オーバードッグ 名犬ポチ《完結》   作:のぶ八

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前篇、後編に分けることにしました。


救済の螺旋:前編

「グオオオオオ!!!!」

 

 

ギガントバジリスクが振り回した尻尾の一撃で数体のアンデッドが吹き飛ぶ。

10mを超える巨体から繰り出されるその一撃は並のアンデッドを簡単に粉砕していく。

石化の視線や体内を流れる猛毒がアンデッドに対して効果を発揮しなくとも、ギガントバジリスクと戦いになるアンデッドはここに存在しなかった。

 

エ・ランテルの墓地で繰り広げられるモンスターとアンデッドによる攻防。

だがそれはもはや一方的に近かった。

溢れかえるアンデッドを10体のギガントバジリスクが粉砕していく。

 

 

「テイマーの効果でギガントバジリスクの戦闘力が上がっているのか!? これが一人師団…! ここまでとは…!マズイな、想定以上だ!」

 

 

アンデッドを次々と破壊していくギガントバジリスクに驚きを隠せないカジット。

 

 

「何やってるクレマンティーヌ! いつまで寝てるつもりだ!」

 

「うるせぇええええええ!!!!」

 

 

叱咤するカジットの声にクレマンティーヌの叫びが返る。

だがその姿はどこにもない。

間を置いて、破壊されたアンデッドの山に埋もれていたクレマンティーヌが起き上がり姿を現す。

 

 

「くそがぁぁあああっ…!!!」

 

 

その姿はすでにボロボロだった。

致命傷は無いが、体中は痣や擦り傷で一杯だった。

その視線は正面に立つクアイエッセへと向けられている。

 

 

「死ねぇぇええええ!!!」

 

 

武技を駆使し、クアイエッセへ向かって神速の突きを繰り出すクレマンティーヌ。

だが横から飛び掛かってきたサーベルウルフに足を取られバランスを崩す。

その隙を突きクアイエッセがクレマンティーヌへ距離を詰め、膝蹴りを入れる。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

辛うじて踏みとどまり、即座に反撃に転じようとするがすでにクアイエッセは近くにいない。

蹴りを入れた瞬間に後ろに控えさせていたマンティコアへ騎乗し、距離を取っていた。

そして壁になるように別のサーベルウルフとマンティコアが間に立つ。

 

 

「クソッ! クソッ! クソがぁぁぁあ! さっきからウロチョロしやがって…! ウゼーんだよ!!!」

 

「頭を冷やせクレマンティーヌ! 無策で攻めてどうにかなる相手ではあるまい!」

 

「分かってんよ! カジっちゃんもさぁ、もっとアンデッド出せないの…!?」

 

「無茶を言うな!!! ギガントバジリスクを抑えるだけで精一杯だ!」

 

 

本来ならギガントバジリスク10体となど戦いにすらならないが《アンデス・アーミー/不死の軍勢》によるアンデッドの無限召喚があるためなんとかカジット達は抑えることに成功していた。

とはいっても召喚されたアンデッド達は次々と屠られていくのだが。

後方からカジットとその弟子達が魔法で牽制し、なんとか戦線を維持している。

クレマンティーヌもクエイエッセと戦いながらすでに数匹のサーベルウルフやマンティコアを処理しているがこの戦いにおいて根本的な問題はギガントバジリスクなのだ。

それをどうにかするかテイマーであるクアイエッセをどうにかしないことには勝機はない。

だがクレマンティーヌもクアイエッセに致命打を与えることができない。

1対1にまで持ち込めれば勝機はあるのだがサーベルウルフやマンティコアによってそれを阻害される。

カジットもクレマンティーヌもあと一手が足りない。

それを見透かしたようにクアイエッセが口を開く。

 

 

「最初の威勢はどうしたクレマンティーヌ、それで終わりか?」

 

「くそ…! ナメやがってぇぇええ…!!!」

 

 

クアイエッセの挑発にクレマンティーヌはさらに冷静さを失っていく。

だがクアイエッセも決して余裕があって言っているわけでは無い。

彼からしてもあと一手が足りないのだ。

雑魚のアンデッドはいくらでも湧いてくる。

ギガントバジリスク達も無数のアンデッドとそれを援護するカジット達の攻撃によって攻め込む機会を逸していた。

クレマンティーヌも戦士職としては人類最高のレベル。

近接で深追いすればクアイエッセとて手痛い反撃を受けるのは目に見えている。

ならばこの膠着状態を崩す為にクレマンティーヌを精神的に揺さぶるのが最も効果的。

冷静さを失ったクレマンティーヌなら御しやすい。

無力化に成功すればその後にクアイエッセもギガントバジリスク達に合流できる。

そうなればカジット達を屠るのも難しくない。

だが。

そう分かっているのだが。

クアイエッセはこの戦いで訪れた勝機を数度逃している。

先ほどクレマンティーヌに攻撃を与えた時もそうだ。

すでにクレマンティーヌは冷静さを失っておりクエイエッセならば致命打を与えることができた。

だがしなかった。

いや、できなかったのだ。

いくら排除しようと心に決めても。

どんな大罪を犯そうとも。

クアイエッセにとってクレマンティーヌは大事な家族だった。

覚悟が揺らぐ自分を恥ずかしく思う。

大事なところで非情になれない。

そんな己の甘さをクアイエッセは呪った。

自分に妹は殺せない。

 

 

「う、ぐっ…! うぅぅぅううううう!!!!!」

 

 

突如クレマンティーヌの目から涙が零れる。

わずかに怯むクアイエッセ。

 

 

「ク、クレマンティーヌ…?」

 

「わ、私はなんで兄貴に勝てない…!? いつも、いつもだ…! 昔から全部兄貴が持っていく…! 私の欲しいもの全部だ…! 私の手には何も残らない…! 一つ残らず全部アンタが持ってくんだ…!!!」

 

 

口から出る呪詛の言葉。

 

 

「私はただ認められたいだけなのに…! 愛されたいだけなのに…! 私は誰にも必要とされない! 誰にも愛されない! わかるか…!? お前みたいに皆から愛されて生きてきた奴に私の気持ちがわかるかっ! 私はお前の引き立て役じゃないっ!!!」

 

 

その言葉にクアイエッセの胸が抉られる。

 

 

「どれだけ努力しても! 手の皮がズル剥ける程、剣を振っても! 寝る間を惜しんで修行に没頭しても! 男共に乱暴されても! 拷問されても! 誰も私のことなんて気にしやしない! お前だって心の中じゃ私のこと馬鹿にしてんだろぉがぁあああああ!!!!」

 

「違う、違うぞクレマンティーヌ…」

 

「何が違ぇんだよ! 違うなら言ってみろよ! 誰が私を必要としてる!? 誰が私を認めてる!? 私の事を愛してる奴なんてどこにもいねぇだろ!!!」

 

 

クアイエッセは気づかなかった。

妹の心がここまで荒んでいたことに。

妹はいつも結果を残してきた。

皆がそれを認めていた。

だから国にも認められ、漆黒聖典の地位まで上り詰めることができたのに。

妹は気づかなかっただけだ。

妹は皆に必要とされている。

 

それに何より妹の言葉にはハッキリと違うと言い切れる部分がある。

なぜなら。

 

 

「俺はお前を愛しているクレマンティーヌ」

 

「……え?」

 

「家族として、妹として。誰よりもお前を愛している。仮に世界中で誰もお前を愛さないとしても俺だけはお前を愛そう。神に誓ってもいい。俺は、俺だけはずっとお前を愛し続けると」

 

 

クレマンティーヌの瞳が驚きに見開かれている。

 

 

「て、適当な事言ってんじゃ、ねぇ…! なんだよ今更…! そんなん信じられるわけ、ねぇだろ…!」

 

「嘘じゃない。信じられないなら何度でも言ってやる。俺はお前を愛している」

 

 

クレマンティーヌへクアイエッセが近づく。

潤んだ瞳でクアイエッセを見つめるクレマンティーヌ。

 

 

「あ、兄貴…。ほ、ホントに…?」

 

「ああ、ホントだ」

 

「う、嘘じゃない…?」

 

「嘘じゃないよクレマンティーヌ」

 

 

クアイエッセの手がクレマンティーヌの髪を優しく撫でる。

 

 

「お前が犯した罪は許されることじゃない。だが俺も一緒に背負う。共に罪を償うよ。お前が投獄されるなら俺も投獄されよう。磔にされるなら俺もされよう」

 

 

クアイエッセは笑顔で「もちろんそうならないようにお願いするさ」と続ける。

そしてクレマンティーヌを抱き寄せ、優しくささやく。

 

 

「だから帰ろう。国へ」

 

 

兄に抱きしめられたクレマンティーヌの頬を大量の涙が流れていく。

 

 

「なん、で、私なんかのために……」

 

「いいんだよ、俺はお前の兄貴なんだから」

 

 

その言葉にクレマンティーヌが目を瞑る。

少し間が空いて。

 

 

「兄貴……、ありがとう……」

 

 

 

 

ズブッ。

 

 

 

 

不意に音が聞こえた。

クアイエッセの思考が一瞬で真っ白になる。

腹部を襲う激しい痛み。

耐えられずよろけるクアイエッセ。

咄嗟に腹部に当てた手を見るとそれは真っ赤に染まっていた。

 

 

「あはははははははっはあぁああああ!!!!! ありがとぉぉぉ兄貴ぃぃぃいいいいい!!!」

 

 

血に染まったスティレットを弄びながら腹を抱えて笑うクレマンティーヌ。

クアイエッセには何が起きたか理解できない。

 

 

「やばいやばいよ!! 途中で吹き出しそうになっちゃったよ!! あー兄貴あんた最高! 傑作だよ! あんなん卑怯だって!!! 絶対笑うに決まってんじゃん! ま、真面目な顔してさ! ひっひ、はっははっはああああああ!!!」

 

「な、なぜだクレマンティーヌ…。なぜこんなことを…、俺の愛が信じられないのか…?」

 

 

痛みに膝を突き、妹を見上げるクアイエッセ。

彼には何が悪かったのか分からない。

 

 

「あー、愛ねー。愛ハイハイ」

 

 

クアイエッセの腹の傷目掛けて思い切り蹴りを入れるクレマンティーヌ。

 

 

「がぁあぁぁああぁぁああ!!!!!」

 

「あんなん全部嘘に決まってんだろぉがぁああああ!! 何信じちゃってんだよ兄貴ぃぃ!!!」

 

 

地面に伏すクアイエッセ。

視界に映るのは地面に流れる腹部からの大量の血。

それだけでさきほどのスティレットの一撃が致命傷だと分かった。

 

 

「カジっちゃーん!」

 

「冷や冷やさせおって! 本当に情にほだされたかと思ったぞ」

 

「じょーだん。そんなわけないっしょ? それより早くやっちゃってよ」

 

「分かっとるわ!」

 

 

そう言うとカジットが先ほどまで壁として使っていた2体のスケリトルドラゴンを動かす。

それは死の宝珠の力とカジットの支援魔法によって強化されたスケリトルドラゴン。

 

 

「お前ら、準備はいいか!?」

 

 

カジットの声に弟子達が頷く。

テイマーが重症を負ったおかげでギガントバジリスク達の動きに乱れが出始めている。

その隙を突き、スケリトルドラゴン2体を1体のギガントバジリスクにけしかけるカジット。

だがパワーアップしたとはいえ元々は難度的に圧倒的にギガントバジリスクに劣る。

それでも2体のスケリトルドラゴンとカジット及び弟子達の魔法の雨に打たれれば流石のギガントバジリスクも手も足も出ない。

クアイエッセが健在ならば他のギガントバジリスクを動かし止めに入っただろう。

だが今はクレマンティーヌの足元で横になっている。

つまり連携の取れないギガントバジリスクならば各個撃破が可能。

そしてギガントバジリスクの1体が倒れる。

この瞬間、戦況は一気に逆転する。

 

他の2体のギガントバジリスクを止めていたスケリトルドラゴンを動かした為にその隙を突きその2体が同時にカジット達へと向かってくる。

だが戦況はもう覆せない。

 

 

「《アニメイト・デッド/死体操作》…!」

 

 

カジットが魔法を唱え、死んだギガントバジリスクを操作し手駒に加える。

そのギガントバジリスクが向かってくる1体のギガントバジリスクとぶつかる。

そしてもう1体は先ほどのようにスケリトルドラゴン2体とカジットとその弟子達の同時攻撃の雨にさらされる。

倒れるギガントバジリスク。

再びカジットが《アニメイト・デッド/死体操作》を唱える。

 

そこからはもう消化試合のようなものだった。

ギガントバジリスクが死ぬ度にカジットの手駒として蘇っていく。

もうその勢いは止められない。

戦況は完全に決した。

やがてギガントバジリスクは全てアンデッドになり、クアイエッセの使役していたサーベルウルフやマンティコアは次々と惨殺されていった。

 

 

「あっはあっはっははっは!!! 見てる兄貴ぃ!? あんたの手駒全滅しちゃったよ!? ねぇ悔しい? 妹に騙されて足蹴にされて馬鹿にされて独りぼっちの気分ってどんなの!?」

 

 

クアイエッセの顔を踏みつけながら愉悦の表情に歪んだクレマンティーヌが問いかける。

狂ったように笑い、狂ったように叫ぶ。

それを見たクアイエッセの目には涙が浮かんでいた。

 

 

「ぷっ!! あははは!!!! 何泣いてるの兄貴! 何か悲しいことでもあったのかなー? ほーら可愛い可愛い妹に話してごらん? 慰めてあげるよー?」

 

 

完全に上機嫌になっているクレマンティーヌの笑いは止まらない。

だが次の言葉でその表情が一変する。

 

 

「俺は、俺ではお前を救うことができなかったのだな…。そうだ、俺は悲しい…。お前を救えなかったことが悲しくてたまらないんだ…。哀れな妹クレマンティーヌよ…。お前を救えなかった兄を許してくれ…」

 

「何を言ってる…? 今お前が言うべきセリフはそうじゃねぇだろ…? 情けなくみっともなく生き意地汚く命乞いするところだろぉがぁあああああ!!! おら言え! 助けて下さいって言うんだよぉぉおおお!!!!」

 

 

こめかみに血管を浮きだたせクレマンティーヌの怒りが飛び出る。

だがいくら恫喝してもクアイエッセは怯まない。

 

 

「神よ、どうか哀れな我が妹をお許し下さい…」

 

「黙れ黙れよぉっ! 私が聞きたいのはそんな言葉じゃねぇんだよ!!!」

 

 

クレマンティーヌの怒りが決壊する。

クアイエッセの顔を何度も蹴りつけながら叫ぶ。

だがその言葉は届かない。

クアイエッセは死を覚悟してなお、妹を思って祈っていた。

 

 

「そして叶うならばどうか、我が妹をお救い下さい…」

 

 

怒りが頂点に達したクレマンティーヌの口から恐ろしく低い声が響いた。

 

 

「もういい、死ねよ」

 

 

そしてクレマンティーヌがスティレットを構えた瞬間。

 

 

天から光が降り注ぎエ・ランテルを照らした。

 

 

その光はあまりに神々しく、威厳に満ち、荘厳で、あまりにも現実離れしていた。

墓地の最奥であるここからでも十分にその光が見える。

クレマンティーヌもカジットもその弟子達もあまりのことに何が起きたかわからずただただ立ち尽くしている。

 

ただこの中でクアイエッセだけが神の存在を感じていた。

自らの祈りが神に届いたと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

名犬ポチの意識が闇から浮かび上がる。

目の前の痴態をさらしている男に再び意識を持っていかれそうになるが何とか耐える。

なにせ一刻も早く行動せねば大切なソファーを失うかもしれないのだ。

そして名犬ポチが意識を手放した時間はわずか数秒にしか過ぎないのだが体感時間は違った。

まるで長い間、意識を失っていたかのような錯覚に陥っていたのだ。

よくボクサーとかがダウンした時に感じるアレである。

時間を無駄にしたと焦る名犬ポチ。

そして目の前の男が冷静さを取り戻すのを待つ余裕もない。

迷わず魔法を唱える。

 

 

「わん!(《タイム・ストップ/時間停止》)!」

 

 

その瞬間、世界が止まる。

ニグンらしき変態を口に咥え引き摺りながら名犬ポチは駆けだす。

ただひたすら墓地へ向かって。

その後も残りの魔力量も気にせずタイム・ストップ/時間停止》を連発していく名犬ポチ。

かくして実時間にしてわずか数十秒で墓地までたどり着くことに成功した名犬ポチであった。

 

そして偶然にもその墓地の先で見つけることになる。

自分が復讐すべき相手を殺した愚か者を。

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、一体なんだアレは…!?」

 

 

エ・ランテルを包む謎の光を前に怯えを隠しきれないカジット。

クレマンティーヌも同様であった。

しばらくその光に見とれてしまっていた。

 

だがクレマンティーヌはやがてはっと思い出す。

自分は兄を殺す途中だったことに。

 

 

「ちっ、何が起きたか知らねぇーけど、とりあえずあんたは死んどけ」

 

 

そしてスティレットを突き刺そうとした瞬間。

 

 

「わん(おい)」

 

 

謎の声が聞こえた。

 

 

「えっ!?」

 

「な、なにっ!?」

 

 

クレマンティーヌもカジットも驚きを隠せない。

いつのまにか目の前に謎の生物がいた。

だがいくら光に気を取られていたからといってこの距離まで気付かずに接近を許すとは思えない。

そして周囲にいたアンデッド達も先ほどまで反応していなかったように、今になって反応した。

そう、まるで何もないところから急に現れたように。

 

 

「わん(オメーか、あいつらを殺ったのは)」

 

 

名犬ポチは目の前の女の持つ武器を見て確信した。

あいつを殺ったのはこいつだと。

そしてその後ろを見る。

ハゲがいる。

 

 

「わん(む? それにお前か? あいつらをアンデッド化させたの)」

 

 

自分が倒すべき者共を見据えていると意外なところから声があがる。

 

 

「う、裏切り者のクレマンティーヌ!? 足元にいるのはクアイエッセ殿か!?」

 

 

先ほどまで狂乱の極みにいたニグンだが、見える景色が一瞬で変わったせいなのか多少冷静さを取り戻していた。

 

 

「あぁん? 誰だテメー? ん…、本国で見たことあるな…。 っ! 思い出した! 陽光聖典の隊長か!?」

 

「なんだと!? 追っ手は一人師団だけではなかったのか!?」

 

 

ニグンの正体を思い出すクレマンティーヌとそれに反応するカジット。

 

 

「どんだけ、追っ手を差し向けりゃあ気が済むんだよあのクソ法国は…!」

 

「だがバカめっ! 少し遅かったな! 今更出てきたところでもう手遅れだ! この軍勢を相手にまともに戦える者などおらぬわ! こいつを殺せっ!」

 

 

高笑いをしながらカジットはギガントバジリスクをけしかける。

 

 

 

「わん(そこは危ないぜ?)」

 

「グォオォォォオオオ!!!」

 

 

咆哮を上げながら10体ものギガントバジリスクが名犬ポチとニグンへ殺到する。

 

突如、地面からあらゆる種類の犬達が生えてきてギガントバジリスクの足をガシッと掴む。

ニコリと笑う犬達。

次の瞬間。

ギガントバジリスク達は全て爆散した。

比較的近くにいたクレマンティーヌの体にギガントバジリクの肉片が降り注ぐ。

 

 

「わん(だから危ねぇって言ったろ?)」

 

 

《マット・マイン/雑種犬地雷》

名犬ポチがすでに仕掛けていたこの魔法は第6位階に属する。

犬型の地雷であり、上を通った者は多種多様な犬たちに足を掴まれる。

ありとあらゆる種類の肉球の柔らかさを感じたが最後。

対象者はそれに耐えられず爆散してしまう。

普段から肉球に慣れていない者などは一撃で致命傷になりえるので注意が必要である。

 

 

 

「あ、あぁ、ああああ…」

 

 

ギガントバジリスク10体が瞬殺される。

目の前のことに理解が追い付かない。

押し寄せる恐怖を直感的に信じられず、たまたまであると無理やり自分を納得させるカジット。

 

 

「な、なかなか強力な魔法を使えるようではないか…! だが馬鹿め! こちらには魔法に絶対耐性を持つこいつらがいるのだ! ゆけっ!! スケリトルドラゴン!!! 」

 

 

どんな強力な魔法を使えようが関係ないとカジットはほくそ笑む。

スケリトルドラゴンは魔法を無効化するからだ。

ギガントバジリスクに戦闘力では劣るとはいえ魔法を行使する相手ならばこれほど最悪な相手はいない。

カジットは勝った、と確信する。

 

 

「わん(スケリトルドラゴンか、絶対耐性? それ第6位階までだろ?)」

 

 

ぷにっと両手の肉球を勢いよく合わせる音が響き、離した両手の間には白い電撃が弧を描いていた。

生き物のようにのたうつ雷撃の反応を受けて、周囲の空気がバリバリと放電して輝く。

まるで名犬ポチが白い光に包まれたようだった。

 

カジットの目が大きく見開かれた。

もはや言葉はない。

自らの認識を遥かに超えた魔法の発動であることは理解できた。

目に焼き付くような光の中、その小動物が薄ら笑いを浮かべているのが見えた。

 

 

「わん(つまりはこの名犬ポチの魔法は無効化できないということだ)」

 

 

カジットの直感が認めた。

自分は負ける。

真の敵は陽光聖典の隊長などではなかった。

その横にいる謎の白く小さな生き物だ。

手元で踊る電撃の奔流を見るだけでそれが伝説以上の存在だと理解できてしまう。

そしてスケリトルドラゴンはいとも容易く滅ぼされれてしまうのだと。

その時カジットの脳裏にその存在に一つ思い当たるものがよぎる。

 

 

「ま、魔神…!!」

 

 

反射的に呟いてしまったカジットへ目ざとくニグンが返す。

 

 

「訂正してもらおうそこなるネクロマンサー。ここにおわすは神。我々法国が、そしてこの私が心より絶対の信仰を誓う唯一無二の神その人である! さあ罪人共よ、罪を悔い慈悲を乞え」

 

 

いい顔で言うニグン。

その言葉をバカな、と否定したいカジットだが否定する言葉が喉から出ない。

 

まさか本当にそうなのか?

嫌だ。

そんなのは嫌だ!

ここまで来たのに邪魔されるなんて!

心が叫ぶ。

 

 

「神だと!? それが何の用だ! なぜ今更現世に降りてくる! なぜ儂の邪魔をする!? 儂が祈った時など何も答えてくれなかった愚物が! 今更しゃしゃり出てきおって! 儂がこの街で費やした5年の歳月! 30年以上経とうが忘れえぬ思い! それらを無に返す資格などあるものか! 突然現れたお主なんかにぃいい!」

 

「わん(うっせハゲ)」

 

 

カジットは自問する。

何が起きたのか。

そして何が悪かったのか。

経緯はともあれあの一人師団の部隊に自分は勝利したのに。

その力をわが物とし、自分は人類最強の力を手に入れたのに。

それが一瞬で霧散し、なぜ敗北を味わうことになるのだ?と。

だが誰も答えてはくれない。

 

 

「わん(《ダブルマジック/魔法二重化》《チェイン・ドッグ・ライトニング/連鎖する犬雷》)」

 

 

名犬ポチの両手からそれぞれ一体ずつ、よたよたと頼りない歩みの小さな犬が打ち出された。

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ」

 

 

舌を出しながらてくてくと歩いていく二匹の犬。

その犬達がそれぞれスケリトルドラゴンまで近づくとぴょんっと飛びつく。

そして体に接触した瞬間。

二匹の犬は激しい雷撃となりスケリトルドラゴンの体を崩壊させる。

 

 

《チェイン・ドッグ・ライトニング/連鎖する犬雷》

第7位階に属するこの魔法は《チェイン・ドラゴン・ライトニング/連鎖する龍雷》の完全下位互換である。

威力も速度も全てが劣る。

唯一メリットを考えるとするならば時間差があるためコンボに組み込み易い点か。

とはいえ魔法詠唱者(マジックキャスター)ではない名犬ポチが使える貴重な攻撃魔法である。

 

 

 

2匹のスケリトルドラゴンが崩壊する瞬間。

カジットの脳裏に幾多の映像が流れていく。

 

カジット・デイル・バダンテール。

彼はスレイン法国の辺境で生まれたごく普通の子供だった。

そんな彼が今のようになったきっかけは母の亡骸を見つけたことだった。

母に早く帰れと言われながらも遊ぶことに夢中で帰りが遅れた。

叱られると思いながら家に帰ったカジットを迎えたのは床に転がった物言わぬ母親だった。

死因は「脳に血の塊ができていたため」と聖職者達は言った。

誰のせいでもない。

いや違う。

もしあの時自分が早く帰っていれば母を救えたのではないだろうか。

愛していた母親の苦痛に歪んだ顔。

それは自分から生じた罪だ。

そしてカジットは母親を蘇生させるための人生を歩む。

だが魔法を学んでいったカジットに一つの問題が直面する。

信仰系魔法の第5位階に復活の魔法が存在する。

しかしその魔法では生命力が足りない者は復活できず灰になってしまう。

それでは母親の蘇生は不可能だった。

だから新たな魔法を求めた。

彼の母親でも復活できる魔法。

だがそこへ至る道のりは果てしなく遠い。

だから自らアンデッドとなり悠久の時の中で答えを探そうとしたのだ。

そしてついに死の螺旋を使いそれが叶う時がきたのだ。

それなのになぜ。

なぜこの時になって邪魔が入るのだろう。

嫌だ。

嫌だ。

そんなのは嫌だ。

おかあさん。

おかあさんに会いたい。

ただ会いたいだけなのに。

 

カジットは絶望に打ちひしがれ、その場に崩れ落ちた。

 

 

 

「びゃぁあああぁあぁっぁああ神ぃぃいぃいいいいいい!!!!!!!!」

 

 

名犬ポチの横でビクンビクンと痙攣し続けているニグン。

彼はこの度重なる魔力に耐えきれずひたすらその身を揺らしている。

あまりにも様子がおかしいので他人のフリをする名犬ポチ。

 

 

「わん(邪魔が入ったな、俺の目的はお前だ)」

 

「ひっ…!」

 

 

クレマンティーヌの全身がゾワリと震えた。

何を言ってるかは分からないがその視線が自分を殺すと告げている。

しかもその相手は複数のギガントバジリスクとスケリトルドラゴンを瞬殺したのだ。

クレマンティーヌには怯えるしかできない。

 

名犬ポチはこの世界に来てから初めての怒りに震えていた。

この怒りを抑えることができない。

自分の復讐すべき相手を、玩具を。

殺した相手が目の前にいるという事実だけで心が荒れ狂う。

本気を出すことを決意する名犬ポチ。

 

普段の名犬ポチはその肉体能力に制限がかかっている。

これは種族オーバードッグのデメリットによるもので戦士職にするとレベル33程しかない。

しかしオーバードッグのとあるスキルによりその枷が外れる。

それは<超越化>。

このスキルを発動することで毛が逆立ち、気のオーラが体を包む。

気のオーラは電撃を帯びており、バチバチと音を鳴らす。

これはビジュアルだけの問題で特に効果は無い。

 

そして名犬ポチの肉体能力は本来の数値へと戻るのだ!

戦士職にしてなんと、レベル66相当である!

 

名犬ポチの本気が強いとは言っていない。

まあ戦士職でも魔法詠唱者(マジックキャスター)でもないことを考えると、この数値はさほど悪いものではないのだが人間種よりステータス的に勝る異形種ということを考慮するとやはり微妙と言わざるを得ない。

ちなみにユグドラシルでは発動する意味すら存在しないクソスキルであった。

高レベル帯で戦士職でもない者が中途半端に強くなっても用途は無いのだ。

 

 

「わぉぉぉん!(うぉぉおおおおおおおおお!!!!!)」

 

 

スキルの発動と共に名犬ポチの全身の毛が逆立つ。

これがパーフェクト名犬ポチの姿である。

 

 

後手に回ったらやられると判断したクレマンティーヌが瞬時に動く。

疾風走破の名に恥じぬ神速の突きを名犬ポチに向かって放つ。

だが名犬ポチの肉球に容易く止められる。

何度も。

何度も。

何度も。

そのあまりの柔らかさに心を折られるクレマンティーヌ。

攻撃の手が止まる。

それは終わりの始まり。

 

お返しとばかりに名犬ポチの全力のパンチがクレマンティーヌの頭部へ直撃する。

戦士職レベル66相当による全力パンチ。

ひとたまりもない。

吹き飛び、大地を転がっていくクレマンティーヌ。

だが名犬ポチは素早く駆け出すと、先回りし転がってくるクレマンティーヌへカカト落としを決める。

もの凄い衝撃で叩きつけられ、地面がクレーター状に抉れる。

そしてクレマンティーヌに馬乗りになりマウントをとる名犬ポチ。

そこからは蹂躙だった。

デンプシーロールの要領で8の字に体を動かしながらその反動で左右のパンチを何度も放つ。

本来ならばすでに意識は、いや死んでてもおかしくないクレマンティーヌ。

だが彼女はまだ死んでおらず意識もまだそこにあった。

これは名犬ポチのスキルによるものである。

 

 

<パッド・タッチ/肉球の接触>

接触する直接的な手段で相手にトドメを刺せなくなるが肉球による状態異常を追加できるようになるスキル。

 

 

このおかげでまだ命を繋げているクレマンティーヌ。

最初の一撃で命のほとんどを刈り取られたのを自覚していた。

そしてその後に襲い来る追撃。

死を覚悟したものの、なぜか死が訪れない。

その圧倒的な暴力は未だこの体を襲っている。

何度も、何度も。

だが気付くと途中から自分は何も感じなくなっていた。

殴られる衝撃は体に伝わってくる。

殴られる度に足が跳ね上がる。

だが痛みは無い。

不思議な感覚であった。

伝わってくるのは痛みではなく衝撃のみ。

これは何なのだろうと問答する。

先ほど陽光聖典の隊長である男がこの存在を神と呼んでいた。

馬鹿な、と一笑に付してしまいたくなるような妄言。

だが今は笑えない。

むしろわずかに納得しかかっている自分がいる。

自分は神の怒りに触れたのか。

そう思った。

だがならばなぜ神は自分を殺さないのだろう。

分からない。

考えても分からない。

自分は昔から考えるのは苦手だ。

クレマンティーヌは難しい事を考えるのをやめた。

 

なぜなら彼女は至福の中にいた。

圧倒的安心感と謎の幸福感がこみ上げてくる。

いくら攻撃を食らっても痛みを感じない。

それどころが殴られるたびに至福を感じる。

幸せを与えられていく。

わずかに心をよぎった感情。

その正体に気付かないまま、だらしなく緩んでいく表情。

クレマンティーヌはただ、その快楽に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして気が済んだ名犬ポチはクレマンティーヌを殴るのをやめ立ち上がる。

ちなみに自分のスキルの効果は忘れている。

名犬ポチ自身は殺す気満々で殴っていた。

 

 

「わん(あー、スッキリしたぜ)」

 

 

それを見ていたニグンは神へ捧げる祈りのポーズを取っていた。

 

 

「さ、さすがは神…! その神々しい御姿はまさに全知全能の存在に相応しきお姿…! そして体から溢れる抑えきれぬ程の威光…! ああ、そして何よりも慈悲深きその御心…! ああ、神…! つまり救済とは、なるほど、そういうことなのですね…?」

 

「わん?(は?)」

 

 

意味がわからない。

ニグンの病気がまた始まったかと、肩をすくめる名犬ポチ。

だが病人はニグンだけでなかった。

 

 

「ああぁああぁあぁああああ!!!! 神よぉぉぉおおおおおお!!!!!!」

 

 

致命傷を受け倒れていたはずのクアイエッセ。

だが誰よりも信心深い彼が神の威光を前にし、ただジッとしていることなどできない。

自分の理解を超える神のオーラを、威光を、力をその身に感じたのだ。

誰も彼を責めることなどできまい。

 

 

「わ、私は信じておりましたっ! いつか神が降臨し人類をお導きになるとぉぉおおお!!! 我が信仰をお受け取りくださいぃぃいいい!! 私の全てを捧げますぅぅうううう!!」

 

 

名犬ポチににじり寄りその体を舐めまわす。

限りなく不敬なのだが正気を失った彼にそれが分かるはずもない。

 

 

「わ、わんっ!(や、やめっ! 何っ! 何なの君! 初対面で人の体舐めるとかっ!)」

 

「か、神よぉぉぉ!!! グハァッッ!!!!!!」

 

 

だが突如激しく吐血するクアイエッセ。

腹の傷は致命傷であり、本来動いていいような状況ではないのだ。

そのまま力なくパタリと倒れ込む。

 

 

「ク、クアイエッセ殿ぉぉおーーーーー!!!」

 

 

ニグンが思わず駆け寄り体を揺さぶる。

 

 

「目を開けられよ! 意識をしっかりと持つのだ! い、逝ってはならん! まだ逝ってはならんぞ! 我々は神にその信仰を捧げねばならぬのだ! 気を確かに! クアイエッセ殿ぉぉお!!!!」

 

 

だがニグンの言葉にクアイエッセは答えない。

ただその満足気な表情だけが印象的だった。

 

そしてクアイエッセの吐血を受け、全身を真っ赤に染めた名犬ポチ。

訳もわからず、ただただ震える。

 

 

「わん…(なんなの、もう。こんなのいやぁ…)」

 

 

 

だがこれはまだ、神による救済の序章に過ぎない。

名犬ポチの受難は続く。

 

 

 

 

 

 




後編へ続く。




想定よりも長くなりました。
今後は想定よりも長くなるのだなと想定して書かなければならないことを想定して…うん。
よく分からなくなってきました。
神よ、私をお導き下さい。

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