デミウルゴス大爆発。
もう日が落ち、辺りは暗くなっていた。
時間がかかったもののクアドラシル率いる一行はようやくナザリックへと到着した。
大爆発の影響でクアドラシルの足が数本吹き飛ばされていたことも遅くなった原因であろう。
闇の中に佇む巨大な墳墓。
それを前にしてクレマンティーヌと獣王が驚く。
初めて見る巨大な建築物。
あまりに荘厳で、また不可思議な神秘ささえも合わせ持つ。
「な、なにこれ…。凄い…。こんな場所にこんな物が…! 本国でも聞いたことない…!」
「く、くーん…!」
ただならぬ雰囲気と死の気配に身を竦ませるクレマンティーヌと獣王。
抱きかかえている名犬ポチの体を強く抱きしめる。
人類の導き手たるスレイン法国。
その中で最強の特殊部隊である漆黒聖典に所属していたクレマンティーヌ。
その一員で、この世界では誰よりも世を知り真実に近かった彼女でさえ見た事も聞いたことも無い程に、異様で、重々しかった。
十万を超えるビーストマン達をその力のみで束ね、竜殺しも為した獣王。
今は魔法で姿も記憶も生まれ変わったとはいえ、そんな猛者の中の猛者である彼ですらその景色には畏怖した。
そこはもはや人知の及ばない魔界であると本能が察したのだろう。
そしてそれは間違っていない。
この世界では神と形容されるプレイヤーが1500人も集まってなお攻略出来なかった前人未踏、難攻不落の大要塞。
そんな神達ですら知り得ない未知、到達できぬ深淵。
それをクレマンティーヌと獣王は覗き込もうとしていた。
英雄と呼ばれる域にある彼等であろうと、ここでは有象無象に過ぎない。
それを察したのかクレマンティーヌと獣王が恐怖で震える。
だがクアドラシルは彼等に構うことなく進んでいく。
そうしてやっと大墳墓の入り口に辿り着くと中から人影が現れた。
「ぉおお…! お待ちしておりました…! ずっと、ずぅっと…! 我が神、いえ創造主もお喜びになられるでしょう! お帰りなさいませ…! んんん名犬ポチ様ァ!」
華美な軍服を纏ったハニワ顔が恭しくも仰々しい立ち振る舞いで派手に出迎える。
横にいた眼帯をした小さな少女が「うわぁ」と声を上げている。
だがもちろん肝心の名犬ポチは死んでいるため答える事は出来ない。
それを見たハニワ顔が激しく動揺する。
「そ、そんな名犬ポチ様…! す、すでにアルベド殿の毒牙にかけられて…! おぉぉお…! なんと嘆かわしい…! 至らない配下で申し訳ありません…! 貴方を貴方様を助けることが出来なかったこの私めに罰を…!」
高らかに宣言するハニワ顔だが名犬ポチは死んでいるのでもちろん返事はない。
それを見かねたのかハニワ顔の服の裾を眼帯の少女が引っ張る。
「お、おぉぉ…。こ、これは申し訳ありません…。少し冷静さを失ってしまいました…」
だが次の瞬間、名犬ポチを胸に抱えるクレマンティーヌと獣王へハニワ顔の視線が突き刺さる。
そこには疑念と殺気が渦巻いていた。
「ひっ…」
「くーん…」
しかしクアドラシルが慌ててハニワ顔に何やら説明のようなものを始める。
「おおぉ…! んなるほどォォ! 承知致しました!」
何かを承知したらしいハニワ顔がビシッと敬礼を決める。
横から聞いている分にはクアドラシルの言葉は普通に爬虫類の鳴き声にしか聞こえなかったのだがちゃんと説明できていたらしい。
「貴方方は名犬ポチ様のシモベであらせられたのですね…! これは大変失礼を致しました…! 私の名前はパンドラズ・アクター! 以後お見知りおきを!」
「ク、クレマンティーヌです、よ、よろしくお願いします…」
「くん、くんくーん、くん!」
「なるほど…。クレマンティーヌと獣王ですね、よろしくお願い致します!」
その言葉に驚愕し、横を見やるクレマンティーヌ。
お前、獣王って名前だったのか!と。
こんな可愛らしい外見で凄い名前してるなぁとクレマンティーヌは思う。
とはいえ肌で感じる強さで言えば英雄の域に達している自分すら凌駕していると思われるので何ら不思議ではないなと考え直す。
まさに、獣達を統べる王なのであろう。
神のシモベにこそ相応しい。
ちなみに、眼帯の少女もしれっと「シズ・デルタ」と自己紹介をしていた。
「すぐに蘇生の準備を整えさせましょう! さぁ貴方方もどうぞ中へ!」
「えっ!? あ、あはは…。ど、どうも…」
「くーん」
そうしてクアドラシルの背に乗ったままパンドラズ・アクターとシズの後ろを付いていくクレマンティーヌと獣王。
目の前にいるパンドラズ・アクターはもちろん、小さな少女であるシズでさえ自分より格上であることを察するクレマンティーヌ。
普通に出会っていたらと思うと恐ろしくて身が竦む。
正直この墳墓からはヤバイ気配しかしないので入るのは御免こうむりたいが神様の家?であるらしい為逃げ帰るわけにもいくまい。
というよりこんな奴らがいると判明した時点で名犬ポチから離れるなんて恐ろしくて出来ない。
いつどこで不意に殺されるか分かったものではないのだから。
(こ、この人たちって神様の部下なんだよね…。戦い方次第じゃこのシズって子はやれないこともなさそうな気はするけどこのパンドラズ・アクターってのはヤバい…! 強すぎてもう分かんないけどカッツェ平野で見たあの化け物達や神様の友達の猫?と同じ領域にいる気がする…)
クレマンティーヌの勘は正しい。
厳密には差こそあれどアルベドやガルガンチュア、カッツェ達と同様のステージにパンドラズ・アクターはいる。
まぁクレマンティーヌが見たカッツェの強さはガルガンチュアの力をコピーしたものなので本当の意味で同格とは言えないのだが。
(あぁ…! 神様早く生き返ってぇ…! 生きた心地がしないよぅ…)
泣き出しそうになるのを必死で耐えるクレマンティーヌ。
横を見ると獣王も同じ気持ちなのか同様に泣きそうになっている。
現地で言えば、神人や竜王、その他一部の例外を除けば最高水準に達していると言っても過言ではない二人。
そんな彼等は今、肩を寄せ合い仲良く震えていた。
◇
「どうなってんの、これ…」
クレマンティーヌは放心していた。
見てきた物が信じられないのだ。
「おや、どうかしましたか?」
クレマンティーヌの呟きにパンドラズ・アクターが大仰に心配そうなそぶりを見せる。
「もしやお疲れになりましたか? 大丈夫ですよ、あと二階層降りれば玉座の間ですから」
「まだ二階層あるの!?」
クレマンティーヌの叫びも当然である。
現在ここは第七階層。
そもそも一階層が数km四方もの広さなのである。
ギルドメンバーと違って自由に転移できない彼らはそれを順番に降りてきているのだ。
気が遠くなる程に広く、長い。
それがまだ二階層も残っている。厳密には第八階層を入れれば残り三階層なのだがここは緊急の時以外は閉じられており、第七階層と第九階層が繋げられている。
「い、いやいやおかしいでしょ…。三層にも渡る迷路のような墳墓と、底も見えない巨大な地底湖! 多数の氷山が聳える極寒の地! 見たことも無い植物が生い茂るジャングルと闘技場! そんでもってここは、大地のそこら中に溶岩が流れてる灼熱の地! これ以上何が出てくるっていうの!? なんでこんなのが地下に!? そもそもここは本当に地下なの!? 空だってあるし! 物理的に考えておかしいでしょ! あり得ないって!」
あまりの非現実的な世界に頭がパンク寸前のクレマンティーヌ。
だがそれを見たパンドラズ・アクターは愉快そうに笑う。
「はっはっは。中々に表現力が豊かですねお嬢さん」
(お嬢さん…?)
「貴方の考えは正しい。その事に気付くとは見どころがありますね。流石は名犬ポチ様が仕えることを許されただけの事はあるようです。そう! ここは神をも超える至高の御方々の居城! 至高の御方々が自ら御創りになった世界であり、その英知が散りばめられ切り取られた甘美な世界の数々! おぉ…! まさに至高の御方々が座すに相応しき至高の楽園! そう…、まさに眩しく輝く結晶…! これこそが芸術…! この世全ての美であり完成形…! ぉぉぉおおおお
パンドラズ・アクターが両手を広げ、恍惚とした表情を浮かべ立ち尽くす。
心無しかライトアップされているようにすら感じる。
楽園、という言葉には同意できないもののここが破格の場所であることは容易く理解できる。
これが本当に作られたものだとは到底信じられない。
名犬ポチの奇跡を目の当たりにしていなければ何と言われても信じられなかったに違いない。
改めて名犬ポチの凄さに驚きを隠せない。
こんなものが作れるなんて神様は本当に凄いんだなと感動に打ち震えるクレマンティーヌ。
その時小さくパンドラズ・アクターが「今は見る影もありませんが…」と口にするがクレマンティーヌの耳に入る事は無かった。
再び歩き出し、ようやく第七階層の転移門に到着する。
「ここからはロイヤルスイートになりますので行動には気を付けて下さい。ここは至高の御方々の為の特別な階層です。流石にクアドラシルの背に乗ったままでは失礼に当たるので自らの足で歩いて下さい。いくら貴方々が名犬ポチ様のシモベとはいえここでは許されないこともありますので…」
「は、はひっ…」
「く、くーん…」
パンドラズ・アクターの視線にそれが冗談でないことを理解するクレマンティーヌと獣王。
この世の地獄を詰め込んだようなこのナザリックと呼ばれる場所の奥には何が広がっているのだと怯える。
すぐにクアドラシルの背から飛び降り、転移門の先をくぐる。
そこにあったのは。
「な、あ……!?」
広がるのはまさに美としか形容できない光景だった。
リエスティーゼ王国の王城、バハルス帝国の皇城、スレイン法国の大聖堂、ローブル聖王国の大城塞、竜王国の古城、そのいずれもが比べ物にならない破格の景色。
クレマンティーヌが見てきたどんな光景をも遥かに凌ぐ美しさだ。
いや、比べることすら烏滸がましい。
どれだけの物か分からないがこの価値観は理解できる。
この世の贅を尽くし財を極めたと形容してもまだ足りない。
クレマンティーヌは呆気に取られて言葉が出ない。
まさに御伽噺のような空想の産物だ。
神話の、世界。
「どうしましたか?」
「ひっ…」
パンドラズ・アクターの言葉に反射的に身が竦む。
本当にここに足を踏み入れるのか、と。
その美しさは極まり過ぎていて畏れすら抱かせる程だ。
もはや凶器と言ってもいい。
完璧過ぎるが故に完璧でない者の存在を許さないような、否定するかのような趣きすら感じる。
だが。
「あれ…?」
ふとクレマンティーヌが気付く。
あまりの迫力にすぐには気付けなかったがようく見れば壁や地面にヒビが入っている場所がある。
気を失いそうになる程の高価そうな飾りや調度品もいくつかが壊れ、落ちている。
「あ、あれは…?」
あまりに完璧すぎるが故にその違和感は尋常ではなかった。
思わずパンドラズ・アクターに問いかけてしまう。
「ああ…、お気づきになりましたか…」
心底悔しそうに、いや悲しそうに顔を伏せるパンドラズ・アクター。
「私が説明する」
今まで黙って一番後ろを着いてきていたシズが突然口を開く。
「至高の御方に仕えるべき我々の中で裏切者が出た。本質的に差は無いとはいえ、立場上はNPCの中で最も上位に位置する者で他の者達への命令権や多くの力を持っていた」
えぬぴーしー。
スレイン法国出身者であるクレマンティーヌは知っている。
それは神に仕える従属神の呼び名だ。
「その者は裏切りを隠し秘密裡に名犬ポチ様を排除しようとした。表向きは名犬ポチ様の捜索。なかなか尻尾を掴ませないその者を正面から糾弾はできなかった。その者はすでに多くのシモベを誑かし力を手に入れていたから、そんなことをすればこちらがやられてしまう。そして裏切りに気付いたごく少数のシモベ達は各自動いた。その結果、名犬ポチ様は御命を落としてしまったがこうしてナザリックに帰還することができた」
そこで気付いた。
名犬ポチがアルベドと呼んでいた女、あいつが裏切者だと。
それに何より自分の知らない所で考えられないような恐ろしい戦いが繰り広げられていたらしい。
だが話を聞いていてクレマンティーヌの中で一つの疑問が浮かび上がる。
ここに来るまで。
見て見ぬふりをしてきたがもうそうはいかない。
どの階層も夥しい程の魔物の死体で溢れかえっていたのだ。
そのどれもが伝説級、いやそれ以上の怪物なのではと思わせる者達。
あまりに非現実的過ぎ、また、あまりの数の多さから気のせいだと言い聞かせて黙っていた。
だが今の話を総合するなら。
「気付いた? ここに来るまでに見た死体は全てその裏切り者の手の者達と私が指揮したシモベ達のなれの果て。パンドラズ・アクターの助力があったからギリギリで勝利することが出来たけどもうほとんど残っていない」
シズの言葉にクレマンティーヌは驚愕する。
この無数にいる神話のような怪物達の争い、それは一体どれ程のものだったのだろうかと。
「でもおかげでナザリックの安全は保つことに成功した。もし私達が負けていれば名犬ポチ様を出迎えることが出来なかった可能性もある。ゴーレム等のシモベで出入り口を固められ、帰還前に排除されていれば終わりだった」
シズはさらりと話しているがその恐ろしさは十分に分かる。
一歩間違えば、名犬ポチと共に帰還した自分達も秘密裡に処理されていた可能性があったのだ。
「もちろんこのロイヤルスイートでも戦いは起こった。他の階層よりはマシだったけれど」
このヒビや傷は全て戦いの跡らしい。
改めて背筋に冷たいモノが走るクレマンティーヌ。
「でももう大丈夫。ナザリックは私達が完全に掌握した。危険は無い」
その言葉に心底安堵するクレマンティーヌ。
何もかもが規格外すぎて心が追い付かない。
逆に吹っ切れたクレマンティーヌはその一歩を踏み出す。
「もう理解しよーとするのはやめた。それよりもさっさと行こう、私も早く神様生き返して貰いたいし」
シズとパンドラズ・アクターが頷く。
もうここまで来たらどうにでもなれだ。
もう何が来てもビビらない、そう心に決めてクレマンティーヌはロイヤルスイートを進んでいく。
◇
少し前の自分を殴りたい。
心からそう思うクレマンティーヌ。
ロイヤルスイートを抜け、第十階層に到着した一行。
そして半球状の大きなドーム型の部屋に到着したクレマンティーヌ達の前には巨大な扉が鎮座していた。
3メートル以上はあるだろう巨大な扉の右の側には女神が、左の側には悪魔が異様な細かさで彫刻が施されている。
そして周囲を見渡せば、禍々しい像が無数に置かれている。
もしここにタイトルをつけるなら『審判の門』とかだろうか。
そんな下らない事を考えながらここから漂う気配にビビり倒しているクレマンティーヌだった。
(やっぱ無理無理! 今度は何!?)
まるでこれから断罪を受けるかのような気持ちで開いていくドアを眺めているクレマンティーヌ。
その扉はゆっくりと開いていく。
誰が押し開けているのでもない。
重厚な扉に相応しいだけの遅さで開いていく。
開いた先にあったのは広く、高い部屋だった。
壁の基調は白。
そこに金を基本とした細工が施されている。
天井から吊り下げられた複数の豪華なシャンデリアは7色の宝石で作り出され、幻想的な輝きを放っていた。
壁にはいくつもの大きな旗が天井から床まで垂れ下がっている。
中央に敷かれた真紅の絨毯。
その左右に並んでいるのは形容しがたいほどの美しさを誇る40人前後程のメイド達だ。
その者たちがクレマンティーヌ達を無言で見つめてくる。
ある種の階級や権力を持つ人間による視線など何とも思わないクレマンティーヌですら物理的な力を持って押し寄せてくると錯覚する程にそれは強烈だった。
このメイド達が強者だからではない。
もっと、恐ろしい何か。
命令さえあればいかなる犠牲を払おうと構わないという気概、あるいは狂信的とも言うべきだろうか。
強者がそれに見合う強靭な精神力を持っているのはいい、納得できる。
だが、ここにいる一般人と思わしき者達までもがその超越した精神性を持っていることにクレマンティーヌは言葉を失う。
一人や二人、せいぜい数人程ならばごく稀にそういった者もいるかもしれない。
だがこれだけの人数のメイド達が全員というのは常軌を逸している。
クレマンティーヌは理解する。
そうか、これが神に仕えるということか、と。
「はは、は…」
乾いた笑いが出るクレマンティーヌ。
この時、生まれて初めてクレマンティーヌは自らよりも弱い存在に敬意を覚えた。
パンドラズ・アクター達と共に真紅の絨毯を進んでいくクレマンティーヌ。
メイド達の全員がクレマンティーヌへ向かって頭を下げる。
いや、正確にはクレマンティーヌの腕の中にいる名犬ポチにだが。
真紅の絨毯の先、この部屋の最奥。
そこにある水晶で出来た玉座に座る何者かの姿が見えた。
異様な杖を持ったおぞましい死の具現。
骸骨の頭部を晒しだした化け物。
まるで闇が一点に集中し、凝結したような存在。
豪華な漆黒なローブを纏っており、指には無数の指輪が煌く。
これだけの距離があってなお、身を飾る装飾品の値段は周辺国家から金銀財宝をかき集めても足りないだろうとクレマンティーヌは考える。
アンデッドである事を証明するその頭部を見て
何より、今まで出会った数々の化け物達と同格以上の気配を醸し出しているのだ。
まぁもしそんな化け物達と出会うことなく初めて見たのなら
そしてスレイン法国が崇めるスルシャーナの事を思い出すが個人的に違う気がする。
完全に勘であり根拠などどこにもないのだが。
仮にスルシャーナだったとしてもクレマンティーヌには関係ない。
自分が崇めるべき神は腕の中にいるのだから。
「こちらへ…」
パンドラズ・アクターが玉座の階段の前を指し示す。
どうやらそこに名犬ポチを置けということなのだろうと理解し、そっと優しく置く。
「ペストーニャ、後はお願いします」
パンドラズ・アクターの言葉に応じて出てきたのは犬の頭をしたメイドだった。
その頭部は真っ二つにしたものを無理やり縫い付けたかのような跡が残っている。
ペストーニャは名犬ポチへと近寄ると魔法を唱える。
それは死者を蘇生する最高レベルの信仰魔法。
名犬ポチを中心に魔法陣が展開される。
次第に名犬ポチの外傷が回復していき、血の気が戻っていく。
「すご…」
思わず呟きが口に出るクレマンティーヌ。
彼女から見ればそれは神の御業に匹敵する奇跡に思えた。
そうして魔法を唱え終えると魔法陣が消える。
ここにいる誰しもが凝視している。
その瞬間を待ちわびるように。
蘇生魔法を使ったペストーニャも不安なのかわずかに震えている。
しばらくして。
「うぅ…んんん…朝か…?」
名犬ポチが起き上がり呆けた事を口にした。
◇
歓声が上がった。
メイド達の誰もが涙を流しその場に崩れ落ちていた。
本来ならば叱責されるべきことかもしれないが、至高の御方の帰還と復活を同時に味わった彼女達から見れば仕方のないことだった。
「「「おかえりなさいませっ! おかえりなさいませっ!」」」
涙ながらにメイド達が口々に名犬ポチへ帰還を祝う言葉を口にする。
わけもわからずそれを見ている名犬ポチだがその中にクレマンティーヌと獣王を見つける。
「おおおっ! クレマンティーヌ! 獣王! お前ら無事だったんだな! 良かった! じゃあ俺のスキルは成功したってことか!」
二人の姿を見て、死亡前の記憶が蘇った名犬ポチは自分のスキルが成功したのだろうという事実に胸を撫で下ろす。
強力なスキルではあるのだが自分は死んでしまう為、基本的に他人任せになってしまうからだ。
尻尾を振りながら二人に駆け寄る名犬ポチ。
その姿を見てクレマンティーヌと獣王の目から涙が零れる。
「うん…、うん! 神様おかえりなさいっ……!」
「くぅーん…、くぅーん…!」
泣きじゃくる二人を宥めるようによしよしと頭を撫でる名犬ポチ。
しかしその時後ろから。
「おぉぉぉおおぉ…! お待ちしておりました…! んんん名犬ポチ様ッ!」
パンドラズ・アクターの大げさな動きに場の空気が一気に冷える。
感動も何もかも台無しだった。
クレマンティーヌや獣王でさえも白い目で見ている。
だがここでただ一人、いや一匹。
目を輝かせてそれを見る者がいた。
(パ、パンドラズ・アクターッ!? モ、モモンガさんのNPC! や、やべぇ…! やっぱりこいつ…! クソカッケェェェェ!!!!)
パンドラズ・アクターの魅力にやられ腰を抜かす名犬ポチ。
(ま、前からカッコイイとは思ってたが動くとこんなにカッコイイのか…! やばすぎんだろっ…! 流石モモンガさんだぜ…! このセンスは唯一無二…! うわ、なんだその動き…! 華麗すぎる! おおっ!? なんだそれはっ! 今のからそんな動きに繋がるのかっ…! やめろっ…! やめてくれっ! これ以上俺の心を乱さないでくれっ…! いちいち動きを止める時のポーズが決まりすぎてるっ! ああっ…! これが究極の美か…! こいつ、静と動の動きを極めてやがるっ! すげぇ…! すげぇぜパンドラズ・アクターッッ!!!)
心の中で大絶賛する名犬ポチ。
だがそんな興奮冷めやらぬ中、周囲を見渡しここがどこか理解する。
ナザリック地下大墳墓。
第十階層、玉座の間だ。
後から遅れて実感が湧いてくる。
帰ってきた、ついに帰って来たのだ。
「おお、本当に…、ナザリックなんだな…」
フラフラと立ち上がりキョロキョロと周囲を見渡す名犬ポチ。
「はい、そうでございますンン名犬ポチ様ァ!」
(こいつ…、発音までカッコイイとか…。最高かよ)
改めてパンドラズ・アクターの魅力にやられそうになる名犬ポチ。
だがすぐに最も大事なことを思い出す。
ゲームの最後を共にした大事な仲間。
連日のようにバカ騒ぎして遊んだかけがえのない仲間だ。
誰より面倒見がよくて優しかったギルドマスター。
彼がいたから皆が一緒に笑い、あれだけ楽しく過ごせたのだ。
玉座を見る。
そこに座っていた。
ずっと会いたかった大事な仲間が。
「モモンガさんっ!!!」
喜びに染まった叫びを上げ、玉座まで走っていく名犬ポチ。
「帰ってきたぞ! 帰ってきたんだ! なぁモモンガさん! 俺やっと…」
玉座に座るモモンガの前ではしゃぐ名犬ポチ。
だがすぐに声のトーンが落ちていく。
「モ、モモンガさん…? お、俺だよ、ポチだ…。ど、どうしちまったんだよ…、どうして答えてくれないんだ…? もしかして怒ってるのか…? また一緒に遊ぶって…、もう一人にしないって言ったのに守れなかったから…」
次第に名犬ポチの瞳に涙が浮かんでいく。
「で、でも帰ってきたぞ…! 俺帰ってきたんだ…! だから! また一緒に…! モモンガさん…! なぁ、モモンガさんって!」
足に縋りつき、嗚咽交じりに名犬ポチが呟く。
「なんで何も言ってくれないんだ…?」
モモンガはずっと沈黙したままだった。
その瞳に未だ光は宿らない。
どれだけ名犬ポチが呼びかけても反応すらしない。
死んだように、ただただ動かず玉座に座っている。
「モモンガ様は…、御心を痛めて…お休みになった…」
この場で唯一、モモンガが沈黙する瞬間に立ち会っていたシズが口を開く。
自動人形であり、抑揚の無い喋りをするはずの彼女の言葉がわずかに震えていた。
その言葉を聞き、名犬ポチの顔が絶望に染まる。
「お、俺か…? 俺のせいなのか…? モモンガさんがこうなっちまったのは全部俺の…。そうか、アルベドが言ってたのはこの事か…。だからアルベドは俺のことを…」
アルベドの言っていた言葉が繋がる。
何かあったのだとは思っていたがまさかこんな事になっているとは。
それだけモモンガを傷つけてしまったのかと自責の念にかられる名犬ポチ。
「違う! 名犬ポチ様は悪くない! アルベド様は私欲の為に名犬ポチ様の事を襲っただけ!」
その様子を見かねたのかシズがすぐに否定する。
「ありがとうシズ…。でも、アルベドはともかく…、モモンガさんがこうなっちまったのは俺にも責任がある…。それは事実だ…」
力なく項垂れる名犬ポチ。
しばらくして顔を上げると玉座の間の壁や天井にいくつか破損があることに気付く。
「…? あれは…?」
名犬ポチの言葉にシズが跪き説明を始める。
「私がやった…。この場から動く為にはアルベド様の言葉を信じていた姉妹達を倒す必要があったから…」
「…! 殺したのか…!?」
「動けないように縛って幽閉してる。名犬ポチ様が帰還されたら事情を話して解放しようと…」
「そ、そうか、生きてんのか…」
シズの言葉にホッと胸を撫で下ろす名犬ポチ。
「モモンガ様の前で戦いを始めた不敬は理解している…、その罪はこの命で…」
「うわ、お前何言ってんだ! ちょ、やめろっ!」
急に自分の頭に銃を突きつけたシズから咄嗟に奪い取る名犬ポチ。
「でも私は他にも罪を犯した…。パンドラズ・アクターの助力を得るためにお休みになっているモモンガ様の指から勝手に指輪を抜き取り使用した…。とても許されることではない…」
シズがおずおずと指輪を名犬ポチに差し出す。
「リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンか…! そうか、確かにそれがないと宝物庫に…! ってああ! だからやめろっつってんだろ!」
どこからかまた違う銃を取り出して再び自分の頭に突きつけるシズ。
またもや名犬ポチがそれを素早く奪い取る。
「ど、どうなってんだ全く…! と、とりあえず自殺するの禁止! 分かったか! それにシズがやった事はそうしなきゃダメだったんだろ? よく分からねぇけどシズが動かなかったら俺はナザリックに帰って来れなかった可能性もあったんだろ?」
その言葉に横にいたパンドラズ・アクターが「その通りでございます」と肯定する。
「なら気に病まなくていい…。むしろ俺からすれば感謝したいくらいだ。それにもしそのことでモモンガさんに怒られるような事があるなら俺も一緒に謝るから…。な? だから自分を責めたりとかそういうことはすんな。分かったか?」
名犬ポチの言葉にシズが静かに頷く。
その時、周りにいたメイド達全員が名犬ポチの優しさに涙していた。
パンドラズ・アクターでさえ大仰に涙を流している。
「おおぉ…! なんと慈悲深き御心! それは海よりも深く! 空よりも高く! 宇宙のように広い! なんと
再び空気が冷える。
だがその中で名犬ポチただ一人が、本気の本気で照れていた。
「や、やめろよパンドラズ・アクターッ…! そ、そんなんじゃねぇって…! へへ!」
少し落ち着き、気を取り直す名犬ポチ。
モモンガが目を覚まさないのは大変な問題だが、すぐに解決できるのか分からない。
それよりもモモンガが動いていなかったということはナザリックが今どうなっているのかと疑問に思う。
アルベドが動いた影響がどこまでなのかこの目で確かめねばなるまい。
モモンガがああなってしまっている以上、ナザリックの問題に対処できるのは名犬ポチしかいないのだ。
「…。ナザリック内の様子が見たい…。シズ、パンドラズ・アクター、案内してくれるか…?」
「了解」
「
(やだ、素敵…!)
パンドラズ・アクターの返事に心躍りながらも平静を保つ名犬ポチ。
あんまりみっともない所を見せたら呆れられてしまうかもしれないからだ。
「あ、あの神様、私達も付いていきたいなー、なんて…」
「くーん」
単純にここで待機するのが怖いので付いていくのを願い出るクレマンティーヌと獣王。
「好きにしろ」
そうして名犬ポチが玉座の間を出ていく。
ナザリックの惨状を目の当たりにするために…。
◇
カッツェ平野。
大爆発の影響で何もかもが死に絶えたこの場所で人知れず動くものがあった。
「あぐっ…! うぅぅ…!」
爆心地の中心からそれは這い出てきた。
人間の骨を思わせる金属骨格を持った自動人形。
土を掘り返し、埋もれていた体を外に露出させる。
「はぁっ…! はぁっ…!」
ナザリック最強の個、ルベドである。
デミウルゴスが誇る屈指の大爆発すらルベドにトドメを刺すには至らなかった。
いや、正確に言うならば直撃していれば破壊できていただろう。
だが一つだけ誤算があった。
ルベドとそれを拘束する十二宮の悪魔達。
どちらのほうがよりタフか。
それは言うまでもなくルベドである。
大爆発の直後、ルベドよりも先に十二宮の悪魔達が滅びたのだ。
その瞬間、体が自由になった刹那、無意識の内にルベドは地中を掘り返しその中へと潜った。
瞬きの程しかない僅かな時間の中で。
結果、ルベドは消滅から逃れることに成功した。
もちろん無事ではない。
身体のあちこちのパーツが吹き飛び、片足も満足に動かない。
何より致命的なのは頭部へのダメージだ。
損傷が激しく、ルベドの記憶は完全に混線し入り乱れている。
もはや何の為に動いているのか自分ですら認識できない。
それどこか彼女の持つ自我すら消えかけている。
行動を規定するために脳内のデータを何度も再生する。
だが、それもエラー、エラー、エラー。
ルベドのハードディスクの中にはもうほとんど無事な記憶が残っていない。
それでも必死に何度も何度も再生を試みる。
やがていくつかのデータの断片のみがルベドの脳内で再生されることになる。
「高い…高いして…あげる…」
それはネムとの記憶。
泣いているネムをなだめる為に抱き上げ空高く飛んだ時のことだ。
それを再現するかのように、何もない空間をまるで誰かがいるかのように抱きかかえジャンプしようとするルベド。
だがそれは叶わずバランスを崩しその場に倒れ、記憶が途切れる。
「あうぅ…! これじゃ…ネムが…泣き止まない…」
再び脳内で違う記憶が呼び起こされる。
エ・ランテルの本屋に入り、欲しい本を見つけた時のこと。
「あぐ…! がぁ…」
欲しい本を手に取る為に立ち上がり、前へと進むルベド。
動かない片足をひきずり必死で歩いていく。
やっと本を手に取れると思った時、記憶が途切れる。
目の前にあるのは抉れた大地だけだ。
「ぁっ…」
次に呼び起こされたのはフォーサイトの面々を殺害した時の記憶。
ルベドが腕を振るだけでロバーデイクもヘッケランも死んでいく。
次に泣いているイミーナへと手が伸びる。
「やめて…! やめて…! どう…して…? 止まって…止まってよ…! 私こんなことしたく…!」
現実にはルベドの腕は動いていないが記憶の中では違う。
誰も彼もが死んでいく。
記憶は止められない。
そして記憶が断片になっていることでこの後、彼らを蘇生したことすら理解できていない。
断片しかないが故にそれはルベドにとって絶対的なものだ。
「うぅぅぅ…! うぁああぁあっ…!」
泣き叫ぶが涙など流れない。
ルベドは機械だから。
次に見たのはアルシェが死ぬ瞬間。
アルシェが誰かに首を折られる瞬間の映像だ。
記憶に不備があり完全ではないが、アルシェの死ぬ瞬間だけは鮮明に再生される。
先ほど言ったように断片であるからこそ、これは絶対的。
それはルベドにとっての地獄でしかなかった。
「い…や…! いやぁ…!」
止めようと必死に動くが体が言う事を聞かない。
やがて首の折られたアルシェが地面に投げ出される。
「アルシェ…! 死んじゃ…いやだ…!」
地面に倒れたアルシェに縋るように手を伸ばす。
だが記憶はそこで途切れる。
目の前には誰もいない。
「あぁぁあぁ…! どこに…行ったの…!? 私を置いてい…かないで…! 一人に…しないで…!」
ルベドの叫びが虚しく響く。
何もない。
ルベドの手には何も残っていない。
思いですらルベドの自由にならない。
何もかもがルベドの手から零れ落ちていく。
だがここにきても一つだけ残っているものがある。
もはやそれは呪いだ。
決して逃れえぬ呪縛。
ルベドを苦しめた元凶。
結局は堂々巡り。
どう足掻いてもここに戻ってくる。
最初に下された命令。
それだけが未だルベドの中で消えずに残り続けている。
「…。行かなきゃ…。ナザリック…に…。私が…私がやらなきゃ…!」
何度、苦悶しても。
どれだけ損傷しても。
機械である以上、ルベドは決して逃れられない。
因果は消えない。
命令を遂行するまで、止まらない。
◇
「なんだこれは! これが…! これがナザリック!? これが俺の…、俺たちのギルドなのか…! 皆で作った掛け替えのない大事な…! これがその成れの果てだっていうのかっ!!!」
名犬ポチが叫ぶ。
彼の目に映るのは破壊され尽くした内装。
仲間が作った大事なNPC達が織りなす死屍累々。
どの階層も地獄絵図のように名犬ポチの目には映った。
以前を知らないクレマンティーヌにしてみれば死体が無数に転がっているだけという印象だが名犬ポチからしてみれば違う。
以前の圧倒的なナザリックを知っているからこそ。
それが失われていることに気付く。
ナザリックのシモベ達による総力戦。
彼等の戦いの余波で建物は崩れ、木々は折れ、大地は血に染まっていた。
「パンドラズ・アクター」
「はっ」
「宝物庫には金貨は残っているか?」
「はい、十分にございます!」
「そうか」
静かに呟いた名犬ポチが指輪をパンドラズ・アクターへと投げ渡す。
「リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンはお前に預けておく。宝物庫の金貨の総枚数、ナザリックの修繕費、NPC達の蘇生費用、その他もろもろを計算して出してくれ…」
「かしこまりました、では…」
立ち去ろうとするパンドラズ・アクターを再度呼び止める名犬ポチ。
「パンドラズ・アクター、シズもだ。最後に聞かせてくれ」
「はい、なんでしょう?」
「何?」
考えこむように押し黙る名犬ポチ。
しばらくして重々しく口を開いた。
「お前達にとって俺は何だ…? なぜ俺の言う事に従う…?」
先ほどから抱いていた疑問。
ナザリックに帰還できたことで浮かれていたがそもそもNPC達はどこまで自由に動くのか。
モモンガがああなってしまっている以上、それは名犬ポチにとって死活問題だ。
何がOKで、何が駄目なのか。
その見極めをしなければなるまい。
今の所、言う事を聞いてくれる気配はあるがアルベドの例もある。
油断すればやられる可能性もある。
時間があればもっと遠回しに聞いたり外堀を埋めていけたがこの状況ではそうもいかない。
結果として名犬ポチは単刀直入に問うことにした。
「これは異なことを! 貴方様は神よりも偉大な至高の41人! このナザリック地下大墳墓の主人が1人! そして我々は貴方方に創造されし忠実なるシモベ! そのお言葉に従うのは当然でございます! そこに何の疑念がありましょうか!」
(くっ…! カッコよすぎてずっと見ていたくなっちまう…! 気を確かに持て俺…! 今はそれどころじゃねぇんだ…!)
ゴホンと咳払いをする名犬ポチ。
「シズはどうだ?」
「右に同じ」
(シンプルすぎるだろ。まぁパンドラズ・アクターと変わらないってことでいいのか)
再び考えこむ名犬ポチ。
(ふむ…。嘘を言っていないと仮定した場合だが…。こいつらNPCは俺たちギルドメンバーに従うってことでいいのか…? やたら崇められているのは気になるが…。そもそもなんだ至高の41人って…。もしかしてユグドラシルの時の設定が生きてるんだろうか…? しまった…。ゲーム的にプレイヤーとNPCがどういう存在とかチェックしてねぇよ…)
チラリとパンドラズ・アクターとシズを見る。
(デミウルゴスも俺の事を本気で心配してくれてたみたいだしこいつらも裏がありそうには見えないな…。今のところは協力してくれてるし一先ず信用していい気はするな…。ただ、もし俺たちギルドメンバーに忠義か何かを感じていてくれているとするなら…、それは不可侵にして不変のものなんだろうか? 人であれば馬鹿な行動ばかりを取る上司への忠誠心なんか直ぐに消えてしまうだろう。それともゲームと同じで一度設定されたものは変わらずそのままなのか…?)
だがここは名犬ポチ。
(どちらにせよ問題ないな! 俺は馬鹿な行動なんて取らないし呆れられるなんてあり得ないからな!)
無駄に自信家だった。
そうと決まればとりあえずナザリックを立て直さなければなるまい。
金のことは一旦パンドラズ・アクターに任せるとしてまず何をするか。
そう考え込んでいた時。
「名犬ポチ様!」
「ん?」
パンドラズ・アクターが鬼気迫った様子で駆け寄る。
「いくつか私の独断でナザリック外部の監視系の罠を作動させていたのですが…。たった今それに反応がありました。私が持つ
そう言ってパンドラズ・アクターが差し出した鏡を覗き込む名犬ポチ。
「こいつは…!」
「ご存知なのですか?」
「いや、ご存知も何も…」
言いかけて気付く。
知らないのか、と。
確かにこれは製作途中を知っている一部のギルドメンバーしか知らないかもしれない。
NPCならば尚更だ。
少しNPCのことが分かってきた気がする名犬ポチ。
どうやら個人個人で知っている事は差があるらしい。
それぞれに設定されていること、あるいは直接関わらないこと以外は知らないのかもしれない。
ナザリックのシモベだからとて誰もがその全てを知っているわけではないのか、と。
「ルベド」
ここでシズがその名を口にした。
「な…! これがルベドなのですか…! あのナザリック最強の…!?」
シズの言葉にパンドラズ・アクターが驚いている。
どうやらルベドのこと自体は知っているようだ。
だがこの反応はそもそもルベドの外見を知らないのか、単純にこの状態のルベドを知らないのか。
いや、今はどちらでもいい。
「そうか。シズ、お前は知ってるんだな?」
シズがコクリと頷く。
(この姿のルベドを知っているということはナザリックのギミックが全て頭に入っているというシズの設定は活きていると考えるべきか…)
ルベドはその仕様上、キャラクターというよりはナザリックのギミックとして判定されている。
さらに色々と細かい機械的な都合が存在する関係上、機械に精通しているシズの頭にその全てが入っていてもおかしくない。
「シズ、お前はルベドの事をどこまで知ってる?」
「全部」
シズの答えに満足したように笑う名犬ポチ。
設定によるものか、知識によるものか分からないがルベドの事が頭に入っているなら関係ない。
「俺が出る。ついてこいシズ」
「お、お待ちください名犬ポチ様!」
パンドラズ・アクターが慌てて止めに入る。
「ク、クアドラシルから報告を受けています! ルベドは我々と敵対関係にあると!」
「アルベドが裏切ってる時点で予想は付く。大方、妹であるルベドに命令を与えて連れ出したってとこだろ?」
「わ、分かっているならばなぜ!? ルベドは危険です! どうしてもと言うならば私が討伐に向かいます! あのように手負いならば私一人でも十分に対処が可能です! どうかお考え直しを!」
必死に名犬ポチを止めようとするパンドラズ・アクター。
だが名犬ポチは。
「勘違いするなパンドラズ・アクター」
「ど、どういうことですっ…!?」
「俺はルベドを討伐するつもりはない。連れ帰るだけだ」
「き、危険です! 報告にあったデミウルゴスの大爆発さえ耐え抜いた様子…。それほどの危険対象に接触するのは危険すぎます…! ましてや連れ帰るなどと…!」
パンドラズ・アクターの言い分は分かる。
それは名犬ポチも承知している。
だが駄目なのだ。
一度失えば二度と戻らない。
そういう意味ではデミウルゴスとの戦闘に耐え抜いたらしいというのは僥倖だった。
万全であればそれはそれで手を出しづらいので瀕死というのは最高の状態である。
「タブラさんの娘みたいなもんだ。なんとしてでも取り返す」
「な、ならば私も援護に…!」
「いらん。お前は費用の計算を最優先で進めてくれ」
「し、しかし…!」
必死に食い下がるパンドラズ・アクター。
いくら命令とはいえ至高の御方を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「見くびってくれるなよ。俺はお前達が忠誠を誓う至高の御方とやらなんだろ? ならば見せてやるさ、お前達が忠誠を誓い崇める者がどれほどのものなのかをな…!」
「め、名犬ポチ様…!」
勝算がある時の名犬ポチは驚く程に強気なのだ。
だって勝算があるのだから。
「俺なら止められる。いや、
「……! 承知しました、そこまで仰るのならば…。ただ監視の目は付けさせて頂きます。それだけは折れて頂きますよう…!」
「……マジで?」
「マァァァジです!」
(あぁあぁあああっっ! 駄目だこいつ…! カッコ良すぎるッッ! こんなの無理っ! おかしくなるっ! 悔しいっ…! あらがえないっ…! 断り切れないッ…!)
「か、構わん、手を出すのでなければそれでいい。あとクレマンティーヌと獣王、お前達も待ってろ」
「か、神様…」
「く、くーん…」
心配そうに見つめる二人を尻目にナザリックの外へ向かって名犬ポチが歩を進める。
この時、心の中で心底やっちまったと反省する名犬ポチ。
(ちくしょー…。シズはしょうがないとして、他の誰にも見られたくないから援護だって断ったのに…。一生の不覚だぁ…)
横を歩いていたシズが心配そうな視線を名犬ポチに向ける。
「ん? どうしたシズ。後始末はお前に頼むぞ。その為に連れていくんだから」
「それは問題ない。ただ、どうやってルベドを止めるの? 命令権の無い者が正面から止める方法は私も知らない」
シズの問いにニヤリと笑う名犬ポチ。
「それこそ問題ない。タブラさんと少しルベドの話をしたことがある。だからルベドがどういうものなのかは予想がついてるんだ。それに設定通りなら多分あいつはつらい思いをしてるだろう。だからこそ迎えにいってあげないと」
「まさか説得?」
「いやいや、そんなわけないだろう。一番通用しないタイプだ。正々堂々、正面から真っ向勝負で卑怯な手を使わせて貰うだけだ」
名犬ポチの答えにシズが「むー」と唸る。
はぐらかされているのが気に喰わないのだろう。
だが名犬ポチもこれはあまり口に出して説明したくない理由があるのだ。
そうすると
感傷的でくだらないプライド。
最後の最後であれに手を出すことになろうとは。
だがそれでも、この場を収められるならばどんな手でも使う。
なぜなら相手はルベド。
ナザリック最強の個。
誰が知るだろう。
片腕を失い、片足も動かず、満身創痍で満足に動けない。
その状態でありながらも。
やはり最強はルベドなのだ。
誰も彼女には勝てない。
それこそが最強と言われる所以。
タブラ・スマラグディナの最高傑作。
敗北しないからこそ、最強。
だが相対するは名犬ポチ。
ギルドメンバー最弱であり、強さとは無縁の男。
彼の前で最強など何の意味があるというのか。
そして、隠し玉を持っているのはお互い様。
「待ってろルベド。
次回『禁忌』ポチ、自らのアイデンティティーを全否定する。
描写省いちゃったんですが、シズとパンドラはアルベド派のシモベと大戦争してました。
そんでギリギリ勝利して安全になったナザリックで出迎えって感じです。
ポチさんはやってくれますよ、一応主人公ですから。
あと「戦闘は始める前に終わっている」ってぷにっと萌えさんが言ってた。
ラスト近いせいかテンション上がってきて筆が進む! 進むぞぉ!
久々の連日投稿、書き始めを思い出す。