Fate/EXTRA 汝、復讐の徒よ   作:キングフロスト

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 生存の為の搾取。

 繁栄の為の決断。

 その行為は野蛮ではあるが───

 否定する事も、また出来ない。

 ……死の淵でこそ、得るものもあるだろう。



 


幕間 『.dead end(overture)』
“死”との遭遇


 

 それは何の前触れもなく起きた。

 

 用事を済ませたものの、忘れ物を取りに一階から二階へと戻ってきた私は、

 

 ───突然、背筋が総毛立った。

 

 奇妙な悪寒。

 サーヴァントを呼ぶ間も、構える間もない。

 

 思考する余裕もなく、判断する事も許されず、気付いた時には圧倒的な力に引っ張られるように、前方に体が跳ね飛ばされる。前は壁───ぶつかる……!

 

 

 

 

 

 ………。

 

 壁への衝突に自然と身構えていた体は、しかし、それがいつまで経ってもやってこない事で、ゆっくりと緊張がほぐれていく。

 

「ここは……?」

 

 壁に衝突した感覚が無い代わりに、いつの間にか見覚えのない場所にいる。

 事態が急変しすぎて思考が追いつかないが、どうも別の場所へ転移させられたようだ。おそらくは不正規(イレギュラー)な手段で。

 

 全く見知らぬ空間……けれど既視感がある。二度の戦いで使ったあの闘技場───。

 細部(ディティール)は異なっているが、構造(システム)自体は似通っている。

 もしも闘技場であるなら、ここには敵が居るはずだ。

 

 ……そういえば、二階に上がった瞬間、廊下に何かが複数倒れるように転がっていたのを思い出す。いきなり跳ね飛ばされたから、視界の端に映った程度だったが、あれらは───、

 

「───!!」

 

 あれらが何であったのか。それを考える必要はなかった。周囲には、さっきの廊下と同じように転がっているそれらが───いや、()()()()()()()()()()()()()()()の体が、力無く死んだように横たわっていた。

 

 それに気付いた瞬間、意識が凍りついた。

 

 ……緊張で息が詰まる。

 

 そうだ。彼らが自然とこうなったはずがない。()()をやった犯人が、近くに居ても何らおかしくはないのだ。

 

 そこへと思い至り、私は自身の近くだけではなく周囲をもっと見回すと───居た。

 そこに立っていたのは、燃えるような衣装に身を包んだ鋭い目つきの偉丈夫。

 

 恐れで指が痺れる。

 怖れで歯がガチガチと音を鳴らす。

 畏れで体の震えが止まらない。

 

 殺意とはこれほど明確に、濃密に漏らす事が出来るものなのか。

 

 その男は“死”そのものだった。

 伝え聞いていただけの単語……暗殺者(アサシン)の名が脳裏によぎる。

 一瞬でも目を離せば、命を絶たれる──!

 

 何故、こんな事になってしまったのだろう。今日だけは、束の間の安息日であるはずだったというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は遡り、ダン・ブラックモアとの決戦から一夜が明けた、明くる日の昼下がり。

 昨日の疲れからか、私は昼まで眠っていたようで、ぐぅ、という自分の腹の虫の鳴き声で目を覚ました。

 

「……んみゅ」

 

 微睡みは少しずつ薄れ、代わりに仮初めの空腹感がむくむくと覚醒を始める。別に電脳世界だから食べなくても死なないが、気分の問題だ。

 食べて損はないのだし、ならば食事は摂るべきだろう。美味しいものはモチベーション向上にもつながってくるのだから。

 

「ずいぶんと遅いお目覚めだことで。私でも流石にもう起きてるわよ、寝坊助さん?」

 

 体を伸ばしていると、後ろからアヴェンジャーの声がした。つられて、そちらに視線を向けると、既に支度を整えていつでも外に出られる状態で、黒板に背を預けている彼女の姿が。

 だが、やはりいつもの姿よりも違和感がある。いや、違和感どころではなく、もはやそれは異常と言っても差し支えないだろう。

 

 左腕を失って、隻腕となってしまった復讐の魔女。今の姿が、私達にとって正常であるはずもなかった。

 

「あ……」

 

 思わず声が漏れる。

 アーチャーとの戦いによって、そして私の注意不足のために失われてしまった、アヴェンジャーの左腕。

 私のせいで、彼女に隻腕となる事を強いてしまった。

 申し訳なさと罪悪感。その両方が折り重なって、私の心に重責となってのしかかっていた。

 

「ハア……」

 

 そんな私を見かねてか、アヴェンジャーは分かりやすく溜め息を吐くと、ツカツカと小気味良い音を鳴らせて、こちらへと近寄ってくる。

 机の上でうなだれながら落ち込む私の目の前まで来ると、彼女は私の頭上で拳を構え、躊躇無くそれを下に落とした。

 

「イダッ!?」

 

 脳天に落とされた拳骨の衝撃が、背骨を通して体の隅々にまで響き渡るかのようだ。

 

「いつまでもへこんでんじゃないわよ。当の本人である私がアンタを責めてるでもないってのに、アンタがそんなんだとこっちまで気が滅入るじゃないの」

 

「で、でも……。私がもっと気を回していれば、そうはならずに済んだかもしれないって思うと……」

 

 後悔しても遅いのは重々承知している。けれど、悔やんでも悔やみきれないのが人間という生き物だ。

 あの時こうしていれば、ああしていれば───なんていう、もはや有り得ないifをつい求めてしまう。だって、そのifの先には現在(いま)のような状態には陥っていなかったという可能性が存在しているから。

 どんなに手を伸ばそうとも、決して掴む事の出来ない“もしも”の未来。そして可能性。

 それを自分のミスで逃してしまったかと思うと、余計に悔いが残るというもの。

 

「あのね、この際だから言っておくけど、アンタは何か勘違いをしていないかしら? 確かにアンタは私のマスターよ。アンタという存在があるからこそ、私はここに存在出来ている。けどね、マスターだからって私が受けた負傷の全責任をアンタが背負う必要はないの。この聖杯戦争の決戦は、サーヴァントとサーヴァントが殺し合うもの。この傷だって、アーチャーが私を狙って与えたのだし、そこにマスターの責任がどうこうと言われる筋合いもないわ」

 

 そう言って、自らの欠けた腕の痕を指でなぞるアヴェンジャー。

 彼女からしてみれば、その傷はサーヴァント同士の戦いの最中に負ったというだけのものでしかないのだ。

 敵の罠に掛かった。それによって腕を失う結果となった。

 ただそれだけの事なのだ。

 

 だから、私が気に病む事はない……と彼女は言いたいのだろう。なんとも遠回しな気遣いであることか。

 それでも私は、だからと言って落ち込むのを止められる訳ではないのだが……。

 

「…………ハア」

 

 結局、私がへこんだままであるのを見て、アヴェンジャーはさっきよりも深く溜め息を吐くと、拳骨の体勢からそのまま私の襟首を掴み、立てと促してくる。

 え、なに? まさか、これから校舎裏で絞められる感じ?

 陰気で見ていると腹が立つからとか、そんな不良(ヤンキー)じみた理由でボコられる流れなの!?

 

 私がワーギャーと抵抗していると、アヴェンジャーの苛立ちはついに頂点に達してしまったようで、

 

「ああもう!! 煩いバカマスター!! そんなにいつまでもウジウジしてるんなら、さっさと問題解決してやろうじゃないのよ!! ほら行くわよマスター! 早く来なさい! というか来い!」

 

 グイッと片手で持ち上げられた私は、親猫に咥えられて運ばれる子猫よろしく、宙に浮いて足が地面に付かないまま、マイルームから外へと連れ出されたのだった。

 

 

 

 

 

 

「最初は何事かと思って、少しびっくりしました」

 

 と、朗らかに微笑んでみせるのは、お馴染み保健室のAIであり私の後輩でもある間桐桜さん。後輩と言っても、予選で与えられた役割の時の話なのだが。

 

 もう分かっているとは思うが、アヴェンジャーに連れられて(というか強制連行されて)来た場所は保健室だった。

 何というか、最近は「困った事があれば保健室! または凛頼みに限る!」みたいな風潮が私の中で根付いてきているような気がする。

 今回はアヴェンジャーに連れられて来たが、この分だと彼女にもそういう認識が根付いてきているに違いない。

 

 そんな訳で、私は校舎裏でボコられるのではなく、マイルームから保健室までの短いようで長い距離を子猫スタイルで運搬されるという、むしろそれはそれでボコられるよりもかなりキツメの仕打ちを受けて、羞恥に悶えながらここに辿り着いたという訳なのである。

 

 途中、ラニとすれ違ったが、

 

『…………貴方には、そういった嗜好があるのですか?』

 

 と、真顔で聞かれ、余計に恥ずかしい思いをした。それを見ていたレオも、

 

『おや、人の趣味嗜好に口を出すつもりも無いのですが……流石に人前でそういったプレイは避けた方が賢明かと思いますよ』

 

 などと宣う始末。もう、穴があったら入りたい。昼時という事もあり、他にもたくさんのマスターに私のみっともない姿を見られてしまった。

 やはり、ボコられるよりもキツい仕打ちであると言えよう。

 

「恥ずかしすぎる……。何か、私の知名度が悪い方向で上がって行ってるような気がするのは、私の気のせい?」

 

 そんな私の嘆きに、桜はコンソールを操作しながら苦笑いを浮かべ、

 

「あの……お気の毒ですが、今セラフ運営掲示板を見たら、けっこうな数の書き込みが……」

 

「えっ」

 

 その言葉に、私は対面の桜の後ろへと回り込み、その書き込みとやらを見ると、そこには───

 

 

 

『きゃー!! さっきのアレなに!? 超可愛かったんですけどー!!』

 

『見た見た。親猫が子猫を咥えてるみたいなアレでしょ』

 

『画像保存した』

 

『マスターもだけど、サーヴァントも美人じゃね?』

 

『闘争と殺し合いが飛び交うこの聖杯戦争において、まさかあのような和やかな場面に遭遇するとは、些か想定外ではあったが…これもまたマスターとサーヴァントの在り方の一つなのだろう。マスター達よ、彼女のようにサーヴァントと絆を深め、そして存分に殺し合い給え』

 

『されるがままって感じ。恥ずかしそうにしてるのがなお善し』

 

『あの子ってこの前のマフラーの子じゃなかった?』

 

『ヤバい。敵なのにファンになりそうだわ俺』

 

『というかさり気なく言峰神父交ざってて草生えるwww』

 

 

 

「………、」

 

 泣けてきた。

 

「アハハ!! いい気味よ! 私を怒らせた罰なんだから、甘んじてこの辱めを享受なさいな?」

 

「ちょ、ちょっとアヴェンジャーさん!? そんな傷口に塩を塗るような事……」

 

 恥辱のあまり、たまらず涙を流す私を見て、元凶たる魔女が高らかに笑う。

 自分のマスターが笑い物にされているというのに、なんだってこんなに機嫌が良いんだこの鬼畜サーヴァント。

 桜の同情の目も、より私の心を抉ってくるし。もう踏んだり蹴ったりだ。

 

 この際、もうさっきの事は忘れ去ろう。綺麗さっぱり、何もかも水に流して、まっさらな私こんにちは。

 

 という事で、保健室に来た本来の目的について語ろうと思う。

 理由を聞かされずに連行された私だったが、椅子に座らされてアヴェンジャーと桜のやりとりを黙って見させられたところ、どうやら腕の修復のために訪れたのだそうだ。

 現在、アヴェンジャーは左腕が眩い光に包まれて、修復作業を受けていた。

 

「でも、本当に良かった……。アヴェンジャーの腕も何とかなりそうで。これで一安心だよ」

 

「フン。ここは電脳世界なのよ? 現実世界と違って死なない限りはある程度の修復が可能で当然でしょうに。だからマスターも悔やむ必要ないってのに……」

 

 呆れたように言いますけどね、あなた何の説明もしてくれなかったじゃないの!?

 ……と心の中で呟く。反論したところで、手痛いしっぺ返しが待っているだけだし。

 

「確かにアヴェンジャーさんの言葉は概ね正しいです。セラフとしても、サーヴァントには召喚の際にその英霊の最盛期として再現されたベストな状態を維持して、次の対戦に臨んでもらいたいですから。なので負傷、損壊部位があれば修復しますが……それでもあまり無茶はしないでくださいね? 霊基の損傷などは私でも修復は不可能ですから」

 

 桜でも無理、というのはすなわち、もはや回復は見込めない状態という事なのだろう。いくら桜が上位AIでも、彼女の権限では届かない箇所に、それが該当するに違いない。

 

「月の聖杯戦争だけですよ? 無償で、それも完全に破損した腕を再現するなんて。もしこれが地上の聖杯戦争だったなら、いくら何でも元の状態に戻すなんて無理だと思いますので。今後はこういった事のないように気をつけてくださいね?」

 

 再三の桜からの注意に、私は力強くうなずく。

 もう、あんな思いをするのは御免だし、嫌だ。アヴェンジャーに無理を強いているようで、見ているだけでも辛かった。

 

「……ま、善処するわよ」

 

 未だ修復が続くため、動けないアヴェンジャーは、私と目を合わさないようにそっぽを向いて、桜の言葉に小さく頷いて返すのだった。

 

 

 

 

 

 それから三十分程して、ようやくアヴェンジャーの左腕の修復が完了する。

 腕の調子を確かめるように、しばらく動かしていたが、どうやら何も問題は無いようだ。

 

「さて、これでマスターの心配事も解消しました。では、昼食でも買ってからマイルームに戻りましょうか」

 

 もう用は済んだとばかりに、桜に礼も言わずにアヴェンジャーはさっさと保健室から出て行ってしまう。

 無礼なサーヴァントで申し訳ないと、桜に謝罪と感謝を告げつつ、私もアヴェンジャーの後を追う。

 多分、さっきの言葉からして行き先は購買かな?

 

「……あ」

 

 階段前まで来た時、残りのPPTを確認しようとポケットに手を突っ込んで、ある事に気が付く。端末をマイルームに置き忘れてしまっているようだった。

 そういえば、起きてすぐにアヴェンジャーに連れ出されたので、端末を寝た時に出したままにしていたのを忘れていた。

 文句を言われるのも嫌だし、ササッと取りに戻ってから購買に向かおう。わざわざその事を告げる為だけに購買に行ったら、それこそアヴェンジャーにどやされかねない。

 

 階下に向けていた足を、二階の方へと方向転換すると、そのまま急いで上り始める。

 そういえば、今は昼時だというのに、上の方がやけに静かなのは何故───

 

 

 

 

 ───そして、刻は今に至る。

 

 目の前の男は、怯える私には目もくれず、周囲で倒れているマスター達をつまらなそうに見詰めては、溜め息を吐いていた。

 

 私は、その一句一音、動作の全てを見逃すまいと、気を張り詰めて男を観察する。

 隙を見せれば殺される───それが分かっているからこそ、警戒も怠らない。男が何をしてきても良いように、コードキャストを即座に発動出来るように、手に汗を握りながら待ち構える。

 だが、やはり男は気にも留める事なく、そして初めてその口を開いた。

 

「脆弱にも程がある。魔術師とはいえ、ここまで非力では木偶にも劣ろう」

 

 ──それは、この一帯に散らばるようにして倒れていたマスター達の事を指していた。

 

「鵜をくびり殺すのも飽きた。多少の手応えが欲しいところだが……」

 

 空気が凍てつく。男から溢れ出るように漂っていた殺意が、一転して私へと向けられるのが分かる。

 針で刺されるとか、そんなひ弱なものじゃない。まるで槍を心臓に突き立てられたかのような、鋭利で、剛健で、冷酷な感覚。

 このままいけば間違いなく、私は一分一秒と保たずして殺される。

 

 殺意は収束し、男は拳法の構えでも取るような戦闘態勢に入ると共に、私にその氷のように冷たく、はたまた炎のように熱い殺意の眼差しを向ける。

 

「さて──小娘、お主はどうかな?」

 

 ニヤリ、と男の口元が歪んだ次の瞬間には、男の体は私との距離を半分以上も詰めていた。

 

 動けば死ぬ。動かなくても死ぬ。

 逃げないと。でも逃げられる訳がない。

 戦え。いや、戦うべきではない。

 

 一瞬にも満たない、ほんの僅かな時間の中で、あらゆる思考が全身を駆け巡る。考える余裕などない。本能で体を動かさせるしかない。

 何をしたところで、私では彼に勝てないと脳が理解している。

 なら、私が今すべきなのは───。

 

 

 

 信じる事。

 

 

 

 男が迫ろうという一瞬、私はとっさにアヴェンジャーの事を思い浮かべていた。彼女の顔を、声を、性格を、その力を。全部まとめるとかなり抽象的にだが、それでも、私はアヴェンジャーを思い浮かべた。

 

 そして、思いは届く。

 

 

 

「させるか!!」

 

 

 

 男が私の目の前にまで迫ろうとしたその時、突如として横合いから割り込む影が。

 大きな旗を手に、炎を纏った復讐の魔女。

 私のサーヴァント───アヴェンジャー。

 

 アヴェンジャーは私を後ろへ押し出すと、男の拳を旗の柄で受け止める。続けて放たれる連続蹴りも同様に防ぎ、心臓を狙って打たれた掌底を、復活したばかりの左腕で阻止する。

 

「そら!!」

 

 その場で足を勢いよく踏みしめて、地面から噴出させた炎が男を襲うが、男は軽やかに次々と湧き上がる炎の柱を避けていく。無駄のない身のこなしは、まるで舞踏を演じているかの如く、鮮やかにさえ思えた。

 

 炎を全てかわし、こちらから距離を取った男は、感心したように、不敵な笑みを浮かべて、私とアヴェンジャーを交互に見る。

 

「ほう、少しは気骨のある者がおる。よく踏みとどまったな小娘」

 

 ……男の言葉の意味は考えなくても分かる。あそこで私が一歩でも動こうものなら、彼の軌道もそれに合わせてズレが生じ、アヴェンジャーが間に入っていてもどうなるか分からなかっただろう。

 最悪、私かアヴェンジャーのどちらかが、死んでいたという可能性もあった。

 

「久方振りに満足に打ち合える敵と会えた……というのに、これはちとつまらん展開よ」

 

 男が名残惜しそうに言ったと同時、周囲の空間に歪みが発生した。何が起きているのか、こちらが訳も分からずにいると、男はこれまた残念そうな口振りで続ける。

 

「時間切れとは興醒めだが、殺し切れぬのでは仕方がない。所詮、舞台裏ではこれが限度よ。……お主とは、またいずれ()りあう事になるかもしれんな。楽しみに待つとしよう。故に、くれぐれも負けるなよ小娘」

 

 それだけ言い残して、男はこちらに背を向けて颯爽と歩み去っていく。

 待て、と手を伸ばした時には既に遅く、まるで視界がぐにゃりと歪んだように、空間そのものが捻れた。

 

 

 

 

 

 

「────、は?」

 

 ──気がつくと、元居た場所に立っていた。

 しかし、安堵するのは早い。異常はまだ続いている。

 さっきまで倒れていたマスター達の姿は消え、校舎に変わりなくとも、廊下に漂うこの気配は───

 

 

 

「その実力で、どうやって逃げ延びた?」

 

 

 

 音もなく、数メートル先に、黒い服を着込んだ細身の男が現れた。

 顔にかかる長い髪の下、刺し貫くような視線をこちらに向けるその男……。

 私は、彼を知っている。

 

 予選の頃、藤村先生と同じく教師という役割に収まっていたはずの男。名は確か、『葛木』───。

 

「ただの雑魚かと思ったが。上級のサーヴァントを引き当てたか、それとも爪を隠した腕利きか──どちらにせよ、あの魔拳から生き延びたのだ」

 

 男の纏う気配が変わる。

 辺りに放たれていた強烈な殺気が、怜悧な刃物のように研ぎ澄まされて、一点に向けられる。

 さっきの男とはまた別種の、とても濃厚な殺意は、隠す事もなく私へと向いていた。

 

「ならば、ここで始末するに越した事はない」

 

 視線は私の首に向けられている。汗が、頬を伝って床に落ちる。男が静かに一歩踏み出した時───

 

「ふうん。やっぱり貴方がマスターを殺して回ってる、放課後の殺人鬼だったのね」

 

 向かいの教室から現れたのは、あの赤い服の少女──遠坂凛だった。

 

「……遠坂凛か」

 

 彼女の登場に、男は振り返る事なく、しかしピタリとその歩みが止まる。

 凛の方もまた、動こうとはせず、横目に彼を静かに見つめていた。

 

「あら、私の事はご存知なのね。さすが世界に誇る、ハーウェイ財団の情報網。それとも、ちょっとハデにやりすぎたかしら。ねえ? 叛乱分子対策の大本、ユリウス・ベルキスク・ハーウェイさん?」

 

 葛木──否。『ユリウス』と呼ばれた()()()()()男は、薄い唇を歪めて微かに笑う。

 

「……敵を(たす)けるとは、随分と気が多いな。この女を味方に引き入れるつもりか?」

 

「まさか。そいつは私の仕事とは無関係よ。殺したいなら勝手にしたら?」

 

「───テロ屋め。その隙に後ろから刺されるのでは堪らんな」

 

 唇の端に皮肉な笑みを浮かべたまま、男はゆっくりと、廊下の壁に向かって歩を進めた。

 ふと振り返り、その凍てつく視線が、こちらに向けられる。

 

「確か──岸波、と言ったな。……覚えておこう」

 

 殺意の篭もった瞳をこの身に据えたまま、男は壁に溶け込むように消えていった。

 

 それと同時に、殺意が消え、ドッと緊張の糸がほぐれてバラバラになっていく。

 さっきの襲撃もだが、今の一連の出来事でもう精神的にかなり疲れが来ているように思える。まだ昼間だというのに、何という災難であろうか。今日は厄日に違いない。

 

「行った、わね。管理者(システム)側のキャラクタープロフィールをハッキングして好き放題やってた、か。この手の反則(ルールブレイク)を平気でやってくるとなると、校内でも気を抜いてられないわね」

 

 男の気配が消えたと分かると、凛は独り言のように呟いて、こちらを振り返った。

 その視線は冷たく、さっきまで男に向けられていたものと変わらなかった。

 

「……なによ、その目は。もしかして本当に助けに来たとでも? 別に、私はただハーウェイの殺し屋に挨拶したかっただけ。結果的に助けたみたいな形にはなったけど、あなたも私にとってはただの敵。どこで死のうと知った事じゃないし」

 

 屋上で相談に乗ってくれる彼女とは、全く異なる側面。お人好しの彼女も、そしてこの敵に冷酷なまでに非情な彼女も、どちらも彼女が持つ側面の一つに過ぎないという事なのだろう。

 

 が、それとは別として、凛はバツの悪そうな顔をして、小さな声で続ける。

 

「……ま、二回戦を勝ち抜いたのは意外だったけど。ちょっと見直したわ。あなたとは、ほら、ヘンなトラブルとかあったじゃない? だから、なんていうか───って、なに言ってんだろ私」

 

 途中で、自分で言っていて頭を抱え出す凛。なんだろう……面白い、この人。

 

「それじゃあね。せっかく拾った命、次の第三回戦まで無くさないよう、気をつけなさい」

 

 少女は最後に小さく笑うと、足早にその場を立ち去った。

 

 瞬く間に過ぎ去っていった出来事の数々。何がなんだか分からないばかりか、命の危険さえもあった。

 これから先の聖杯戦争──その行く末に、一抹の不安を抱かせるには、十分過ぎるくらいには、私に衝撃を残していったのだった。

 

『嫌な予感がしたから来てみれば、まさかあの英霊までこの聖杯戦争に参加しているとはね。……マスター、あの男とそのサーヴァント……、対戦カードが当たらない事を願いましょう』

 

 と、霊体化したままのアヴェンジャーが、彼女にしては珍しく弱気な発言をしてくる。一体どうしたのだろうか。

 

『マスターも危険ですが、あのサーヴァントはもっと危険です。今のままだと最悪、少しもダメージを与えられないまま、私達は負けるでしょう』

 

 あの負けず嫌いのアヴェンジャーをして、確実に負けると言わせるサーヴァント。その実力は、多くのマスターを屠っているという時点で察しがつく。

 なるほど確かに、このままの私達では勝てる見込みもない、か。

 

「ユリウス……そしてハーウェイ、か」

 

 葛木という名は偽りのものだった。彼の正体は、レオと同じく、西欧財閥に連なる者の一人。レオ本人とはどのような関係かは分からないが、十中八九身内同士なのは間違いないだろう。

 

 今日は安息日だったはずなのに、まさか死と隣り合わせになるだけではなく、新たな悩みの種が増えようとは……。

 気分も足取りも悪く、私達はマイルームに置き忘れた端末を持って、購買へと向かうのだった。

 

 




 
三章かと思った?
でも残念! 幕間でした!

でも次回からこそは本当に三章の開幕なのです。
アヴェンジャーと縁のあるサーヴァント(と言っても本人の縁ではありませんが)に、彼女がどう立ち向かっていくのかをお楽しみに!

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