RD
「判子は押した。確認頼む」
「ウツギ次はこっちだ」
「解った。春雨そっちは?」
「今半分ほど終わりましタ」
「うっちゃ~ん、時雨からお手紙だクマ~」
「適当に置いといてくれ。後で読む」
次から次へと......机の底が見えないぞ。これは今日中には終わらないな。夜中の一時に寝れればいいほうか。......砲弾飛び交う海で死にかけるよりはデスクワークのほうが数万倍マシだが。
戦艦水鬼......田中恵に関係する一連の騒動が終わって一ヶ月が経った第五横須賀鎮守府のある一日。深尾、ウツギ、春雨の三人が机を埋め尽くさんばかりの書類やPCの画面と睨み合いを続けて、はや半日。書類の数が多すぎて二人では追い付かないと判断した深尾が三人体制を提案したものの、それも焼け石に水といった様子だった。
そんな時、球磨に続いて部屋に入ってくる艦娘がある。その影を見た瞬間。ウツギと深尾は超特大の溜め息をつきそうになる。
「しれぇー!しれぇー!」
来たか。今日も。
「鳴き声」を聞いた二人が
「しれぇーってばー!ねー!おーい!きこえてないのー?ぅおーい!」
「時津風、提督は今職務中だ。後に......」
「トーフには聞いてないもん!」
「..................。」
誰が豆腐だここに来た理由を忘れてるのかこの愛玩犬め。目の前で堂々と自分に暴言を吐いてきた少女に、ウツギが口を固く結んで白い目を向ける。
作戦が完了して数日経った頃。期間が過ぎた時雨と、同じく「
その「願書」が叶って自分達の鎮守府に来ることになった艦娘の一人......現在ツユクサや
漣以上に問題児である時津風に、深尾が疲れた顔をしながら口を開く。
「時津風、頼むから後二時間は待ってくれ」
「えぇ~!?待てないぃ~!!」
昨日から寝ないで机に向かっている深尾が、冷却シートを貼った自分の額に手を当てて苦虫を噛み潰したような渋い顔をしている。
どうやってこいつを引き離そうか、とウツギが考えていると。今度は教育係の「あいつ」が入ってきて時津風を抱き抱える。
「時津風殿、提督殿は仕事中であります。私とあちらで遊びましょう」
「えぇー!?私はしれぇと遊びたいのー!!」
そそくさと部屋に入ってきて時津風の身柄を確保した白い肌に音楽隊姿の女......例の装甲空母姫と共に鎮守府に所属することになった深海棲艦のうち一人のル級に深尾が礼を言う。
「悪いなル級。頼む」
「ハッ!仰せのままに!!」
「も、もう少し肩の力を抜いても良いんだぞ?」
「いえ、私が自ら望んだ事であります!!お許しください!!」
前の時雨を彷彿とさせる、軍隊の訓練生のようなばかでかい声と固い態度で、ル級は深尾といまいち噛み合っていない言葉のドッジボールを終えるとそのまま時津風を抱っこして部屋を出ていった。
「............ふううぅぅぅ。」
「賑やかになりましたネ。ここモ」
「賑やかすぎて病気になりそうだよ」
球磨、ル級と時津風の三人が部屋を出て数秒としないうちに、はにかみ笑顔を浮かべながらの春雨の発言に疲れきった表情で深尾が返答する。と言うのも、部屋の中が三人に落ち着いても廊下が騒がしいのがすぐに解るほど扉越しに騒音が響いてくるのだ。
そんな上司の様子を見たウツギが、口角を吊り上げてニヤリとしながら彼に意地悪でこんな言葉を飛ばした。
「安全地帯で椅子に座ってるだけでそんなに疲れるか?」
「ぐっ!......ウツギ、流石にそれは心に刺さる」
「すまない」
「許す」
「うふフ.........♪」
「微笑ましいですネ」。二人の様子を見た春雨がそう溢す。再び二人が書類仕事に戻った時、ウツギの手が止まる。蛍光塗料の赤で染められたやけに自己主張の激しい封筒を見つけたのだ。封をきって中を見てみる。入っていたのは
「......?なんだこれは」
「あっそれっテ」
「知ってるのか」
「はイ。それハ」
「冬季北海道遠征の強制参加の命令でス」
「............。冬季北海道遠征......?」
疑問の感情を含んだ声でウツギはそう呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「もうそんな季節なんですネ。早いなァ」
「なんだそれは」
「着任一年未満の艦娘が招集されて行われる......一種のブートキャンプってやつでス」
北海道か。どんな場所なのだろう、と、旅行雑誌の写真でしか観たことがない土地の事を考えながら、もう一つの質問を書類を捌きながらウツギが春雨に投げ掛ける。
「目的やねらいは何なのだろうか」
「精神や体を鍛えるためらしいですヨ。寒い場所ならではのトラブルなんかを経験させて、戦場での柔軟な対応力を鍛えるため、とも聞いたことがありまス」
「...............」
書類に何かを書き込んでいく動作を止めて、率直な感想をウツギが言う。
「自画自賛になるかもしれない」
「......?何がですカ?」
「この半年間、散々な目にあってきたお陰で相当鍛えられた自信がある」
「それは......あはハ......」
夏に若葉に四回殺されかけた事に始まり、装甲空母姫を二回撃退。最近だって頭のネジの外れたマッドサイエンティスト気取りの女と命のやり取り.........。短期間でこんなに死にかけてよく生きているな自分は。
客観的に見ても中々酷い目に遭っているな、とウツギが自己分析をしていると、隣でブルーライトカットが入ったメガネをかけてPCと格闘していた深尾が声を掛けてくる。
「良いじゃないか。学ぶことが一通り身に付いてるなら思いきって観光気分で楽しんでしまえばいい」
「そんな自由時間なんて取れないだろう。遊びじゃないんだ」
「いえ、それが意外と楽しいんですよこレ」
「どういう事だ?」
「この訓練、というよりもこの食堂のご飯がすっごく美味しいんでス!」
「そうか」と言ってウツギが横を向いて少しひきつった顔になる。想像していた五割増しの笑顔だった春雨に驚いたのだ。北海道の飯は相当美味いらしい。
少し気になったウツギは封筒に入っていた紙の中身を少し読んでみる。
行かなければいけないのは自分に、漣、アザミ、ツユクサ、天龍、若葉......
「............!」
ふと、ウツギが椅子から立ち上がり、自分の後ろにあった本棚から一枚の紙切れを取り出して、それと遠征についての紙を交互に視る。
「.....................。」
「どうしたんですカ?」
「......ここを読んでくれ」
言われた通りに、春雨はウツギから渡された紙の記述の一部を朗読する。
「資源再利用艦・一番艦ウツギ、素体に使用された艦は駆逐艦・暁三番個体、軽巡洋艦・長良七番個体、重巡洋艦・青葉四番個体、軽空母・
「次はこっちだ。ここを」
「訓練教官、駆逐艦
春雨が召集令の紙とウツギから渡された紙を交互に見て確認する。そう、この任務で教官を勤めるらしいВерныйという艦娘は......
隣で話を聞いていた深尾が二人の間に入って言う。
「研究所に遺体を提出したやつか......Верныйってのは」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
遠征出発の当日の朝。ウツギは招集された面子で、艤装を入れたコンテナを背負って鎮守府が見える海の上に居た。
格好はいつもの作業着の上から春雨の警告で事前に用意した防水のウインドブレーカー上下、更にその上からこれも防水の紺色のベンチコートにネックウォーマーという完全防備である。
隣で似たような格好をしていたツユクサが口を開く。
「暑くないッスか?ウツギ」
「我慢しろ。経験者が言うには死ぬほど寒いらしいぞ」
「マぁジで?」
「そんなんでもないよん。ツッチー」
ピンク色のスキーウェアに身を包んだ漣が割り込んでそんな事を言ってくる。その発言にツユクサが気になって漣と話し出す。
「え、さっちゃん北海道行ったことあんの?」
「行ったことも何も道民ヨ!」
「マぁジで!?」
「マジよマジ大マジ」
「マジでぇ?道民とかマジはんぱねェッス!」
なんだその脳みそが足りてないようなやり取りは。そう思ったウツギ、アザミ、天龍の三人が、ただ騒ぎたいだけの若者のような会話をする二人を呆れた顔で見る。
そんな仲良し二人は無視して......どういうわけか日章旗を抱えていた天龍がウツギに話し掛ける。因みに若葉は大漁旗、ウツギは生地にでかでかと「海軍」と書かれた旗を持っている。
「あいつらはどーでもいーとして......これ何に使うんだ?」
「さあ?装甲空母姫に持って待ってろと言われてそれっきりだ」
「あいつが?」
「いい加減出発しないのか。じっとしているのは性に合わん」
「まだ待て。もうすぐ来るらしい......と。いったそばから来たな」
ボヤき始める若葉を他所にウツギが後ろを見ると、全身が真っ白な女が海上を走ってくるのが見えた。
数秒後。真っ白い女...装甲空母姫が六人の近くまでやって来て口を開いた。
「遅れた。では行こうか」
「自走するのか?」
「いや違う。旗は?」
三人が持っていた物を見せて天龍が発言する。
「この通り持ってるぜ。......えーと」
「RDだ」
装甲空母姫が自分の手の甲に入っていた「R.D.」の二文字を天龍に見せながらそう言い、自分のいった通り三人が旗を持っていることを確認する。
「持ってるならいい。艦娘、......少し離れていてくれ」
「......?おう」
女の言うことに従って六人が装甲空母姫......RDから五メートルほど距離をとる。その様子を見たRDは前に向き直り、その場に方膝をついて両手を組み、祈りでも捧げているような姿勢になる。
何をしているのだろうか。六人がそう思ったとき。
豪快に水飛沫を挙げて、海中から何かが出てきた。登場してきたモノに六人が少し驚いた表情になる。
「これって......戦艦水鬼の艤装!?」
「違う。これは私物だ」
何とも言いがたい形状の胴部に大きな口があり、両側から巨大な灰色の腕が生えている怪物を見た天龍の感想にRDがそれは違うと返答する。
今度はウツギが違う質問をRDに聞いてみる。
「こんなものがあって何であの時使わなかったんだ?」
「.........戦闘能力がこいつには無いんだ」
......何だと?聞き間違いだろうかと思ったウツギが続ける。
「......?艦載機が出せるんじゃ無いのか?」
「なんの話だ?」
......じゃああの時の戦闘機はたまたま近くに違う深海棲艦が居ただけだったのか。
味方の救援に向かった帰りに目の前の女と戦闘になったときのことを思い出しながら、「本当にこいつは装甲「空母」姫なのだろうか」とウツギが疑問に思う。
そんなことを思われているなど勿論知らず、RDが喋る。
「乗れ。艦娘」
「は?どこにッスか」
「解らないのか?ここだ」
RDが自分の呼び出した艤装の口にあたる部分を指差す。それを見た漣とツユクサが青い顔になった。
「食われろってこと!?」
「いいから早く入れ」
文句を言ってきた漣を、RDはいつかの深尾のような、流れるような動きで手際よく足を引っ掻けて転ばせると、そのまま怪物の口に彼女を放り込んだ。女の一連の動作と白い顔をしながら食べられた親友の姿を見たツユクサが絶叫したのは言うまでもない。
「さっちゃぁぁぁぁぁん!?」
『助けてぇ!!食べられ......アレ......?』
『すっげー!何ここ!?超広い!!快適!!』
「嘘だろオイ......」
.........また今回も退屈はしなさそうだな。ひと悶着あるのは退屈の三倍は嫌だが。
飲み込まれていった漣の声で一先ずは大丈夫だろうと踏んだウツギは、引きながらそう呟いた天龍を流して、自分から艤装に乗り込みながらそう思った。
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豊かな海産資源、一面の雪景色、肌を刺す寒さ。
どれを取っても新鮮な北海道という土地にシエラ隊が心をときめかせる。
そしてまたウツギは新たな「出会い」を経験することになる。
次回「氷付けの海」。 ここは、彼女の心が眠る場所。
と言うわけで六章に突入しました。
四、五と重い話が続いたので軽いお話を続けさせる予定です。