくなるととっても寂しいし、大好きな人に傷つけられると……とっても痛いの」

 

 自分がそうだった。大好きな父が死んだ時、心が壊れる程に寂しかった。大好きな母に裏切られた時、体よりも心が痛かった。

 愛情は時に人を傷つける……幼くしてそれを学んだ玲は、以来人を愛する事は無かった。一人で生きていれば誰にも傷つけられない。心の内に踏み込まれて、深く傷つけられることが無いから……

 

 悠子にそう答えた時、玲は気付いた。そして、不思議と穏やかな気持ちで納得する。

 

(……そっか、私、怖いんだ。また、裏切られるのが)

 

 信じた人に裏切られるのが怖い。心の内側から傷つけられるのが怖い。だから、人を遠ざける。

 強がって孤高の女を気取った所で、その本質はただの臆病者なのだ。もう二度と傷つきたくないから、だから一人になろうとする。

 

 だから自分は素直になれない。自分を気にかけて、傍に居てくれる彼を遠ざけようとする。嫌いだと決めつけて、理解できないと拒否して……そうしないと、信じてしまうから。

 陽だまりの様な優しさが、自分が欲しがっている温もりが、玲の心を溶かさぬ様に距離を置かないと、嫌いだと言って拒否しないと、そうしないと自分は、きっと……

 

「……お姉ちゃんは、そうなの?」

 

 考えにふけっていた自分を現実へと引き戻す声、悠子は玲を見ながら質問を続ける。

 

「お姉ちゃんは好きな人に傷つけられたの?」

 

「…………」

 

 それに対して玲は何も答えない。頷きもせずにただじっと悠子を見つめ返す。

 その行為に何かを察したのか、幼い少女はその質問を変えた。

 

「……お姉ちゃんは、もう誰かを好きにはなれないの? 傷つけられたから、誰も好きになれなくなっちゃったの?」

 

 その通りだと声が聞こえた。

 それは違うと声が聞こえた。

 

 誰かに愛して欲しくて堪らなくて、でも、その一歩を踏み出すのが怖い。だから人を愛せないふりをする。

 それが自分だと、弱い自分だと言おうとして……玲は止めた。

 

「……わからないわ。私も、わからないの」

 

 代わりに出た嘘の言葉と自分の弱さを噛みしめる玲を、幼い瞳がじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、その、ごめん」

 

「……盗み聞き? ずいぶんと趣味が良いわね」

 

「そんなつもりは無かったんだ、でも、つい……」

 

 夕暮れ時、話を終えた悠子を見送った玲はずっと自分たちを見ていた謙哉に鋭い視線を向ける。彼なりに自分の事を気にかけてくれたのであろうと理解していながらも、玲はそうせざるを得なかった。

 

「あの子、悠子ちゃんって言ったっけ? 親御さんが仲良くなってくれると良いんだけど……」

 

「……さぁ、どうかしらね? どの道私たちに出来る事なんて何も無いわ」

 

「……本当にそう思うの?」

 

 謙哉の一言に玲が目を細める。少し迷った後で、謙哉は自分の意見を述べた。

 

「水無月さんもあの子の事が気になったんじゃないの? 本当は幸せになって欲しいって思ったんじゃないの?」

 

「……何の罪も無い女の子に不幸になって欲しいと思うほど嫌な性格はしてないわよ」

 

「またそうやって、冷たい言い方をして! 心配ならそう言えばいいじゃないか! 力になってあげても良いだろうに!」

 

「っっ……! あなた、本当にムカつくわね!」

 

 ザラりとした感覚に玲は苛立ちを覚える。謙哉の言った事が自分の本心を見事に当てている事がどうしても気に食わない。

 玲は謙哉に詰め寄ると鋭い目で彼を睨みつける。だが、謙哉は玲の胸の内の苛立ちと憎しみを込めたその視線に怯む事無く見つめ返してきていた。

 

「覚えておきなさい……あなたみたいなお人好しには分からないでしょうけど、自分の心に踏み込まれる事が怖い人間だっているのよ!」

 

「……それは、水無月さんの事?」

 

「っっっ!!!」

 

 パン、と乾いた音が鳴った。それが謙哉の頬を張った時の音だと気が付いたのは、しばらく後に彼の顔を叩いた自分の手が痛みを伝えて来た時だった。

 

「……ごめん、言い過ぎた」

 

「だったら最初から言うな!」

 

 荒い息のままに叫ぶと振り返って謙哉から離れる。やはり嫌いだ、こんな風に自分の心を搔き乱すこの男の事など……

 

「ちょっと待って」

 

「何よ!?」

 

 怒りの形相で振り返った玲の眼前に謙哉が何かを突き出す。それがペットボトルに入った飲料水だと気が付いた玲は、目の前のそれと謙哉の顔を交互に見比べていた。

 

「……水無月さんの分も貰って来たから、渡すよ。それだけ」

 

「……っ」

 

 乱暴にペットボトルを受け取ると速足でその場から離れる。遠く、誰の姿も無い場所に来た玲は近くのベンチに座ると気を落ち着かせる様にして飲み物を口にした。

 

(何なのよ……何なのよあいつは!?)

 

 憎しみ、苛立ち、怒りをぶつけようとも虚しくなるだけだ。謙哉の言っている事は正しい、自分はまた誰かに深く関わる事を恐れて距離を取ろうとしている。本当は悠子の力になってあげたい……しかし、誰かに近づくのが怖い。だから、何も出来ないでいるのだ。

 謙哉にその事を見透かされた様で無性に腹が立つ。玲は両手で顔を覆うと俯いて歯を食いしばる。その目には、涙が浮かんでいた。

 

 理解できない、底抜けに優しくて自分を苛立たせる彼の事が

 到底分からない、何故玲の事をそこまで気に掛けるのかが

 

 心を搔き乱され、幾度と無く苛立たされ、顔も見たくないと思った。

 だが、一緒に過ごす内に良い所が沢山ある事も知った。自分の弱い所も見られた。決して良い表情をしない自分の傍に居続けてくれた……

 

「なんなのよ……これ……」

 

 騒めく胸をぎゅっと掴みながら、玲は謙哉の事を考えてしまう自分に対して疑問を抱き続けていたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……悠子の親権は渡さないぞ! 俺の方が稼ぎもある!」

 

「今まで仕事であの子に構って無かったくせに今更父親面するつもり!? あの子は私が育てるわ!」

 

 夜、布団に潜り込んだ悠子は怒鳴る両親の声から耳を塞ごうと必死になっていた。しかし、どうあがいても聞こえてくる両親の声に耐えきれずに涙を零す。

 

「もう、やだ……もう、やだよぉ……っ!」

 

 大好きな両親が憎しみ合う姿など見たくない。何故、二人は仲良く出来ないのだろうか

 絶望と悲しみに暮れながら涙を流し続ける。もう、こんな日々は嫌だと思いながら……

 

「……可哀想に、その歳で愛ゆえに苦しむなんてね」

 

「え……?」

 

 嗚咽を続けていた彼女の耳に届く両親以外の声、驚いて顔をあげた彼女が見たのは、いつの間にか自分の目の前に立つ化け物の姿だった。

 

「だ、だれ……?」

 

「ふふふ……怖がらないで、あなたを救いに来たのよ……」

 

 そう言いながらその化け物『色欲のマリアン』は嗤う。そして、手の中にある小さな黒い球を割ると悠子の前で手を開いた。

 

「うっ……!?」

 

 開かれた掌の中から出て来た黒い煙を吸い込んだ悠子が呻くと共にベットに倒れ込む。その小さな体を搔きむしり、苦しみに耐える。

 

「うぅ……うぅぅ……!」

 

「……大丈夫よ。数日もすればあなたの苦しみは消えて無くなるわ……じゃあ、お大事に。あなたが覚醒したら、迎えに来るわね」

 

 それだけ言い残してマリアンは部屋から消えた。残るは苦しそうに呻く悠子の姿のみ。

 彼女が吸い込んだ黒い煙、その中に生きていた『何か』が、彼女の体を蝕み始めたのであった。  

 

 

 


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