狩人の証   作:グレーテル

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久方ぶりの更新です。時期の関係もあってか、更新並びに執筆も滞りがちになってます。
※サブタイトルを変更しました。


第14話「サヤカ」

 (どこだ……どこにいる……っ!)

 

 暗い、暗い湖の中。アランは両手をかき分け、水中を進んでいた。この冷たい水の中へ落ちた、一人の少女を助ける為に。

 

 (いた……あれか!)

 

 眼球に触れる水の痛みに耐えながら、水底へ沈んでいくナルガ装備を纏った少女、サヤカの姿を捉えた。自分も水の中へ飛び込んだからといって、必ず彼女を救えるとは限らない。

 それでも、今のアランには一切の迷いや躊躇いはなかった。彼女を救いたいという目的と、その目的を成す為には何が必要なのか、どうすれば良いのかが分かっているからだ。

 

 (もう、少し……よし!)

 

 拙さの見える動きで手繰り寄せる手が何度も水を握りながら、アランの手が遂にサヤカの腕を掴んだ。

 

 「……、……ッ!?」

 

 後はこのまま水面へ上がれば。そこまで考えが至った時、詰まるような息苦しさに見舞われたアランが空気を吐き出した。自由に呼吸のできない、慣れない環境下での活動が、アランの身体に想像以上の負担を強いていたのだ。

 このままでは息が続かず、助けに来たつもりが共倒れになってしまう。

 

 (このまま、上がれさえすれば……!)

 

 ここで離したら、もう二度と掴めないかもしれない。彼女の腕を決して離すまいと、アランは握る手に一層の力を込めた。

 

 

 

 

 

 「ん、ぅ……」

 

 瞼が開き、おぼろげな景色が少しずつ広がっていく。目が覚めると、そこはベースキャンプのベッドの中だった。

 

 「ここ、は……」

 

 少女、サヤカはベッドに寝かされた状態から起き上がる。傍らには彼女の扱うハンマーのヒドゥンブレイカーと、アイルー模様の見慣れぬ壺が置かれていた。

 

 「私……、ッ」

 

 タマミツネの突進から、ハンゾーを庇って湖に突き落とされた筈。そこまで記憶を辿っていき、サヤカは背筋を凍らせた。あの時、湖に突き落とされたあの時、自分にはもう陸へ上がるだけの気力は持っていなかった。沈んでいくだけとなり、その後に辿っていく運命は一つしか無い筈なのに。今、こうして生きている。

 何故。サヤカの頭の中を、一つの疑念が埋め尽くしていった。

 

 「……ようやく、起きたかにゃ。その様子だと、まだ状況がよく分かってないようにゃねぇ……」

 

 思案に耽るサヤカを余所に、エリア1からベースキャンプに入ってくる小さな影。あのガルルガ装備のハンターのオトモが、こちらをじっと見ていた。

 

 「しょうがないから、あれからどうなったのか。ワタシが全部教えてあげるにゃ」

 

 そうして、リリィナは語り出す。サヤカが抱いている疑問、意識のなかった空白の間に起こっていた事の顛末を。

 

 

 

 

 

 「ホラ! めそめそしてないで、こっちを手伝うにゃ」

 「ニャ……。しかし、主が……」

 

 リリィナの小さな手が、ハンゾーの丸くなった背を叩く。背を叩かれて振り向いたハンゾーの顔には、喪失感がありありと表れていた。ハンゾーが呆然とするのも無理はない。目の前で主人を失い、さらにそれは自分自身が枷になった事によって招かれた結果なのだから。

 だが、ハンゾーに喝を入れるリリィナの目には強い意志が宿っている。成すべき事が分かっている、確かな光の宿った瞳がハンゾーを見ていた。

 

 「あのハンターさんを助けたいなら、ワタシの旦那さんに任せるにゃ。ほら、そっちも持つにゃ!」

 

 半ば強引に押し付けられる形で、リリィナの手にあった閃光玉の幾つかが、ハンゾーの手へと渡る。リリィナの主人、アランが何をしようとしているのか。この時のハンゾーには、まだ分かっていなかった。

 

 「……ハンター殿が? 本当に、主は……」

 「時間がない。今はリリィナの言う通りに動いてくれ」

 

 ハンゾーが受け取った閃光玉に戸惑っている間にも、状況は変わり続けている。湖から上がったタマミツネは既にこちらを狙っており、水中へ沈められたサヤカも未だに上がってこない。水中という特殊な環境と、タマミツネから受けたダメージによって、サヤカは自力での脱出が困難になっているのだ。

 

 「リリィナ。ここは任せる」

 「は、ハンター殿ぉ……!」

 

 ハンゾーにとって、藁にもすがる思いだった。湖面を、サヤカが落とされたであろう場所をじっと見るアランの後ろ姿に、ハンゾーは瞳を潤ませていた。

 黒狼鳥の甲殻を身に纏ったその背中が真っ直ぐに湖面へと走り、飛び込んだ。

 

 「さ、ここからが大変にゃ。泣いてる暇は、もう無いにゃ」

 「グルルル……ッ!」

 

 アランが湖へ飛び込んだ頃には、タマミツネは再び自身にとっての万全な状態へと整えていた。尻尾に生えるブラシ状の毛を使い、自身の動きの要となる泡を生み出しているのだ。リリィナとハンゾーという仕留めそこなった邪魔者を、今度こそ完全に消し去る為に。

 

 「大事なご主人を助けたいなら、ワタシの言う事をしっかり聞いて、キビキビ動くにゃ!」

 

 標的を定めたタマミツネへ、リリィナは一つ目の閃光玉を投擲する。辺り一面を真っ白に埋め尽くす強烈な閃光が、タマミツネの眼前で炸裂した。

 

 

 

 

 

 「……ワタシの旦那さんがハンターさんを助ける為に湖に飛び込んで、その間にワタシ達でタマミツネを食い止めていたのにゃ。旦那さんから渡された閃光玉を、ぜ・ん・ぶ、使ってにゃ」

 「達? それじゃあ、ハンゾーは……!」

 

 リリィナの言葉に、サヤカの目が見開かれる。徐々に意識がはっきりとしていくにつれて抱き始めた、サヤカのもう一つの疑問。先程から姿の見えないハンゾーに、サヤカは思わず語調を強めた。

 

 「オトモ殿ー! 言われた通り、生肉の方を揃えましたニャ! あとはこれをじっくりと焼き上げれば、ハンター殿の腹も満たせる筈ですニャ」

 「ハンゾー!」

 

 エリア1への入口から聞こえるその声に、サヤカは跳ねるように立ち上がりベッドから離れた。キャンプ内の辺りに見えたのはぽつりと置かれた肉焼きセットと、大きく膨らんだポーチを腰に下げるハンゾーの姿、そして支給品ボックスに寄りかかるように体を預けているガルルガ装備のハンターの姿だった。

 

 「あ、あるじ……?」

 「ハンゾー、ハンゾー!」

 

 呆気にとられているハンゾーへ駆け寄り、サヤカは彼を抱きしめる。彼女の腕に抱かれるまで呆然としていたハンゾーがやがて我に返り、じわじわと目尻に涙を溜めていった。

 

 「主……主が、生きて……っ」

 「良かった、ハンゾー……!」

 「申し訳ありませんニャ、主。セッシャが、セッシャの所為で……」

 「ううん、いいの。ハンゾーが無事でいてくれたなら。それより……」

 

 腕の力を緩めたサヤカが、アランの方へと視線を向けた。未だに支給品ボックスに寄りかかり、俯いたままのアランへと。水に濡れたガルルガヘルムに隠れた彼の瞳は、良く見るとぴったりと閉じられていた。支給品ボックスに体を預けている彼は眠っていたのだ。その傍で、リリィナが黙したまま肉焼きセットを組み、生肉を乗せている。火を点け、ゆっくりとハンドルを回し始めた。

 

 「ん、リリィ、ナ……?」

 

 サヤカ達の声に反応したのか、アランの首が上がり、ぼんやりと瞼を開かせた。二、三と瞬きをし、意識をはっきりさせ、サヤカ達の存在をはっきりと認識した。傍らにいるリリィナに、隣り合っているサヤカとハンゾーを。

 

 「ああ……気が、付いたのか。気分はどうだ? 痛む所は?」

 

 疲れの窺える、弱った声音だった。それでもアランはサヤカの身を案じている。そんな彼に対しても、サヤカは疑問を抱いた。間違いなく、湖に落ちた自分を助けたのは彼なのだから。

 

 「……どう、して」

 「ん?」

 「どうして、助けたの。私は、あなたに……」

 

 そうした一連の疑念を、サヤカはアランに問いかけた。言いよどむような、途切れ途切れの言葉で。後ろめたさのようなものを感じているのか、サヤカは視線を俯けている。今まで見せていた近寄りがたい雰囲気は、今の彼女には微塵も見られなかった。

 

 「どうして、か」

 

 リラックスする姿勢に入ったのか、ガルルガヘルムを脱いだアランが遠くの雲を眺めてため息をついた。

 

 「目の前で死なれたら寝覚めが悪い、っていうのは、ある。ただ……それよりもっと大事な事だな」

 「大事な、事……?」

 「ああ。ただし、その前に……リリィナ」

 

 頷くアランの前へとリリィナが歩み寄り、手に持ったある物を差し出した。

 

 「はいにゃ、旦那さん。ワタシがじっくりと焼き上げた、おいしーいこんがり肉にゃ!」

 「いつも助かる」

 「熱いから気を付けてにゃ」

 

 リリィナが手に持っていたのは、ほかほかと湯気を立てた焼きたてのこんがり肉だった。サヤカを助ける為に単身湖へ飛び込んで体力を消耗したアランへの、リリィナからの贈り物だった。

 

 「それを話すのは後にしよう。少し、休みたい」

 「そ、そう……」

 

 アランの言葉に、戸惑いながらも頷くサヤカ。助けられた手前、強く言えないのだろう。この時は珍しく、アランに対して聞く耳を持っていた。

 サヤカの返答を聞いてから、アランはこんがり肉を一口齧る。狐色の表面、均一に焼き目の付けられた肉が、噛むたびに肉汁を溢れさせていく。自慢のオトモの丁寧な仕上がりもさる事ながら、冷えた体にじんわりと染みわたっていく出来たての温かさが、アランにとって何より有難かった。

 

 「主、どうぞニャ」

 

 黙々とこんがり肉を喉へ通していくアランの様子を見ていたサヤカへ、ハンゾーからもこんがり肉が手渡される。リリィナが焼き上げた物とは違い、強めの焼き目が付けられた、所々に小さな黒の斑点模様の見えるこんがり肉だった。そのこんがり肉は、アランが手にしている物よりも一回りほど小さい。サヤカの身の具合を案じたハンゾーが予め小さくしておいたのだ。

 

 「セッシャもサムライの端くれ。炊事もこの通り、ですニャ!」

 「ありがとう、ハンゾー。とても嬉しいわ」

 

 サヤカはハンゾーの焼いたこんがり肉を受け取り、小さく齧る。

 さく、と音を立てる焦げの部分が、少しだけ苦かった。

 

 

 

 

 

 「さて……話を続けようか。俺がどうして君を助けたか、だったか」

 

 その温かさと美味しさに夢中になったのか、アランはあっというまにこんがり肉を食べきっていた。進んで片付けを買って出たリリィナに後を任せ、アランはサヤカと話す事に集中する。

 

 「あの時、俺には君を見捨てる選択もあったのかもしれない。その上で、俺は君を助ける事にした」

 

 見捨てる。それはサヤカが描いていただろう、あの時の結末だった。誰の助けも無く、諦観の念に飲まれて窒息し、息絶えるという結末。

 しかし、今こうしてサヤカは生きている。アランの手に救われて。

 

 「この渓流にいるタマミツネを狩猟できたとして、そしたら村の抱えていた問題は解決できる。それでも、もし君を見殺しにしていたら……そこに君の姿がいなかったら、村の問題を解決できたと、本当に言えるか?」

 

 アランの脳裏に、サヤカの身を案じていたあの受付嬢と、ユクモ村の村長の姿が浮かんだ。そして、彼女のオトモアイルーである、ハンゾーも。目の前で主人を失えば、彼は、そして彼女たちはどれだけの絶望や喪失感を味わう事になるのだろうか。それを思えば尚の事、アランはサヤカを見捨てる訳にはいかなかった。

 

 「それに、君のオトモが泣いていた。君が生きて戻ってくる事を望んでいるんじゃないのか」

 「……逆だったらどうしていたの。あなたが湖に落とされて、そしたら私は……私だったら、あなたを見捨てていたかもしれないのよ! それでもあなたは助けるって言うの!?」

 「ああ、きっとな。それに、危なくなってもリリィナが助けてくれるからな。俺の事は大丈夫だ」

 「な……っ」

 

 肉焼きセットを分解したリリィナが任せてと言わんばかりに胸を張り、サヤカはアランの言葉に息を飲んだ。反対に、ハンゾーは何かを言おうとしては言いよどみ、がっくりとうなだれている。サヤカに庇われた件が後を引いているのだろう。リリィナのような自信を、ハンゾーは持てなかった。

 

 「…………あいつらとは、違うの?」

 「なに?」

 「にゃ?」

 

 ぽつりと呟かれたサヤカの言葉に、アランとリリィナ、更にハンゾーも反応した。呟いてから我に返り、サヤカは顔を上げる。針のむしろとはよく言ったもので、彼女の目の前には彼ら三つの視線が向けられていた。

 

 「主、今のはどういう―――――」

 「ち、ちがっ! 今のは、その……!」

 

 疑問に感じたハンゾーの声も遮り、サヤカは慌てて訂正しようとする。が、状況はそれを許してはくれない。アラン達の視線が、サヤカを取り巻いているこの場の雰囲気が彼女に説明を求めていた。

 

 「何か、ありそうにゃねぇ?」

 「…………」

 

 雰囲気ではなく、言葉ではっきりと説明を求めるリリィナ。そんな彼女の言葉に自らの体を抱くようにして両の腕を掴み、サヤカは俯いている。小さな肩を小刻みに震わせるその姿が、彼女の華奢な体を弱々しく見せていた。

 

 「……四年前。私が14の頃、ハンターを初めてまだ一年足らず位の時……そうね、ハンゾーもいなかった頃の話よ」

 

 小さな声で、サヤカは語り始める。彼女の口振りからして、ハンゾーにも秘密にしているようだった。

 

 「ユクモ村のハンターになった私に、渓流に現れたアオアシラの狩猟の依頼が来たの。その時は別の地方から来ていたハンターもクエストに参加してきたの。断ろうとしたけど、コノハ……あのギルドガールの子が心配だからって聞いてくれなくて、結局二人で行く事になったわ」

 

 明らかに何かがあったであろう話を、彼女に無理に喋らせて良いのか。少なくはない負担を彼女に負わせる事にアランの中で決して小さくない迷いがあったが、大人しく聞き手に徹する事にした。アランには、それ以外の選択肢はなかったのだ。

 

 「最初は良く思ってなかったけど、それでも二人で行くならちゃんと狩猟できる。そう、思っていたわ」

 「思っていた?」

 

 サヤカの言葉に引っ掛かりを覚えたハンゾーは首をかしげ、アランが眉を顰める。アランの隣にいたリリィナも口にこそ出していないが、その顔を覆っているナルガネコヘルムの奥で怪訝な表情をしていた。

 

 「そのハンターは怪鳥イャンクックの装備を着ていた。私が着ていた装備よりずっと優れた素材を使っていた防具よ。普通に考えれば、苦戦する事は無い筈だもの」

 「それは、つまり……」

 「ええ、普通じゃなかったのよ。そいつは一度ネコタク送りになって、それっきり狩りには参加しなかったの」

 

 話していく内に、サヤカの脳裏にはあの時の光景が嫌でも浮かんでいた。駆け出しの頃から使い続けてきたユクモノ装備を擦り切らせ、あの両腕に何度も打ち付けられながらもハンマーを握り続け、そうしてようやく狩猟したアオアシラの姿を。それと同時に、自分とは正反対の、憎らしい程に防具を日の光に照り返して近付いてくる能天気な顔をした男の姿も。

 

 「結局私一人で狩る事になって、手持ちのアイテムも殆ど底を尽きたわ。それでもアオアシラは何とか狩猟できた。そうしたら、途端にそいつは現れてきたの。狩猟に加わってないくせに、素材だけは手に入れようとしてきたわ」

 「それでも、ギルドの定めたルールでは……」

 「もちろん、報酬は二人分に分けられるわ。ネコタクを使った分を差し引かれたうえで、ね」

 

 当時まだオトモを雇っていなかった彼女にとって、たった一人で、誰の助けもない状況での狩りを強いられていたのだ。当時の彼女では苦戦は免れない相手であろうアオアシラを、クエストの形式上は、話に出ていた男とのペアとして。

 忌まわしい記憶が蘇り、サヤカはきつく握り締めた両手を怒りに震わせていた。

 

 「村に戻ってから、全部白状させたわ。そいつは今まで、3人以上のパーティとでしか狩りに行ってなかったのよ。一人で行く時も採取クエストばかり受けていたらしいわ。それがある時パーティを追い出されて、一人で途方に暮れていた時にユクモ村に通りかかった。イャンクックの装備を着ていたのも、そのパーティで狩った素材で作ったらしいわ。本人の実力なんて、何もなかったのよ」

 「高を括っていた、のか……?」

 

 性能の良い装備を着ているから、クエストに失敗する事はない。サヤカの話から、アランはその男の心情を予想した。あくまで、予想だ。当事者ではないから合っているかは分からないが、限りなく正解に近いであろう事は容易に想像できた。

 

 「恐らくね。楽勝だと思ってた相手にネコタク送りにされて、すっかり怖気づいたみたいだけど。おかげで私はその後の事を全部押し付けられたわ」

 

 彼女の話から、アランの着るガルルガ装備も同じような手口で手に入れたと思っていたのだろう。タマミツネの狩猟にも、きっとどこかで逃げ腰になるかもしれない。かつてと同じ事が繰り返されると思えば、彼女が今まで警戒していたのも無理はないのかと、アランは考えた。

 

 「クエストをリタイアする事は?」

 

 リタイア。それはクエストの成功を諦めて、村へ帰還する事を指す。当然、クエストをリタイアすれば報酬を得る事は出来ないし、記録上では失敗として見なされる。

 しかし、リタイアは何ら恥じる事ではない。矜持に縛られ、成功が困難な狩猟を無理に続行すればどうなるだろうか。それは自らをより危険な状態へ陥らせる事になり、そのまま命を落とす事や、あるいはハンターとしての生命を断たれる事にも繋がる。時には諦めて手を引くという決断が下せる判断力も、ハンターには必要なのだ。

 そんなアランの疑問に、サヤカは首を振って返した。既に事の顛末は聞いたが、彼女はそんな状況にあっても、クエストを成功させていたのだ。

 

 「……出来なかったわ。何が何でもクエストを成功させて、報酬を手に入れなければいけなかった。あの時の私には、諦めて次を探す余裕なんて……」

 

 ハンターという役割はその命を危険にさらす事が多い分、見返りとして得られる報酬も大きい。彼女がハンターを始めた、そして今も続けている理由は彼女を取り巻く経済的な事情が大きく関わっているだろう事が、彼女の言葉の端々から窺えた。

 窺えはしたが、アランはそれ以上の事を彼女が言わないのであれば聞かない事にした。人それぞれハンターを目指す理由はあるが、それを根掘り葉掘り、本人の意向も無視して聞く側が聞きたいだけ聞き出そうとするのは抵抗があったからだ。

 

 「そうか。……それで、君が俺を避けていたのは、それが理由か?」

 「……話を続けるわね。その男が村を出て行って、少し経った時の事よ。そいつとは別の、インゴット装備の男が村に来たの。旅の途中で訪れたって言ってたけど、そいつは四六時中防具を着ていたわ。顔を見せなかったの」

 

 彼女の話は更に続いた。アランを拒絶する、本当の理由を告げる為に。

 

 「最初は、あいつと同じ腰抜けだと思っていたわ。でもクエストには成功したの。その男も、ちゃんと狩猟に参加してね」

 

 それが普通なんだろうけど。そう付け加えて、彼女は顔を俯かせた。同時に、何かに怯えるように、また肩を震わせている。

 

 「その後だったわ。素材を剥ぎ取って、ベースキャンプに戻って……そうして、そいつは私に襲い掛かってきた」

 「何だと……?」

 「そいつは私が着てた防具を、手で掴んで無理矢理剥がそうとした。怖かったわ。怖くて、必死で抵抗した。とにかく暴れて、そうしてる内にそいつの顔を殴っていた。被っていた防具の上から何度も、動かなくなるまで殴ったわ」

 

 先程と同じく、サヤカの脳裏にかつての光景が蘇る。乱暴に肩を掴んで覆い被さってきた男の身体、防具の隙間から聞こえてくる荒い息遣いを。ただ一つの事だけを考えて動いていた下劣な獣の輪郭が、今でも鮮明に浮かび上がってくるのだ。

 あの時、身が竦んだまま男にされるがままでいたら、どうなっていただろうか。ほんの一瞬、そんな汚らしい想像が膨らみ、一気に嫌悪感が湧き上がってきた。

 

 「目が覚めない内に村に戻って、すぐに家畜用の檻の中に入れてやったわ。迎えの荷車に積んであった縄で縛り上げてね。後から分かった事だったけど、そいつは別の地方で何度も犯罪を犯していた最低の男だったのよ。それを隠す為に名前を変えてハンターになって、顔がばれないようにいつも防具を着ていたってわけ。私の事も、クエストが終わった後なら大した抵抗も出来ないと思ってて、事が終わったらさっさと別の地方に逃げようとしてたらしいわ」

 

 聞いているだけで反吐が出そうな話だった。それを直に経験した彼女は、それ以上に辛かっただろう。アランの手に力が入り、ガルルガアーム越しに爪を掌に食い込ませていた。

 

 「その時の事はすぐにギルドに報告されて、そいつもギルドナイトに逮捕されたわ。ハンターの資格も剥奪されて、今も牢屋の中で暮らしてる。それでも、私は何も安心できなかった。その時の事が何度も夢に出てきて、眠れない日が続いたわ。長い時間を掛けて少しはマシになってきたけど、ついこの間、その時の事が夢に出てきたの。思い出さない訳がないのよ」

 

 

 

 

 

 「そいつの使ってた武器が、あなたと同じ片手剣だったから」

 

 何も、言葉が出てこなかった。彼女の言葉に、一瞬の間思考を真っ白に塗り潰されたアランが我に返る前に、リリィナが声を大にして反論し始めた。

 

 「ただの言い掛かりにゃ! 旦那さんが悪い事をしてる訳じゃ―――――」

 「そんな事! 私だって分かってるわよ!!」

 

 主人の名誉の為に違うと物申すリリィナを、サヤカは遮った。今までアラン達が聞いた事も無い、ありったけの大声で。肩を大きく上下させる程荒い呼吸を繰り返し、サヤカはリリィナを睨みつけた。

 

 「……だから、分からないのよ。何もしてないから、あいつらとは違うとでも言うつもり? 今度こそ大丈夫だって、信用できるって、本当にそう言い切れるの? ……出来る訳ないじゃない。そんな事、誰が言えるのよ!!」

 

 初めに会った者には反故にされ、次に会った者にも裏切られ、そうして次に出会ったアランはどうなのか。サヤカにはアランを信じるだけの気力も希望も持てなかったのかもしれない。

 なまじ今までの手合いと違っていたからこそ、違うのではという思いも芽生えてしまう。しかし、それが違っていたら。彼も彼らと同じだったならば、一体どうなってしまうのだろうか。これ以上、あの時のような絶望を味わいたくはない。それならばいっそ、素性の知れぬ余所者は誰も寄せ付けずにいればいい。それがサヤカの出した答えだった。

 だが、今。アランを見ているのはサヤカだけではない。彼女の持つ閉ざし切った答えを打ち崩す者が、彼女の隣にいた。

 

 「セッシャは、信じたいですニャ。ハンター殿の事を」

 「……え?」

 

 意外な者の声に、サヤカは目を丸くする。声の主はハンゾーだった。

 

 「ハン、ゾー……?」

 「主が今話した事は、セッシャも存ぜぬ事でしたニャ。しかし辛い身の上ゆえ、それも致し方ありませんニャ。それを踏まえた上で、セッシャはハンター殿を信じますニャ」

 

 アランは信用できる。ハンゾーはきっぱりと、サヤカにそう告げた。

 

 「主が出会ってきた者は、確かに不埒な輩でしたニャ。しかし、ハンター殿もそうなのでしょうかニャ。ハンター殿は、その命を賭して主を救って下さった。その行いは、その不埒な輩にも出来たのでしょうかニャ」

 「それは……」

 

 確固たる意志を持ったハンゾーの目を直視できず、サヤカは目を逸らした。自らの主人を真っ直ぐ見つめたハンゾーと違い、サヤカの中で一つの迷いが生まれていたからだ。今度こそ、なのか。あるいはまたしても、なのか。サヤカは葛藤し、答えの出ない板挟みに苛まれていた。

 

 「……俺は」

 

 戸惑うサヤカを、アランは真っ直ぐに見つめていた。

 

 「俺は、君だけを危険に晒すつもりはない。もし君が危なくなったら、何があっても助けてみせる。絶対にだ」

 「なんで……なんで、そんな……」

 

 一つ一つ、ゆっくりと。サヤカに言い聞かせるような口調でアランは話し掛けている。それとは反対に、サヤカの声は震えていた。吹けば飛んでしまいそうな程、今の彼女は弱々しかった。

 

 「このクエストに参加したのも、君を見捨てて逃げる為じゃない。タマミツネを狩猟して、ユクモ村が抱えている問題を解決する為に、ここにいる」

 

 ベルナ村を発つ時から、そしてサヤカと出会ってからも、アランの目的は変わらない。そして今、サヤカが明確な拒絶の意思を見せていた理由も分かった。だから、彼女が抱えている物にも、アランは向き合おうとしていた。

 

 「でもそれには君の力もいる。この目で見て、分かった。アレは俺とリリィナだけじゃ手に負えない。俺一人では無理で、君がいないと出来ない事なんだ。だから……だからお願いだ。俺とチームを組んでくれ」

 「主、セッシャからもお願いしますニャ。ハンター殿を信じてくだされニャ!」

 

 サヤカを救った行動が功を奏してか、サヤカの説得にハンゾーも加わる。ハンゾーの言葉が後押しし、サヤカはゆっくりと顔を上げ、アランの目を見つめた。あの能天気な顔をした男のような腹立たしさはなく、醜い本性を冷たい鉱石の鎧に隠した獣のような汚らしさはない。

 もしかしたら。そんな思いが、葛藤を続けていたサヤカの中で強まっていた。

 

 「本当、に……私……」

 「行こう。今度は、二人でだ」

 

 差し伸べられたアランの手に応えるようにサヤカも手を伸ばし、引っ込める。彼女はアランの手を取る事はなかった。

 

 「っ…………」

 「……そうか」

 「ニャ……」

 

 駄目だった。差し伸べた手が力を無くして下がっていき、ハンゾーもくったりとヒゲを垂らして落ち込んでいた。

 

 「違うの。あなたが思っている事とは、違う」

 

 沈痛な面持ちのアランに、サヤカが訂正を加える。違うとはどういう事なのか、アランは眉を寄せ、ハンゾーは首をかしげた。

 

 「もし私だけだったら、ずっと避けたままだった。でも今はハンゾーがいて、ハンゾーが信じたあなただから、私も……私も、あなたの事を信じてみたい。でもその前に、あなたに言わないといけない事があるの」

 

 彼女は決して拒絶されていたわけではない。ハンゾーを通して、アランの言葉は届いていた。その上で、サヤカはアランの手を取らなかった。彼女の言う、言わないといけない事の為に。

 

 「ありがとう。私を助けてくれた事、ハンゾーを守ってくれた事。それから……今まで酷い事を言って、本当にごめんなさい」

 

 彼女の口から出た謝罪に、アランは呆気にとられていた。それを言う為に、彼女は断ったのかと。今まで彼女に拒絶される事はあったが、謝罪される日が来ようとは思いもしなかった。よくよく思い返してみれば、彼女とここまで長く話をしたのも初めてかもしれない。

 

 「謝ったからって許される訳じゃないわ。でも、それを有耶無耶にしたままでいるなんて絶対に嫌。悪い事をしたのは事実だもの」

 

 改めて、過去の事についての謝罪をするサヤカ。今まで見せていた張り詰めた雰囲気は無く、どこかしおらしさを感じる。今まで見た事のない彼女の表情の数々に目新しさを覚えている余裕はない。今はタマミツネ狩猟のクエスト中なのだから。

 

 「成程、そういう事だったのか……。分かった。それじゃあ、もう一度だ。タマミツネを狩猟したい。俺とチームを組んでくれるか?」

 「ええ、私で良かったら協力させて。絶対に力になってみせるから」

 

 クエスト中に築けた信頼関係、という事にふと気付き、アランは昔の事を思い出した。賑やかで頼もしい、あのヘビィボウガン使いの事を。タマミツネの狩猟までにと考えていた彼女との共同戦線も、そのタマミツネ狩猟のクエスト中に築いている。妙な共通点に小さく笑みをこぼしつつ、アランはリリィナに向き直った。

 

 「……と、いう訳だリリィナ。力を貸してくれるか?」

 「ぷいっ、にゃ」

 

 今まで静観し続けていた彼女は、アランに呼ばれて不機嫌そうにそっぽを向いていた。

 

 「謝ったからって、すぐに許せる訳じゃないにゃ。でも、ワタシは旦那さんのオトモにゃ。旦那さんがハンターさんの事も大事に思ってるなら、ワタシは旦那さんの為に動くにゃ。今度また旦那さんの足を引っ張るような事をしたら……その時は、ゲンコツにゃ」

 

 アメショ柄の毛が覆う、薄桃色の肉球に隠した爪をきらりと光らせる。憤りを隠してはいないが、その言葉の端々からその心情が窺える。許さない、とは言っていないのだ。

 

 「リリィナ、偉いぞ」

 「ぷいっ、にゃ」

 

 サヤカを拒否しないリリィナを、アランは褒める。それがこそばゆかったのか、リリィナは再びそっぽを向いていた。

 

 「あ、主! 不肖ながらこのハンゾー、このまま引き下がるわけにはいきませんニャ! どうかもう一度、挽回の機会を与えてはくれないでしょうかニャ!」

 「勿論よ、ハンゾー。私が生きているのも、今ここにいるのも、全部全部、ハンゾーのお陰なの。だから、これからも私のオトモでいて。一緒にがんばりましょう」

 「あ、主……っ!」

 

 サヤカの言葉に鼻をすすり、両手でごしごしと目を拭うハンゾー。サヤカが危機に陥った原因を作ったのもハンゾーだが、アランと近付くきっかけを作ったのもハンゾーなのだから。サヤカがハンゾーを見限る訳がないのだ。

 

 「残り時間も多くはなさそうだ。行こう」

 

 アランの言葉に頷くサヤカ。新たな関係の下、二人と二匹はベースキャンプを後にする。目指すはタマミツネの狩猟、クエストを成功させて村へと戻る為に。

 

 (リリィナには、ああ言ったが……)

 

 一歩一歩、足を踏み出す度に感じるふらつき。多少は楽になったとはいえ、そのすべてが治る事はなかったようだ。

 

 (早く終わらせる事が出来ないと……長引いたら、拙い)

 

 ガルルガヘルムを被るアラン。ようやく彼女とチームを組む事が出来たのだから、なんとしても今考えている事態だけは避けたかった。




次回の更新も少々間が空きそうです。ご了承ください。

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