魂の改竄が始まってから数十分。青子の作業は未だ続いているが、まだ終わりが見えてくる気配はない。
必然的に、私は彼女の作業が終わるまで手持ち無沙汰となり、その間、教会の中を回ったり、橙子の作業を覗いてみたりと、暇つぶしをしていた。
「……」
「……はあ。そんなに暇かね?」
と、見かねたらしき橙子が、作業は止めずに、チラリと私に視線だけを軽く送って聞いてくる。
「暇です、はい」
「素直な事だ。…ふーむ、そうだな。よし、では君にとって為になる話でもしようか」
為になる話?
それはマスターとして、という事なのだろうか?
「そうだ。君のサーヴァントは霊格が君に合わせて低下してしまっているな? 魂の改竄はそれを取り戻す手段、またはサーヴァントのステータスを底上げするものだ」
それは最初の説明の時に理解した内容だ。他のマスターなら、私とは違い十全のサーヴァントの能力を更に強化するのだろうが、私の場合は一から組み上げていかねばならない。
つまり私はハンデを背負って、この聖杯戦争に臨まねばならないのである。
「だが、魂の改竄にも限界はある。一定まで霊格を強化したところで、打ち止めとなってしまうのさ」
当たり前と言えば当たり前か。何事にも、必ず終わりはあるし、限界だって定められている。
半永久が有り得たとしても、完全なる永久なんて、世界のどこにも存在しないから。それこそ、魔法の域にでも足を踏み入れない限りは、不可能だろう。
「しかし、その限界を超える方法がある。それこそが───霊基再臨。英霊の基礎となる霊基を格上げする事で、その英霊のステータス成長領域を限界突破させるんだよ。それにより、魂の改竄の限界も上限が大幅に増大されるのさ」
霊基、再臨……。サーヴァントの限界を超えたステータス拡張を可能とする手法。それがあれば、サーヴァントを限界以上に強化出来る───と。
「そうだ。なかなか飲み込みが良いマスターだな、君は。しかしながら、霊基再臨にも限度というものはある。出来るのは良くて4度までだな。それ以上は霊基を形作る、霊核──英霊の魂の核だな、それが負荷に耐え切れない。もしくは、耐え切れたとして、それは英霊の域を超えてしまい、世界に存在出来なくなってしまうだろう。大きすぎる力というのは、その存在だけで世界を壊すからね。世界が拒絶反応を起こしてしまうという訳だ」
つまり──霊基再臨とは魂をより高位のものへと上書きし、霊格を格段に向上させる事を言うのだろう。
ただし、やはりそれにも限度が存在し、行き過ぎた霊基再臨は、英霊が世界に存在出来ない状態にまで、霊格を強めてしまう、と。
ただそこに居るだけで、世界を壊しかねない───故に、世界はそもそもそんな存在を受け入れないのだ。
「君は予想以上に賢しいな。満点とまではいかないが、ほとんど正解だ」
む。ならば、百点満点の答えとはどのようなものなんだ。是非聞かせて欲しい。
「いや、それは不可能だ。そもそも、真なる『正解』など存在しないんでね。私だってそこら辺を専門にしてるでもなし。ムーンセルから引き出した情報がほとんどだよ。それに、私の専門は人形師だ。魂に関してはアレコレ研究しているが、英霊にまでは手を伸ばしちゃいないからね」
なるほど。この世に本当の意味での『正解』が存在しないように、私の答えも、橙子が持つ答えも、満点ではないと。満点には成り得ないと。そういう事か。
「そうそう、そういう事だよ。まあ、なんだ。霊格の向上に限界を感じたなら、霊基再臨をしに来るといい。おっと、言い忘れたが、もしする時は保健室の健康管理AIを連れて来る事を忘れるな」
桜を? でも、どうして……?
「なに、霊基再臨は英霊への施術ではあるが、マスターと繋がった英霊の魂を上位のものへと昇華するんだ。それはつまり、契約者たる君の身にも影響を及ぼすのは至極当然。なにしろ魂が
分かった。言いたい事は概ね理解した。
サーヴァントの霊基再臨に伴い、マスターにも何かしらの影響が出る。それをケアする役割として、桜のような健康管理AIが必要なのだろう。マスターのバイタルを確認出来るのは、本人以外だと、そういった役割を与えられたNPCくらいだろうし。
「それと、魂の改竄ではエネミーから奪取したリソースを使用するが、霊基再臨にはまた別の素材が必要となる。それについては、君のサーヴァントが霊基再臨を必要とした時に知らせるとしようか」
なんだかんだと、先はまだ長いのか。まずは霊格の再現が求められるんだし、霊基再臨は遠い先の話だろう。
それから間もなくして、アヴェンジャーの魂の改竄がようやく終了した。見たところ、異常は確認出来ないので、どうにか成功したようだ。
「ん~? どうにかってのは聞き捨てならないわ。言っとくけど、たかが霊格を取り戻すくらいなら、私にとっちゃ朝飯前なんだからね」
「それすら出来んようでは、まさしく出来損ないの役立たずだがね」
「いちいち突っかかってくんなっつーの!」
本当、青子の言う通りです。出来れば私が居る時は喧嘩しないでほしい。止められる自信は露ほども無いので。
光の中から帰還したアヴェンジャーは、手を何度か開閉させて、満足そうに口元を緩めていた。
「ふん。霊格を一つ取り戻したようですね。さあ、もっと私のリハビリの為に励みなさい、マスター」
彼女の様子からするに、十分な結果が出たのだろう。私は本当にステータスが上がったのかを確認するため、端末を手に取る。
そしてステータス画面から変化があるかを見てみると、筋力と耐久がEからDへと上がっていた。
「本当にステータス上がってる……!」
「当然。私がやったんだから、ミスは無いわよ。でも、リソースがもう空っぽになっちゃったから、また集めてから魂の改竄に来てね」
姉御肌を垣間見せる笑顔で、青子は私に手を振っていた。私も、彼女に礼を告げると、アヴェンジャーを伴って教会から出て行く。
扉を開け放つと、ようやく切り離された空間から、少し慣れてきた聖杯戦争の舞台へと戻ってきたような気がする。
が、やはりどこに行っても一悶着あるのは、もはやお約束なのだろうか。教会から出てすぐに、花壇のところに人影があるのが見えた。
見ると、慎二がまた何か、トラブルを起こしているようだ。
どうやら、女子生徒(恐らくNPCと思われる)を連れて、教会前で騒いでいた慎二が、あの老人の怒りを買ってしまったらしい。
「教会では静かにするものだ。それが例え教会の中でなくとも。君の神がどのようなものかは知らんが、神父からそう教わらなかったかね?」
豊かな白髭を生やしたその顎。まるで物語にでも出てくる魔法使いのような威厳さえ感じられる。年を重ねた大樹のような厳かな空気を纏い、その緑を基調とした服装がより一層、それを際立てている。なんとなく、軍服のようにも見えるが……。
熟年、老年の貫禄…とでもいうのか、ともかく、私なんかよりも歴史を深く歩んできた、老齢の重鎮のように感じられた。
「悪いね! あいにくと、僕は無神論者なんだよ」
慎二はと言えば、あの老人に臆するどころか、突っかかっていっていた。馬鹿なのか、勇敢なのか、人それを蛮勇と呼ぶ。どちらにせよ、慎二は自らが愚かな行いをしたという認識がまるでない。
要は、反省が見られないのである。
「……ふむ。日本人は礼儀正しいと聞いていたが、それもそれぞれと言う事か。去るがいい、小僧。主を信じぬ人間に、父の家の門は開かれん。兵士としての技術を学ぶ前に、礼儀作法から出直すのだな」
慎二への呆れを通り越して、言外に愚か者と断じた彼は、そのまま私の横をよぎり、教会へと姿を消していった。
「はん、やだねぇロートルは、口ばっかり偉そうでさ! まあ、いずれ戦う事になったら、たっぷりと思い知らせてやるさ」
この男、まるで反省していない……。
慎二は肩を竦めてみせると、私に気付く事なく噴水広場から、女子生徒を連れて去っていった。
彼は何かしら問題を起こさないと気が済まないのだろうか。お前は漫画に出てくる悪ガキか。
ツッコミは心の中だけに収め、私は今の彼らのやりとりを頭の片隅に追いやる。
とりあえず、保健室の前を通るのだから、せっかくだし桜に顔を見せに行こう。最後に来たのは、支給品を貰いに行った時だったか。
「あ、岸波さん。いらっしゃい」
保健室に入ると、やはり変わらずといった様子で、桜はテーブルの前の椅子に腰掛けていた。
私の顔を見るなり、嬉しそうにはにかんだ彼女に、私も釣られて笑顔になる。
いいな、なんか……笑顔の連鎖って。心が暖かくなってくる。
「お茶でも淹れましょうか? あっ、紅茶にしましょうか。今朝、購買で良い茶葉を貰ってきたんですよ」
「うん。お願いするね、桜」
「はいっ」
なんだか、すごく嬉しそうだ。そんなに暇だったのか。忠犬が仕事を与えられたとばかりに、桜はテキパキと紅茶の準備を始めていく。
数分して、紅茶を淹れてもらった私は、保健室の隅から椅子を引っ張ってきて、桜の対面へと腰掛けた。
「どうぞ、粗末なお手前ですが…」
謙遜する桜をよそに、私はソーサラーを手に、ティーカップを反対の手で持つ。
まずは香りを楽しむ。……うん、やはり紅茶はこうでなければ。
「まずはも何も、紅茶は香りがメインでしょうに」
む。せっかく香りを楽しんでいるのに、悪態をつかないでもらいたいな、アヴェンジャー。
ちなみに、アヴェンジャーも私の隣で椅子に座って、紅茶を飲んでいる。
というのも、
「せっかくなので、アヴェンジャーさんもどうぞ」
と、桜が気を利かせてアヴェンジャーの分も、こうして紅茶を淹れてくれたのである。
霊体化していたアヴェンジャーは渋ったのだが、せっかくの桜の厚意を無碍にするのは良くないと、どうにか説き伏せて現界させたのである。
というか、ケチつけたりする割に、自分だって香りを楽しんでいるじゃないか。
「う、うるさいわね! 出されたものなのだし、食べ物を粗末にするのは、私としても許せませんので。仕方なく! そう、仕方なくいただいているだけだから!」
素直じゃないな、このサーヴァントは。たまには素直になりなさい、アヴェンジャー!
「ふふっ」
そんな私達のやりとりを見て、桜は本当に楽しそうに微笑んだ。いや、自覚がないが、そんなに微笑ましいのだろうか?
「はい。それもあるんですが、やっぱり誰かとこうしてふれあう機会が楽しくて……」
「貴方は健康管理AIですからね。基本的に保健室から出る必要がないし、マスターが体調に異変を兆した時にここに居ないようでは問題です。まあ、当然人と会う機会は少ないでしょうね」
アヴェンジャーの指摘に、桜は寂しそうに、儚げで曖昧な笑みになる。彼女自身、それが分かっているから、どうしようもないのだろう。
「おっしゃる通りです。私は単なるAIに過ぎません。私は健康管理AI。その役割から逸脱する事は不可能です。ムーンセルから作られた私達NPCは、役割に縛られています。そして、その役割から脱しようとも思いません。私達は
それは───寂しいな。こうして接している分には、人間とまるで区別がつかないのに。
でも、やはり根本的に違っている。だって、彼女の言葉は人間らしさがあっても、中身に人間味が欠けていたから。
決定的に違っている。私と桜では、在り方から、思考回路から。何から何まで、違うのだ。
「……人間と英霊が違うように、NPCも全く別の生命体という事ですね。それに関しては深く考える必要もないでしょう。私達は聖杯戦争を勝ち進む事だけを考えていればいいのですから」
……いくらなんでも、私はそこまで割り切れない。たとえ桜が人間じゃなくても、私は彼女と、こうやってふれあっている。それをバッサリと切り捨てる事は私には無理だ。
「いいんです。私達NPCは、聖杯戦争の終了と共に、デリートされますから。私はサクラタイプとしての外郭は残りますが、現在の聖杯戦争を経て蓄積された記憶領域は完全に削除されますので。だから、岸波さんが気にする事はありませんよ」
そう言うと、さっきと同じように笑ってみせる桜。でも、どうしても、さっきと同じ笑顔なのに、さっきよりも脆く散ってしまいそうに見えるのは、決して私の気のせいなどではないだろう。
桜───美しく咲き誇り、儚く散り行く、春の花。
間桐桜という少女の在り方とそっくりではないか。この聖杯戦争の間だけ、彼女は彼女として在る事が出来る。
しかし、それも終われば、彼女の中身はまっさらにされてしまう。
なんて──虚しいのだろう。
「それがムーンセルのシステムなのだから、仕方ないでしょう。それに、私や貴方も、一回でも負ければそこで終わりだし、戦いに勝つという事は、相手を殺すという事。そんな甘い考え方でいると、いつか足下掬われるわよ」
アヴェンジャーはそこからは、一切この話題に関しては口を開かなかった。もうその話はお終い。言わずとも、アヴェンジャーの意思が伝わってくるようで、私は何も言い返せない。
自分の命が掛かっているのに、他人の心配をしている余裕があるのか? と、そう言われているような気がしてならなかったから。
「霊基再臨……ですか?」
少し気まずい空気を一転する理由で、話は変わり、教会で聞いた事を私はこの場で話してみた。
蒼崎橙子が桜を連れてくるよう指定したという事は、桜もそれについては知っているはずだ。
「はい。確かに、私に限らず健康管理AIなら、それについてはある程度は把握しています」
「霊基再臨、ねぇ……。まさか、ここでもその言葉を耳にするなんて」
ん? その口振りから察するに、アヴェンジャーも霊基再臨を知っているの?
「知ってますとも。サーヴァントの真の力を引き出す為の儀式でしょう。貴重な素材を捧げる事で、サーヴァントの霊基を一段階上のものへと引き上げる技術……」
「はい。ですが、それだけではありません。霊基再臨によって、サーヴァントの英雄としての最善の姿が再現されるんですよ。ですので、サーヴァントの見た目にも変化が現れる事から、マスターとサーヴァント共に楽しみにされる方が多いんです」
姿が…変わる……?
えっと、それは具体的にはどんな風に?
「別にそこまで大きな変化はないわ。服装や装備が変わったり、髪が伸びたりするくらいよ。まあ、一部例外的に身体的な変化のあるサーヴァントも居るようですが……」
なるほど……。桜が言ったマスターやサーヴァントが楽しみにするという気持ちが、分からないでもない。
見た目の変化に期待するのは勿論の事だが、それが苦労した分だけ、目に見えた形として表れるのだから、嬉しい事この上ないだろう。
大金注ぎ込んでレアモノが出た時のような気持ちだろうか。
「いや、それは違うでしょう……」
薄気味悪いものでも見るかのごとく、露骨に嫌そうな顔をするアヴェンジャー。
何故……?
「幾多ものマスターが高レア(私)を求めて、有り金叩いて一喜一憂している姿なんて、まるで亡者の終わり無き行進でしかないわよ。はあ…間違っても、マスターはそんな亡者共と同じ事にはならないで下さいね。もしなってしまったら、私が火葬してあげるから」
「ハイ、ワカリマシタ、サー!」
…だって、焼かれるの怖いし。
「それはそうと、霊基再臨ともなると、素材集めがすごく大変そうですよ? 残っている記録によると、その素材集めに奔走しすぎて、聖杯戦争を敗退したマスターも居たそうですので」
「……マジですか?」
「はい。それだけ、霊基再臨は特殊な儀式なんです。今までの全マスターの中にも、一度も素材を得る事さえ叶わずに進んだマスターが8割を超えていますから」
「それと、素材を得るには、それに見合ったエネミーを討伐しないと駄目でしょうから、霊基再臨したかったら、早く私のステータスを元に戻す事です」
えー、アヴェンジャー曰わく、「早く私を育てろ」と?
キツい。そもそも素人マスターに、あまり期待しすぎないでほしい。いや、頑張りたいとは思うけどさ。
分不相応という言葉があってだね───
「ハッ。戯れ言を。私のマスターになったからには、私の望みは出来る限り叶えてもらいますからね。せっかくのマスター一人サーヴァント一人。ワガママ放題させてもらうから、そのつもりで」
ワガママ宣言入りましたー。うん、隠そうともしなかったね。いや、潔いというか、なんというか……。
アヴェンジャーのマスターは苦労するね、まったく…………私か。
「えっと…頑張ってくださいね、岸波さん? 私も、保健室から出る事はほとんどありませんが、ここにいらしてくれた際には、出来る限り労いたいと思いますので。といっても、お茶やお茶請けを出すくらいしか出来ませんが…」
天使だ…。天使がここにいる!
大天使サクラエル……!!
「あ、あの、恥ずかしいので、出来ればそれは止めてください……」
「私のマスター、なんて残念なの……」
顔を赤くして俯いてしまう桜と、可哀想なものを見る目で私を見てくるアヴェンジャー。温度差がすごく激しい。解せぬ……。
しばらくの談笑を楽しんだ後(アヴェンジャーはたまに相槌を打つ程度ではあったが)、私達は保健室を後にした。かなりリフレッシュ出来たように思う。
桜もそう感じてくれているといいのだが……。今後も、度々お邪魔させてもらうつもりなので、これで桜も寂しい思いをしないで済むだろう。まあ、桜にそういった感情があればの話なのだが。
さて、これからすぐにアリーナに行くには少し時間が早いか。少し校舎を探索して、マイルームで休憩した後、アリーナに赴く事にしよう。
そうと決まれば、早速校舎を駆け巡って、慎二達の情報を集めて回るとするか。
『霊基再臨…か。懐かしいわね。果たして、貴方に私を最終再臨させられるのかしら……?』
霊基再臨に関しては、私の勝手な説明なので、正式な解釈としては受け取らないようにお願いします。
第7章、まさかクリア時の報酬レアサーヴァント、牛若丸……?
じゃないですよね? ね?