また、ここか。花の蜜の香り......。暖かい空気。基本的に静かだが、騒がしいほどでもなく時たま聞こえる小鳥のさえずり。何をとっても心が落ち着く不思議な場所だ。
任務完了後、流石に立て続けに過激な仕事を押し付けるのは悪いと思われたのか。シエラ隊は第五鎮守府に戻っていた。
目を覚ますと、ベッドの上ではなく、辺り一面がリンゴに似た香りを漂わせる白い花が咲いている草原であることを確認したウツギが、暁と出会ったあの場所だと理解する。
「また、会えた。調子はどう?」
「............良くはない」
背後から聞こえた少女の声に返答しながら、ウツギが立ち上がり体の向きを変える。予想通り、そこには暁が優しい笑顔を浮かべながら立っていた。
「良くない......か。そうよね。あんなものを見たから......」
「貴女も見ていたのか」
「うん。時雨ちゃんが口を押さえてた」
自分が見ている視界の情報は彼女と無意識に共有しているのだろうか。......あれを見れば嫌な気分にもなるか、と。考えながら、苦笑いとも、見方によれば無表情とも取れる微妙な顔で言う暁に向け、ウツギが口を開く。
「暁。前に言っていた。......とても辛いこととは何を指すんだ。多すぎて自分にはもうわからない......」
「...............」
ウツギの発言に、暁は帽子を目深にかぶり直し、目元を見えないようにして黙ってしまった。
ほんの数秒。だがどうもウツギには何時間にも感じられた沈黙の後で。暁が口を開いた。
「...島風ちゃん......のこと、かな。......アレはウツギちゃんじゃなくて......ツユクサちゃんにとっての「辛いこと」なのだから.........」
..............................。
「どうすればいい」
唐突にウツギが暁に投げ掛ける。
「えっ」
「どうやって私はツユクサを慰めたらいいんだろうか。教えてくれ暁。......精神的に傷ついた人間を励ますなんて、自分は人生経験が少なすぎてわからないんだ」
「そんなこと無いよ」
その一言に、ウツギが下を向いていた顔を上げる。すぐ目の前には、少しむっとしたしかめっ面の......不思議と何故か笑顔にも見える表情を浮かべる彼女がいた。
「シャキッとしなさい。前の意気込みはどうしたの?「修羅場は慣れてる」、ってただのカッコつけ?違うなら、きっと」
「きっと。できるよ。ツユクサちゃんを立ち直らせることは。」
「......ありがとう」
ウツギが苦笑いしながら続ける。
「......駄目だな。自分は。これから人を励まさなきゃいけないのに、逆に励まされるなんて。これじゃ本末転倒だ」
「......最後に聞いていい?」
「? 何を?」
「このお花の名前。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
これはまた。中途半端なところで目が覚めたな。......カモミールの花、か。花束の名脇役、花言葉は親交...仲直り...逆境に負けない強さ......。
「逆境に負けない強さ」......また面倒事の前触れか。
「......ずいぶん明確に予言する花が咲いてたんだな。」
ウツギが、目が覚めると自分の手に握られていたカモミールの花を見て、考えながら呟く。
身支度を整えいつもの作業着に着替えたウツギが部屋を出て、朝食を摂るために食堂へと続く廊下を歩いていく。今日もまた意味もなく晴れているな。そんな事を考えていると食堂の前に着く。
......ツユクサはどうしているだろうか。
あんな事があった手前、彼女のことを心配しながらウツギが部屋に入る。
「おはようございます。......提督だけか」
「ん、おはようウツギ」
「......どうしたんだ。顔色が悪いぞ。私みたいに」
「なんだその変な自虐は.........」
いつも通りならそれなりに賑やかなはずの食堂が、深尾という小男一人しか人間が居なかったことにほんの少しの違和感を抱きながら、ウツギは深尾の向かいの席に座り、彼が手に持ってヒラヒラさせていた書類の束を受け取って眺める。
「生体CPUシステムの所有権を譲渡する......佐世保が受け取りを拒否しただと?」
「あぁ。「今さらそんな物貰っても困る」だとさ」
「解らなくもないが......そうだな。確かに気味が悪いパーツには違いない、か......」
「恐ろしいハナシだよ......戦闘経験が豊富に蓄積された艦娘の脳を用いた生体コンピュータ......。中枢ユニットに使用される脳から発される電気信号を介して艤装をサブコンピューターよりも正確に駆動させる、超高性能艤装コントロールシステム......」
「.........!!提督、この書類ウソなんて載ってないよな」
深尾が口から垂れ流す説明を聞きながら、ウツギが書類に載っていたある記述に顔をしかめる。
「どうした?」
「こんな......こんなイカれたモノが地下施設から32個も見つかっただと......?」
「うん......そのお陰で、お前が前に居た研究所に送りつけてやろうと思ったんだがね。「いくら深尾の頼みでももういらない」と徹に返されたよ」
「......吐きそうになる話だな。戦艦棲姫サマはどうも人をオモチャにするのが好きなようで......どこに置いてあるんだ?」
「ん?艤装保管室......」
深尾の返答を聞いたウツギが、朝食を摂るためにこの場所に来たことなどすっかり忘れて、艤装保管室に向かおうと席を立つ。
「何を?」
「少し実物を見てくる。どうせツユクサもいるはずだ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「無理......ッスか」
「ゴメンね。規格が合ってないからちょっと......」
「何を話しているんだ?」
「あっ......ウツギ」
部屋に入ったとたん......正確には入る前にも既に聞こえていたが、何かを話していたツユクサと明石の間にウツギが割って入る。
聞くまでもなく十中八九、例のコンピュータの話だろうな、とウツギに大体の予測はついていたが。
「ウツギちゃん......ツユクサちゃんが、これを自分の艤装に取り付けれないか、って」
「......?わざわざ敵が作ったこれを、何で使おうと思ったんだ」
自分ならとても使おうだなんて思わないな、と思ったウツギが、口を結んで拳を握り珍しく真顔になっているツユクサに問う。
ウツギから見ると少し瞳が潤んでいるようにも見えたツユクサが、少しの間を置いてから喋りだした。
「しーちゃんをこんな風にしたアイツは勿論許せないッス」
「............」
「でも......何だかわからないッスけど「この子」と一緒なら、あのクソ女をぶっ飛ばせる気がするッス」
「それに......アタシは島風と一緒にあいつをやりたい」
「............。そうか」
鉄板張りの床に置かれた箱形の物言わぬ「彼女」を撫でながら言うツユクサの言葉を、じっとその場でウツギと明石が聞く。ウツギは明石に「規格が合わないから取り付けられない」ことについて突っ込んでみる。
「明石さん。取り付けられない理由を教えてくれないか」
「......ウツギちゃんは「艤装の加護」って知ってるよね?」
「勿論。艦娘を建造した妖精が艤装に施す処理......だったか」
「その通り。これがあるから艦娘は深海棲艦の攻撃にも耐えられるし、艤装さえ着ければ重いものとかだって持てるようにもなる」
「自分達は混ざりものだからか装備がパワーダウンするがな......」
「あはは......まぁそれは置いといて、これ実は欠点もあって......加護を施された艤装を装備した艦娘は艦種に応じた武装以外は......」
ウツギが説明を続ける明石に、この部分は知っていると言う代わりに説明の続きを言う。
「刀や槍みたいな単純な物は例外だが、銃や精密なギミックをもつ火気類は動作不良を起こしたり、極端な性能の低下を起こしてまともに使えないものになる」
「ご名答」と、明石を遮って言ったウツギの言葉に、説明を止められた本人が言って更に続ける。
「で、ここからなんだけどね。ウツギちゃんとかが使ってるスナイパーライフル......あれはちゃんと動くでしょう?」
「......そう言えば確かにそうだ。どうして?」
「まだブラックボックスが多い艤装のシステムだけど......何年も戦争するうちに解析が進んで出来た、特殊な電磁波を発振して加護とケンカしないようにする部品がついてるんだよ。ウツギちゃんのライフルやCPUにはね」
「......付いていない訳だ。島風には......」
「そう。だからこれを付けたら......CPU系統の部品は艤装をハッキングして動かしてるから、動作させた途端に動かなくなる何て事だって考えられるし......」
「一度バラして部品を組み込み直すのも難しいか......脳なんて言う精密機器が詰まっていたらな......」
問題は山積みか。ウツギがそう思って溜め息をついたとき。勢いよく、ウツギが入ってきたのとは違う扉を開けて誰かが入ってきた。
「盗み聞きしてすいませんでした。俺、やりますよ。規格の調整。ツユクサさんのためなら。」
「......田代...........?」
部屋に入ってきたのは、人相の悪い眼鏡の......ツユクサに恋をした男。田代だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
愛する者の願いのために。
寝食を惜しんで、田代は見たこともない精密機器の分解作業を行う。
そんな姿を見て。ウツギは
とある知り合いに協力を仰ぐ。
次回「流星の行き先」 やっと役に立てるんだ。この仕事、必ず成し遂げる。
というわけで52話(ネタを除けば49話)でした。
結構やりたかったお話でしたので書いてて楽しかったです。