Fate/EXTRA 汝、復讐の徒よ   作:キングフロスト

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そうして私は打ちひしがれる

 

 白衣の少女は、私が立っている事にすぐに気が付いた。入ってきていきなり私が起きていた事に驚いた素振りすら見せずに、少女は淡々と事実と感想を述べる。まるで機械であるかのように───。

 

「あ、岸波さん目が覚めたんですか? 心配していましたので、起きてくださって良かったです。体の方は異常ありませんから、もうベッドから出ても大丈夫ですよ」

 

 いや、既にベッドから出ているんだけど。

 しかし、少女はそんな私の言葉を聞いておらず、変わらずの口調で続けた。

 

「あ、一応自己紹介しますね。私は聖杯戦争におけるマスターの皆さんの健康を管理するAIで、間桐桜と言います。それと、セラフに入られた時に預からせていただいた記憶(メモリー)は返却させていただきましたので、ご安心を」

 

「メモリーを返却……?」

 

「聖杯を求める魔術師は門をくぐる時に記憶を消され、一生徒として日常を送ります。そんな仮初の日常から自我を呼び起こし、自分を取り戻した者のみがマスターとして本戦に参加する───以上が予選のルートでした。貴方も名前と過去を取り戻しましたので、確認しておいてくださいね」

 

 ……むむむ? おかしい。その話は本来なら眉唾ものだが、これが現実である以上、ここでは当然の事なのであろう。

 しかし、私は名前こそはっきりと口に出来るが、記憶が全く思い出せない。

 学園にいた頃は、みな普通の生徒だったと思い込まされていた、というのは分かった。しかし自分は、未だ以前の記憶が思い出せない───!

 

 素直にその事を伝えると、先程までは機械のように伝達していた少女もさすがに、不可思議なものを見たような顔をして、きょとんとしていた。

 

「え、記憶の返却に不備がある、ですか……? それは……わたしには何とも。どうにかして差し上げたいところではありますが、間桐桜(わたし)は運営用に作られた健康管理AIであって、参戦するマスターの体調くらいしか手が出せないんです」

 

 抗議の声は、彼女の残念そうな、申し訳なさそうな言葉で断ち切られた。どうにも、この聖杯戦争とやらはルールもそうだが、運営側にも色々と複雑な要素が絡み合っているらしい。

 

「あ、そうでした。これ、渡しておきますね」

 

 と言って彼女は白衣のポケットから何やら取り出すと、丁寧にも両手でそれを差し出してくる。

 丁寧には丁寧で返す。それが私なりの礼儀だったので、私も両手で差し出されたそれを受け取った。

 

「……携帯端末?」

 

 受け取ったブツを確認してみれば、薄く平べったい、何かの携帯端末のようだった。とりあえず連絡用の物みたいだが、別の用途もあるのかもしれない。

 

「本戦の参加者は表示されるメッセージに注意するように、との事です。それと簡単に使い方の説明もしておきますね」

 

 そう言って、彼女──間桐桜は、私の隣に並び立つと、一緒になって端末の画面を見始めた。いくら女の子どうしだからって、こんなに間近に顔があるのはけっこう恥ずかしい。というか照れる。

 

「それではまず、画面をタッチしましょう」

 

 言われた通りに、真っ黒な画面に指を触れると、画面からボウッと青色の光が放たれる。どうやら端末が起動したようだ。

 

「項目としては、ステータス、岸波さんのサーヴァントの現在の霊基の確認が出来るところですね。そして次がマトリクス、対戦相手に関する情報などを閲覧出来ます。次は装備ですね。岸波さんが取得した『礼装』を装備、または変更出来ます。そしてアイテム。これは単純ですね。所持しているアイテムが確認出来ますよ。……これくらいかな?」

 

 懇切丁寧に、一つ一つ指差して教えてくれる間桐桜。あのサーヴァントと比べれば、天地程の差である。ああ、こんな優しい子がサーヴァントだったら良かったのに……。

 

「……岸波さん、口に出てますよ」

 

 ハッとしてチラリと横に目をやると、間近で恥ずかしそうに頬を紅く染める桜が。私は気恥ずかしさで思わず顔を背けてしまう。

 ああ……地の文か会話文なのか、はっきりとしないこの語り口調はどうにかならないのだろうか……。

 

 だが、それが私の、『岸波白野』のアイデンティティ。決して我が道を曲げる気などない!

 

「馬鹿馬鹿しい宣言などする前に、アンタにはする事があるでしょう!」

 

「うひゃあ!?」

 

 と、突然のアヴェンジャーの乱入に、私は情けない叫び声を上げながら飛び上がった。

 何気に、今まで罵倒や見下し発言はあれども、『貴方』とまだ敬称は残っていた。しかし、とうとうアヴェンジャーは私を『アンタ』呼ばわりしてきた。親しき仲にも礼節は大切だ。

 いやまあ、アヴェンジャーとは知り合ってまだ間もないなんてレベルじゃないけど。それでも、いくらなんでもマスターを『アンタ』呼ばわりとは……。

 

「不服そうな顔ね。だいたい、アンタが悪いんじゃない。聖杯戦争は命懸けの殺し合いなのよ? 馬鹿げた事を抜かす暇があったら、闘いに向けての心構えでも叫びなさいこのヒヨコマスター!」

 

「ぐぬぬ……」

 

 アヴェンジャーが正論すぎて、反論すら出来ません。やだ、私のサーヴァント……論破すぎ……。

 

「あ、あの! とりあえず次は言峰神父に会えば良いかと……。あの人は聖杯戦争を運営するAI、NPCにおける総監督者みたいなものですから。詳しい話も聞けると思います」

 

 おどおどと、私とアヴェンジャーの一方的なやりとり(アヴェンジャーから私への一方通行)を仲裁するべく、桜は私が次に取るべき行動を示してくれた。

 それにより、アヴェンジャーもひとまず納得し───舌打ち混じりではあったが、再びその場から姿を消す。やはり天使か、桜……。

 

「もう……また声に出てます」

 

「あ、ごめんなさい……」

 

 ここは素直に謝った。

 ともかく、せっかくの情報だ。早速その言峰神父とやらに会いに行こう。神父という単語に、どこか嫌な予感がしないでもないが。具体的には、癪に障る見えない天の声的な。

 

 桜に礼と謝罪を告げると、私は保健室を出ようと扉へと向かう。そんな私の背に、まだ掛けられる声があった。

 それはやはり、桜からのもので、少しためらった感じだったが、恐る恐るといったように、私へと質問をしてくる。

 

「あの、岸波さんは……この保健室に、何か思うところがあったりしませんか?」

 

 質問の意図がよく分からない。保健室自体は、偽りの学園生活でも何度かお世話になったような気はするが……。しかし、特別何か思い入る事は無いはずだ。

 その旨を彼女に伝えると、少し思案顔をし、

 

「そう、ですか。いいえ、なんでもありません。忘れてくれて構いませんから。どうぞ、行ってらっしゃい」

 

 どことなく、儚げな笑みを浮かべながら、彼女は小さく手を振った。

 

「行ってきます」

 

 それだけ告げて、私はやっと保健室を後にした。桜は何を言いたかったのか。少しの疑問を胸に仕舞って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下に出ると、私以外にも学生服を着た生徒らしき者の姿がちらほらと視界に入る。

 否。彼らはアヴェンジャーの言葉や、あの『最後の間』の言葉を借りるなら、“聖杯戦争予選を突破した者達”だ。決して、ただの生徒である筈がない。

 

 なんとなく、近くにいた女子生徒に声を掛けて、それが真実であると思い知らされる。

 

「あら、予選が終わっていきなり保健室に担ぎ込まれたマスターね? 確か貴方が最後のマスターだとか。ま、お互いがんばりましょ。対戦相手だったら容赦しないけど」

 

「お、お手柔らかに……」

 

「でも、ついに聖杯戦争も本戦…。予選で記憶を封じられたのに、良く突破出来たと自分でも思うわ」

 

 それは私だって言いたい。そも、私は未だ魔術師という自覚すら無いのだから。これでよく、あの場を切り抜けられたものだ。ひとえに、アヴェンジャーのおかげと言えるだろう。

 

 

 保健室は一階の端にある。今の女子生徒との話は保健室の隣の職員室前だった。そこを過ぎれば、正面玄関と階段前に出る。

 まずは早速、情報収集を始めよう。一階は見渡した限りでは、神父らしき人影はありそうにない。片っ端から近くに居る者達に話を聞いてみるか。

 

 

「これが本戦か…。予選とは空気も違うんだな。さっき屋上で空を見てきたけど、明らかに別物だったよ。お前も行ってみたら?」

 

 

「保健室で言っていた、言峰とか言う人…今はいないみたいね。ちょっと校舎を探索してみようかしら」

 

 

「いろんな電脳にダイブしてきたけど、ここまでリアルな作りは初めてだ。流石はセラフ、と言うところだね。願いが叶うなんて信じてなかったけど、これを見ると信じちゃうよな……」

 

 

「そういえば、予選の頃から噂にあった、神父一押しマーボー…。実際そんなメニューなかったんだよな…。学園の敷地内に教会が無かったら、神父の推薦したものなんて完全にオカルトだったろうに」

 

 

「身体を鍛える事こそ、勝利への近道。この世界でも、走り込みは欠かさないんだから! キミもどう? 気持ちいい汗、気持ちいい勝利! 青春って感じでしょ!」

 

 

「まさハーウェイからあの子が来るとは…。これは、奴らも相当本気みたいね。あら、知らないの? レオナルドはハーウェイの次期当主よ。あの若さで選ばれるぐらいだから、相当出来もいいんでしょうね」

 

 

 

 ──一階で得られる情報はこれくらいか。そろそろ二階に行こう。地下に食堂と売店もあるにはあるが、まさか神父が食事中という事もあるまい。

 

 階段を上がり、二階へとやってくる。予選で自分のクラスがあった階だ。他の階よりはまだ馴染み深いと言えるだろう。

 

「おお、お前も突破出来たのか。良きかな、良きかな!」

 

 二階に来た瞬間、私の知っている男の声が掛けられる。黒い制服に、鋭い目つきを眼鏡で覆うその男子生徒……生徒会長の柳洞一成だ。彼がここにいるという事は、彼もまた、聖杯戦争の参加者だった……?

 

「む? いや、それは違う。我々生徒会は聖杯戦争の運営委員会でもある。つまり黒い学生服を着ている者は全員、お前達のように一般の学生服を着ている者とは違い、セラフが用意したAI、またはNPCだ」

 

 ……!

 桜の時も思ったが、要は彼らは人間ではないという事だ。普通の人間のように受け答えや会話が成立していたので、本物と話していると錯覚させられてしまう。

 

「岸波は情報収集の最中か? それもいいが、本戦の校舎は全部回ってみたか? 屋上からの眺めはなかなかのものだぞ!」

 

 屋上、か。情報収集がてら、行ってみるとしよう。

 一成に別れを告げて、私は二階でも手当たり次第に声を掛けてみる。ここは図書室もあるので、少しは有益な情報が手には入るかもしれない。

 

 

「ふーむ…。予選とは同じようで別物だな。よりセキュリティが増している気がする…」

 

 

「システム系のNPCが黒い服、生徒会のキャラクターらしいわ。何か分からない事があれば、彼らに聞いてみる事ね」

 

 

「む…、キミもマスターか。近寄るな、話す事など無い」

 

 

「おかしいなぁ…。教室に入れないんだよね…。少しブラブラしてるしかないのかな」

 

 

「これでも故郷では名の知れた霊子ハッカーだったんだ。しかし、まさか……あの遠坂が参加してるとはな。大したものだよ、この聖杯戦争って奴は」

 

 

 ふう……だいたいこんなところか。途中、自分のクラスだった教室の扉を開けようしてみたが、本当にピクリともしなかった。あの女子生徒の話は本当のようだ。

 図書室にも寄ってみたが、全く人がいなかったのは予想外だった。仕方なく、適当に本棚から見て回る事にしたが、これといった収穫がない。

 しかし、音楽関連の棚には何者かによる自著らしき本が、他の本を押しのけて、それだけが取り出しやすそうに無理やり突っ込まれていた。

 

 タイトルは、『デミドラ系アイドル始めました』。とある少女がアイドルとして色んな困難を乗り越えて、アイドルとして大成していくという内容のようだ。

 なんというか、お腹いっぱいな気分です……。

 

 二階での情報収集を終え、今度は三階へ。しかし、三階は人がほとんど居らず、しかも一般生徒らしき姿ですらない。あれらもNPCなのか?

 などと、疑問に思っていると、私の視線に気付いたのか、三年生の教室前廊下に居た幼女らしき者が、私の方へとやってくる。

 

「お姉ちゃんもマスターなの?」

 

 砂糖菓子のような、ふわふわした印象を受けるその容姿と衣服に、私は自然とはにかみ、柔らかな物腰で回答する。

 

「うん、そうみたい。あなたは?」

 

「ありすもマスターよ。また今度遊びましょうね?」

 

 それだけ言って、少女は私が来た階段を駆けて降りていった。まさか、あの幼女もマスターだとは……。しかし何故、制服を着ていないのか。

 

 私は同様に、幼女が居た反対側の廊下。視聴覚室前の廊下で窓の外を眺める少女の事も疑問に感じた。彼女もまた、私のような月海原学園の制服ではなかったのだ。

 ただ、彼女は私が話しかけても上の空のように、ただただ窓から空を眺めるのみ。会話すら成立しないのでは、どうしようもない。

 私は諦めて階段前に戻る。もう三階で得られるものは無さそうだし、一成の言っていた屋上に行ってみるとしよう。

 

 

 屋上に来ると、なるほど、一成の言っていた事は間違いではなかったらしい。校舎周辺は数字の羅列する円形のドームに覆われており、その外側はまるで水中に居るかのような、壮大かつ幻想的な風景が果てしなく広がっていた。それこそ、海中遊泳でもしているかのような気分にすらなってくる。

 

「……一通り調べてみたけど、おおまかな作りはどこも、予選の学校とたいして変わらないのね」

 

 と、不意に女性の声がどこからか聞こえてくる。不思議に思い、声を辿ってみれば、屋上の少し突き出た部分で、壁や床をぺたぺたと触って、何やら呟いている美少女。

 あれは……直接の面識はないけれど、あの真っ赤な服に黒髪ツイン。きっと『遠坂凛』だろう。

 予選の時から噂に聞いた、容姿端麗、成績優秀な月海原学園のアイドル。同じクラスだった“慎二”からもずいぶん愚痴を吹き込まれた。

 ただ、そうした評判は、あの平和な学校にいた頃に与えられたもの。今は修正する必要があるだろう。

 彼女の瞳に宿る強い意志の光は、偶像(アイドル)などという淡いイメージの存在ではありえない。

 

 聖杯戦争───訳も分からないまま巻き込まれたとは言え、ここはもう闘いの場……なのだ。彼女が纏う空気が、それを如実に示している。

 ……そう。実感は涌かないが、目に映る人間は全て、殺し、殺される関係に過ぎない。そんな事実を、嫌でも気付かされてしまう。

 

「……あれ? ちょっと、そこのあなた」

 

 と、私の存在に気付いた彼女。彼女の目が、こちらを見てふっと和らぐ。柔らかな笑みを浮かべる彼女に、私は自分を指差し、確認する。まあ、屋上(ここ)には私と彼女以外は居ないのだけど。

 

「そう、あなたよ。……そういえば、キャラの方は、まだチェックしてなかったわよね。うん、ちょうどいいわ。ちょっとそこ動かないでね」

 

 不意に伸ばされた彼女の指先が頬に触れる。それは、細く、柔く。

 戦場に相応しい、強い眼差しの持ち主が、まだあどけなさの残る少女である事を、何よりもはっきりと伝えてくる。

 

「へえ、温かいんだ。生意気にも。……あれ? おかしいわね、顔が赤くなっているような気がするけれど……」

 

 少女の顔が鼻先三センチまでぐっと近づく。先程の桜は真横ではあったが、その時とは状況が違う。その距離に、心臓がどきりと鳴る。

 頬にかかる息は微かに温かく、風に流れる長い髪が首筋をかすめた。

 無遠慮に肩やお腹をぺたぺたと触る仕草は、さっきまでの鋭い眼差しの持ち主と同じと思えない程に幼い。

 拒む事も出来ずに(成り行きで仕方なく)、棒立ちのまま(反応し辛いし)、彼女の白い指先を見つめていた(実は少し気持ち良かったり……?)。

 

「なるほどね。思ったより作りがいいんだ。見かけだけじゃなく感触もリアルなんて。人間以上、褒めるべきなのかしら」

 

 言うや、くるりと反転した彼女は、虚空に向かって話しかける。

 

「……ちょっと、なに笑ってんのよ。NPCだってデータを調べておいた方が、今後何かの役に……」

 

 端から見れば、何もない所に話しかける頭のアレな少女に見えなくもないが、ここは聖杯戦争、その本戦の地。おそらく姿は見えないが、彼女のサーヴァントがそこに居るのだろう。

 

 と、またもくるりと反転し、再び私に向き直る彼女。その顔には、呆然とでも言うべき驚愕を引っさげて。

 

「……え? 彼女もマスター? ウソ……だ、だってマスターならもっと……。キャー!!? ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあ、いま調査で体をベタベタ触ってたわたしって一体───」

 

 少し、ヘンタイチックでした……。などと口にする訳にもいかず、私は黙って彼女から顔を少し背ける。

 少女はと言えば、つい先程の行動を思い出したのか、顔を真っ赤にしてしまった。こちらも改めて顔が熱くなる。

 

「くっ、なんて恥ずかしい……。うるさい、わたしだって失敗ぐらいするってーの! 痴女とか言うなっ! 職業病みたいなものよ。これだけキャラの作り(モデル)が精密な仮想世界も無いんだから、調べなくてなにがハッカーだっての」

 

 後半のセリフは、おそらく彼女のサーヴァントが余計な茶々でも入れたのだろう。

 

『痴女、ですか……。なら、貴方も痴女かしらね? 全身くまなくベタベタ触られて悦ぶマスターだものね?』

 

「わ、私()痴女じゃないし!!?」

 

 私も彼女同様、姿の見えないサーヴァントへと思わず異を申し立てる。ただ、限りなく、敗北が近いグレーだとは思います。

 

「……その感じ、本当にマスターなのね。大体、そっちも紛らわしいんじゃない? マスターのくせにそこらの一般生徒(モブ)キャラと同程度の影の薄さってどうなのよ。というか、さりげなく“私()”って言ったわね。言っておくけど、わたしだって痴女じゃないわよ! なに一人だけ逃げようとしてるのかしら?」

 

 耳聡い……。というか、負けず嫌いなのだろう事がよく分かる。

 

「はあ……全く何よ。今だってぼんやりした顔して。まさかまだ予選の学生気分で、記憶がちゃんと戻ってないんじゃないでしょうね?」

 

「……」

 

 これは……返答に困る。彼女は冗談半分で言ったのだろうが、それは紛れもない事実だった。

 当事者である自分ですら、途方にくれてしまう程の。

 

 私が返事をしない事に、彼女もハッとした顔になる。

 

「え……ウソ。本当に記憶が戻ってないの? それって……かなりまずいわよ。聖杯戦争のシステム上、ここから出られるのは、最後まで勝ち残ったマスターだけ。途中退出は許されていないわ。記憶に不備があっても、今までの戦闘経験(バトルログ)がなくても、ホームに戻るコトは出来ないわよ?」

 

 明らかに私を心配するセリフであったが、しかし、

 

「……あ。でも別に関係ないわね。聖杯戦争の勝者は一人きり。あなたは結局、どこかで脱落するんだから」

 

 彼女の心配げな声が、急に醒めた。目の前にいるのは、聖杯を奪い合う敵。その事実を思い出したように。

 

 ───いや、目の前の一人だけではない。この聖杯戦争に来ている者は全てが敵なのだ。

 

「本人にその気は無かろうと、今のは挑発ととって良いですね。こんなヒヨコ相手に挑発など、滑稽ではありますが、せっかくです。目には目を。歯には歯を。売り言葉には買い言葉を。アヴェンジャーのマスターならそれらしく、復讐の言葉を投げかけてやりなさいな」

 

 いつの間にか現界していたアヴェンジャーが、私の背後でけしかけてくるが、しかし、私は沈黙を破れない。目前のライバルに、言い返す事が出来ない。

 

 勝ち残れない、と。

 

 その宣言は、誰より自分自身が感じている事だからだ。

 

「……へえ。あなた、そんなマスターらしくないくせして、まさか『エクストラ・クラス』を従えているなんてね。……ま、ご愁傷様とだけ言っておくわ。今回のオペは、破壊専門のクラッキングじゃなく、侵入、共有のためのハッキングだったし。一時的にセラフが防壁を落としたといっても、あっちの事情はわたし達には知れないしね。あなた、本戦に来る時に、魂のはしっこでもぶつけたんじゃない? ロストしたのか、リード不能になってるだけか、後で調べてみたら?」

 

 もはや気遣いなんて欠片も、微塵もなく、ただひたすらに、冷酷に言葉を紡ぐ少女……遠坂凛。しかして、彼女の言葉は的確であるのだと、肌で感じさせられる。

 

「ま、どっちにしても、あなたは闘う姿勢が取れてないようだけど。覇気と言うか緊張感と言うか……全体的に現実感が無いのよ。記憶のあるなし、関係なくね。まだ夢でも見てる気分なら改めなさい。そんな足腰定まらない状態で勝てるほど、甘い闘いじゃないわよ」

 

 自分は記憶喪失……という事だろうか。自分は何者で、どんな経歴を持っていたのか。

 いや、そもそも何故、聖杯戦争なんてものに参加したのか。

 いま確かな事は、自分はサーヴァントを従えた魔術師(マスター)という事だけだった。

 

 凛は、それ以上は語らず、私に背を向ける。もう語る事は無い、という事なのだろう。

 私も、言い返す事の出来ないままに、その場を後にした。自分に自信を持つ彼女を前に、なんとなく私自身が情けなく思えてしまったから。

 

 ただ、アヴェンジャーのみが、なかなか動こうとしない事が気がかりではあったが、私はそのうち来るだろうと思い、気にせずに屋上から去った。

 故に、私は彼女がこの時、遠坂凛に何を言い残したのかは知らない。

 

 

 

 

「あなたのマスターはもう行ったわよ。さっさと後を追えば?」

 

「アレに現実感が無い……つまりは偽物、贋作。つまりはそういう事、とも言えます。ですが、忘れない事ね。『贋作は真作にはなれずとも、()()()()()()()()()()()』のだと。この身で証明してあげましょう。貴方達、本物に」

 

「……? あっそ。ならせいぜい、あのマスターが死なないよう守りなさい。そして、せめて命の奪い合いが出来る覚悟が持てるように導きなさい。そうすれば、少しは認めてあげてもいいかしら?」

 

「その言葉、ゆめ忘れない事です。贋作が真作を凌駕した時、貴方の事を笑って差し上げましょう。

 

 

 

 ざまあみろ、この真作が……とね」

 

 


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