今回は変態兄妹出ません!
書き出すと想定よりもどんどん長くなるんです。
どうかお許しを…。
ガゼフ逮捕の翌日。
都市中はその話題で持ち切りであった。
宿屋の隅っこで隠れるように朝食を食べる名犬ポチとニグン。
「わん…(ガゼフってこの国の偉い奴だったんだな…。あの逮捕って俺のせいじゃん…。いや別にあいつがどうなってもいいけど逮捕に至る流れが俺のせいってバレたらこの国で活動しづらくなっちまう…)」
「いえ、神よ。この度の問題全て私のせいでございます。あの時、すぐに私が隊員達の事に気付いていればガゼフ達のことにも意識がいったでしょう。お許しください、全ては私の至らなさ故です…」
「わん…(ニグン、お前のせいじゃないさ…)」
「なんという慈悲…! おお、神よ…!」
「わん…!(ニグン…!)」
「神…!」
「わん!(ニグン!)」
「神ィィィ!」
抱き合う名犬ポチとニグン。
なんだかんだ仲良くなってきている二人なのである。
ちなみにブリタは今はいない。
昨日の事件の後始末なのか報酬の話なのか分からないがそっち系で席を外している。
その時、宿屋の扉を蹴飛ばし勢いよく入ってきた者がいた。
ギルドの受付嬢イシュペン・ロンブルである。
イシュペンは宿屋の中に目当ての人物を発見するとそちらへ動き出す。
名犬ポチとニグンの耳が速足、いや違う、全力に近い速度で走ってくる音を捉えた。
二人が後ろへ振り返るとイシュペンの顔が目の前にあった。
「わ、わん!(うわぁ! びっくりした!)」
「な、なんだ! 近いぞ貴様!」
イシュペンの目は血走っており、息は荒く、拳は力一杯握りしめられている。
「あ、貴方がニグンさんですね…! 先日は失礼しました! ど、どうかこれからギルドの方でお話を聞かせて頂けないでしょうか!?」
今のイシュペンには謎の圧がある。
名犬ポチとニグンでさえわずかに怯んでしまうほどに。
「わ、わん…(い、いや今日は忙しいかなーって…。ね、ニグン?)」
「そ、そうですね神。というわけだ娘、私たちは忙しいので…」
なんとなく嫌な予感がした二人はそれとなく拒否する。
もしかしてガゼフ関連の問題を疑われているのではと思ったからだ。
その予想は完全に的外れであったのだが。
突如ニグンの足に縋りつくイシュペン。
ニグンの口からわずかに「ヒィ」と悲鳴が漏れる。
「お願いします! 話を聞かせて欲しいんです! 聞かせてくれないと私が不味い事になるんです! この間の無礼は謝りますからどうかお願いします! お願いします!」
もはや号泣といっていい状態でイシュペンは叫ぶ。
宿屋の他の客の目もあり思わず肯定の言葉がニグンから出る。
「わ、分かった! 分かったから落ち着け!」
「ありがとう! 本当にありがとう! さぁ案内するから付いてきて下さい!」
途端に花が咲いたような笑顔になるイシュペン。
彼女は心の中で、これで失業しなくて済むと喜びを噛み締めていた。
そして付いてこいと言いながらニグンの腕をガッシリと掴み離さないイシュペン。
どうやら逃がす気はないらしい。
イシュペンに気圧され訳も分からぬまま名犬ポチとニグンは冒険者ギルドに連れていかれるのであった。
◇
冒険者ギルドの4階にある会議室。
使用目的は基本的にギルドや都市全体に関わるような重要案件ばかり。
ここに現在集まっている者、それは。
冒険者ギルド長プルトン・アインザック。
魔術師ギルド長テオ・ラケシル。
地神に仕える高位の神官ギグナル・エルシャイ。
エ・ランテル最高の薬師リィジー・バレアレ。
都市長パナソレイ・グルーゼ・デイル・レッテンマイア。
いずれもこの都市でトップの有力者である。
テーブルを囲み、座っているこの5人を除く残りの者は一気にランクが下がる。
昨日、野盗を捕まえるのに尽力した鉄級の冒険者達である。
その中にはブリタもいた。
「プヒー。私はそっち系のことには疎いから話を聞いても何がそこまで問題かわからんな」
鼻が詰まっているのか、豚の鳴き声のような喋ったのは都市長パナソレイ。
体は肥満でみっともないが着ている服は見事である。
パナソレイの問いに冒険者ギルド長アインザックは答える。
「大問題です都市長。かの者は第四位階の魔法を使い、そしてランクが低いとはいえ冒険者一人を軽々と吹き飛ばす魔獣を連れています。そして昨晩の野盗捕獲の件、表向きはここにいる鉄級冒険者達の功績と発表していますがそれは全てかの者の手柄によるものです。その際にも強大な魔法を行使していたと聞いています」
「ふむ、第四位階…。それはどれだけ凄いものなのかな?」
パナソレイの問いに魔術師ギルド長であるラケシルが答える。
「都市長は魔法にあまり詳しくないようですので簡潔に説明させて頂きます。魔法は第1~第10位階まで存在しますが第3位階で超一流。第4位階ですと希代の天才。第5位階は人類の限界と言われています。第6位階になるともはや伝説として語り継がれるレベルです。第7位階に関しては英雄譚や神話において確認できるといった眉唾ものの領域です」
「プヒー、なるほど。10位階中の4位階といっても低いどころか人間としてはかなり上のほう、という認識でいいのかね?」
「いえ都市長、それ以上です。ハッキリと申し上げて第4位階魔法を行使できるものなど大陸中を探しても数えられる程しか存在しません。かの法国でも第4位階以上など神官長なども含め少数でしょう。帝国ではかの大魔法使いフールーダ・パラダイン含め、その高弟の何人かが第4位階に到達していると伝え聞くだけです。冒険者でいえばアダマンタイト級と言ったレベルでしょうか」
「…なるほど。その男とはそれ程のレベルだということか…」
ここで嘆息するパナソレイに向かって高位の神官ギグナルが口を開く。
「ラケシル殿も気づいているとは思いますが今の話は使えるのが第4位階までであればという話です」
「プヒー、どういうことかね?」
「都市内で使ったのが確認されているのは第四位階の魔法でこれは間違いありません。しかし、昨晩の野盗達を捕まえたという際の話を聞く限りではそれ以上の魔法を行使できる可能性が考えられます」
わずかに会議室内の空気が凍る。
ギグナルはこう言っているのだ。
その男は人類の限界、あるいは伝説に謳われるレベルの存在である可能性があると。
ただ、実際に魔法を行使したのは名犬ポチなのだが。
そうと知らず震えるパナソレイ。
「そ、それほどの男だというのか、一体何者だ…」
ここで老婆、薬師リィジーが話はまだ終わっていないとばかりに語り出す。
「それらもそうじゃが私からするとそこの鉄級の嬢ちゃんが貰ったっていう赤いポーションの方が問題だがね。回復量はともかく、飲んで一瞬で回復するなどという即効性はあり得ぬ。しかもここにいる鉄級冒険者の半分がそれを見たと証言しているのじゃろう? にわかには信じられんがもしかすると『神の血』と呼ばれる幻のポーションに近いものなのかもしれんな。少なくとも嬢ちゃんの話が本当なら人の知識には無い領域のポーションであることは間違いない。是非ともこの目で見てみたいもんだわい」
パナソレイは先ほどの魔法の話と合わせて考えるといかに規格外の人物なのかということを理解した。
ちなみにこの時ブリタの顔色は真っ青であった。
最初に事情聴取をされた際にあの赤いポーションの希少性を知ったからだ。
リィジーは疑っているが、実際に体験した自分は知っている。
あのポーションは間違いなく一瞬で傷を癒したのだ。
そして話を聞いていくうちにあれが『神の血』と呼ばれる伝説上のアイテムであることを知る。
だから今は心の中でそんな貴重な物を使ってしまってどうしようという焦燥が彼女の心を支配していた。
「プヒー、だがそれならそれで喜ばしい話なんじゃないのかな? そのような人物がこのエ・ランテルにいるということは」
答えるようにアインザックが頷く、が。
「そうなのですが少々変人だという話も上がっておりましてどうしたものかと…。それに今話した通り規格外の人物ですので一度は顔を合わせておいたほうがいいかと思いまして」
「なるほど、確かにポーションの話も本当ならエ・ランテルとしてもその男とは是非友好関係を結びたいね」
そんな話を続けているうちに会議室の扉がノックされる。
入ってきたのは受付嬢のイシュペン、その後ろから顔に傷のある一人の男が入ってくる。
その肩には謎の白い生物を乗せていた。
「おお! 君がニグン君かね!? まぁまぁとりあえず座り給えよ」
「は、はぁ…」
アインザックが笑顔でニグンを着席させる。
「今日君を呼んだのは色々と聞きたいことがあったからなんだ、まずは…」
その後、アインザックに加え、ラケシル、ギグナルによる魔法に関しての言及が長い間続いた。
もちろんニグンは自分が使える第4位階のことまでしか話さず、名犬ポチのやったことに関しては正直にそう伝えたのだが誰も信じなかった。
ここでパナソレイが口を開く。
「プヒー、それぐらいにしておいた方がいいのではないかな? 人には言えぬこともあるだろう? 本人が嫌がっているのにそう無理に問い詰めるのは…」
パナソレイとしてはこの3人を怒鳴りつけてやりたかった。
先ほどまでいかに規格外の人物かという話をしていた本人達だが話を進めていくうちにヒートアップしていた。
パナソレイの目から見てもニグンは引いていた。
「そ、そうですな…」
「面目ない…」
「ニグン殿、申し訳ありません…」
謝罪する三人。
だがここでリィジーが待ってましたとばかりに問う。
「そこの鉄級の嬢ちゃんにあげたっていう赤いポーションはあるのかのう? もしよかったら見せて欲しいのじゃが…」
その問いに名犬ポチは大したアイテムでもないし別にいいけどといった気持ちでポーションを取り出す。
その時に皆なぜか驚いていたが気にしないことにする。
そして取り出したポーションをリィジーへと渡す。
「う、うむ。しかしその魔獣のスキルか何かなのか? 何もないところからポーションを…。いや今はそれどころではないわ。失礼だがこのポーションを調べても…?」
「わん(いいけど)」
「構わないようです」
なぜか他人の物のような言い回しをするニグン。
リィジーは不思議に思うが変人と聞いているし特に疑問は抱かなかった。
「《アプレーザル・マジックアイテム/道具鑑定》」
リィジーの鑑定の魔法が発動し、ポーションの魔法の効果の一部を見定める。
そして何を知ったのか、驚愕に顔をゆがめたリィジーは再び魔法を発動させた。
「《ディテクト・エンチャント/付与魔法探知》」
2つ目の魔法をかけた、リィジーの衝撃はどれほどだったのか。ぐらりと体が揺れ、そして。
「くっ!」
がっくりと崩れ落ちるリィジー。
「如何しました! リィジー殿!」
場が悄然となるのは当然だ。
直ぐに近くにいたギグナルが駆け寄る。
毒物の存在を彷彿とさせたのは仕方が無いだろう。
「何が!」
「どうしたのだ! 本当に治癒のポーションなのか?! 何をリィジー殿に渡した!」
場が騒然となる中。
「くくっ……ふぁふあははは!」
突如、壊れたような笑い声が、狭い室内に響き渡った。
ゆっくりとリィジーが顔を上げる。
そこには狂人のような壊れた笑みが浮かんでいた。
誰もが、名犬ポチとニグンを除き、あまりのリィジーの急激な変化に気圧され、話すどころか指一本すら動かせなかった。
「くくく! 見るがいい、これを! ここに、ここにポーションの完成形があるんじゃ! 私達が、私達薬師や錬金術師、全てのポーションの作成に係わる者達が、数百年研究の歴史を積み上げてなお届かない理想の形がじゃ! ポーションは劣化する。そうじゃな!?」
場にいる者達に問うようにリィジーが言う。
「……な、当たり前です。……常識ではないですか」
ラケシルが答える。
ポーションは作成の段階で、錬金術によって生み出される特殊な溶液を必要とする。
この溶液は薬草や鉱物等の混合体に、複数の工程を経過させることで作り出される。
当然薬草等を使用する以上、ポーションの材質は製作時期からどんどんと劣化するのは当然の理だ。
「そうじゃ。その通りじゃ! ポーションには薬草や錬金術によって生み出される特殊な溶液を使う。そのために時間の経過と共に劣化するのは当然の理! だからこそ《プリザベイション/保存》の魔法をかける」
そこで一拍置いて、結論を口にする。
「そう今まではな! これは! 分かるか、小僧ども! このポーションは、このポーションはな! これだけで形質劣化がしない、つまりは完成されたポーションなんじゃ! どんな者も開発できなかったな! 伝説は本当じゃった! これこそが『神の血』! これこそが真のポーション! 私達薬師の夢見たものが今この手の中にある! まさか生きているうちに拝める時が来るとは! 分かるかこの凄さが! この感動が!?」
リィジーは興奮しきったために紅潮した顔で、荒く浅い呼吸を繰り返す。
そして決して離さないと表明するかのごとく、手で堅く握り締めたポーション瓶をテオに突きつける。
リィジーはぎょろっと血走った目をニグンに向ける。
「小僧、このポーションはどこかで拾ったのか? それとも、作ったのか?」
「それは私の物ではありません。神の物です」
「……? 何を言っている…? 代々伝わる秘法ということか? 所有権はお主にあるんじゃろう?」
「いいえ、私に所有権はありません。先ほども申し上げた通りこれは神の物です」
ニグンの言葉に混乱するリィジー。
だが混乱していたのはリィジーだけでなくこの場にいた全員だ。
「その神はどこにいるというのだ…!」
「貴方の目の前にいるではないですか。この御方が神です」
そしてニグンは名犬ポチへ手を向ける。
ニグンの言いたいことが理解できたリィジーはわずかに眉間に皺を寄せる。
「ふざけるのは止めて貰いたいものじゃな…、わしは真剣なんじゃ…!」
「私こそ真剣ですよ?」
「黙れ小僧! まあいい、そういうことにしたいのならばそれでいい。だが質問には答えて貰う。このポーションの作成方法は知っているのか?」
リィジーのその言葉にニグンは名犬ポチへと視線を投げる。
「わん(知ってるけど)」
「ご存知のようです」
その言葉に思わず飛び跳ねるリィジー。
あまりの興奮具合にリィジーの唇の端に泡が浮かんでいた。
それでもなおリィジーのボルテージは上がる一方である。
「ならば、このポーションの作成方法を教えてもらいたい! 報酬は金貨3万でどうじゃ!?」
誰もが驚く。
リィジーが提示した金額は、まさに桁外れなものである。
一般的な職人等が1日の労働で得れる賃金は、銀貨1枚程度。
つまりは職人30万日、821年分の給料ということだ。
これは都市長であるパナソレイからもしても破格過ぎる金額にしか思えない。
実際、パナソレイの持つ全財産に匹敵するだけの金額だ。
「わん!?(えっ!? そんな貰えるの!? 教えるくらい別にいいけど)」
そして名犬ポチがポーションの作成方法を口にするがニグンには理解できなかった。
「申し訳ありません、神は教えても構わないようですが私がそのお言葉を理解できません。なのでポーションの作成方法はお教えできません」
「倍額を出そう」
即座に倍額を約束するリィジー。
ちなみに金貨6万枚にもなればパナソレイの全財産をはるかに超える。
「お教えしたいのですが私にはそれはできません」
「ああ、そうじゃろうな。こんなはした金では教えられないものよな! 決して誰も到達した者のいない最高の知識の1つだものな! そんな下手な芝居など打たんでもいい! 簡単に教えるつもりなどないんじゃろう!?」
リィジーがニグンを睨む。
それは敵を前にした者がするべき目だ。
決して話を聞くために呼んだ人間にして良い眼ではない。
「わしは10歳の頃、この世界に入った。薬師の世界にな! それから努力したんじゃ! 経年劣化しないポーション作りのために! 分かるか! 小僧ども! 努力に努力を重ね、研究に研究を繰り返してなお届かない、理想のポーション! それの答えが今ここにあるんじゃ! 誰もが、薬師に錬金術師、ポーション作成に関わる誰もが欲する答え! 今までにポーション作成に携わってきたあるとあらゆる者たち連綿と求めたものの答えじゃぞ! 誰一人たどり着くことができなかった境地! 御伽噺かと疑ってすらおった『神の血』! それが今ここにあるのじゃぞ!? 伝説が手の届く場所にあるのだ!」
ぎょろっと周囲を睨みつける。
「それを欲して何が悪い! その答えのためなら犯罪者になろうが安いものじゃ!」
リィジーは枯れ木のような指を伸ばし、ニグンに突きつける。
かすかに指周りに青白い雷光が揺らめいたのは、見ている者たちの見間違いではない。
「それは《ライトニング/電撃》! 攻撃魔法を突きつけるなんて正気ですか! リィジー殿!」
ラケシルの言葉にリィジーは叫ぶ。
「薬師でもない貴様は黙っていろ! 小僧! このポーションの作成方法を話せ! なんの薬草と鉱物を使う! それとも使わないのか! 生物の器官等を使う方式なのか!」
リィジーは本気だ。
それは名犬ポチとニグン含めこの場にいる全員がそう確信した。
そしてニグンといえどこの魔法を食らえば無傷では済まない。
ここは狭く、遮蔽物になりそうな物もない。
回避は至難の業である。
もちろんその気になればニグンにはいくらでも手はある。
だがこの都市の有力者である者を攻撃することになるのはマズイだろう。
怪我を負わせず無力化するというのはニグンをもってしても難しい。
ハッキリ言って
周りがどうすることもできず、ニグンにも場を収めるのが難しいと判断した名犬ポチが魔法を唱える。
この時、会議室内にいる全員が名犬ポチが魔法を発動させるのを目撃していた。
「わん(《クワイエットドッグ/おだまり》)」
その瞬間、リィジーの指周りの青白い雷光が一瞬にして霧散した。
「なっ!?」
その後、リィジーが何度も魔法を発動しようとしても全く発動できない。
ラケシルが慌てた様子でニグンに問いかける。
「ニグン殿…! あ、貴方の魔獣は魔法が使えるのですか!? 確かに高位の魔物は魔法を使えると聞いたことがありますが…! わ、私の知識に今の魔法は無い! 一体あれは何の、いや何位階のものなのですか!?」
ラケシルの狼狽も当然であろう。
この世界では名犬ポチの魔法は全て不明である。
大昔に存在した八欲王という者達が残したネームレス・スペルブックというアイテムがある。
これには全ての魔法が記載されていると伝えられ、新たに生み出された魔法も自動的に書き込まれるといわれているが事実はそうではない。
厳密にはその世界で使用された魔法が書き込まれるアイテムなのだ。
その証拠に名犬ポチが来るまで超位魔法は一つしか記載されていなかった。
今頃はそこに名犬ポチが使用した魔法の数々が追加されているのだが、ネームレス・スペルブックの存在自体が希少性が高く知る者は少なく、簡単に見ることもできない。
今世に伝わっている魔法の情報はかつてそれを見た者が人々へと伝えたことによるものだ。
なので、現在そこへ加わったとしてもそれを知りえる者は現状いないのだ。
「私にもわかりません、ただ…低位の魔法ではないでしょうね」
ニグンには位階を感覚で判断できる能力は無いがその魔力量から低位の魔法でないことは理解できた。
《クワイエットドッグ/おだまり》。
それは対象を強制的に沈黙状態にする魔法。
効果そのものはそこまで凶悪ではないがその成功率の高さもあって第5位階に相当する魔法である。
名犬ポチからすると高レベル帯では通用しない魔法なので、使えないという印象なのだが。
リィジーは自分の魔法が封じられ、打つ手が無くなったことを悟ると糸が切れたようにへたり込んだ。
先ほどの緊張感は何処にも無い。
あるのは痛ましいまでの静寂だ。
リィジーは片手で目を覆い隠して、何も発しようとはしない。
年相応、いや、一気にさらに年を取ったようにも見える。
「……都市長。今、街中での魔法使用に関する規定に、抵触する魔法行使がありました」
「うむ……」
最も現在のリィジーの気持ちが分かっているラケシルが、パナソレイに摘発を行う。
目の前で魔法を使用した犯罪行為が行われたのだ。
凶行に出た気持ちは理解できるが、魔術師ギルドの長という立場がそれを黙認することは出来ない。
そしてパナソレイとしても、現状は板ばさみだ。
無論、法は守らなければならない。
攻撃魔法を完全に発動したわけではないが、それでもそれを脅迫に使用したのは事実だ。
しかも都市長という自らの前で。
ならば違法行為として規定の罰を下さなくてはならない。
しかしながら、帝国との戦争が恒例化しているこの国で、リィジーというポーション作成に長けた人間を拘束し、罰を与えるのは、将来的に王国の兵士を何人も殺す結果に繋がりかねない。
冒険者にとっても死活問題であろう。
彼女は国に無くてはならない存在なのだ。
正直、相手が未知の強者であるニグンという男でなければこの件は握り潰していたところだ。
パナソレイが眉を顰めていると、それを見越したように名犬ポチが口を開く。
「わん(誰も怪我しなかったんだ、今のは無かったことにしようや)」
「都市長、神はこの問題を不問にすることを望んでいます。事を荒立てる必要はありません」
「……そうかね」
名犬ポチの言葉を代弁したニグンの言葉に素直に甘えることにするパナソレイ。
不問にされたことに感謝と罪悪感を抱くリィジー。
だがあまりのことに精神が耐えられそうにない。
もはやこの場にいてもできることは何一つないだろう。
「すまぬ。わしは少々疲れた。非礼をした身で申し訳ないがこの場は退席させてもらいたいのじゃが……」
そこにいるのは見た目どおりの、しわくちゃな老婆だ。
もはや先ほどの気迫のかけらも無い。
パナソレイは幾通りかの慰めの言葉と、臨席して欲しいという要望の言葉が浮かぶが、口を割って出た言葉はどれでもなかった。
「……うむ。今回は役に立つ話を聞かせてくれて感謝するリィジー殿」
「申し訳ない、都市長。それに皆さんも」
リィジーは最後にニグンに向き直る。
「ニグン殿、先ほどの失礼を許して欲しい」
リィジーは深々と頭を下げた。
それは自分の孫のような年齢の者にするものではない。
完全に自らよりも上の人間に働いた失礼を謝罪するものだ。
「いえ、私は構いません。ただ、神に…」
そこまで言ったニグンを名犬ポチが止める。
「わん(いいよ、ニグン。混乱しているだろうしこれ以上言わなくていい)」
名犬ポチの言葉を受け、ニグンはリィジーへと了解の意を告げる。
「それとじゃ、正当な金額。それにさきほどのわしの無礼を謝罪する意味を込めた金銭を追加で支払うので、ポーションを1本でよい。売ってはもらえないじゃろうか?」
リィジーは大きく頭を下げる。
もししろといえば最敬礼だってするだろう。
そんな真摯さがそこにはあった。
だが最高の薬師リィジー・バレアレがあそこまで執着するポーションである。
果たして簡単に渡すのだろうかと皆が疑問に思う中。
「わん(別にタダでいいよ)」
名犬ポチは意外なほど気安く快諾した。
「お代はいりません。そのポーションはそのまま持ち帰って結構です」
「なんと…! 感謝する! この恩は忘れん! 後で欲しい物があれば何でも用意するぞ! いつでも頼ってくれて構わん! 本当に感謝する…!」
リィジーの目は輝きを取り戻していた。
これから恐らくポーションを調べに調べつくすのだろう。
そんな気迫がそこにあった。
ポーションを握りしめたリィジーは駆け足で会議室を出て行った。
「やれやれ、大丈夫でしたかニグン殿」
そう言ってニグンを気遣うラケシル。
大丈夫ですと答えるニグンだがその時、懐から一つのアイテムを落とす。
「あ…!」
「おや、何か落としましたよ?」
慌てるニグンを他所にそのアイテムをラケシルが拾う。
だが次の瞬間、ラケシルから奇声が漏れる。
「こ、これはかつて稀覯本で見たことがあるぞ! 法国の秘法と呼ばれるアイテム、魔封じの水晶と同じものだ! 何故こんな希少アイテムを!?」
そのラケシルの反応にニグンはマズイと判断し返すよう嘆願するがラケシルの耳には届いていない。
「こ、これに魔法をかけてもいいだろうか!? 頼むニグン殿…!」
そしてニグンは許可を出していないにも関わらず感極まったラケシルは《アプレーザル・マジックアイテム/道具鑑定》と《ディテクト・エンチャント/付与魔法探知》を使用する。
二つの魔法をかけたラケシルの顔はゆっくりと歪んでいく。
そして口から出た言葉は。
「すげぇ!」
今までの出来る男という雰囲気はどこにも無かった。
瞳には無邪気で純粋な驚きがあり、口調も一変し、その姿はまるで少年のようだった。
「すげぇ! すげぇよ! こんなの見たことねぇ! この水晶に封じられているのは第7位階魔法だ! 私の魔法ではここまでしか知ることができないが…。でもすげぇ! これはすげぇ!」
繰り返し狂乱したように叫ぶ。
それからラケシルが始めたのは水晶を掲げ、舐め、頬ずり。
まさに狂人の所業だった。
「おち、落ち着け! 何をしてるんだ!」
突然のラケシルの狂乱に度肝を抜かれながらもアインザックが止めに入る。
「ばっか! これが落ち着けるか! すげぇよ、これ! まじで第7位階だぞ! 第7位階魔法が封じられてる! 何の魔法か分からなくてもそれだけでこの水晶の価値が計り知れない! ニグン殿! これは何処で発見んしたんだ! 教えてくれ!」
「お、お答えできません…」
これには流石にニグンも冷や汗だった。
この水晶は神官長から自分が任務前に預かっていたものでこの男の言う通り法国の至宝なのだ。
こんな所でその存在が露見していい物ではない。
「や、やめるんだラケシル!」
ニグンに物凄い勢いで詰め寄るラケシルを必死で止めるアインザック。
だがラケシルは止まらない。
「そうだ! ニグン殿! 魔術師ギルドに入らないか!? うん、それがいい! 第4位階も使える貴方だ! 最高の席を用意する! そうしよう!」
急に勧誘を始めるラケシルにアインザックが怒気をはらんだ声で返す。
「な、何を言い出すんだラケシル! そもそも彼は最初この冒険者ギルドに顔を出してくれたんだ! 入るなら冒険者ギルドに決まっているだろう!」
「何言ってんだ! わざわざ顔を出して下さったニグン殿を門前払いで追い返したのも冒険者ギルドだろう!? 今更見苦しい真似はよすんだな! ニグン殿には魔術師ギルドこそがふさわしい!」
「なっ!? そんなの卑怯だぞラケシル!」
「うっせ、バーカ! バーカ!」
「何ぃ! バカって言った方がバカなんだぞ!」
突然始まったラケシルとアインザックの喧嘩。
あまりに幼稚で情けない姿でありパナソレイはあきれる。
ギグナルに助け船を求めようと視線を動かすが…ギグナルはすでに気絶していた。
彼は名犬ポチが魔法を使った段階でその魔力に触れ感動のあまり気絶していたのだ。
リィジーは退室。
ギグナルは気絶。
ラケシルとアインザックは喧嘩。
もう無茶苦茶だった。
パナソレイは頭を抱える。
そして名犬ポチとニグンも呆れかえっていた。
「わん…(もう冒険者とかそういうのやめるか…)」
「ですね…」
そこからの行動は早かった。
名犬ポチはブリタの頭に乗り退室を指示する。
ニグンはラケシルから魔封じの水晶を奪い取る。
そして3人はこの会議室から逃げ出した。
最後にブリタが「すいません~!」と言い残していく。
「ああっ!? ニグン殿どこへ!?」
「まだギルド加入の手続きは終わっていませんぞ!?」
ラケシルとアインザックの嘆きだけが虚しく会議室に響く。
ただ一人パナソレイだけが頭を抱えて机に突っ伏していた。
どのような形であれ、エ・ランテルがニグンという男を抱え込む機会を永遠に失ったことを理解し悔やんでいた。
「終わった…」
パナソレイの呟きは誰の耳に入ることもなく消えていった。
次回『一人師団と疾風走破』すいません!
リィジーのセリフを原作再現しすぎたせいで長くなりました、ごめんなさい!
省略すれば良かったのですがそれはそれでリィジーの勢いが削がれる気がしてしまって…。
リィジーはWeb版と流れがほぼ同じなのですが書籍版では存在もしないため上手い省き方がわかりませんでした。
精進します。