オーバードッグ 名犬ポチ《完結》   作:のぶ八

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前回までのあらすじ!



倒れるマーレと負傷したルベド!
そしてガルガンチュアにボコられそうになる名犬ポチ!


望まぬ邂逅

ルベドとマーレの戦いの余波はここ、エ・ランテルにまで届いていた。

物理的な影響こそないものの、振動する空気、轟く爆音。

何か尋常ではない事態が起きているのは誰もが理解していた。

 

 

「デミウルゴス様、これは…」

 

 

嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)がそっと耳打ちする。

ここはエ・ランテル冒険者ギルドの一室。

王国中の戦士達がエ・ランテルに集まり、今はデミウルゴスを中心として作戦会議が開かれていた。

 

 

「ええ…。この魔力はマーレですか…。相手はおそらくルベド…でしょうね…」

 

「あの方がアルベド様達と対立しているならこちらも加勢に向かうべきでは…?」

 

「そうしたいのですがね…。恐らくはそろそろコキュートス辺りがこちらへ攻めてくる頃合いでしょう。放っておけば後ろを突かれることになります」

 

「し、しかし…」

 

「貴方の懸念はわかります。まさかここでマーレがアルベドと敵対するとは私も考えていませんでしたから…」

 

「ですがなぜマーレ様が…」

 

「もしかするとマーレが原因ではないかもしれません、何かに気付いたのはアウラかもしれませんね…。彼女の能力をもっと高く評価するべきでした。それに気付くことができなかった私の失策です…」

 

 

己の失敗を純粋に恥じ反省するデミウルゴス。

だがきっかけはアウラのみが知るシャルティアの死の真実だ。

いくらデミウルゴスとてそこまでは読み切れない。

 

 

「今はアルベド側の戦力が少しでも削がれることを期待するしかないでしょう。我々は当初の予定通り作戦を実行するだけです。きっとそれこそが名犬ポチ様の狙いなのでしょうから…」

 

 

デミウルゴスの言葉に了解したと返事をするように頭を下げる嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

その時、部屋のドアを開け入り込んできた者が一人。

 

 

「デミウルゴスさ…、殿! き、来ました! 数は少ないですが王国でも目撃のあった蟲の魔物を確認したとの報告が!」

 

「来ましたか…、我々も出るとしましょう。報告ありがとうございます、ラキュースさん」

 

 

現場の指揮官でありながらわざわざ報告しにきたラキュースに笑顔で答えるデミウルゴス。

 

 

「い、いやそんな大したことじゃ」

 

 

えへへ、とはにかみながら頭をかくラキュース。

それを物陰から見ていた蒼の薔薇の面々。

 

 

「リーダー気持ち悪い」

 

「あんなリーダー初めて見る」

 

「はぁ、まさかこのタイミングでねぇ…。人生ってのはままならないもんだなぁ…」

 

「な、なんだラキュースの奴どうしたというのだ!? 具合でも悪いのか!?」

 

 

半ば呆れたような3人のリアクションに反しイビルアイのみが狼狽した様子を見せる。

 

 

「イビルアイは知らなくていい」

 

「これだからおこちゃまは…」

 

「な、なんだ!? 何を言っている!? お、お前らはラキュースが心配じゃないのか!? 見ろ、あの顔を! 赤くなっているじゃないか! 熱でもあるのかもしれん! これから大事な戦いが控えているというのに!」

 

 

一人わたわたと慌てるイビルアイにガガーランが肩を組み、悟りを開いたような顔で言う。

 

 

「いいかイビルアイ。リーダーはな、大人の階段を上っている最中なんだ」

 

「お、大人の階段!? なんだそれは!?」

 

「つまりな、ラキュースは今も強くなってるってこった」

 

「な、なんだと!? い、意味がわからん! なぜそうなる!?」

 

「今はわからなくていい…、だがいつかイビルアイにも…。いや、イビルアイは無理かもな」

 

「…!?」

 

「だが仲間ならば静かに見守るべきだ…。もしかするとキリネイラムの呪縛からリーダーが解き放たれる時もそう遠くないのかもしれねぇ…」

 

「なん…だと…!? ど、どういうことだ!?」

 

「いや悪ぃ、根拠はねーんだ。ただな、女の勘っていうのかな? もしかするとリーダーが大人の階段を上り切れればそういう事もあるんじゃねーのかなって思っただけだ。なんでだろうな、俺にもわかんねぇや…」

 

「そう、か…。少なくともラキュースがピンチなわけでは無いんだな…?」

 

「おう、むしろガンガンよ」

 

「!? い、意味はわからんがピンチで無いならいい」

 

 

渋々ながらも納得するイビルアイ。

その横でティア、ティナ、ガガーランが心の中で最大のエールを送っていた。

 

 

「な、なに、急に寒気が…」

 

 

突如として謎の悪寒に見舞われるラキュース。

果たして彼女が大人の階段を上れる日は来るのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

「あっはっはっは! どうしたのアウラ! 威勢が良かったのは最初だけだったみたいね!」

 

「く、くそっ…」

 

 

アウラは追い込まれていた。

いくら真なる無(ギンヌンガガプ)を所持していたとしても足止めにしか使えないのであればアウラとアルベドの戦闘能力の差を埋めるには至らない。

冷静さを失っていた最初こそアルベドを圧倒しかけたものの、その実力差は大きい。

『群』としての力が行使できず、単体での戦いならアウラは守護者の中でもブービー。

とてもではないがアルベドの防御を突破することはできない。

 

 

「でも褒めてあげるわ。真なる無(ギンヌンガガプ)を奪ったとはいえ単身でここまで私に食い下がったのだから」

 

「い、言ってなさいよ…! ま、まだ戦いは…」

 

「もう終わってるようなものよ?」

 

 

その言葉と共に突進し袈裟懸けにバルディッシュを振り下ろすアルベド。

間一髪、後ろに飛び致命傷を避けるアウラだが無事というわけではない。

完全には避けきれず、肉は裂け傷口から大量の血が流れる。

 

 

「あぐっ…!」

 

「認めなさい、貴方はどうあがいても私に勝てないのだから。ヘルメス・トリスメギストスが無くても貴方など赤子の手を捻るように倒せるわ」

 

 

それはアルベドの全身鎧。

今は傾城傾国を身に纏っているため身に付けておらず、それによる完全武装ができない。

鎧の効果と自身のスキルを組み合わせれば超位魔法ですら3発まで無傷で耐えられるという破格の防御性能。

それが無い今のアルベドは完全ではないがそれでも他の者より防御に秀でている事実は変わらない。

 

 

「もう終わりよ」

 

 

よろけるアウラの膝にバルディッシュの柄を思い切り叩きつけ砕くアルベド。

 

 

「あぁああああぁぁっ!!!」

 

 

声を上げ崩れ落ちるアウラ。

そんな倒れたアウラの体をさらに足で踏みつけ笑うアルベド。

 

 

「さぁ、真なる無(ギンヌンガガプ)を返して頂戴? 創造主に習わなかったの? 人の物は盗んではいけませんって」

 

「あんたが言うと…、わ、笑えるわっ…! あぐぁあああ!」

 

 

アウラを踏みつけている足に力を込める。

ミシミシとアウラの体の軋む音が響く。

 

 

「軽口はやめましょう? もう貴方に勝機などないのだから。大人しく返せば命だけは助けてあげるって言ってるでしょう?」

 

「あんたに支配されるくらいなら死んだ方がマシよ…!」

 

「本当に馬鹿で愚かだわ…。ここで強情を張ったって未来が変わるわけじゃないのに…。貴方が私の支配から逃れるのはもう不可能…。真なる無(ギンヌンガガプ)だって無理やり奪い取ればいいのだし…」

 

 

そうしてアルベドがアウラが抱える真なる無(ギンヌンガガプ)へと手を伸ばす。

だがアウラはアルベドの手が伸びる前に真なる無(ギンヌンガガプ)を遠くに放り投げる。

 

 

「何を…? まるで子供ね…。そんな駄々をこねるみたいな真似をしてみっともないと思わないの…? そんなことでどうにかなると思っているわけじゃあるまいに…」

 

「今日この台詞は何回目だろうね…? バカはあんたよ」

 

「は?」

 

 

アウラの負け惜しみにイラつきを覚えるアルベド。

だが怒りに染まったその表情はすぐに蒼褪めることになる。

 

 

()()()()()()()!」

 

 

唐突なアウラの叫び。

だがここにアウラの使役するモンスターはフェンリルしかいない。

アルベドはそう思っていた。

だがその言葉と共に何もない所からクアドラシルが徐々に姿を現す。

カメレオンとイグアナを融合させたような六本足の上位魔獣イツァムナー、クアドラシル。

その特性としてカメレオンのように擬態し、周囲に溶け込む能力を持つ。

 

 

「い、いつの間にっ!」

 

真なる無(ギンヌンガガプ)をデミウルゴスに届けて! お願いクアドラシル!」

 

 

アウラの言葉と共にクアドラシルが真なる無(ギンヌンガガプ)を口に咥え、この場から逃げ出す。

それを見て一気に周囲の温度が低下したような錯覚を覚えるアルベド。

 

 

「さ、させるかぁああああ!!!」

 

 

そう叫び、すぐにクアドラシルを追おうとするアルベドだがもちろんアウラが許す筈など無い。

 

 

「待ちなよアルベド、あんたの相手は私でしょ…?」

 

 

アルベドの体をガッシリと掴み動きを止めるアウラ。

 

 

「は、離せこのガキがぁあ! 離せっ! 離せぇえええ!!!」

 

 

アウラを引きはがそうと必死に殴りつける。

体を抑えようと密着しているアウラにバルディッシュは使えない。

何度も何度も殴りつけるがアウラは離さない。

顔の骨が砕け、目が潰れても決して離さない。

 

 

「く、くそがぁ…! 往生際が…!」

 

 

だがアルベドはすぐに気付く。

そして熱くなりすぎたあまり自分の軽率さを恥じる。

 

 

「あぁ、確かに貴方の言う通りかもねアウラ…。私もバカだったわ…。真なる無(ギンヌンガガプ)を捨てた貴方を洗脳すればそれで解決するのだから!」

 

 

そして傾城傾国を発動する。

今のアウラにそれを防ぐ手段は無い。

再び光る龍が天空へと飛び立つ。

 

 

「も、もう一度言うわ…、あんたに支配されるくらいなら死んだ方がマシよ…!」

 

 

光る龍が落ちてくる前に自ら自分の喉を掻き切るアウラ。

 

 

「なっ…!?」

 

「デミウルゴス…、疑ってゴメン…。後は…頼ん…だわ…よ…」

 

 

喉から鮮血を吹き出し絶命するアウラ。

もちろん死んでしまっては傾城傾国は意味をなさない。

 

 

「こ、姑息な真似をよくも…、ア、アウラァ…!」

 

 

だがすぐに立ち上がりクアドラシルを追おうとするアルベド、しかし。

 

 

「ガウッ!」

 

 

洗脳が解けたフェンリルがアルベドの首元を狙い噛みついてくる。

 

 

「ふざけるな獣風情がぁあああ!!!」

 

 

即座にパリィし攻撃を反射するアルベド。

そのまま追撃の攻撃をフェンリルへと放つ。

上半身に風穴が空き、吹き飛ぶフェンリル。

 

すぐにクアドラシルの逃げた方向へ走り周囲を探すがもうクアドラシルの姿はどこにも見えない。

 

 

「はぁっ、はぁっ、どいつもこいつもナメやがってぇ…! クソッ! クソッ! クソがぁあああ! ちくしょうが! 殺してやる…! どいつもこいつも皆殺しだ! 全員ブチ殺してやるっ!」

 

 

逃げられた。

その事実がアルベドを苛み、抑えきれない怒りがアルベドの口から漏れる。

真なる無(ギンヌンガガプ)がデミウルゴスの手に渡るのは最悪に近い。

もうデミウルゴスを傾城傾国で洗脳できなくなる。

この状況で切り札が使えない相手というのは厄介すぎる。

 

 

「そ、そうだ…! 名犬ポチ…! あいつさえ…、あいつさえ殺せばそんな心配などいらない…! 名犬ポチさえいなければデミウルゴスとてどうにでもなる…! あの二人が組みさえしなければいいのよ! あはは! 殺す! 殺してやるわ名犬ポチ…! 待っていなさい…! すぐに…! すぐに殺しに行ってあげるわぁ…!」

 

 

クアドラシルの捜索をやめ、即座にガルガンチュアの元へと向かうアルベド。

あくまで名犬ポチと合流された場合に傾城傾国が通じないというのが死活問題になるだけであり名犬ポチさえ殺せば関係ない。

後は力ずくで敵対者全員殺すだけだ。

 

 

「大丈夫…! やれる…! 私ならやれる…!」

 

 

未だマーレとの闘いからルベドが帰還していないが待っている暇はない。

 

 

「例えルベドがいなくても…! いくら至高の御方といえど私とガルガンチュアならいけるはず…! 勝てる…! この状況ならば勝てる! デミウルゴスはエ・ランテル! 勘づいたとしてもコキュートスがいる…! 邪魔は入らない…! もう私の勝ちは揺らがない! あはは! あーはっはっはっは!!!」

 

 

けたたましい笑い越えをあげながらガルガンチュアの元へ疾走するアルベド。

彼女は間違っていない。

デミウルゴスはエ・ランテルにおりコキュートスとの闘いが控えている為ここには来れない。

それに元々、名犬ポチを取り巻く環境が劇的に変化していることなどこの場にいないデミウルゴスにはわかる筈もないのだ。

 

もはやアルベドを止められる者はいない。

 

 

 

 

 

 

「わん!(誰だ!? お前がいるってことは誰か来てるんだろう! 近くにいるのか!? なぁ! ああ、本当に嬉しいぜ! もうプレイヤーの影に怯えなくて済むんだからな!)」

 

 

心底嬉しそうにガルガンチュアに語り掛ける名犬ポチ。

だが帰ってきたのは無情な現実。

 

 

「最重要対象ヲ補足、タダチニ排除スル」

 

「わん(は? 何言って)」

 

 

笑顔のまま固まる名犬ポチにガルガンチュアの一撃が無慈悲に振り下ろされる。

 

即死の一撃。

 

100レベルを上回る戦闘能力を持つガルガンチュア。

それに対して名犬ポチはオーバードッグのデメリットによりレベル33相当にまで戦闘能力が落ちている。

かなうはずが無い。

それどころか一撃を喰らえばそれだけで全身が吹き飛ぶ。

 

安心しきっていた名犬ポチは動けない、反応もできない。

その名犬ポチにガルガンチュアの拳が当たるその間際。

 

 

「くーん!」

 

「わん!(ぐわっ!)」

 

 

割って入った獣王が名犬ポチを勢いよく弾き飛ばす。

すんでの所でガルガンチュアの一撃を回避できた名犬ポチが地面をコロコロと転がっていく。

名犬ポチを弾き飛ばした獣王は直撃こそはしなかったものの、わずかにカスっただけで下半身が吹き飛んでいた。

受け身もとれず水袋が落ちるような音と共に地面に体を打ち付ける獣王。

もはや生きているのが奇跡とも言える状態になりながらも目は死んでいない。

この状態になりながらも案ずるのは名犬ポチのこと。

 

 

「くー…ん…」

 

「わ、わん!(じゅ、獣王ォォォオオ!!)」

 

 

名犬ポチが叫ぶ。

 

 

「く、くーん…」

 

「わん!(ふ、ふざけるなよ…! お前を置いて逃げれるわけねぇだろうが! 待ってろ、今すぐに…! ぐわっ!)」

 

 

ガルガンチュアの追撃が名犬ポチを襲う。

今度は反応が間に合い、回避に成功する。

だがガルガンチュアから距離を取ることにより、結果として獣王からより離れてしまっていた。

 

 

「わん(く、くそ…! このまま避けながらじゃ魔法を撃つのは無理だ…! ど、どうすれば…!)」

 

 

体の半分が吹き飛んでいる獣王。

一秒毎に目から生気が失われていくのが見て取れる。

もちろん後で蘇生の魔法をかければいい話だが、体がある以上、後でここに戻ってこなければならない。

だがガルガンチュアという敵対者がいる以上そう上手く事を運べるとは思わない。

それに何より戻ってきた時に体は消えているかもしれない。

だが今はそれどころではない、そもそも逃げながらではそんなことに気を回す余裕はない。

なんとか今すぐに回復魔法を撃って自力で逃げてもらうのが最善。

それなのに。

 

 

「わんっ!(くそっ! 邪魔するな! 獣王が…、獣王が死んじまうっ…!)」

 

 

悲痛な名犬ポチの叫び。

だがガルガンチュアが答えてくれる筈も無い。

 

巨大なガルガンチュアと小さな名犬ポチ。

戦闘能力の差よりもサイズの違いで小回りが利きやすい為に名犬ポチはなんとか回避に成功していただけで本来はスピードも敵わない。

やはりステータスが違う。

名犬ポチがつかまるのも時間の問題である。

 

 

「わんっ!(があっ!)」

 

 

ターンを失敗しコケる名犬ポチ。

そこにガルガンチュアの拳が落ちてくる。

腕の力を使い咄嗟にジャンプするが、片足にガルガンチュアの拳が吹き飛ばした岩の欠片が当たる。

 

 

「わん!(ぐっ! 痛ぇっ! ちくしょう…!)」

 

 

勢いのついた岩の破片は名犬ポチの足の骨を簡単に砕いた。

足が満足に動かなくなり一気にスピードが落ちる名犬ポチ。

もうガルガンチュアの次の攻撃は避けられない。

 

 

「わん!(や、やられてたまるかぁ! 《ドッグケージ/犬の檻》!)」

 

 

魔法を放つ名犬ポチ。

即座に名犬ポチを囲むように頑強な檻が出現する。

 

第8位階に存在するこの魔法は術者の周囲に驚異的な防御能力を誇る盾を出現させる。

しかも犬系の種族であればさらに防御ボーナスが乗るというオマケ付きだ。

一見良いことずくめであるように思えるがデメリットとして一定時間その場から動けないという制約がつく。

それは魔法の効果が続く間ずっとだが一定以上のダメージを受け檻が壊れてしまってもそれは変わらない。

檻が壊れても本来の効果時間が経過するまではその場から動けないのだ。

つまりこの魔法で凌ぎ切れなかった場合、逃げられなくなる。

 

重いガルガンチュアの一撃が檻を押しつぶす。

なんとか耐えたが檻は一撃で目に見えるほどひしゃげていた。

 

 

「わん!(マ、マジかよ! 強すぎるだろっ!)」

 

 

そして二撃目。

今度は檻の一部を吹き飛ばす。

歪んだ檻はもう最初の形を為していない。

 

 

「わん!(マ、マズい…! 檻がもう持たねぇ…!)」

 

 

そして名犬ポチの読み通り三撃目で檻は砕け散り、わずかに残った檻の骨組みと共に名犬ポチの体が押しつぶされる。

 

 

「わん!(ぐわぁぁあああ!!!)」

 

 

わずかに残った檻のおかげで絶命こそしなかったものの瀕死の重傷を負う名犬ポチ。

全身の肉が裂け、血が飛び散り、骨が軋んでいるのが分かる。

あまりの痛みに意識が飛びそうになる。

この世界に来てからまともに傷を負うのは初めてだった。

それに元々はただの一般人。

痛みに耐性などあるはずがない。

ここはゲームの世界ではないのだから。

 

 

「わ、わん…(がっ…! ち、ちくしょう…! い、痛ぇ…! 痛ぇ! な、なんで俺がこんな…! なんでガルガンチュアが俺を…!)」

 

 

即座に回復魔法をかけ回復しないと命が危ない。

だが回復したとて《ドッグケージ/犬の檻》の効果でまだこの場から動けない。

ふと見上げるとガルガンチュアが再び拳を振り下ろそうとしていた。

仮に全快したとて檻が無い以上もはや耐えられる筈も無い。

それが振り下ろされれば待っているのは完全な死だ。

 

 

(い、嫌だ、死にたくねぇ…! な、なんで俺が死ななくちゃならない…! なんでガルガンチュアがここにいるんだ…! アインズ・ウール・ゴウンのメンバーはどこに…! くそっ…! 誰か分からないが後で説教してやる…!)

 

 

必死に体を動かそうとしてみるものの指の一本すらまともに動かせない。

聞こえるのはヒューヒューという自分のか細い呼吸のみ。

 

 

(た、助けてくれ…! たっちさん…! ウルベルトさん…! タブラさん…! 誰かいないのか…! そうだ、モモンガさん! モモンガさんはどこだ…! ユグドラシルのサービス終了まで一緒に過ごしたんだ…! もしかしたらモモンガさんもこの世界に…!)

 

 

その時ふと名犬ポチの脳裏に過去の思い出が蘇る。

 

 

『俺はもうどこにも行かねぇよ…』

 

 

そう、名犬ポチはそう言ったのだ。

 

 

『俺アインズ・ウール・ゴウンの皆と過ごした時間が一番楽しかったんだ。それにモモンガさんに寂しい思いをさせてた事にも気づいた。だからもう二度と手放さない。モモンガさんさえよければ俺はずっとモモンガさんと一緒にいたい…』

 

 

馴れないせいか妙な言い回しになってしまったかつての名犬ポチの言葉。

愛の告白みたいだとモモンガに笑われたことを思い出す。

 

 

『ふぅー、そうですね…。もし名犬ポチさんがこれからも遊んでくれるなら嬉しいです』

 

『じゃ、決まりだな』

 

 

そうだ。

モモンガさんと最後にした約束。

これからはずっと一緒に遊ぶと約束したのだ。

だがそれはこの世界に転移してきたことで叶うことはなかった。

 

それと同時に嫌な予想が頭をよぎる。

最初にガルガンチュアと出会った時に聞いた一言。

 

 

『最重要対象ヲ補足、タダチニ排除スル』

 

 

そうだ、間違いない。

ガルガンチュアはこちらを完全に把握していた。

把握した上で攻撃を仕掛けてきているのだ。

 

 

(ま、まさかモモンガさん…、あんたなのか…。お、俺が側にいなかったから…、いれなかったから怒ってるのか…? そ、そんな…)

 

 

次いで思い出したのは最終日にログインした直後のこと。

 

 

『ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! なんで皆そんな簡単に棄てることができるんだ!』

 

 

最初に見たのは荒れていたモモンガの姿だった。

あの時は気にしていなかった。

あれがモモンガの本心だったと気づきながら深く考えていなかった。

 

 

(ず、ずっと恨んでたのか…? ナザリックから離れた俺たちを…。す、すまねぇ、モモンガさん…。俺だって、他の皆だって望んで去ったわけじゃないんだ…。一緒にいられるのなら喜んでそうした…。だ、だからモモンガさん…、許してくれ…。どうか俺を許してくれ…)

 

 

名犬ポチの目に涙が滲む。

出てくるのは後悔とモモンガへの謝罪の気持ち。

だが現実は変わらない。

もうじきガルガンチュアの拳が落ちてきて名犬ポチは死ぬ。

モモンガの苦しみに、悲しみに気付いて上げられなかった代償。

もしそれでモモンガの気が少しでも晴れるならそれも悪くない、そう思えてしまった。

 

 

だが名犬ポチは知っている。

いや、名犬ポチだけではない。

アインズ・ウール・ゴウンの全員が知っている。

 

モモンガさんはそんな人じゃない。

 

もちろん人間だから恨み事だって言うだろう。

喧嘩することもあるかもしれない。

だがあの人はこういうことをする人じゃない。

 

アインズ・ウール・ゴウンの誰もがモモンガさんを心から信頼している。

 

 

アインズ・ウール・ゴウン。

悪のロールプレイに徹し、最盛期にはギルドランキング第9位を記録したギルド。

全ギルド中最多の11個のワールドアイテムを所持しており、1500人からなる討伐隊を撃退したこともある。

PKや鉱山の占拠など悪評に事欠かなかった伝説のDQNギルドだ。

そこに所属する人数こそ他のトップギルドに比べれば少ないものの、誰も彼もがアクが強く纏め上げるのは並大抵のことではない。

事実、仲が悪く喧嘩をするような者もいた。

 

だがモモンガさんだから。

モモンガさんだから皆がついてきたのだ。

モモンガさんだから纏め上げられたのだ。

あの人がいなければアインズ・ウール・ゴウンは存在しなかった。

 

だからこそ分かる。

あの人ほど仲間を大切に想っていた人はいない。

あの人は絶対に仲間に手を上げたりしない。

それを見逃すこともない。

 

ではこれはなんだ?

ガルガンチュアはどうして動いている?

どうして攻撃を仕掛けてくる?

 

 

(モモンガさんじゃ、ない…のか…。誰だ、誰がガルガンチュアに命令を出している…? モモンガさんはこの世界に来ていないのか…? それとも来ているのか? 俺みたいに単身でどこかに飛ばされたのか…? それとも…、モモンガさんの身に何かあったのか…?)

 

 

結局は堂々巡り。

考えても何も解決しない。

何もわからない。

だがナザリックに存在するはずのガルガンチュアがここにいる時点で様々な憶測が立つ。

少なくとも前よりは希望が持てる。

 

だからなんとかして生き延びなければならないのに。

 

 

(ちくしょう…! 駄目だ、避けられねぇ…! 食らっちまう…! 回復魔法を、いや駄目だ…。スキルで眷属を…、いや時間稼ぎにもならず蹴散らされる…! あぐっ! 痛ぇ…! 駄目だ、意識が飛びそうだ…!)

 

 

体の痛みでまともに思考もできず考えも纏まらない。

 

 

(だ、誰か…! 誰でもいいっ…! 俺を助けろっ…! 俺はこんなところで死んでいい犬じゃないんだっ…! 誰か時間を稼げ…! 俺の盾になるんだぁ…! エ、エサならやる…! ドッグフードを! 200粒! いや500粒だ! 1000粒! だ、だから誰でもいい…! お、俺を助けるんだぁあああ!!!)

 

 

がむしゃらに足掻き、駄目元で一つの魔法を発動する。

 

《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生》。

 

犬に仇名す者以外ならばほぼデメリット無しで蘇生できる魔法。

とりあえず誰でもいいから蘇生し盾にして時間を稼がそうという最低な魂胆である。

 

だが場所が悪かった。

 

ここカッツェ平野は大量の死者が出る場所ではあるが放っておけばアンデッドの多発に繋がるので戦争があっても死者は墓地まで運び丁寧に埋葬する。

名犬ポチが知らない人物はその身体の一部が無ければ蘇生できない。

それに死体の一部があったとしてもアンデッドに変わっているものがほとんどでここで蘇生できる者は少ない。

ゆえにこの場所で名犬ポチが無計画に蘇生できる者は基本的にいない。

 

だが例外はある。

 

死体が無くとも名犬ポチが知る者ならば蘇生できるのだ。

これはユグドラシルの法則に由来する部分もあり、ゲームメニューからフレンドを選択するように、知っている人物ならばコンソールが使えなくなったこの世界でもアクセスが出来る。

ゆえに蘇生させることが可能なのだ。

だがもちろん条件がある。

 

一つは対象者の本拠地となる場所で蘇生する場合。

もう一つは対象者が死んだ場所で蘇生を行う場合。

 

それをこの場で満たすのは難しい。

 

だが名犬ポチの蘇生魔法に反応する存在が一つ。

この魔法の対象になる者が一人だけ存在する。

かつてここで死んだ者。

名犬ポチが知っている誰か。

 

 

(だ、誰だ…! くそっ…、意識が朦朧として…、判別でき、ねぇ…! わからねぇ…! い、いや、いい…! 誰でも…いい、俺を…助け…)

 

 

最後の力を振り絞りその対象者に向け魔法を発動する。

 

名犬ポチは知らない。

 

今、自分がどこにいて誰を蘇生しようとしているかを。

 

名犬ポチは知らない。

 

かつてこの世界に誰が来ていたのかということを。

 

そして本来ならばこの蘇生魔法は効かないはずの相手。

だが彼には一つのスキルがある。

それが不可能を可能にした。

 

名犬ポチ同様、それは彼の二つ名としても語られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

カッツェ平野と呼ばれる死者が闊歩する荒涼とした大地。

 

かつてここに転移してきたギルドがあった。

 

その時は今と違い、緑が生い茂り川のせせらぎが聞こえる豊かな土地だった。

まだ人の手が入っていないその土地に転移してきたギルドは国を作り栄華を極めた。

誰も差別せず、誰もが笑顔で生きられる国。

 

だがそれは長く続くことは無かった。

 

後に転移してきたギルドとの大きな抗争になってしまったからだ。

飛びかう超位魔法の嵐。

国は滅ぼされ、ギルド武器も破壊された。

 

拠点は滅び、大地は死に、残ったのは夥しい死体の山だけ。

 

 

後世にこの出来事は伝わっていない。

 

 

後の世を作ったのは滅びたギルドを裏切った者達だったからだ。

だがそんな彼等にも一つだけもみ消せないことがあった。

 

それはただ一つの単語。

 

もう誰にも奪われないように、もう何者も侵さないように。

どうか安らかに。

 

その想いを忘れない為に生き残った人々はその言葉を伝え続けた。

 

各地に散った生き残り達が、その子孫が、やがて意味すらわからなくなってもその言葉だけは人々の間に、歴史の中に残り続けた。

そして今や裏切者の子孫すらその言葉が何を意味するのかわからなくなるほどの時間が経ってしまっても。

 

意味を失っても決して忘れられることの無かった言葉。

 

いつから場所を指す言葉と認識されていたのか。

 

それが本来意味するのは名前。

 

それこそが彼の証。

 

存在した証明。

 

 

 

ここは神の国。

 

 

 

ビーストマン達が追い求めた夢の跡、約束の地。

 

同時に神が磔にされた忌まわしき場所。

 

それは犬の敵。

 

名犬ポチのライバル。

 

そして、猫の王。

 

今でも伝わるその名前は。

 

 

 

ネコさま大王国のギルド長・カッツェという黒い子猫のものなのだから。

 

 

 

カッツェとはドイツ語で猫を意味する。

 

 

 

ユグドラシル時代の彼の異名は『化け猫』。

 

 

死んでなお、化けて出る。

 

 

 




次回『負け犬と化け猫』狂々と因果は巡る糸車、すべて世の中堂々巡り。


前話の後書きで「出会ってはいけない二人がついに出会う」と煽り文句を書きましたが厳密にはギリギリ出会ってませんね、まぁ出会ったようなもんってことでここは一つ…。

しかしこの為だけに本編には直接影響を与えないビーストマンの話を挟んだといっても過言ではないでやっとここまでこれてホッとしてます。

あれ…、なんだか、ホッとしたら…、急に眠く…、う…。ドサッ

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